Top篠目歴史年表
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西洋暦 和暦 歴史 篠目の記録 海禅寺関連
    中生代白亜紀後期 阿武層群形成(中生代火山岩)  
BC1500万年   日本海形成    
      篠目-津和野-益田 津和野川形成  
BC20万年   新世代洪積世後期 青野火山群火山活動で古徳佐湖が形成  
BC3万年     古徳佐湖消滅  
    縄文時代 渡川の上の原(原遺跡 九州や瀬戸内海の土器)  
251 景行2年(10年)   景行天皇即位・味波々命(うましははのみこと)阿武国造  
277 景行27年 日本武尊熊襲を平定    
538   仏教公伝    
592 推古 聖徳太子摂政となる    
607 推古5年 法隆寺創建    
663 斎明8年 白村江の戦い    
646 大化 大化の改新詔発布    
685 天武14年   山陽使者、国司・群司・百姓の巡察  
694 持統4年 藤原京遷都    
698 文武2年 周芳国、銅鉱を献上    
699 朱鳥13年 役小角大祓    
701 大宝元年 大宝律令制定・施工
飛鳥時代
8・11周防・長門など17国に蝗害 大風  
710 元明3年 平城京遷都    
737 天平9年 奈良時代・藤原不比等の四子死亡 疫病流行  
747 天平19年 東大寺盧舎那仏建造の銅の進上開始    
765 天平宝字8年 道鏡太政大臣禅師    
790 桓武13年 平安京遷都    
797 平安時代 坂上田村麻呂征夷大将軍    
806 大同元年 蔵目喜銅の採掘?
空海帰国真言宗を伝える
   
838 承和5年   守庚申の記述「入唐求法巡礼行」  
853 仁寿3年 疱瘡流行    
901 延喜元年 菅原道真大宰府へ    
935 朱雀5年 平将門の乱    
870 貞観11年 阿倍清明天文博士    
1011 寛弘8年 紫式部「源氏物語」    
1167 仁安2年 平清盛正太政大臣    
1180 治承4年 源頼朝伊豆で挙兵    
1185 文治元年 平家壇ノ浦の戦で滅亡 落ち武者篠生に(言い伝え)  
1200 正治2年 道元誕生1/19    
1214 建保2年 道元出家(天台座主公円に師事)    
1219 承久元年 源実朝暗殺    
1223 貞応2年 道元、曹洞宗天童如浄に印可を受ける    
1228 安貞2年 道元帰国    
1224 寛元2年 道元、傘松に大佛寺を開く(後の永平寺)    
1253 建長5年 道元没享年54歳    
1274 文永12年 文永の役    
1281 弘安4年 弘安の役    
1295 永仁3年   現細野神社の場所に天満宮を山城北野より遷座  
1338 延元3年 足利尊氏征夷大将軍    
1378 天授4年 足利義満室町に花の御所造営    
1399 応永6年 応永の乱:大内義弘討死・弟弘茂周防・長門を受領    
1467 応仁元年 応仁の乱    
1470 文明2年 室町時代 渡川の名称登場(大乗院寺社雑記)
篠目・渡川で陶軍と吉見信頼交戦・細野神社炎上
 
1482 文明4年 大内政弘、吉見信頼と陶弘護が宴席で相刺して死亡    
1492 明応元年 戦国時代    
1493 明応2年 大内政弘   龍吟庵(海禅寺の前身)開創(口伝)
1522 大永2年 大内義興、尼子経久を攻める    
1525 大永5年 島津忠良、武具を琉球王に献上 大内義興渡川城を築城または修理
同じ頃、親睦の台ケ原 河野隆風の城が?
城平(台ケ原城主槇野隆安家臣大田氏の居城?)
 
