万葉集 巻第16

#[番号]16/3786
#[題詞]有由縁并雜歌 / 昔者有娘子 字曰櫻兒也 于時有二壮子 共誂此娘而捐生挌<競>貪死相敵 於是娘子戯欷曰 従古<来>今未聞未見一女之身徃適二門矣 方今壮子之意有難和平 不如妾死相害永息 尓乃尋入林中懸樹經死 其兩壮子不敢哀慟血泣漣襟 各陳心緒作歌二首
#[原文]春去者 挿頭尓将為跡 我念之 櫻花者 散去流香聞 [其一]
#[訓読]春さらばかざしにせむと我が思ひし桜の花は散りにけるかも [其一]
#[仮名],はるさらば,かざしにせむと,わがもひし,さくらのはなは,ちりにけるかも
#[左注]
#[校異]并 [西(削除)] / 竟 -> 競 [尼][類][古] / 来于 -> 来 [尼][類][古] / 散去 [尼][類](塙) 去
#[鄣W],雑歌,歌語り,櫻児,恋愛,二男一女,物語,悲嘆,譬喩
#[訓異]
#[大意]春になるとかざしにしようと自分が思っていた桜の花は散ってしまったことであるよ
#{語釈]
有由縁并雜歌 由縁(よし)有ると并(あは)せて雑歌
第1部 3786~3815 由縁のある恋歌
第2部 3816~3854 戯歌
第3部 3855~3889 民謡

必ずしも由縁ある歌ばかりが集められているとは言えない。
当初は由縁有る雑歌としてあったものが、「并」が追加された。

歌謡語り 記紀伝承の中に挿入
歌語り 持統朝にまでさかのぼるか。

形式  伝誦型  歌そのものの誦詠に重点がある
    伝云型  歌の由来を語ることに重点がある
    左注的題詞型 歌と由来の均等に意味がある

内容的 昔話的歌語り  昔話
    世間話的歌語り 現実の世間話

歌語りから歌物語へと展開していく

昔者(むかし)娘子(をとめ)有り。字(あざな)を櫻兒と曰ふ。時に二(ふたりの)壮子(をとこ)有り。共に此の娘(をとめ)を誂(あとら)ふ。生(いのち)を捐(す)てて挌<競>(あらそ)ひ、死を貪(むさぼ)りて相ひ敵(あた)る。是に娘子(をとめ)戯欷(なげ)きて曰く
「古(いにしへ)より今に来(いた)るまで未だ聞かず。未だ見ず。一(ひとり)の女(をとめ)の身、二つの門(かど)に徃適(ゆ)くといふことを。方今(いまし)壮子(をとこ)の意(こころ)、和平(やは)し難きこと有り。如(し)かじ。妾(われ)死(みまか)りて相ひ害(そこな)ふこと永く息(や)まむには」といふ。
尓乃(すなはち)、林の中に尋ね入り、樹(き)に懸(かか)りて經(わななき)死にき。其の兩(ふたりの)壮子(をとこ)、哀慟(かなしび)に敢(あ)えず、血の泣(なみだ)襟(えり)に漣(なが)る。各(おのもおのも)心緒(おもひ)を陳(の)べて作る歌二首

昔一人の娘子がいた。名前を櫻兒と言った。その時に二人の男がいた。共にこの娘子に求婚した。命を棄てて争い、死を求めて敵対した。ここに娘子は嘆いて言うのに
「昔より今に至るまで、まだ聞いたことも見たこともない。一人の女の身が二人の男の家に嫁ぐということを。今、男の気持ちは和らぐことが出来ない。及ぶまい。自分が死んで、男がお互い傷つけ合うことを永久になくなることには」
そこで、女は林の中に分け入って、木に掛かって首を吊って死んだ。その二人の男は悲しみに堪えないで血の涙が襟に流れた。それぞれが心の中を述べて作った歌。

誂(あとら)ふ  求婚する
04/0543D01神龜元年甲子冬十月幸紀伊國之時為贈従駕人所誂娘子作歌一首并短歌

捐(す)て  棄てると同じ
挌<競>(あらそ)ひ 01/0013
死を貪(むさぼ)りて 死を求める 死をいとわない
相ひ敵(あた)る 敵対する
戯欷(なげ)きて  嘆く
門(かど)に徃適(ゆ)く  嫁ぐ、門をくぐる
和平(やは)し  平定する  平和にする
經(わななき)  首をくくる
哀慟(かなしび)
02/0207D01柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首并短歌
03/0434D01和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首

血の泣(なみだ)  02/0207

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3787
#[題詞](昔物有娘子 字曰櫻兒也 于時有二壮子 共誂此娘而捐生挌<競>貪死相敵 於是娘子戯欷曰 従古<来>今未聞未見一女之見徃適二門矣 方今壮子之意有難和平 不如妾死相害永息 尓乃尋入林中懸樹經死 其兩壮子不敢哀慟血泣漣襟 各陳心緒作歌二首)
#[原文]妹之名尓 繋有櫻 花開者 常哉将戀 弥年之羽尓 [其二]
#[訓読]妹が名に懸けたる桜花咲かば常にや恋ひむいや年のはに [其二]
#[仮名],いもがなに,かけたるさくら,はなさかば,つねにやこひむ,いやとしのはに
#[左注]
#[校異]開 [尼] 散
#[鄣W],雑歌,歌語り,物語,恋愛,櫻児,二男一女,悲嘆,譬喩
#[訓異]
#[大意]妹の名前に懸けた桜よ。花が咲いたならばいつも恋い思うことだろう。毎年毎年。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3788
#[題詞]或曰 <昔>有三男同娉一女也 娘子嘆息曰 一女之身易滅如露 三雄之志難平如石 遂乃彷徨池上沈没水底 於時其壮士等不勝哀頽之至 各陳所心作歌三首 [娘子字曰<(イ)>兒也]
#[原文]無耳之 池羊蹄恨之 吾妹兒之 来乍潜者 水波将涸 [一]
#[訓読]耳成の池し恨めし我妹子が来つつ潜かば水は涸れなむ [一]
#[仮名],みみなしの,いけしうらめし,わぎもこが,きつつかづかば,みづはかれなむ
#[左注]
#[校異]<> -> 昔 [尼][類][紀] / (イ) [西(上書訂正)][尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,歌語り,物語,恋愛,三男一女,悲嘆,地名,奈良,橿原
#[訓異]
#[大意]耳成の池が恨めしい。我妹子がやって来て池に潜ったならば水が涸れて欲しい
#{語釈]
或(あるひと)の曰く、<昔>三人の男有り。同(とも)に一人の女を娉(つまど)ふ。娘子(をとめ)嘆息(なげ)きて曰く、
「一(ひとり)の女の身、滅(け)易きこと露の如し。三(みたりの)雄(をのこの)志(こころざし)、平(やはし)難きこと石の如し。」といふ。
遂に乃ち、池の上(ほとり)を彷徨(たもとほり)、水底に沈み没(い)りぬ。時に其の壮士(をとこ)ども、哀頽(かなしび)の至(いたり)に勝(あ)へず、各(おのもおのも)所心(おもひ)を陳べて作る歌三首 [娘子字を<イ>兒(かづらこ)と曰ふ]

ある人がいうのに、昔、三人の男がいた。ともに一人の女に求婚した。娘子が嘆息して言うのに、
「一人の女の身は消え易いことは露のようだ。三人の男の気持ちの和らぎ難いことは石のようだ」
遂に池のほとりをさまよって、水の底に沈んでしまった。その時にその男たちは悲しみの極致に堪えられないで、それぞれ思いを述べて作る歌三首

耳成の池し 犬養孝 近世までは耳成山の西にあった。現在の南側にある池は灌漑用の後のもの
     羊蹄 10/1857 和名抄「羊蹄菜 和名之布久佐(しふくさ) 一云之(し)」

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3789
#[題詞](或曰 <昔>有三男同娉一女也 娘子嘆息曰 一女之身易滅如露 三雄之志難平如石 遂乃彷徨池上沈没水底 於時其壮士等不勝哀頽之至 各陳所心作歌三首 [娘子字曰<(イ)>兒也])
#[原文]足曳之 山(イ)之兒 今日徃跡 吾尓告世婆 還来麻之乎 [二]
#[訓読]あしひきの山縵の子今日行くと我れに告げせば帰り来ましを [二]
#[仮名],あしひきの,やまかづらのこ,けふゆくと,われにつげせば,かへりきましを
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,枕詞,植物,歌物語,物語,三男一女,悲嘆,恋愛
#[訓異]
#[大意]あしひきの山縵の子が今日死にに行くと自分に告げてくれれば帰って来ようものなのに
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3790
#[題詞](或曰 <昔>有三男同娉一女也 娘子嘆息曰 一女之身易滅如露 三雄之志難平如石 遂乃彷徨池上沈没水底 於時其壮士等不勝哀頽之至 各陳所心作歌三首 [娘子字曰<(イ)>兒也])
#[原文]足曳之 玉(イ)之兒 如今日 何隈乎 見管来尓監 [三]
#[訓読]あしひきの玉縵の子今日のごといづれの隈を見つつ来にけむ [三]
#[仮名],あしひきの,たまかづらのこ,けふのごと,いづれのくまを,みつつきにけむ
#[左注]
#[校異]玉 [万葉集童蒙抄](塙)(楓) 山
#[鄣W],雑歌,枕詞,,植物,歌物語,物語,三男一女,悲嘆,恋愛
#[訓異]
#[大意]あしひきの玉縵の子は今日の自分のようにどの道の曲がり角を見て来たのだろうか
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3791
#[題詞]昔有老翁 号曰竹取翁也 此翁季春之月登丘遠望 忽値煮羮之九箇女子也 百嬌無儔花容無止 于時娘子等呼老翁嗤曰 叔父来乎 吹此燭火也 於是翁曰唯<々> 漸趍徐行著接座上 良久娘子等皆共含咲相推譲之曰 阿誰呼此翁哉尓乃竹取翁謝之曰 非慮之外偶逢神仙 迷惑之心無敢所禁 近狎之罪希贖以歌 即作歌一首[并短歌]
#[原文]緑子之 若子蚊見庭 垂乳為 母所懐 褨襁 平<生>蚊見庭 結經方衣 水津裏丹縫服 頚著之 童子蚊見庭 結幡 袂著衣 服我矣 丹因 子等何四千庭 三名之綿 蚊黒為髪尾 信櫛持 於是蚊寸垂 取束 擧而裳纒見 解乱 童兒丹成見 羅丹津蚊經 色丹名著来 紫之 大綾之衣 墨江之 遠里小野之 真榛持 丹穂之為衣丹 狛錦 紐丹縫著 刺部重部 波累服 打十八為 麻續兒等 蟻衣之 寶之子等蚊 打栲者 經而織布 日曝之 朝手作尾 信巾裳成者之寸丹取為支屋所經 稲寸丁女蚊 妻問迹 我丹所来為 彼方之 二綾裏沓 飛鳥 飛鳥壮蚊 霖禁 縫為黒沓 刺佩而 庭立住 退莫立 禁尾迹女蚊 髣髴聞而 我丹所来為 水縹 絹帶尾 引帶成 韓帶丹取為 海神之 殿盖丹 飛翔 為軽如来 腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊果 還氷見乍 春避而 野邊尾廻者 面白見 我矣思經蚊 狭野津鳥 来鳴翔經 秋僻而 山邊尾徃者 名津蚊為迹 我矣思經蚊 天雲裳 行田菜引 還立 路尾所来者 打氷<刺> 宮尾見名 刺竹之 舎人壮裳 忍經等氷 還等氷見乍 誰子其迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部 狭々寸為我哉 端寸八為 今日八方子等丹 五十狭邇迹哉 所思而在 如是 所為故為 古部之 賢人藻 後之世之 堅監将為迹 老人矣 送為車 持還来 <持還来>
#[訓読]みどり子の 若子髪には たらちし 母に抱かえ ひむつきの 稚児が髪には 木綿肩衣 純裏に縫ひ着 頚つきの 童髪には 結ひはたの 袖つけ衣 着し我れを 丹よれる 子らがよちには 蜷の腸 か黒し髪を ま櫛持ち ここにかき垂れ 取り束ね 上げても巻きみ 解き乱り 童になしみ さ丹つかふ 色になつける 紫の 大綾の衣 住吉の 遠里小野の ま榛持ち にほほし衣に 高麗錦 紐に縫ひつけ 刺部重部 なみ重ね着て 打麻やし 麻続の子ら あり衣の 財の子らが 打ちし栲 延へて織る布 日さらしの 麻手作りを 信巾裳成者之寸丹取為支屋所経 稲置娘子が 妻どふと 我れにおこせし 彼方の 二綾下沓 飛ぶ鳥 明日香壮士が 長雨禁へ 縫ひし黒沓 さし履きて 庭にたたずみ 退けな立ち 禁娘子が ほの聞きて 我れにおこせし 水縹の 絹の帯を 引き帯なす 韓帯に取らし わたつみの 殿の甍に 飛び翔ける すがるのごとき 腰細に 取り装ほひ まそ鏡 取り並め懸けて おのがなり かへらひ見つつ 春さりて 野辺を廻れば おもしろみ 我れを思へか さ野つ鳥 来鳴き翔らふ 秋さりて 山辺を行けば なつかしと 我れを思へか 天雲も 行きたなびく かへり立ち 道を来れば うちひさす 宮女 さす竹の 舎人壮士も 忍ぶらひ かへらひ見つつ 誰が子ぞとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへ ささきし我れや はしきやし 今日やも子らに いさとや 思はえてある かくのごと 所為故為 いにしへの 賢しき人も 後の世の 鑑にせむと 老人を 送りし車 持ち帰りけり 持ち帰りけり
#[仮名],みどりこの,わかごかみには,たらちし,ははにむだかえ,ひむつきの,ちごがかみには,ゆふかたぎぬ,ひつらにぬひき,うなつきの,わらはかみには,ゆひはたの,そでつけごろも,きしわれを,によれる,こらがよちには,みなのわた,かぐろしかみを,まくしもち,ここにかきたれ,とりつかね,あげてもまきみ,ときみだり,わらはになしみ,さにつかふ,いろになつける,むらさきの,おほあやのきぬ,すみのえの,とほさとをのの,まはりもち,にほほしきぬに,こまにしき,ひもにぬひつけ,*****,なみかさねきて,うちそやし,をみのこら,ありきぬの,たからのこらが,うちしたへ,はへておるぬの,ひさらしの,あさてづくりを,*****,*******,*****,いなきをとめが,つまどふと,われにおこせし,をちかたの,ふたあやしたぐつ,とぶとり,あすかをとこが,ながめさへ,ぬひしくろぐつ,さしはきて,にはにたたずみ,そけなたち,いさめをとめが,ほのききて,われにおこせし,みなはだの,きぬのおびを,ひきおびなす,からおびにとらし,わたつみの,とののいらかに,とびかける,すがるのごとき,こしほそに,とりよそほひ,まそかがみ,とりなめかけて,おのがなり,かへらひみつつ,はるさりて,のへをめぐれば,おもしろみ,われをおもへか,さのつとり,きなきかけらふ,あきさりて,やまへをゆけば,なつかしと,われをおもへか,あまくもも,ゆきたなびく,かへりたち,みちをくれば,うちひさす,みやをみな,さすたけの,とねりをとこも,しのぶらひ,かへらひみつつ,たがこぞとや,おもはえてある,かくのごと,*******,いにしへ,ささきしわれや,はしきやし,けふやもこらに,いさとや,おもはえてある,かくのごと,*******,いにしへの,さかしきひとも,のちのよの,かがみにせむと,おいひとを,おくりしくるま,もちかへりけり,もちかへりけり
#[左注]
#[校異]唯 -> 々 [類][矢][京] / 歌 [西] 謌 / 生之 -> 生 [紀][細] / 判 -> 刺 [尼][類][紀] / <> -> 持還来 [尼]
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,作者:竹取翁,神仙,枕詞,難訓,植物,地名,堺市,大阪,教訓,嘆老
#[訓異]
#[大意]昔、翁がいた。名前を竹取の翁と言った。この翁が暮春の月に岡に登ってはるかに眺めた。たまたま鍋を煮ている九人の処女に逢った。美しい姿はこの上なく、花のような容姿は比類がない。時に処女らが翁を呼んで笑っていうには、「おじさん、ここへ来てこの鍋の火を吹いてくれ」と。そこで翁は「はいはい」と言って、そろそろと行って、一座に混じった。しばらくして処女たちは皆ほほえんで、お互いたしなめ合って言うには「誰がこの翁を呼んだのか」という。そこで竹取の翁は謝って言うには「思いのほかにたまたま神仙に逢った。惑う気持ちはおさえることが出来ません。馴れ馴れしくした罪は、願うことならば償うのに歌をもってしよう」という。そこで作った歌一首

赤ん坊の幼児の髪の頃はたらちし母に抱かれて、子どもの稚児の髪の時には木綿の肩衣を表裏いっしょに縫って来て、項までかかる童の髪の時は、絞り染めの袖の付いた衣を着ていた自分なのに。赤ら顔のあの子と同じ同士の時は、蜷の腸のような真っ黒な髪を櫛でこちらに掻き垂れて、取り束ねて上げたり巻いたりしたり、ほどいて乱れて童子のようにしてみたり、赤みがかった頬の色になじむ紫の大きな綾模様の着物を住吉の遠里小野の榛の木で染めた衣に高麗錦を紐に縫いつけて、刺し出て見えたり重ね着て見えたりして、並べて重ね着て、打麻はまあ麻続部の者ども、あり衣の財の者どもが打って柔らかくした麻布や延ばして織る布を日光にさらした白い麻手で作ったのをひらみのようなはばきにお取りになり、若々しく溌剌とした稲置の娘子が妻問いをするとして自分に送ってきた舶来の二色縫いの靴下や飛ぶ鳥の明日香の男がどんな雨でもさえぎることが出来るようにと縫った黒沓をさし履いて、庭にたたずみ、退いて立つなと注意する(さえぎる)娘子がほのかに聞いて自分に送ってきた薄い水色の絹の帯を引き帯のように中国風の帯として取って、わたつみの神の宮殿の甍に飛び翔るすがるのように腰を細くして取り装い、まそ鏡のように取り並べて懸けて自分の風体を振り返りながら見て、春がやってきて野辺をめぐると趣深く自分を思うのか、野の鳥はやって来ては鳴き翻る。秋になって山辺を行くと心引かれると自分を思うのか、天雲も行ってたなびく。帰り立って道を来ると、うち日さす宮の女、さす竹の舎人の男たちも忍び会って振り返っては見ながら、誰の子だと思われている。このようにさせられてきたからか、昔は華やいでいた自分だからか、愛しい今日もあなた方にさあどうだろうかと思われているだろうか(みじめなこと)。このように年寄りはさせられるのだから、昔の賢い人も後の世の模範にしなさいと老人を送った車を持ち帰ってきたのだ。持ち帰って来たのだ。

#{語釈]
昔、老翁(おきな)有り。号(なづ)けて竹取の翁と曰ふ。此の翁、季春の月に、丘に登りて遠く望む。忽(たちまち)に羮(あつもの)を煮る九箇(ここのたり)の女子(をみなご)に値(あ)ひぬ。百嬌(ひゃくけう)は儔(なら)びなく、花容(くゎよう)は止(たぐひ)なし。時に娘子等(をとめら)、老翁(おきな)を呼び、嗤(わら)ひて曰く、「叔父(をじ)来(きた)れ、此の燭の火を吹け」といふ。是に翁「唯<々>(をを)」と曰ひて、漸(やくやく)に趍(おもふ)き徐(おもふる)に行きて、座(しきゐ)の上(ほとり)に著接(つ)きぬ。良(やや)久にして、娘子等、皆共に咲(ゑみ)を含(ふふ)み、相ひ推譲(せめ)て曰く、「阿誰(たれ)か此の翁を呼びつる」といふ。尓乃(すなはち)竹取の翁、謝(かしこまり)て曰く、「非慮(おもひはかざる)外(ほか)に、偶(たまさか)に神仙に逢ひぬ。迷惑(まと)ふ心、敢(あ)へて禁(さ)ふる所なし。近づき狎(な)れぬる罪は、希(こひねがはくは)、贖(あが)ふに歌を以ちてせむ。」といふ。即ち作る歌一首[并せて短歌]

