1990生の名女優たち

 私が最も思い入れが深いこの世代の紹介です。

1992年12月、阪神3歳牝馬S(現阪神ジュべナイルフィリーズ)
伏兵スエヒロジョウオーが勝ち2着にタマモクロス初年度産駒マイネピクシーが
入り馬連は12万馬券となった。まだ主役は登場していなかった。

ベガ。競馬史に競走馬としても母としても名を残す名牝は年が開けて1月にデビューした。生まれつき脚の曲がっていたこの馬は能力に疑問符がついていたが、競争生活に入ると非凡な才能を見せた。2戦目で初勝利を飾るとG3チューリップ賞で初重賞を制覇した。
そしてまた同じ頃関東でも、同じ星の名を持つホクトベガがデビュー。
地味な血統と馬体で期待されていなかったが、デビュー戦・カトレア賞をダートで勝つと、芝のG3フラワーカップに挑戦し優勝。クラシック戦線に進んできた。
北の地、盛岡からはユキノビジンが転厩。地方馬という偏見を覆しクロッカスS(オープン)を制した。ユキノビジンは栗毛のきれいな馬体にリボンとおしゃれなのに鞍上が
おじさん安田富男というギャップがほほえましかった。
休養していた母マックスビューティという良血マックスジョリーもアネモネS(オープン )2着と桜花賞に向けて復帰を果たした。

有力馬が揃ったクラシック最初の関門、桜花賞。
ベガが1番人気に応えて優勝。2着はユキノビジン。3着はマックスジョリー。ホクトベガは6着だった。
 
フーちゃんことノースフライトは5月に同期生に遅れてデビューした。
デビュー戦は9馬身差2戦目は8馬身差と非凡な才能を見せたがオークスには間に合わない。

クラシック2冠目オークス。
やはりベガが1番人気に応えて優勝。2着はユキノビジン。3着はマックスジョリー。ホクトベガは6着だった。
まったく着順の変わらなかった4頭だが、
この後マックスジョリーは故障を発生、ターフを去った。

そして秋、G3クイーンS。ユキノビジンが1着、ホクトベガが2着。両馬とも夏を順調に越えた。
ホクトベガはG2ローズSも出走するものの3着。
このレースを制したスターバレリーナが一躍脚光を浴びた。
ノースフライトは古馬を相手にG3府中牝馬Sを制し有力馬の1頭となった。
主役のはずのベガは夏負けし調整が遅れたため直接エリザベス女王杯に向かうことになった。

エリザベス女王杯ではスターバレリーナが1番人気となった。
しかし直線ベガが伸びる。3冠牝馬の誕生か?と誰もが思ったとき、内からホクトベガが強襲してきた。さらにノースフライトが迫る。
そして「ベガはベガでもホクトベガ!」ホクトベガが最後の一冠を手にした。
2着はノースフライト、3着には負けてなお強しの印象を与えたベガ。ユキノビジンは10着に沈んだ。
 
その後ベガは有馬記念に出走。しかし牡馬の壁は厚く9着。春まで休養となった。
ホクトベガはターコイズS(オープン)、G3中山牝馬S等に出走するも勝ちきれないレースが続く。
ユキノビジンはターコイズS(オープン)に出走。古馬に混じり1着になり、引退を決めた。
ノースフライトはG3阪神牝馬特別、G3京都牝馬特別、G2マイラーズCと3連勝。
マイル路線の主役となった。

そして春。
大阪杯に出走したベガは9着、宝塚記念でも13着と以前の動きが見られず引退を決めた。
ホクトベガはG2京王杯SCに出走するものの、やはり5着と良くも悪くも無いといった着順だった。
ノースフライトは安田記念に出走。海外からのスキーパラダイス・サイエダティ・
ザイーテンといったG1馬、スプリント王サクラバクシンオー等といった強豪を
直線でゴボウ抜きしG1タイトルを手にした。2着には同じく4歳牝馬トーワダーリン
が入り。角田騎手と田中勝騎手は二人でガッツポーズ、ウイニングランをした。

ノースフライトは夏を休養にあて秋に備えた。
ホクトベガは札幌に舞台を移し、札幌日経オープン(オープン)、G3札幌記念と連勝し
復活を遂げた。

秋に入り再びホクトベガは勝てないレースが続く。
ノースフライトは秋緒戦G2スワンSでサクラバクシンオーの2着となったが、
本番のマイルCSでレコード勝ち。牝馬初の春秋マイルG1制覇を達成した。
ノースフライトはそのまま繁殖入りを決め、北へ旅立っていった。
マイルでは負けなしの完璧な美しいフライトだった。

クラシックを彩った最後の1頭となったホクトベガは勝てないレースが続いていた。
また年を越し春も終わり、夏を迎えるころ。
地方交流が始まり、川崎競馬場で行われたエンプレス杯。
雨の中、久々にダートを走ったホクトベガは17馬身差の大差をつけて圧勝する。
「前のレースの馬が残っているのかと思った」と言わしめた。

そこからまた中央で勝てない競馬が続く。
年も明け引退も決まりラストランとして再び川崎で行われる川崎記念に出走が決まった
そこで再び、当時ダートでは敵無しといわれたライブリマウントを寄せ付けない強さを見せる。
あまりの強さに引退は撤回されフェブラリーSに出走することになった。
ここでも差を開く一方の勝ちっぷりをみせる。

ホクトベガは地方競馬場を転戦し交流競争9連勝を達成する。
9戦でつけた着差は48馬身。ダートでは無敵の女王となった。

そしてドバイワールドカップへの遠征が決まる。
この馬の強さを見ていた人々はホクトベガならと思った。
そしてドバイへ旅立ったホクトベガはレース中、抜群の手ごたえを見せ、
いけると皆が思ったそのとき故障を発生。
日本へ帰ってくることは無かった。


その後ベガは母としてアドマイヤベガ・アドマイヤドンといったG1馬を送り出し
大成功を収めている。

記録にそして記憶に残る世代に間違いは無いだろう。