1530 享録3年 幕府徳政令発布
大内氏遣明船を種子島で建造
細野神社(生雲八幡宮より分霊・宇佐八幡宮より遷座)  
1549 天文18年 キリスト教伝来    
1550 天文19年 サビエル大内義隆に謁見    
1551 天文20年 山口市内大道寺教会へ
大内義隆大寧寺で自刃
   
1557 弘治3年 陶晴賢滅亡 渡川城は廃城へ  
1558 弘治4年・永録元 肝付氏、北郷時久を討つ 安新兵衛門尉吉金(吉見氏の武将)の父氏稔が陶氏追悼の恩賞として細野二石を得た。子は細野のお寺にお経を納めている  
1560 永録3年 桶狭間の戦:信長、今川義元を破る    
1572 元亀3年 三方ガ原の戦 生雲郷細野村希運院(奥書) 広沢寺所蔵大般若経
細野村の存在が確認できる資料
 
1573 天正元年 足利幕府滅びる:安土桃山時代    
1582 天正10年 本能寺の変    
1590 天正18年 豊臣秀吉天下統一    
1592 文禄元年 文禄の役(秀吉朝鮮を攻める)    
1596 慶長元年 秀吉明使を追う    
1600 慶長5年 関ケ原の役    
1603 慶長8年 徳川家康征夷大将軍に    
1610 慶長15年 蔵目喜銅山の名称(検見帳)登場 篠目村:生雲郷と合石(検地帳記載)
篠目村の記述なし
 
1612   キリスト教禁止令    
1613 慶長18年 平戸にイギリス商館建設キリスト教布教禁止 阿武郡篠目村二十六石九斗余(佐世元嘉に宛てた毛利輝元知行状(閥閲録)  
1615 慶長20年・元和元年 一国一城令    
1619 元和5年 御三家成立 堅田元慶、篠目村を領有  
1622 元和8年 キリスト教徒55人長崎で処刑   堅田氏の供養塔建立
1623 元和9年 徳川家光将軍となる    
1624 寛永元年 スペイン人の来航禁止    
1625 寛永2年 僧天海寛永寺創設 阿武郡(十八郷)生雲郷の中に篠目・細野の記述
堅田氏の細野領有終了
 
1629 寛永6年 紫衣事件:大徳寺の沢庵ら流刑    
1631 寛永8年 朱印船の制を設ける   新寺建立禁止令
1637 寛永14年 島原の乱    
1638 寛永15年 キリスト教禁止令    
1639 寛永16年 鎖国令    
1640 寛永17年      
1643 寛永20年 田畑永代売買禁止令 10月12日妙信寺創建 頭室長源、宮野に洞泉寺を開創
1644 正保元年 幕府明の救援要求を拒む    
1648 慶安元年 私鋳銭禁止令    
1650 慶安3年 大雨で鹿児島城大破 記録(篠目・細野は山口宰判に所属中)いつからは不明、生雲東分は奥阿武宰判に所属 龍吟庵を禅宗の寺とし龍吟山海禅寺と改称
1651 慶安4年 由井正雪謀反 18宰判制度制定  
1652 承応元年 承応事件    
1655 明歴元年 長崎貿易を相対貿易とする    
1658 万治元年 内検丈量終了   頭室長源没
1661 寛文元年 徳川綱重を甲府・綱吉を館林に    
1665 寛文5年 諸宗寺院法度・諸社神主法度を制定   宗門改帳作成を指示
1671 寛文11年 河村瑞軒東回り航路開設   宗門人別改制定
1673 延宝元年 分地制限令    
1681 天和元年 評定所規則    
1684 貞享元年 貞享歴を採用    
1688 元禄元年 柳沢吉安側用人へ    
1691 元禄4年 住友友芳 別子銅山開発 御堂原たたら川 製鉄所 鉱山師(野村助五郎)の記録  
1694 元禄8年 松尾芭蕉没(1893奥の細道)    
1699 元禄12年   阿武郡(一庄三十六村)渡川・篠目・細野の記述(郷帳)
篠目村は山口宰判
 