竹取の翁 代匠紀初稿 後漢書 西南夷伝「夜郎は初め女子あり。■水に■し、三節の大竹あり。流れて足の間に入る。其の中に泣く声を聞く。竹を剖りて視るに一人の男児を得る。帰りて之を養う。長ずるに及びて才武有り。自ら立ちて夜郎侯と為る。竹を以て姓と為す」
精撰本 大和国十市郡鷹取山あり。昔は竹取とかけりと云へば、此翁彼処に住みけるにや全釈 高取山か。

佐々木信綱 菌芝(たけ)の類を採る翁の意か。

竹 成長の早い植物として神聖視。幼児を荒籠に入れて成長を期待する習慣
  イザナギが黄泉国から逃げるときに筍

竹取物語の竹取の翁とは無関係であるが、同根。
竹を取って竹器を作るのを生業としていた翁
竹の神聖的な呪力によって、小さ子譚の形をとり、かぐや姫となる。

季春 三月 晩春

羮を煮る九箇の女子  10/1879  仙女が仙草を煮るという神仙性

此の燭の火を吹け 羮を煮るたき火

若子髪 幼児髪の頃の髪
ひむつきの 類従名義抄 ひむつき、ちこのきぬ 幼児の衣服の意か
稚児が髪 子どもの頃の髪
木綿肩衣 木綿で作った肩衣 じんべ
純裏に縫ひ着  ひたうら 12/2972 表と裏が同じ色の着物 丈が長い
頚つきの 襟に着くほどの
結ひはたの  糸で布を結んで染める。絞り染め
袖つけ衣 肩衣と異なり、袖を付けた衣
丹よれる 赤い美しい顔をしている
子らがよちには  よち 同年代 同輩  13/3307
か黒し髪を か黒き髪 か黒しというのは形容詞連体形の古形
さ丹つかふ  赤みがかった
色になつける 頬の色になじむ
大綾の衣  大きな綾模様の上衣
遠里小野 07/1156 大阪市住吉区遠里小野町 大阪市南部から堺市北部
にほほし衣  染めた衣
刺部重部 難訓、難解 さしへかさねへ か。
     上衣の下からしらっと刺し出て見える部分
     重ね着る部分
打麻やし 01/0023 打ち麻を と同じ。
麻続の子ら 麻続部で機織り集団
あり衣の 14/3481 上質の布で作った衣
財の子らが 財(たから)部  絹布を織るのを職とする集団
打ちし栲 打って作った麻の布
日さらしの 日にさらして白くした布
信巾裳成者之寸丹取為支屋所経  難訓、難解
     寛永 しきもなせはしきにとりしき
信巾裳成 ひらみなす 布を伸ばして下半身に着ける衣類
     ひらみ(ひだのない前垂れ風の衣類)か
者之寸丹取為 はばきにとらし 「之」は「々」の誤りとする
     はばきは、下半身に着ける衣類
支屋所経  わかやぶる 若々しく溌剌とした
稲置娘子 地名を冠した姓 地名とすると不明
二綾下沓 二色の綾の靴下
明日香壮士 明日香は帰化人の住んだ地であり、靴を作る集団があったか
長雨禁へ  どんな長雨でもさえぎることが出来るように
退けな立ち 退いて立つな
禁娘子  さへをとめ 地名か。佐伯と関係するか。
     いさめをとめ と訓むと、注意する娘子となる
水縹の  薄い青色
韓帯に取らし 中国風の帯 実態不明
殿の甍に 海神の宮殿の甍に 何故登場するのかは不明。
     海幸のような伝承があったか
すがる  似我蜂
所為故為  難訓 せらえしゆゑに か
ささきし我れや 華やぐ意味か
賢しき人  03/0340 孝子伝 原穀
      孝孫原穀は楚人なり。父は不幸なること甚だし。すなはち厭ひ患へ、原穀をして車を作り、祖父を担ぎて山中に送らしむ。原穀また車をもちて還る。父大きに怒りて曰く「何の故にかこの凶物をもちて還る」と。穀曰く「阿父後に老いてまた之を棄つれば、さらに作ること能はじ」といふ。頑父悔悟し、また山中に往きて父を迎へて還り、朝夕供養し、さらに孝子と為る。これすなはち孝孫の礼なり」

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3792
#[題詞](昔有老翁 号曰竹取翁也 此翁季春之月登丘遠望 忽値煮羮之九箇女子也 百嬌無儔花容無止 于時娘子等呼老翁嗤曰 叔父来乎 吹此燭火也 於是翁曰唯<々> 漸趍徐行著接座上 良久娘子等皆共含咲相推譲之曰 阿誰呼此翁哉尓乃竹取翁謝之曰 非慮之外偶逢神仙 迷惑之心無敢所禁 近狎之罪希贖以歌 即作歌一首[并短歌])反歌二首
#[原文]死者木苑 相不見在目 生而在者 白髪子等丹 不生在目八方
#[訓読]死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば白髪子らに生ひずあらめやも
#[仮名],しなばこそ,あひみずあらめ,いきてあらば,しろかみこらに,おひずあらめやも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,作者:竹取翁,神仙,嘆老
#[訓異]
#[大意]死んだらこそお互い見ないであるだろう。しかし生きているのならば白髪があなたたちに生えないであろうか。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3793
#[題詞]((昔有老翁 号曰竹取翁也 此翁季春之月登丘遠望 忽値煮羮之九箇女子也 百嬌無儔花容無止 于時娘子等呼老翁嗤曰 叔父来乎 吹此燭火也 於是翁曰唯<々> 漸趍徐行著接座上 良久娘子等皆共含咲相推譲之曰 阿誰呼此翁哉尓乃竹取翁謝之曰 非慮之外偶逢神仙 迷惑之心無敢所禁 近狎之罪希贖以歌 即作歌一首[并短歌])反歌二首)
#[原文]白髪為 子等母生名者 如是 将若異子等丹 所詈金目八
#[訓読]白髪し子らに生ひなばかくのごと若けむ子らに罵らえかねめや
#[仮名],しろかみし,こらにおひなば,かくのごと,わかけむこらに,のらえかねめや
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,作者:竹取翁,神仙,嘆老
#[訓異]
#[大意]白髪があなたたちに生えたならば、このようにあなたたちだって若い者たちに罵られないですむはずはないよ
#{語釈]
#[説明]
老人が老醜を嘆きながら若い者たちを戒めるのが主題。
人生のその盛んな時がかけがえのないものであることを若者に説く

季春というのは、国見や野遊びの時。
野遊びの時に、老人が若者たちを戒める歌を歌ったのが基盤にあるか。
作者は不明。ただ憶良、虫麻呂など推察。

竹取の翁は、社会的地位の低い民。しかし竹は神聖で生命力のあるものという観念。
仙人に会うという想定が生まれる。

竹取物語の構想の基本にあるか。

#[関連論文]


#[番号]16/3794
#[題詞]娘子等和歌九首
#[原文]端寸八為 老夫之歌丹 大欲寸 九兒等哉 蚊間毛而将居 [一]
#[訓読]はしきやし翁の歌におほほしき九の子らや感けて居らむ [一]
#[仮名],はしきやし,おきなのうたに,おほほしき,ここののこらや,かまけてをらむ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 / 歌 [西] 哥
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]ああ何ともすばらしい。翁の歌にいくらぼんやりした九人の自分たちだって、感動しているばかりでいいのだろうか
#{語釈]
おぼほしき 愚鈍な 馬鹿な
かまけて 感動する 聞き惚れる
[一] 文選などの書式にならったもの
#[説明]
最初に、年上の娘が他の娘に総括的に呼びかけたもの

#[関連論文]


#[番号]16/3795
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]辱尾忍 辱尾黙 無事 物不言先丹 我者将依 [二]
#[訓読]恥を忍び恥を黙して事もなく物言はぬさきに我れは寄りなむ [二]
#[仮名],はぢをしのび,はぢをもだして,こともなく,ものいはぬさきに,われはよりなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]恥をしのんで恥をだまって何事もなく、つべこべ言わずに自分は翁に靡きよりましょう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3796
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]否藻諾藻 随欲 可赦 皃所見哉 我藻将依 [三]
#[訓読]否も諾も欲しきまにまに許すべき顔見ゆるかも我れも寄りなむ [三]
#[仮名],いなもをも,ほしきまにまに,ゆるすべき,かほみゆるかも,われもよりなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]いやともよいとも、自分たちの好きなようにさせてくれそうな翁の顔が見えることだ。自分も寄りましょう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3797
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]死藻生藻 同心迹 結而為 友八違 我藻将依 [四]
#[訓読]死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ [四]
#[仮名],しにもいきも,おなじこころと,むすびてし,ともやたがはむ,われもよりなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]死ぬのも生きるのも同じ一つ心だと結びついた友同士が違うことがあるでしょうか。自分も寄りましょう。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3798
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]何為迹 違将居 否藻諾藻 友之波々 我裳将依 [五]
#[訓読]何すと違ひは居らむ否も諾も友のなみなみ我れも寄りなむ [五]
#[仮名],なにすと,たがひはをらむ,いなもをも,とものなみなみ,われもよりなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]どうして異論をたてておられましょうか。いやだというのもよいというのも友と同じ。自分も寄りましょう
#{語釈]
なみなみ 並々  同じ、一緒

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3799
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]豈藻不在 自身之柄 人子之 事藻不盡 我藻将依 [六]
#[訓読]あにもあらじおのが身のから人の子の言も尽さじ我れも寄りなむ [六]
#[仮名],あにもあらじ,おのがみのから,ひとのこの,こともつくさじ,われもよりなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]どうしてどうのこうのと言うことがありましょうか。こんな自分の身の上で一人前の言葉も並び立てたりはしますまい。自分も寄りましょう。
#{語釈]
おのが身のから の故に
人の子の  他の8人の姉妹 一人前の人

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3800
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]者田為々寸 穂庭莫出 思而有 情者所知 我藻将依 [七]
#[訓読]はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ [七]
#[仮名],はだすすき,ほにはないでそ,おもひたる,こころはしらゆ,われもよりなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]はだすすきが穂に出るように、(翁は)表には出しなさるな。思っている気持ちはわかります。自分も寄りましょう。
#{語釈]
#[説明]
本来はここで終わっていたか。古事記、七世、七娘子など「七」で共通。
後補される。

#[関連論文]


#[番号]16/3801
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]墨之江之 岸野之榛丹 々穂所經迹 丹穂葉寐我八 丹穂氷而将居 [八]
#[訓読]住吉の岸野の榛ににほふれどにほはぬ我れやにほひて居らむ [八]
#[仮名],すみのえの,きしののはりに,にほふれど,にほはぬわれや,にほひてをらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,地名,住吉,大阪,歌垣,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]住吉の岸の野の榛で染めるけれども染まらない自分ではあるが、あなたには染まっていましょう。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3802
#[題詞](娘子等和歌九首)
#[原文]春之野乃 下草靡 我藻依 丹穂氷因将 友之随意 [九]
#[訓読]春の野の下草靡き我れも寄りにほひ寄りなむ友のまにまに [九]
#[仮名],はるののの,したくさなびき,われもより,にほひよりなむ,とものまにまに
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,女歌,歌物語,物語,竹取翁,神仙,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]春の野の下草が靡くように自分も靡き寄り、染まって寄りましょう。友とともども。
#{語釈]
#[説明]
本来、演劇が背景となっていたか。

#[関連論文]


#[番号]16/3803
#[題詞]昔者有壮士與美女也[姓名未詳] 不告二親竊為交接 於時娘子之意欲親令知 因作歌詠送與其夫歌曰
#[原文]隠耳 戀<者>辛苦 山葉従 出来月之 顕者如何
#[訓読]隠りのみ恋ふれば苦し山の端ゆ出でくる月の顕さばいかに
#[仮名],こもりのみ,こふればくるし,やまのはゆ,いでくるつきの,あらはさばいかに
#[左注]右或云 男有答歌者 未得探求也
#[校異]<> -> 者 [類][古][温] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,物語,歌物語,密会,婚姻,女歌,人目,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]隠れてばかり恋い思っていると苦しい。山の端から出てくる月のようにはっきりと打ち明ければどうでしょう
#{語釈]
昔、壮士と美(うるは)しき女あり。[姓名は未だ詳かにあらず] 二親(おや)に告げずして、竊かに交接(まじわり)を為す。時に、娘子の意(こころ)に、親に知らせまく欲りす。因(よ)りて歌詠(うた)を作り、其の夫(つま)に送り與(あた)ふ。歌に曰く
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3804
#[題詞]昔者有壮士 新成婚礼也 未經幾時忽為驛使被遣遠境 公事有限會期無日 於是娘子 感慟悽愴沈臥疾(エ) 累<年>之後壮士還来覆命既了 乃詣相視而娘子之姿容疲羸甚異言語哽咽 于時壮士哀嘆流涙裁歌口号 其歌一首
#[原文]如是耳尓 有家流物乎 猪名川之 奥乎深目而 吾念有来
#[訓読]かくのみにありけるものを猪名川の沖を深めて我が思へりける
#[仮名],かくのみに,ありけるものを,ゐながはの,おきをふかめて,わがもへりける
#[左注]
#[校異]羊 -> 年 [類][古][紀] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,悲別,地名,兵庫,挽歌,怨恨
#[訓異]
#[大意]このようにばかりあったものなのに、猪名川の沖ではないが将来を深く思っていたことであるよ。(このようにばかりあったものなのに(そうとも知らないで心の奥深く美しいままの姿を思っていたことである))
#{語釈]
昔、壮士有り。新しく婚礼を成す。未だ幾時(いくだ)も經ねば、忽に驛使(はゆまづかひ)と為りて、遠き境に遣はさえぬ。公(おほやけ)の事は限りあり。會ふ期は日なし。是に娘子、感慟(いたみ)し悽愴(かな)しびて、疾(エ)(やまひ)に沈み臥しぬ。年を累(かさ)ねての後に、壮士還り来り、覆命すること既に了りぬ。乃ち、詣(いた)りて相視るに、娘子の姿容(かたち)、疲羸(ひるい)せること甚だ異(け)にして、言語哽咽(かうえつ)す。時に、壮士、哀嘆(かな)しびて涙を流し、歌を裁(つく)りて口号(くちずさ)ぶ。其の歌一首

昔、男がいた。新しく婚礼を上げた。まだそれほど時が立たないのに、突然駅使となって遠い地方に遣わされた。公務の事で出発の期限が決められていた。娘と逢う日がなかった。そこで娘はひどく悲しんで病気にかかって寝込んでしまった。何年か後に男は帰ってきて任務の報告が終わった。そこで娘の所に来て逢った所、娘の姿は疲れやつれていることが異常であり、言葉もむせかえるようであった。それで男は悲しんで涙を流し、歌を作って口ずさんだ。その歌一首

公の事は限りあり 出発の期限が決められていた
會ふ期は日なし 娘に逢う日がなかった
疲羸 疲れやつれる
哽咽 むせぶ

かくのみにありけるものを 題詞と合わない。通常は死を悼むか、心代わりをなじった言い方。
03/0455H01かくのみにありけるものを萩の花咲きてありやと問ひし君はも
03/0470H01かくのみにありけるものを妹も我れも千年のごとく頼みたりけり
12/2964H01かくのみにありける君を衣にあらば下にも着むと我が思へりける


猪名川 猪名野を流れている川。兵庫県伊丹市 猪名川  神崎川の支流

奥  川の中程。将来とすると、題詞と合わなくなるので、心の奥深くととらえる

#[説明]
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#[番号]16/3805
#[題詞]娘子臥聞夫君之歌従枕擧頭應聲和歌一首
#[原文]烏玉之 黒髪所<沾>而 沫雪之 零也来座 幾許戀者
#[訓読]ぬばたまの黒髪濡れて沫雪の降るにや来ますここだ恋ふれば
#[仮名],ぬばたまの,くろかみぬれて,あわゆきの,ふるにやきます,ここだこふれば
#[左注]今案 此歌其夫被使既經累載而當還時雪落之冬也 因斯娘子作此沫雪之句歟
#[校異]歌 [西] 謌 / 沽 -> 沾 [矢][京]
#[鄣W],雑歌,枕詞,歌物語,物語,女歌,恋情,悲別,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの黒髪が濡れて、泡雪が降るのにいらっしゃったのですか。こんなにもひどく恋い思っているので
#{語釈]
娘子臥して夫君の歌を聞き、枕より頭を擧げ聲に應へて和する歌一首

今案ずるに 此の歌、其の夫使はさえて、既に載(とし)を經累(へ)ぬ。而して還る時に當りて雪落(ふ)る冬なり。斯(これ)に因りて娘子此の沫雪の句を作る歟

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3806
#[題詞]
#[原文]事之有者 小泊瀬山乃 石城尓母 隠者共尓 莫思吾背
#[訓読]事しあらば小泊瀬山の石城にも隠らばともにな思ひそ我が背
#[仮名],ことしあらば,をばつせやまの,いはきにも,こもらばともに,なおもひそわがせ
#[左注]右傳云 時有女子 不知父母竊接壮士也 壮士悚惕其親呵嘖稍有猶預之意 因此娘子<裁>作斯歌贈<與>其夫也
#[校異]預 [類][古](塙) 豫 / 裁 [西(上書訂正)][尼][類][古] / 歌 [西] 哥 / 歟 -> 與 [尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,物語,歌物語,密会,結婚,地名,墳墓,人目,女歌,恋情,伝承,作者:娘子
#[訓異]
#[大意]事が起こったならばお初瀬山の石城にまでも隠って一緒にいる覚悟です。物思いをなさるなよ。我が背よ。
#{語釈]
右は傳へて云はく、「時に女子有り。父母に知らせず。竊かに壮士に接(まじは)る。壮士、其の親の呵嘖(ころ)はむことを悚オ(おそ)りて、稍(やくやく)に猶預(たゆた)ふ意(こころ)有り。此(これ)に因りて、娘子斯の歌を<裁>作(つく)りて、其の夫に贈り<與>(あた)ふ。

小泊瀬山  墳墓の多い地
石城  墓のこと。心中すると言っているのか。同穴の誓い

#[説明]
常陸国風土記 類歌
言痛けば小泊瀬山の石城にも率(い)て籠らなむな恋ひそ我妹

#[関連論文]


#[番号]16/3807
#[題詞]
#[原文]安積香山 影副所見 山井之 淺心乎 吾念莫國
#[訓読]安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心を我が思はなくに
#[仮名],あさかやま,かげさへみゆる,やまのゐの,あさきこころを,わがおもはなくに
#[左注]右歌傳云 葛城王遣于陸奥<國>之時國司祇承緩怠異甚 於時王意不悦 怒色顕面 雖設飲饌不肯宴樂 於是有前采女 風流娘子 左手捧觴右手持水 撃之王膝而詠此歌 尓乃王意解悦樂飲終日
#[校異]<> -> 國 [西(右書)][尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,物語,歌物語,伝承,地名,福島県,葛城王,女歌,橘諸兄,恋愛,序詞,作者:采女
#[訓異]
#[大意]安積山の影までも見える山の泉。そのように浅い気持ちを自分は持っているわけではありませんよ。
#{語釈]
右の歌は傳へて云はく、「葛城王、陸奥<國>に遣はさえける時に、國司の祇承(しじょう)、緩怠(くわんたい)にあること異(こと)に甚(はなはだ)し。時に王の意(こころ)悦びずして、怒りの色面(おもて)に顕(あらは)れぬ。飲饌(いんぜん)を設(ま)くと雖も、肯へて宴樂せず。是に、前(さき)の采女有り。風流の娘子なり。左手に觴(さかづき)を捧(ささ)げ、右手に水を持ち、王の膝(ひさ)を撃ちて、此の歌を詠む。尓乃(すなはち)、王の意(こころ)解け悦びて、樂飲すること終日(ひねもす)なり。」といふ。

