万葉集 巻第17

#[番号]17/3890
#[題詞]天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時傔従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首
#[原文]和我勢兒乎 安我松原欲 見度婆 安麻乎等女登母 多麻藻可流美由
#[訓読]我が背子を安我松原よ見わたせば海人娘子ども玉藻刈る見ゆ
#[仮名],わがせこを,あがまつばらよ,みわたせば,あまをとめども,たまもかるみゆ
#[左注]右一首三野連石守作
#[校異]羇 [元][紀][細](塙) 羈
#[鄣W],天平2年11月,年紀,作者:三野石守,旅人従者,羈旅,大伴旅人,帰京,地名,北九州,福岡,叙景,枕詞
#[訓異]
#[大意]我が脊子を自分は待つという自分がいる松原から見渡すと、海人娘子たちが玉藻を刈るのが見える
#{語釈]
ここから3921までは追補。
天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、大納言に任けらえて[帥を兼ぬること舊の如し]、京に上る時に、ソ従(けんじゅう)等、別に海路を取りて京に入る。是に羇旅を悲傷し、各(おのもおのも)所心(おもひ)を陳べて作る歌十首

天平二年 正月一三日梅花宴(5/0815~)、
旅人大納言任官 続日本紀なし。
公卿補任 天平三年 大伴旅人 天平二年十一月一日任大納言

ソ従 延喜式 大弐以上は陸路、それ以外は海路
   坂上郎女も従っていたか(6/0963 冬十一月大伴坂上郎女發帥家上道超筑前國宗形郡名兒山之時作歌一首)

安我松原 自分が今いる松原。博多の那の大津あたりか。

三野連石守 伝未詳 8/1644

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3891
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]荒津乃海 之保悲思保美知 時波安礼登 伊頭礼乃時加 吾孤悲射良牟
#[訓読]荒津の海潮干潮満ち時はあれどいづれの時か我が恋ひざらむ
#[仮名],あらつのうみ,しほひしほみち,ときはあれど,いづれのときか,あがこひざらむ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,福岡,地名,恋情,大伴旅人,望郷
#[訓異]
#[大意]荒津の海は潮が干いたり満ちたりしてその時はあるが、どの時があって自分は恋い思わないということがあろうか。
#{語釈]
荒津の海 福岡県福岡市中央区西公園
12/3215H01白栲の袖の別れを難みして荒津の浜に宿りするかも
12/3216H01草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ
12/3217H01荒津の海我れ幣奉り斎ひてむ早帰りませ面変りせず

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3892
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]伊蘇其登尓 海夫乃<釣>船 波氐尓家里 我船波氐牟 伊蘇乃之良奈久
#[訓読]礒ごとに海人の釣舟泊てにけり我が船泊てむ礒の知らなく
#[仮名],いそごとに,あまのつりぶね,はてにけり,わがふねはてむ,いそのしらなく
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]鈎 -> 釣 [元][類][紀]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,大伴旅人,漂泊,旅愁
#[訓異]
#[大意]磯ごとに海人お釣船が停泊している。自分の船が停泊する磯がわからないことなのに
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3893
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]昨日許曽 敷奈R婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母
#[訓読]昨日こそ船出はせしか鯨魚取り比治奇の灘を今日見つるかも
#[仮名],きのふこそ,ふなではせしか,いさなとり,ひぢきのなだを,けふみつるかも
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,枕詞,地名,響灘,山口,土地讃美,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]昨日こそ出発した。鯨魚取る比治奇の灘を今日もう見ることである。
#{語釈]
比治奇の灘 未詳 山口県豊浦郡 兵庫県高砂市

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3894
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]淡路嶋 刀和多流船乃 可治麻尓毛 吾波和須礼受 伊弊乎之曽於毛布
#[訓読]淡路島門渡る船の楫間にも我れは忘れず家をしぞ思ふ
#[仮名],あはぢしま,とわたるふねの,かぢまにも,われはわすれず,いへをしぞおもふ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,地名,淡路,兵庫,序詞,望郷,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]淡路島の海峡を渡る船の楫のわずかな間も自分は忘れないで家のことをひたすら思う
#{語釈]
楫間  潮流が早いので楫を取る間隔が早い
17/3961H01白波の寄する礒廻を漕ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
17/4027H01香島より熊来をさして漕ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ
20/4336H01防人の堀江漕ぎ出る伊豆手船楫取る間なく恋は繁けむ
20/4368H01久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む
20/4461H01堀江より水脈さかのぼる楫の音の間なくぞ奈良は恋しかりける

18/4048H01垂姫の浦を漕ぐ舟梶間にも奈良の我家を忘れて思へや
#[説明]


#[関連論文]


#[番号]17/3895
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]多麻波夜須 武庫能和多里尓 天傳 日能久礼由氣<婆> 家乎之曽於毛布
#[訓読]たまはやす武庫の渡りに天伝ふ日の暮れ行けば家をしぞ思ふ
#[仮名],たまはやす,むこのわたりに,あまづたふ,ひのくれゆけば,いへをしぞおもふ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]波 -> 婆 [元][類]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,枕詞,兵庫,望郷,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]たまはやす武庫の渡し場に空を伝っていく日が暮れていくので家のことが思われてならない
#{語釈]
たまはやす 魂をふるい立たせる 武庫にかかる枕詞 かかり方未詳

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3896
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]家尓底母 多由多敷命 浪乃宇倍尓 思之乎礼波 於久香之良受母 [一云 宇伎氐之乎礼八]
#[訓読]家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥か知らずも [一云 浮きてし居れば]
#[仮名],いへにても,たゆたふいのち,なみのうへに,おもひしをれば,おくかしらずも,[うきてしをれば]
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,異伝,羈旅,漂泊,不安,大伴旅人
#[訓異]
#[大意]家にあっても定めのない命であるのに、波の上で恋い思っていると行く末も全くわからないことだ
#{語釈]
奥か 奥処 行末 将来
12/3030H01思ひ出でてすべなき時は天雲の奥処も知らず恋ひつつぞ居る
12/3150H01霞立つ春の長日を奥処なく知らぬ山道を恋ひつつか来む

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3897
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]大海乃 於久可母之良受 由久和礼乎 何時伎麻佐武等 問之兒<良>波母
#[訓読]大海の奥かも知らず行く我れをいつ来まさむと問ひし子らはも
#[仮名],おほうみの,おくかもしらず,ゆくわれを,いつきまさむと,とひしこらはも
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]等 -> 良 [元][類]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,望郷,恋情,遊行女婦,大伴旅人


#[番号]17/3898
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]大船乃 宇倍尓之居婆 安麻久毛乃 多度伎毛思良受 歌乞和我世
#[訓読]大船の上にし居れば天雲のたどきも知らず歌ひこそ我が背
#[仮名],おほぶねの,うへにしをれば,あまくもの,たどきもしらず,うたひこそわがせ
#[左注](右九首作者不審姓名)
#[校異]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,羈旅,,大伴旅人,女歌,遊行女婦
#[訓異]
#[大意]大船の上にいると天雲のように頼りどころもわからず、心細い。歌でも歌ってください。我が背よ。
#{語釈]
元、西、紀、陽、矢、京は、この歌と次の歌は、3895の次に続く。
それが本来の続きか。

#[説明]
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#[番号]17/3899
#[題詞](天平二年庚午冬十一月大宰帥大伴卿被任大納言 [兼帥如舊]上京之時ソ従等別取海路入京 於是悲傷羇旅各陳所心作歌十首)
#[原文]海未通女 伊射里多久火能 於煩保之久 都努乃松原 於母保由流可<問>
#[訓読]海人娘子漁り焚く火のおぼほしく角の松原思ほゆるかも
#[仮名],あまをとめ,いざりたくひの,おぼほしく,つののまつばら,おもほゆるかも
#[左注]右九首作者不審姓名
#[校異]聞 -> 問 [元][類]
#[鄣W],天平2年11月,年紀,旅人従者,大伴旅人,序詞,地名,西宮,兵庫,旅情
#[訓異]
#[大意]海人娘子の漁り火を焚く火がぼんやりと見えるようにぼんやりと角の松原が思われてならないことだ
#{語釈]
角の松原  兵庫県西宮市津門
03/0279H01我妹子に猪名野は見せつ名次山角の松原いつか示さむ

#[説明]
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#[番号]17/3900
#[題詞]十年七月七日之夜獨仰天漢聊述懐一首
#[原文]多奈波多之 船乗須良之 麻蘇鏡 吉欲伎月夜尓 雲起和多流
#[訓読]織女し舟乗りすらしまそ鏡清き月夜に雲立ちわたる
#[仮名],たなばたし,ふなのりすらし,まそかがみ,きよきつくよに,くもたちわたる
#[左注]右一首大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平10年7月7日,年紀,作者:大伴家持,七夕,独詠,枕詞,織女渡河
#[訓異]
#[大意]織女が船に乗ったらしい。まそ鏡の清らかな月夜に雲が立ちこめてくる
#{語釈]
十年七月七日 続日本紀 天平10/07/07/秋七月癸酉、天皇大藏省に御して相撲を覽す。晩頭に轉(めぐ)りて西池宮に御(おは)します。因りて殿(みあらか)の前の梅の樹を指し、右衛士督下道朝臣眞備及諸才子とに勅して曰く、人皆志有りて、好む所同じからず。朕、去ぬる春より此の樹を翫(もてあそ)ばむと欲(おも)へれども、賞翫するに及ばず。花葉遽(にはか)に落ちて、意(こころ)に甚だ惜しむ。各(おのおの)春の意(おもひ)を賦して、此の梅の樹を詠むべし。文人卅人詔を奉(うけた)まはりて賦す。因りて五位已上にはあしぎぬ廿疋、六位已下には各六疋を賜ふ。

獨とあるのは、この宴から除外されていることを思っている。
家持は当時は内舎人。

織女 出かけるのは中国の伝承。船は日本の考え方。

#[説明]
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#[番号]17/3901
#[題詞]追和<大>宰之時梅花新歌六首
#[原文]民布由都藝 芳流波吉多礼登 烏梅能芳奈 君尓之安良祢婆 遠<久>人毛奈之
#[訓読]み冬継ぎ春は来たれど梅の花君にしあらねば招く人もなし
#[仮名],みふゆつぎ,はるはきたれど,うめのはな,きみにしあらねば,をくひともなし
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]太 -> 大 [元][類][紀][温] / 流 -> 久 [元]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]み冬に継いで春は来たが梅の花を今はもうその時ではなくあなたもいないので招く人もいないことだ
#{語釈]
追和<大>宰之時梅花新歌六首 天平2年大伴旅人の行った梅花宴(5/0815~46)に追和したもの。

君 0815の作者大貳紀卿(紀男人)を指す。

#[説明]
05/0815H01正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ[大貳紀卿]
に和したもの

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#[番号]17/3902
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]烏梅乃花 美夜万等之美尓 安里登母也 如此乃未君波 見礼登安可尓勢牟
#[訓読]梅の花み山としみにありともやかくのみ君は見れど飽かにせむ
#[仮名],うめのはな,みやまとしみに,ありともや,かくのみきみは,みれどあかにせむ
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]此 [元] 是 / 可 [元] 加
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花はみ山としていっぱいに繁っていようとも、このようにあなたは見ても見飽きることはないというのでしょうか。
#{語釈]
#[説明]
全釈
05/0816H01梅の花今咲けるごと散り過ぎず我が家の園にありこせぬかも[少貳小野大夫]
小野老
に和したもの

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#[番号]17/3903
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]春雨尓 毛延之楊奈疑可 烏梅乃花 登母尓於久礼奴 常乃物能香聞
#[訓読]春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
#[仮名],はるさめに,もえしやなぎか,うめのはな,ともにおくれぬ,つねのものかも
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]春雨に葉が出だした柳なのだろうか。梅の花とともに後れずに葉を出す普通のものなのだろうか。
#{語釈]
#[説明]
05/0817H01梅の花咲きたる園の青柳はかづらにすべくなりにけらずや[少貳粟田大夫]
粟田人上
に和したもの

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#[番号]17/3904
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]宇梅能花 伊都波乎良自等 伊登波祢登 佐吉乃盛波 乎思吉物奈利
#[訓読]梅の花いつは折らじといとはねど咲きの盛りは惜しきものなり
#[仮名],うめのはな,いつはをらじと,いとはねど,さきのさかりは,をしきものなり
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]梅の花をいつは折るまいという具合にえり好みをするわけではないが、咲き盛っている時は折るのは惜しいものだ
#{語釈]
#[説明]
05/0820H01梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
05/0820I01[筑後守葛井大夫]
葛井大成
に和したもの

#[関連論文]


#[番号]17/3905
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]遊内乃 多努之吉庭尓 梅柳 乎理加謝思底<婆> 意毛比奈美可毛
#[訓読]遊ぶ内の楽しき庭に梅柳折りかざしてば思ひなみかも
#[仮名],あそぶうちの,たのしきにはに,うめやなぎ,をりかざしてば,おもひなみかも
#[左注](右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作)
#[校異]謝 [元][京] 射 / 波 -> 婆 [元][類][細]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]遊ぶ仲間うちの楽しい庭園で梅や柳を折ってかざすと心残りがないので、思いがないのでというのだろうか。
#{語釈]
#[説明]
05/0821H01青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし
05/0821I01[笠沙弥]
沙弥満誓
に和したもの

#[関連論文]


#[番号]17/3906
#[題詞](追和<大>宰之時梅花新歌六首)
#[原文]御苑布能 百木乃宇梅乃 落花之 安米尓登妣安我里 雪等敷里家牟
#[訓読]御園生の百木の梅の散る花し天に飛び上がり雪と降りけむ
#[仮名],みそのふの,ももきのうめの,ちるはなし,あめにとびあがり,ゆきとふりけむ
#[左注]右十二年十<二>月九日大伴宿祢<書>持作
#[校異]一 -> 二 [元] / 家 -> 書 [元]
#[鄣W],天平12年12月9日,年紀,作者:大伴書持,追和,梅花宴,植物
#[訓異]
#[大意]庭園のたくさんの梅の散る花は、天に飛び上がって雪として降ったのだろう
#{語釈]
#[説明]
05/0822H01我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも
05/0822I01[主人]
#[関連論文]


#[番号]17/3907
#[題詞]讃三香原新都歌一首[并短歌]
#[原文]山背乃 久<邇>能美夜古波 春佐礼播 花<咲>乎々理 秋<左>礼婆 黄葉尓保<比> 於婆勢流 泉河乃 可美都瀬尓 宇知橋和多之 余登瀬尓波 宇枳橋和多之 安里我欲比 都加倍麻都良武 万代麻弖尓
#[訓読]山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり 秋されば 黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には 浮橋渡し あり通ひ 仕へまつらむ 万代までに
#[仮名],やましろの,くにのみやこは,はるされば,はなさきををり,あきされば,もみちばにほひ,おばせる,いづみのかはの,かみつせに,うちはしわたし,よどせには,うきはしわたし,ありがよひ,つかへまつらむ,よろづよまでに
#[左注](右天平十三年二月右<馬>頭境部宿祢老麻呂作也)
#[校異]歌 [西] 謌 / 尓 -> 邇 [元] / 喚 -> 咲 [元][紀][細] / 佐 -> 左 [元][類] / 比美[西(右書)] -> 比 [元][類]
#[鄣W],天平13年2月,年紀,作者:境部老麻呂,宮廷讃美,地名,京都,植物,儀礼歌,寿歌,恭仁京
#[訓異]
#[大意]
山城の久迩の都は春になると花が咲きたわみ、秋になると黄葉が美しく輝き、帯になさっている泉の川の上流には打ち橋を掛け渡し、淀や瀬には浮き橋を架け渡し、いつも通ってお仕え申し上げよう。万代までに

#{語釈]
久迩の都 恭仁宮 天平12年8月 藤原広嗣が太宰府で反乱
             10月29日 聖武天皇伊勢に出発
         天平12年12月15日遷都
天平15年12月末 造営停止
16年2月 難波宮遷都

花咲きををり
03/0475H03山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に
06/0923H02川なみの 清き河内ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる
06/1050H06花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ
06/1053H03錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ
17/3907H01山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり 秋されば

帯ばせる
09/1770H01みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは我れ忘れめや
13/3227H03秋行けば 紅にほふ 神なびの みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の
17/3907H02黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には
17/4000H04雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に
17/4003H01朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の

打橋  板を掛け渡した橋  現在の木津川の久爾京付近は、実際には無理。
    石などを橋桁にしたか。

淀瀬 淀んで水が流れているところ
浮橋 舟橋 舟を浮かべて橋にしたもの

あり通ひ 儀礼歌の表現。いつまでも栄えて仕えることを言う

境部老麻呂 伝未詳

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3908
#[題詞](讃三香原新都歌一首[并短歌])反歌
#[原文]楯並而 伊豆美乃河波乃 水緒多要受 都可倍麻都良牟 大宮所
#[訓読]たたなめて泉の川の水脈絶えず仕へまつらむ大宮ところ
#[仮名],たたなめて,いづみのかはの,みをたえず,つかへまつらむ,おほみやところ
#[左注]右天平十三年二月右<馬>頭境部宿祢老麻呂作也
#[校異]歌 [西] 謌 / 馬寮 -> 馬 [元][古][細][温]
#[鄣W],天平13年2月,年紀,作者:境部老麻呂,地名,木津川,枕詞,宮廷讃美,寿歌,儀礼歌,京都,恭仁京
#[訓異]
#[大意]たたなめて泉の川の水脈が絶えないように、いつまでも仕え申し上げようと思う大宮所であるよ。
#{語釈]
たたなめて 楯を並べて矢を射るから泉にかかる枕詞

水脈
07/1108H01泊瀬川流るる水脈の瀬を早みゐで越す波の音の清けく
07/1141H01武庫川の水脈を早みか赤駒の足掻くたぎちに濡れにけるかも

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3909
#[題詞]詠霍公鳥歌二首
#[原文]多知婆奈波 常花尓毛歟 保登等藝須 周無等来鳴者 伎可奴日奈家牟
#[訓読]橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
#[仮名],たちばなは,とこはなにもが,ほととぎす,すむときなかば,きかぬひなけむ
#[左注](右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持)
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月2日,年紀,作者:大伴書持,植物,動物,贈答,大伴家持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]橘はいつも咲いている花であればなあ。霍公鳥が住むとしてやって来て鳴くならば声を聞かない日はないだろう
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3910
#[題詞](詠霍公鳥歌二首)
#[原文]珠尓奴久 安布知乎宅尓 宇恵多良婆 夜麻霍公鳥 可礼受許武可聞
#[訓読]玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
#[仮名],たまにぬく,あふちをいへに,うゑたらば,やまほととぎす,かれずこむかも
#[左注]右四月二日大伴宿祢書持従奈良宅贈兄家持
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月2日,年紀,作者:大伴書持,贈答,植物,動物,大伴家持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]薬玉に貫き通す楝を家に植えたならば、山霍公鳥は離れないでやって来るだろうか。

#{語釈]
玉に貫く 薬玉に貫き通す
楝 05/798 栴檀。落葉高木。春に淡黄色の花をつける。
  楝を玉に貫く 17/3913 の2首だけ
05/0798H01妹が見し楝の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干なくに
10/1973H01我妹子に楝の花は散り過ぎず今咲けるごとありこせぬかも
17/3910H01玉に貫く楝を家に植ゑたらば山霍公鳥離れず来むかも
17/3913H01霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3911
#[題詞]橙橘初咲霍<公>鳥飜嚶 對此時候詎不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳
#[原文]安之比奇能 山邊尓乎礼婆 保登等藝須 木際多知久吉 奈可奴日波奈之
#[訓読]あしひきの山辺に居れば霍公鳥木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
#[仮名],あしひきの,やまへにをれば,ほととぎす,このまたちくき,なかぬひはなし
#[左注](右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持)
#[校異]<> -> 公 [細][温] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平13年4月3日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,動物,贈答,大伴書持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]あしひきの山辺にいると霍公鳥が木の間をくぐったりして鳴かない日はないことだ
#{語釈]
橙橘初めて咲き、霍<公>鳥、飜(かけ)り嚶(な)く。此の時候に對し、タ(あ)に志を暢(の)べざらむや。因りて三首の短歌を作り以て欝結の緒(こころ)を散らさまくのみ。
志を暢べざらむや 述志 毛詩大序、詩品
欝結の緒 19/4292悽惆之意非歌難撥耳

家持の特徴。春は、気持ちが鬱積しやすい季節であり、その心情は歌で示す。(述志は中国文学の特徴)

木の間立ち潜き
08/1495H01あしひきの木の間立ち潜く霍公鳥かく聞きそめて後恋ひむかも
17/3971H01山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3912
#[題詞](橙橘初咲霍<公>鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳)
#[原文]保登等藝須 奈尓乃情曽 多知花乃 多麻奴久月之 来鳴登餘牟流
#[訓読]霍公鳥何の心ぞ橘の玉貫く月し来鳴き響むる
#[仮名],ほととぎす,なにのこころぞ,たちばなの,たまぬくつきし,きなきとよむる
#[左注](右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持)
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月3日,年紀,作者:大伴家持,動物,植物,贈答,大伴書持,恭仁京,京都
#[訓異]
#[大意]霍公鳥はどうした気持ちなのか。橘を薬玉にする月にばかりやって来て鳴き響かせるというのは。(この時期だけやってきて、一年中いないというのはどのような気持ちからなのだろうか)
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3913
#[題詞](橙橘初咲霍<公>鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳)
#[原文]保登等藝須 安不知能枝尓 由吉底居者 花波知良牟奈 珠登見流麻泥
#[訓読]霍公鳥楝の枝に行きて居ば花は散らむな玉と見るまで
#[仮名],ほととぎす,あふちのえだに,ゆきてゐば,はなはちらむな,たまとみるまで
#[左注]右四月三日内舎人大伴宿祢家持従久邇京報送弟書持
#[校異]
#[鄣W],天平13年4月3日,年紀,作者:大伴家持,恭仁京,京都,動物,植物,大伴書持
#[訓異]
#[大意]霍公鳥が楝の枝に行ってとまるのならば、花は散るだろうなあ。玉だとばかり見るまでに
#{語釈]
四月三日 天平13年4月3日  久邇京時代
久迩の都 恭仁宮 天平12年8月 藤原広嗣が太宰府で反乱
             10月29日 聖武天皇伊勢に出発
         天平12年12月15日遷都
天平15年12月末 造営停止
16年2月 難波宮遷都
17年5月 平城還都

内舎人大伴宿祢家持 

養老2年(718) 生まれる
天平6年(734) 内舎人として自身出身 17歳
天平13年(741)蔭子出身の六考が天平12年7月30日で満了。
        蔭位により正六位のところ、藤原博嗣乱の特授で正六位上。 24歳
天平17年(745)天平12年8月1日から天平16年7月30日までの四考を経て、翌17年正月従五位下 内舎人解任 28歳
天平18年3月(746)3月 宮内少輔 6月越中守 7月赴任 29歳

弟書持  奈良故京に留まっている。 病気がちだったか。
     天平18年9月頃没 挽歌

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3914
#[題詞]思霍公鳥歌一首 田口朝臣馬長作
#[原文]保登等藝須 今之来鳴者 餘呂豆代尓 可多理都具倍久 所念可母
#[訓読]霍公鳥今し来鳴かば万代に語り継ぐべく思ほゆるかも
#[仮名],ほととぎす,いましきなかば,よろづよに,かたりつぐべく,おもほゆるかも
#[左注]右傳云 一時交遊集宴 此日此處霍公鳥不喧 仍作件歌 以陳思慕之意 但其宴所并年月未得詳審也
#[校異]歌 [西] 謌 / 霍公 [類] 霍
#[鄣W],作者:田口馬長,動物,誦詠,宴席,伝誦
#[訓異]
#[大意]霍公鳥が今やって来て鳴くならば万世まで語り継ごうと思われることだ
#{語釈]
右傳へて云く、ある時に交遊集宴す。此の日此處(ここ)に霍公鳥喧かず。仍ち件の歌を作り、以て思慕の意(こころ)を陳ぶ」といふ。但し其の宴する所、并せて年月詳審(つまび)らかにすることを得ず。

田口朝臣馬長  伝未詳

#[説明]
霍公鳥が来て鳴いて欲しい気持ちを歌ったもの
18/4050H01めづらしき君が来まさば鳴けと言ひし山霍公鳥何か来鳴かぬ
18/4052H01霍公鳥今鳴かずして明日越えむ山に鳴くとも験あらめやも

#[関連論文]


#[番号]17/3915
#[題詞]山部宿祢明人詠春鴬歌一首
#[原文]安之比奇能 山谷古延氐 野豆加佐尓 今者鳴良武 宇具比須乃許恵
#[訓読]あしひきの山谷越えて野づかさに今は鳴くらむ鴬の声
#[仮名],あしひきの,やまたにこえて,のづかさに,いまはなくらむ,うぐひすのこゑ
#[左注]右年月所處未得詳審 但随聞之時記載於茲
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],作者:山部赤人,古歌,伝誦,動物,枕詞
#[訓異]
#[大意]
#{語釈]
野づかさ 山の麓の小高い所
20/4316H01高圓の宮の裾廻の野づかさに今咲けるらむをみなへしはも

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3916
#[題詞]十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首
#[原文]橘乃 尓保敝流香可聞 保登等藝須 奈久欲乃雨尓 宇都路比奴良牟
#[訓読]橘のにほへる香かも霍公鳥鳴く夜の雨にうつろひぬらむ
#[仮名],たちばなの,にほへるかかも,ほととぎす,なくよのあめに,うつろひぬらむ
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,動物,悲嘆,独詠,奈良
#[訓異]
#[大意]橘の美しく咲いている香りが、霍公鳥の鳴く夜の雨に散ってしまうのだろうか。
#{語釈]
獨居 宮廷から離れている様子。七夕歌(3900)と同じ心情

#[説明]
天平16年閏1月11日難波宮行幸
13日安積皇子薨去 2月、3月安積皇子挽歌
2月24日紫香楽宮行幸
7月 8日難波宮還御

#[関連論文]


