平成20年6月25日 公開
平成年月日 更新


●「美術館員」にも問題あり!

抜群の政治力≠持っておられることもあって、定年後も長い間「山口県立美術館」の館長の地位にあった河野良輔氏、その片腕≠ニして、開館以来協力者であった榎本徹氏に「問題」があるのは、別の箇所で触れています (当人への問題提起も、無駄であり、一流≠ニされる「朝日新聞社」でありながら、河野良輔氏からの取材≠ネので事実≠確認する必要はないと言われる状況ですので、河野良輔氏、榎本徹氏の問題点≠指摘せざるを得ないわけですが) が、その他の「館員」にも当然のように、「問題」があります。
 ほんの少し≠ナも、「知識」をお持ちの方なら、次に記すことの誤り≠ェわかっていただけると思います。


「伝統工芸展50年展」の「パンフレット」の場合

 平成15(2003)年、「日本伝統工芸展50年記念展わざの美=vが各地で開催され、「山口県立美術館」でも開催されました。
 他の「美術館」のパンレットは知りませんが、この「山口会場」である「山口県立美術館」で、入場者全員に渡された「B5」の「パンフレット」につけられた説明文には、あきれたこと≠ノ、こうあるのです。


 「日本伝統工芸展」が昭和二十九年(1954)に最初に開催されてから、今年で五十年目を迎えます。
同展は、昭和二十五年(1950)年に制定された文化財保護法によって制度化されて間もない重要無形文化財保持者(人間国宝)の作品を紹介する目的で開催されました。
間もなく全国規模の公募展となり、全国の工芸作家たちの発表の場として、戦後日本の工芸に大きな役割を果たしてきました。
 このたびの展覧会は「日本伝統工芸展」が五十年を迎えるのを記念して、同展に 出品した作家、歴代の受賞者、人間国宝を含めた工芸作家の代表作品を現在の視点から見直し、近代工芸史に重要な位置を占める百五十人の作家の代表作を選りすぐり、一堂に会するものです。
「日本伝統工芸展」は、伝統技術の継承にとどまらず、新技法の研究や現代の美意識に基づいた新感覚の作品創造を促進し、多くの優れた作家を育成してきました。
陶芸・染織・漆芸・金工・木竹工・人形・その他の工芸の七部門にわたる様々な工芸作品には、確かな技術から生み出された「わざの美」があります。
物故作家から新進気鋭の若手作家まで、人間国宝八十五名を含む工芸作家たちの「わざの美」の世界をご堪能ください。
と。

おそらく、「主催」として加わっていた「朝日新聞社」にも、原稿段階で回ったと思われますが、チェックできるだけの知識≠持った人物が「山口支局」にはいなかったのでしょう。あるいは、「美術館」の人間が書くことに間違いはない≠ニ、全面的な信頼≠おいていたのかもしれません。

しかし、この「パンフレット」には明らかにあきれるような=u間違い」があります
@ 「第1回」の「工芸展」は、旧「無形文化財」の人たちの技を公開するためのものであって、「重要無形文化財」のものではないし、
A なによりも、「重要無形文化財(俗称 人間国宝)」の制度は、「第一回展」の時にはなかったのです。
つまり、旧「無形文化財」の制度と新制度をゴッチャにしているのです。

この間違い≠ヘ、例の「永仁の壷」事件のため、力≠ヘ十二分にあると私も思いますが、実際は、旧「無形文化財」で認定され、新「無形文化財」制度においては、「萩焼」の二人と同時期に「記録選択」に留まっていた加藤唐九郎氏を「人間国宝」としている『書籍』や情報≠ニ通ずるものです。
「事件」のため、唐九郎氏は、一切の肩書き≠辞退され、そのまま≠ノなっているため、「人間国宝」にはなっていません
しかし、相当数の一流≠ニされている「出版社」の情報≠ノは、困ったことに、旧「無形文化財」をもって、「人間国宝」としたものがあります。
B 間もなく全国規模の公募展となり≠ニありますが、間もなく≠ナはありません。

 ・「第一回日本伝統工芸展」が、旧「無形文化財」認定者に限られて、技術公開≠ウれたのに対し、
 ・「第二回日本伝統工芸展」は、新たに発足した「日本工芸会」の「正会員(旧「無形文化財」認定者・新「無形文化財」認定者)・その他少数≠フ実力者=vと「支部会員」の作品が並べられました。(「陶芸」部門で、12代酒井田柿右衛門氏が、受賞しておられるため、何らかの審査≠ヘあったようですが、展示数をみても、ほぼ「応募」分が、展示されたと推測しています。なお、「支部会員」についても、力≠問われており、親睦%Iな「会」ではありません。)
 ・「第三回日本伝統工芸展」から「第六回日本伝統工芸展」までは、「理事」または「正会員」の推薦によって応募が可能となりましたが、厳しい審査がありました。(「工芸会報bP0」) 

 そして、「第七回展」からが、「公募展」になったのです。
 「記録選択」・「日本工芸会正会員」としての12代坂倉新兵衛氏、三輪休和氏以外では、「第四回日本伝統工芸展」に、三輪壽雪(三輪節夫≠ニして応募)氏が出展され、その後も「入選」を重ねられたのですが、それ以外の「萩焼」関係者の応募は、「第八回日本伝統工芸展」からのことでした。