葛城王 橘諸兄 天平九年臣籍降下
        天平勝宝九歳 薨去 七四歳

祇承 慎み仕えること。
   考課令 祇承意に合(かな)ひ、産業は怠らず、中と為よ。
   義解 祇者敬也、承猶事也。

緩怠 粗略
飲饌 酒食

安積山 福島県安積む郡日和田町東北の山 福島県郡山市西北額取山

山の井 山の泉 掘削井戸ではないので浅いという所から浅いの序

#[説明]
古今集仮名序
あさか山のことばは、うねめのたはぶれよりよみて、かづらきのおほきみを、みちのおくへ、つかはしたりけるに、くにのつかさ、事おろそかなりとて、まうけなどしたりけれど、すさまじかりければ、うねめなりける女の、かはらけとりて、よめるなり。これにぞ、おほきみのこゝろとけにける。このふたうた(他になにはづの歌)は、うたのちゝはゝのやうにてぞ、てならふ人の、はじめにもしける。

大和物語 155段

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#[番号]16/3808
#[題詞]
#[原文]墨江之 小集樂尓出而 寤尓毛 己妻尚乎 鏡登見津藻
#[訓読]住吉の小集楽に出でてうつつにもおの妻すらを鏡と見つも
#[仮名],すみのえの,をづめにいでて,うつつにも,おのづますらを,かがみとみつも
#[左注]右傳云 昔者鄙人 姓名未詳也 于時郷里男女衆集野遊 是會集之中有鄙人 夫婦 其婦容姿端正秀於衆諸 乃彼鄙人之意弥増愛妻之情 而作斯歌賛嘆美皃也
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,伝承,歌垣,野遊び,妻讃美,地名,住吉,大阪
#[訓異]
#[大意]住吉の小集楽に出て、本当に自分の妻をさえ鏡として見たことだ
#{語釈]
右は傳へて云はく、「昔、鄙人あり。姓名は未だ詳らかにあらず。時に、郷里(さと)の男女、衆(もろもろ)集(つど)ひて野遊(やゆう)す。是の會集(つどひ)の中に鄙人の夫婦(めを)あり。其の婦(め)容姿(かたち)の端正(きらきら)しきこと、衆諸(もろひと)に秀(すぐ)れたり。乃ち彼(そ)の鄙人の意(こころ)に弥(いよいよ)愛妻を愛(うつく)しぶる情を増す。すなはち、斯の歌を作りて美しき皃(かほ)を賛嘆す」といふ。

小集楽 「を」接頭語 「集」集(つ)む 3/360 16/3858 「楽」は遊びの意味で添えられた字 野遊のこと。

#[説明]
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#[番号]16/3809
#[題詞]
#[原文]商變 領為跡之御法 有者許曽 吾下衣 反賜米
#[訓読]商返しめすとの御法あらばこそ我が下衣返し給はめ
#[仮名],あきかへし,めすとのみのり,あらばこそ,あがしたごろも,かへしたまはめ
#[左注]右傳云 時有所幸娘子<也>[姓名未詳] 寵薄之後還賜寄物[俗云可多美] 於是娘子怨恨 聊作<斯>歌獻上
#[校異]<> -> 也 [尼][類][古] / <> -> 斯 [尼][類]
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,伝承,女歌,怨恨,恋愛,失恋
#[訓異]
#[大意]商取引の反故を認めるとの法律でもあるのでしたら、自分の下衣をお返しください(そんな法律はないのだから返すに及びません)
#{語釈]
右は傳へて云く 「時に幸(うつくし)びらえし娘子有り。[姓名は未だ詳らかにあらず] 寵(うつくし)びの薄(うす)れたる後に、寄物[俗に可多美と云ふ]を還し賜ふ。 是(ここ)に娘子怨恨(うら)みて、聊(いささか)に斯の歌を作りて、獻上(たてまつ)る」といふ。

幸 玉篇 楽 うつくし と訓
寵 類従名義抄 うつくしふ、あはれふ、たのしふ 寵愛 天皇の愛情に用いられる

商變 商いの約束を反故にすること 7/1264 商じこり(買い損ない)
めす 天皇の行為

#[説明]
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#[番号]16/3810
#[題詞]
#[原文]味飯乎 水尓醸成 吾待之 代者曽<无> 直尓之不有者
#[訓読]味飯を水に醸みなし我が待ちしかひはかつてなし直にしあらねば
#[仮名],うまいひを,みづにかみなし,わがまちし,かひはかつてなし,ただにしあらねば
#[左注]右傳云 昔有娘子也 相別其夫望戀經<年> 尓時夫君更<取>他妻 正身不来徒贈褁物 因此娘子作此恨歌還酬之也
#[校異]無 -> 无 [尼][類][古] / 羊 -> 年 [類][古][紀] / 娶 -> 取 [尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,歌物語,物語,伝承,怨恨,恋愛,失恋,女歌
#[訓異]
#[大意]おいしいご飯を酒に醸造して自分が待っていた効果は少しもない。直接でないので。(直接お越しにならないので)
#{語釈]
右は傳へて云はく、「昔、娘子有り。其の夫と相別れて望(した)ひ戀ひて年經ぬ。その時に、夫の君更に他(あた)し妻を取り、正身(ただみ)は来ずて、徒(ただ)つつみ物のみを贈る。此(これ)に因りて、娘子、此(こ)の恨むる歌を作りて、之に還し酬(こた)ふ」といふ。

右は伝えて言うのに、「昔、娘子がいた。その夫と別れたが恋慕の気持ちを抱いたまま年が経った。その時に夫の君は他に別の妻を娶り、自身は来ないでただ包み物だけを送る。そこで娘子はこの怨む歌を作って、これに返して答えた。

#[説明]
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#[番号]16/3811
#[題詞]戀夫君歌一首[并短歌]
#[原文]左耳通良布 君之三言等 玉梓乃 使毛不来者 憶病 吾身一曽 千<磐>破 神尓毛莫負 卜部座 龜毛莫焼曽 戀之久尓 痛吾身曽 伊知白苦 身尓染<登>保里 村肝乃 心砕而 将死命 尓波可尓成奴 今更 君可吾乎喚 足千根乃 母之御事歟 百不足 八十乃衢尓 夕占尓毛 卜尓毛曽問 應死吾之故
#[訓読]さ丹つらふ 君がみ言と 玉梓の 使も来ねば 思ひ病む 我が身ひとつぞ ちはやぶる 神にもな負ほせ 占部据ゑ 亀もな焼きそ 恋ひしくに 痛き我が身ぞ いちしろく 身にしみ通り むらきもの 心砕けて 死なむ命 にはかになりぬ 今さらに 君か我を呼ぶ たらちねの 母のみ言か 百足らず 八十の衢に 夕占にも 占にもぞ問ふ 死ぬべき我がゆゑ
#[仮名],さにつらふ,きみがみことと,たまづさの,つかひもこねば,おもひやむ,あがみひとつぞ,ちはやぶる,かみにもなおほせ,うらへすゑ,かめもなやきそ,こひしくに,いたきあがみぞ,いちしろく,みにしみとほり,むらきもの,こころくだけて,しなむいのち,にはかになりぬ,いまさらに,きみかわをよぶ,たらちねの,ははのみことか,ももたらず,やそのちまたに,ゆふけにも,うらにもぞとふ,しぬべきわがゆゑ
#[左注](右傳云 時有娘子 姓車持氏也 其夫久逕年序不作徃来 于時娘子係戀傷心 沈臥痾エ 痩羸日異忽臨泉路 於是遣使喚其夫君来 而乃歔欷流な口号斯歌 登時逝歿也)
#[校異]歌 [西] 謌 / 盤 -> 磐 [尼][類][紀] / <> -> 登 [代匠記精撰本]
#[鄣W],雑歌,枕詞,恋情,女歌,歌物語,伝承,作者:車持娘子
#[訓異]
#[大意]美しいあなたのお言葉として玉梓の使いも来ないので、物思いに病気になっている我が身一つであるよ。この病はちはやぶる神のせいにしてはいけません。占部を据えて亀も焼いてもいけません。恋しいことがひどく、苦しんでいる自分の身です。著しく恋しさが身にしみ通って、むらきもの心も砕けて死にそうな命がすぐになってきました。今更ながら、自分を呼ぶのはあなたですか。たらちねの母のお声なのでしょうか。百に足りない四方八方の巷で夕占にも問うのでしょうか。死ぬであろう自分のために
(いとしいあなたのお言葉を持って手紙も来ないので、思い沈んでとうとう病気になってしまった自分の身。だけどこの病は神のせいにしないで。占い師をやとって亀の甲などを焼いてもいけません。ただひたすらあなたが恋しい自分なのです。恋しさが身にしみてきて心も砕けてもう余命いくばくもありません。何を今更、自分を呼ぶのはあなたですか。それとも母のお声ですか。街角で夕占でも問うというのでしょうか。もう死んでしまう自分なのに)

#{語釈]
右は傳へて云く、時に娘子有り。姓は車持氏なり。其の夫、久しく年序(とし)を逕(ふ)れども、徃来をなさず。 時に娘子、係戀に心を傷みして、痾エ(やまひ)に沈み臥しぬ。痩羸(そうるい)すること日に異にして、忽に泉路に臨む。是に使を遣り、其の夫の君を喚びて来(こ)す。乃(すなはち)、歔欷(なげ)きてな(なみだ)を流し、斯の歌を口号(くちずさ)びて、登時(たちまち)に逝歿(みまか)りぬ」といふ。

車持氏 新撰姓氏録 雄略朝に乗輿を奉ったことにより賜姓 
    八種姓により、君から朝臣姓
年序  年緒 年を経て
徃来  便り
係戀  4/0535左注 係念 恋情
16/3857S01右歌一首傳云 佐為王有近習婢也 于時宿直不遑夫君難遇 感情馳結係戀
17/3965D03展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候
痾エ 熱病 3804
痩羸 3804 疲羸 疲れやつれる 痩せてやつれる
歔欷  3786 嘆く

右は伝えて言うのには、時に娘子がいた。姓は車持氏であった。その夫は長く年が経っても便りもよこさなかった。そこで娘子は、恋い思う気持ちに心を損ねて病にかかって寝込んでしまった。日に日に痩せてきてとうとう死を待つばかりになった。ここに使いを遣わしてその夫の君を呼んでやって来させた。すると娘子は嘆いて涙を流し、この歌を口ずさんでまもなく死んでしまった。という

さ丹つらふ 美しい 紅顔の 420
3/0420H01なゆ竹の とをよる御子 さ丹つらふ 我が大君は こもりくの
04/0509H01臣の女の 櫛笥に乗れる 鏡なす 御津の浜辺に さ丹つらふ
06/1053H04さ丹つらふ 黄葉散りつつ 八千年に 生れ付かしつつ 天の下
10/1911H01さ丹つらふ妹を思ふと霞立つ春日もくれに恋ひわたるかも
11/2523H01さ丹つらふ色には出でず少なくも心のうちに我が思はなくに
12/3144H01旅の夜の久しくなればさ丹つらふ紐解き放けず恋ふるこのころ
13/3276H06さ丹つらふ 君が名言はば 色に出でて 人知りぬべみ あしひきの
16/3811H01さ丹つらふ 君がみ言と 玉梓の 使も来ねば 思ひ病む 我が身ひとつぞ
16/3813H01我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3812
#[題詞](戀夫君歌一首[并短歌])反歌
#[原文]卜部乎毛 八十乃衢毛 占雖問 君乎相見 多時不知毛
#[訓読]占部をも八十の衢も占問へど君を相見むたどき知らずも
#[仮名],うらへをも,やそのちまたも,うらとへど,きみをあひみむ,たどきしらずも
#[左注](右傳云 時有娘子 姓車持氏也 其夫久逕年序不作徃来 于時娘子係戀傷心 沈臥痾エ 痩羸日異忽臨泉路 於是遣使喚其夫君来 而乃歔欷流な口号斯歌 登時逝歿也)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,恋情,女歌,歌物語,伝承,作者:車持娘子
#[訓異]
#[大意]占い師や四方八方の巷で辻占をするが、あなたを見る手だてがわからないことだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3813
#[題詞](戀夫君歌一首[并短歌])或本反歌曰
#[原文]吾命者 惜雲不有 散<追>良布 君尓依而曽 長欲為
#[訓読]我が命は惜しくもあらずさ丹つらふ君によりてぞ長く欲りせし
#[仮名],わがいのちは,をしくもあらず,さにつらふ,きみによりてぞ,ながくほりせし
#[左注]右傳云 時有娘子 姓車持氏也 其夫久逕年序不作徃来 于時娘子係戀傷心 沈臥痾(エ) 痩羸日異忽臨泉路 於是遣使喚其夫君来 而乃歔欷流渧口号斯歌 登時逝歿也
#[校異]退 -> 追 [尼][類][古][紀]
#[鄣W],雑歌,歌物語,女歌,枕詞,恋情,伝承,作者:車持娘子
#[訓異]
#[大意]自分の命は惜しくもない。美しいあなたのせいで長く生きたいと思うのだ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3814
#[題詞]贈歌一首
#[原文]真珠者 緒絶為尓伎登 聞之故尓 其緒復貫 吾玉尓将為
#[訓読]白玉は緒絶えしにきと聞きしゆゑにその緒また貫き我が玉にせむ
#[仮名],しらたまは,をだえしにきと,ききしゆゑに,そのをまたぬき,わがたまにせむ
#[左注](右傳云 時有娘子 夫君見棄改適他氏也 于時或有壮士 不知改適此歌贈 遣請誂於女之父母者 於是父母之意壮士未聞委曲之旨 乃作彼歌報送以顕改適之縁也)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,求婚,譬喩,歌物語,伝承,恋愛,贈答
#[訓異]
#[大意]白玉は緒が切れたと聞いたので、その緒をまた通して自分の玉にしようと思うのです
#{語釈]
右は傳へて云く、時に娘子有り。夫の君に棄てらえて、他(あだ)し氏に改適す。時に、或る壮士有り。改適のことを知らずして此の歌を贈り遣はし、女の父母に請ひ誂(とぶら)ふ。是に父母の意(こころ)に、壮士未だ委曲(つまびらか)にある旨を聞かずとして、乃ち彼の歌を作り報へ送り、以て改適の縁を顕はす。

改適 再婚 適は、行く

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3815
#[題詞]答歌一首
#[原文]白玉之 緒絶者信 雖然 其緒又貫 人持去家有
#[訓読]白玉の緒絶えはまことしかれどもその緒また貫き人持ち去にけり
#[仮名],しらたまの,をだえはまこと,しかれども,そのをまたぬき,ひともちいにけり
#[左注]右傳云 時有娘子 夫君見棄改適他氏也 于時或有壮士 不知改適此歌贈 遣請誂於女之父母者 於是父母之意壮士未聞委曲之旨 乃作彼歌報送以顕改適之縁也
#[校異]歌 [西] 謌 / 歌 [西] 謌 / 縁也 [尼][類][古][細](塙) 縁
#[鄣W],雑歌,譬喩,歌物語,伝承,恋愛,贈答
#[訓異]
#[大意]白玉の緒が切れたのは本当です。しかしその緒をまた通して他人が持って行きました
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3816
#[題詞]穂積親王御歌一首
#[原文]家尓有之 櫃尓鏁刺 蔵而師 戀乃奴之 束見懸而
#[訓読]家にありし櫃にかぎさし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて
#[仮名],いへにありし,ひつにかぎさし,をさめてし,こひのやつこの,つかみかかりて
#[左注]右歌一首穂積親王宴飲之日酒酣之時好誦斯歌以為恒賞也
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,作者:穂積皇子,宴席,伝承,誦詠,戯笑,恋愛
#[訓異]
#[大意]家にあった櫃に鍵をかけて閉じこめておいた恋の奴めがつかみかかってきて
#{語釈]
穂積親王 天武天皇皇子 母は蘇我赤兄の娘、大ぬの娘
     知太政官事
     2/114 異母妹但馬皇女との恋
     坂上郎女と結婚
     和銅8年7月 薨去

右の歌一首は、穂積親王、宴飲の日に、酒酣(たけなは)にある時に、好みて斯の歌を誦み、以て恒(つね)の賞(めで)と為す。

恒賞 常の玩(もてあそ)び、いつもの楽しみ、十八番

#[説明]

この歌を踏まえたもの
04/0694D01廣河女王歌二首 [穂積皇子之孫女上道王之女也]
04/0694H01恋草を力車に七車積みて恋ふらく我が心から
04/0695H01恋は今はあらじと我れは思へるをいづくの恋ぞつかみかかれる

#[関連論文]


#[番号]16/3817
#[題詞]
#[原文]可流羽須波 田廬乃毛等尓 吾兄子者 二布夫尓咲而 立麻為所見 [田廬者多夫世<反>]
#[訓読]かるうすは田ぶせの本に我が背子はにふぶに笑みて立ちませり見ゆ [田廬者多夫世<反>]
#[仮名],かるうすは,たぶせのもとに,わがせこは,にふぶにゑみて,たちませりみゆ
#[左注](右歌二首河村王宴居之時弾琴而即先誦此歌以為常行也)
#[校異]也 [西(訂正右書)] -> 反 [類][紀][古]
#[鄣W],雑歌,作者:河村王,誦詠,伝承,宴席,戯笑,恋愛
#[訓異]
#[大意]唐臼は田の小屋のもとにあるが、我が背子はにこにこと笑みを浮かべて、その小屋に立っておられるのが見える
#{語釈]
かるうす 唐臼 足踏み式の杵が付いていて二人で交互につく形式のもの
     うつほ物語「いかめしきから臼に男女立ちて踏めり」

田ぶせ  田の庵 粗末な農作業用の小屋 仮廬  3/431 5/892
08/1556H01秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに
08/1592H01しかとあらぬ五百代小田を刈り乱り田廬に居れば都し思ほゆ
10/2100H01秋田刈る仮廬の宿りにほふまで咲ける秋萩見れど飽かぬかも
10/2174H01秋田刈る仮廬を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける
10/2235H01秋田刈る旅の廬りにしぐれ降り我が袖濡れぬ干す人なしに
10/2248H01秋田刈る仮廬を作り廬りしてあるらむ君を見むよしもがも
10/2249H01鶴が音の聞こゆる田居に廬りして我れ旅なりと妹に告げこそ
10/2250H01春霞たなびく田居に廬つきて秋田刈るまで思はしむらく

にふぶに にんまり にこにこ  18/4116

河村王、宴居の時に、琴を弾きてすなはち先づ此の歌を誦み、以て常の行と為す

河村王 伝未詳  宝亀八年無位から従五位下
         注釈 この時に50歳だとすると、この歌が30年ぐらい前として20歳ぐらい。別人か。

#[説明]
注釈 うつほ物語の文章から見ると、作者である女性が目の前で笑って立って臼を踏む男を歌ったもの。
釈注 立派な唐臼と粗末な小屋の対比のように、美女の横に醜男が立っているが、にこにことうれしそうに立っているという身の程知らずいい気になっている男を揶揄したもの

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#[番号]16/3818
#[題詞]
#[原文]朝霞 香火屋之下乃 鳴川津 之努比管有常 将告兒毛欲得
#[訓読]朝霞鹿火屋が下の鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも
#[仮名],あさかすみ,かひやがしたの,なくかはづ,しのひつつありと,つげむこもがも
#[左注]右歌二首河村王宴居之時弾琴而即先誦此歌以為常行也
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:河村王,誦詠,伝承,宴席,戯笑,恋愛
#[訓異]
#[大意]朝霞の鹿火屋の下で鳴く蛙が忍び声で鳴いているのではないが、あなたを偲んでいると言ってくれる女の子もいればなあ
#{語釈]
朝霞 10/2265
鹿火屋にかかる枕詞 続き方未詳
冠辞考「朝霞のかをるという語なるを略きてかの一言にいひかけし成るべし」
鹿火屋からたちのぼる煙が霞むで朝霞が続くか。

鹿火屋 10/2265
奥義抄「魚をとる方法。簀を川に作って魚を取り込む。鵜を使って魚を捕る。その鵜を飼ったり見張りをする小屋」 飼ひ屋と見る。
古来風躰抄「山田などで子供を置いておくための小屋 鹿や猪の被害から守る小屋 その意味は人が番をしているときに蚊をさけるために蚊遣火をたいて、それが同時に猪などに人のいることをわからせるために行ったことから蚊火屋の意味でいう」

かはづ かはづの声に心が引かれるように、自分を慕っていると告げる
    かはづが恋しさに鳴いているように、自分を恋しく思っていると告げる

河村王、宴居の時に琴を弾きて即ち先づ此の歌を誦み、以て常の行(わざ)と為す

河村王  未詳
  続紀 宝亀8年11月20日 無位川村王に従五位下を授く。
        同10年11月28日 従五位下川村王に少納言を授く。
       延暦4年閏正月17日 阿波守と為す
        同7年2月23日 右大舎人頭と為す
         8年4月14日 従五位下川村王を相模守と為す