#[番号]17/3917
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]保登等藝須 夜音奈都可思 安美指者 花者須<具>登毛 可礼受加奈可牟
#[訓読]霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
#[仮名],ほととぎす,よごゑなつかし,あみささば,はなはすぐとも,かれずかなかむ
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]登等 [元] 等登 / 久 -> 具 [元][類][紀][細]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,動物,独詠,奈良
#[訓異]
#[大意]霍公鳥の夜に鳴く声に心引かれる。網を張ったら花は散り過ぎるとしても霍公鳥は離れないで鳴くことだろうか
#{語釈]
網ささば 網を張って囲んでおく

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3918
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]橘乃 尓保敝流苑尓 保登等藝須 鳴等比登都具 安美佐散麻之乎
#[訓読]橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
#[仮名],たちばなの,にほへるそのに,ほととぎす,なくとひとつぐ,あみささましを
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,動物,独詠,奈良
#[訓異]
#[大意]橘の咲いている庭園に霍公鳥が鳴いていると人が教えてくれる。網を張っておこうものを
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3919
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]青丹余之 奈良能美夜古波 布里奴礼登 毛等保登等藝須 不鳴安良<奈>久尓
#[訓読]あをによし奈良の都は古りぬれどもと霍公鳥鳴かずあらなくに
#[仮名],あをによし,ならのみやこは,ふりぬれど,もとほととぎす,なかずあらなくに
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]<> -> 奈 [代匠記初稿本]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,地名,奈良,動物,独詠,懐古
#[訓異]
#[大意]あをよによし奈良の都は古くなってしまったけれども、もとからいた霍公鳥は鳴かないではあらないことなのに
#{語釈]
鳴かずあらなくに 古くはなってもやって来て鳴いてくれるものなのに

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3920
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]鶉鳴 布流之登比等波 於毛敝礼騰 花橘乃 尓保敷許乃屋度
#[訓読]鶉鳴く古しと人は思へれど花橘のにほふこの宿
#[仮名],うづらなく,ふるしとひとは,おもへれど,はなたちばなの,にほふこのやど
#[左注](右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,動物,枕詞,奈良,植物,懐古
#[訓異]
#[大意]鶉が鳴く古い所だと人は思うが、花橘の咲き薫るこの家であるよ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3921
#[題詞](十六年四月五日獨居平城故宅作歌六首)
#[原文]加吉都播多 衣尓須里都氣 麻須良雄乃 服曽比猟須流 月者伎尓家里
#[訓読]かきつばた衣に摺り付け大夫の着襲ひ猟する月は来にけり
#[仮名],かきつばた,きぬにすりつけ,ますらをの,きそひかりする,つきはきにけり
#[左注]右六首歌者天平十六年四月五日獨居於平城故郷舊宅大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平16年4月5日,年紀,作者:大伴家持,植物,奈良
#[訓異]
#[大意]かきつばたを衣に擦りつけてますらをが着飾って猟をする月がやって来たことだ
#{語釈]
かきつばた 5月の花
着襲ひ 着飾る

#[説明]
安積皇子との猟を思い出したもの
懐旧から、未来へという心情の変化を示した歌の配列

#[関連論文]


#[番号]17/3922
#[題詞]天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌 / 左大臣橘宿祢應詔歌一首
#[原文]布流由吉乃 之路髪麻泥尓 大皇尓 都可倍麻都礼婆 貴久母安流香
#[訓読]降る雪の白髪までに大君に仕へまつれば貴くもあるか
#[仮名],ふるゆきの,しろかみまでに,おほきみに,つかへまつれば,たふとくもあるか
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]天平十八 [元] 十八 / 諸臣 [元] 諸 / 卿等 [元] 卿 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:橘諸兄,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,大君讃美,応詔
#[訓異]
#[大意]降る雪のような白髪まで大君に仕え申し上げると貴いことでもあるよ
#{語釈]
天平十八年正月白雪多に零りて地に積もること數寸なり。時に、左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣及び諸王諸臣等を率て、太上天皇の御在所[中宮の西院]に参り入り、供(つか)へ奉(まつ)りて雪を掃く。是に詔を降し、大臣参議并せて諸王は大殿の上に侍らしめ、諸卿大夫は南の細殿に侍らしめて、則ち酒を賜ひ肆宴(とよのあかり)したまふ。勅して曰はく、「汝(いまし)諸王卿たち、聊(いささ)かに此の雪を賦して各(おのもおのも)其の歌を奏(まを)せ」とのりたまふ。

続日本紀 十八年春正月癸丑朔、廢朝 この雪と関係あるか。

左大臣橘卿 橘諸兄  敏達天皇六世の孫、美努王と県犬養橘三千代との子
           天平十五年五月五日左大臣 天平勝宝八年二月二日致仕
           天平勝宝9年一月六日薨去 七十四歳
           この時は、六十三歳
      卿は三位以上の敬称

藤原豊成朝臣 南家武智麻呂の子 仲麻呂の兄 時に従三位 四十三歳
       姓を名前の下に置くのは敬称

太上天皇 元正太上天皇
中宮  皇后、皇太后、太皇太后の総称。聖武天皇の生母、藤原宮子、光明皇后、元正太上天皇も日常起居の場としていたか。

卿大夫  卿は三位以上、大夫は四位、五位の称
南の細殿 西院は、西側の正殿。南に続く廊下。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3923
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 紀朝臣清人應詔歌一首
#[原文]天下 須泥尓於保比氐 布流雪乃 比加里乎見礼婆 多敷刀久母安流香
#[訓読]天の下すでに覆ひて降る雪の光りを見れば貴くもあるか
#[仮名],あめのした,すでにおほひて,ふるゆきの,ひかりをみれば,たふとくもあるか
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:紀清人,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]天の下をすっかり覆って降る雪の照り輝いているのを見ると貴いことである
#{語釈]
すでに すっかり あまねく
雪の光 雪が日に照り映えている様子
    雪の光を天皇の恩光になぞらえたもの

紀朝臣清人 従四位下治部大輔文章博士 天平勝宝五年七月十一日卒
    姓を名の上に記している。四位以上は尊称法で記すがここではそうなっていない(卑称法)。家持が記載した時点で同等あるいは下の位だったか。
      南細殿の人であるので、大殿と区別したか。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3924
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 紀朝臣男梶應詔歌一首
#[原文]山乃可比 曽許登母見延受 乎登都日毛 昨日毛今日毛 由吉能布礼々<婆>
#[訓読]山の狭そことも見えず一昨日も昨日も今日も雪の降れれば
#[仮名],やまのかひ,そこともみえず,をとつひも,きのふもけふも,ゆきのふれれば
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]波 -> 婆 [元][類][温]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:紀男梶,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]山の谷間がそこだとも見えない。一昨日も昨日も今日も雪が降っているので。
#{語釈]
紀朝臣男梶 従五位下弾正弼(だんじょうのすけ)。四月十一日太宰少弐

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3925
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 葛井連諸會應詔歌一首
#[原文]新 年乃婆自米尓 豊乃登之 思流須登奈良思 雪能敷礼流波
#[訓読]新しき年の初めに豊の年しるすとならし雪の降れるは
#[仮名],あらたしき,としのはじめに,とよのとし,しるすとならし,ゆきのふれるは
#[左注](藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也)
#[校異]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:葛井諸会,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]新しい年の始めに豊かな年の予兆を示すというらしい。雪が降っているのは
#{語釈]
豊の年 文選 謝恵連 雪賦「尺に盈(み)つれば則ち瑞を豊年に呈(あら)はし」
    中国的か。日本古来も雪は豊年を示す予宿という見方がある。

葛井連諸會 外従五位下  十九年四月二十二日相模守

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3926
#[題詞](天平十八年正月白雪多零積地數寸也 於時左大臣橘卿率大納言藤原豊成朝臣及諸王諸臣等参入太上天皇御在所 [中宮西院]供奉掃雪 於是降詔大臣参議并諸王者令侍于大殿上諸卿大夫者令侍于南細殿 而則賜酒肆宴勅曰汝諸王卿等聊賦此雪各奏其歌) / 大伴宿祢家持應詔歌一首
#[原文]大宮<能> 宇知尓毛刀尓毛 比賀流麻泥 零<流>白雪 見礼杼安可奴香聞
#[訓読]大宮の内にも外にも光るまで降れる白雪見れど飽かぬかも
#[仮名],おほみやの,うちにもとにも,ひかるまで,ふれるしらゆき,みれどあかぬかも
#[左注]藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 應詔作歌依次奏之 登時不記其歌漏失 但秦忌寸朝元者 左大臣橘卿謔云 靡堪賦歌以麝贖之 因此黙已也
#[校異]之 -> 能 [元][類] / 須 -> 流 [類] / 養 [元] 飼 / 山 -> 小 [元]
#[鄣W],天平18年1月,年紀,作者:大伴家持,肆宴,宴席,奈良,宮廷,寿歌,応詔
#[訓異]
#[大意]大宮の内にも外にも光るまで降っている白雪を見ても見飽きることはない
#{語釈]
藤原豊成朝臣 / 巨勢奈弖麻呂朝臣 / 大伴牛養宿祢 / 藤原仲麻呂朝臣 / 三原王 / 智奴王 / 船王 / 邑知王 / <小>田王 / 林王 / 穂積朝臣老 / 小田朝臣諸人 / 小野朝臣綱手 / 高橋朝臣國足 / 太朝臣徳太理 / 高丘連河内 / 秦忌寸朝元 / 楢原造東人 / 右件王卿等 詔に應(こた)へて歌を作り、次(つぎて)に依りて奏す。登(そ)の時に記さずして、其の歌漏れ失せたり。但し、秦忌寸朝元は、左大臣橘卿謔(たはぶ)れて云く、歌を賦するに堪へずは、麝を以て之を贖(あがな)へといふ。此れに因りて黙(もだ)してやみぬ。

巨勢奈弖麻呂朝臣 巨勢比等の子 従三位中納言 七十七歳
         天平二十一年四月一日従二位大納言
         天平勝宝五年三月三十日薨去

大伴牛養宿祢 大伴負吹の子  家持の祖父安麻呂の従弟
       従三位参議 天平二十一年四月一日正三位中納言
       同年閏五月二十九日薨去

藤原仲麻呂朝臣 武智麻呂の子。豊成の弟 正四位上参議  四十一歳
        天平宝字四年一月四日従一位太師(太政大臣)
            六年二月二日 正一位
        天平宝字八年九月 謀反。近江勝野で斬殺。五十九歳

三原王 天武天皇の子舎人親王の子。従四位上 治部卿
     天平二十年二月十九日従三位
     天平勝宝四年七月十日 正三位中務卿 薨去

智奴王 舎人親王の兄。長皇子の子 正四位下 五十四歳
     文室真人智奴 文屋真人浄三 と改名
     天平宝字八年致仕  宝亀元年十月九日従二位 薨去 七十八歳
     亡妻追善の為に薬師寺の仏足石を作る

船王 舎人親王の子 従四位上 天平宝字八年九月仲麻呂の乱に連座。隠岐に配流。

邑知王 長皇子の子。従四位下 四十三歳。文屋真人大市と改名。
     宝亀十一年十一月二十八日 正二位で薨去 七十七歳

<小>田王 系譜未詳  従五位下  二十二日従五位上

林王  系譜未詳 従五位下  ここまでが大殿にいた人たち

穂積朝臣老 ここから卑称法になる。南細殿の人たち
     正五位上  養老六年元正天皇を批判した罪で佐渡配流
     天平勝宝元年八月二十六日薨去

小田朝臣諸人 代匠紀精選 小田は小治田の誤りか
       外従五位下

小野朝臣綱手 外従五位下  四月二十二日従五位下
高橋朝臣國足  外従五位下 四月二十二日従五位下 閏九月十日越後守
太朝臣徳太理 外従五位下 四月二十二日従五位下
高丘連河内 百済系渡来人 東宮侍講  外従五位下  大学頭
秦忌寸朝元 僧弁正の子  外従五位下  天平五年遣唐使で鍍唐
楢原造東人 外従五位下 儒家 大学頭兼博士

登(そ)の時に記さずして、原因不明 書記官が記録しなかった
             歌であるので記録していない

麝 麝香のこと

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3927
#[題詞]大伴宿祢家持以天平十八年閏七月被任越中國守 即取七月赴任所於時 姑大伴氏坂上郎女贈家持歌二首
#[原文]久佐麻久良 多妣由久吉美乎 佐伎久安礼等 伊波比倍須恵都 安我登許能敝尓
#[訓読]草枕旅行く君を幸くあれと斎瓮据ゑつ我が床の辺に
#[仮名],くさまくら,たびゆくきみを,さきくあれと,いはひへすゑつ,あがとこのへに
#[左注]
#[校異]天平十八年閏 [元] 閏
#[鄣W],天平18年閏7月,年紀,作者:坂上郎女,贈答,枕詞,出発,羈旅,女歌,神祭り,大伴家持
#[訓異]
#[大意]草枕、旅に行くあなたを無事でいるようにと思って斎瓮を据えた。私の床のあたりに
#{語釈]
大伴宿祢家持、天平十八年閏七月を以て、越中の國の守に任けらゆ。即ち七月を取りて任所に赴く。時に、姑大伴氏坂上郎女、家持に贈る歌二首

天平十八年閏七月 続日本紀 家持越中守任官 六月二十一日
天平十八年の閏月は九月
代匠記「閏は衍文」
新考、全註釈「閏七月は六月の誤写」
古義、全釈、大系「閏七月は夏六月の誤写。続紀には家持は六月の任官とあり、閏は九月である」
注釈 全注「目録には同とある。同を閏に誤写した」
伊藤博 秋七月とあるのが自然

即取七月 代匠記 伊藤博 全注「若しくは七日を写し誤りて七月となせる歟」
全注「家持の記憶の中で七月という観念が固定していたので、任命日とは無関係に書いた。そして七月は七日の誤写。」
大系「取は、以の誤写」
全集、全注「取は、日取りを選び取る意で書いた和風的表現」
同じ七月に任命され、七日を選んで出発した。
伊藤博 七日は七夕節句の吉日。

斎瓮据ゑつ 清浄にした神酒を入れる瓶 先がとがっている
03/0379H02しらか付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を

あがとこのへに 逢いたく思う場合、床の辺に祭ることがあった
20/4331H10帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3928
#[題詞](大伴宿祢家持以天平十八年閏七月被任越中國守 即取七月赴任所於時 姑大伴氏坂上郎女贈家持歌二首)
#[原文]伊麻能<其>等 古非之久伎美我 於毛保要婆 伊可尓加母世牟 須流須邊乃奈左
#[訓読]今のごと恋しく君が思ほえばいかにかもせむするすべのなさ
#[仮名],いまのごと,こひしくきみが,おもほえば,いかにかもせむ,するすべのなさ
#[左注]
#[校異]去 -> 其 [元][紀][細][温]
#[鄣W],天平18年閏7月,年紀,作者:坂上郎女,贈答,出発,羈旅,女歌,悲別,大伴家持
#[訓異]
#[大意]今のように恋しくあなたが思われてしかたがないならば、どうすればよいでしょうか。どうにもする方法がないことです。
#{語釈]
思ほえば 「思ほゆ」の未然形 思は+ゆ -> 思ほゆ 下二段活用

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3929
#[題詞]更贈越中國歌二首
#[原文]多妣尓伊仁思 吉美志毛都藝氐 伊米尓美由 安我加多孤悲乃 思氣家礼婆可聞
#[訓読]旅に去にし君しも継ぎて夢に見ゆ我が片恋の繁ければかも
#[仮名],たびにいにし,きみしもつぎて,いめにみゆ,あがかたこひの,しげければかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:坂上郎女,贈答,大伴家持,羈旅,悲別,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]旅に行ったあなたが続いて夢に見える。私の片恋いが繁くあるからでしょうか。
#{語釈]

#[説明]
相手の魂が会いに来るという古い型。
04/0744H01夕さらば屋戸開け設けて我れ待たむ夢に相見に来むといふ人を
12/3117H01門立てて戸も閉したるをいづくゆか妹が入り来て夢に見えつる
郎女は、自分の魂があくがれ出るという考え方。

#[関連論文]


#[番号]17/3930
#[題詞](更贈越中國歌二首)
#[原文]美知乃奈加 久尓都美可未波 多妣由伎母 之思良奴伎美乎 米具美多麻波奈
#[訓読]道の中国つみ神は旅行きもし知らぬ君を恵みたまはな
#[仮名],みちのなか,くにつみかみは,たびゆきも,ししらぬきみを,めぐみたまはな
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],作者:坂上郎女,贈答,羈旅,悲別,手向け,大伴家持,女歌
#[訓異]
#[大意]道の中の国つ御神は旅行することも知らないあなたをお恵み(お守り)ください。
#{語釈]
道の中 越中の国 越前、中、後の真ん中の意
代匠記「かくは云へども此は越中に限らず、只道中にまします神たちを云へし」

国つ御神 天つ御神に対する国土の神霊
01/0033H01楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも

旅行きもし知らぬ 「し」動詞「す」の連用形
旅行することも知らない


#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3931
#[題詞]平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首
#[原文]吉美尓餘里 吾名波須泥尓 多都多山 絶多流孤悲乃 之氣吉許呂可母
#[訓読]君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
#[仮名],きみにより,わがなはすでに,たつたやま,たえたるこひの,しげきころかも
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,地名,奈良,掛詞,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]あなたのために自分の名は全く立田山のように立ってしまった。その立田山の絶えた恋が盛んに現れているこの頃である。
#{語釈]
平群氏女郎 伝未詳 万葉集中の作歌はこの箇所のみ

右件の十二首の歌は、時々に便使に寄せて来贈(おこ)せたり。一度に送る所にあらず。
君により 原因とすること
04/0557H01大船を漕ぎの進みに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては

我が名はすでに すでに すっかり 全く
時代別 すでに、とうとう、あることがらが期待や危惧を経て実現に至ったことを表す
全釈「この歌では後世の早くもという意に解することも出来る。否其の法が寧ろ当たっているやうに見える。この頃早く この用法が行われていたのであろう。」
注釈「万葉の例はいづれもすっかりとか悉くとかいう意味で解くことも出来るとすれば、そう解いてもよく、しかも「すっかり」とか「悉く」とかいう言葉のうちに結果として「尽くした」とか「してしまった」とかいう気持ちが含まれることになれば今日われわれが用いる「既に」に移ることが認められようと思う」

龍田山 奈良県生駒郡三郷町立野 立田山

-------------- 絶つ
君により我が名はすでに龍田山絶えたる恋の繁きころかも
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
立つ

------------------------------ 立つ(序)
01/0083H01海の底沖つ白波龍田山いつか越えなむ妹があたり見む
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
実名
------------------ ------------------------
古今集 あふ事は雲居遙かになる神の音のみ聞きて恋い渡るかも
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

掛詞の原型 立田山 平群氏と何らかの関連

絶えたる 注釈 新考「タチタル」 恋を絶った


#[説明]
名が立つ
11/2524H01我が背子に直に逢はばこそ名は立ため言の通ひに何かそこゆゑ
11/2697H01妹が名も我が名も立たば惜しみこそ富士の高嶺の燃えつつわたれ

#[関連論文]


#[番号]17/3932
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]須麻比等乃 海邊都祢佐良受 夜久之保能 可良吉戀乎母 安礼波須流香物
#[訓読]須磨人の海辺常去らず焼く塩の辛き恋をも我れはするかも
#[仮名],すまひとの,うみへつねさらず,やくしほの,からきこひをも,あれはするかも
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,序詞,贈答,大伴家持,恋情,地名,兵庫,女歌
#[訓異]
#[大意]須磨人が海辺を常に離れないで焼く塩のように辛い恋を自分はすることである。
#{語釈]
須磨人
03/0413H01須磨の海女の塩焼き衣の藤衣間遠にしあればいまだ着なれず
06/0947H01須磨の海女の塩焼き衣の慣れなばか一日も君を忘れて思はむ
宴席歌と羈旅歌 他にこの二例 歌枕的に用いられている。

海辺常去らず 常に去らず いつも移動しない

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3933
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]阿里佐利底 能知毛相牟等 於母倍許曽 都由能伊乃知母 都藝都追和多礼
#[訓読]ありさりて後も逢はむと思へこそ露の命も継ぎつつ渡れ
#[仮名],ありさりて,のちもあはむと,おもへこそ,つゆのいのちも,つぎつつわたれ
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,怨恨,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]こうして今の状態でいるので(今は逢えないにしても)後であっても逢おうと思えばこそ、露の如きはかない命も継いで生き長らえているのです。
#{語釈]
ありさりて ずっとそのままの状態で過ごす 逢えない状態を指す
04/0790H01春風の音にし出なばありさりて今ならずとも君がまにまに

思へこそ 思へ(ば)こそ

#[説明]
類歌
04/0739H01後瀬山後も逢はむと思へこそ死ぬべきものを今日までも生けれ
12/2868H01恋ひつつも後も逢はむと思へこそおのが命を長く欲りすれ
12/2904H01恋ひ恋ひて後も逢はむと慰もる心しなくは生きてあらめやも

#[関連論文]


#[番号]17/3934
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]奈加奈可尓 之奈婆夜須家牟 伎美我目乎 美受比佐奈良婆 須敝奈可流倍思
#[訓読]なかなかに死なば安けむ君が目を見ず久ならばすべなかるべし
#[仮名],なかなかに,しなばやすけむ,きみがめを,みずひさならば,すべなかるべし
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]かえって死ぬならば安らかでしょう。あなたの目を見ないで久しくなったならばいたし方がないでしょう。
#{語釈]
なかなかに 中途半端に かえって なまじっか

安けむ 安け 形容詞未然形 上代特有 派生語 安けし

目を見る
04/0766H01道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り
06/0942H01あぢさはふ 妹が目離れて 敷栲の 枕もまかず 桜皮巻き 作れる船に
10/1932H01春雨のやまず降る降る我が恋ふる人の目すらを相見せなくに

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3935
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]許母利奴能 之多由孤悲安麻里 志良奈美能 伊知之路久伊泥奴 比登乃師流倍久
#[訓読]隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
#[仮名],こもりぬの,したゆこひあまり,しらなみの,いちしろくいでぬ,ひとのしるべく
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,枕詞,人目,うわさ,女歌
#[訓異]
#[大意]隠り沼のように心の底での恋があふれ出て、白波のようにはっきりと現れてしまった。人が知るまでに。
#{語釈]
隠り沼 枕詞 水の出口のない沼 下ゆにかかる
白波の 枕詞 目立つ存在として次句にかかる

#[説明]
同歌
12/3023H01隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
全注 古歌は共有の財産というべきもので、古歌をそのまま借りて自己の心情を家持に訴えた。

#[関連論文]


#[番号]17/3936
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]久佐麻久良 多妣尓之婆々々 可久能未也 伎美乎夜利都追 安我孤悲乎良牟
#[訓読]草枕旅にしばしばかくのみや君を遣りつつ我が恋ひ居らむ
#[仮名],くさまくら,たびにしばしば,かくのみや,きみをやりつつ,あがこひをらむ
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,枕詞,贈答,悲別,恋情,大伴家持,女歌
#[訓異]
#[大意]草枕、旅にしばしばあなたをお出しして、このように私は恋い思っているのでしょうか。
#{語釈]
旅にしばしば 「君を遣りつつ」にかかる。越中任官。その他過去の都から離れたこと。聖武西国行幸、久邇京や難波京に行ったことを「旅」というか。しかしそれだと女郎との交際はかなり以前からということになる。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3937
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]草枕 多妣伊尓之伎美我 可敝里許牟 月日乎之良牟 須邊能思良難久
#[訓読]草枕旅去にし君が帰り来む月日を知らむすべの知らなく
#[仮名],くさまくら,たびいにしきみが,かへりこむ,つきひをしらむ,すべのしらなく
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,悲別,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]草枕、旅に行ってしまわれたあなたが帰って来る月日を知ろうにも方法を知らないことだ。
#{語釈]
去にし 行ってしまった

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3938
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]可久能未也 安我故非乎浪牟 奴婆多麻能 欲流乃比毛太尓 登吉佐氣受之氐
#[訓読]かくのみや我が恋ひ居らむぬばたまの夜の紐だに解き放けずして
#[仮名],かくのみや,あがこひをらむ,ぬばたまの,よるのひもだに,ときさけずして
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,枕詞,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]このようにばかり私は恋い続けていることでしょうか。夜の着物の紐さえも解き放たないで。
#{語釈]
夜の紐だに 夜の衣服の紐 うち解けてくつろいだ気持ちもなくの意
09/1787H02布留の里に 紐解かず 丸寝をすれば 我が着たる 衣はなれぬ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3939
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]佐刀知加久 伎美我奈里那婆 古非米也等 母登奈於毛比此 安連曽久夜思伎
#[訓読]里近く君がなりなば恋ひめやともとな思ひし我れぞ悔しき
#[仮名],さとちかく,きみがなりなば,こひめやと,もとなおもひし,あれぞくやしき
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,悲別,女歌
#[訓異]
#[大意]私の里に近くあなたがなったのならば、恋うことがあろうかといたづらに思っていた私は悔しいことである。
#{語釈]
里近く 作者は平群郡に住んでいる
都が奈良に戻ってきた時期。天平十六年頃か。
窪田評釈「奈良の里」全注「女郎がどこに住んでいたかは不明であり、必ずしも本郷とは限らないと思われるので、この里は奈良でよいだろう。」

もとな いたづらに やたらに
02/0230H04我れに語らく なにしかも もとなとぶらふ 聞けば 哭のみし泣かゆ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3940
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]餘呂豆代尓 許己呂波刀氣氐 和我世古我 都美之<手>見都追 志乃備加祢都母
#[訓読]万代に心は解けて我が背子が捻みし手見つつ忍びかねつも
#[仮名],よろづよに,こころはとけて,わがせこが,つみしてみつつ,しのびかねつも
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]尓 [元] 等 / 乎 -> 手 [元]
#[鄣W],作者:平群女郎,贈答,大伴家持,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]いつまでも心はうち解けてわが背子がつねった手を見ながら思いに堪えかねたことだ。
#{語釈]
万代に心は解けて いつまでも心は打ち解けて

捻みし手 つねった手 全註釈「本集には珍しいきわどい句」
注釈「静かにつまむ」
全注「うちとけ合った男女の間のたわむれから、家持が女郎の手の甲を軽くつねったのである」
中西進「取り上げる」かつて恋人に取られた手を見ている。

