平成20年4月25日 仮公開
平成22年11月30日 更新




● マチマチ≠ネ  「萩焼古窯」の新聞記事」



─『新聞』各紙の伝える「古窯発 掘」に関する「記事」のこと

 「萩焼古窯」の発掘計画 ≠伝える、当時の「新聞記事」をまず、見てもらいましょう。
[ ]の数字は、発表の早い順につけた番号です。
マチマチ≠ネ内容であることを確認≠オていただくと共に、こうした「記事」を切り貼り≠キれば 事実 を語ることになるのかということを皆さんに問うてみたいと思うのです 。
なお、父=河野英男によると、「情報」の提供≠ヘすべて「 陶磁協会」の佐藤進三氏によるものだということでした。

[2]『毎日新聞』=昭和32年1 1月14日(木)

↑ 橋詰氏の当時属していた、肝心の『毎日新聞』は、こんなに大きく「写真」を示さなければわ からないくらいの小さ な記事なのです。
どこにあるかわかるでしょうか。
記事はこうなっています。

萩焼窯を研究調査
東京国立博物館など

東京国立博物館陶磁室長田中作太郎、東京文化財研究所資料室長 中川千咲、東大教授三上次男の各氏はこんど文部省科学研究費五十万円の交付を受け萩焼窯を研究調査 することになり、日本陶磁器協会常務理事佐藤進三氏はこのほど萩市を訪れ打合せた結果、萩焼窯「?」一番古い同市中ノ倉坂高麗左衛門窯を調べることになった。同調査について佐藤氏は萩焼の古窯跡を発掘し古文書の探査、各地に散在している名品の技 術的研究、採集陶片の化学的分析など各部門にわたり陶磁学ならびに考古学的に総合研究をすすめ、日本近 世窯業史上基礎的研究資料とし、調査結果は協会機関誌の陶説≠ノ発表するといっている。





[4]『朝日新聞』〈昭和32 年11月21日(木)〉
『朝日新聞』の記事は、『毎日新聞』よりも更に小さな記事≠ナす。「写真」のどこにあるか おわかりでしょうか?
『中国路あちこち』というごく小さい記事のそのまた最後にあるのです。

 

古萩ガマの総合調査行う


 日本陶磁協会は今年度もらった文部省の科学助成金五十万円で、古萩ガマの総合調査を行うことにな ったので、協力してほしいと十九日同協会常務理事佐藤進三氏が県教育庁を訪れた。同氏の話によると調査 団は東京国立博物館田中作太郎を団長に東大教授三上次男氏ら計十人で、来年三月中旬から下旬にかけて萩の坂高麗左衛門のカマと 長門市の深川ガマの古い時代のものを発掘する予定だという。





[1]『中国新聞』〈昭和32年11月13日( 水)〉
『中国新聞』も、決して大きな扱いとは言えませんが、『朝日』や『毎日』よりは、位置≠ 枠で囲んでいる%_も、目立つようにしてあり、まし≠ニいったところでしょうか。


萩焼を総合研究
  日本陶磁協会       来月・古窯跡を発掘


 日本陶磁協会=東京都中央区銀座=では、かねて萩焼の総合研究について、その構想を文部省に提出 していたが、このほど文部省科学研究費から五十万円を交付されることになり、東京国立博物館陶磁室長田 中作太郎氏ら十二名の調査団が十二月初旬来萩、萩焼の古窯跡を発掘、古書の探索や名品の調査、 採集破片の化学的分析などにより、萩焼の総合的な研究を行うことになった。
 こんど発掘されるのは萩市椿東中ノ倉の坂窯跡と長門市湯本三ノ瀬窯跡 で、文禄年間、朝鮮の陶工李勺光がが豊臣秀吉に伴われて来朝、萩郊外唐人山に 窯を開いていらい四百年にわたる萩焼の歴史が研究されることになり、わが国の近世窯芸史に基礎的な研究 資料を供するものとして注目されている。調査団の構成次の通り。
△陶磁器的研究=東京国立博物館陶磁室長 田中作太郎氏ほか二名△考古学的研究=東大三上次男教授 ほか二名△文献的研究=大和文革館工芸主任満岡忠成氏ほか二名△技術的研究=日本陶磁協会理事小山富士 夫氏ほか三名△化学的研究=名古屋大山崎一雄教授。なお研究成果は日本陶磁協会機関誌「陶説」で発表さ れる。