#[説明]
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#[番号]16/3819
#[題詞]
#[原文]暮立之 雨打零者 春日野之 草花之末乃 白露於母保遊
#[訓読]夕立の雨うち降れば春日野の尾花が末の白露思ほゆ
#[仮名],ゆふだちの,あめうちふれば,かすがのの,をばながうれの,しらつゆおもほゆ
#[左注](右歌二首小鯛王宴居之日取琴 登時必先吟詠此歌也 其小鯛王者更名置始多久美斯人也)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:小鯛王,宴席,地名,奈良,譬喩,恋愛,伝承,誦詠,置始工,置始多久美,遊行女婦
#[訓異]
#[大意]夕立の雨が降ると春日野の尾花のさきの白露が思われる
#{語釈]
#[説明]
同歌
10/2169H01夕立ちの雨降るごとに[一云 うち降れば]春日野の尾花が上の白露思ほゆ
解説
雨に濡れる春日野の尾花を思い出している。春日野は行楽の地として作者が行っていた
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#[番号]16/3820
#[題詞]
#[原文]夕附日 指哉河邊尓 構屋之 形乎宜美 諾所因来
#[訓読]夕づく日さすや川辺に作る屋の形をよろしみうべ寄そりけり
#[仮名],ゆふづくひ,さすやかはへに,つくるやの,かたをよろしみ,うべよそりけり
#[左注]右歌二首小鯛王宴居之日取琴 登時必先吟詠此歌也 其小鯛王者更名置始多久美斯人也
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:小鯛王,置始工,置始多久美,誦詠,宴席,伝承,遊行女婦,恋愛
#[訓異]
#[大意]夕方に近づいてさしている川辺に作っている途中の家があるが、形がいいのでなるほど引き寄せられたことだ
#{語釈]
夕づく 夕方になる  近づく

屋 女性を比喩的に言うか。

右の歌二首は、小鯛王、宴居の日に、琴を取れば登時(すなはち)必らず先づ此の歌を吟詠す。其の小鯛王は、更(また)の名は置始多久美、この人なり。

小鯛王 伝未詳
登時 3813
置始多久美 藤氏家伝 風流侍従、六人部王、長田王、門部王、狭井王、石川朝臣君子、阿部朝臣安麻呂、置始工等十余人。

#[説明]


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#[番号]16/3821
#[題詞]兒部女王嗤歌一首
#[原文]美麗物 何所不飽矣 坂門等之 角乃布久礼尓 四具比相尓計六
#[訓読]うましものいづく飽かじをさかとらが角のふくれにしぐひ合ひにけむ
#[仮名],うましもの,いづくあかじを,さかとらが,つののふくれに,しぐひあひにけむ
#[左注]右時有娘子 姓尺度氏也 此娘子不聴高姓美人之所誂應許下姓媿士之所誂也 於是兒部女王裁作此歌嗤咲彼愚也
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:児部女王,兒部女王,尺度,大阪,坂門氏,嘲笑,伝承,戯笑,恋愛
#[訓異]
#[大意]すてきなものはどれをとっても飽きることはないのだなあ。だから坂門の女めは角のふとっちょにくっついたのだろう

#{語釈]
兒部女王  伝未詳

うましもの おいしいもの、すてきなもの
坂門 左注に、尺度氏 1/54 坂門人足 
角  角氏 8/1641 角広井など
ふくれ 肥満な人
しぐひ 同衾する くっつく 卑猥な語

右は時に娘子有り。姓は尺度氏なり。此の娘子、高き姓(かばね)の美人(うまひと)が所誂(とぶら)ふことを聴(ゆる)さず、下(ひく)き姓の醜士(しこを)が所誂(とぶら)ふことを應許(ゆる)す。是に兒部女王此の歌を裁作(つく)りて、彼(そ)の愚を嗤咲(わら)ふ。

#[説明]
愚人を笑うように見えて、嫉妬があるか。

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#[番号]16/3822
#[題詞]古歌曰
#[原文]橘 寺之長屋尓 吾率宿之 童女波奈理波 髪上都良武可
#[訓読]橘の寺の長屋に我が率寝し童女放髪は髪上げつらむか
#[仮名],たちばなの,てらのながやに,わがゐねし,うなゐはなりは,かみあげつらむか
#[左注]右歌椎野連長年脉曰 夫寺家之屋者不有俗人寝處 亦稱若冠女曰放髪<丱>矣 然則<腹>句已云放髪<丱>者 尾句不可重云著冠之辞哉
#[校異]艸 -> 丱 [類][紀][温] / 脉 [万葉集拾穂抄](塙) 説 / 腰 [西(訂正左書)] -> 腹 [類][古][紀][細] / 艸 -> 丱 [類][紀][温]
#[鄣W],雑歌,地名,明日香,奈良,古歌,伝承,誦詠,椎野長年,恋愛
#[訓異]
#[大意]橘の寺の長屋に自分が手を引いて寝た放り髪の童女は、もう髪上げして聖人しただろうか。
#{語釈]
橘の寺 明日香 橘寺
寺の長屋 僧坊を兼ねた長屋 寺男や女の住居か。
童女放髪 7/1244 9/1809 童女は10歳前後の少女。放髪は髪上前のお下げ髪
07/1244H01娘子らが放りの髪を由布の山雲なたなびき家のあたり見む
14/3496H01橘の古婆の放髪が思ふなむ心うつくしいで我れは行かな

右の歌は、椎野連長年、脉(とり)みて曰く、「夫(それ)、寺家の屋は俗人の寝る處にあらず。亦、若冠の女を稱(い)ひて、放髪<丱>(はなり)と曰ふ。然らば則ち、<腹>句(えうく)、已に放髪<丱>と云へれば、尾句、重ねて著冠(ちゃくかん)の辞(こと)を云ふべからじか」といふ。

右の歌は、椎野連長年が脈をとっていうのに、「それ、寺家の家屋は俗人の寝る所ではない。また成人の髪上げした女を放髪<丱>というのだ。だから第四句ですでに放髪<丱>と言っているのであるから、結句で重ねて髪上げのことを言うべきではあるまいか」という

椎野連長年 伝未詳 続紀 神亀元年5月13日正七位上四比忠勇に椎野連姓を賜う
脉(とり)みて  元来は脈を診る。 5/886
若冠の女を稱(い)ひて、放髪<丱>(はなり)と曰ふ。 長年の誤認。

#[説明]
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#[番号]16/3823
#[題詞]决<曰>
#[原文]橘之 光有長屋尓 吾率宿之 宇奈為放尓 髪擧都良武香
#[訓読]橘の照れる長屋に我が率ねし童女放髪に髪上げつらむか
#[仮名],たちばなの,てれるながやに,わがゐねし,うなゐはなりに,かみあげつらむか
#[左注]
#[校異]云 -> 曰 [尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,推敲,異伝,伝承,宴席,転用,改作,恋愛,植物
#[訓異]
#[大意]橘の照っている長屋で自分が寝た童女は、放髪に髪上げしただろうか
#{語釈]
决 決に同じ。 全集 脉决は医学用語。医疾令 案脉診决で、歌の病を治すということ        長年は、医師か。

#[説明]
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#[番号]16/3824
#[題詞]長忌寸意吉麻呂歌八首
#[原文]刺名倍尓 湯和可世子等 櫟津乃 桧橋従来許武 狐尓安牟佐武
#[訓読]さし鍋に湯沸かせ子ども櫟津の桧橋より来む狐に浴むさむ
#[仮名],さしなべに,ゆわかせこども,いちひつの,ひばしよりこむ,きつねにあむさむ
#[左注]右一首傳云 一時衆<集>宴飲也 於<時>夜漏三更所聞狐聲 尓乃衆諸誘 奥麻呂曰 關此饌具雜器狐聲河橋等物但作歌者 即應聲作此歌也
#[校異]會 -> 集 [尼][類][紀] / 是 -> 時 [尼][類] / 歌 [西] 哥
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,伝承,誦詠
#[訓異]
#[大意]柄付き鍋に湯を沸かせよ。者どもよ。櫟津の桧橋よりやって来る狐にぶっかけよう
#{語釈]
長意吉麻呂 伝未詳 持統・文武朝の歌人  1/57 2/143~4 3/238、265

さし鍋 柄のついた鍋
櫟津 代匠紀 允恭紀七年一二月「倭春日に到り、櫟井の上に食す」
       天理市櫟本、大和郡山市櫟枝
   釈注 津は川の渡し場。宴の場所に近い所か
   櫃が隠されている

狐  和名抄 岐豆祢 狐は能く妖怪と為り、百歳に至るまで化けて女と為る者なり


右の一首は傳へて云く、「一時(あるとき)衆<集>ひて宴飲す。<時>に夜漏三更にして、狐の聲聞こゆ。尓乃(すなはち)衆諸(もろひと)奥麻呂を誘ひて曰く、『此の饌具、雜器、狐聲、河橋(かけう)等の物に關(か)けて但(ただ)に歌を作れ』といへれば、即ち、聲に應へて此の歌を作る

夜漏 夜の時刻。漏刻から来る言い方
三更 夜の時間を五分した三番目。夜12時頃
饌具 飲食に用いる器類
雜器 日常用具 歌では櫃

#[説明]
物名歌 題詞の「物」と歌詞の「物」の順序が一致していない。最初に「物」が提示されて、歌を作ったことを示す。

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#[番号]16/3825
#[題詞]詠行騰蔓菁食薦屋(a)歌
#[原文]食薦敷 蔓菁煮将来 (a)尓 行騰懸而 息此公
#[訓読]食薦敷き青菜煮て来む梁にむかばき懸けて休むこの君
#[仮名],すごもしき,あをなにてこむ,うつはりに,むかばきかけて,やすむこのきみ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠,植物
#[訓異]
#[大意]食薦を敷いて青菜を煮て持って来よう。棟の梁に行縢を掛けて休んでいてください。この君よ。
#{語釈]
行騰 むかばき  腰に着けて前に垂らし股から下をおおうもの 乗馬の時などに用いる。毛皮製。
蔓菁 あをな かぶらな 青物の総称
食薦 すこも 薦製の敷物。食卓に敷いて料理を置くためのもの
       簀薦
屋a(梁) うつはり  棟の梁  天井板が張られていない家屋

#[説明]
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#[番号]16/3826
#[題詞]詠荷葉歌
#[原文]蓮葉者 如是許曽有物 意吉麻呂之 家在物者 <宇>毛乃葉尓有之
#[訓読]蓮葉はかくこそあるもの意吉麻呂が家なるものは芋の葉にあらし
#[仮名],はちすばは,かくこそあるもの,おきまろが,いへなるものは,うものはにあらし
#[左注]
#[校異]キ -> 宇 [尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠,植物
#[訓異]
#[大意]蓮葉はこのような立派なものであるものだ。そうすると意吉麻呂の家にあるものは芋の葉であるらしい
#{語釈]
荷葉  はちすば 蓮葉と同じ 宴席で食物を盛るのに用いられた
芋   里芋 妹と掛けている

#[説明]
家でも蓮葉を使っているが、今眼のあたりにしている蓮葉は立派なもので、これが本当のものだったのかという宴を讃美した形のもの

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#[番号]16/3827
#[題詞]詠雙六頭歌
#[原文]一二之目 耳不有 五六三 四佐倍有<来> 雙六乃佐叡
#[訓読]一二の目のみにはあらず五六三四さへありけり双六のさえ
#[仮名],いちにのめ,のみにはあらず,ごろくさむ,しさへありけり,すぐろくのさえ
#[左注]
#[校異]<> -> 来 [古]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠
#[訓異]
#[大意]一二の目だけではない。五六三四まであることだ。双六のサイコロは。
#{語釈]
雙六頭  すごろくのさえ
     双六 注釈 正倉院等に現存。長さ一尺二寸ほど、横七寸二分の木盤に双方各一二の罫を引き、中央に一条の横線を引き、馬と名付けられた白黒の石一二個を並べ、二個のサイコロを竹筒に入れて交互に振り出して、出た数だけ罫を数えて馬を送り、早く敵の領内に送り終わった者が勝ち
     持統紀三年一二月に禁止令。ただ賭博遊具として流行する

さえ サイコロ 何故一二三四五六と数字の順に歌われていないのか
   橋本四郎 賽の目は三と四だけに朱の色を入れ、他の目は黒色をいれている点に注意し、これは玄宗皇帝と楊貴妃の故事によると平治物語その他に出ているが、由来はともかく、これを最後に持ってきて「さへ」をつければ、赤い目もあるということが常識に照らしてすぐ理解され、それだけおもしろさを加えることになるのではないか。

釈注 サイコロの目は表裏あわせて七になるように出来ている。中国人好みの整数である。サイコロは二つ用いられるので、数の呼び名があったか。重一、朱三、四三など。
その呼び名を利用しているか。
四は赤目。一二の目というのは人間にもある。さらに多くある上に、赤目まである驚くべきものだということを述べようとしたものか。

#[説明]
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#[番号]16/3828
#[題詞]詠香塔厠<屎>鮒奴歌
#[原文]香塗流 塔尓莫依 川隈乃 屎鮒喫有 痛女奴
#[訓読]香塗れる塔にな寄りそ川隈の屎鮒食めるいたき女奴
#[仮名],かうぬれる,たふになよりそ,かはくまの,くそふなはめる,いたきめやつこ
#[左注]
#[校異]屎 [西(上書訂正)][尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠,動物
#[訓異]
#[大意]香を塗っている薫り高い搭には寄るなよ。川のほとりの屎鮒を食べているきたない女奴よ。
#{語釈]
香  香木
塔  寺の搭
厠  川屋 トイレ
<屎> 巻一六のみ
鮒  屎鮒  川に糞を落とした時に寄ってきて食べる鮒
奴  奴卑

#[説明]
下品に歌って笑いをとる宴席での歌か

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#[番号]16/3829
#[題詞]詠酢醤蒜鯛水(ク)歌
#[原文]醤酢尓 蒜都伎合而 鯛願 吾尓勿所見 水(ク)乃煮物
#[訓読]醤酢に蒜搗きかてて鯛願ふ我れにな見えそ水葱の羹
#[仮名],ひしほすに,ひるつきかてて,たひねがふ,われになみえそ,なぎのあつもの
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠,植物,動物
#[訓異]
#[大意]醤醢に酢を加えて蒜をつき混ぜたたれを作って、鯛が欲しいと願っている自分には見えるなよ。なぎの吸い物は。
#{語釈]
酢醤 ひしほ 小麦と大豆とを煎って麹を作り、それに塩水を加えてつくるもの
   醤油の諸味のようなもの
蒜  ひる  のびる にんにく
鯛  干し鯛  高級食材
(ク) みずあおい科の一年草  安価なもの
   古義 漢訳仏典「百喩経」の「愚人塩を食らふ喩」に「昔愚人有り。他家に至る。主人食を与ふるに淡くして味無きを嫌う」
   なぎの羮が嫌われるのは淡薄で味がないからか。

#[説明]
高級料理が出ている前で、日常のものをさげすむことによって、料理を讃美したもの
釈注 体が熱くなる吸い物は避けてさっぱりしていて刺激の強い料理をよしとしているのは、季節が盛りの夏であったからか。

#[関連論文]


#[番号]16/3830
#[題詞]詠玉掃鎌天木香棗歌
#[原文]玉掃 苅来鎌麻呂 室乃樹 與棗本 可吉将掃為
#[訓読]玉掃刈り来鎌麻呂むろの木と棗が本とかき掃かむため
#[仮名],たまばはき,かりこかままろ,むろのきと,なつめがもとと,かきはかむため
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠,植物
#[訓異]
#[大意]帚にする玉掃を刈って来い。鎌麻呂よ。むろの木と棗の木の根本を掃除するために
#{語釈]
玉掃  20/4493 キク科の落葉小低木こうやぼうき 枝を帚にする
鎌   草刈り鎌
天木香 3/446 むろの木  ヒノキ科の常緑樹ねずの木 ねずみさし
             ヒノキ科の常緑高木 いぶきか。
棗  クロウメモドキ科の果樹。落葉小高木  三センチほどの楕円形の実を食用、薬用にする

#[説明]
どこかの宴で庭園を見て作ったものか

#[関連論文]


#[番号]16/3831
#[題詞]詠白鷺啄木飛歌
#[原文]池神 力土儛可母 白鷺乃 桙啄持而 飛渡良武
#[訓読]池神の力士舞かも白鷺の桙啄ひ持ちて飛び渡るらむ
#[仮名],いけがみの,りきじまひかも,しらさぎの,ほこくひもちて,とびわたるらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,物名,宴席,作者:長意吉麻呂,戯笑,即興,誦詠,動物
#[訓異]
#[大意]池の神の力士舞なのだろうか。白鷺が鉾を喰い持って飛び渡っているようだ。
#{語釈]
白鷺の木を啄ひて飛ぶを詠む歌  09/1682 と同じく画賛か。

池神  池上として地名。法起寺の岡本池と称する小池がある
            十市郡池上郷
    絵に池が背景として描かれており、白鷺がその上を飛んでいることか
    
力士舞 伎楽の一つ
    力士 仏法を守護する金剛力士。
    金剛力士の面を付け、鉾を持つ者が呉女という美女を追う怪物崑崙の男根をその鉾で打ち落として振り回すという舞

    邪悪を払って仏の力を万民にほどこすという意味

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3832
#[題詞]忌部首詠數種物歌一首 [名忘失也]
#[原文]枳 蕀原苅除曽氣 倉将立 屎遠麻礼 櫛造刀自
#[訓読]からたちと茨刈り除け倉建てむ屎遠くまれ櫛造る刀自
#[仮名],からたちと,うばらかりそけ,くらたてむ,くそとほくまれ,くしつくるとじ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:忌部首,物名,宴席,戯笑,誦詠,即興,植物
#[訓異]
#[大意]枳と茨は刈り除けよ。米倉を建てよう。だから糞は遠くの方でやってくれ。櫛を作るおばさんよ。
#{語釈]
忌部首 未詳 3848の忌部首黒麻呂
06/1008D01忌部首黒麻呂恨友し来歌一首
06/1008H01山の端にいさよふ月の出でむかと我が待つ君が夜はくたちつつ
08/1556D01忌部首黒麻呂歌一首
08/1556H01秋田刈る仮廬もいまだ壊たねば雁が音寒し霜も置きぬがに
08/1647D01忌部首黒麻呂雪歌一首
08/1647H01梅の花枝にか散ると見るまでに風に乱れて雪ぞ降り来る

からたち ミカン科の落葉低木 和名抄 枳 加良太知 トゲがある
茨  いばら
屎遠くまれ まれ 排泄する  神代紀上 クソマル

#[説明]
倉を建てるという言い方をしているところからみると下層官人の宴か。

#[関連論文]


#[番号]16/3833
#[題詞]境部王詠數種物歌一首 [穂積親王之子也]
#[原文]虎尓乗 古屋乎越而 青淵尓 鮫龍取将来 劒刀毛我
#[訓読]虎に乗り古屋を越えて青淵に蛟龍捕り来む剣太刀もが
#[仮名],とらにのり,ふるやをこえて,あをふちに,みつちとりこむ,つるぎたちもが
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,動物,作者:境部王,物名,宴席,即興,穂積王,誦詠
#[訓異]
#[大意]虎に乗って古ぼけた不気味な家を越えて、青い深い淵にすむ蚊龍を退治してくる剣太刀もあればなあ
#{語釈]
境部王 皇胤紹運録 長皇子の御子
    続紀 養老元年正月四日 無位から従四位下
         五年六月二六日 治部卿
    懐風藻 従四位下治部卿境部王 年二十五

虎 3885 韓国の虎という神
  天武紀 朱鳥元年四月 虎の毛皮

古家 山田孝雄 人が住まない廃屋は鬼が住むとして恐れられている
   アジア全般に、虎は古屋の雨漏りを恐れるという話
   伝説のようなものがあったか

青淵 枕草子 名おそろしきもの あをふち、たにのほら
蛟龍 龍に似た水の生き物。蛇に似て四本の足がある。大きなものは人を飲む
   原文 鮫は、蚊の通用文字
   水の霊(ち)
剣太刀  護身の霊剣。陰陽道的