1702 元禄15年 赤穂浪士仇討ち    
1703 元禄16年   中郷向山に三界万霊塔を建立。観音堂も?  
1704 宝永元年      
1705 宝永2年 お陰参り流行    
1711 正徳元年 新井白石、朝鮮使の待遇を改める    
1714 正徳4年     真如寺十五世一峰宗逸、真如寺伽藍再建
1716 享保元年 徳川吉宗将軍へ   海禅寺二世一峰宗逸没8/17
1728 享保13年 見沼代用水完成 細野村は篠目村と合併か(地下上申)以降細野村の記述なし。  
1733 享保18年 米価高騰打ち壊し   四世中興戒雲不高没7/28
1736 元文元年 正徳金銀を改鋳    
1740 元文5年 吉宗の4男一橋家創設 篠目村の記述(地下上申)  
1741 寛保元年 幕府、強訴・徒党・逃散仕置の規定    
1744 延享元年 御触書寛保集成    
1748 寛延元年 長崎貿易活発化    
1751 宝暦元年 蔵目喜村の名称(地下上申)徳川吉宗没    
1752 宝暦2年 長州藩藩政改革 篠目村庄屋 吉賀十郎兵衛の記述  
1753 宝歴3年     三世泰翁寂隠(真如寺十六世)没6/27
1756 宝歴6年 武田出雲没「仮名手本忠臣蔵」   五世梅鉄雲嶺没5/25
八世竹翁快心没5/23
1762 宝歴12年 寺院への田畑寄進禁止令    
1764 明和元年 武蔵・下野百姓一揆    
1765 明和2年 五匁銀新鋳 文殊堂延命地蔵建立  
1772 安永元年 江戸大火    
1774 安永3年 杉田玄白「解体新書」    
1781 天明元年      
1782 天明2年 天明の大飢饉~1787    
1783 天明3年 浅間山噴火   六世無外心了(地福桂光院十一世)没12/22
1785 天明5年     七世墻外兀道没8/14
1787 天明7年     十世實参普外没9/27
1789 寛政元年 棄捐令(旗本・御家人の負債免除)     
1795 寛政7年     九世大見道林没12/18
1801 享和元年 百姓・町人に対する名字・帯刀禁止令    
1804 文化元年 ロシア使節長崎へ 細野の柴崎相模(読書・習字)の塾開講~安政4年 十一世即如随仙没4/20
1806 文化3年 江戸芝の大火 渡川延命地蔵建立(9月27日)  
1811 文化8年   伊能忠敬2月6日海禅寺宿泊  
1812 文化9年 ロシア船、高田屋嘉兵衛を拿捕 中郷の野田春三(読書・習字)の塾開講~天保9年  
1818 文政元年 伊能忠敬没    
1823 文政6年 シーボルト長崎に着任 細野神社境内へ岩戸社創設(橋本にたったものを遷座)
杉ケ峠(田代から仁保)5月14日延命地蔵建立 徊国 船木槌右衛門
 
1826 文政9年 島津斉彬シーボルトと会見 見附の龍門の滝に大元社を遷座か?創設の碑あり  
1830 天保元年 伊勢お陰参り流行    
1833 天保4年 天保の飢饉    
1831 天保2年 天保一揆
防長一揆
細野の林岩男(読書・習字)塾開講~明治6年
8月7日(夕方より篠目村出張五軒こぶり八町越した)こぶりは何か不明
8月24日生雲蔵目喜より一揆勃発
山口宰判(検挙者16名うち有罪10名)
 