[5]『サンケイ新聞』〈昭和32年11 月25日(月)〉


↑ 『サンケイ新聞』は、大きな扱いになっています。そして、この「記事」を橋詰氏は引用≠オて いるのです。
 記事の内容は、次のようになります。

萩焼≠フ由来にメス
 来月萩で  古萩窯総合学術調査団


 来月初め、萩焼の全面的調査をするため、古萩窯総合学術調査団が訪れる。これは東京国立博物館陶 磁室長で、無形文化財委員でもある田中作太郎氏を団長とする専門家十四人で、三百五十年の伝統 を持ち、茶人間では一萩、二楽、三唐津(註 正しくは、「一楽二萩三唐津」)とまでいわれている萩焼の由来を正確に調べるのが目的。
 
現地調査は先ず萩焼の元祖として知られる萩市椿東中ノ倉坂高麗左衛門氏宅近くの 唐人山の麓にある、初代李敬から六代後期迄の窯跡および物原(もはら−窯道具破片の捨て場)、付近一帯 で、ボーリング調査と発掘、毛利藩の茶道指南であった口羽南方邸での古文書調 査などを行うほか、萩焼に関するこうした調査はこれまでも度々計画されてきたがいずれも資金なんから着 手できず伸び伸びとなっていたもので去る六月文部省交付金五十万円調査本決まり地元でも人夫車宿を 準備することになっており今年度内に準備する予定尚この調査に継いて坂窯坂信夫氏(四四)は次のよう に語っている。発掘する窯後は初代李─六代、慶長から享和年間までの約二百年にわたって使われた窯場の あったところで私たちにも「この調査で、私たちにもわからない使用土のナゾ、井戸茶碗との関係、初代李 敬にいたであろう作陶上の指導者などについて、萩焼の由来をはっきりしたい。こうした意味からも今度の 調査は大歓迎で、私もできるだけのお手伝いをしたい」。発掘する窯跡は初代−六代、慶長から享和年間ま での約二百年間にわたって使われた窯場のあった所で、この調査で私達にも分らない使用土の謎、井戸茶碗 と萩焼の関係をはじめ茶陶器製作には利休(×久)、遠州などその窯々で初期の指導者があるが、萩 焼の場合生活様式も異る朝鮮から来た初代李敬には必ず指導者があったと思われるので、こうした点をよく 調べてもらって萩焼の由来をはっきりしたい。こうした意味からもこの度の調査は大歓迎で私も出来るだけ のお手伝いをする考えでいます。
なお主な調査課題は次のとおり。
▽萩焼の陶磁学的研究(国内にある遺品調査、発掘遺片との比較研究)▽萩窯の考古学的研究(古窯跡 の考古学的発掘調査)▽萩窯の文献的研究(萩焼に関する古文書文献の調査研究)▽萩焼の技術的研究(古 窯跡出土品及び伝世萩焼?の技術的研究)▽萩焼の化学的研究(古窯跡出土品の化学的分析)以上五項目。





[3] 『読売新聞』〈昭和32年11月16 日(土)〉

↑ 『読売新聞』の記事です。大きな扱いで、これも橋詰氏は積極的に@用していますが、内容は 事実≠ノ反しています。
 まず、記事の内容を示しましょう。

古萩の実態にメス
         陶磁室長
 =田中東京博物館  ら学術調査団

 萩焼の始窯(坂旧窯)を発掘

  来年三月から  四部門に分れ

萩焼の始窯である萩市椿東、中の倉、唐人山ろくの坂旧窯を、東京国立博物館工芸科陶磁室長である田中作太郎氏を団長とする「古萩窯総合学術調査 団」が発掘し、いままで判らなかった”古萩”の実態が明らかにされることとなった。