#[説明]
怪談話でもしていたか
釈注 虎が恐れる古屋の上を乗り越えて、更に恐ろしい場所に行き、この世のものではない怪異の世界。

#[関連論文]


#[番号]16/3834
#[題詞]作主未詳歌一首
#[原文]成棗 寸三二粟嗣 延田葛乃 後毛将相跡 葵花咲
#[訓読]梨棗黍に粟つぎ延ふ葛の後も逢はむと葵花咲く
#[仮名],なしなつめ,きみにあはつぎ,はふくずの,のちもあはむと,あふひはなさく
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,植物,物名,宴席,誦詠,戯笑,譬喩,掛詞,序詞
#[訓異]
#[大意]梨や棗、黍に粟と次々に実るように、毎日逢うことが続いているが、這う葛のように明日も逢おうと葵が花咲くことだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3835
#[題詞]獻新田部親王歌一首 [未詳]
#[原文]勝間田之 池者我知 蓮無 然言君之 鬚無如之
#[訓読]勝間田の池は我れ知る蓮なししか言ふ君が鬚なきごとし
#[仮名],かつまたの,いけはわれしる,はちすなし,しかいふきみが,ひげなきごとし
#[左注]右或有人聞之曰 新田部親王出遊于堵裏御見勝間田之池感緒御心之中 還自彼池不任怜愛 於時語婦人曰 今日遊行見勝<間>田池 水影涛々蓮花 灼々 𪫧怜断腸不可得言 尓乃婦人作此戯歌專輙吟詠也
#[校異]<> -> 間 [古][温][矢][京]
#[鄣W],雑歌,伝承,新田部皇子,植物,地名,奈良,物名,戯笑,宴席
#[訓異]
#[大意]勝間田の池は自分は知っている。蓮はない。そのように言うあなたが髭のないようなものだ
(勝間田の池は私も知っていますが、蓮などございましたっけ。あるかのようにおっしゃる君に髭のないのと同じようなものです)

#{語釈]
右は或る人、聞きて曰く、「新田部親王、堵(みやこ)の裏に出遊(いで)ます。勝間田の池を御見(みそこなは)して、御心の中に感緒(め)づ。その池より還りて、怜愛(れんあい)に任(しの)びず。時に婦人に語りて曰く、今日遊行(あそ)びて勝<間>田の池を見る。水影涛々(とうとう)にして蓮花灼々(しゃくしゃく)にあり。𪫧怜(おもしろ)きこと腸を断ち、得て言ふべくあらず」といふ。尓乃(すなはち)婦人此の戯歌(うた)を作り、專輙(もはら)吟詠す」といふ。

堵  都と同じ 高い垣根、居所の意味
感緒 心の中に感じ入る
怜愛 いとしく思う気持ち
婦人 側近の一人の女性。親王に特に寵愛されていたか
涛々 波がうねる
灼々 花が美しく咲きそろう

右についてはある人がこのように聞き伝えている。「新田部親王が都の中に出歩かれた。勝間田の池をご覧になって、心の中で深く感動された。その池より帰って感動の心をしまっておくことが出来ず、そこで婦人に語って言うには「今日、出かけて勝間田の池を見た。水影は濤々と揺れ動き、蓮の花が美しく咲きそろっていた。感動することはこの上ない。何とも言いようがなかった」という。そこで婦人はこの戯歌を作って何度も吟唱したという。

新田部親王 天武天皇第七皇子 天平七年九月薨去
勝間田の池 不明 平城京内  唐招提寺付近にあった池か

#[説明]
婦人は、蓮が女性の譬喩的に用いられていると解釈し、婦人の立場として否定する趣にした。
新田部親王には、髭がなかった(代匠紀)
髭があるのを逆説的に戯れた(袋草紙)

#[関連論文]


#[番号]16/3836
#[題詞]謗<侫>人歌一首
#[原文]奈良山乃 兒手柏之 兩面尓 左毛右毛 <侫>人之友
#[訓読]奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の伴
#[仮名],ならやまの,このてかしはの,ふたおもに,かにもかくにも,こびひとのとも
#[左注]右歌一首博士消奈行文大夫作之
#[校異]ケ -> 侫 [尼][細][温] / ケ -> 侫 [尼]
#[鄣W],雑歌,作者:消奈行文,嘲笑,戯笑,宴席,地名,奈良,植物
#[訓異]
#[大意]奈良山の児手柏は葉は両面同じであるが、そのように表の顔も裏の顔で、あちらこちらにいい顔をして、どちらにしてもおべっか使いのともがらよ
#{語釈]
侫人   こびひと  こびる人 おもねる人
奈良山 奈良市北方
児手柏 ヒノキ科の常緑高木 側柏か。大和本草「側柏は桧に似る葉が手の形状に直立し、表裏の区別がない」
   葉が両面同じなので、ふたおもの枕詞
両面 表裏いずれから見ても表のように見える いずれに対しても

博士 学令「凡そ博士・助教(すけはかせ)には、皆明経に、師とするに堪へたらむ者を取れ。書算も亦、業術優長ならむ者を取れ」
   職員令 大学寮「頭、助、大充、少充、大属、少属、博士各一人、助教二人、学生四百人、音博士、書博士、算博士各二人、算生三十人、使部二十人、直丁二人、掌らむこと経業を教へ授け、学生を課試せむこと」

消奈行文 渡来系、武蔵高麗郡出身(川越付近) 明経博士
     養老五年一月二十七日「学業に優遊し師範たるに堪ふる者」
     懐風藻 従五位下大学助背奈王行文 六十二歳
     神亀四年頃 第一博士(従五位相当)大学助となっていたか
     藤氏家伝「神亀五年頃、朝廷上下安静し、国に怨トク(痛怨)なき理由として     宿儒消奈行文が掲げられる

#[説明]
おべっか人で薄徳の連中をそしる

#[関連論文]


#[番号]16/3837
#[題詞]
#[原文]久堅之 雨毛落奴可 蓮荷尓 渟在水乃 玉似<有将>見
#[訓読]ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に溜まれる水の玉に似たる見む
#[仮名],ひさかたの,あめもふらぬか,はちすばに,たまれるみづの,たまににたるみむ
#[左注]右歌一首傳云 有右兵衛[姓名未詳] 多能歌作之藝也 于時府家備設酒食 饗宴府官人等 於是饌食盛之皆用荷葉 諸人酒酣歌儛駱驛 乃誘兵衛云 <關>其荷葉而作<歌>者 登時應聲作斯歌也
#[校異]将有 -> 有将 [代匠記初稿本] / 歌 [西] 哥 / 歌 [西] 哥 / 開 -> 關 [温] / 此歌 -> 歌 [尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,枕詞,宴席,誦詠,物名,即興,伝承
#[訓異]
#[大意]久方の雨も降らないだろうか。蓮葉にたまる水の玉に似ているのを見ようから
#{語釈]
右歌一首は、傳へて云く 「右兵衛のもの有り[姓名は未だ詳らかにあらず]、歌作の藝(わざ)に多能なり。時に府家に酒食を備へ設けて、府の官人等を饗宴(あへ)す。是に、饌食(せんじ)は盛るに、皆荷葉(はちすば)を以てす。諸人酒酣(たけなは)にして、歌儛(かぶ)駱驛(らくえき)す。乃ち、兵衛を誘ひて云く、「其の荷葉に<關>(か)けて歌を作れ」といへれば、登時(すなはち)聲に應へて斯の歌を作る」といふ。

右兵衛 右兵衛府に勤める官人 誰だかは不明
歌作の藝 物名歌に多才
府家 兵衛府の建物 06/0966
駱驛 切れ目なく続く

右の一首は伝えて言うのに、「右兵衛の者がいた[姓名は誰だかわからない]。歌作の才能に長けていた。ある時兵衛府で酒食を準備して、兵衛府の官人達を饗応した。ここにご馳走はみんな蓮の葉に盛られていた。参加の人は宴たけなわであって歌舞がとめどもなく続いた。そこで兵衛を誘って言うのに、「この蓮の葉に引っかけて歌を作れ」というので、すぐに求めの声に応じてこの歌を作る」という。

#[説明]
伊藤博 玉は美女の涙の喩えか。蓮は恋の連想
    恋心が一杯になり目にあふれる美女の涙を見たいという意味か。

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#[番号]16/3838
#[題詞]無心所著歌二首
#[原文]吾妹兒之 額尓生<流> 雙六乃 事負乃牛之 倉上之瘡
#[訓読]我妹子が額に生ふる双六のこと負の牛の鞍の上の瘡
#[仮名],わぎもこが,ひたひにおふる,すぐろくの,ことひのうしの,くらのうへのかさ
#[左注](右歌者舎人親王令侍座曰 或有作無所由之歌人者賜以錢帛 于時大舎人 安倍朝臣子祖父乃作斯歌獻上 登時以所募物錢二千文給之也)
#[校異]<> -> 流 [尼][類][古][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:安倍子祖父,舎人親王,即興,宴席,報償,伝承,誦詠
#[訓異]
#[大意]我が妹子の額に生えている双六の大牛の鞍の上のもがさよ。
#{語釈]
無心所著 心の著く所無き  語の意味が決着する(安定する)所が無い
              意味が通らない
     左注の「無所由之」と同じ。

双六 一座の人々は双六をしていたか。
   ありそうもない所(妹の額)にある意外性

こと負の牛  和名抄 特牛 弁色立成云、特牛 俗語云古止比 頭大牛也」

冠辞考「大牛にて物を殊に多く負故に殊負牛(ことひうし)と云か、さて厩牧令馬寮式などを考るに、諸国の牧より細馬(よきうま)はもとよりにて、よき牛をも公に貢れり。・

鞍の上の瘡 通常は、鞍がすれて牛の背中にもがさが出来る。
      それが鞍の上に出来るという意外性

右の歌は、舎人親王、侍座(じざ)に令(おほ)せて曰く、「或(も)し由(よ)る所無き歌を作る人有らば、賜ふに錢帛(ぜんぱく)を以てせむ」といふ。時に、大舎人 安倍朝臣子祖父(こおほぢ)、乃ち斯の歌を作りて獻上(たてまつ)る。登時(すなはち)、募(つの)れる物錢二千文を以て給ふ。

右の歌は舎人親王がまわりの者におっしゃって言うのに「もし意味のつながらない歌を作る人がいたならば、銭や練り絹を褒美としてやろう」という。時に大舎人、安倍朝臣子祖父が、すぐにこの歌を作って献上した。そこで一座から集めた物や銭二千文を下された。
大舎人 中務省大舎人寮  天皇付き 五位以上の子孫、六位以下八位以上の嫡子
    貴族の師弟は内舎人
安倍朝臣子祖父 伝未詳
物錢二千文 米の価値を基準にすると 正倉院文書天平勝宝三年十一月二十八日 食米六升直三十文 1升5文
現在 10キロ 5000円として、四斗60キロ 40升 200文
200文が5000円  二千文は、五万円ぐらい

募れる  当時の宴の方法であったか  一座の人々から募金して賞金にする

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3839
#[題詞](無心所著歌二首)
#[原文]吾兄子之 犢鼻尓為流 都夫礼石之 吉野乃山尓 氷魚曽懸有 [懸有反云 佐<我>礼流]
#[訓読]我が背子が犢鼻にするつぶれ石の吉野の山に氷魚ぞ下がれる [懸有反云 佐<我>礼流]
#[仮名],わがせこが,たふさきにする,つぶれいしの,よしののやまに,ひをぞさがれる
#[左注]右歌者舎人親王令侍座曰 或有作無所由之歌人者賜以錢帛 于時大舎人 安倍朝臣子祖父乃作斯歌獻上 登時以所募物錢二千文給之也
#[校異]家 -> 我 [類][古] (塙) [尼] 義 / 歌 [西] 哥
#[鄣W],雑歌,作者:安倍子祖父,舎人親王,即興,宴席,報償,伝承,誦詠,地名,吉野,奈良
#[訓異]
#[大意]我が背子が褌にする丸くなった石の転がっている吉野の山に氷魚がぶら下がっている
#{語釈]
犢鼻 褌 三尺フンドシ
   犢 子牛の意味
   和名抄 褌 毛乃之太乃太不佐岐(裳の下のたふさき)
   形が牛の鼻に似ていることからこの文字を用いる

つぶれ石 まるい石
     伊藤博 双六の使い込んだサイコロは丸くつぶれてくる連想からか

氷魚 鮎の稚魚

下がれる  フンドシがぶら下がっているイメージ

#[説明]
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#[番号]16/3840
#[題詞]池田朝臣嗤大神朝臣奥守歌一首 [池田朝臣名忘失也]
#[原文]寺々之 女餓鬼申久 大神乃 男餓鬼被給而 其子将播
#[訓読]寺々の女餓鬼申さく大神の男餓鬼賜りてその子産まはむ
#[仮名],てらてらの,めがきまをさく,おほかみの,をがきたばりて,そのこうまはむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:池田真枚,大神奥守,嘲笑,戯笑,誦詠
#[訓異]
#[大意]寺々の女の餓鬼がいうのに大神の男餓鬼をいただいてその子を産み続けよう
#{語釈]
池田朝臣 続紀 天平宝字八年十月二十六日 従八位上から従五位下 真枚(まひら)のことか
大神朝臣奥守 同年一月七日に正六位下から従五位下
名忘失也 編者の直接の聞き書き

女餓鬼 実際にはいない。餓鬼を女に見立てたもの 貪欲の象徴
産まはむ 産むに反復継続の「ふ」がついたもの
    産み散らす 産み続ける

#[説明]
餓鬼というので、大神奥守の痩身をからかったものか

#[関連論文]


#[番号]16/3841
#[題詞]大神朝臣奥守報嗤歌一首
#[原文]佛造 真朱不足者 水渟 池田乃阿曽我 鼻上乎穿礼
#[訓読]仏造るま朱足らずは水溜まる池田の朝臣が鼻の上を掘れ
#[仮名],ほとけつくる,まそほたらずは,みづたまる,いけだのあそが,はなのうへをほれ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 哥
#[鄣W],雑歌,作者:大神奥守,池田真枚,嘲笑,戯笑,誦詠
#[訓異]
#[大意]仏を造るま朱が足りなければ、水の溜まる池、その池田の朝臣の鼻の上を掘れ
#{語釈]
ま朱  金銅仏を作るときの鍍金に使う水銀。
    硫化水銀と金を1対5の割合で混ぜて、水銀を蒸発させる方法

鼻の上 池田奥守は赤鼻だったか。それをからかったもの

#[説明]
お互いの人間関係の上で、からかい合ったもの。冗談めいて歌っている。

#[関連論文]


#[番号]16/3842
#[題詞]或云 / 平群朝臣<嗤>歌一首
#[原文]小兒等 草者勿苅 八穂蓼乎 穂積乃阿曽我 腋草乎可礼
#[訓読]童ども草はな刈りそ八穂蓼を穂積の朝臣が腋草を刈れ
#[仮名],わらはども,くさはなかりそ,やほたでを,ほづみのあそが,わきくさをかれ
#[左注]
#[校異]<> -> 嗤 [尼][古][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:平群広成,穂積老人,嘲笑,戯笑,誦詠,枕詞
#[訓異]
#[大意]子どもよ。草は刈るなよ。八穂蓼の穂を積むという穂積の朝臣の脇毛を刈れよ
#{語釈]
平群朝臣 未詳
     古義 天平勝宝五年一月二八日 従四位上武蔵守で没した平群朝臣広成か
八穂蓼を 次々と穂を出す蓼
腋草 くさい脇毛 腋臭(わきが)

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3843
#[題詞]穂積朝臣和歌一首
#[原文]何所曽 真朱穿岳 薦疊 平群乃阿曽我 鼻上乎穿礼
#[訓読]いづくにぞま朱掘る岡薦畳平群の朝臣が鼻の上を掘れ
#[仮名],いづくにぞ,まそほほるをか,こもたたみ,へぐりのあそが,はなのうへをほれ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,作者:穂積老人,平群広成,嘲笑,戯笑,誦詠,枕詞
#[訓異]
#[大意]どこに真砂を掘っている岡があるのか。薦畳の平群の朝臣の鼻の上を掘れ
#{語釈]
穂積朝臣 未詳 天平九年九月二八日 正六位上から外従五位下になった穂積朝臣老人か薦畳 薦で編んだ畳を重ねる所から「重(へ)」にかかる枕詞

#[説明]
平群朝臣も赤鼻だったか

#[関連論文]


#[番号]16/3844
#[題詞]嗤咲黒色歌一首
#[原文]烏玉之 斐太乃大黒 毎見 巨勢乃小黒之 所念可聞
#[訓読]ぬばたまの斐太の大黒見るごとに巨勢の小黒し思ほゆるかも
#[仮名],ぬばたまの,ひだのおほぐろ,みるごとに,こせのをぐろし,おもほゆるかも
#[左注](右歌者傳云 有大舎人土師宿祢水通字曰志婢麻呂也 於時大舎人巨勢朝臣豊人字曰正月麻呂 与巨勢斐太朝臣[名字忘之也 嶋村大夫之男也]兩人並 此彼皃黒色焉 於是土師宿祢水通作斯歌<嗤>咲者 <而>巨勢朝臣豊人聞之 即作和歌酬咲也)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,枕詞,作者:土師水通,巨勢斐太,巨勢豊人,嘲笑,戯笑,誦詠
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの飛騨の大黒を見るごとに巨瀬の小黒が思い出されてならない
#{語釈]
斐太の大黒 左注に言う巨勢斐太朝臣 伝未詳
     代匠紀 飛騨国から産出される馬の名称 大黒を掛けている
巨勢の小黒 巨勢朝臣豊人 伝未詳
     馬の名前

右の歌は、傳へて云く、「大舎人土師宿祢水通(みみち)というものあり。字は志婢麻呂と曰ふ。時に大舎人巨勢朝臣豊人、字は正月麻呂(むつきまろ)と曰ふものと、巨勢斐太朝臣[名・字は忘れたり。嶋村大夫之男也]と兩人並(とも)に此彼(こもごも)皃(ぼう)黒き色なり。是に、土師宿祢水通、斯の歌を作りて<嗤>咲(わら)へれば、巨勢朝臣豊人これを聞きて、即ち和ふる歌を作りて酬(こた)へ咲ふ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3845
#[題詞]答歌一首
#[原文]造駒 土師乃志婢麻呂 白<久>有者 諾欲将有 其黒色乎
#[訓読]駒造る土師の志婢麻呂白くあればうべ欲しからむその黒色を
#[仮名],こまつくる,はじのしびまろ,しろくあれば,うべほしからむ,そのくろいろを
#[左注]右歌者傳云 有大舎人土師宿祢水通字曰志婢麻呂也 於時大舎人巨勢朝臣 豊人字曰正月麻呂 与巨勢斐太朝臣[名字忘之也 嶋村大夫之男也]兩人並 此彼皃黒色焉 於是土師宿祢水通作斯歌<嗤>咲者 <而>巨勢朝臣豊人聞之 即作和歌酬咲也
#[校異]尓 -> 久 [尼][類][古] / <> -> 嗤 [西(右書)][尼][類][紀] / <> -> 而 [尼][類][紀]
#[鄣W],雑歌,土師水通,巨勢斐太,作者:巨勢豊人,嘲笑,戯笑,誦詠
#[訓異]
#[大意]埴輪の馬を作る土師の志婢麻呂は、青白い顔をしているのでなるほど本当に欲しいこのなのだろう。その黒色を
#{語釈]
駒造る  土師氏は代々陵墓造営と、土師器、埴輪を作ってきた氏族
     馬の埴輪を作るという意

その黒色を 「その」とあるので作者豊人ではなく、巨勢斐太の黒色を言う

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3846
#[題詞]戯嗤僧歌一首
#[原文]法師等之 鬚乃剃杭 馬繋 痛勿引曽 僧半甘
#[訓読]法師らが鬚の剃り杭馬繋いたくな引きそ法師は泣かむ
#[仮名],ほふしらが,ひげのそりくひ,うまつなぎ,いたくなひきそ,ほふしはなかむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,戯笑,嘲笑
#[訓異]
#[大意]法師めの髭の剃り残しの杭のような髭。それに馬を繋いでひどくは引くなよ。法師が泣くだろうから
#{語釈]
法師    仏法の師匠
鬚の剃り杭 剃り残して杭のように突っ立った髭