しのび こらえる 堪える 下二段活用

#[説明]
全注「つみし手見つつ」は特殊な感覚的とらえ方であるが、家持の愛情表現のしぐさとして、女郎にはきわめて韻書上笇きで忘れがたかったのである。その手をしみじみと見ながら、その時の家持の言動のすべてがまざまざとよみがえってきて、恋しさに堪えきれない気持ちになったのである。」

#[関連論文]


#[番号]17/3941
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]鴬能 奈久々良多尓々 宇知波米氐 夜氣波之奴等母 伎美乎之麻多武
#[訓読]鴬の鳴くくら谷にうちはめて焼けは死ぬとも君をし待たむ
#[仮名],うぐひすの,なくくらたにに,うちはめて,やけはしぬとも,きみをしまたむ
#[左注](右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也)
#[校異]
#[鄣W],作者:平群女郎,動物,贈答,大伴家持,恋情,女歌
#[訓異]
#[大意]鶯の鳴く険しい深い谷に身を投げ入れて焼け死んだとしてもあなたを待ちましょう。
#{語釈]
くら谷 立山 岩峅(いわくら)寺 爼嵓(まないたぐら) 高くそそり立つ岸壁
岸壁に囲まれた深い谷

うちはめて うち 接頭語 嵌める 投げ入れる

焼けは死ぬとも 全註釈「火山の地獄などを想像しているのであろう。作者は多分実際にそれを見て知っているのではなく、人言に聞いて想像しているのであろう。」

中西進 焦熱地獄などを想像しているか。愛欲地獄

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3942
#[題詞](平群氏女郎贈越中守大伴宿祢家持歌十二首)
#[原文]麻都能波奈 花可受尓之毛 和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追
#[訓読]松の花花数にしも我が背子が思へらなくにもとな咲きつつ
#[仮名],まつのはな,はなかずにしも,わがせこが,おもへらなくに,もとなさきつつ
#[左注]右件十二首歌者時々寄便使来贈非在<一>度所送也
#[校異]十二首歌 [元] 歌 / <> -> 一 [西(右書)][元][紀][細]
#[鄣W],作者:平群女郎,植物,贈答,恋情,怨恨,大伴家持,女歌
#[訓異]
#[大意]松の花は花の数の中ともあなたは思っていないのにいたづらに咲いています。
#{語釈]
松の花 目立たない存在であり、自分に譬えた。

数 他のものと同列に取り上げて数える価値のあるもの。否定を伴って使われる。
04/0672H01しつたまき数にもあらぬ命もて何かここだく我が恋ひわたる
11/2433H01水の上に数書くごとき我が命妹に逢はむとうけひつるかも
15/3727H01塵泥の数にもあらぬ我れゆゑに思ひわぶらむ妹がかなしさ
17/3963H01世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば
20/4468H01うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな

思へらなくに 思へ(已然) ら(完了未然) な(打ち消し)

左注 全注「最後の二首を天平一九年春としてよいならば、ほぼ八ヶ月の作となる。それを後年一括してこの位置に据えたのは、女郎との交際を越中赴任以前のものとする意識が家持に働いていたからであろう。」

#[説明]
中西進「内容的に四群に分けられる。はじめの五首(3931-3935)が第一群。第二群にあたらるのが次の三首(3936-3938)。さらに次の二首(3939、3940)が第三群、最後の二首(3941、3942)が第四群となるが、第三群と第四群は似ているので、ひとまとまりとして考えると三つのグループに分けられる。

四首づつ三回に分けられるか。
(1)越中赴任を知って別れを悲しむ 起承転結の四首構成
(2)後に残って恋い思う気持ちを歌う。
(3)待っている気持ちを歌う

中西進 釋注(伊藤博)
第一群 恋のつらさ
起承転結の構成。いったん断ち切った恋心が激しく燃え上がったこのごろであることをまず述べ、承けて、その恋が焼く塩のような辛い思いであるという。そして第三首では、転じて、そういう恋をしながらも、のちのち逢えることに露の命を繋いでいるとうたい、最後は、前歌の下二句を承けながら、これから長い月日、待つことにはとうてい堪えられないであろうから、いっそしんでしまいたいと、再燃した恋の極限の心情を述べて結んでいる。
前二首は、寄物陳思、後二首は正述心緒
第二群 待つ歌
古歌そのものに自分の気持ちを託し、みずからの立場に基づきみずからの言葉でうたい、第一首の古歌の心情を敷衍している。
第三群 回想
流下型四首構成。前二首が正述心緒による回想。後二首が寄物陳思による待つ心の叙述。
三回にわたって家持のもとに贈ってきた。しかし統一と体系のあるのは何故か。
女郎は体系を意図して詠んだ。
手控えを作ってから浄書したものを家持に贈った。次回の贈歌も必ず以前の控えの歌を考慮しながら詠める。
この点で、平群氏女郎や笠女郎の歌が、家持との実際の関係の様相を示すと見るのは素朴にすぎ、危険でさえある。片恋の苦悶が見事な体系の中に筋立てをもって託されているだけに、彼女たちと家持との関係は、むしろ逆に、かの紀女郎と家持との関係にも似る。心許す知友の間柄であったと推測される。
そのような風雅を楽しみあう間柄であるから、一つの大きな集団としてまとまりを見せてしまうと、贈歌はうち切られてしまう。そしてそのような場合は、女たちは家持からの「返歌」を期待していない。本気になって返されると、文雅を楽しむ男女のあいだでは、事がかえってゆがんでしまう。そして事実、それらに対する家持の真向かいの返歌はない。
右に推測したような状態で歌を贈る場合、女たちは、家持およびその周囲の人々を享受層として意識しながら、連載物を綴るような心境で振る舞ったことが想像される。
三つの歌群が贈られた具体的な年月はわからない。天平十九年五月税帳使として帰京した頃までに贈られていたのではないか。それが一連のものとして整理されたのは、前の坂上郎女の贈歌が整えられたと推定される、天平感宝元年四月二十日頃と見られる。

中西進「以上の贈歌は、家持の青春の終わりと越中の始まりとのつなぎのような性格を持つ。」

#[関連論文]


#[番号]17/3943
#[題詞]八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌
#[原文]秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物
#[訓読]秋の田の穂向き見がてり我が背子がふさ手折り来るをみなへしかも
#[仮名],あきのたの,ほむきみがてり,わがせこが,ふさたをりける,をみなへしかも
#[左注]右一首守大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,宴席,女歌,植物,恋愛
#[訓異]
#[大意]秋の田の穂の靡き具合を見たついでに、我が脊子がいっぱいに手折ってきた女郎花であることだ。
#{語釈]
八月七日 天平十八年六月二十一日 家持越中守任官
七月赴任 (伊藤博 7月7日と推定)
館 越中国庁 高岡市伏木町古国府 勝興寺 館はその背後の丘陵地。
穂向き 稲穂の靡き具合。
見がてり 見がてら 見たついでに
田の作付けの視察。官人の役目。

ふさ手折りける ふさふさと手折る ふさやかに手折る 束にして手折る
大系 みんな手折る
全集 茎から手折る
注釈 たくさん、ゆたかに手折る
08/1549H01射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
09/1683H01妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
09/1704H01ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
13/3223H04我れはあれども 引き攀ぢて 枝もとををに ふさ手折り 我は持ちて行く

をみなへし 女郎花 オミナエシ科の多年生草本。秋の七草の一つ 集中14例

#[説明]
釋注 客の手土産(女郎花)に寄せて歓迎の意を示した、主人の挨拶歌である。直接の相手は大伴池主だが、その相手を「我が背子」と詠んだのは恋歌めかしたもので、女が待つ男を迎えるようにうたったところに、歓迎の気持ちがいっそう強くこもる。稲の出来ばえを見回るのは官人の仕事の一つ。その仕事のついでに女郎花を手折って来て下さったと言ったのは国守として労を謝す気持ちからのことであると同時に、何げなしに心をこめた手土産の風趣、相手の風雅の心やりに謝してのことであろう。女郎花は本日の宴の口火を切り、歌のありようを規定する素材となったわけで、重要な意味を持つ。

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#[番号]17/3944
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴
#[訓読]をみなへし咲きたる野辺を行き廻り君を思ひ出た廻り来ぬ
#[仮名],をみなへし,さきたるのへを,ゆきめぐり,きみをおもひで,たもとほりきぬ
#[左注](右三首掾大伴宿祢池主作)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,植物,恋愛,宴席,大伴家持
#[訓異]
#[大意]女郎花が咲いている野辺を行ったり来たりして、あなたを思いだして回り道をしてやって来たことだ。
#{語釈]
大伴池主 08/1590橘朝臣奈良麻呂結集宴歌十一首
越中において、交遊の中心
天平十九年七月頃に越前掾
20/4475廿三日集於式部少丞大伴宿祢池主之宅飲宴歌二首
天平宝字元年奈良麻呂の乱に連座。
大伴一族であろうが、系譜未詳
ただし 選叙令 凡そ国司の主典以上には、三等以上の親を用いること得じ。
とあるので、家持よりは三等以上離れている。

た廻り来ぬ
07/1256H01春霞井の上ゆ直に道はあれど君に逢はむとた廻り来も
08/1574H01雲の上に鳴くなる雁の遠けども君に逢はむとた廻り来つ

#[説明]
全注 家持が「秋の田の穂向き見がてり」と池主をほめて言ったのをまともに受けるのは照れくさいところから、そうではなく、女郎花を愛する風流のために延べを歩き回ってと答え、その風流は家持もよく解するものとして「君を思い出」と言っているのである。

全集 池主は戯れて恋の歌に似せてこう言ったもの

釋注 これは、主人家持の歌に直接応じたもので、恋歌仕立てのもと、女の立場でうたいかけてきたので、こちらは、「我が背子」に対して「君」と応じ、女の立場で受けたのである。女の立場であるので、家持の歌の趣からわざとずらしている。

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#[番号]17/3945
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]安吉能欲波 阿加登吉左牟之 思路多倍乃 妹之衣袖 伎牟餘之母我毛
#[訓読]秋の夜は暁寒し白栲の妹が衣手着むよしもがも
#[仮名],あきのよは,あかときさむし,しろたへの,いもがころもで,きむよしもがも
#[左注](右三首掾大伴宿祢池主作)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,枕詞,宴席,大伴家持,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]秋の夜は夜明けが寒い。白栲の妹の衣を着る手だてもあればなあ。
#{語釈]
白栲の妹が衣手 都の妻。或いは宴席に居る女性を指すか。

#[説明]
全注 秋も深まり、都に残してきた妻がひとしお恋しく思われ、わびしい気持ちになっていることを訴えた歌。
窪田評釈 自分の侘びしさをいうのが目的でなく、同じ状態でいる家持の侘びしさを察し、いたわり慰めようとの心からのものである。
自解 宴席での女性の勧誘歌

釋注 3943と3944とにおいて現地の物(女郎花)を讃えたのに対し、都に待つ妻への思いを述べたもの。池主歌においては、「妹」は池主の「妹」であるが、受ける家持は妻大嬢への思いを馳せることになる。

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#[番号]17/3946
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]保登等藝須 奈伎氐須疑尓之 乎加備可良 秋風吹奴 余之母安良奈久尓
#[訓読]霍公鳥鳴きて過ぎにし岡びから秋風吹きぬよしもあらなくに
#[仮名],ほととぎす,なきてすぎにし,をかびから,あきかぜふきぬ,よしもあらなくに
#[左注]右三首掾大伴宿祢池主作
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,動物,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]霍公鳥が鳴いて過ぎていった岡のあたりから秋風が吹いてきた。何の手だてもないのに。
#{語釈]
岡び 岡のあたりから
05/0838H01梅の花散り乱ひたる岡びには鴬鳴くも春かたまけて
よしもあらなくに 何のてだてかは説明していない。前歌から妹に会うてだてのことを言うか。

#[説明]
初夏の頃に霍公鳥が鳴いて過ぎていった同じ岡のあたりから、もう秋風が吹いてきたという季節の推移と侘びしさを言う。家持の越中守任官は六月中旬になるので、夏の間に霍公鳥の鳴くのを聞いているか。

釋注 あの子に長く逢っていないという哀感をこめるために持ち出した。

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#[番号]17/3947
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]家佐能安佐氣 秋風左牟之 登保都比等 加里我来鳴牟 等伎知可美香物
#[訓読]今朝の朝明秋風寒し遠つ人雁が来鳴かむ時近みかも
#[仮名],けさのあさけ,あきかぜさむし,とほつひと,かりがきなかむ,ときちかみかも
#[左注](右二首守大伴宿祢家持作)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,動物,宴席,枕詞,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]今朝の朝明けは秋風が寒い。遠い人である雁がやって来てなくであろう時が近いからであろうか。
#{語釈]
今朝の朝明
08/1513H01今朝の朝明雁が音聞きつ春日山もみちにけらし我が心痛し
08/1540H01今朝の朝明雁が音寒く聞きしなへ野辺の浅茅ぞ色づきにける

遠つ人 枕詞 雁は遠い北方からの渡り鳥であるのを人に見立てた。また雁信の使いの故事で、蘇武のことを想念しているか。

#[説明]
池主歌の「秋風」に対して、恋愛的旅愁をそらして、季節感だけで答えている。

釋注 遠くの人の音信を運ぶ鳥とされた雁を通して、都(妻)の消息を待つ心が託されている。

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#[番号]17/3948
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]安麻射加流 比奈尓月歴奴 之可礼登毛 由比氐之紐乎 登伎毛安氣奈久尓
#[訓読]天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
#[仮名],あまざかる,ひなにつきへぬ,しかれども,ゆひてしひもを,ときもあけなくに
#[左注]右二首守大伴宿祢家持作
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,恋愛,宴席,枕詞,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]天離れる田舎に来て月が経ったことだ。そうではあるが、妻が結んだ紐を解き開けもしないことだ。
#{語釈]
天離る 鄙の枕詞。都を天に見立てているか、都を中心にして天遠く離れているの意か。
月経ぬ 七月赴任であるので、一ヶ月経っている。
結ひてし紐
03/0251H01淡路の野島が崎の浜風に妹が結びし紐吹き返す
12/3144H01旅の夜の久しくなればさ丹つらふ紐解き放けず恋ふるこのころ
12/3145H01我妹子し我を偲ふらし草枕旅のまろ寝に下紐解けぬ

#[説明]
池主の歌を受けて、恋愛めいたことに答えている。
全注 旅のむなしさに同情しつつも、国守としての威厳を示して、謹直に身を保っていることを述べた歌である。宴席でこのように固苦しく表現した家持の真意がどこにあったのかわからない面も残る。

釋注 望郷の念を深めている。紐も解き放けず固く暮らしているにもかかわらず、妻はそれとも知らず不安な気持ちでいるのかもしれないという懸念を暗示している。

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#[番号]17/3949
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]安麻射加流 比奈尓安流和礼乎 宇多我多毛 比<母>登吉佐氣氐 於毛保須良米也
#[訓読]天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
#[仮名],あまざかる,ひなにあるわれを,うたがたも,ひもときさけて,おもほすらめや
#[左注]右一首掾大伴宿祢池主
#[校異]母毛 -> 母 [元][類][細][温]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴池主,枕詞,恋愛,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]天離る田舎にいる自分をかりそめにもうち解けてお思いになってはくださらないのでしょうね。
#{語釈]
うたがたも けっして かりそめにも
12/2896H01うたがたも言ひつつもあるか我れならば地には落ちず空に消なまし
15/3600H01離れ礒に立てるむろの木うたがたも久しき時を過ぎにけるかも
17/3949H01天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
17/3968H01鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも

紐解き放けて うち解けて 心を許して
思ほすらめや 「や」反語 お思いになっているでしょうか。そうではあるまいの意

#[説明]
私注 ワレヲは実は池主自身んことを言ふのではなく、座に侍する女性などの立場を、代わって歌ったのではないかと思ふ
全注 恋歌の形をとって戯れたのだと解しておく。
注釈 「思ほす」の主体を都の妻とする。田舎にいる私を、都の妻は、かりそめにも紐を解き放して、うち解けた心で思っているであろうか。そうではあるまい。
自解 越中の女性の立場で池主が詠んでいて、池主の家持に対する気持ちを歌う。

釋注 都の家持の妻大嬢の立場を述べた歌で、待つ人の法でも夫の心を信じきっているはずだと励ましている。

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#[番号]17/3950
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]伊敝尓之底 由比弖師比毛乎 登吉佐氣受 念意緒 多礼賀思良牟母
#[訓読]家にして結ひてし紐を解き放けず思ふ心を誰れか知らむも
#[仮名],いへにして,ゆひてしひもを,ときさけず,おもふこころを,たれかしらむも
#[左注]右一首守大伴宿祢家持作
#[校異]家持作 [元] 家持
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,恋愛,望郷,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]家にあって妻が結んだ紐を解き放たないで都の妻を思っている気持ちを誰が知ろうか。
#{語釈]
家にして結ひてし紐 都の妻が出発の時に結んだ紐
思ふ心 都の妻を思っている自分の気持ち

#[説明]
全注 池主の歌に答えたもので、池主が家持に対してあなたは紐解き放けてお思いになることをしないでしょう、といったのを、いや私が紐を解き放けず思うのはあなたではなく妻であって、その心は誰も知らないでしょう、と弁解するように応じたのであろう。従って、あなたに対しては十分うちとけてくつろいでいると言いたかったのだと思われる。それにしても三九四八の心をもう一度強調したような内容で、宴の歌としては固苦しい。

自解 池主の戯れに気分を害しているような口振り

釋注 この激励に感動して家持は和した。世間の誰もこの気持ちはわかってくれまい。しかし、この場のあなた方だけはわかっていてくれるのだという気持ちを言い表した歌。
池主の歌に端を発した望郷を主題とした歌は、ここで終了する。

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#[番号]17/3951
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之
#[訓読]ひぐらしの鳴きぬる時はをみなへし咲きたる野辺を行きつつ見べし
#[仮名],ひぐらしの,なきぬるときは,をみなへし,さきたるのへを,ゆきつつみべし
#[左注]右一首大目秦忌寸八千嶋
#[校異]大目 [類] 越中大目
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:秦八千島,宴席,植物,大伴家持,,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]ひぐらしの鳴いている時は女郎花が咲いている野辺を行きながら見るのがよいでしょう。
#{語釈]
ひぐらし かなかな蝉 夏から秋にかけて夜明けや夕暮れ時に鳴く
08/1479H01隠りのみ居ればいぶせみ慰むと出で立ち聞けば来鳴くひぐらし
10/1964H01黙もあらむ時も鳴かなむひぐらしの物思ふ時に鳴きつつもとな
10/1982H01ひぐらしは時と鳴けども片恋にたわや女我れは時わかず泣く
10/2157H01夕影に来鳴くひぐらしここだくも日ごとに聞けど飽かぬ声かも
10/2231H01萩の花咲きたる野辺にひぐらしの鳴くなるなへに秋の風吹く
15/3589H01夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてぞ我が来る妹が目を欲り
15/3620H01恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島蔭に廬りするかも
15/3655H01今よりは秋づきぬらしあしひきの山松蔭にひぐらし鳴きぬ

大目 国司の四等官 越中は上国であるので、目は一人。大目ということは、天平一三年一二月から越中に編入されているのとかんけいがあるか(全注)
続紀「宝亀六年三月 始めて越中、但馬、因幡、伯耆に大少の目の員を置く」 全注は、天平一八年には既にあったと言われているが、この部分が宝亀六年以降の記述である可能性もある。

秦忌寸八千嶋 伝未詳

#[説明]
全注 家持と池主のやりとりが固苦しくなっているのを引き取って、柔らかく二人に歌いかけ、紐についての問答を終わらせようとしたのであろう。・・このような歌い方ができた八千嶋は、おそらく家持や池主よりも年長であったと思われる。

自解 家持と池主のやりとりが殺伐となってきたのを和らげている。

釋注 宴の歌の流れを変えた。新しい素材(ひぐらし)を持ち出して、望郷の気持ちの深まりを現地への関心に引き戻した歌。この歌の女郎花には越中の女の意が託されている。

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#[番号]17/3952
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌) / 古歌一首[大原高安真人作] 年月不審 但随聞時記載茲焉
#[原文]伊毛我伊敝尓 伊久里能母里乃 藤花 伊麻許牟春<母> 都祢加久之見牟
#[訓読]妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
#[仮名],いもがいへに,いくりのもりの,ふぢのはな,いまこむはるも,つねかくしみむ
#[左注]右一首傳誦僧玄勝是也
#[校異]毛 -> 母 [元][類] / 加 [元](塙) 賀
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:玄勝,古歌,伝誦,大原高安,大伴家持,宴席,枕詞,恋愛,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]妹の家に行くという伊久里の社の藤の花よ。まためぐり来る春もいつもこのように見よう。
#{語釈]
大原高安真人 長皇子の孫 高安王。
和銅六年五月 従五位下
養老三年七月 伊予国守 阿波、讃岐、土佐の按察使
天平四年十月 衛門督
天平十一年四月 大原真人姓
十四年十二月 正四位下 卒
4/577題詞 旅人と交際があった。

妹が家に 「行く」から 伊久里の杜にかかる枕詞
伊久里の杜 所在未詳 富山県砺波郡井栗谷付近
代匠記「或者の語りしは、南京に十町許隔てていぐりと云神の社有と申き。若彼処にや。くもじも濁て申つれど、さる事は例あり」
考「式神名に越後国蒲原郡伊久禮神社有是ならん。契沖がイクリの神社ありと也といへるは歌の意どもも此宴席にてうたへるにも心づかぬ説にてわらふべし、且禮と理は通へば伊久里ともよむべし、又沼垂郡に美久里神社もあり」
地名辞書「越後南蒲原郡井栗 三条の東一里、丘陵の端なる低地に居る、八幡宮あり、村民之を式内蒲原郡伊久禮神社なりと伝ふ。明和年中に建てたる石碑あり、中に曰く『井栗村東端為藤樹丘、有藤樹神祠、而與并栗神祠隣焉、其藤最古』」
富田景周 楢葉越枝折「愚按には、砺波郡磐若郷に井栗谷村あれば、このほとりの林なるべし。今も藤ありて、歌詞と符すとなん。況八雲の御説に越中とみゆれば、いよよ越後となすは孟浪(らうがは)しきことなり」
森田柿園 万葉事実余情「藻塩草続松葉集等に伊久理社越中とあり、東大寺の所蔵天平神護三年五月七日越中国解に東大寺墾田砺波郡石栗庄(いくりのしょう)地壱百壱拾弐町と見え、東大寺要録巻六に載たる長徳四年の注文定にも越中国砺波郡石栗庄田百廿町とあり、其地は今同郡に井栗谷村と称する村落ありて此地辺を般若郷とす」「按に東大寺の所蔵天平宝字三年十一月十四日の文書に越中国砺波郡伊加流伎野地壱百町東山南利波臣志留志地西故大原真人麿地とある麿は続紀に天平十五年五月従六位上大原真人麿授従五位下とあれば高安真人の子なるべし、されば父高安このかた砺波郡伊久里の地は、所領なりし故に此領地にてよまれたる歌なるべし」
北陸万葉集古蹟研究(鴻巣盛広)「もし東大寺文書にある大原真人麿を大原真人高安と父子の関係として、万葉事実余情の如く考えるならば、この歌の作者は越中の石栗を領地として此処に通ったことも否定し難い。さうして僧玄勝(恐らく国分寺の僧であったろう)が、越中の地名を詠み込んだ歌を、新任の国守に歌って聞かせたとするのが妥当のように思われる。」

社 神の降臨する森

藤の花 釋注 万葉集中他に用例はない。通常雅語である「藤波」を用いる。

今来む春も やがてめぐり来る春も

玄勝 伝未詳 国分寺の僧か。

#[説明]
全注 季節に合わない歌であるが、前の歌のおみなえしに対し、春の藤で応じたもの。これまでの歌が都の妹をめぐる旅愁を中心に展開しているところから、折りに合った「妹が家に」行くと続く、気のきいた枕詞をもつ春の花の歌を思い出し、併せて全釈が「僧玄勝が越中の地名を詠み込んだ歌を、新任の国守に歌って聞かせたとするのが妥当のやうに思われる。」というような意図から披露したのであろう。

釋注 前歌を受けて越中の女性(現地)もまた佳なりとしてこの古歌を披露したもの。


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#[番号]17/3953
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]鴈我祢波 都可比尓許牟等 佐和久良武 秋風左無美 曽乃可波能倍尓
#[訓読]雁がねは使ひに来むと騒くらむ秋風寒みその川の上に
#[仮名],かりがねは,つかひにこむと,さわくらむ,あきかぜさむみ,そのかはのへに
#[左注](右二首守大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,動物,叙景,望郷,宴席,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]雁は使いに来ようと今頃騒いでいるであろう。秋風が寒いのでその川のほとりで。
#{語釈]
使ひに来むと 雁信の使いの故事を踏まえている。

その川の上に 代匠記「その河の辺とは、雁の住胡国の川辺なり」
雁が飛来する元の川。
釋注 都人の故郷である佐保の川べりに鳴く雁を妻の使者と見立てたもの。

#[説明]

#[関連論文]




#[番号]17/3954
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]馬並氐 伊射宇知由可奈 思夫多尓能 伎欲吉伊蘇<未>尓 与須流奈弥見尓
#[訓読]馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き礒廻に寄する波見に
#[仮名],うまなめて,いざうちゆかな,しぶたにの,きよきいそみに,よするなみみに
#[左注]右二首守大伴宿祢家持
#[校異]末 -> 未 [温]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:大伴家持,宴席,遊覧,地名,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]馬を連ねてさあ行こうよ。渋谿の清らかな磯のめぐりに寄せる波を見に。
#{語釈]
馬並めて 馬を連ねて 仲間同士で 官人としての意識
01/0004H01たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
01/0049H01日並の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ
03/0239H01やすみしし 我が大君 高照らす 我が日の御子の 馬並めて
06/0926H03夕狩に 鳥踏み立て 馬並めて 御狩ぞ立たす 春の茂野に
06/0948H04馬並めて 行かまし里を 待ちかてに 我がする春を かけまくも
07/1104H01馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
07/1148H01馬並めて今日我が見つる住吉の岸の埴生を万代に見む
09/1720H01馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
10/1859H01馬並めて多賀の山辺を白栲ににほはしたるは梅の花かも
10/2103H01秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に
17/3991H01もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて
19/4249H01石瀬野に秋萩しのぎ馬並めて初鷹猟だにせずや別れむ

