TUREZURE 94   (功名心)

なんのために詩を書くか、は置いておくとして、なんのために投稿するか、を考える。

そりゃ上手くなりたいからだし、自分の意図したことがどのくらい伝わっているか反応を

見たいからだし、自分の詩の至らない点を指摘してほしいからだ。

と、ここまでは本当のことではあるけれども、これが全部ではないような気がする。

心のどこかに自分の詩で、褒められたい、認められたい、唸らせたい、一目置かれたい、

といったような願望があるような気がする。恥かしいけれど、そんな下心がある。きっと。

投稿する人たちのうち、どのくらいの人の気持ちの中にこういった功名心が含まれて

いるのだろう?それとも、こんなこと考えるの、わしだけ?


嬉しいことに「親友」がザンボアのセレクトに選ばれた。表紙はどうひっくり返っても無理と

思い、セレクトをとりあえずの目標にしていたので、はっきり言ってすごく嬉しい。

1回目は「出立の日」を投稿した。これはレビューで言われたことを元に書き直した。

2度目の「親友」はレビューで特になんにも言われないまま時が過ぎ、投稿したことすら

忘れかけた頃にメールで、「出立の日」と「親友」とどっちが良いかというお訊ねがあった。

その時もなんの話だか良く分からないまま、手を入れた「出立」よりも「親友」の方が

手を入れてない分、気持ちの上ですっきりしていたので「親友」を選んだ。

そしてある日、いつのものようにセコンドを読むと、にゃ、にゃ、にゃんと!わしの作品が

きちんと、それはまぁ本物の詩人が書いた作品のように(本物の詩人ってナニ?)

モニター上に存在しているのを発見し、びっくらこいた。わしはあんまりびっくりしない性質

だが、このときはびっくりした。その時になってやっと以前のメールの意味がわかったのだ

から、お粗末なことこの上ない。

びっくりした後に、実はわしは少し興奮した。ドキドキというのとはちょっと違う興奮だった。

なにか熱いものがジワーッと小さな湧き水のように胸の中、頭の中、足の裏、あたりに

広がった。全身の何箇所かで、小さなわしがやった!やった!と小躍りして喜んでいる。

わし本人はそうでもない感じで、割合冷静なのだけど、小さなわしが喜んでいる、そんな

感じだった。

正直に言う。何度も何度もセコンドのページを開いた。もう飽きるくらい何回も眺めた。

でも、飽きないんだよなぁ。熱い湧き水はずいぶんちっちゃくなったけれど、それでも

画面を見るたび今でも、ほんのちょっとだけ、湧き出してくる。


で、喜びは続く。今度はメールマガジン「ちりつも」に「あの頃わたしは、そしてあの人は」

を載せてくれるんだそうだ。ポエトリージャパン&ザンボア様様、である。

それまで存在は知っていたけれど購読してなかった「ちりつも」を早速申し込んでしまう。

このあたり、とにかくミーハーな反応をしてしまうわしである。セコンドとちりつもの件を

誰かに言いたくて、つい兄宛てのメールに書いてしまう。幸い姪は書く事の好きな子だし、

兄嫁ともども喜んでくれた。兄の反応については、また違う話に流れそうなので、割愛。

あー、なんかすんごく良い春だなぁとしみじみしてしまう今日この頃なのであるよ。うん。


が、しかし、冷静になってみて、そう喜んでばかりはいられないことにやっと気付く。

セコンドのコメントを読めば血の気が引くとまでは行かないまでも、あんまり喜んでばかり

いられないことは確かだ。別に「親友」が詩として良い訳ではないらしい。ふむふむ。

詩そのものよりも、詩に向かうわしの態度が好感を呼んだらしい。ふ〜〜ん…そうなんだ。

「ちりつも」にしても、初心者が投稿したりその上で推敲するとはどういうことかについての

題材としてちょうど良い詩だから、というに過ぎないらしい。ふ〜〜〜〜ん…そうなのか。

どちらも、詩のできというよりも、わしの詩への取り組み方が論点になっている。ふっ


それでもわしは嬉しいのだ。わしの中の功名心のようなものが、大いに満足してしまうの

である。こんなことで、である。褒められた訳でも、唸らせた訳でも、一目置かれた訳でも

ないのに、わしは嬉しいのである。志の低い功名心であるなぁ。ほんと。

良く絵描きなどで、一生公募には応募せず、個展も開かず、一枚の絵も売らなかった、

なんて人がいる。ただただ、自分の目指す絵を描くためだけに描き続けた人。

こういう人って、功名心はないんだろうか?ないんだろうなぁ。純粋に明確に、目的に

向かっている人なんだろうなぁ。すごいなぁ。どうやってエネルギーを持続させたんだろう。

中には逆の人もいる。描いては応募しまくって落ちまくって、評論家にボロクソにけなされて、

画商には歯牙にもかけられず、それでも「自分の絵」を描き続けた人。これもすごい、と思う。

わしだったら、すぐ迎合しちゃうぞ。そしてちょっとだけでも売れて、表面的な功名心を満足

させて、いつの間にかその「売れる絵」と「自分の絵」がすりかわってしまうだろう。

やっぱり信念、だよな。明確に信念を持つこと、だよな。


実は(今日は実は、が多いね)正直に言うと(これも多いね)普通の投稿サイトで付けられる

レスが批判的であった場合、それにはあまり従わないし、無視したり、反論したりするんだけ

ど、ザンボアのレビューにはかなり従順に従ってしまったのだ。日和見主義と笑ってくれ!

ああ、わしはノンポリですよ。(意味が飛んでるよ、おい)

批評家の意見が正しくて、一般の詩人、詩の好きな人の感想が間違っているなんて、そんな

ことはない、と思う。たった一人の批評家に褒められるより、1000人の普通に人にイイと

言ってもらえる方が良いのではないか、と思う。

そう思っているのだけど、もしも実際に高名な批評家がなにか言ったら、きっと反応しちゃう。

わしはスルスルとその高名な人に近づき、1000人の読み手に背を向けるだろう。

わしってそんな女なのだよ。ウン、そうに違いない。

事実、「出立の日」については今でも書き直さない前の方が良いと思っているし、姪もそれに

近いことを言ってくれていた。でも、そんなことはおくびにも出さず、再投稿したのであった。

わしの信念って、脆いも脆い、シャボン玉以下なのである。

意気揚揚と書き始めた割には、うら寂しい終わり方になった。でもこれが真実だ。


2003年 4月15日 

桜の花が跡形もなく散る。こういうのを潔いと昔の人は思ったのだろうか。難しい風が吹く。

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