1836 天保7年 甲斐・三河・陸奥農民暴動 6月12日申歳の大水 水死者無数田畑家屋流失 十二世不響聞谷没1/1
1837 天保8年 大塩平八郎の乱    
1841 天保12年 水野忠邦改革着手 風土注進案(長防風土記)作成 石州街道の記述あり宮野から大峠を越えて板見堂・城平・渡川山腹を通る道。一里塚も整備されていたらしいが現在不明。  
1842 天保13年 異国船薪水令 給料地および石高の記録あり。信常弥右衛門-大組(田代31石4升五合)・柳井弥平太-遠近付(大田屋敷四石三斗五升)・佐々木陽五郎-大組(岡草・奥叶・五味83石七斗一升六合)佐々木氏は在宅諸士で大田屋敷に屋敷を構えていた。他二人は他に給料地がある。本領は別にある。米倉(持坂・三谷・榎谷・千頭・大野・林)千頭の地名はすでに存在したことになる。篠目に宿場(駅)あり馬1匹人夫2名。目代所と呼ばれ畦頭と兼任 十三世蘭山祖庭没年不詳
十四世丹山鳳毛没年不詳
1844 弘化元年 オランダ国書で開国を迫る    
1845 弘化2年 開国拒絶 篠目村(大野・岡草・嫁叶・大田屋敷・橋本・栖通・細野・田代・中郷・奥叶・見附・板見堂・林・大江河内(馬入道は細野に編入・大江河内が分離、楢原と大谷山は持坂に編入)
田畑総石高1069石:家数211軒:男406人:女328人:牛156頭:馬21頭
 
1848 嘉永元年     十五世円山大光没5/17
1850 嘉永3年 佐賀藩反射炉をつくる 細野の柴崎真澄(習字・算術)の塾を開講~万延元年
中郷の河内丈右衛門(読書・習字)の塾を開講~万延元年
 
1853 嘉永6年 ペリー浦賀来港    
1854 安政元年 日米・日英・日露和親条約 渡川操船永代録(操船設置記念)橋にかわるものとして活躍  
1859 安政6年 吉田松蔭処刑 中郷の大海直人(習字)の塾を開講~明治元年  
1860 万延元年 桜田門外の変    
1861 文久元年 毛利敬親公武合体を献議    
1863 文久3年 高杉晋作が東行と改名
長州藩下関で外国船砲撃・薩英戦争
七卿長州落ち
奇兵隊創設(6月7日)
大野の浜安四朗兵衛(読書・習字)の塾を開講~明治9年  
1864 元治元年 蛤御門の変:久坂玄瑞自刃(享年25)
第一回長州征伐
周布政之助(矢原吉富家にて自刃)
  十九世大覚悦道庫裡再建
1865 慶応元年 絵堂大田の戦い 1月23日奇兵隊篠目口に集結
奥阿武大隊(農兵)編成
十六世萬源良松没1/31
1866 慶応2年
15代徳川慶喜
第二次長州征伐(大島軍襲撃)四境戦争
薩長連合成立
5月29日大村益次郎生雲訪問
10月御堂原 宝性地蔵建立
 
1867 慶応3年 王政復古    
1868 慶応4年・明治元 版籍奉還・廃藩置県    
  明治2年 地租改正 脱隊事件    
1871 明治4年   篠目村は山口の管轄から脱して奥阿武郡部に編入  二十一世誕生
1872 明治5年 大区小区制・学制 第二十一大区 第四小区(生雲村東分・篠目村)  
1875 明治8年 樺太・千島交換条約 榎谷に生雲小学校榎谷支校開校(場所:松永巻耳氏旧宅。松永氏の祖先は私塾を開いていた伝聞あり)
生雲小学校篠目支校を五反田に開設
地名:大峠(おおたお)、板見堂(堂ケ峠どうがたお、乱橋みだれはし、井出ガ迫いでがさこ、大江河内おおえがわち)、林(蔵本)、十門ガ嶽じゅうもんがたけ、見附(河ガ峠かわがたお)、中郷(台河内、城川、寺門前、奥叶おくがの、市ケ原、五反田ごたんだ、落合おちやい、地神堂、上台)、田代、馬入道ばにゅうどう、平谷、細野(大林、まがり、片山、小林)、物見岳、休場やすみば、栖通、橋本(馬地うまぢ、市いち、台ガ原、嫁叶よめがの、岡草、城平じょうびら、大田屋敷(栩木とちのき)、大野(柄谷からたに)
 