 調査は来年三月中旬、田中団長のほか大和文華館工芸主任満岡忠成、名大教授山崎一雄、日本陶 磁協会理事佐藤新三氏ら十四名の専門家により陶磁学、?文献、技術、文化の四部門に分けて行わ れる。文部省文化財委ではこのため調査研究費五十万円を支出、萩市および県 で五十万円を負担、合せて百万円延で十五日間にわたる調査が行われるもので、 このほど佐藤氏が来萩し、坂窯の発掘承諾をえて市や県との折衝を終った。
 古窯が埋没しているとみられる同山ろく一帯約千坪の地表には、二代坂高麗左衛門、同三代の作品とみら れる陶片が数多く見られ、古萩研究者たちにとってよき収集所となっている。
 調査団はここらあたり一帯をボーリングして初代(慶長年間)−三代初期、三代後期(同享保)−六代( 同享和)までの二窯跡を発掘する。この結果大道土を使用しはじめた年代、井戸茶わんと萩茶わんの近似説 、楽や志野技術の影響の有無など、かずかずのナゾが判明するものと関係者から期待されている。





[問題点] =「一覧」にしてみるとこんなにもマチマチ≠ネのです!


[1]『中国新聞』=昭和32年11月13日(水 )
 発掘対象=坂窯・深川窯
 調査人数=12人
 結果発表=ふれていない
[2]『毎日新聞』=昭和32年11月14日(木 )
 発掘対象=坂窯のみ
 調査人数=名前のあるのは3人、それに佐藤氏は当然♂チわると思われます
 結果発表=『陶説』
[3]『読売新聞』=昭和32年11月16日(土 )
 発掘対象=坂窯
 調査人数=14人
 結果発表=触れていない
 注意すべき点(その1)=唯一、萩市および県で五十万円を負担≠オ、計100万円で実施する と書いている。
注意すべき点(その2)=唯一、「発掘調査期間」を15日間と書いている。
[4]『朝日新聞』=昭和32年11月21日(木)
 発掘対象=坂窯・深川窯
 調査人数=10人
 結果発表=触れていない
[5]『サンケイ新聞』=昭和32年11月25日(月)
 発掘対象=坂窯のみ
 調査人数=14人
 結果発表=触れていない
 注意すべき点=唯一、地元でも人夫車宿を準備することになって降り≠ニ、「地元=萩市」が全面的な協力体勢ができていたように書いている。


>─ 「サン ケイ新聞」?「読売新聞」の「記事」は事実≠記したこ とになるのかということ

「上記」のように、「発掘対象」の「窯」もマチマチ≠ネら、 「調査人員」もマチマチ=Aかつ 、その「記事」によって、「経費」も違っています。
それなのに、橋詰氏は、「サンケイ新聞」の「記事 」を主≠ノしたかのごとき書き方をしています。
かのごとくというのは、「サンケイ新聞」から引用≠オているのは、
@ 来月初め、萩焼の全面的調査をするため、古萩窯総合学術調査団が訪れる。東京国立博物 館陶磁室長で、無形文化財委員でもある田中作太郎氏を団長とする専門家十四人で、三百五十年の伝統を持 つ萩焼の由来を正確に調べるのが目的である」(三十二年十一月二十五日、『サンケイ新聞』山口版
現地調査は坂高麗左衛門氏の宅に近い唐人山ふもとにある、初代李敬・高麗左衛門から六代新兵衛まで の窯跡および物原(窯道具と破片の捨て場)一帯で、ボーリング調査と発掘、毛利藩の茶道指南であった旧 家の古文書調査などが予定された。
A 調査を前に、高麗左衛門氏は、同じ紙面でこう期待を寄せた。「この調査で、私たちにも わからない使用土のナゾ、井戸茶碗との関係、初代李敬にいたであろう作陶上の指導者などについて、萩焼 の由来をはっきりしたい。こうした意味からも今度の調査は大歓迎で、私もできるだけのお手伝いをしたい 」。
ダケで、
これまでの発掘調査の例から、出土品を持ち去られることを恐れた地元では 「調査に地元の史家を参加させる」「出土品は現地に残す」という条件をつけて受け入れを引受け、市でも 調査団の宿舎を中央公民館と決めて全面的協力を決めた。
という「記述」は「サンケイ新聞」によるとは記されていないカラです。
従って、(あいだ)≠フ記述は「サンケイ新聞」にあるとは言っておらず、これだけ≠ネら、「来月初め」がおかしい<_ケですが、印 象的≠ノは、その間≠ノ書かれたおかしな内容「サンケイ新聞」にあるように思えるのでは ないでしょうか。。
橋詰氏は、これに、「読売新聞」一社≠オか書いていない文部省が五十万 円、山口県と地元が五十万円という調査費を計上しての歴史的な発掘調査とい うことを、ブラス≠オているのです。

