TUREZURE 95   (円谷幸吉のこと)


今日はもの悲しい気分で、なぜだか円谷幸吉のことを思い出した。(以下もずっと敬称は略)

最初に彼の遺書を思い出し、それからトラックを走りながら、追い抜かれていく彼の姿を思い出した。

東京オリンピック、男子マラソン、銅メダル。これは、悲しいことなのだろうか。いや、悲しいのは彼と彼の周辺である。

彼の遺書を読むと涙が止まらない。いつもいつも『おいしゅうございました』が繰り返し繰り返し頭の中をこだまする。

期待という重圧の中で、彼の苦悩はどのくらい大きかったのだろう。

今の世なら、3位、銅メダルで胸を張っただろうか?父の教えに背き、後ろを振り向いただろうか?


どうも話が勝手に飛んでしまう。円谷幸吉について、知らない人も多いだろう。

簡単に彼の人生をここに記する。幼年時代ははしょって、自衛隊入隊以降の円谷について。


昭和37年(1962年)4月、陸海空自衛隊共通の特殊学校として自衛隊体育学校が設立された。

表向きは自衛隊の体育教官養成が目的の学校だったが、東京オリンピックを控え、内実はメダル候補生養成機関だった由。

就職に困っていた円谷は入校を志願した。円谷は腰部カリエスの持病を抱えながらも入校が許可された。

そして翌年、円谷はニュージーランドで開かれた2万m走において、ザトペックの世界記録を4秒も縮めたタイムで2位に。

長年不振に喘ぐ日本陸上界にとって久しぶりの快挙だった。円谷は一躍天才ランナーと賞賛される。

昭和39年(1964年)、東京オリンピックが開催。円谷はマラソンに出場した。この時、円谷は決して後ろを振り向かなかった。

以前、競技会の時後ろを振り向いた円谷は父から「男なら後ろを振り返るようなことはするな!」と強く叱責されていたのだ。

円谷はゴールの代々木競技場へ2位で入場した。観衆は熱狂の渦に包まれた。円谷には後ろから迫るヒートリーの足音が

観衆のざわめきのせいで聞こえなかったらしい。そのせいかどうかは不明であるが、円谷は場内でヒートリーに追い抜かれ3位。

円谷人気は頂点に達した。地元須賀川市では大パレードが行われ、防衛庁長官からは第一級防衛特別功労賞を授与された。

昭和41年(1966年)、円谷は長年付き合っていた地元の女性と結婚する予定になっていたらしい。

しかし上官は競技生活に支障が出ると反対した。そして結婚は次のメキシコ五輪までしてはいけないと円谷に告げた。

円谷は女性に上司の言われるがままに結婚の延期を告げる。

それから円谷は相次ぐ故障のため成績は延びなかった。婚約者の女性は昭和42年暮れに須賀川市内の商家に嫁いだ。

昭和43年1月、正月に久しぶりに帰郷。円谷はどこかでその話を聞いたかも知れない。

円谷は正月、実家から東京へ帰るとき、兄の車に伴走されて国道4号線を走るのが常だったらしいのだが、

普段は数時間は平気で走っている円谷なのに、この時は10分もしないうちに車に乗り込んできた。そしてこう呟いたそうだ。

「もう走れない」と。

そしてその後数日間、円谷は官舎に戻ることはなかった。足取りは不明のままである。官舎に戻ったのちに自殺した。

頚動脈切断、だった。


こういう場所(個人サイト)に挙げて良いかどうか判断が付きませんが、円谷幸吉の遺書を下記に記します。読んでください。


『父上様、母上様、三日とろろ美味しゆうございました。干し柿、餅も美味しゆうございました。

 敏雄兄、姉上様、おすし美味しゆうございました。克美兄、姉上様、ブドウ酒とリンゴ美味しゆうございました。

 巌兄、姉上様、しそめし、南ばん漬け美味しゆうございました。喜久蔵兄、姉上様、ブドウ液、養命酒

 美味しゆうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。

 幸造兄、姉上様、往復車に便乗させて戴き有難ううございました。モンゴいか美味しゆうございました。

 正男兄、姉上様、お気を煩わして大変申しわけありませんでした。

 幸雄君、秀雄君、幹雄君、敏子ちゃん、ひで子ちゃん、良介君、敦久君、みよ子ちゃん、ゆき江ちゃん、

 光江ちゃん、彰君、芳幸君、恵子ちゃん、幸栄君、裕ちゃん、キーちゃん、正祠君、立派な人になって下さい。

 父上様、母上様。幸吉はもうすつかり疲れ切つてしまつて走れません。何卒お許し下さい。

 気が休まることもなく御苦労、御心配をお掛け致し申しわけありません。

 幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました。』 (段落は当方)


毛筆で書かれたこの遺書のことを思い出すたび、詩なんて、詩なんて、となぜだか怒りが湧いてくる。

今まで書いたもの全部を捨てたくなってくる。

真実の言葉とは、かくも、重い。


2003年 4月19日

10代の時これを読んで、食べ物の話ばかりだと思ったわたしは、本当に馬鹿だった。

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