1876 明治9年 廃刀令 渡川の厳島神社に建立二百数十年を記念した額が掲げられた。
萩の乱。11月、海禅寺に政府軍一個中隊。住職は捕縛される。賊軍に協力か?(探幽和尚)生雲・榎谷で激戦の末鎮圧
 
1877 明治10年 西南戦争 榎谷支校は小学校へ改称(支校 持坂・大野・篠目) 十七世一山覚門没9/18
1878 明治11年 郡区町村編制法公布 村区画変更で生雲小学校篠目支校を榎谷小学校篠目支校と改称  
  明治12年 教育令    
1880 明治13年 集会条例 中郷上台(目代所跡地)に篠目郵便取扱所が設置
篠生郵便局2月1日開設
 
1881 明治14年 自由党結成 生雲小学校篠目支校は中郷へ移転
千頭の荒神社に三界万霊塔建立
 
1883 明治16年     十八世悦翁道本没12/11
1884 明治17年 群馬事件・秩父事件 千頭に榎谷小学校移転。大野支校を廃止。知方小学校となる。  
1886 明治19年 小学校令 篠目郵便局と改称(中郷上台)
12月文殊大峠に国境の碑建立
 
1888 明治21年 市制・町村制公布    
1889 明治22年 大日本国憲法発布 生雲東分村と篠目村合併して篠生村へ。村会議員が選挙され村長と助役を選出
篠目郵便局は細野の林岩男宅に移転
 
1892 明治25年 千島艦事件 知方小学校を篠生尋常小学校と改称  
1893 明治26年 横河・軽井沢アブト式線路 篠生八十八ケ所再制定(その前にあった?)  
1894 明治27年 日清戦争~1895    
1895 明治28年 下関条約・三国干渉 旧国道18号線の木戸道路開通(宮野の鳰地から文殊の神田)
細野:藤井史郎8/1日清戦争戦病死
 
1897 明治30年 金本位制実施 古屋酔紅(古屋滝一)8月6日田代で誕生 二十世探道玄幽没9/5
1899 明治32年 治外法権撤廃 篠生郵便局貯金・為替業務開始  
1900 明治33年 義和団の乱 大野:浜安庫之進8/30北清事変従軍戦死(29) 二十四世天外大成誕生
1901 明治34年 貴族院で増税案可決 篠生尋常小学校は大野に移転し篠生尋常高等学校となる。
篠目簡易小学校(知方小学校分校)が篠目尋常小学校として独立(通学区域:文殊・中郷・奥叶・田代・細野・台ケ原)
 
1904 明治37年 日露戦争~1905    
1905 明治38年 日本海海戦・ポーツマス条約調印 3月に文殊から地福(鷹巣)道路改修。国道18号線と改称(篠生村の事業)
氏原大作(原 阜)3月20日文殊で誕生
細野:藤井秀一1/27日露戦争中国満州戦死(23)
親睦:蔵本唯一3/9日露戦争中国満州戦死(24)
 
1906 明治39年 鉄道国有法公布 篠目郵便局は御堂原に新築移転し篠生郵便局と改称
持坂小学校前に「文思安安」の碑設置
 
1907 明治40年 小学六年制の義務教育開始 文殊:新見民蔵9/28美東町絵堂演習中病死(21)  
1910 明治43年 大逆事件 千頭 河井清之進梨500本・リンゴ350本・桃200本を植え付ける  
1912 大正元年 第一次護憲運動 勤労主義教育(馬淵山口県知事教育方針)  
1913 大正2年 東北・北海道大凶作 1月田代トンネル工事(鹿島組の請負)着工 完成まで3年と11ケ月かかった。全長1897m。当時有数の長いトンネルであった。
安全祈願で田代の聖観音像建立(7月7日)
 