『毎日新聞』の記者 (橋詰氏は、執 筆当時は「毎日新聞」の記者でした。というより、「毎日新聞の記者」だから「三一書房」が執筆 を依頼したということでしょう) が、『毎日新聞』の記事には書かれ ていない内容、しかも、『新聞各紙』でマチマチの記述なのに、『他紙』の、それも一社≠オか書いてい ないことを、事実≠ゥのごとく書いているのは、私には理解できない ことです。
「読売新聞」の「記事」が事実≠ネら、「読売」の「記事」以降≠ノ「記事」にした「朝日新聞」 ・「サンケイ新聞」に、そのことが触れられていないのは不自然≠ナはないでしょうか。

 更に、ろくに事情知らない$l間の情報提供≠燒竭閧ナす。
 どの「記事」にも書かれていないこれまでの発掘調査の例から、出土品を持ち去られるこ とを恐れた地元では「調査に地元の史家を参加させる」「出土品は現地に残す」という条件をつけて受 け入れを引受け≠スとあり、
更には、 市でも調査団の宿舎を中央公民館と決めて全面的協力を決めた。≠ニありますが、その 情報提供者≠ヘ、「萩市」関係の人間の証言≠フようですが、どういう「立場」にある、誰の 証言≠ネのでしょうか

この「調査に地元の史家を参加させる」ということは、佐藤氏を飛ばして 、直接=A小山冨士夫先生に直訴≠オた結果、[昭和32年12月9日付けの「速達」]で、条件≠ナはなく、当初≠ゥら小山先生のお考えであった(「史 家」に限ったワケではなく、「萩焼の研究者」、「考古学関係者」を当然=A含めておられました)こと を「確認」したしたものです。
ほとんど氏としか交渉していなかった佐藤氏が「県教委」でなく、「萩市」関係者とこんな「交渉」を していたなどとは、到底考えられないと父は言っていました。)


私は、佐藤氏がマスコミ操作≠ノよって、外堀≠埋め。事態≠自分の思うようにす すめようとされたのだろうと推測しています。
「読売新聞」にダケ、坂窯の発掘承諾をえて市や県との折衝を終った=Aそしてその結果と して、文部省文化財委ではこのため調査研究費五十万円を支出、萩市および県で 五十万円を負担、合せて百万円延で十五日間にわたる調査が行われる≠ニあるの は不可解≠ナす。
さらに、ほんの二週間足らずなのに、「新聞」によって、事実に反する内容≠ェ書かれ ているのは、私は、佐藤氏がある種の意図≠持って情報≠流したのだと思 わざるを得ません

ともかく、残念ながら、少なくとも「萩焼古窯」に関する「新聞記事」は、あてにならない ≠烽フだということ、ましてや、その「新聞記事」を事実≠ナあるかのよう に受け取り、更には、当事者≠ナある父=英男から、事実≠聞き出すというのではなく、誰 かから与えられた当時≠フ「県教委」の担当者のミスであるかのよう な先入観が既にあり、父からの「取材」は幾つか≠「確認」という 形≠ナあったとのことで、橋詰氏にも「問題」があるといえると思います。
しかも、父=英男が言うはずのないことが書かれていることについて、橋詰氏に当時≠フ「資料」及 び健在だった父への「再調査・再取材」をお願いしていたのですが、結局=A「再調査・再取材」がない ママに、父=英男は亡くなってしまったのです。