平成20年6月25日 公開
平成20年10月25日 更新


● 事実≠ニはかけ離れたとんでもない°L述
─ 小山先生からの「回答」  「十二月九日」付「速達」─



小山先生からの「回答」

 差出人=小山冨士夫先生
 受取人=河野英男




拝啓 先日は速達頂戴御返事延引申わけありません。
 高松へ日本伝統工芸展のことで出張、ついで大阪・京都ほうめんをまわっており御手紙拝見致すのがおくれました。
 また私ひとりでは御返事出来ませんので、七日(土)佐藤進三、田中作太郎、三上次男、中川千咲氏たちに集まっていただき、今後のことの相談をしました。
 その席上、私は萩焼の発掘調査は一応中止、地元との心からの提携、熱意ある協力と支持が得られるまでのばしたらということを提言しましたが、それには時機がおそすぎるという他の方々の意見もあり、とにかく私が貴台に御手紙かき、御意向を御ききしての上できめるということになりました。
 萩焼の調査をするには旅のものではろくなことは出来ない。地元の方々、特に貴台を中心とし、どのようにすべきかという御相談を先ずすべきことは当然で、そのため九州へ行かれる途中に佐藤君に御貴台をたづねてもらったのですが、これは何としても私が上って御相談すべきだったと思います
 あいにく今年はアメリカからよばれたり、いろいろ忙しかったので、萩焼の調査のことは田中さん佐藤さんに御まかせしたのがよくなかったと反省しています。
 萩の発掘調査をこちらできめた人員だけでするというつもりは始めから少しもありません。これは科学研究費を文部省からもらうために十人以上十五人、学会に属している人の名をつらねねばならないので仮りにこの名義で提出したのです。
 このごろはなかなか科学研究費をとりにくく、私も果してとれるかどうか疑問と思っていました。日本美術史学会の委員会でこれをきめる時も、私は席をはずして自由にきめてもらいましたが、幸い日本古窯の総合調査という題目でいただけることになりました。
陶磁器の研究が総合

[2枚目]

調査をもらったのは始めてのことで、私としても深く責任を感じ、立派な業績をあげなくては申わけないと思っています。
 御手紙や佐藤君の話によりますと、坂家の松本の窯跡の方は承諾されたが、深川の方がむつかしい様子、松本のことを知るには深川の遺片を知らなくてはむつかしく、他の窯跡はともかくとして、この二ケ所だけは発掘調査しなくては萩の発掘調査にはならないと思います。予算のことは国からいただいた五十万円で両方が出来ないことはないと私は考えます。県からも地元からも御援助いただかなくてもただ、地元の研究家、作家、県の方々の心からの御協力いただければ出来ましょうが、県、地元にこのたびの調査に反対の御意向があってはこれはむつかしく、やめて、来年計画していた中津川の調査を先にし、萩はまた改めてということに致した方がよくはないかと私は考えています。  
 誰よりも先ず御貴台の御意向、地元の空気といったことを率直に御きかせいただけたら幸いです。
 費用の関係もあり、私は始めから現地出張はいたさないつもりで、発掘は多年実績のある東大教授の三上次男氏に、腕ききの考古学者二人をつれていってもらい地元に適当な方があれば参加していただいて発掘にあたっていただくつもりで居りました。
 きたんないあなたの御意見御きかせいただいた上で萩の発掘を中止するか、計画した通り実施するかきめたいと思って居ります。
  一筆御たづねまで。
  十二月九日      
  旅中 浜松の宿にて                小山冨士夫
 
 河野英男様 私は今夕鎌倉へ帰りますので、御返事は鎌倉の宅宛に願い申上げます。