1914 大正3年 第一次世界大戦 山口自動運転社により山口・津和野間の路線バス運行開始  
1916 大正5年 大隈重信襲撃 篠生郵便局保険業務開始  
1917 大正6年 金輸出禁止 山崎自動車商会 篠目・津和野間の路線バス運行開始(一日一往復)
鉄道7月1日山口・篠目間開通
十九世大覚悦道没12/24
1918 大正7年 米騒動・スペイン風邪の流行
シベリア出兵
鉄道篠目-三谷間の鉄道が開通
この頃より花乃本聴秋が長門峡を訪れている。高島北海とともに長門峡開発に関わった。
8月19日、中郷・林の人々が篠目駅付近に集合、生雲分署長の説諭で解散。地主などの有志が会議を開き米二十七俵を一升32銭で販売(当時の相場一升42銭)
 
1919 大正8年 第一次世界大戦終結(ベルサイユ条約) 中郷:向山市松9/11シベリア戦役ネクチンクス戦死(21)  
1920 大正9年 第一回国勢調査
国際連盟加入
高島北海が8月より山根武亮とともに長門峡開発を開始
篠生村:599世帯・男子1339人・女子1225人
見附:久保八重熊(5/1)シベリア戦役(22)
 
1921 大正10年 ワシントン会議 高島北海 長門耶馬渓を長門峡と命名
更新会結成(主に小学校教員)
 
1922 大正11年 日本共産党結成 篠目尋常小学校が篠目尋常高等学校へ。細野松ケ台へ移転。氏原大作(原 阜)地福尋常小学校の教師着任
御堂原飯の山、川上村有志 観音像建立
 
1923 大正12年 関東大震災・虎の門事件(主犯山口県出身) 11月長門峡開発記念碑建立(萩町外四箇村長長門峡管理組合)  
1924 大正13年 メートル法実施 長門峡 国の名勝指定  
1925 大正14年     二十五世一天高光誕生
1926 大正15年昭和元 京都学連事件    
1929 昭和4年 世界恐慌    
1930 昭和5年 ロンドン軍縮会議 篠目地区で八十八ケ所を再度編成。世話人(板見堂:小田彦吉・原 幸一、見附:梅田国蔵・白松仁吉、中郷:清水忠二・原田市兵衛、橋本:山本幸一・山根市五郎、嫁叶:畠中梅一、大野:浜安卯太郎・河村栄治郎、御堂原:河村惣吉、大田屋敷:児玉好蔵、林:原光蔵、細野:林恒介・佐々木平之進・窪田米蔵、田代:山根為一、 二十一世常満覚道、石門、塀を新設
1931 昭和6年 満州事変    
1932 昭和7年     二十一世常満覚道退任
1933 昭和8年 国際連盟脱退    
1934 昭和9年   篠生郵便局が電話業務を開始
細野:藤井静9/3中国満州奉天省法庫県戦死(26)
二十一世常満覚道没
1935 昭和10年   篠生郵便局が電信業務を開始  
1936 昭和11年 二.二六事件    
1937 昭和12年 日中戦争 中原中也。4月「冬の長門峡」を発表
細野:内田繁行5/19平壌上空戦死(21)
親睦:岩本明哲8/27中国北支長城線戦死(27)
大野:浜安二郎10/15中国山西省戦死(21)
二十二世無得硯禅没(29)9/14
二十三世道本明哲没(28)8/27
1938 昭和13年 国家総動員法公布 部落制施工
細野:高野貞行1/8中国満州牡丹江省戦病死(21)
千頭:浦部勇8/1中国江蘇省銅山県戦死(30)
 