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3847
#[題詞]法師報歌一首
#[原文]檀越也 然勿言 <五十>戸<長>我 課役徴者 汝毛半甘
#[訓読]壇越やしかもな言ひそ里長が課役徴らば汝も泣かむ
#[仮名],だにをちや,しかもないひそ,さとをさが,えだちはたらば,いましもなかむ
#[左注]
#[校異]弖 -> 五十 [万葉集古義] / 等 -> 長 [万葉集新考]
#[鄣W],雑歌,報贈,作者:僧,戯笑,嘲笑
#[訓異]
#[大意]壇越さんよ。そのようには言いなさるな。里長が課役を駆り立てに来たらあなたも泣くでしょう
#{語釈]
壇越  施主、檀那の意の梵語 danapati を漢字に当てはめたもの
里長  五十戸を里。一里に長がいる。徴税もする
課役  調と労役 ここでは労役のこと

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3848
#[題詞]夢裏作歌一首
#[原文]荒城田乃 子師田乃稲乎 倉尓擧蔵而 阿奈干稲<々々>志 吾戀良久者
#[訓読]あらき田の鹿猪田の稲を倉に上げてあなひねひねし我が恋ふらくは
#[仮名],あらきたの,ししだのいねを,くらにあげて,あなひねひねし,あがこふらくは
#[左注]右歌一首忌部首黒麻呂夢裏作此戀歌贈友 覺而<令>誦習如前
#[校異]干稲 -> 々々 [尼][類][古] / 不 -> 令 [西(訂正左書)][矢][京]
#[鄣W],雑歌,作者:忌部黒麻呂,伝承,序詞,恋情,説話
#[訓異]
#[大意]開墾したばかりの田であって鹿や猪が出てくる田の稲をやっと税として倉に納めて、長く貯えられているように、ああ古ぼけてしまったことだ。自分が恋い思うことは
#{語釈]
あらき田 新たに開墾したばかりの田。まだ土地が肥えていない。逆は柔田
     山に近いか。野獣がやって来る
倉に上げて 税として官倉に納める
ひねひねし 古ぼけて生気を失った様子
      古米になってしまうことと、古びて干からびてしまった恋を掛ける

右歌一首は、忌部首黒麻呂、夢の裏に此の戀の歌を作りて友に贈る。覺(おどろ)きて誦習(しょうしふ)せしむるに、前の如し。

右の歌一首は、忌部首黒麻呂が夢の中でこの恋の歌を作って友に送った。目が覚めてからその友に歌わせてみたところ、夢で送った通りであった

忌部首黒麻呂 06/1008
       天平宝字二年八月 正六位上より外従五位下
           三年 連姓
#[説明]
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#[番号]16/3849
#[題詞]猒世間無常歌二首
#[原文]生死之 二海乎 猒見 潮干乃山乎 之努比鶴鴨
#[訓読]生き死にの二つの海を厭はしみ潮干の山を偲ひつるかも
#[仮名],いきしにの,ふたつのうみを,いとはしみ,しほひのやまを,しのひつるかも
#[左注](右歌二首河原寺之佛堂裏在倭琴面之)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,無常,厭世,仏教,須弥山,華厳経,川原寺,明日香,奈良
#[訓異]
#[大意]生き死にの二つの海をいやだと思って潮干の山を偲ぶことである
#{語釈]
二つの海 無情な世の喩え。苦海
     代匠紀引用華厳経「云何しか能く生死海を度して仏智海に入る。海は深くして底なく、広くして限りなき物の、能人を溺らすこと無辺の生死の衆生を沈没せしむるに相似たれば喩ふるなり」
憶良 苦海

潮干の山  彼岸浄土のこと

河原寺の佛堂の裏に、倭琴の面に有り
河原寺  明日香川原寺
倭琴  六弦琴  供養の時の音楽に使われたか
    この歌は琴に書かれた落書か。

#[説明]
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#[番号]16/3850
#[題詞](猒世間無常歌二首)
#[原文]世間之 繁借廬尓 住々而 将至國之 多附不知聞
#[訓読]世間の繁き刈廬に住み住みて至らむ国のたづき知らずも
#[仮名],よのなかの,しげきかりほに,すみすみて,いたらむくにの,たづきしらずも
#[左注]右歌二首河原寺之佛堂裏在倭琴面之
#[校異]
#[鄣W],雑歌,仏教,厭世,世間虚仮,極楽,川原寺,明日香,奈良
#[訓異]
#[大意]世の中の煩雑な仮の宿りに住み続けて、死後に至る国の手だてもわからないことだ
#{語釈]
繁き刈廬 煩雑な仮の宿り

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3851
#[題詞]
#[原文]心乎之 無何有乃郷尓 置而有者 藐狐射能山乎 見末久知香谿務
#[訓読]心をし無何有の郷に置きてあらば藐孤射の山を見まく近けむ
#[仮名],こころをし,むがうのさとに,おきてあらば,はこやのやまを,みまくちかけむ
#[左注]右歌一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,荘子,遁世,無心
#[訓異]
#[大意]心を無何有の郷に置きているならば、藐孤射の山を見るのも近いだろう
#{語釈]
無何有の郷  何者も有る物なき郷  虚無自然の理想郷  無念無想の世界
       荘子の思想。
藐孤射の山  神仙の住む安楽郷 荘子
       藐(はるか)なる孤射(こや)の山 北海の海中にあって神仙が住む

#[説明]
道教の理想郷を言う

#[関連論文]


#[番号]16/3852
#[題詞]
#[原文]鯨魚取 海哉死為流 山哉死為流 死許曽 海者潮干而 山者枯為礼
#[訓読]鯨魚取り海や死にする山や死にする死ぬれこそ海は潮干て山は枯れすれ
#[仮名],いさなとり,うみやしにする,やまやしにする,しぬれこそ,うみはしほひて,やまはかれすれ
#[左注]右歌一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,枕詞,仏教,輪廻,無常,旋頭歌,譬喩
#[訓異]
#[大意]鯨魚を取る海が死ぬだろうか。山が死ぬだろうか。死んだならばこそ、海は潮が干き、山は枯れるのだ
#{語釈]
#[説明]
世の中に永久不変のものは何一つない。海や山の輪廻のように人間もはかないという仏教的教導歌

13/3332H01高山と 海とこそば 山ながら かくもうつしく 海ながら
13/3332H02しかまことならめ 人は花ものぞ うつせみ世人

#[関連論文]


#[番号]16/3853
#[題詞]嗤咲痩人歌二首
#[原文]石麻呂尓 吾物申 夏痩尓 <吉>跡云物曽 武奈伎取<喫> [賣世反也]
#[訓読]石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ [賣世反也]
#[仮名],いはまろに,われものまをす,なつやせに,よしといふものぞ,むなぎとりめせ
#[左注](右有吉田連老字曰石麻呂 所謂仁<敬>之子也 其老為人身體甚痩 雖多喫飲形以飢饉 <因>此大伴宿祢家持聊作斯歌以為戯咲也)
#[校異]告 -> 吉 [類][古][紀] / 食 -> 喫 [尼][類]
#[鄣W],雑歌,吉田老,作者:大伴家持,戯笑,嘲笑,動物
#[訓異]
#[大意]石麻呂に自分は物を申し上げる。夏痩せによいというものであるぞ。鰻を捕ってお召し上がりなさい。
#{語釈]
右は、吉田連老、字は石麻呂と曰ふもの有り。所謂仁敬が子なり。其の老、為人(ひととなり)身體甚(いた)く痩せたり。多く喫(く)らひ飲(の)めども、形飢饉に似たり。此れに因りて、大伴宿祢家持聊かに斯の歌を作りて、以て戯咲を為す。

吉田連老 伝未詳
仁敬 吉田宜か。大伴旅人と親交。百済系渡来人。医者
石麻呂  名前を直接言うのは親しいことを示す

痩人を嗤咲ふ  3840

#[説明]
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#[番号]16/3854
#[題詞](嗤咲痩人歌二首)
#[原文]痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
#[訓読]痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな
#[仮名],やすやすも,いけらばあらむを,はたやはた,むなぎをとると,かはにながるな
#[左注]右有吉田連老字曰石麻呂 所謂仁<敬>之子也 其老為人身體甚痩 雖多喫飲形以飢饉 <因>此大伴宿祢家持聊作斯歌以為戯咲也
#[校異]漁取 [尼][類] 漁 / 教 -> 敬 [尼][類][古] / <> -> 因 [西(右書)][尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,作者:大伴家持,吉田老,戯笑,嘲笑,動物
#[訓異]
#[大意]痩せに痩せるといっても生きているならばまだいいだろう。反対に鰻を捕るとして川に流されるな。
#{語釈]
はたやはた 反対に 反面で

#[説明]
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#[番号]16/3855
#[題詞]高宮王詠數首物歌二首
#[原文](コ)莢尓 延於保登礼流 屎葛 絶事無 宮将為
#[訓読]さう莢に延ひおほとれる屎葛絶ゆることなく宮仕へせむ
#[仮名],さうけふに,はひおほとれる,くそかづら,たゆることなく,みやつかへせむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:高宮王,物名,宴席,即興,植物
#[訓異]
#[大意]香ばしいさいかちの実に延いからみつく屎葛ではないが、絶えることなく宮仕えをしよう
#{語釈]
高宮王 伝未詳、経歴未詳
さう莢 さう 「皂」が本字。香ばしい  褐色の実の色
    莢  さや  さいかちのこと。山野に自生する豆科の落葉高木
    幼葉は食用。実は薬用。莢は煮汁を洗濯用。
    宮廷の譬喩

延ひおほとれる 延ひまつわる からみつく
屎葛 あかね科の蔓草。夏に底の赤い釣り鐘状の白花をつけ、葉、花、茎などを揉むと全体に悪臭を放つ。果実の汁は霜やけに効く。

#[説明]
ここから詠物歌 第3部に入る

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#[番号]16/3856
#[題詞](高宮王詠數首物歌二首)
#[原文]波羅門乃 作有流小田乎 喫烏 <瞼>腫而 幡幢尓居
#[訓読]波羅門の作れる小田を食む烏瞼腫れて幡桙に居り
#[仮名],ばらもにの,つくれるをだを,はむからす,まなぶたはれて,はたほこにをり
#[左注]
#[校異](サ) -> 瞼 [古][紀][矢][京]
#[鄣W],雑歌,作者:高宮王,物名,宴席,即興,動物
#[訓異]
#[大意]波羅門の作っている田の稲を食べる鳥は、仏罰が当たって瞼が腫れて幡桙にとまっていることだ
#{語釈]
波羅門 インドバラモン僧 菩提僊那(バーデイヤーナ)
    天平8年 林邑僧仏哲をともなって来朝。
    聖武天皇から荘園、大安寺に居住。
    天平勝宝3年4月 僧正
             大仏開眼の導師

小田  聖武天皇から賜った荘園の田
瞼腫れて  仏罰に当たって腫れている様子。
    鳥のまぶたは腫れているように見える
幡桙  仏事の際に立てるはたを支える竿

#[説明]
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#[番号]16/3857
#[題詞]戀夫君歌一首
#[原文]飯喫騰 味母不在 雖行徃 安久毛不有 赤根佐須 君之情志 忘可祢津藻
#[訓読]飯食めど うまくもあらず 行き行けど 安くもあらず あかねさす 君が心し 忘れかねつも
#[仮名],いひはめど,うまくもあらず,ゆきゆけど,やすくもあらず,あかねさす,きみがこころし,わすれかねつも
#[左注]右歌一首傳云 佐為王有近習婢也 于時宿直不遑夫君難遇 感情馳結係戀實深 於是當宿之夜夢裏相見 覺寤<探>抱曽無觸手 尓乃哽咽歔欷高聲吟詠此歌 因王聞之哀慟永免侍宿也
#[校異]採 -> 探 [尼][紀]
#[鄣W],雑歌,枕詞,伝承,佐為王婢,遊仙窟,恋情,誦詠
#[訓異]
#[大意]ご飯を食べてもおいしくもない。外を出歩いても心が落ち着かない。あかねさすあなたの心が忘れることが出来ないことだ。
#{語釈]
戀夫君 3811と同じ題詞

飯食めど 昼に御殿の中で食事をする
     史記、漢書、文選に多々見える言い方「食、味甘からず。寝、席を安んぜず」等。

行き行けど 本来 寝(いぬ)れども だったか。
      行ぬれどもと聞き違えて、行き行けどになったか。
      釈注 恋の苦しさを言う語としてある。11/2395 2414 聞き違えであったとしても意味は通じる

あかねさす 紅顔の で実質的意味をもった語

右の歌一首は傳へて云はく、「佐為王、近習の婢(まかだち)有り。時に、宿直(しゅくちょく)に遑(いとま)有らず。夫君(せのきみ)に遇ふこと難し。感情馳せ結ぼほれ、係戀實(まこと)に深し。是に當宿の夜に、夢の裏に相ひ見て、覺(おどろ)き寤(さ)めて<探>り抱くに、曽て手に觸るること無し。尓乃(すなはち)哽咽(むせ)び歔欷(なげ)きて、高き聲に此の歌を吟詠す。因(すなはち)、王之を聞きて哀慟し、永く侍宿を免(ゆる)す。」といふ。

佐為王に近く仕える手伝いの女がいた。その頃宿直の勤務が続いていた。夫君に会うことが出来なかった。気持ちがふさぐばかりで、恋い思う気持ちはほんとうに深かった。そうした時にやはり宿直していた夜に夢の中に夫をともに見て、目が覚めて探り抱こうとしたところ、全く手に触れることがなかった。そこでむせび泣き、嘆いて大声を上げてこの歌を吟詠した。そこで王はこれを聞いてあわれに思い、ずっと宿直を免じたという。

佐為王  葛城王(橘諸兄)の弟。橘朝臣佐為
     天平9年8月1日 正四位下中宮大夫  風流侍従の一人

#[説明]
左注 遊仙窟の表現を基盤。

誰か文人が創作したものか。

#[関連論文]


#[番号]16/3858
#[題詞]
#[原文]比来之 吾戀力 記集 功尓申者 五位乃冠
#[訓読]このころの我が恋力記し集め功に申さば五位の冠
#[仮名],このころの,あがこひぢから,しるしあつめ,くうにまをさば,ごゐのかがふり
#[左注](右歌二首)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,恋情,戯笑,嘲笑,誦詠,宴席
#[訓異]
#[大意]この頃の自分の恋い思う力を記録して集めておいて、功に申したら五位の冠さ。
#{語釈]
功  官位昇進の根拠となる功績
  考課令「考すべくは、皆具に一年の功過行能(くうくゎぎゃうのう)を録して、並びに集めて対(むか)ひて読め。その優劣を議りて、九等第(勤務評定の等級)を定めよ。」
五位 貴族の位に入る

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3859
#[題詞]
#[原文]<頃>者之 吾戀力 不給者 京兆尓 出而将訴
#[訓読]このころの我が恋力賜らずはみさとづかさに出でて訴へむ
#[仮名],このころの,あがこひぢから,たばらずは,みさとづかさに,いでてうれへむ
#[左注]右歌二首
#[校異]項 -> 頃 [温][細]
#[鄣W],雑歌,恋情,戯笑,嘲笑,誦詠,宴席
#[訓異]
#[大意]この頃の自分の恋の力に恩賞を賜らなかったならば、京識に出て訴えてやる。
#{語釈]
みさとづかさ 原文「京兆」 京識

#[説明]
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#[番号]16/3860
#[題詞]筑前國志賀白水郎歌十首
#[原文]王之 不遣尓 情進尓 行之荒雄良 奥尓袖振
#[訓読]大君の遣はさなくにさかしらに行きし荒雄ら沖に袖振る
#[仮名],おほきみの,つかはさなくに,さかしらに,ゆきしあらをら,おきにそでふる
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,代作,福岡,志賀島,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]大君から遣わされたわけでもないのに、自ら進んで行った荒雄たちが沖で袖を振っている。
#{語釈]
筑前國志賀白水郎 志賀島の漁師 03/0278 12/3170

右は、神龜の年の中に、大宰府、筑前國宗像郡の百姓、宗形部の津麻呂を差して、對馬送粮の舶の柁師(おかじとり)に宛つ。時に、津麻呂、滓屋(かすや)の郡、志賀村の白水郎、荒雄が許(もと)に詣(いた)りて語りて曰く、「僕(われ)小事有り。若(けだし)許さじか」といふ。荒雄答へて曰はく、「我、郡を異にするといへども、船を同じくすること日久し。志(こころ)は兄弟(けいてい)より篤し。殉死すること有りといへども、豈に復た辞(いな)びめや。」といふ。津麻呂曰はく、「府の官(つかさ)、僕(われ)を差して對馬送粮の舶の柁師(かじとり)に宛つ。容齒衰老し、海路に堪へず。故(ことさら)に来りて祇候(しこう)す。願はくは相ひ替ることを垂れよ。」といふ。是に荒雄許諾(ゆる)し、遂に彼の事に従ふ。肥前の國松浦の縣の美祢良久の埼より舶(ふね)を發(い)だし、直(ただ)に對馬を射して海を渡る。登時(すなはち)忽に天暗冥(くら)く、暴風は雨を交へ、竟(つひ)に順風無く、海中に沈み没(い)りぬ。斯れに因(よ)りて、妻子(めこ)等(ども)犢慕(とくぼ)に勝(あ)へずして、此の歌を裁作(つく)る。或いは、筑前國守山上憶良臣、妻子が傷(いた)みに悲感(かなし)び、志を述べて此の歌を作るといふ。

對馬送粮の舶 主税式「凡そ筑前、筑後、肥前、肥後、豊前、豊後等の国、毎年穀二千石対馬島に漕送し、以て嶋司及び防人等の粮に充つ。其の部領の粮船賃、挟抄(かんとり)、水手(かこ)の功粮、並びに正税を用う。」
雑式「凡そ対馬島の粮を運漕する者は、国毎に番を作り次を以て運送せよ」

肥前の國松浦の縣の美祢良久の埼 五島列島福江島最西端三井楽町の岬

犢慕 子牛が母を慕うこと

右は、神亀の年中に、太宰府が筑前国宗像郡の百姓、宗形部津麻呂を指名して対馬に食料を送る船の船頭に任じた。そこで津麻呂は滓屋郡志賀村の漁師である荒雄の所に行って、話して言うのに「自分は少し頼み事がある。聞いてはもらえまいか。」と言う。荒雄が答えて言うのに、「自分は郡が違っているとはいえ、長年同じ船の上で働いてきた。気持ちは兄弟よりも篤い。たとえあなたのために死ぬことがあったとしても、どうしてまた断ることがあろうか」という。津麻呂が言うのに「太宰府の役人が自分を指名して対馬に食料を送る船の船頭に任命した。しかし自分は老けてしまって海での働きには耐えられないだろう。そこでわざわざやって来て伺った次第なのだ。出来ることなら交代していただけまいか。」という。そこで荒雄は承諾し、遂にその仕事に就いた。肥前の国松浦の県の美祢良久の埼より船を出し、直接対馬を指して海を渡った。その時ににわかに空が暗くなって暴風に雨が交じり、遂に順風なく海中に沈没してしまった。こうして残された妻子たちは子牛が母を慕うように荒雄を慕う気持ちに耐えきれないで、この歌を作る。あるいは筑前国守山上憶良臣が妻子の悲しみに同情して、志を述べてこの歌を作るという。

さかしらに 通常は賢こぶって  ここは原文が「情進」とあるので自ら進んで、自発的にの意

#[説明]
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#[番号]16/3861
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]荒雄良乎 将来可不来可等 飯盛而 門尓出立 雖待来不座
#[訓読]荒雄らを来むか来じかと飯盛りて門に出で立ち待てど来まさず
#[仮名],あらをらを,こむかこじかと,いひもりて,かどにいでたち,まてどきまさず
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,福岡,志賀島,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]荒雄を来るか来ないかと飯を盛って門に出て立ったが待ってもいらっしゃらない
#{語釈]
飯盛りて  陰膳と同じこと