打ち行かな 打ち 接頭語
実際に馬に鞭を打って行くの意

渋谿 富山県高岡市渋谷

#[説明]
全注 前の歌で「秋風寒み」と歌ったところから、巻十の
10/2103H01秋風は涼しくなりぬ馬並めていざ野に行かな萩の花見に
の歌を想起し、その発想を学んで即興的に歌ったものである。席上、渋谿の好景を語り聞かせるものがあって、興をそそられたのであろう。

釋注 望郷の念と現地讃美とを取り合わせる。

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#[番号]17/3955
#[題詞](八月七日夜集于守大伴宿祢家持舘宴歌)
#[原文]奴婆多麻乃 欲波布氣奴良之 多末久之氣 敷多我美夜麻尓 月加多夫伎奴
#[訓読]ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ
#[仮名],ぬばたまの,よはふけぬらし,たまくしげ,ふたがみやまに,つきかたぶきぬ
#[左注]右一首史生土師宿祢道良
#[校異]
#[鄣W],天平18年8月7日,年紀,作者:土師道良,宴席,地名,高岡,富山,大伴家持,枕詞,終宴,叙景
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの夜は更けたらしい。玉櫛笥の二上山に月が傾いたことだ。
#{語釈]
たまくしげ 二上山の枕詞 美しい櫛笥の蓋から続く。

二上山 富山県高岡市 氷見市 二上山 標高二七三メートルの雄岳と二五八メートルの雌岳に別れる。
国庁の西四キロほど。月の沈む方向。

史生 職員令 太政官「史生十人。掌繕写公文、行署文案」
上国 史生三人 四等官の目の下に位置する。

土師宿祢道良 伝未詳

#[説明]
中西進 宴のお開きの歌。

釋注 史生土師宿祢道良は、おそらく本日の宴の書記役、幹事役であったもので、それゆえにお開きの歌を歌ったのであろう。
この宴は、越中国守家持の挨拶、部下池主たちの歓迎という双方の目的が、融和のうちに成功を遂げた歌群であったことが知られるであろう。一三首に見られる心の結束は、越中国守家持の五年の生活の根城であったというべく、この結束をもとに家持越中時代の実りがあったとすれば、一つ一つの歌は平凡と見えながら、この宴は、越中歌壇の出発を告げる貴重な集まりだたということができよう。

#[関連論文]


#[番号]17/3956
#[題詞]大目秦忌寸八千嶋之館宴歌一首
#[原文]奈呉能安麻能 都里須流布祢波 伊麻許曽婆 敷奈太那宇知氐 安倍弖許藝泥米
#[訓読]奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め
#[仮名],なごのあまの,つりするふねは,いまこそば,ふなだなうちて,あへてこぎでめ
#[左注]右館之客屋居望蒼海 仍主人八千嶋作此歌也
#[校異]八千嶋作 [元][古] 作 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],作者:秦八千島,宴席,地名,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]奈呉の海人の釣りをする舟は、今こそは舟の棚を叩いて、強いて漕ぎ出しなさいよ。
#{語釈]
大目秦忌寸八千嶋 伝未詳 ->3951
奈呉 富山県新湊市 放生津の海岸
今こそば 「今こそは」と同じ
舟棚打ちて 舟棚 舟の左右の舷板 これのない小さな舟は棚無し小舟
01/0058H01いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟
打つ 略解 取り付ける
叩く 叩く理由 略解 魚を寄せ付ける
全釈 景気よく囃し立てる
総釈 威勢よく叩く
全註釈 音を立てて悪魔を払って出航する
あへて 強いて 強行する
左注 右、館の客屋は居ながらにして蒼海を望む。仍ち主人八千嶋、この歌を作る。
客屋 客室。普通は何面するが、海への眺望を考えて、北向きに作られていたか
八千嶋の館は、奈呉の海を見下ろす眺望のよい場所にあった。

#[説明]
伊藤博 前の家持の宴の後、翌日の朝方渋谷観望。その帰りに八千嶋の館に立ち寄って二次会をした。客をもてなす意味で、海人舟を配した好景を望んだもの。

#[関連論文]


#[番号]17/3957
#[題詞]哀傷長逝之弟歌一首[并短歌]
#[原文]安麻射加流 比奈乎佐米尓等 大王能 麻氣乃麻尓末尓 出而許之 和礼乎於久流登 青丹余之 奈良夜麻須疑氐 泉河 伎欲吉可波良尓 馬駐 和可礼之時尓 好去而 安礼可敝里許牟 平久 伊波比氐待登 可多良比氐 許之比乃伎波美 多麻保許能 道乎多騰保美 山河能 敝奈里氐安礼婆 孤悲之家口 氣奈我枳物能乎 見麻久保里 念間尓 多麻豆左能 使乃家礼婆 宇礼之美登 安我麻知刀敷尓 於餘豆礼能 多<波>許登等可毛 <波>之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之<波>安良牟乎 <波>太須酒吉 穂出秋乃 芽子花 尓保敝流屋戸乎 [言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 安佐尓波尓 伊泥多知奈良之 暮庭尓 敷美多比良氣受 佐保能宇知乃 里乎徃過 安之比紀乃 山能許奴礼尓 白雲尓 多知多奈妣久等 安礼尓都氣都流 [佐保山火葬 故謂之佐保乃宇知乃佐<刀>乎由吉須疑]
#[訓読]天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し 我れを送ると あをによし 奈良山過ぎて 泉川 清き河原に 馬留め 別れし時に ま幸くて 我れ帰り来む 平らけく 斎ひて待てと 語らひて 来し日の極み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば 恋しけく 日長きものを 見まく欲り 思ふ間に 玉梓の 使の来れば 嬉しみと 我が待ち問ふに およづれの たはこととかも はしきよし 汝弟の命 なにしかも 時しはあらむを はだすすき 穂に出づる秋の 萩の花 にほへる宿を [言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也] 朝庭に 出で立ち平し 夕庭に 踏み平げず 佐保の内の 里を行き過ぎ あしひきの 山の木末に 白雲に 立ちたなびくと 我れに告げつる [佐保山火葬 故謂之佐保の内の里を行き過ぎ]
#[仮名],あまざかる,ひなをさめにと,おほきみの,まけのまにまに,いでてこし,われをおくると,あをによし,ならやますぎて,いづみがは,きよきかはらに,うまとどめ,わかれしときに,まさきくて,あれかへりこむ,たひらけく,いはひてまてと,かたらひて,こしひのきはみ,たまほこの,みちをたどほみ,やまかはの,へなりてあれば,こひしけく,けながきものを,みまくほり,おもふあひだに,たまづさの,つかひのければ,うれしみと,あがまちとふに,およづれの,たはこととかも,はしきよし,なおとのみこと,なにしかも,ときしはあらむを,はだすすき,ほにいづるあきの,はぎのはな,にほへるやどを,あさにはに,いでたちならし,ゆふにはに,ふみたひらげず,さほのうちの,さとをゆきすぎ,あしひきの,やまのこぬれに,しらくもに,たちたなびくと,あれにつげつる,,,さほのうちの,さとをゆきすぎ
#[左注](右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也)
#[校異]里 [元][類](塙) 理 / 久 [元](塙) 安 / 婆 -> 波 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類][紀][細] / 婆 -> 波 [元][類][温] / 値 -> 植 [類][矢][京] / 力 -> 刀 [元][類][紀]
#[鄣W],天平18年9月25日,年紀,作者:大伴家持,挽歌,哀悼,大伴書持,悲別,枕詞,地名,京都,奈良,高岡,富山,大伴書持
#[訓異]
#[大意]
空遠く離れた田舎を治めにと大君の任命されるのに従って、出発してきた自分を送るとして、あをによし奈良山を過ぎて、泉川の清らかな河原に馬を留めて別れた時に、 無事にいて自分は帰ってこよう、平穏に祈って待てとお互い話し合って来た日を最後として、たまほこの道が遠いので、山川で隔たっているので、恋しく思うことが長くあったものなのに、会いたいと思っていたところ、たまほこの使者が来たので、うれしいことだと自分が待って尋ねたところ、逆さま言葉のいい加減な言葉なのだろうか、愛しい我が弟がどうしてか、いつでもその時はあるものなのに、はだすすきの穂に出る秋の萩の花が美しく咲いている家を [言うことの意味は、この人はその人となりが花や草花を愛でる性格であり、正殿の庭にたくさん花木を植えていた。だから花が薫る庭という] 朝の庭に出て立ちならすこともせず、夕方の庭にも踏んで平らかにすることもせず、佐保の中の里を行き過ぎて、あしひきの山の梢に白雲として立ってたなびくと自分に告げたことであった。 [佐保山の火葬である。だから佐保の中の里を行き過ぎてという]

#{語釈]
長逝之弟 大伴書持 経歴未詳 3906
天離る 鄙治めにと 都から遠く離れた
都を中心として、天頂からはるか彼方にある田舎
天皇の居る都から遠く離れた

01/0029H10天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下
02/0227H01天離る鄙の荒野に君を置きて思ひつつあれば生けるともなし
03/0255H01天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ
05/0880H01天離る鄙に五年住まひつつ都のてぶり忘らえにけり
06/1019H02獣じもの 弓矢囲みて 大君の 命畏み 天離る 鄙辺に罷る 古衣
09/1785H03命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の
13/3291H05[天離る 鄙治めにと]
15/3608H01天離る鄙の長道を恋ひ来れば明石の門より家のあたり見ゆ
15/3698H01天離る鄙にも月は照れれども妹ぞ遠くは別れ来にける
17/3948H01天離る鄙に月経ぬしかれども結ひてし紐を解きも開けなくに
17/3949H01天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
17/3957H01天離る 鄙治めにと 大君の 任けのまにまに 出でて来し
17/3962H02天離る 鄙に下り来 息だにも いまだ休めず 年月も
17/3973H01大君の 命畏み あしひきの 山野さはらず 天離る
17/3978H03大君の 命畏み あしひきの 山越え野行き 天離る
17/4000H01天離る 鄙に名懸かす 越の中 国内ことごと 山はしも
17/4008H01あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を
17/4011H01大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る
17/4019H01天離る鄙ともしるくここだくも繁き恋かもなぐる日もなく
18/4082H01天離る鄙の奴に天人しかく恋すらば生ける験あり
18/4113H06ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も
19/4169H02朝夕に 聞かぬ日まねく 天離る 鄙にし居れば あしひきの
19/4189H01天離る 鄙としあれば そこここも 同じ心ぞ 家離り 年の経ゆけば

大君の 任けのまにまに 大君が任命されるのに従って
「みこともち」としての意識

03/0369H01物部の臣の壮士は大君の任けのまにまに聞くといふものぞ
13/3291H02我が思ふ君は 大君の 任けのまにまに
17/3962H01大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し あしひきの 山坂越えて
17/3969H01大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し
18/4098H05おのが名負ひて 大君の 任けのまにまに この川の 絶ゆることなく
20/4331H04猛き軍士と ねぎたまひ 任けのまにまに たらちねの 母が目離れて
20/4408H01大君の 任けのまにまに 島守に 我が立ち来れば ははそ葉の

小野寛 「大君の命畏しこみ」は、防人歌に見られ、家持には用例はない。一方的服従ではなく、「大夫」としての自覚がある。

律令官人 -> 大夫 -> みこともち の意識

出でて来し 越中に赴任するために家を出て来た

泉川 木津川 ここで見送りと別れる。

ま幸くて 無事でいて 原文「好去」 六朝以来の中国俗語。ご無事で、お元気でという別れの言葉。5/894

斎ひて待てと 家に残った者が旅行者の無事を祈って精進潔斎して神を祭ること。

08/1453H04い別れ行かば 留まれる 我れは幣引き 斎ひつつ 君をば待たむ
09/1790H02我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に
09/1790H03木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我子 ま幸くありこそ

来し日の極み やって来た日を最後として

使の来れば 原文「使乃家礼婆」 つかひのければ 「き(来)あれば」のつづまった形

およづれの たはこととかも 逆さま言葉のでたらめの言葉であるか
挽歌に常套的に用いられる。
03/0420H03およづれか 我が聞きつる たはことか 我が聞きつるも 天地に
03/0421H01およづれのたはこととかも高山の巌の上に君が臥やせる
03/0475H04およづれの たはこととかも 白栲に 舎人よそひて 和束山
07/1408H01たはことかおよづれことかこもりくの泊瀬の山に廬りせりといふ
19/4214H10留めかねつと たはことか 人の言ひつる およづれか 人の告げつる

なにしかも 時しはあらむを いつでも死ぬときはあるものなのに
03/0467H01時はしもいつもあらむを心痛くい行く我妹かみどり子を置きて

はだすすき はなすすき 薄の簿が花のように見える若々しい時のもの
はたすすき 薄の穂がほほけて旗のようになったもの。枯れているもの
はだすすき 不明
01/0045H04み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす
03/0307H01はだ薄久米の若子がいましける
07/1121H01妹らがり我が通ひ道の小竹すすき我れし通はば靡け小竹原
08/1601H01めづらしき君が家なる花すすき穂に出づる秋の過ぐらく惜しも
08/1637H01はだすすき尾花逆葺き黒木もち造れる室は万代までに
10/2089H03そほ舟の 艫にも舳にも 舟装ひ ま楫しじ貫き 旗すすき 本葉もそよに
10/2283H01我妹子に逢坂山のはだすすき穂には咲き出ず恋ひわたるかも
10/2311H01はだすすき穂には咲き出ぬ恋をぞ我がする玉かぎるただ一目のみ見し人ゆゑに
14/3506H01新室のこどきに至ればはだすすき穂に出し君が見えぬこのころ
14/3565H01かの子ろと寝ずやなりなむはだすすき宇良野の山に月片寄るも
16/3800H01はだすすき穂にはな出でそ思ひたる心は知らゆ我れも寄りなむ

言斯人為性好愛花草花樹而多<植>於寝院之庭 故謂之花薫庭也
言ふこころは、斯の人、性(ひと)となり好愛花草花樹を好愛(め)でて、多く寝院の庭に植う。故に花薫(にほ)へる庭と謂ふ。

書持の人となりを述べて、歌句を解説したもの。

白雲に 立ちたなびくと 火葬された煙になって
07/1407H01隠口の泊瀬の山に霞立ちたなびく雲は妹にかもあらむ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3958
#[題詞](哀傷長逝之弟歌一首[并短歌])
#[原文]麻佐吉久登 伊比氐之物能乎 白雲尓 多知多奈妣久登 伎氣婆可奈思物
#[訓読]ま幸くと言ひてしものを白雲に立ちたなびくと聞けば悲しも
#[仮名],まさきくと,いひてしものを,しらくもに,たちたなびくと,きけばかなしも
#[左注](右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也)
#[校異]
#[鄣W],天平18年9月25日,年紀,作者:大伴家持,挽歌,哀悼,大伴書持,悲別,高岡,富山,大伴書持
#[訓異]
#[大意]元気でおれよと言ったものだったのに。白雲として立ちたなびくと聞くと悲しいことである。
#{語釈]
言ひてしものを 家持が言った。 「て」完了「つ」の未然形 「し」過去

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3959
#[題詞](哀傷長逝之弟歌一首[并短歌])
#[原文]可加良牟等 可祢弖思理世婆 古之能宇美乃 安里蘇乃奈美母 見世麻之物<能>乎
#[訓読]かからむとかねて知りせば越の海の荒礒の波も見せましものを
#[仮名],かからむと,かねてしりせば,こしのうみの,ありそのなみも,みせましものを
#[左注]右天平十八年秋九月廿五日越中守大伴宿祢家持遥聞弟喪感傷作之也
#[校異]<> -> 能 [元][類][紀] / 天平十八年秋九 [元] 九
#[鄣W],天平18年9月25日,年紀,作者:大伴家持,挽歌,哀悼,大伴書持,悲別,高岡,富山,地名,大伴書持
#[訓異]
#[大意]このようになろうとあらかじめ知っていたならば、越の海の荒磯の波でも見せたものなのに。
#{語釈]
#[説明]
同想歌
02/0151H01かからむとかねて知りせば大御船泊てし泊りに標結はましを
05/0797H01悔しかもかく知らませばあをによし国内ことごと見せましものを

#[関連論文]


#[番号]17/3960
#[題詞]相歡歌二首 越中守大伴宿祢家持作
#[原文]庭尓敷流 雪波知敝之久 思加乃未尓 於母比氐伎美乎 安我麻多奈久尓
#[訓読]庭に降る雪は千重敷くしかのみに思ひて君を我が待たなくに
#[仮名],にはにふる,ゆきはちへしく,しかのみに,おもひてきみを,あがまたなくに
#[左注](右以天平十八年八月掾大伴宿祢池主附大帳使赴向京師 而同年十一月還到本任 仍設詩酒之宴弾絲飲樂 是<日>也白雪忽降積地尺餘 此時也復漁夫之船入海浮瀾 爰守大伴宿祢家持寄情二眺聊裁所心)
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],天平18年11月,年紀,作者:大伴家持,宴席,大伴池主,恋情,寄物陳思,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]庭に降る雪は幾重にも降り積もっている。しかしそれだけの思いであなたを自分は待っていたというわけではありませんよ。(もっと何重にも思っていたのですよ)
#{語釈]
相歡 相い歓ぶ 久しぶりに家持と池主が会って、歓んでいるという意味
恋人に会ったときの歓び。

しかのみに 雪は千重に降り積もっているが、たったそれだけしか思って
#[説明]
先行歌
10/2234H01一日には千重しくしくに我が恋ふる妹があたりにしぐれ降れ見む
11/2437H01沖つ裳を隠さふ波の五百重波千重しくしくに恋ひわたるかも

#[関連論文]


#[番号]17/3961
#[題詞](相歡歌二首 越中守大伴宿祢家持作)
#[原文]白浪乃 余須流伊蘇<未>乎 榜船乃 可治登流間奈久 於母保要之伎美
#[訓読]白波の寄する礒廻を漕ぐ舟の楫取る間なく思ほえし君
#[仮名],しらなみの,よするいそみを,こぐふねの,かぢとるまなく,おもほえしきみ
#[左注]右以天平十八年八月掾大伴宿祢池主附大帳使赴向京師 而同年十一月還到本任 仍設詩酒之宴弾絲飲樂 是<日>也白雪忽降積地尺餘 此時也復漁夫之船入海浮瀾 爰守大伴宿祢家持寄情二眺聊裁所心
#[校異]末 -> 未 [温] / 天平十八年八月 [元] 八月 / <> -> 日 [元][類][紀]
#[鄣W],天平18年11月,年紀,作者:大伴家持,宴席,大伴池主,恋情,寄物陳思,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]白波の寄せる磯のめぐりを漕ぐ船が楫をとる間がないように、そのようにいつも思っていたあなたであることだ。
#{語釈]
楫取る間なく 絶え間なく

左注
右、天平十八年八月を以て、掾大伴宿祢池主、大帳使に附して京師に赴き向かふ。而して同じ年十一月、本任に還り到りぬ。仍りて詩酒の宴を設け、弾絲、飲樂す。是の日、白雪忽ちに降りて地に積むこと尺餘なり。此の時復た、漁夫の船海に入り、瀾(なみ)に浮かべり。爰(ここ)に守大伴宿祢家持、情(こころ)を二眺に寄せて、聊かに所心(おもひ)を裁(つく)る。

大帳使 国庁から太政官に大帳(戸籍に関する帳簿)を提出する使い。年四回、国庁は、中央に報告する義務を課せられている。大帳使、正税帳使、貢調使、朝集使。
六月三十日現在の部内の戸籍の実態を記す。八月三十日までに上京。
大計帳、計帳
延喜式 越中と都(京都)の間の行程、上り十七日。下り九日

朝集使 国郡司の考課(勤務評定)、神社、僧尼、土木、交通、国庁内の建築、機材管理状況の状況を記したもの 前年八月一日から七月三一日までの状況
機内は、十月一日まで。七道は十一月一日までに上京。(考課令)
18/4116D01國掾久米朝臣廣縄以天平廿年附朝集使入京 其事畢而天平感寶元年閏五月
19/4225S01右一首同月十六日餞之朝集使少目秦伊美吉石竹時守大伴宿祢家持作之
19/4248D01以七月十七日遷任少納言 仍作悲別之歌贈貽朝集使<掾>久米朝臣廣縄之館
20/4440D01上総國朝集使大掾大原真人今城向京之時郡司妻女等餞之歌二首
20/4473S01右一首守山背王歌也 主人安宿奈杼麻呂語云 奈杼麻呂被差朝集使擬入京師

#[説明]
先行歌
11/2746H01庭清み沖へ漕ぎ出る海人舟の楫取る間なき恋もするかも
12/3173H01松浦舟騒く堀江の水脈早み楫取る間なく思ほゆるかも

伊藤博 ここに家持以外の人の歌がないのは、即興工夫の相歓歌二首と書持哀悼挽歌が宴の中心を占めたからと考えられる。書持が死んだ時、池主はちょうど都にいた。九月五日の他界とすれば、池主は書持の葬儀にも参列したのではなかろうか。
挽歌披露に続いて、都のさまざまな近況を池主によって語られた。歌詠の場というようりは、「弾絲飲樂」の場であったと見られる。
「弾絲飲樂」の二次の場に入って、家持は久しぶりにわれを忘れることができたのではあるまいか。

#[関連論文]


#[番号]17/3962
#[題詞]忽沈<枉>疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首[并短歌]
#[原文]大王能 麻氣能麻尓々々 大夫之 情布里於許之 安思比奇能 山坂古延弖 安麻射加流 比奈尓久太理伎 伊伎太尓毛 伊麻太夜須米受 年月毛 伊久良母阿良奴尓 宇<都>世美能 代人奈礼婆 宇知奈妣吉 等許尓許伊布之 伊多家苦之 日異益 多良知祢乃 <波>々能美許等乃 大船乃 由久良々々々尓 思多呉非尓 伊都可聞許武等 麻多須良牟 情左夫之苦 波之吉与志 都麻能美許登母 安氣久礼婆 門尓餘里多知 己呂母泥乎 遠理加敝之都追 由布佐礼婆 登許宇知波良比 奴婆多麻能 黒髪之吉氐 伊都之加登 奈氣可須良牟曽 伊母毛勢母 和可伎兒等毛<波> 乎知許知尓 佐和吉奈久良牟 多麻保己能 美知乎多騰保弥 間使毛 夜流余之母奈之 於母保之伎 許登都氐夜良受 孤布流尓思 情波母要奴 多麻伎波流 伊乃知乎之家騰 世牟須辨能 多騰伎乎之良尓 加苦思氐也 安良志乎須良尓 奈氣枳布勢良武
#[訓読]大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し あしひきの 山坂越えて 天離る 鄙に下り来 息だにも いまだ休めず 年月も いくらもあらぬに うつせみの 世の人なれば うち靡き 床に臥い伏し 痛けくし 日に異に増さる たらちねの 母の命の 大船の ゆくらゆくらに 下恋に いつかも来むと 待たすらむ 心寂しく はしきよし 妻の命も 明けくれば 門に寄り立ち 衣手を 折り返しつつ 夕されば 床打ち払ひ ぬばたまの 黒髪敷きて いつしかと 嘆かすらむぞ 妹も兄も 若き子どもは をちこちに 騒き泣くらむ 玉桙の 道をた遠み 間使も 遺るよしもなし 思ほしき 言伝て遣らず 恋ふるにし 心は燃えぬ たまきはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに かくしてや 荒し男すらに 嘆き伏せらむ
#[仮名],おほきみの,まけのまにまに,ますらをの,こころふりおこし,あしひきの,やまさかこえて,あまざかる,ひなにくだりき,いきだにも,いまだやすめず,としつきも,いくらもあらぬに,うつせみの,よのひとなれば,うちなびき,とこにこいふし,いたけくし,ひにけにまさる,たらちねの,ははのみことの,おほぶねの,ゆくらゆくらに,したごひに,いつかもこむと,またすらむ,こころさぶしく,はしきよし,つまのみことも,あけくれば,かどによりたち,ころもでを,をりかへしつつ,ゆふされば,とこうちはらひ,ぬばたまの,くろかみしきて,いつしかと,なげかすらむぞ,いももせも,わかきこどもは,をちこちに,さわきなくらむ,たまほこの,みちをたどほみ,まつかひも,やるよしもなし,おもほしき,ことつてやらず,こふるにし,こころはもえぬ,たまきはる,いのちをしけど,せむすべの,たどきをしらに,かくしてや,あらしをすらに,なげきふせらむ
#[左注](右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌)
#[校異]狂 -> 枉 [元] / 歌 [西] 謌 / 津 -> 都 [元][紀][細] / 婆 -> 波 [元][紀][細] / 婆 -> 波 [元][紀][細]
#[鄣W],天平19年2月20日,年紀,作者:大伴家持,病気,枕詞,悲嘆,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]大君の任命に従って大夫の心を振り起こして、あしひきの山坂を超えて、天から遠く離れた田舎に下ってやって来て、一息すらもまだ休めないで、年月もいくらも経っていないのに、うつせみのこの世の人であるので、うち靡いて床に倒れ臥して、苦痛が日を追ってひどくなってくる。たらちねの母の命が大船のように揺れ動いて、心が静まらず、心の中でいつになったら帰ってくるのだろうとお待ちになっている気持ちも寂しいだろうのに、愛しい妻の命も夜が明けると門口に出て立って、衣手を折り返しながら、帰りを早く待ち、夕方になると寝床を払って整え、ぬばたまの黒髪を敷いて、いつになったら帰ってくるのだろうとお嘆きになっているであろうよ。子どもたちは妹も兄も若い子どもたちは、あちらこちらで父を慕って騒いで泣いているであろう。玉鉾の道が遠いので、使いも遣わすよすがもなく、思っていることを伝えることも出来ず、恋い思うにつけても心は燃えている。はまきはる命は惜しいがどのようにしてよいか方法を知らないで、このように荒々しい男たるべきものが嘆いて臥していることだろうか。
#{語釈]
忽 たちまちに はからずも たまたま