1939 昭和14年 米穀配給統制法施行
第ニ次世界大戦勃発
戦時統制路線バス各社統一(木炭ガス発生装置による運航・タイヤ・チューブ不足・運転手も応召で不足)
見附:山本正道(11/22)広東省蒲津村戦死(25)
中郷:久野保12/26中国広西省戦死(22)
親睦:三浦浅一8/20中国満州興安北省戦死(22)
御堂原:山根正一5/31中国浙江省戦死(25)
 
1940 昭和15年 日独伊三国同盟成立 中郷:篠原亀若6/22中国広西省戦死(21)  
1941 昭和16年 日米開戦・太平洋戦争~1945 篠目尋常高等学校を国民学校と改称
お寺・火の見櫓の鐘や金属製品を供出
中郷:原友恵10/30中国江蘇省陸軍病院戦病死(28)
大野:田屋英雄12/10ハワイ真珠湾港外海戦潜水艦戦死(23)
 
1942 昭和17年 食料管理法施行 大野の発電所閉鎖へ
中郷:平尾武文7/4支那事変戦死(31)
田代:古谷幸雪2/16支那事変戦死(26)
御堂原:河井泰俊2/25スラビヤ上空戦死(25)
 
1943 昭和18年   田代:山根斌12/14フィリピン陸軍野戦病院戦病死(22)
細野:安田顕政11/21ニューギニア戦死(30)
細野:境篤8/17平壌戦死(23)
大野:河村末芳6/30中国満州牡丹江省戦病死(23)
 
1944 昭和19年 学徒集団疎開 篠生村、松根を集め運動場に窯をつくり松根油を採取
小学生松脂の採集
見附:山本勇2/6北満州牡丹江第一陸軍病院戦病死(33)
見附:岡富雄11/28ニューギニアイドレ野戦病院戦病死(30)
文殊:西村利迪2/6ビルマ戦死(27)
文殊:中原初一8/2ニューギニクニホン戦死(23)
文殊:山根峰太7/8サイパン島戦死(43)
中郷:篠原克之3/16北太平洋上戦死(24)
細野:大岡正朔12/26フィリピンレイテ島戦死(33)
細野:窪田正雄2/25南方作戦海上戦死(33)
細野:松下菊市6/25ニューギニア海軍病院戦病死(44)
細野:原二郎12/11フィリピンレイテ島戦死(21)
細野:林房晴10/19小笠原群島父島戦病死(37)
親睦:藤本春季8/31ソロモン群島海戦戦死(28)
大野:蔵本夏一7/18中国中支方面戦死(37)
御堂原:松原寿三郎10/26フィリピン方面戦死(37)
千頭:河村博徳5/12中国満州ハルピン戦病死(21)
 
1945 昭和20年 8月6日広島原爆投下
終戦
古屋酔紅5月3日死去。享年48歳。
8月6日
細野:藤井郁子広島ミッションスクール校庭被爆死(22)
大野:浜安修介広島市内被爆死(
32
見附:久保寿義5/20フィリピンポンドック戦死(21)
見附:山本助一2/22フィリピン海上戦死(25)
見附:弘中祥春2/25南方海上戦死(20)
文殊:新見武之7/17フィリピンレイテ方面戦死(22)
文殊:新見尚巳8/6岩手県花巻市野比海軍病院戦病死(19)
文殊:梅田貞信5/24沖縄県島尻郡大里村戦死(26)
中郷:児玉隆和7/21陸軍学徒報国隊島根県益田市事故死(15)
中郷:安田芳夫7/1フィリピンオブヤンサン戦死(24)
中郷:柴崎妙子8/14海軍学徒報国隊光海軍工廠にて被爆死(16)
細野:伊藤義光8/19タイメーホンソン県ホイポン村戦死(24)
細野:窪田義夫6/10沖縄本島米須戦死(26)
細野:境定2/24ソ連抑留中戦病死(20)
細野:内田理一6/22沖縄本島新垣戦死(24)
親睦:柴崎初義3/24東シナ海上戦死(34)
親睦:三浦高一8/14学徒動員光海軍工廠被爆(15)
大野:蔵本嶺男1/3フィリピンレイテ方面戦死(24)
大野:松田要7/15フィリピンレイテ方面戦死(27)
大野:浜安隆之5/25自宅療養中(24)
御堂原:河井秀晃12/6中国北京北部清華園戦病死(20)
御堂原:大前博1/15フィリピンルソン島戦死(24)
御堂原:大前孝三6/25沖縄本島戦死(24)
千頭:河村正己12/17ソ連抑留チタ地区収容所戦病死(37)
 