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3862
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]志賀乃山 痛勿伐 荒雄良我 余須可乃山跡 見管将偲
#[訓読]志賀の山いたくな伐りそ荒雄らがよすかの山と見つつ偲はむ
#[仮名],しかのやま,いたくなきりそ,あらをらが,よすかのやまと,みつつしのはむ
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]志賀の山よ。あまりひどくは木を伐るなよ。荒雄の縁のある山として見続けて偲ぼうから。
#{語釈]
よすかの山 その麓に住んだなじみの山

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3863
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]荒雄良我 去尓之日従 志賀乃安麻乃 大浦田沼者 不樂有哉
#[訓読]荒雄らが行きにし日より志賀の海人の大浦田沼は寂しくもあるか
#[仮名],あらをらが,ゆきにしひより,しかのあまの,おほうらたぬは,さぶしくもあるか
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]荒雄が出かけていった日から志賀の海人の大浦田沼はさびしいことだ
#{語釈]
大浦田沼  志賀島北岸志賀町勝馬小字大浦  沼田の多い地
      漁に出ない時はこの沼田を耕作していたか

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3864
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]官許曽 指弖毛遣米 情出尓 行之荒雄良 波尓袖振
#[訓読]官こそさしても遣らめさかしらに行きし荒雄ら波に袖振る
#[仮名],つかさこそ,さしてもやらめ,さかしらに,ゆきしあらをら,なみにそでふる
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]役所こそ指名して遣わすこともあるだろうか、自ら進んで行った荒雄が波に袖を振っている
#{語釈]
波に袖振る 難破して波間で別れの袖を振っている意

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3865
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]荒雄良者 妻子之産業乎波 不念呂 年之八歳乎 将騰来不座
#[訓読]荒雄らは妻子の業をば思はずろ年の八年を待てど来まさず
#[仮名],あらをらは,めこのなりをば,おもはずろ,としのやとせを,まてどきまさず
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]荒雄は妻子の暮らしの生業を思ってはいないのだよ。長い年月を待っても戻っても来てくださらない
#{語釈]
思はずろ 「ろ」14/3552 古い間投助詞
年の八年 長い年月

#[説明]
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#[番号]16/3866
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]奥鳥 鴨云船之 還来者 也良乃<埼>守 早告許曽
#[訓読]沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば也良の崎守早く告げこそ
#[仮名],おきつとり,かもとふふねの,かへりこば,やらのさきもり,はやくつげこそ
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]崎 -> 埼 [尼][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]沖の鳥、鴨という船が帰ってきたならば也良の崎守よ。早く教えて欲しい
#{語釈]
沖つ鳥  鴨の枕詞
鴨とふ船 荒雄の乗っている船の名前
也良の崎守 能古の島の北端 也良の崎の番人 防人の形跡があり烽火台がある

#[説明]
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#[番号]16/3867
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]奥鳥 鴨云舟者 也良乃<埼> 多未弖榜来跡 所<聞>許奴可聞
#[訓読]沖つ鳥鴨とふ船は也良の崎廻みて漕ぎ来と聞こえ来ぬかも
#[仮名],おきつとり,かもとふふねは,やらのさき,たみてこぎくと,きこえこぬかも
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]崎 -> 埼 [尼][類][紀] / 聞礼 -> 聞 [尼]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]沖の鳥の鴨という船は也良の崎をめぐって漕いで来ると聞こえては来ないことだ
#{語釈]
廻みて  めぐる
01/0058H01いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3868
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]奥去哉 赤羅小船尓 褁遣者 若人見而 解披見鴨
#[訓読]沖行くや赤ら小舟につと遣らばけだし人見て開き見むかも
#[仮名],おきゆくや,あからをぶねに,つとやらば,けだしひとみて,ひらきみむかも
#[左注](右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]沖を行く赤い船に包み物をやったならば、もしかして人が見て開いて見ないことだろうか
#{語釈]
赤ら小舟  赤く塗った船  官船  「赤ら」は赤みかかった、赤い
10/1999H01赤らひく色ぐはし子をしば見れば人妻ゆゑに我れ恋ひぬべし
11/2389H01ぬばたまのこの夜な明けそ赤らひく朝行く君を待たば苦しも

つと 包んだもの  荒雄への贈り物
人  荒雄 他人の両方に解釈出来る
   荒雄のことだとすると、託した包み物が届けられるかと言ったもの
   他人だとすると、荒雄に贈った包み物を他人が開いてみてしまうだろうかと不安を言ったもの
   
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3869
#[題詞](筑前國志賀白水郎歌十首)
#[原文]大船尓 小船引副 可豆久登毛 志賀乃荒雄尓 潜将相八方
#[訓読]大船に小舟引き添へ潜くとも志賀の荒雄に潜き逢はめやも
#[仮名],おほぶねに,をぶねひきそへ,かづくとも,しかのあらをに,かづきあはめやも
#[左注]右以神龜年中大宰府差筑前國宗像郡之百姓宗形部津麻呂宛對馬送粮舶柁師也 于時津麻呂詣於滓屋郡志賀村白水郎荒雄之許語曰 僕有小事若疑不許歟 荒雄答曰 走雖異郡同船日久 志篤兄弟在於殉死 豈復辞哉 津麻呂曰府官差僕宛對馬送粮舶柁師 容齒衰老不堪海路 故来祇候願垂相替矣 於是荒雄許諾遂従彼事自肥前國松浦縣美祢良久<埼>發舶直射對馬渡海登時忽天暗冥暴風交雨竟無順風沈没海中焉 因斯妻子等不勝犢慕裁作此歌 或云 筑前國守山上憶良臣悲感妻子之傷述志而作此歌
#[校異]崎 -> 埼 [尼][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,志賀白水郎,荒雄,伝承,同情,恋情,功績,悲別,代作,荒雄妻,女歌,地名,志賀島,福岡,神亀,年紀
#[訓異]
#[大意]大船に小さい舟を引っ張ってもらって海に潜って探そうとしても、志賀の荒雄に潜って会うことが出来るだろうか。出来はしない。
#{語釈]
#[説明]
従来、多くの論。
本来は志賀の海人たちが荒雄を偲んで歌っていた歌謡を、憶良が連作の形で追加、修正したものか。
続日本紀、宝亀三年十二月十三日にも遭難の記事
たびたびあったか。とすると追悼の時の歌として歌われていたか。
単に憶良などの官人が作ったとは思われない切実な海人たちの思いがある。
一方で、大君に自ら進んで命を捧げた海人の忠誠心を痛み讃える内容となっている。
太宰府の官人たちにも大君に忠誠を尽くして犠牲になった人を哀悼する思いの中で受け入れられていたか。

#[関連論文]


#[番号]16/3870
#[題詞]
#[原文]紫乃 粉滷乃海尓 潜鳥 珠潜出者 吾玉尓将為
#[訓読]紫の粉潟の海に潜く鳥玉潜き出ば我が玉にせむ
#[仮名],むらさきの,こがたのうみに,かづくとり,たまかづきでば,わがたまにせむ
#[左注]右歌一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,地名,枕詞,動物,民謡,歌謡,恋愛,譬喩
#[訓異]
#[大意]紫の粉潟の海に潜る鳥よ。玉を潜って採って出てきたならば自分の玉にしよう
#{語釈]
紫の   紫の根を粉末にして染料にするから粉にかかる
     紫の色が濃いから粉にかかる
粉潟の海 北陸地方の海 未詳
12/3166H01我妹子を外のみや見む越の海の子難の海の島ならなくに

#[説明]
以下、伊藤博は、志賀白水郎たちの愛唱した歌と見る

玉は女の譬喩。

#[関連論文]


#[番号]16/3871
#[題詞]
#[原文]角嶋之 迫門乃稚海藻者 人之共 荒有之可杼 吾共者和海藻
#[訓読]角島の瀬戸のわかめは人の共荒かりしかど我れとは和海藻
#[仮名],つのしまの,せとのわかめは,ひとのむた,あらかりしかど,われとはにきめ
#[左注]右歌一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,地名,山口,植物,民謡,歌謡,歌垣,譬喩
#[訓異]
#[大意]角島の瀬戸のワカメは、他人の間では粗々しいが自分とは柔海藻であるよ
#{語釈]
角島  山口県豊浦郡豊北町角島
瀬戸  海士ヶ瀬戸
ワカメ 平城京木簡「長門国豊浦郡都濃島所出わ海藻天平十八年三月二十九日」
    延喜式(内膳式)「長門国 わ海藻一百四籠」
    若女を掛ける

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3872
#[題詞]
#[原文]吾門之 榎實毛利喫 百千鳥 々々者雖来 君曽不来座
#[訓読]我が門の榎の実もり食む百千鳥千鳥は来れど君ぞ来まさぬ
#[仮名],わがかどの,えのみもりはむ,ももちとり,ちとりはくれど,きみぞきまさぬ
#[左注](右歌二首)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,植物,動物,女歌,怨恨,恋情,民謡,歌謡
#[訓異]
#[大意]我が門の榎の実をもぎとって食べるたくさんの鳥。たくさんの鳥は来るけれど、あなたはお越しにならない
#{語釈]
榎  楡科の落葉喬木  初夏に淡緑色の花を開き、秋小豆大の赤黒くて甘い実がなる
もり食む もぎとって食べる
百千鳥 たくさんの鳥 特定の鳥ではない

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3873
#[題詞]
#[原文]吾門尓 千鳥數鳴 起余々々 我一夜妻 人尓所知名
#[訓読]我が門に千鳥しば鳴く起きよ起きよ我が一夜夫人に知らゆな
#[仮名],わがかどに,ちとりしばなく,おきよおきよ,わがひとよづま,ひとにしらゆな
#[左注]右歌二首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,動物,女歌,遊行女婦,歌謡
#[訓異]
#[大意]我が門にたくさんの鳥が数多く無く。起きなさい。起きなさい。自分が一晩だけ過ごした夫よ。他人には知られるな。
#{語釈]
#[説明]
一夜夫を送り出す歌

#[関連論文]


#[番号]16/3874
#[題詞]
#[原文]所射鹿乎 認河邊之 和草 身若可倍尓 佐宿之兒等波母
#[訓読]射ゆ鹿を認ぐ川辺のにこ草の身の若かへにさ寝し子らはも
#[仮名],いゆししを,つなぐかはへの,にこぐさの,みのわかかへに,さねしこらはも
#[左注]右歌一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,恋愛,回想,歌謡,動物,序詞
#[訓異]
#[大意]射られた鹿のあとをつける川辺の柔らかい草ではないが、そのように自分の身が若かった頃に寝たあの子はなあ
#{語釈]
認ぐ  原文「認」 類聚名義抄「とむ、つなく、もとむ、たつぬ」
    後をつけていく
川辺  射られた(傷を負った)鹿が水を飲みに川辺に現れる習性
若かへに 記歌謡93 引田の若来栖原若くへに率寝てましもの老いにけるかも」
     岩波大系「わかくへは、わかきうへの約。うへは物事に接触した時間・空間の一点、ゆえに若い自分の意となり、わかかへはその転か」

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3875
#[題詞]
#[原文]琴酒乎 押垂小野従 出流水 奴流久波不出 寒水之 心毛計夜尓 所念 音之少寸 道尓相奴鴨 少寸四 道尓相佐婆 伊呂雅世流 菅笠小笠 吾宇奈雅流 珠乃七條 取替毛 将申物乎 少寸 道尓相奴鴨
#[訓読]琴酒を 押垂小野ゆ 出づる水 ぬるくは出でず 寒水の 心もけやに 思ほゆる 音の少なき 道に逢はぬかも 少なきよ 道に逢はさば 色げせる 菅笠小笠 我がうなげる 玉の七つ緒 取り替へも 申さむものを 少なき道に 逢はぬかも
#[仮名],ことさけを,おしたれをのゆ,いづるみづ,ぬるくはいでず,さむみづの,こころもけやに,おもほゆる,おとのすくなき,みちにあはぬかも,すくなきよ,みちにあはさば,いろげせる,すげかさをがさ,わがうなげる,たまのななつを,とりかへも,まをさむものを,すくなきみちに,あはぬかも
#[左注]右歌一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,序詞,問答,恋愛
#[訓異]
#[大意]格別な酒ではないが押垂小野から湧き出る水は、生ぬるくは出ないで冷たいその水のように、気持ちももことさらに思われるほど人声の少ない道であなたと会わないものかなあ。
人気の少ない、そんな道でお逢い下さったら、美しく彩っているあなたの小さい菅笠と自分が項に掛けている幾重にも巻いた玉の緒とを取り替えようと申し上げるものなのに。人気の少ない道で逢わないものだろうかなあ。
#{語釈]
琴酒を 殊酒で、格別な酒の意
    上質の酒は絞り垂れる(清酒)であるから押垂にかかる枕詞
押垂小野 所在未詳
心もけやに 「けやけし」 はっきりすること、さわやかなこと
      「けや」他と際だって様子が異なる
音  人音、人声
色げせる 未詳  古典大系「色を着けて装飾している」
         注釈「色が着(け)せる」で「あなたが着ていらっしゃる」
菅笠小笠 菅笠であって小さい笠
玉の七つ緒 幾重にも項に巻いた玉のネックレス

#[説明]
水辺での男女の問答。歌垣での問答歌か。

#[関連論文]


#[番号]16/3876
#[題詞]豊前國白水郎歌一首
#[原文]豊國 企玖乃池奈流 菱之宇礼乎 採跡也妹之 御袖所沾計武
#[訓読]豊国の企救の池なる菱の末を摘むとや妹がみ袖濡れけむ
#[仮名],とよくにの,きくのいけなる,ひしのうれを,つむやといもが,みそでぬれけむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,福岡,採菱,労働,民謡,地名
#[訓異]
#[大意]豊前国の企救の池に生えている菱の実を摘もうとして妹のみ袖が濡れたのだろうか
#{語釈]
豊国の企救の池 福岡県北九州市門司区 きくの長浜、高浜 12/3219、3220

#[説明]
袖が濡れているのは、自分のことを思うあまりの涙で濡れているのか、それとも池で菱の実を摘もうとしたからかとからかったもの。

07/1249H01君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも

#[関連論文]


#[番号]16/3877
#[題詞]豊後國白水郎歌一首
#[原文]紅尓 染而之衣 雨零而 尓保比波雖為 移波米也毛
#[訓読]紅に染めてし衣雨降りてにほひはすともうつろはめやも
#[仮名],くれなゐに,そめてしころも,あめふりて,にほひはすとも,うつろはめやも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,大分,民謡,恋愛,歌謡
#[訓異]
#[大意]紅に染めた衣は、雨が降ってますます照り映えることがあろうとも、色褪せることなどあるものか
#{語釈]
#[説明]
深い仲となったあの女とは、たとえ邪魔やうわさが立ったとしても、ますます深い仲になることがあったとしても、決して崩れることはないよという譬喩。

#[関連論文]


#[番号]16/3878
#[題詞]能登國歌三首
#[原文]<シ>楯 熊来乃夜良尓 新羅斧 堕入 和之 河毛R河毛R 勿鳴為曽弥 浮出流夜登将見 和之
#[訓読]はしたての 熊来のやらに 新羅斧 落し入れ わし かけてかけて な泣かしそね 浮き出づるやと見む わし
#[仮名],はしたての,くまきのやらに,しらきをの,おとしいれ,わし,かけてかけて,ななかしそね,うきいづるやとみむ,わし
#[左注]右一首傳云 或有愚人 斧堕海底而不解鐵沈無理浮水 聊作此歌口吟為喩也
#[校異]楷 -> シ [尼][類][紀] / 河 [類](塙) 阿
#[鄣W],雑歌,石川,枕詞,民謡,歌謡,中島町,伝承,嘲笑,戯笑
#[訓異]
#[大意]はしたての熊来の海底に新羅斧を落として、ワシ。うつうつとお泣きにはなるなよ。浮いて出てくるだろうかと見守ってやろう。ワシ。
#{語釈]
はしたての はし 木の枝(ひもろぎ)。ひもろぎを立てることによって邪悪な霊の侵入を防ぐ
    道の隅(くま)に立てるので、熊に続く枕詞。
    他に、さがしき山(仁徳記)、倉橋山
       さがしき山が境界となる。立てた場所は神座(かみくら)となるので「くら」にかかる

熊来 石川県鹿島郡中島町 17.4027
やら 未詳 アイヌ語の沼沢と関係するか。文脈から「海底」の意味

新羅斧 新羅の技術で作った立派な斧。船材を切り出す。
17/4026D01能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首
17/4026H01鳥総立て船木伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神びぞ
17/4027H01香島より熊来をさして漕ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ

わし 囃子詞
かけてかけて 心に掛けて 大系 転じて決して  全集 あげてあげて(しゃくりあげて)

或るとき愚人(おろかひと)有り。斧海底に堕ちて、鐵(くろがね)の沈みて理(ことわり)に水に浮くことなきを解(さと)らず。聊(いささ)かに此の歌を作り、口吟(くちずさ)びて喩(さとし)と為す。

#[説明]
浮かんでくると思っている愚人に対して、それなら一緒に見守ってやろう、だけど浮かんでくるかなあとからかい半分にやわらかく諭そうとしたもの。民謡であろう。

#[関連論文]


#[番号]16/3879
#[題詞](能登國歌三首)
#[原文]シ楯 熊来酒屋尓 真奴良留奴 和之 佐須比立 率而来奈麻之乎 真奴良留奴 和之
#[訓読]はしたての 熊来酒屋に まぬらる奴 わし さすひ立て 率て来なましを まぬらる奴 わし
#[仮名],はしたての,くまきさかやに,まぬらるやつこ,わし,さすひたて,ゐてきなましを,まぬらるやつこ,わし
#[左注]右一首
#[校異]
#[鄣W],雑歌,石川,枕詞,中島町,民謡,歌謡,嘲笑,戯笑
#[訓異]
#[大意]はしたての熊来の酒蔵でどなられているドジな奴、ワシ。誘って引っ張り出して来てやろうものを。どなられているドジな奴。ワシ。
#{語釈]
熊来酒屋  熊来にある酒蔵。酒を造って貯蔵している場所
まぬらる奴 未詳。罵倒されるという意味か。
さすひ立て 誘って立ち上がらせて

#[説明]
全釈 酒造りで酷使されている者を歌ったか
釈注 酒を盗みに入ってばれたドジな奴を歌うか

#[関連論文]


#[番号]16/3880
#[題詞](能登國歌三首)
#[原文]所聞多祢乃 机之嶋能 小螺乎 伊拾持来而 石以 都追伎破夫利 早川尓 洗濯 辛塩尓 古胡登毛美 高坏尓盛 机尓立而 母尓奉都也 目豆兒乃<ス> 父尓獻都也 身女兒乃<ス>
#[訓読]鹿島嶺の 机の島の しただみを い拾ひ持ち来て 石もち つつき破り 早川に 洗ひ濯ぎ 辛塩に こごと揉み 高坏に盛り 机に立てて 母にあへつや 目豆児の刀自 父にあへつや 身女児の刀自
#[仮名],かしまねの,つくゑのしまの,しただみを,いひりひもちきて,いしもち,つつきやぶり,はやかはに,あらひすすぎ,からしほに,こごともみ,たかつきにもり,つくゑにたてて,ははにあへつや,めづこのとじ,ちちにあへつや,みめこのとじ
#[左注]
#[校異]屓 -> ス [尼]
#[鄣W],雑歌,石川,地名,能登島,民謡,歌謡
#[訓異]
#[大意]鹿島嶺の机の島のしただみを拾って持って来て、石で貝殻を打ち砕き流れの速い皮で洗い注ぎから塩でせっせと手揉みをし、高坏に盛り、机に立てて母にご馳走しましたか。かわいい若奥さん。父にご馳走しましたか。かわいい若奥さん。
#{語釈]
鹿島嶺の  石川県七尾市東方宝達山脈か
      和名抄 能登郡加島
17/4027H01香島より熊来をさして漕ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ

机の島 石川県鹿島郡中島町瀬嵐 机島
しただみ にな貝か
   神武記「神風の大石にはひもとほろふしただみのい這ひもとほり打ちてしやまむ」
つつき破り つついて壊す。打ち砕く
早川 流れの速い川
こごと せっせと手で揉む
机 食膳
あへつ  御饗へ 食物をもてなす
目豆児の刀自 かわいい主婦  見るのにめづらしい(美しい)意味か
       若奥さん