枉疾 まがれる病 古典全集「思い当たるような原因のない病気」
憶良沈痾自哀文
殆(ほとほと)に泉路に臨む あやういところで黄泉への路に行くところだった
ほとんど死ぬような思いをした

大君の 任けのまにまに 大夫の 心振り起し 3/476 20/4398
家持の気持ち 「みこともち」としての心情

息だにも いまだ休めず 5/794
05/0794H02息だにも いまだ休めず 年月も いまだあらねば 心ゆも

うつせみの 世の人なれば 家持の諦念
03/0466H03うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ぬるがごとく あしひきの
03/0482H01うつせみの世のことにあれば外に見し山をや今はよすかと思はむ
09/1787H01うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 敷島の 大和の国の 石上
20/4408H12苦しきものを うつせみの 世の人なれば たまきはる

たらちねの 母の命の 続日本紀天応元年八月八日 家持を左大弁兼春宮大夫と為す。是より先、母の憂ひに遭ひて解任す。是に至りて復す。
代匠記 旅人の本妻大伴郎女は、神亀五年に死去。家持は妾の 腹に出来たるにこそ
川上富吉 家持の母は、丹比家の女。
私注「妻の母、坂上郎女を指している」

行路死人その他の家郷の象徴、不孝の考え方
03/0443H04たらちねの 母の命は 斎瓮を 前に据ゑ置きて 片手には 木綿取り持ち
05/0886H06父とり見まし 家にあらば 母とり見まし 世間は かくのみならし

大船の ゆくらゆくらに 大船の ゆくらゆくらの枕詞
ゆくらゆくらに ゆらゆらと 心が落ち着かず動揺している様
子どもが遠く離れた所にいることからの心配

下恋に いつかも来むと 心の中で何時になったら帰ってくるかと

はしきよし 妻の命も 坂上大嬢 大嬢越中下向は、天平勝宝元年秋から翌年春あたり

衣手を 折り返しつつ 待ち人が早く来ることを期待する呪術
窪田評釈「これは恋の上の呪いで、相手を招き寄せる呪いであろう」
20/4331H10帰り来ませと 斎瓮を 床辺に据ゑて 白栲の
20/4331H11袖折り返し ぬばたまの 黒髪敷きて 長き日を 待ちかも恋ひむ

ぬばたまの 黒髪敷きて 袖を折り返すのと同じ呪術行為

04/0493H01置きていなば妹恋ひむかも敷栲の黒髪敷きて長きこの夜を
11/2631H01ぬばたまの黒髪敷きて長き夜を手枕の上に妹待つらむか

妹も兄も 若き子どもは 憶良の歌に見られる家族への思いと同様。実際ではなく、観念的なものか。孝経あたりにある儒教的な考え方が基本にあるか。
全注「家持は養老二年生まれとして、当時三十歳。二、三人の幼児があったのであろう。」

間使も 間を取り持つ使い
06/0946H03おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし

思ほしき 言伝て遣らず 思ほし 「思ふ」の形容詞化
思っていることも都に伝えることは出来ずに

たまきはる 命惜しけど 為むすべの たどきを知らに この後も同様の句
17/3969H07たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て

荒し男すらに 荒々しい男たるべきものであるのに 女々しく嘆き臥している
大夫と区別している。

#[説明]
釋注 前年12月頃から病に臥して、今やっと歌が作れるほどにまで回復した。
憶良の長歌 5/794、804、886、897などに発想や類句を多く負っている。
母、妻、子どもたちの三態
家持は越中赴任にあたって、晩年の憶良を見舞ってもらった憶良歌巻を持っていった。


#[関連論文]


#[番号]17/3963
#[題詞](忽沈<枉>疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首[并短歌])
#[原文]世間波 加受奈枳物能可 春花乃 知里能麻我比尓 思奴倍吉於母倍婆
#[訓読]世間は数なきものか春花の散りのまがひに死ぬべき思へば
#[仮名],よのなかは,かずなきものか,はるはなの,ちりのまがひに,しぬべきおもへば
#[左注](右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌)
#[校異]
#[鄣W],天平19年2月20日,年紀,作者:大伴家持,病気,悲嘆,無常,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]世の中ははかないものであるよ。春の花が散り乱れている中で死にそうなことを思うと。
#{語釈]
世間は数なきものか
20/4468H01うつせみは数なき身なり山川のさやけき見つつ道を尋ねな
散りのまがひに 散り乱れる中に
中西進 春の花の散る頃に人が死ぬという考え方。それを鎮めるのが鎮花祭。
02/0135H05黄葉の 散りの乱ひに 妹が袖 さやにも見えず 妻ごもる 屋上の
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3964
#[題詞](忽沈<枉>疾殆臨泉路 仍作歌詞以申悲緒一首[并短歌])
#[原文]山河乃 曽伎敝乎登保美 波之吉余思 伊母乎安比見受 可久夜奈氣加牟
#[訓読]山川のそきへを遠みはしきよし妹を相見ずかくや嘆かむ
#[仮名],やまかはの,そきへをとほみ,はしきよし,いもをあひみず,かくやなげかむ
#[左注]右天平十九年春二月廿日越中國守之舘臥病悲傷聊作此歌
#[校異]天平十九年 [元] 十九年 / 廿 [元] 廿一 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平19年2月20日,年紀,作者:大伴家持,病気,悲嘆,恋情,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]山川が遠く隔たっているので、愛しい妹にも遭うことがなく、このように嘆くことであろうか。
#{語釈]
山川のそきへを遠み 退く方 遠く隔たった所。
03/0420H04悔しきことの 世間の 悔しきことは 天雲の そくへの極み 天地の
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3965D
#[題詞]守大伴宿祢家持贈大伴宿祢池主悲歌二首
#[原文]忽沈枉疾累旬痛苦 祷恃百神且得消損 而由身體疼羸筋力怯軟 未堪展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴チ可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌 軽奉机下犯解玉頤 其詞曰
#[訓読]忽(たちまち)に枉疾(わうしつ)に沈み、累旬痛苦す。 百神を祷(こ)ひ恃(たの)み、且つ消損(しょうそん)するを得たり。而(しか)れども、由(なほ)し身體疼羸(どうるい)、筋力怯軟(けふぜん)にして、未だ展謝(てんしゃ)に堪(あ)へず、係戀(けいれん)弥(いよよ)深し。方今春朝春花、馥(にほひ)を春苑に流し、春暮春鴬、聲を春林に囀(さひづ)る。此の節候に對(むか)ひ、琴チ(きんそん)翫(もてあそぶ)可(べ)し。興に乗る感有ると雖も、杖を策(つ)く勞に耐(あ)へず。 獨り帷幄(ゐあく)の裏(うち)に臥して、聊(いささ)かに寸分の歌を作る。軽(かろがろ)しく机下に奉り、玉頤(ぎょくい)を解かむことを犯す。其の詞に曰く、
#[仮名]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],序文,四六駢儷体
#[訓異]
#[大意]はからずも悪い病にかかり、数十日間痛み苦しみました。多くの神々を祈り頼み、ようやく治るようになりました。そうではありますが、まだ体は痛み疲れており、筋肉の力は弱っていて、まだお礼を述べるほどにまでは耐えられません。あなたを思う恋心はますます深いことです。ちょうど今春の朝、春の花が香りを春の園に流しており、春の夕暮れ春の鶯が声を春の林にさえずっています。この時候に対し、琴を弾き樽から酒を酌み交わすのがいいでしょう。楽しもうと思う気持ちがあるといっても、杖を付く労力に耐えることが出来ません。独り部屋の帳の中に横たわっていて、いささかちょっとした歌を作りました。軽率にもあなたの机の下に奉り、あなたの立派な顎を解いて笑い草になることをします。その言葉に言うことには、
#{語釈]
累旬 一旬は十日間。 数十日 旬を重ねる。
百神 多くの神々
且つ ようやく、 ほとんど
消損 消え損ずる。病気が治る。癒える。
由 「猶」と同じ。
疼羸 「疼」は廣雅釋詁「痛也」。「羸」は「病也「疲也」
痛み疲れる
怯軟 「怯」は廣雅釋詁「弱也」。「軟」は「柔也」
弱っている
展謝 謝礼を述べる お礼を言う
係戀 熱い恋心。
16/3857S01 佐為王有近習婢也 于時宿直不遑夫君難遇 感情馳結係戀實深
佐為王に近習する婢(まかだち)有り。時に宿直(とのい)に遑(いとま)あらず。夫の君に遇ひ難し。 感情馳せ結ぼれ、係戀實(まこと)に深し。
全集「ここは家持が池主に対して男女の恋愛に擬していったのである」
方今 最近、ちょうど今
春朝春花 春を頭韻的に使用している。六朝風の文体。
琴罇(きんそん) 琴を弾き、酒樽から酒を酌み交わすこと
興に乗る感 楽しもうと思う気持ち。
寸分 ちょっとしたもの。とるにたらないもの。
玉頤 相手の美しい顎。尊敬の言い方。玉頤を解く 顎がほころびるということで笑う。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3965
#[題詞]守大伴宿祢家持贈大伴宿祢池主悲歌二首 / 忽沈枉疾累旬痛苦 祷恃百神且得消損 而由身體疼羸筋力怯軟 未堪展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴罇可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌 軽奉机下犯解玉頤 其詞曰
#[原文]波流能波奈 伊麻波左加里尓 仁保布良牟 乎里氐加射佐武 多治可良毛我母
#[訓読]春の花今は盛りににほふらむ折りてかざさむ手力もがも
#[仮名],はるのはな,いまはさかりに,にほふらむ,をりてかざさむ,たぢからもがも
#[左注](<二>月廿九日大伴宿祢家持)
#[校異]沈 [元] 染
#[鄣W],天平19年2月29日,年紀,作者:大伴家持,大伴池主,贈答,病気,贈答,悲嘆,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]春の花は今は盛んに咲き香っているであろう。折ってかざそうと思う手力もあればなあ。
#{語釈]
にほふ 注釈 春「朝春花流馥於春苑」を受けて、香りの意味も有している。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3966
#[題詞](守大伴宿祢家持贈大伴宿祢池主悲歌二首 / 忽沈枉疾累旬痛苦 祷恃百神且得消損 而由身體疼羸筋力怯軟 未堪展謝係戀弥深 方今春朝春花流馥於春苑 春暮春鴬囀聲於春林 對此節候琴罇可翫矣 雖有乗興之感不耐策杖之勞 獨臥帷幄之裏 聊作寸分之歌 軽奉机下犯解玉頤 其詞曰)
#[原文]宇具比須乃 奈枳知良須良武 春花 伊都思香伎美登 多乎里加射左牟
#[訓読]鴬の鳴き散らすらむ春の花いつしか君と手折りかざさむ
#[仮名],うぐひすの,なきちらすらむ,はるのはな,いつしかきみと,たをりかざさむ
#[左注]<二>月廿九日大伴宿祢家持
#[校異]天平廿年二 -> 二 [元]
#[鄣W],天平20年2月29日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,病気,悲嘆,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]鶯が鳴いて散らしているであろう春の花よ。いつになったらあなたと手折ってかざすのだろうか。
#{語釈]
#[説明]
序文の内容を受けて歌にしている。
#[関連論文]


#[番号]17/3967D
#[題詞]
#[原文]忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭(ツ)隔テ琴罇無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳
#[訓読]忽ちに芳音を辱(かたじな)くし、翰苑雲を凌(しの)ぐ。兼ねて倭詩を垂れ、詞林錦を舒(の)ぶ。以て吟じ、以て詠じ、能く戀緒をニ(のぞ)く。春は樂しむ可(べ)く、暮春の風景最も怜(あはれ)む可し。紅桃(こうとう)灼々(しゃくしゃく)として戯蝶(ぎちょう)花を廻(めぐ)りて儛(ま)ひ、翠柳(すいりゅう)依々として、嬌鴬(きょうおう)葉に隠りて歌ふ。樂しむ可き哉(かも)。淡交席を促(ちかづ)け、意を得て言を忘る。樂しき矣(かも)。美(うるは)しき矣(かも)。幽襟(ゆうきん)賞(め)づるに足れり。豈(あ)に慮(はか)らめや。蘭(ツ)(らんけい)テ(くさむら)を隔て、琴チ(きんそん)用ゐるところ無く、空しく令節を過ぐして、物色人を軽みせむ乎(とは)。怨むる所、此に有り。<黙><已>(もだ)おること能(あた)はず。俗語に云はく、藤を以て錦に續(つ)ぐといへり。聊(いささか)に談咲(だんしょう)に擬(ぎ)すらく耳(のみ)。
#[仮名]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],序文,書簡
#[訓異]
#[大意]はからずも芳しい音信をいただき、書簡は雲を凌ぐほどの文章です。併せて倭詩をいただき、言葉の林は錦を敷き並べたようです。吟詠したり、調子をつけて歌ったりして、ようやく恋情の気持ちを除きました。春は楽しむべきであり、春の夕暮れの風景は最も情緒深く味わうべきです。真っ赤な桃の花は、今を盛りに咲いていて、蝶々は戯れて花をめぐって舞っているように飛び回り、緑の柳はたおやかにして、愛らしい鶯が葉に隠れて歌うように鳴いている。楽しむべきです。君子の淡い交わりはお互いの座を近づけ、心が通じて言葉の必要もない。楽しいことです。美しいことです。風雅の思いは賞美するに十分です。どうして思ったでしょうか。芳しい香りのする蘭や(ツ)(けい)が雑草に隔てられていて、逢うことが出来なく、琴を弾いたり樽の酒を酌み交わすこともなく、空しくこのよい時候を過ごして、風光が自分たちを軽蔑しようとは。怨むところはここにあります。黙っていることが出来ません。世間の諺に云うには、粗末な藤の繊維で立派な錦に継ぐといいます。少しばかりお笑いぐさにするばかりです。
#{語釈]
芳音 相手からの音信 家持の書簡を尊敬する。
辱 いただく。承る
翰苑 通常は文苑。文壇のこと。ここは、家持の書簡。手紙のこと。
雲を凌ぐ 史記 司馬相如列伝「大人賦」 相如既に大人頌を奏す。天子大いに説び、飄々として雲を凌ぐ気あり、天地の間に遊ぶ意に似たり
文章の勢いがすぐれていて、雲を押し分けるほどの強さを言う。
錦を舒ぶ 錦を敷き延べたようである。
詩品「潘(岳)の詩は、爛(あざやか)なること錦を舒べるが若く」
ニ(のぞ)く 除く。
家持との恋愛発想で述べた。
怜(あはれ)む可し 大成本「おもしろし」
古義「あはれむべし」 情緒を味わう。風情を感じる。
灼々 毛詩桃夭「桃の夭々たる灼々たる其の花」 伝「灼々は華の盛也」
今を盛りに咲いている様子
翠柳 紅桃と対句。遊仙窟「翠柳眉の色を開き、紅桃瞼の新たなるを乱る」
依々 たおやかな様 毛詩采薇「楊柳依々」
嬌鴬 美しく愛らしい鶯 懐風藻 葛野王「嬌鴬嬌声を弄ぶ」
このあたりの語句は、春の景物として遊仙窟に多い。
淡交 君子の交わり。淡泊な交際。 礼記 表記「君子の接すること水の如く、小人の接すること醴(れい)「あまざけ」の如し。君子は淡く以て成り、小人は甘く以て壊す」
荘子「君子の交わり淡きこと水の如く、小人の交わり甘きこと醴の如し。君子は淡く以て親しみ、小人は甘く以て絶ゆ」
席を促け お互い近い関係になり
意を得て言を忘る 心が通じ合って言う言葉も忘れる
幽襟 風雅の思い 奥深い思い
賞づるに足れり 賞美するのに十分である
蘭ツテを隔て 芳しい香りのある蘭やツが雑草の間で隔てられているの意
自分と家持が病の為に会うことが出来ない
ツ(けい) しらん

琴チ用ゐるところ無く 琴を弾いたり、酒樽で酌み交わしたりすることが無い
令節 よい時節
物色 風物、風光
王勃「林泉独歌」相逢て今し酔はず、物色自ら人を軽みす

風光に軽蔑されるようになる
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3967
#[題詞]忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭(ツ)隔(テ)琴チ無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳
#[原文]夜麻我比<邇> 佐家流佐久良乎 多太比等米 伎美尓弥西氐婆 奈尓乎可於母波牟
#[訓読]山峽に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ
#[仮名],やまがひに,さけるさくらを,ただひとめ,きみにみせてば,なにをかおもはむ
#[左注](沽洗二日掾大伴宿祢池主)
#[校異]點 -> 黙 [元][紀][温] / 已俗 -> 已 [西(訂正)][元][紀][温] / 尓 -> 邇 [元][類]
#[鄣W],天平19年3月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,病気,慰撫,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]山あいに咲いている桜をたった一目でもあなたに見せることができたならば、何を思おうか。
#{語釈]
山峽 山の間。渓谷。谷間
見せてば 見せたならば 「て」完了「つ」の未然形
#[説明]
家持が病気で臥していて、桜の花も見せることが出来ない悔しさを言ったもの。
桜を見せるには、宴席の場が必要。
#[関連論文]


#[番号]17/3968
#[題詞](忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能ニ戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎蘭ツ隔テ琴チ無用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能<黙><已> 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳)
#[原文]宇具比須能 伎奈久夜麻夫伎 宇多賀多母 伎美我手敷礼受 波奈知良米夜母
#[訓読]鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
#[仮名],うぐひすの,きなくやまぶき,うたがたも,きみがてふれず,はなちらめやも
#[左注]沽洗二日掾大伴宿祢池主
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,病気,慰撫,動物,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]鶯がやって来て鳴く山吹よ。ちょっとの間もあなたが手で触れず花が散ることがあろうか。
#{語釈]
山吹 万葉集中18例。 家持が歌ったものは、7例 家持の好みの花だったか。
19/4186H01山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ
うたがたも かりそめにも ちょっとの間も
17/3949H01天離る鄙にある我れをうたがたも紐解き放けて思ほすらめや
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3969D
#[題詞]更贈歌一首[并短歌] / 含弘之徳垂恩蓬体不貲之思報慰陋心 戴荷<来眷>無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭 横翰之藻自乏<乎>彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣 詞失<乎>聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 <固>是俗愚懐癖 不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰
#[訓読]含弘nの徳は恩を蓬体に垂れ、不貲(ふし)の思は陋心(ろうしん)に報(こた)へ慰む。来眷を戴荷(たいか)し、喩(たと)ふる所に堪(あ)ふること無し。但し稚(わか)き時、遊藝の庭に渉(わた)らざるを以ちて、横翰の藻、自ら彫蟲に乏し。幼年未だ山柿の門に逕(いた)らずして、裁歌の趣、詞を聚林に失ふ。爰に藤を以て錦に續ぐの言を辱(かたじけな)くし、更に石を将(も)ちて間瓊(たま)に間(まじ)ふるの詠を題(しる)す。固(もと)より是れ俗愚にして癖を懐(いだ)き、黙已(もだおる)こと能はず。仍(よ)りて數行を捧げて、式(も)って嗤咲(ししょう)に酬(むく)ゆ。其の詞に曰く
#[仮名]
#[左注]
#[校異]
#[鄣W]
#[訓異]
#[大意]大地のような弘大なあなたの徳は、御恩をいやしい我が身に下され、測りきれないあなたの思いは、私のつたない心に答えて慰められた。御恩恵を頂いて、そのうれしさは何に譬えてよいかわかりません。ただ私は若い時に文芸の道に務めなかったので、作る文章は、おのづと技巧に乏しいものです。幼い時に山柿の門をたたかず、歌を作る方法もその言葉を多くの言葉の中に見失っています。ここに藤のような粗末な歌を錦のような立派な歌に続けるというあなたの言葉をありがたく頂戴し、更に私の石のような歌であなたの玉のような歌に交える歌を作りました。もとより自分は俗愚であって性癖を持っており、黙っていることが出来ない性格です。そこで数行の歌を奉って、お笑いぐさにお答えします。その歌に言うのには、
#{語釈]
家持が池主に送ったもの
含弘之徳 万物を包含する大きな徳 周易、上経、坤「坤は厚くして物を載せ、徳は无きょう(土弓橿)に合し、含弘光大にして、品物咸(ことごと)く享(うけ)る」
大地の徳を讃えたもの。
蓬体 蓬のような貧弱な体。謙遜していったもの。
不貲之思 計り知れない深い思い
報慰陋心 陋心 いやしい、つたない心 謙遜していったもの。
戴荷<来眷> <来眷> 諸本「来春」略解「宣長云 来眷と有しを誤れるなるべし。来眷とは池主が歌文をおくれるを言ふ。眷はかへりみるの意也と言へり」
戴荷 いただく [西][矢][京] 戴 [紀][細] 載
御心をお寄せいただいての意

無堪所喩 うれしさは喩えようもない
遊藝 論語述志「藝に遊ぶ」集注「藝は則ち礼楽の文、射御書数の法」 文芸のこと
横翰之藻 翰(ふで)をほしいままに振って書く文章。藻は、文章を藻に喩えたもの(大系)
初学記 文章 周庚信 趙国公集序「言を発し論を為し筆を下し章を成す。逸態横生し(溢れ出る)、新情たん起す。」 筆から溢れ出る文章の意(小島憲之)
自乏<乎>彫蟲 彫蟲は、文章の技巧。自然と技巧に乏しい。
山柿之門 [西][陽][矢][京]小字 山邊、柿本也
代匠記 山部赤人、柿本人麻呂
佐々木信綱 山上憶良 柿本人麻呂
逕 径の異体字 至と同じ。
裁歌之趣 歌を作る方法
聚林 多くの歌を木立の集まる林に喩えた言い方。
全註釈 憶良の「類聚歌林」を指しているか。
爰辱以藤續錦之言 池主の「以藤續錦」の言葉を頂戴し
将石間瓊 自分の石のように価値のない歌を池主の瓊(たま)のような歌に交える
酬嗤咲 お笑い草にする
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3969
#[題詞]更贈歌一首[并短歌] / 含弘之徳垂恩蓬体不貲之思報慰陋心 戴荷<来眷>無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭 横翰之藻自乏<乎>彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣 詞失<乎>聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 <固>是俗愚懐癖 不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰
#[原文]於保吉民能 麻氣乃麻尓々々 之奈射加流 故之乎袁佐米尓 伊泥氐許之 麻須良和礼須良 余能奈可乃 都祢之奈家礼婆 宇知奈妣伎 登許尓己伊布之 伊多家苦乃 日異麻世婆 可奈之家口 許己尓思出 伊良奈家久 曽許尓念出 奈氣久蘇良 夜須<家>奈久尓 於母布蘇良 久流之伎母能乎 安之比紀能 夜麻伎敝奈里氐 多麻保許乃 美知能等保家<婆> 間使毛 遣縁毛奈美 於母保之吉 許等毛可欲波受 多麻伎波流 伊能知乎之家登 勢牟須辨能 多騰吉乎之良尓 隠居而 念奈氣加比 奈具佐牟流 許己呂波奈之尓 春花<乃> 佐家流左加里尓 於毛敷度知 多乎里可射佐受 波流乃野能 之氣美<登>妣久々 鴬 音太尓伎加受 乎登賣良我 春菜都麻須等 久礼奈為能 赤裳乃須蘇能 波流佐米尓 々保比々豆知弖 加欲敷良牟 時盛乎 伊多豆良尓 須具之夜里都礼 思努波勢流 君之心乎 宇流波之美 此夜須我浪尓 伊母祢受尓 今日毛之賣良尓 孤悲都追曽乎流
#[訓読]大君の 任けのまにまに しなざかる 越を治めに 出でて来し ますら我れすら 世間の 常しなければ うち靡き 床に臥い伏し 痛けくの 日に異に増せば 悲しけく ここに思ひ出 いらなけく そこに思ひ出 嘆くそら 安けなくに 思ふそら 苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の 道の遠けば 間使も 遣るよしもなみ 思ほしき 言も通はず たまきはる 命惜しけど せむすべの たどきを知らに 隠り居て 思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに 思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く 鴬の 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の 春雨に にほひひづちて 通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 偲はせる 君が心を うるはしみ この夜すがらに 寐も寝ずに 今日もしめらに 恋ひつつぞ居る
#[仮名],おほきみの,まけのまにまに,しなざかる,こしををさめに,いでてこし,ますらわれすら,よのなかの,つねしなければ,うちなびき,とこにこいふし,いたけくの,ひにけにませば,かなしけく,ここにおもひで,いらなけく,そこにおもひで,なげくそら,やすけなくに,おもふそら,くるしきものを,あしひきの,やまきへなりて,たまほこの,みちのとほけば,まつかひも,やるよしもなみ,おもほしき,こともかよはず,たまきはる,いのちをしけど,せむすべの,たどきをしらに,こもりゐて,おもひなげかひ,なぐさむる,こころはなしに,はるはなの,さけるさかりに,おもふどち,たをりかざさず,はるののの,しげみとびくく,うぐひすの,こゑだにきかず,をとめらが,はるなつますと,くれなゐの,あかものすその,はるさめに,にほひひづちて,かよふらむ,ときのさかりを,いたづらに,すぐしやりつれ,しのはせる,きみがこころを,うるはしみ,このよすがらに,いもねずに,けふもしめらに,こひつつぞをる
#[左注](三月三日大伴宿祢家持)
#[校異]歌 [西] 謌 / 恩 [天](塙) 思 / 思 (塙) 恩 / 未春 -> 来眷 [万葉集略解] / 于 -> 乎 [元][紀][細] / 于 -> 乎 [元][紀][細] / 因 -> 固 [元] / 家久[西(右書)] -> 家 [元][紀] / 波 -> 婆 [元] / 之 -> 乃 [元][細] / 豆 -> 登 [元][紀]
#[鄣W],天平19年3月3日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,,書簡,枕詞,動物,恋情,悲嘆,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]
大君のご命令に従って、都から遠く離れた越を治めにと出てきた大夫である自分ですら、世の中が常でないことなので、靡いて床に臥してしまって、痛いことが一日一日次第に増してくるので、悲しいことをここに思い出し、苛立たしいことをそこに思い出し、嘆く心も安くないのに、思う心も苦しいものなのに、あしひきの山が立ち隔たって、玉鉾の道が遠いので、都の使いも遣わす手だてもないので、思っている消息も通わない。たまきはる命は惜しいけれども、どうしてよいか方法を知らないで、隠ったまま居て、何度も思い嘆き、慰める気持ちもなくて、春の花の咲いている盛りに思い合ったもの同士が手折ってかざすこともせず、春の野原の茂みを飛びくぐっている鴬の声すら聞かないで、娘子たちが春の山菜を摘むとして、紅の赤裳の裾が春雨に美しく濡れ、男が通うであろうその時の盛りを無駄に過ごして時を送っているので、自分をお偲びになっているあなたの心をいとしく思って、この夜ずっと眠ることもしないで、今日も一日中恋い続けていることである。
#{語釈]
しなざかる しな 9/1742 級 階段、坂
いくつもの坂を隔てた遠いの意で越にかかる。
しなとは、等級の意で、都から数段下がった鄙である越の意
悲しけくここに思い出 悲しいことをここに思い出し
応神記 宇遅和紀郎子 「いらなけく そこに思い出 悲しけく ここに思い出」
いらけなく そこに思い出 「いらなし」 大系「いらは棘。いらなしとはとげとげして苦痛不安なこと
古典全集「諷誦文稿 父公が楚目は見不とし給ひし 楚にいらなしの注」
楚とは本来いばらを示す。痛む、心痛するの意。
和名抄「苛 玉篇云 苛 音阿、以良 小草生棘也」 なしは甚だしい。
苛(いら)苛しいこと。
嘆くそら そら 4/534 心がうつろであること。気持ち、心地
山きへなりて 4/670月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに
切って隔てる 都との間が遠く隔てられているの意
間使い 都との間を取り持つ使い
06/0946H03おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし
10/2344H01梅の花それとも見えず降る雪のいちしろけむな間使遣らば
10/2344H02[降る雪に間使遣らばそれと知らなむ]
11/2388H01立ちて居てたづきも知らず思へども妹に告げねば間使も来ず
17/3962H09をちこちに 騒き泣くらむ 玉桙の 道をた遠み 間使も
慰むる 05/0898H01慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ
憶良と用例が同じ