1946 昭和21年 日本国憲法公布
農地改革
小作撤廃
見附:梅田保彦1/22ソビエトアルタイカバルナウル州抑留中戦病死(21)
親睦:児玉音一2/22中国北支長城線戦死(27)
大野:大田市助2/20ジップヘーゲン駅戦病死(21)
 
1947 昭和22年 学校教育法(小・中義務化) 篠目国民学校を篠目小学校と改称(学級数6・学年6・生徒数230人)。大野に篠生中学校創立~昭和43年
長門峡梨組合発足(組合長 田屋武雄)
友清リンゴ園発足
大野:原田薫11/1陸軍病院療養中終戦自宅で(23)
千頭:河井清11/29陸軍勤務中終戦療養中死亡(34)
 
1949 昭和24年 社会教育法施行 公民館設置  
1950 昭和25年 朝鮮戦争勃発 阿東町樹苗生産組合発足
長門峡、篠目駅前に診療所設置
 
1952 昭和27年 生雲耕運機初始動 文殊:原田秀享(9/1)中国転戦中戦死  
1955 昭和30年 自由民主党結成 篠生・生雲・地福・徳佐・嘉年の五村合併。阿東町となる。篠生村は篠生地区と改称。篠生村役場は阿東町役場篠生支所となる。
篠生:677世帯・男子1610人・女子1579人
 
1956 昭和31年 国連加盟・日ソ共同宣言 氏原大作12月31日死去。享年52歳。桂光院に墓地。
長門峡梨組合選果場建設
 
1957 昭和32年 徳佐リンゴ園リンゴ狩り開始・なべ底景気 新阿東町庁舎完成  
1958 昭和33年 分収造林特別措置法施行 大野 村田正治 養鶏場開設
篠生:役牛365頭、馬20頭、緬羊6頭、山羊32頭、鶏1266羽
 
1959 昭和34年 国民年金法施行 篠生地区渡川共同集荷・集所開設  
1960 昭和35年 集団移住促進事業指定(阿東町) 昭和36年までに移住した町民98名
阿東町商工会発足
 
1962 昭和37年 東大宇宙観測所ロケット打ち上げ 50年ぶりの豪雪災害 本堂・客間改修・地蔵堂改築(二十四世)
1963 昭和38年 日本初原子力発電に成功 豪雪(三八豪雪)・豪雨被害  
1964 昭和39年 桜郷鉱山閉山(蔵目喜)    
1965 昭和40年 いざなぎ景気~45年 阿東町章を制定  
1966 昭和41年 集団移住促進事業指定(阿東町)解除 豪雨災害 二十四世天外大成(臨川寺二十一世)没(66)1/24
1967 昭和42年 いたいいたい病問題化 12月国道9号線開通。18号線は廃止され県道や町道となる。  
1989 昭和64年平成元 昭和天皇没    
1995 平成7年 願成就温泉・阪神淡路大震災・地下鉄サリン事件    
1997 平成9年 山口県北部地震・消費税5%    
1999 平成11年     二十六世晋山式
2000 平成12年      
2006 平成18年     二十五世一天高光没(81)7/14
2012 平成24年 安倍首相    
2013 平成25年 富士山世界文化遺産    
2014 平成26年     本堂・庫裡大改修開始
2015 平成27年