#[説明]
全釈  父母に持養せよと教える孝道のあらわれなどと、道徳的に見るわけではないが、和平悦楽、上代の朗らかな民俗があらわれていると思う
釈注 わらべ歌であろう。おのづずからに料理の手順が知られるように仕組まれている

能登の国 養老二年 設置
     天平一三年 越中に合併
     天平勝宝九年 分離
家持が越中守であった時代は、合併時代であり、この歌の収集とは別であろう

#[関連論文]


#[番号]16/3881
#[題詞]越中國歌四首
#[原文]大野路者 繁道森(p) 之氣久登毛 君志通者 (p)者廣計武
#[訓読]大野道は茂道茂路茂くとも君し通はば道は広けむ
#[仮名],おほのぢは,しげちしげみち,しげくとも,きみしかよはば,みちはひろけむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,富山,転用,女歌,恋愛,民謡,歌謡
#[訓異]
#[大意]大野の道は草深い道。草深くあろうともあなたが通うのならば道は広いだろう
#{語釈]
大野道 大きな野の道、荒野の小道
    地名 和名抄「越中国砺波郡大野」
    全釈 西砺波郡赤丸村三日市  福岡町の東北、小矢部川沿岸
    地名辞書 射水郡大野  高岡市東北 射水川 放生津浜までの広野
茂道茂路 草が茂っている道、草深い道

#[説明]
本来は、女性の恋歌。国司の来訪に転用したものか。

#[関連論文]


#[番号]16/3882
#[題詞](越中國歌四首)
#[原文]澁谿乃 二上山尓 鷲曽子産跡云 指羽尓毛 君之御為尓 鷲曽子生跡云
#[訓読]渋谿の二上山に鷲ぞ子産むといふ翳にも君のみために鷲ぞ子産むといふ
#[仮名],しぶたにの,ふたがみやまに,わしぞこむといふ,さしはにも,きみのみために,わしぞこむといふ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,富山,地名,民謡,歌謡,旋頭歌
#[訓異]
#[大意]渋谿の二上山に鷲が子どもを生むという。それは翳にでもなってあなたの役に立とうと鷲が子どもを生むという
#{語釈]
澁谿の二上山 射水郡二上山
鷲ぞ子産むといふ 鷲は高い山に住む
翳 貴人にさしかける柄の長い団扇  鳥の羽で作られることが多い
  翳にでもなって

#[説明]
国司を讃美した歌  射水郡には射水臣氏。二上山麓に古墳
          家持の頃は安努君広島

#[関連論文]


#[番号]16/3883
#[題詞](越中國歌四首)
#[原文]伊夜彦 於能礼神佐備 青雲乃 田名引日<須>良 霂曽保零 [一云 安奈尓可武佐備]
#[訓読]弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る [一云 あなに神さび]
#[仮名],いやひこ,おのれかむさび,あをくもの,たなびくひすら,こさめそほふる,[あなにかむさび]
#[左注]
#[校異]<> -> 須 [代匠記精撰本]
#[鄣W],雑歌,越後,新潟,地名,神事,歌謡
#[訓異]
#[大意]伊夜彦はおのずと神々しく青雲のたなびく日すら小雨がぱらついている[一云 不思議に神々しく]
#{語釈]
弥彦  新潟県西蒲原郡弥彦村 弥彦山
    式内弥彦神社 神体山 
    御祭神は天香山命「アメノカゴヤマノミコト」で神武天皇の命を受け、住民に
海水から塩をつくる技術、漁、稲作など農耕術などの基礎を教えられたとのこと。

続紀
大宝02/03/17/甲申、越中國の四郡を分けて越後國に屬く。
      四郡 項城、古志、魚沼、蒲原
この歌群は、大宝二年以前に成立か。

小雨そほ降る 神々しい様子
  09/1753H04雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3884
#[題詞](越中國歌四首)
#[原文]伊夜彦 神乃布本 今日良毛加 鹿乃伏<良>武 皮服著而 角附奈我良
#[訓読]弥彦神の麓に今日らもか鹿の伏すらむ皮衣着て角つきながら
#[仮名],いやひこ,かみのふもとに,けふらもか,しかのふすらむ,かはころもきて,つのつきながら
#[左注]
#[校異]<> -> 良 [西(左書)][尼][紀][温]
#[鄣W],雑歌,越後,新潟,仏足石歌体,神事,歌謡
#[訓異]
#[大意]弥彦よ。その神山の麓に今日あたりもだろうか鹿がひれ伏しているだろうか。皮衣着て角を付けたままで
#{語釈]
皮衣着て角つきながら  神の霊験の前に鹿も正装している様
     鹿舞(ししまい)を背景に置いて詠まれているか

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3885
#[題詞]乞食者<詠>二首
#[原文]伊刀古 名兄乃君 居々而 物尓伊行跡波 韓國乃 虎神乎 生取尓 八頭取持来 其皮乎 多々弥尓刺 八重疊 平群乃山尓 四月 与五月間尓 藥猟 仕流時尓 足引乃 此片山尓 二立 伊智比何本尓 梓弓 八多婆佐弥 比米加夫良 八多婆左弥 完待跡 吾居時尓 佐男鹿乃 来<立>嘆久 頓尓 吾可死 王尓 吾仕牟 吾角者 御笠乃<波>夜詩 吾耳者 御墨坩 吾目良波 真墨乃鏡 吾爪者 御弓之弓波受 吾毛等者 御筆波夜斯 吾皮者 御箱皮尓 吾完者 御奈麻須波夜志 吾伎毛母 御奈麻須波夜之 吾美義波 御塩乃波夜之 耆矣奴 吾身一尓 七重花佐久 八重花生跡 白賞尼 <白賞尼>
#[訓読]いとこ 汝背の君 居り居りて 物にい行くとは 韓国の 虎といふ神を 生け捕りに 八つ捕り持ち来 その皮を 畳に刺し 八重畳 平群の山に 四月と 五月との間に 薬猟 仕ふる時に あしひきの この片山に 二つ立つ 櫟が本に 梓弓 八つ手挟み ひめ鏑 八つ手挟み 獣待つと 我が居る時に さを鹿の 来立ち嘆かく たちまちに 我れは死ぬべし 大君に 我れは仕へむ 我が角は み笠のはやし 我が耳は み墨の坩 我が目らは ますみの鏡 我が爪は み弓の弓弭 我が毛らは み筆はやし 我が皮は み箱の皮に 我が肉は み膾はやし 我が肝も み膾はやし 我がみげは み塩のはやし 老いたる奴 我が身一つに 七重花咲く 八重花咲くと 申しはやさね 申しはやさね
#[仮名],いとこ,なせのきみ,をりをりて,ものにいゆくとは,からくにの,とらといふかみを,いけどりに,やつとりもちき,そのかはを,たたみにさし,やへたたみ,へぐりのやまに,うづきと,さつきとのまに,くすりがり,つかふるときに,あしひきの,このかたやまに,ふたつたつ,いちひがもとに,あづさゆみ,やつたばさみ,ひめかぶら,やつたばさみ,ししまつと,わがをるときに,さをしかの,きたちなげかく,たちまちに,われはしぬべし,おほきみに,われはつかへむ,わがつのは,みかさのはやし,わがみみは,みすみつほ,わがめらは,ますみのかがみ,わがつめは,みゆみのゆはず,わがけらは,みふみてはやし,わがかはは,みはこのかはに,わがししは,みなますはやし,わがきもも,みなますはやし,わがみげは,みしほのはやし,おいたるやつこ,あがみひとつに,ななへはなさく,やへはなさくと,まをしはやさね,まをしはやさね
#[左注]右歌一首為鹿述痛作之也
#[校異]詠歌 [西(右書)] -> 詠 [類][紀][細] / 完 [類] 宍 / 立来 -> 立 [尼] / 婆 -> 波 [尼][類][紀] / 完 [類] 宍 / 々々々 -> 白賞尼 [尼][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:乞食者,寿歌,枕詞,歌謡
#[訓異]
#[大意]愛しいあなたよ。(あいやお立ち会い。皆々様よ(Ladys and Gentleman)、ずっと家に居続けてどこかに出かかるとなると面倒でつらいがその韓国の虎という神を生け捕りにして、八頭も捕って持ってきて、その皮を畳に縫いつけるのではないが、八重畳の平群の山に四月と五月との間に薬狩りにお仕えした時に、あしひきのこの片山に二本達櫟の木の根本で梓弓を八本手に挟んで、ひめ鏑を八本手に挟んで、獣を待つとして自分がいる時に、男鹿がやって来て立って嘆くことには、たちまち自分は死ぬだろう。大君に自分はお仕えしよう。自分の角は笠の栄えあるもの。自分の耳は墨壺、自分の眼は真澄の鏡、自分の爪はみ弓の弓弭、自分の毛はみ筆の栄えあるもの、自分の皮は箱の皮に、自分の肉は鱠の栄えあるもの、自分の肝も鱠の栄えあるもの、自分の内臓は塩辛の栄えあるもの、こんなふうに年取った自分めは、身一つで七重にも花が咲く、八重にも花が咲くと大君に申し上げはやしてください

#{語釈]
乞食者  家の戸口に立ち寿詞などを言って言祝ぎ、食を乞う門付け芸人
     乞食 和名抄 乞児 揚氏漢語抄云、乞索児、保加比々斗

いとこ 愛しい子 親しんだ呼びかけ
居り居りて 物にい行くとは  韓国の序詞
             ずっと家に居続けてどこかに出かけるとなると面倒でつらい(辛い)というところから、カラに掛かる。
畳に刺し  畳に縫い刺すの意か。ここまでは八重畳の序。前口上。
八重畳 平群の枕詞  他に平群にかかる枕詞、畳薦
     幾重にも畳が重なっている意で、ヘに掛かる
平群の山 生駒郡平群町あたりの山

片山 片方が崖になっている山 
10/1818H01子らが名に懸けのよろしき朝妻の片山崖に霞たなびく
12/3210H01あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも

櫟 いちいがし ブナ科の落葉喬木 大木になる。身を隠すのに都合がよいからか。
ひめ鏑 考 ひめ靭(大神宮式)、荒々しくはなくて小さく姫めきたるもの
    略解 宣長云、ひめかぶらは樋目鏑にて、かぶらに樋をゑりたる也
    大系 割れる意(真木割く樋の嬬手)のヒで割れ目のこと。鋭く割れ目に食い込む鏑矢
    鏑の鏃部分に割れ目を入れてよく音がする矢か。
    実用ではなく祭祀用

はやし 栄えあらしめる物。装飾品
み膾  和名抄 鱠 細切宍也 スライスした肉
みげ  内臓 おもに牛や羊などの胃袋。塩辛の材料。
老いたる奴 原文「耆矣奴」西、紀 おいはてぬ 童蒙抄、古義
      注釈 矣 広雅 止也 「果て」と訓み得る。おいはてぬ
      新訓 おいたるやっこ 全釈
      矣 は、助動詞タリの意
七重花咲く 八重花咲くと 幾重にも役立つものになる
申しはやさね 大君に賑々しく奏上する

右歌一首は、鹿の為に痛みを述べて作る。

全注釈 鹿の奉仕を説いたことほぎ歌
私注 鹿の苦痛に同情する心持ちよりも、鹿を様々に利用する貴人に対する讃歌
土橋寛 内容は風刺であり怨嗟である。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3886
#[題詞](乞食者<詠>二首)
#[原文]忍照八 難波乃小江尓 廬作 難麻理弖居 葦河尓乎 王召跡 何為牟尓 吾乎召良米夜 明久 <吾>知事乎 歌人跡 和乎召良米夜 笛吹跡 和乎召良米夜 琴引跡 和乎召良米夜 彼<此>毛 <命>受牟跡 今日々々跡 飛鳥尓到 雖<置> <々>勿尓到 雖不策 都久怒尓到 東 中門由 参納来弖 命受例婆 馬尓己曽 布毛太志可久物 牛尓己曽 鼻縄波久例 足引乃 此片山乃 毛武尓礼乎 五百枝波伎垂 天光夜 日乃異尓干 佐比豆留夜 辛碓尓舂 庭立 <手>碓子尓舂 忍光八 難波乃小江乃 始垂乎 辛久垂来弖 陶人乃 所作瓶乎 今日徃 明日取持来 吾目良尓 塩と給 <腊>賞毛 <腊賞毛>
#[訓読]おしてるや 難波の小江に 廬作り 隠りて居る 葦蟹を 大君召すと 何せむに 我を召すらめや 明けく 我が知ることを 歌人と 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや かもかくも 命受けむと 今日今日と 飛鳥に至り 置くとも 置勿に至り つかねども 都久野に至り 東の 中の御門ゆ 参入り来て 命受くれば 馬にこそ ふもだしかくもの 牛にこそ 鼻縄はくれ あしひきの この片山の もむ楡を 五百枝剥き垂り 天照るや 日の異に干し さひづるや 韓臼に搗き 庭に立つ 手臼に搗き おしてるや 難波の小江の 初垂りを からく垂り来て 陶人の 作れる瓶を 今日行きて 明日取り持ち来 我が目らに 塩塗りたまひ きたひはやすも きたひはやすも
#[仮名],おしてるや,なにはのをえに,いほつくり,なまりてをる,あしがにを,おほきみめすと,なにせむに,わをめすらめや,あきらけく,わがしることを,うたひとと,わをめすらめや,ふえふきと,わをめすらめや,ことひきと,わをめすらめや,かもかくも,みことうけむと,けふけふと,あすかにいたり,おくとも,おくなにいたり,つかねども,つくのにいたり,ひむがしの,なかのみかどゆ,まゐりきて,みことうくれば,うまにこそ,ふもだしかくもの,うしにこそ,はなづなはくれ,あしひきの,このかたやまの,もむにれを,いほえはきたり,あまてるや,ひのけにほし,さひづるや,からうすにつき,にはにたつ,てうすにつき,おしてるや,なにはのをえの,はつたりを,からくたりきて,すゑひとの,つくれるかめを,けふゆきて,あすとりもちき,わがめらに,しほぬりたまひ,きたひはやすも,きたひはやすも
#[左注]右歌一首為蟹述痛作之也
#[校異]若 -> 吾 [尼][類][紀] / <> -> 此 [万葉集古義] / 令 -> 命 [尼][類] / 立 -> 置 (塙) / 置 -> 々 (塙) / <> -> 手 [尼][類] / 時 -> セ [尼][類] / 々々々 -> セ賞毛 [尼][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:乞食者,寿歌,歌謡,枕詞
#[訓異]
#[大意]おしてるや難波の小さな入り江に庵を作ってひっそりと暮らしている葦蟹を大君がお召しになるとして、どうして自分をお召しになるのだろうか。はっきりと自分はわかっていることなのだが。歌人として自分をお召しになるのか、笛吹きとして自分をお召しになるのか。琴弾きとして自分をお召しになるのか。どちらにしてもご命令を受けようと、今日今日ではないが飛鳥に行って、置くとしても置勿に到着し、杖をつかなくとも着くという都久野に到着し、東の中の御門から参ってやってきてご命令を受けると、馬にこそは梁から吊した綱で懸けるものだが、牛にこそ鼻に縄をつけるものだが、(なのにこの蟹である自分を縛り付けて)、この片山の揉むための楡の多くの枝の皮を剥ぎ取って吊して、天に照る毎日毎日干して、さえづる韓国製の臼で粉々にし、庭に立つ手臼でさらに細かく搗いて調味料を作り、故郷のおしてる難波の小さな入り江の塩を作る最初に垂れた塩水を辛く垂れて持ってきて、須恵器職人の作った瓶を今日取りに行って明日に持って帰り、自分の眼に塩をお塗りになり、丸干しにして栄えあるものになさることだ。
#{語釈]
隠りて居る 隠れる ひっそりと暮らしている
葦蟹 葦に住み着く蟹
今日今日と  今日か明日かということで飛鳥の枕詞
置くとも 底本「立」 立つれども 物を立てはしても横には置くなの意か
     塙本による  置勿の枕詞
置勿  地名  奈良県高市郡明日香村飛鳥 奈良県高市郡明日香村奥山
        大和高田市奥田
つかねども 杖はつかないが着くという意で、都久野の枕詞
都久野   地名  奈良県橿原市鳥屋町 奈良県桜井市多武峰口 奈良県高市郡明日香村島ノ庄 畝傍山南麓 築坂(つきさか)未詳
東の 中の御門 藤原京  大膳職の近くか。
ふもだしかくもの  ふみほだし  梁からつるして馬の腹に懸け、暴れるのを防ぐ綱
          子を産む時などに使う
        かくもの  懸けるものであるが、の意
鼻縄はくれ  鼻の縄を身につけるもの
もむ楡 もむ 未詳 揉むか。
    楡の皮を調味料とする
五百枝剥き垂り たくさんの枝の皮を剥いで吊して
天照るや 日の枕詞
日の異に干し  日に異にの誤りか。毎日毎日 
さひづるや 韓臼の枕詞 言葉がわからなくてさえずっているように聞こえる韓国の意
韓臼  3817
手臼 手で搗く臼。足で杵を踏んで搗く唐臼の対
初垂り  製塩で最初に垂れる塩分の濃厚な海水
    蟹の故郷の塩水
陶人 堺市南部の須恵器を作る職人
今日行きて 明日取り持ち来 一日で堺まで行って取ってくる。
塩塗りたまひ  眼に塩を塗ると痛いという残酷な処置をする
きたひはやすも 干し肉にする。丸干しの栄えあるものにする

右の歌一首は、蟹の為に痛みを述べて作る。

1首目が鹿、2首目が蟹ということで、山海の珍味を言う。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]16/3887
#[題詞]怕物歌三首
#[原文]天尓有哉 神樂良能小野尓 茅草苅 々々<婆>可尓 鶉乎立毛
#[訓読]天にあるやささらの小野に茅草刈り草刈りばかに鶉を立つも
#[仮名],あめにあるや,ささらのをのに,ちがやかり,かやかりばかに,うづらをたつも
#[左注]
#[校異]波 -> 婆 [尼][類][古]
#[鄣W],雑歌,宴席,恐怖,動物,誦詠,異界
#[訓異]
#[大意]天にあるささらの小野に茅を刈っていると、草刈りの持ち場に鶉が飛び出してくることだ
#{語釈]
怕物 畏怖の対象となる霊、鬼などを言う。天、海、地上の三種類の構成

ささらの小野 天上界にあるという野。
03/0420H07木綿たすき かひなに懸けて 天なる ささらの小野の 七節菅
ささらの小野の菅を手に持って天の河原でみそぎをすると死を免れるとする。

ささらの小野の草は、人の死を救う呪力を持つもの

草刈りばか 草を刈るときの自分の持ち場
04/0512H01秋の田の穂田の刈りばかか寄りあはばそこもか人の我を言成さむ
10/2133H01秋の田の我が刈りばかの過ぎぬれば雁が音聞こゆ冬かたまけて

鶉を立つも  古いの枕詞  鬼の住処が古家であるとすると、鶉のいる所には鬼がいる。
04/0775H01鶉鳴く古りにし里ゆ思へども何ぞも妹に逢ふよしもなき

#[説明]
釈注 人が死に瀕している時に、ささらの小野の茅を刈りに行って、死から免れさせようと努力をするが、鬼の住処にいる鶉が飛び出してきて、逃げ帰るといったもの。
結局、人は死を免れることが出来ない。

#[関連論文]


#[番号]16/3888
#[題詞](怕物歌三首)
#[原文]奥國 領君之 <と>屋形 黄<と>乃屋形 神之門<渡>
#[訓読]沖つ国うしはく君の塗り屋形丹塗りの屋形神の門渡る
#[仮名],おきつくに,うしはくきみの,ぬりやかた,にぬりのやかた,かみのとわたる
#[左注]
#[校異]染 -> と (塙) / 涙 -> 渡 [尼][紀]
#[鄣W],雑歌,宴席,恐怖,異界,誦詠
#[訓異]
#[大意]海の沖の死霊の国を支配する君の乗った彩った屋形、その赤く塗った屋形船がこの世とあの世の堺を渡って行く
#{語釈]
沖つ国  海の向こうの死霊の赴く国
うしはく君 領有する君
塗り屋形 彩った屋形船
丹塗りの屋形 魔よけのために赤く塗った屋形船
神の門渡る 幽冥の堺を越えていく

#[説明]
#[関連論文]