11/2596H01慰もる心はなしにかくのみし恋ひやわたらむ月に日に異に
05/0889H01家にありて母がとり見ば慰むる心はあらまし死なば死ぬとも
05/0898H01慰むる心はなしに雲隠り鳴き行く鳥の音のみし泣かゆ
13/3280H04慰むる 心を持ちて ま袖もち 床うち掃ひ うつつには 君には逢はず
17/3969H08思ひ嘆かひ 慰むる 心はなしに 春花の 咲ける盛りに
17/3973H05言ひ継ぎくらし 世間は 数なきものぞ 慰むる
18/4113H06ゆりも逢はむと 慰むる 心しなくは 天離る 鄙に一日も
18/4125H04うながけり居て 思ほしき 言も語らひ 慰むる
思ふどち 気のあった者同士 奈良時代の用例
05/0820H01梅の花今盛りなり思ふどちかざしにしてな今盛りなり
08/1591H01黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち遊ぶ今夜は明けずもあらぬか
08/1656H01酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし
10/1880H01春日野の浅茅が上に思ふどち遊ぶ今日の日忘らえめやも
10/1882H01春の野に心延べむと思ふどち来し今日の日は暮れずもあらぬか
17/3969H09思ふどち 手折りかざさず 春の野の 茂み飛び潜く 鴬の
17/3991H01もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて
17/3991H09いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと
17/3993H03心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち
19/4187H01思ふどち ますらをのこの 木の暗の 繁き思ひを 見明らめ 心遣らむと
19/4284H01新しき年の初めに思ふどちい群れて居れば嬉しくもあるか
飛び潜く 木立の葉の茂っている枝の中を飛び潜って
17/3971H01山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
娘子らが 春菜摘ますと 赤人歌を念頭に置いたもの
08/1427H01明日よりは春菜摘まむと標めし野に昨日も今日も雪は降りつつ
紅の 赤裳の裾 娘子の象徴的な表現
05/0804H04[白妙の 袖振り交はし 紅の 赤裳裾引き]
06/1001H01大夫は御狩に立たし娘子らは赤裳裾引く清き浜びを
07/1090H01我妹子が赤裳の裾のひづちなむ今日の小雨に我れさへ濡れな
07/1274H01住吉の出見の浜の柴な刈りそね娘子らが赤裳の裾の濡れて行かむ見む
09/1710H01我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜
09/1742H01しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き
11/2550H01立ちて思ひ居てもぞ思ふ紅の赤裳裾引き去にし姿を
11/2786H01山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
15/3610H01安胡の浦に舟乗りすらむ娘子らが赤裳の裾に潮満つらむか
17/3969H10声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の
17/3973H08すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは
にほひひづちて 美しく輝くように濡れて
通ふらむ 時の盛りを いたづらに 過ぐし遣りつれ 憶良歌
05/0804 遊びけむ 時の盛りを 留みかね 過ぐしやりつれ
うるはしみ いとしく思って 池主のことを讃めて言う
この夜すがらに 夜中ずっと 一晩中
今日もしめらに ひまなく ずっと
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3970
#[題詞](更贈歌一首[并短歌] / 含弘之徳垂恩蓬体不貲之思報慰陋心 載荷<来眷>無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭 横翰之藻自乏<乎>彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣 詞失<乎>聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 <固>是俗愚懐癖 不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰)
#[原文]安之比奇能 夜麻佐久良婆奈 比等目太尓 伎美等之見氐婆 安礼古<非>米夜母
#[訓読]あしひきの山桜花一目だに君とし見てば我れ恋ひめやも
#[仮名],あしひきの,やまさくらばな,ひとめだに,きみとしみてば,あれこひめやも
#[左注](三月三日大伴宿祢家持)
#[校異]悲 -> 非 [元][類][細]
#[鄣W],天平19年3月3日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,,書簡,枕詞,植物,恋,悲嘆,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]あしひきの山の桜の花よ一目だけでもあなたと見たならば自分は恋い思うということがあろうか。
#{語釈]
池主歌 17/3967H01山峽に咲ける桜をただ一目君に見せてば何をか思はむ を受けた
#[説明]
赤人歌 08/1425H01あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいたく恋ひめやも を踏まえている。
#[関連論文]


#[番号]17/3971
#[題詞](更贈歌一首[并短歌] / 含弘之徳垂恩蓬体不貲之思報慰陋心 載荷<来眷>無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭 横翰之藻自乏<乎>彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣 詞失<乎>聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 <固>是俗愚懐癖 不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰)
#[原文]夜麻扶枳能 之氣美<登>(i)久々 鴬能 許恵乎聞良牟 伎美波登母之毛
#[訓読]山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
#[仮名],やまぶきの,しげみとびくく,うぐひすの,こゑをきくらむ,きみはともしも
#[左注](三月三日大伴宿祢家持)
#[校異]等 -> 登 [元][類][紀][細]
#[鄣W],天平19年3月3日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,,書簡,枕詞,植物,動物,恋情,悲嘆,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]山吹の茂みを飛びくぐって鴬の声を聞いているであろうあなたはうらやましいことだ。
#{語釈]
山吹 池主 17/3968H01鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも に応えたもの
#[説明]
山吹 家持に多い。
02/0158H01山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
08/1435H01かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花
08/1444H01山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり
09/1700H01秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも
10/1860H01花咲きて実はならねども長き日に思ほゆるかも山吹の花
10/1907H01かくしあらば何か植ゑけむ山吹のやむ時もなく恋ふらく思へば
11/2786H01山吹のにほへる妹がはねず色の赤裳の姿夢に見えつつ
17/3968H01鴬の来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
17/3971H01山吹の茂み飛び潜く鴬の声を聞くらむ君は羨しも
17/3974H01山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
17/3976H01咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの山吹を見せつつもとな
19/4184H01山吹の花取り持ちてつれもなく離れにし妹を偲ひつるかも
19/4185H02折りも折らずも 見るごとに 心なぎむと 茂山の 谷辺に生ふる 山吹を
19/4186H01山吹を宿に植ゑては見るごとに思ひはやまず恋こそまされ
19/4197H01妹に似る草と見しより我が標し野辺の山吹誰れか手折りし
20/4302H01山吹は撫でつつ生ほさむありつつも君来ましつつかざしたりけり
20/4303H01我が背子が宿の山吹咲きてあらばやまず通はむいや年の端に
20/4304H01山吹の花の盛りにかくのごと君を見まくは千年にもがも
#[関連論文]


#[番号]17/3972
#[題詞](更贈歌一首[并短歌] / 含弘之徳垂恩蓬体不貲之思報慰陋心 載荷<来眷>無堪所喩也 但以稚時不渉遊藝之庭 横翰之藻自乏<乎>彫蟲焉 幼年未逕山柿之門 裁歌之趣 詞失<乎>聚林矣 爰辱以藤續錦之言更題将石間瓊之詠 <固>是俗愚懐癖 不能黙已 仍捧數行式酬嗤咲其詞曰)
#[原文]伊泥多々武 知加良乎奈美等 許母里為弖 伎弥尓故布流尓 許己呂度母奈思
#[訓読]出で立たむ力をなみと隠り居て君に恋ふるに心どもなし
#[仮名],いでたたむ,ちからをなみと,こもりゐて,きみにこふるに,こころどもなし
#[左注]三月三日大伴宿祢家持
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月3日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,,書簡,恋情,悲嘆,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]出て立とう思う力がないのでと家に隠っていてあなたに恋い思うとしっかりとした心もないことだ
#{語釈]
心ど しっかりした精神。心
03/0457H01遠長く仕へむものと思へりし君しまさねば心どもなし
03/0471H01家離りいます我妹を留めかね山隠しつれ心どもなし
11/2525H01ねもころに片思ひすれかこのころの我が心どの生けるともなき
12/3055H01山菅のやまずて君を思へかも我が心どのこの頃はなき
13/3275H01ひとり寝る夜を数へむと思へども恋の繁きに心どもなし
17/3972H01出で立たむ力をなみと隠り居て君に恋ふるに心どもなし
19/4173H01妹を見ず越の国辺に年経れば我が心どのなぐる日もなし
とごころと同じ
11/2400H01いで何かここだはなはだ利心の失するまで思ふ恋ゆゑにこそ
12/2894H01聞きしより物を思へば我が胸は破れて砕けて利心もなし
20/4479H01朝夕に音のみし泣けば焼き太刀の利心も我れは思ひかねつも
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]3973D1
#[題詞]七言晩春三日遊覧一首并序
#[原文]上巳名辰暮春麗景 桃花昭瞼以分紅 柳色含苔而競緑 于時也携手(ナ)望江河之畔訪酒迥<過>野客之家 既而也琴罇得性蘭契和光 嗟乎今日所恨徳星已少歟 若不扣寂<含>章何以<攄>逍遥之趣忽課短筆聊勒四韻云尓 / 餘春媚日宜怜賞 上巳風光足覧遊 / 柳陌臨江縟ハ服 桃源通海泛仙舟 / 雲罍酌桂三清湛 羽爵催人九曲流 / 縦酔陶心忘彼我 酩酊無處不淹留
#[訓読]
上巳の名辰、暮春の麗景、桃花瞼(まなぶた)を昭(て)らし、以て紅を分かち、柳色苔を含みて緑を競ふ。時に手を携へて、(ナ)(ひろ)く江河の畔(ほとり)を望み、酒を訪ねて迥(はるか)に野客の家を過ぐ。既にして、琴チ性を得、蘭契光を和(やわら)ぐ。嗟乎(ああ)今日恨むる所は、徳星已に少なきことを。若し寂(せき)を扣(たた)き章を含まずは、何を以ちてか逍遥の趣を<攄 >べむ。忽に短筆に課(おほ)せて、聊(いささか)四韻を勒すと云尓(しかいふ)。
餘春の媚日は怜賞するに宜(よ)く、
上巳の風光は、覧遊するに足れり。
柳陌(りゅうはく)は江に臨み、ハ服(げんぷく)を褥(まだらか)にし、
桃源、海に通じて仙舟を泛かぶ。
雲罍に桂を酌みて、三清湛(たた)へ、
羽爵、人を催(うなが)して、九曲流る。
縦酔(しょうすい)陶心して彼我を忘れ、
酩酊して處として淹留(えんりゅう)せざるは無し。
#[仮名]
#[左注]三月四日大伴宿祢池主
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月4日,年紀,作者:大伴池主,書簡,上巳宴,漢詩,曲水宴,贈答,遊覧,大伴家持,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]三月三日に佳日、春も終わりの美しい光景、桃の花は瞼を照らして紅色を分かち合い、柳の色は苔の色も交えて緑を競い合っている。この時に手を取り合って広く江河のほとりを望み、酒を求めて遙かに野の隠者の家を過ぎる。こうしてもう琴を十分に弾じ、酒も満足するまで飲んで、蘭の契りのような淡い君子の交わりを和やかにしている。ああ、今日残念なことは、徳星であるあなたがいらっしゃらないことだ。もし声のない者まで叩いて文章を作らなければ、どうして悠々と遊ぶ雰囲気を述べようか。いそいで拙い筆に命じてちょっと四韻を記したという次第である。
晩春の美しい一日は、褒め称えるに宜しく、三月三日の風景は、遊覧するのに十分である。
柳の並木道は、川のほとりを通り、盛装の着物を美しく彩り、桃源郷のようなこの宴の場は海に通じていて、仙人の乗るような船を浮かべている。
雲や雷の図柄の酒樽に桂の入った芳しい酒を酌んで、美酒がたっぷりとあり、
鳥の形をした杯は、周りの人に詩作を促して、あちらこちらの川の曲がり角を流れている。
ほしいままに酔って陶然として何もかも忘れ、酩酊してあちらこちらに留まらないということはない。
#{語釈]
名辰 佳日、吉日 辰 日のこと
桃花昭瞼以分紅 昭 [西][元][紀] 照 [細][寛] 注釈
昭 てりかがやく 照に同じ であるので、昭 でよい

瞼 臉の通用(小島憲之)
注釈 臉だとすると 正字通「面臉 目下頬上也」 集韻「頬也」
ほほ であるべき。

桃の花と瞼がとおに色を分かち合うこと 強いて頬としなくとも、まぶたでも意味は通じる。
駱賓王 夏日遊徳州贈高四并序 林廬星華映、水徹霞光浄 霞水両分紅 川源四望通

于時也 その時にあたって
江河之畔 通常 江 揚子江 河 黄河 ここは単に河 具体的には射水川を指すか
中国的な気分で言う
訪酒 酒を求めて
野客 仕官しない人 野にある人 老荘的な隠遁者を訪ねる趣。
王渤 夏日登龍門楼寓望序 脱野客之荷衣
既而也 こうしてもう
琴チ得性 琴と樽がその本性を発揮する 十分に酒を飲んで琴を弾じて楽しみを尽くす
蘭契和光 蘭契の交わり 蘭の香りのような清い交わり。君子の交わり
和光 老子「其の光を和らげ、其の塵を同じくす」 賢人君子もその才能を和らげて、俗人と一緒になる
徳星 賢人のたとえ。家持を指す。続晋陽秋「時に特星聚まる。太史奏して曰く、五百里内に賢人聚まること有り」
ここでは、徳星である家持がいないことを残念に思うこと。

若不扣寂含章 文選 陸士衡「文賦」「虚無を課して以て有を責め、寂寞を扣いて音を求む」(声のない者をたたき出して音声を求める)
文章を作り出すこと
文選 左太沖 「蜀都賦」「楊雄章を含みて挺正す(傑出している)」
同じく文章を作る
<攄>逍遥之趣 攄は、舒と同じ。述べること。悠々と遊ぶ趣
短筆 つたない筆 自分の文章力を謙遜する。
云尓 しかいふ 文末の納め。 平安朝以来の読み習わし。
餘春 晩春
媚日 小爾雅広詁「媚 美也」 うるわしい日
怜賞 賞美する
柳陌 陌は道 柳の並木道
縟ハ服 顔延年 曲水序「ハ服、川を褥(まだらか)にし」
左太沖蜀都賦注蘇林曰 ハ服は盛装を謂う也
説文 褥は、繁彩色也

盛装の着物を美しくいろどる
桃源通海泛仙舟 曲水の宴の風景を桃源になぞらえている
雲罍 雲と雷の模様の入った酒樽 罍は壺のような樽
酌桂 桂木の入った香りのよい酒 桂酒
三清 大系 幾度も醸した清酒 どのような酒かは未詳
羽爵 鳥をかたどった杯 曲水の宴に川に流される。
催人 人に詩歌を作ることを促して
九曲 あちらこちらの川の曲がり角。
縦酔陶心 縦(ほしいまま)に酔って
陶心 陶酔する 心がうっとりとする
淹留 長く留まること。
酒に酔ってふらふらと所を選ばず足を止める
#[説明]
曲水の宴 顕宗紀元年三月上巳、幸後苑供水宴 二年、三年の記事
聖徳太子伝暦 推古二十八年 持統五年、続紀天武天皇大宝元年、聖武神亀三年
神亀五年 文人を召して曲水の詩を賦せしむ
懐風藻 調忌寸老人 山田史三方
#[関連論文]


#[番号]17/3973D2
#[題詞]
#[原文]昨日述短懐今朝汗耳目 更承賜書且奉不次 死罪々々 不遺下賎頻恵徳音 英<霊>星氣逸調過人 智水仁山既ヒ琳瑯之光彩 潘江陸海自坐詩書之廊廟 騁思非常託情有理 七歩成章數篇満紙 巧遣愁人之重患 能除戀者之積思 山柿歌泉比此如蔑 彫龍筆海粲然得看矣 方知僕之有幸也 敬和歌其詞云
#[訓読]昨日短懐を述べ、今朝耳目を汗(けが)す。更に賜書を承り、且つ不次(ふし)を奉る。死罪々々。下賎(げせん)を遺(わす)れず、頻(しき)りに徳音(とくいん)を恵みたまふ。英<霊>星氣あり。逸調人を過ぐ。智水仁山は既に琳瑯の光彩をヒ(つつ)み、潘江陸海は自(おのづか)ら詩書の廊廟に坐す。思ひを非常に騁(は)せ、情(こころ)を有理に託(よ)す。七歩にして章を成し、數篇紙に満つ。巧(よ)く愁人の重患を遣(や)り、能く戀者の積思を除く。山柿の歌泉も此に比すれば蔑(な)きが如し。彫龍の筆海は、粲然として看ることを得たり。方(まさ)に知る。僕(わ)が幸(さきはひ)有ることを。敬みて和ふる歌、其の詞に云はく、
#[仮名]
#[左注]
#[校異]三日遊覧 [元] 遊覧 / 遏 -> 過 [元] / 含之 -> 含 [元][紀][細] / 瀘 -> 攄 [元][紀][細] / 雲 -> 霊 [元]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,恋情,遊覧,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]昨日は自分のつたない思いを述べ、今朝はまたお耳や目を汚します。更にお手紙をいただき、その上乱文の手紙を差し上げ恐縮しております。私のような賤しい者も忘れずに絶えずよいお便りをお恵みくださいます。あなたの文才は気迫があります。ずば抜けた調べは抜群であります。その山や水のような文才は既に美玉の光までも包み込み、川のような藩安仁や海のような陸士衡のような才能は、本来から文芸の殿堂の中に存在しておられます。詩作の思いは非凡であり、詩情は理のある方向に寄せておられます。曹植のように七歩歩く間に文章を作り、詩の数編が紙にいっぱいになります。よく愁う自分の重い悩みを払い、よく恋い思う者である自分の積もった思いを晴らしてくださいます。山柿の歌聖もこれに比べるとないに等しいでしょう。龍を彫るような巧みな文章は、あざやかに見ることが出来ました。まさに知りました。自分が幸せであることを。そこで謹んで答える歌を作りました。その言葉に言うのには、
#{語釈]
短懐 自分のつたない思い 謙遜した言葉。
賜書 家持からの手紙 序と歌(3969~3972)
不次 文章が順序なく乱れている意。池主の書簡を謙遜して言ったもの。
死罪 死罪に当たるほどのものという意。恐縮の意を誇張して言ったもの。書簡に多く使われる。
不遺下賎 いやしい自分を忘れず
徳音 徳のある立派な音信。家持の書簡を尊んだ言い方。
英霊 すぐれた才能 家持の文才を誉める言い方
星氣 星象に譬えたもの。気迫がある。
智水仁山 論語雍也篇「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。」
知者と仁者の風格について大と水にたとえてみると、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむだろう。知者は動いて停滞しないこと水の如くであり、仁者は安んじて静かなこと山の如くである。知者は絶えず変化の中に処して、きわまることがないから、楽しみが尽きない。仁者はすべてに安んじてあくせくしないから長寿を保つ。
ここでは、家持の文才を言ったもの。
ヒ琳瑯之光彩 琳瑯は美しい玉。家持の文才を讃えたもの。ヒは、包蔵するの意
文選文賦「石ヒ玉而山輝、水懐珠而川媚」によったもの。
潘江陸海 藩岳(安仁)と陸機(士衡)を川と海になぞらえてその文才を言ったものを家持に譬えた。
梁の鐘嶸(しょうこう)の詩品「陸の才は海の如く、藩の才は江の如し」
詩書之廊廟 廊廟は、正殿。文学の殿堂のこと。
詩品「思王は室に入り、景陽・藩・陸は自ら廊廡(ろうぶ 廊下と庇)の間に坐すべし」
騁思非常 騁 走らせる 思 詩作の思い 非常 尋常でなく非凡なこと
小島憲之 王勃 與員四等宴序「請ふ。非常之思を沃(そよ)ぎ、但(ただ)絶代之遊を宣ぶ」
託情有理 詩情を理の有る方向へ寄せる 理は、道理、文、辞など文学を生み出す本質的なものの一つ。
七歩成章 文選「斉竟陵文宣王行状一首」李善注 世説曰、魏文帝(曹丕)陳思王(同母弟曹植)に七歩にして詩を成さしむ」
巧遣愁人之重患 巧は、次の能と対。よく 愁人 愁いを抱く人 池主自身
重患 思い苦悩
戀者之積思 池主自身が家持を恋い思っているので、恋者となる。
家持が歌で鬱屈を晴らすと言うことと同じく、詩文の役割としての文芸観。
山柿歌泉 家持に山柿とあったのに拠る。
全注 歌泉は、歌のことで、上に藩江・陸海といったので「泉」と称したのであろう。或いは、歌仙(歌聖)を響かせているか。
蔑 さげすむ ないがしろ ない
彫龍筆海 彫龍 文章を飾る意 筆海 筆を海に譬えたもの。詩文
粲然 明瞭な様 あざやか
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3973
#[題詞]昨日述短懐今朝汗耳目 更承賜書且奉不次 死罪々々 不遺下賎頻恵 徳音 英<霊>星氣逸調過人 智水仁山既ヒ琳瑯之光彩 潘江陸海自坐詩書之廊廟 騁思非常託情有理 七歩成章數篇満紙 巧遣愁人之重患 能除戀者之積思 山柿歌泉比此如蔑 彫龍筆海粲然得看矣 方知僕之有幸也 敬和歌其詞云
#[原文]憶保枳美能 弥許等可之古美 安之比奇能 夜麻野佐<波>良受 安麻射可流 比奈毛乎佐牟流 麻須良袁夜 奈邇可母能毛布 安乎尓余之 奈良治伎可欲布 多麻豆佐能 都可比多要米也 己母理古非 伊枳豆伎和多利 之多毛比<尓> 奈氣可布和賀勢 伊尓之敝由 伊比都藝久良之 餘乃奈加波 可受奈枳毛能曽 奈具佐牟流 己等母安良牟等 佐刀(i)等能 安礼邇都具良久 夜麻備尓波 佐久良婆奈知利 可保等利能 麻奈久之婆奈久 春野尓 須美礼乎都牟<等> 之路多倍乃 蘇泥乎利可敝之 久礼奈為能 安可毛須蘇妣伎 乎登賣良<波> 於毛比美太礼弖 伎美麻都等 宇良呉悲須奈理 己許呂具志 伊謝美尓由加奈 許等波多奈由比
#[訓読]大君の 命畏み あしひきの 山野さはらず 天離る 鄙も治むる 大夫や なにか物思ふ あをによし 奈良道来通ふ 玉梓の 使絶えめや 隠り恋ひ 息づきわたり 下思に 嘆かふ我が背 いにしへゆ 言ひ継ぎくらし 世間は 数なきものぞ 慰むる こともあらむと 里人の 我れに告ぐらく 山びには 桜花散り 貌鳥の 間なくしば鳴く 春の野に すみれを摘むと 白栲の 袖折り返し 紅の 赤裳裾引き 娘子らは 思ひ乱れて 君待つと うら恋すなり 心ぐし いざ見に行かな ことはたなゆひ
#[仮名],おほきみの,みことかしこみ,あしひきの,やまのさはらず,あまざかる,ひなもをさむる,ますらをや,なにかものもふ,あをによし,ならぢきかよふ,たまづさの,つかひたえめや,こもりこひ,いきづきわたり,したもひに,なげかふわがせ,いにしへゆ,いひつぎくらし,よのなかは,かずなきものぞ,なぐさむる,こともあらむと,さとびとの,あれにつぐらく,やまびには,さくらばなちり,かほどりの,まなくしばなく,はるののに,すみれをつむと,しろたへの,そでをりかへし,くれなゐの,あかもすそびき,をとめらは,おもひみだれて,きみまつと,うらごひすなり,こころぐし,いざみにゆかな,ことはたなゆひ
#[左注](三月五日大伴宿祢池主)
#[校異]三日遊覧 [元] 遊覧 / 遏 -> 過 [元] / 含之 -> 含 [元][紀][細] / 瀘 -> 攄 [元][紀][細] / 雲 -> 霊 [元] / 婆 -> 波 [元] / 余 -> 尓 [万葉考] / 等 [西(上書訂正)][元][紀][細] / 婆 -> 波 [元][紀][細]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴池主,贈答,枕詞,高岡,富山,遊覧,大伴家持,書簡
#[訓異]
#[大意]
大君のご命令を恐れ謹んで、あしひきの山野もものともせずに天から遠く離れた田舎も治める大夫たるものがどうして物思いをされるのか。あをによし奈良への道を行ったり来たりする玉梓の使者が途絶えることがありましょうか。家に閉じこもって恋い思い、ため息をつき続け、心の中で思うばかりでお嘆きになる我が背よ。いにしえから言い継いできたらしい言葉に、世の中は数のないはかないものだと。慰められる気持ちもあろうかと里の人が自分に語ってくれるのには、山のあたりには桜花が散っていて、貌鳥が絶えずしきりに鳴いている。春の野にすみれを摘むとして白栲の袖を折り返し、紅色の赤裳を裾を引きずり、娘子たちは思い乱れてあなたを待つとして心ひそかに待っているといいます。うっとうしいことです。さあ見に行きましょうよ。しっかりと約束して。
#{語釈]
山野さはらず 山野 障(さは)らず 妨害されずに
鄙も治むる 原文「比奈毛乎佐牟流」 元「毛」が落ちる。注釈「乎」が落ちたかとして鄙を治むる と訓む。
大夫 大君の命令でどのような山川も越えて、都から遠くから離れた田舎を統治するのが大夫である。「大君の命かしこみ」と同じく、奈良時代の律令官人意識。
ここでは家持のこと。
何かもの思ふ どうしてもの思いなどあるか と勇気づけたもの。
隠り恋ひ 家の中に隠ったままで恋い思い 家持が病気で家の中で臥している様子
下思に 尓 諸本 余 考「今本尓を余に誤る」
全註釈 下思ひよ と訓む。ヨは、ここでは理由を示すために使われている。下思いによって嘆く意」
古典大系 余をヨリの意に解するならば、助詞ヨは甲類仮名。余は乙類仮名。尓の誤り
貌鳥の 間なくしば鳴く
赤人
03/0372H02貌鳥の 間なくしば鳴く 雲居なす 心いさよひ その鳥の 片恋のみに
春の野に すみれを摘むと
赤人
08/1424H01春の野にすみれ摘みにと来し我れぞ野をなつかしみ一夜寝にける
家持歌 17/3969鴬の 声だに聞かず 娘子らが 春菜摘ますと 紅の 赤裳の裾の
に対応している。
心ぐし 心が鬱陶しい。晴れ晴れとしない
04/0735H01春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む
04/0789H01心ぐく思ほゆるかも春霞たなびく時に言の通へば
ことはたなゆひ こと 野遊びのこと。たなゆひ 難解。
全註釈、注釈、全注「たな」十分に、すっかり 「ゆひ」は結ひで約束の意 野遊びのことをしっかりと約束して
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3974
#[題詞](昨日述短懐今朝汗耳目 更承賜書且奉不次 死罪々々 不遺下賎頻恵 徳音 英<霊>星氣逸調過人 智水仁山既ヒ琳瑯之光彩 潘江陸海自坐詩書之廊廟 騁思非常託情有理 七歩成章數篇満紙 巧遣愁人之重患 能除戀者之積思 山柿歌泉比此如蔑 彫龍筆海粲然得看矣 方知僕之有幸也 敬和歌其詞云)
#[原文]夜麻夫枳波 比尓々々佐伎奴 宇流波之等 安我毛布伎美波 思久々々於毛保由
#[訓読]山吹は日に日に咲きぬうるはしと我が思ふ君はしくしく思ほゆ
#[仮名],やまぶきは,ひにひにさきぬ,うるはしと,あがもふきみは,しくしくおもほゆ
#[左注](三月五日大伴宿祢池主)
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,恋情,遊覧,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]山吹は一日一日咲いてくる。いとしいと自分が思うあなたはしきりに思われてならない。
#{語釈]
日に日に咲きぬ 一日一日 次第に咲いてきた
通常、ひにけに であるが、仮名書きで、ひにひにとなっている。
うるはしと 慕わしい いとしい
12/2843H01愛しと我が思ふ妹を人皆の行くごと見めや手にまかずして
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3975
#[題詞](昨日述短懐今朝汗耳目 更承賜書且奉不次 死罪々々 不遺下賎頻恵 徳音 英<霊>星氣逸調過人 智水仁山既ヒ琳瑯之光彩 潘江陸海自坐詩書之廊廟 騁思非常託情有理 七歩成章數篇満紙 巧遣愁人之重患 能除戀者之積思 山柿歌泉比此如蔑 彫龍筆海粲然得看矣 方知僕之有幸也 敬和歌其詞云)
#[原文]和賀勢故邇 古非須敝奈賀利 安之可伎能 保可尓奈氣加布 安礼之可奈思母
#[訓読]我が背子に恋ひすべながり葦垣の外に嘆かふ我れし悲しも
#[仮名],わがせこに,こひすべながり,あしかきの,ほかになげかふ,あれしかなしも
#[左注]三月五日大伴宿祢池主
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,恋情,遊覧,書簡,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]我が背子に恋しくてしかたがなく、葦垣の外ではないが、他所で嘆き続けている自分は悲しいことである。
#{語釈]
恋ひすべながり 旧訓 すべなかり すべ 手段、方法 ながり なくありの略
仕方がないの意
注釈 木下正俊 「賀」を家持はほとんど清音仮名 池主は、濁音仮名
すべながり 「がり」は形容詞語幹について動詞を作る接尾語ガルの連用形
恋いてすべなみと同じ用法 恋しくて仕方がないので
葦垣の 外にかかる枕詞
外に嘆かふ 家持に会うことが出来ずに、よそにいて嘆き続けている
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3976D
#[題詞]
#[原文]昨暮来使幸也以垂晩春遊覧之詩 今朝累信辱也以貺相招望野之歌 一看玉藻稍寫欝結二吟秀句已ニ愁緒 非此眺翫孰能暢心乎 但惟下僕禀性難彫闇神靡塋 握翰腐毫對研忘渇終日目流綴之不能 所謂文章天骨習之不得也 豈堪探字勒韻叶和雅篇哉 抑聞鄙里少兒 古人言無不酬 聊裁拙詠敬擬解咲焉 [如今賦言勒韵同斯雅作之篇 豈殊将石間瓊唱聲遊<走>曲歟 抑小兒譬濫謡 敬寫葉端式擬乱曰] / 七言一首 / <杪>春余日媚景麗 初巳和風拂自軽 / 来燕(ヘ)泥賀宇入 歸鴻引廬迥赴瀛 / 聞君<嘯>侶新流曲 禊飲催爵泛河清 / 雖欲追尋良此宴 還知染懊脚(ホ)(マ)
#[訓読]昨暮の来使は幸に晩春遊覧の詩を垂れ、今朝の累信は辱(かたじけな)くも、相招望野の歌をフ(たま)ふ。一たび玉藻を看て稍(やくや)く欝結を寫(のぞ)き、二たび秀句を吟じて、已(すで)に愁緒をニ(のぞ)く。此の眺翫に非(あらず)は、孰(たれ)か能く心を暢(の)べむ。但惟(ただし)下僕(われ)禀性彫り難く、闇神塋(みが)くこと靡(な)し。翰を握りて毫を腐(くた)し、研(けん)に對して渇(かわ)くことを忘る。終日流を目して、綴(つづ)れども能はず。所謂文章は天骨にして、習ひて得ず。豈に字を探り、韻を勒して、雅篇に叶和するに堪(あ)へめ哉。抑(そもそも)鄙里(ひり)の少兒に聞くに、古人は言に酬(むく)ひずということ無しといへり。聊(いささか)拙詠を裁(つく)り、敬(つつし)みて解咲に擬す。 [如今(いまし)言を賦し、韵を勒し、斯の雅作の篇に同ず。豈に石を将(も)ちて、瓊(たま)に間(まじ)へ、聲に唱(とな)へ、<走>曲に遊ぶに殊ならめや。抑(そもそも)小兒の濫(みだ)りに謡(うた)ふに喩(たと)ふ。敬(つつしみ)て、葉端(ようたん)に寫し、式(も)って、乱に擬して曰く、]
七言一首
<杪>春の余日は媚景麗しく 初巳の和風は拂(はら)ひて自(おのづか)ら軽し
来燕は泥を(ヘ)(ふふ)みて宇(いへ)を賀(ほ)ぎて入り 歸鴻(きこう)は廬(あし)を引きて迥(はるか)に瀛(おき)に赴く
聞くならく君は侶(とも)に<嘯>(うそぶ)きて流曲を新たにし、禊飲(けいいん)に爵(さかづき)を催(うなが)して河清に泛(うか)ぶ
良き此の宴を追い尋ねむと欲すと雖も 還(かえ)りて知る染懊(せんおう)脚の(ホ)(マ)(れいてい)なることを
#[仮名]
#[左注](三月五日大伴宿祢家持臥病作之)
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,遊覧,書簡,漢詩,高岡,富山,病気
#[訓異]
#[大意]昨夕に来た使いは幸いにも晩春遊覧の詩を下さり、今朝の重ねてのお便りはありがたいことにも相招望野の歌をいただいた。一度美しい詩文を見てやっと鬱結の気持ちが除かれ、二度すぐれた句を吟詠して、すっかり愁いの気持ちを取り除いた。この風光を眺望賞翫する詩歌でなければ、どれがよく心を晴らすことが出来ようか。ただし自分は生まれつき素質がなく、努力しても無駄であり、暗愚な精神は磨いても無駄である。筆を取っては毛先を腐らせ、硯に向かって墨が乾いていることを忘れる。一日中流れを眺めて文を綴ろうとするが出来ない。いわゆる文章は天性のものであり、習って得られるものではない。どうして字を探し、韻を踏んで、あなたのすぐれた詩編に唱和するということが出来ようか。そもそも里人が言うのには、古人は人の言葉に答えないということは無いと言う。そこで拙い詩歌を作って、謹んでお笑いぐさにする。[今詩を賦し、韻を踏み、このあなたのすぐれた詩編に唱和する。どうして石で玉に交え、声に出して自己流の歌を勝手に歌うことに異なろうか。どうも小さい子がみだりに歌うようである。謹んで紙片に書き写して、乱になぞらえて言う。
晩春の残りの日はなまめかしい風景が麗しく、上巳の和やかな風は、吹き払うに自然と軽い
やってくる燕は巣作りのための泥を口に含んで軒下を寿いで入り、北国へ帰っていく雁は蘆をくわえて遙かに海の沖に赴く
聞くことにはあなたは友と詩歌を作って曲水の宴を新たにし、禊ぎして宴を催して杯を取って清らかな川に浮かべると
よいこの宴を追って尋ねようと思っても、返って知る。病に染まって足がふらついていることを
#{語釈]
昨暮来使 池主の「昨日述短懐」の語句に対応する。
晩春遊覧之詩 池主の詩
今朝累信 池主の「今朝汗耳目」の語句に対応する。
相招望野之歌 池主の歌
稍寫欝結 寫 廣雅「除也」 次の「ニ愁緒」 「ニ」3967序 廣雅「除也」
17/3911D01橙橘初咲霍公鳥飜嚶 對此時候タ不暢志 因作三首短歌以散欝結之緒耳
05/0868D03口外難出 謹以三首之鄙歌 欲寫五蔵之欝結 其歌曰
暢心 心を晴らす
下僕 家持自身を謙遜して言ったもの 元「但走」とあり、左上「惟下僕」とある。
「走」は自己の卑称。謙遜したもの。注釈 家持の草案で、後に惟下僕と書き直した。元は、両案を残したもの。
禀性難彫 生まれつき素質がなく、訓練しても無駄である
闇神靡塋 暗愚な精神は、磨いても無駄であるの意
握翰腐毫 「翰」は筆、「毫」は筆毛
全注 文心彫龍 神思「相如は筆を含んで毫を腐らせ」とあるところから、筆の穂先を噛みながら想を練っているうちに筆をだめにしてしまう意ととるべきである。
對研忘渇 硯に向かって墨が乾くのを忘れる
目流綴之 代匠記「淵明帰去来辞云、臨清流而賦詩」
小島憲之 流は、曲水の流れと見るべきか
私注 目だけ動いて、即ちいろいろと目移りがして心が定まらないでの意であろう
天骨 天性 生まれつき
叶和雅篇 叶和は協和。すぐれた詩編(池主の詩を言うか)にあわせ和する
抑 さて、いったい 小島憲之 はた あるいは
物事を説き起こす
鄙里少兒 田舎の子ども ここは、評釈 田舎の無知な者 大系 世間の人たちのことばによれば くらいか。
古人言無不酬 毛詩 大雅「言としてコタ(にんべん 誰)へずといふこと無し、徳として報いずといふことなし(いかなる言葉も身に返り、いかなる徳も報いがある)
擬解咲 お笑いぐさにする
同斯雅作之篇 叶和雅篇 に同じ。
遊<走>曲 走曲 注釈 吾が曲に遊ぶで、自分勝手な曲で唱ふことと解すべきであろうか全注 古典全集に「未詳。しばらく、我が歌の意に解しておく」とあるのによる。
自己流の歌を勝手に歌う意か。
葉端 紙の端 紙切れ
擬乱 乱は、辞賦の終わりにまとめとして載せられている短詩のこと
<杪>春 杪は、杪。末の意味 晩春と同じ
初巳 上巳
(ヘ)泥賀宇 春になってやってくる燕は、巣を作るために泥を口にして軒下を寿いで来る
宇 軒 家
<嘯>侶 友を呼んで語らって、詩を吟じる
新流曲 曲水の流れを新たにする。 池主の「九曲流」に対するもの
禊飲 禊ぎをして酒を飲む
催爵泛河清 池主の「羽爵催人九曲流」を受けたもの。
染懊 懊悩に染まる。病気にかかって
(ホ)(マ) 足がふらつく よろよろする
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3976
#[題詞]短歌<二首>
#[原文]佐家理等母 之良受之安良婆 母太毛安良牟 己能夜万夫吉乎 美勢追都母等奈
#[訓読]咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの山吹を見せつつもとな
#[仮名],さけりとも,しらずしあらば,もだもあらむ,このやまぶきを,みせつつもとな
#[左注](三月五日大伴宿祢家持臥病作之)
#[校異]惟下僕 [元] 走 / 之 -> 走 [元][紀][細] / 抄 -> 杪 [万葉集新考] / 粛 -> 嘯 [元][紀][細] / <> -> 二首 [元][細][温]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,書簡,病気,怨恨,憧憬,恋情,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]咲いたとも知らないでいたならば何の物思いもしなかったものを。この山吹をむやみに見せて
#{語釈]
黙もあらむ 黙ってもいるのに 何の物思いもしなかったのに

#[説明]
類歌
10/2293H01咲けりとも知らずしあらば黙もあらむこの秋萩を見せつつもとな

#[関連論文]


#[番号]17/3977
#[題詞](短歌<二首>)
#[原文]安之可伎能 保加尓母伎美我 余里多々志 孤悲家礼許<曽>婆 伊米尓見要家礼
#[訓読]葦垣の外にも君が寄り立たし恋ひけれこそば夢に見えけれ
#[仮名],あしかきの,ほかにもきみが,よりたたし,こひけれこそば,いめにみえけれ
#[左注]三月五日大伴宿祢家持臥病作之
#[校異]古 -> 曽 [西(訂正左書)][元][類][紀]
#[鄣W],天平19年3月5日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,病気,恋情,高岡,富山,書簡
#[訓異]
#[大意]葦垣の外ではないが、よそにもあなたが寄ってお立ちになり、自分を恋い思ったからこそ夢に見えたのだ
#{語釈]
葦垣の外 池主歌「葦垣の外に嘆かふ」を承けた

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3978
#[題詞]述戀緒歌一首[并短歌]
#[原文]妹毛吾毛 許己呂波於夜自 多具敝礼登 伊夜奈都可之久 相見<婆> 登許波都波奈尓 情具之 眼具之毛奈之尓 波思家夜之 安我於久豆麻 大王能 美許登加之古美 阿之比奇能 夜麻古要奴由伎 安麻射加流 比奈乎左米尓等 別来之 曽乃日乃伎波美 荒璞能 登之由吉我敝利 春花<乃> 宇都呂布麻泥尓 相見祢婆 伊多母須敝奈美 之伎多倍能 蘇泥可敝之都追 宿夜於知受 伊米尓波見礼登 宇都追尓之 多太尓安良祢婆 孤悲之家口 知敝尓都母里奴 近<在>者 加敝利尓太仁母 宇知由吉氐 妹我多麻久良 佐之加倍氐 祢天蒙許万思乎 多麻保己乃 路波之騰保久 關左閇尓 敝奈里氐安礼許曽 与思恵夜之 餘志播安良武曽 霍公鳥 来鳴牟都奇尓 伊都之加母 波夜久奈里那牟 宇乃花能 尓保敝流山乎 余曽能未母 布里佐氣見都追 淡海路尓 伊由伎能里多知 青丹吉 奈良乃吾家尓 奴要鳥能 宇良奈氣之都追 思多戀尓 於毛比宇良夫礼 可度尓多知 由布氣刀比都追 吾乎麻都等 奈須良牟妹乎 安比氐早見牟
#[訓読]妹も我れも 心は同じ たぐへれど いやなつかしく 相見れば 常初花に 心ぐし めぐしもなしに はしけやし 我が奥妻 大君の 命畏み あしひきの 山越え野行き 天離る 鄙治めにと 別れ来し その日の極み あらたまの 年行き返り 春花の うつろふまでに 相見ねば いたもすべなみ 敷栲の 袖返しつつ 寝る夜おちず 夢には見れど うつつにし 直にあらねば 恋しけく 千重に積もりぬ 近くあらば 帰りにだにも うち行きて 妹が手枕 さし交へて 寝ても来ましを 玉桙の 道はし遠く 関さへに へなりてあれこそ よしゑやし よしはあらむぞ 霍公鳥 来鳴かむ月に いつしかも 早くなりなむ 卯の花の にほへる山を よそのみも 振り放け見つつ 近江道に い行き乗り立ち あをによし 奈良の我家に ぬえ鳥の うら泣けしつつ 下恋に 思ひうらぶれ 門に立ち 夕占問ひつつ 我を待つと 寝すらむ妹を 逢ひてはや見む
#[仮名],いももあれも,こころはおやじ,たぐへれど,いやなつかしく,あひみれば,とこはつはなに,こころぐし,めぐしもなしに,はしけやし,あがおくづま,おほきみの,みことかしこみ,あしひきの,やまこえぬゆき,あまざかる,ひなをさめにと,わかれこし,そのひのきはみ,あらたまの,としゆきがへり,はるはなの,うつろふまでに,あひみねば,いたもすべなみ,しきたへの,そでかへしつつ,ぬるよおちず,いめにはみれど,うつつにし,ただにあらねば,こひしけく,ちへにつもりぬ,ちかくあらば,かへりにだにも,うちゆきて,いもがたまくら,さしかへて,ねてもこましを,たまほこの,みちはしとほく,せきさへに,へなりてあれこそ,よしゑやし,よしはあらむぞ,ほととぎす,きなかむつきに,いつしかも,はやくなりなむ,うのはなの,にほへるやまを,よそのみも,ふりさけみつつ,あふみぢに,いゆきのりたち,あをによし,ならのわぎへに,ぬえどりの,うらなけしつつ,したごひに,おもひうらぶれ,かどにたち,ゆふけとひつつ,わをまつと,なすらむいもを,あひてはやみむ
#[左注](右三月廿日夜裏忽兮起戀情作 大伴宿祢家持)
#[校異]波 -> 婆 [元][類][紀][細] / 之 -> 乃 [元][類][細] / 有 -> 在 [元][類][紀]
#[鄣W],天平19年3月20日,年紀,作者:大伴家持,望郷,恋情,悲別,動物,枕詞,高岡,富山,孤独
#[訓異]
#[大意]妻も自分も心は一致している。寄り添っていてもますます心引かれ、共に見るといつも初めて咲く花のようであって、うっとうしくもなく、見ても苦しくなくて、いとおしい我が心の奥深く大切に思う妻よ。大君のご命令を恐れ謹んで、あしひきの山を越え、野を越えて行き、天離れる田舎を治めにと別れてきたその日を最後として。あらたまの年が行ってまためぐり、春の花が移り散るまで共に会わないのでどうしようもなく、会えるかと思って敷き妙の袖を折り返しながら寝る夜ごとに夢には見るが、現実に直接会っているわけではないので、恋しいことが幾重にも積もってしまった。ここから近くにいるのならばせめて帰ることだけでも行って妹の手枕と差し交えて寝ても来ようものなのに。玉鉾の道はもう遠く、関所までも途中にあって隔たっているのでどうしようもない。ええいままよ。手だてはあろうぞ。霍公鳥がやって来て鳴く月にいつかも早くならないか。卯の花の美しく咲いている山をよそにばかり振り放け見ながら、近江の道に乗って行き、あをによし奈良の我家にぬえ鳥のように密かに自然と泣き続けて、密かに恋い思いしおれて、門に立って夕占を問いながら自分を待つとして寝ておられるであろう妹を逢って早く見よう。
#{語釈]
述戀緒 私注「税帳使に決定したので、急に妹が恋しくなったのかも知れぬ」
3月5日は、まだ病み上がり。次第に体力を取り戻し、帰京も決まって恋情を催した。

心は同じ おやじ 「おなじ」の古形か
釋注「本来、別々のものの内容が一致するさまをいい、完全に同等な状態をいう「同じ」とやや意を異にするらしい。
16/3797H01死にも生きも同じ心と結びてし友や違はむ我れも寄りなむ

たぐへれど たぐい寄っているが 寄り添っているが

なつかしく 心が引かれる

常初花に いつも初めて咲く花のように
釋注 「常」は永久という意味とその盛りの状態を示す形状言としての意味がある。今まっさかりの初花
17/3909H01橘は常花にもが霍公鳥住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ

心ぐし めぐしもなしに 心が晴れ晴れとしない 見て苦しい いたわしい
08/1450H01心ぐきものにぞありける春霞たなびく時に恋の繁きは
05/0800H01父母を 見れば貴し 妻子見れば めぐし愛し 世間は

奥妻 心の奥深くにしまってある大切な妻
家持の造語

野行き 原文「奴由伎」ぬゆき

その日の極み その日を最後として
17/3957H04来し日の極み 玉桙の 道をた遠み 山川の 隔りてあれば

敷栲の 袖返しつつ 女が男を待つしぐさ
17/3962H07衣手を 折り返しつつ 夕されば 床打ち払ひ ぬばたまの

道はし遠く 「し」は強意の助詞

よしはあらむぞ 何かの方法はあるだろう

霍公鳥 来鳴かむ月に 家持が正税帳使となって帰京する月

いつしかも 早くなりなむ いつになったらなのか 早くその時が来るだろう

い行き乗り立ち 略解「舟に乗也」 古典大系「馬に乗って」 全註釈「道に乗ること」
コースを取るという意味

うら泣けしつつ 下二段 自然と泣けてくる ひとりでに泣けてくる
注釈 09/1753H02暑けくに 汗かき嘆げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を
「奈気[岐]」と脱字があり、古語を誤って認識した。

思ひうらぶれ 物思いに沈んでうなだれる

夕占問ひつつ 夕方 辻に立って人の話す言葉を聞いて吉凶を占ったもの
03/0420H05至れるまでに 杖つきも つかずも行きて 夕占問ひ 石占もちて

#[説明]正税帳使として帰京が決まって、都のことを恋しく思った様子を述べる。左注によると夜ににわかに恋情が起こったとある。
全注「税帳使として上京することは、おそらく早く予定されていたのであろうが、一、二月頃重病を患い、三月五日の詩においても足のよろめくことを歌っている家持にしてみれば、一時は上京も諦めねばならぬような状態にあったのだろう。しかし、病は日毎に回復し、その望みも強まり、この頃正式に上京のことが決定したことと思われる。それが直接の刺激となって、今まで抑えられていた妻への慕情が、夜の静寂の中で突如として高まってきて、歌わずにはいられなくなって作った歌であろうと思われる。
#[関連論文]


#[番号]17/3979
#[題詞](述戀緒歌一首[并短歌])
#[原文]安良多麻<乃> 登之可敝流麻泥 安比見祢婆 許己呂毛之努尓 於母保由流香聞
#[訓読]あらたまの年返るまで相見ねば心もしのに思ほゆるかも
#[仮名],あらたまの,としかへるまで,あひみねば,こころもしのに,おもほゆるかも
#[左注](右三月廿日夜裏忽兮起戀情作 大伴宿祢家持)
#[校異]之 -> 乃 [元][細]
#[鄣W],天平19年3月20日,年紀,作者:大伴家持,望郷,恋情,悲別,枕詞,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]あらたまの年が行き返るまで共に逢わないので、心もしおれるばかりに思われてならないことだ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3980
#[題詞](述戀緒歌一首[并短歌])
#[原文]奴婆多麻乃 伊米尓<波>母等奈 安比見礼騰 多太尓安良祢婆 孤悲夜麻受家里
#[訓読]ぬばたまの夢にはもとな相見れど直にあらねば恋ひやまずけり
#[仮名],ぬばたまの,いめにはもとな,あひみれど,ただにあらねば,こひやまずけり
#[左注](右三月廿日夜裏忽兮起戀情作 大伴宿祢家持)
#[校異]婆 -> 波 [元][紀][細]
#[鄣W],天平19年3月20日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,望郷,恋情,悲別,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの夢にはやたらに共に見るけれども、直接逢ってるわけではないので恋い思う気持ちが止まないことだ。
#{語釈]
もとな いたづらに 無駄に
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3981
#[題詞](述戀緒歌一首[并短歌])
#[原文]安之比奇能 夜麻伎敝奈里氐 等保家騰母 許己呂之遊氣婆 伊米尓美要家里
#[訓読]あしひきの山きへなりて遠けども心し行けば夢に見えけり
#[仮名],あしひきの,やまきへなりて,とほけども,こころしゆけば,いめにみえけり
#[左注](右三月廿日夜裏忽兮起戀情作 大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月20日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,望郷,恋情,悲別,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]あしひきの山が隔たって遠いけれども心が行くので夢に見えたことだ。
#{語釈]
山きへなりて 17/3969H05苦しきものを あしひきの 山きへなりて 玉桙の

#[説明]
丹生女王の歌をもとにしているか。
04/0553H01天雲のそくへの極み遠けども心し行けば恋ふるものかも

#[関連論文]


#[番号]17/3982
#[題詞](述戀緒歌一首[并短歌])
#[原文]春花能 宇都路布麻泥尓 相見祢<婆> 月日餘美都追 伊母麻都良牟曽
#[訓読]春花のうつろふまでに相見ねば月日数みつつ妹待つらむぞ
#[仮名],はるはなの,うつろふまでに,あひみねば,つきひよみつつ,いもまつらむぞ
#[左注]右三月廿日夜裏忽兮起戀情作 大伴宿祢家持
#[校異]波 -> 婆 [類][紀][細] / 廿 [元] 廿五
#[鄣W],天平19年3月20日,年紀,作者:大伴家持,望郷,恋情,悲別,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]春の花が散って行くまでともに逢わないので、月日を数えながら今頃は妹は待っているであろう。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3983
#[題詞]立夏四月既經累日而由未聞霍公鳥喧因作恨歌二首
#[原文]安思比奇能 夜麻毛知可吉乎 保登等藝須 都奇多都麻泥尓 奈仁加吉奈可奴
#[訓読]あしひきの山も近きを霍公鳥月立つまでに何か来鳴かぬ
#[仮名],あしひきの,やまもちかきを,ほととぎす,つきたつまでに,なにかきなかぬ
#[左注](霍公鳥者立夏之日来鳴必定 又越中風土希有橙橘也 因此大伴宿祢家持感發於懐聊於裁此歌 [三月廿九日])
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],天平19年3月29日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,動物,怨恨,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]あしひきの山も近いのに霍公鳥が月が改まるまでどうしてやって来て鳴かないのか。
#{語釈]
立夏四月既に累日を經て由(なほ)し霍公鳥の喧くを聞かず。因りて作る恨みの歌二首

あしひきの山も近きを 家持のいる公館は、背後が二上山の麓になる。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3984
#[題詞](立夏四月既經累日而由未聞霍公鳥喧因作恨歌二首)
#[原文]多麻尓奴久 波奈多知<婆>奈乎 等毛之美思 己能和我佐刀尓 伎奈可受安流良之
#[訓読]玉に貫く花橘をともしみしこの我が里に来鳴かずあるらし
#[仮名],たまにぬく,はなたちばなを,ともしみし,このわがさとに,きなかずあるらし
#[左注]霍公鳥者立夏之日来鳴必定 又越中風土希有橙橘也 因此大伴宿祢家持感發於懐聊於裁此歌 [三月廿九日]
#[校異]波 -> 婆 [類][紀][細]
#[鄣W],天平19年3月29日,年紀,作者:大伴家持,植物,怨恨,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]薬玉に貫く橘の花が少ないのでとして、この自分の里にやって来て鳴かないのであるらしい。
#{語釈]
ともしみし ともし 少ないので 「み」はミ語法
「し」 大系 注釈 全注 サ変動詞 大系 4009なつかしみせよの例
全釈、評釈、全註釈、全集 強意の助詞
少ないのでとして 少ないのでと思って

#[説明]
中国の霍公鳥は三月の鳥として描かれる。立夏に霍公鳥が鳴くということ 18/4048 19/4171
万葉集では、夏の鳥として登場する。
家持は、都の感覚と中国の典拠を取り混ぜて、越中の風土へのとまどいを歌う。

#[関連論文]


#[番号]17/3985
#[題詞]二上山賦一首 [此山者有射水郡也]
#[原文]伊美都河泊 伊由伎米具礼流 多麻久之氣 布多我美山者 波流波奈乃 佐家流左加利尓 安吉<能>葉乃 尓保敝流等伎尓 出立氐 布里佐氣見礼婆 可牟加良夜 曽許婆多敷刀伎 夜麻可良夜 見我保之加良武 須賣可未能 須蘇未乃夜麻能 之夫多尓能 佐吉乃安里蘇尓 阿佐奈藝尓 餘須流之良奈美 由敷奈藝尓 美知久流之保能 伊夜麻之尓 多由流許登奈久 伊尓之敝由 伊麻乃乎都豆尓 可久之許曽 見流比登其等尓 加氣氐之努波米
#[訓読]射水川 い行き廻れる 玉櫛笥 二上山は 春花の 咲ける盛りに 秋の葉の にほへる時に 出で立ちて 振り放け見れば 神からや そこば貴き 山からや 見が欲しからむ 統め神の 裾廻の山の 渋谿の 崎の荒礒に 朝なぎに 寄する白波 夕なぎに 満ち来る潮の いや増しに 絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ 見る人ごとに 懸けて偲はめ
#[仮名],いみづがは,いゆきめぐれる,たまくしげ,ふたがみやまは,はるはなの,さけるさかりに,あきのはの,にほへるときに,いでたちて,ふりさけみれば,かむからや,そこばたふとき,やまからや,みがほしからむ,すめかみの,すそみのやまの,しぶたにの,さきのありそに,あさなぎに,よするしらなみ,ゆふなぎに,みちくるしほの,いやましに,たゆることなく,いにしへゆ,いまのをつつに,かくしこそ,みるひとごとに,かけてしのはめ
#[左注](右三月卅日依興作之 大伴宿祢家持)
#[校異]泊 [元] 伯 / 乃 -> 能 [元][類]
#[鄣W],天平19年3月30日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,山讃美,寿歌,枕詞,依興,儀礼歌,土地讃美
#[訓異]
#[大意]射水川が行きめぐっている玉櫛笥の二上山は春の花が咲いている盛りに、秋の葉が照り輝いている時に、出て立って振り仰いで見ると、神格のゆえかたいそう貴い。山のせいで見たいと思うだろう。領有する神の裾をめぐる山の渋谷の御崎の荒磯に朝凪に寄せてくる白波、夕凪に満ちてくる潮のようにますます多く絶えることなく昔から今の今までこのように見る人ごとに心に懸けて讃めることであろう。

#{語釈]
射水川 富山県高岡市伏木町 庄川
17/3993H04馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば 射水川
17/4006H03逢ひて言どひ 夕されば 手携はりて 射水川
18/4106H08使の来むと 待たすらむ 心寂しく 南風吹き 雪消溢りて 射水川
18/4116H06蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて
19/4150H01朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ唄ふ舟人

二上山 富山県高岡市 氷見市 二上山
17/4013H01二上のをてもこのもに網さして我が待つ鷹を夢に告げつも
16/3882H01渋谿の二上山に鷲ぞ子産むといふ翳にも君のみために鷲ぞ子産むといふ
17/3955H01ぬばたまの夜は更けぬらし玉櫛笥二上山に月かたぶきぬ
17/3987H01玉櫛笥二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり

射水川 富山県高岡市伏木町 庄川
17/4006H01かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も
18/4106H08雪消溢りて 射水川 流る水沫の 寄る辺なみ 左夫流その子に
18/4116H06蓬かづらき 酒みづき 遊びなぐれど 射水川 雪消溢りて
19/4150H01朝床に聞けば遥けし射水川朝漕ぎしつつ唄ふ舟人

玉櫛笥 蓋にかかる。ふたがみを引き出す枕詞。美しさへのイメージも込める。

そこば はなはだしい 程度の副詞

見が欲しからむ 国見発想の句
06/0907H03神からか 貴くあるらむ 国からか 見が欲しからむ 山川を
06/0910H01神からか見が欲しからむみ吉野の滝の河内は見れど飽かぬかも

統め神の 統治する神
続紀宝亀十一年十二月十四日 越中国射水郡二上山神、砺波郡高瀬神、並叙従五位下
二上山頂に二上神社。明治八年高岡城址に遷される。

渋谿 富山県高岡市渋谷
16/3882H01渋谿の二上山に鷲ぞ子産むといふ翳にも君のみために鷲ぞ子産むといふ
17/3954H01馬並めていざ打ち行かな渋谿の清き礒廻に寄する波見に
17/3991H02白波の 荒礒に寄する 渋谿の 崎た廻り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川
17/3993H06見つつ過ぎ行き 渋谿の 荒礒の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻
19/4159D02過澁谿埼見巌上樹歌一首 [樹名都萬麻]
19/4206H01渋谿をさして我が行くこの浜に月夜飽きてむ馬しまし止め

裾廻の山の 麓の山。二上山からなだらかに渋谷の海岸まで続いている

朝なぎに 寄する白波 凪に波は立たないので、様式的な虚構表現
06/0931H01朝なぎに 千重波寄せ 夕なぎに 五百重波寄す

#[説明]
制作動機
家持の三賦は、越中における代表的な名山、名水に対して、人麻呂以来の伝統的な宮廷讃美歌の表現の性格を踏まえて讃美する性格の歌であるであることと、「賦」という題名は、家持の病臥を契機として池主との間で取り交わされた中国文人意識による文雅の延長という状況のもとに名付けられ、天平倭詩という新たな文学への積極的な開拓が見られるということや、詠物という形式の中で辞賦の文体をまねようとしたことによると、その理由が分析されている。また「依興」注については、叙景というよりは虚構性であることを明示して感興を催した中で作られた(小野寛)という意見と、突然作成した「非時性」という態度を示そうとしたという橋本達雄氏の意見、また「興」という詩の六義に基づいた作者の余意を示そうとしたものであり、大和への思慕が込められいるという辰巳正明氏の意見に集約される。(辰巳正明「家持の越中賦」『万葉集と中国文学』昭62.2 笠間書院)

朝集使として一時帰京することになった家持の感興によって都へのみやげ歌として「二上山賦」が作られ、宴で披露された時に、他の越中の名所を詠むことを嘱望された家持が、残りの二賦を相次いで作成し、池主がそれに敬和したという作歌経過が橋本達雄氏によって説明されている。

射水氏の存在
郡司の任免規定
郡司(大領以下四等官)の任命は、『延喜式』太政官式、式部省式によると、
1. 国司による詮議(国擬)。
2. 国司(朝集使)とともに式部省で簡試(口頭、筆記試験)
3. 式部卿が合否判定
4. 大領、少領については、天皇の裁可。主計、主帳については太政官の裁可。
5. 太政官庭、式部省庭で任命の儀式

諸國の郡司を任けたまふ。因りて詔したまはく、「諸國司等は、郡司を銓擬せむに、偏黨有らむこと勿れ。郡司は任に居たらむに、必らず法の如くにすべし。今より以後は、違越せざれ」とのたまふ。(『続日本紀』文武元年三月一〇日庚午)
が初見で、『養老選叙令』には
凡そ郡司には、性識清廉にして、時の務に堪へたらむ者を取りて、大領、少領と為よ。強く幹く聡敏にして、書計に工ならむ者を主政、主帳と為よ。其れ大領には外従八位上、少領には外従八位下に叙せよ。其れ大領、少領、才用同じくは、先づ国造を取れ。(9)
凡そ同司の主典以上には、三等以上の親を用いることを得じ。(3)
とあり、世襲や同族ではなく、いわゆる才用主義による選考を掲げている。この形は序々に崩れていき、特に諸兄政権下の天平二十一年の勅(先に掲げた巻一八・四〇七一左注はこのことを伝えた時のものと思われる)以降は、譜代主義(嫡々相継)に戻っていくとは言え、律令施行当初は、譜代である国造の相承する大領職が才用主義による国擬として変更されたという状況ととらえることが出来るであろう(郡司の任用制の変遷については米田雄介「郡司の出自と任用」『郡司の研究』93.9 法政大学出版局)に詳しい)。

これを越中国で見ると、孝徳朝の立郡時(評)の時は、国造射水臣が支配(射水郡)していたのを大宝令施行後、才用主義により、天平期までのいずれかの時期に安努君に交替していったと思われる。しかし才用主義と言っても実際の郡司の評価基準は、国司や朝廷への貢献度による評価が中心であったであろう。国司が簡定して式部省に推薦(国擬)するということが選叙の発端となっているからである。

すめかみ

こうした二上山に対する観点や、水が供給される山という意味での神性讃美が、祖先神の存在する山という意味において、二上山を「すめかみ」と言い換えたこととつながっていると思われる。従って家持は「すめかみ」という語を「祖先神」としての意味で用いていると理解出来る。しかし「すめかみ」の意味については、本来は、皇祖神として解釈さ
二上山の「すめかみ」である二上射水神社は班幣社としての位置を持っており、家持はその認識の中で「スメカミ」と表現した

「スメカミ」という語は、単に文学上の表現や漠然とした神性を述べているのではなく、朝廷の祭祀対象である神社として実態をともなった語であると見なければならない。

、国司としての奉幣任務のある射水神社を讃えることになるが、問題なのは、かつての支配者であった射水臣の祖先神を讃えることを意味し、現支配者である安努君とは矛盾した形になる。ここに家持は、射水氏の祖神である二上社への崇敬を述べるにあたって、現協力体制下である安努氏に配慮する必要があるという二重性の中で「二上山賦」を作っているという実態が浮かび上がってくる。まして安努氏は「君」姓であり、射水氏の「臣」姓に比べて下位にある。

安努氏への配慮が「渋谿の崎」を歌に入れることになった一因とも考えられよう。

この二上山賦が作られたのは三月であり、家持が越中赴任後の翌年に当たる。射水神社が班幣社であるとすると、二月の祈年祭には国司として奉幣職務がある。しかし赴任後の最初の祈年祭は、病臥にあって職務を全う出来なかったことを伺わせる。その家持の思いが、賦を作成する一因ともなり、大領以下地元豪族を交えた宴の中で披露するということにつながっていないであろうか。

#[関連論文]


#[番号]17/3986
#[題詞](二上山賦一首 [此山者有射水郡也])
#[原文]之夫多尓能 佐伎能安里蘇尓 与須流奈美 伊夜思久思久尓 伊尓之敝於母保由
#[訓読]渋谿の崎の荒礒に寄する波いやしくしくにいにしへ思ほゆ
#[仮名],しぶたにの,さきのありそに,よするなみ,いやしくしくに,いにしへおもほゆ
#[左注](右三月卅日依興作之 大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月30日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,序詞,寿歌,儀礼歌,土地讃美,依興
#[訓異]
#[大意]渋谷の御崎の荒磯に寄せてくる波のようにますますしきりに昔のことが思われてならない。
#{語釈]
渋谿の崎の荒礒に寄する波 いやしくしくの序詞

いにしへ思ほゆ 起源を考える讃美の方法
03/0304H01大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ
06/0907H04清みさやけみ うべし神代ゆ 定めけらしも

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3987
#[題詞](二上山賦一首 [此山者有射水郡也])
#[原文]多麻久之氣 敷多我美也麻尓 鳴鳥能 許恵乃孤悲思吉 登岐波伎尓家里
#[訓読]玉櫛笥二上山に鳴く鳥の声の恋しき時は来にけり
#[仮名],たまくしげ,ふたがみやまに,なくとりの,こゑのこひしき,ときはきにけり
#[左注]右三月卅日依興作之 大伴宿祢家持
#[校異]
#[鄣W],天平19年3月30日,年紀,作者:大伴家持,土地讃美,枕詞,地名,高岡,富山,寿歌,儀礼歌
#[訓異]
#[大意]玉櫛笥の二上山に鳴く鳥の声が恋しく思われる時節がやってきたことだ。
#{語釈]
鳴く鳥 霍公鳥 昔を偲ぶ。故郷都のことを思い出すよすがとする。季節を感じる。

依興 感興に載って作る。ふっと突然作る。詩の六義である「興」で作る。。
詠作目的が特にあるわけでなく、歌いたくなって作ったの意。家持の新しい文学への態度。

#[説明]

「二上山賦」における反歌の形態もこれらと同様の形になっている。反歌一首目は、序詞として位置ではあるが、渋谿の崎の波に啓発された「いにしへ」への思いであり、二首目は二上山の鳥(霍公鳥と思われる)への恋情を契機とした「今」を歌う。先にも説いたように現大領安務君廣島の紹介による渋谿の崎において「いにしへ」を意識し、射水氏の祖霊が留まる二上山に「今」を認めるという構図は、射水氏から安務氏への交替を意識した中で、射水氏支配の「いにしへ」を顕彰し、現大領安努氏の功績を讃える意味が含まれると認められないであろうか。そこに地元有力者の前でこの歌を公表した国司としての家持の立場が反映されていると考えることが出来る。

#[関連論文]


#[番号]17/3988
#[題詞]四月十六日夜裏遥聞霍公鳥喧述懐歌一首
#[原文]奴婆多麻<乃> 都奇尓牟加比氐 保登等藝須 奈久於登波流氣之 佐刀騰保美可聞
#[訓読]ぬばたまの月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠みかも
#[仮名],ぬばたまの,つきにむかひて,ほととぎす,なくおとはるけし,さとどほみかも
#[左注]右大伴宿祢家持作之
#[校異]能 -> 乃 [元][類] / 右 [元] 右一首
#[鄣W],天平19年4月16日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,動物,叙景
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの月に向かって霍公鳥の鳴く声が遙か遠くに聞こえる。この里から遠いからなのだろうか。
#{語釈]
月に向ひて 月夜に鳴く姿を想像して言ったもの
19/4166H06八つ峰飛び越え ぬばたまの 夜はすがらに 暁の 月に向ひて 行き帰り
19/4177H05砺波山 飛び越え行きて 明け立たば 松のさ枝に 夕さらば 月に向ひて

里 家持の住んでいる町里

#[説明]
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#[番号]17/3989
#[題詞]大目秦忌寸八千嶋之舘餞守大伴宿祢家持宴歌二首
#[原文]奈呉能宇美能 意吉都之良奈美 志苦思苦尓 於毛保要武可母 多知和可礼奈<婆>
#[訓読]奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
#[仮名],なごのうみの,おきつしらなみ,しくしくに,おもほえむかも,たちわかれなば
#[左注](右守大伴宿祢家持以正税帳須入京師 仍作此歌聊陳送別之嘆 [四月廿日])
#[校異]波 -> 婆 [元]
#[鄣W],天平19年4月20日,年紀,作者:大伴家持,宴席,恋情,羈旅,出発,悲別,地名,富山,高岡,序詞,秦八千島
#[訓異]
#[大意]奈呉の海の沖の白波が幾重にも重なっているように、そのように重ね重ね思うであろうことよ。立ち別れてしまったならば。
#{語釈]
大目秦忌寸八千嶋 3951左注 3956 伝未詳
大目 国司の四等官 越中は上国であるので、目は一人。大目ということは、天平一三年一二月から越中に編入されているのとかんけいがあるか(全注)
続紀「宝亀六年三月 始めて越中、但馬、因幡、伯耆に大少の目の員を置く」 全注は、天平一八年には既にあったと言われているが、この部分が宝亀六年以降の記述である可能性もある。

奈呉の海 富山県新湊市放生津の海岸
17/3956H01奈呉の海人の釣する舟は今こそば舟棚打ちてあへて漕ぎ出め
17/3989H01奈呉の海の沖つ白波しくしくに思ほえむかも立ち別れなば
17/4017H02いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小船漕ぎ隠る見ゆ
17/4018H01港風寒く吹くらし奈呉の江に妻呼び交し鶴多に鳴く
18/4032H01奈呉の海に舟しまし貸せ沖に出でて波立ち来やと見て帰り来む
18/4033H01波立てば奈呉の浦廻に寄る貝の間なき恋にぞ年は経にける
18/4034H01奈呉の海に潮の早干ばあさりしに出でむと鶴は今ぞ鳴くなる
18/4106H10にほ鳥の ふたり並び居 奈呉の海の 奥を深めて さどはせる
18/4116H07行く水の いや増しにのみ 鶴が鳴く 奈呉江の菅の ねもころに
19/4169H04思ふそら 苦しきものを 奈呉の海人の 潜き取るといふ 白玉の
19/4213H01東風をいたみ奈呉の浦廻に寄する波いや千重しきに恋ひわたるかも

沖つ白波 「しくしくに」を引き出す序詞 白波が幾重にも重なっているように重ね重ねの意

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3990
#[題詞](大目秦忌寸八千嶋之舘餞守大伴宿祢家持宴歌二首)
#[原文]和<我>勢故波 多麻尓母我毛奈 手尓麻伎氐 見都追由可牟乎 於吉氐伊加婆乎思
#[訓読]我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置きて行かば惜し
#[仮名],わがせこは,たまにもがもな,てにまきて,みつつゆかむを,おきていかばをし
#[左注]右守大伴宿祢家持以正税帳須入京師 仍作此歌聊陳送別之嘆 [四月廿日]
#[校異]加 -> 我 [元][類] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],天平19年4月20日,年紀,作者:大伴家持,宴席,恋情,羈旅,出発,悲別,富山,高岡,秦八千島
#[訓異]
#[大意]我が脊子は玉にでもあらばよいのに。そうすれば手に巻いて見続けて行こうものなのに。後に置いていくならば惜しいことである。
#{語釈]
玉にもがもな
03/0403H01朝に日に見まく欲りするその玉をいかにせばかも手ゆ離れずあらむ
03/0409H01一日には千重波しきに思へどもなぞその玉の手に巻きかたき
17/4007H01我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きて行かむ

#[説明]
家持が正税帳使となって上京するときの餞別の宴
租税の帳簿を太政官に報告する使い。大帳使、正税帳使、貢調使、朝集使の一つ
延喜式 二月三十日以前に提出。ただし政事要略 越中など八国は四月
全注 家持は五月出発なので、別の規程があったか。

#[関連論文]


#[番号]17/3991
#[題詞]遊覧布勢水海賦一首[并短歌] [此海者有射水郡舊江村也]
#[原文]物能乃敷能 夜蘇等母乃乎能 於毛布度知 許己呂也良武等 宇麻奈米氐 宇知久知夫利乃 之良奈美能 安里蘇尓与須流 之夫多尓能 佐吉多母登保理 麻都太要能 奈我波麻須義氐 宇奈比河波 伎欲吉勢其等尓 宇加波多知 可由吉加久遊岐 見都礼騰母 曽許母安加尓等 布勢能宇弥尓 布祢宇氣須恵氐 於伎敝許藝 邊尓己伎見礼婆 奈藝左尓波 安遅牟良佐和伎 之麻<未>尓波 許奴礼波奈左吉 許己婆久毛 見乃佐夜氣吉加 多麻久之氣 布多我弥夜麻尓 波布都多能 由伎波和可礼受 安里我欲比 伊夜登之能波尓 於母布度知 可久思安蘇婆牟 異麻母見流其等
#[訓読]もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて うちくちぶりの 白波の 荒礒に寄する 渋谿の 崎た廻り 松田江の 長浜過ぎて 宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き 見つれども そこも飽かにと 布勢の海に 舟浮け据ゑて 沖辺漕ぎ 辺に漕ぎ見れば 渚には あぢ群騒き 島廻には 木末花咲き ここばくも 見のさやけきか 玉櫛笥 二上山に 延ふ蔦の 行きは別れず あり通ひ いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと
#[仮名],もののふの,やそとものをの,おもふどち,こころやらむと,うまなめて,うちくちぶりの,しらなみの,ありそによする,しぶたにの,さきたもとほり,まつだえの,ながはますぎて,うなひがは,きよきせごとに,うかはたち,かゆきかくゆき,みつれども,そこもあかにと,ふせのうみに,ふねうけすゑて,おきへこぎ,へにこぎみれば,なぎさには,あぢむらさわき,しまみには,こぬれはなさき,ここばくも,みのさやけきか,たまくしげ,ふたがみやまに,はふつたの,ゆきはわかれず,ありがよひ,いやとしのはに,おもふどち,かくしあそばむ,いまもみるごと
#[左注]右守大伴宿祢家持作之 [四月廿四日]
#[校異]末 -> 未 [類]
#[鄣W],天平19年4月24日,年紀,作者:大伴家持,遊覧,土地讃美,地名,氷見,富山,枕詞,道行き,高岡,寿歌
#[訓異]
#[大意]もののふの大勢の伴の者たちで気の合う同士が心を晴らそうとして、馬を並べてうちくちぶりの白波の荒磯に寄せる渋谷の崎をめぐって、松田江の長浜を過ぎて、宇奈比川の清らかな早瀬ごとに鵜飼を催して、そのように行きあのように行き、見たけれどもそこも飽かないでと、布勢の水海に舟を浮かべ据えて、沖のあたりを漕ぎ、岸辺を漕いで風景を見ると、渚にはあじ鴨の群が騒ぎ、島のめぐりには木枝に花が咲き、こんなにもすてきに見ることがさやかなことか。玉櫛笥の二上山に這う蔦のように行ってもまた出会うように別れることもせず、いつも通い続け、ますます年ごとに気の合う者同士がこのように遊ぼう。今も見るように。

#{語釈]
布勢水海 氷見市
寛正六年(一四六三)善光寺紀行(堯恵法師)「やがて布勢の海のあたりになり侍り、遙々と湖水見渡せば鳴鴉飛尽て夕陽西山に隠れたり」 慶長、元和以後に干拓

舊江村 氷見市神代、古江などの地

もののふの 朝廷に仕える文武百官 大勢という意味で八十にかかる

伴の男 元来、部民を統率する族長、部族のこと。朝廷の官人
ここでは、國府の官人 家持の下僚

03/0478H02八十伴の男を 召し集へ 率ひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起し 夕狩に
04/0543H01大君の 行幸のまにま もののふの 八十伴の男と 出で行きし 愛し夫は
06/0928H03食す国を 治めたまへば 沖つ鳥 味経の原に もののふの 八十伴の男は
06/0948H02高円に 鴬鳴きぬ もののふの 八十伴の男は 雁が音の
06/1047H07山も見が欲し 里見れば 里も住みよし もののふの 八十伴の男の
07/1086H01靫懸くる伴の男広き大伴に国栄えむと月は照るらし
17/3991H01もののふの 八十伴の男の 思ふどち 心遣らむと 馬並めて
17/4023H01婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴の男は鵜川立ちけり
18/4098H04見したまふらし もののふの 八十伴の男も おのが負へる
19/4214H01天地の 初めの時ゆ うつそみの 八十伴の男は 大君に まつろふものと
19/4254H04天の下 治めたまへば もののふの 八十伴の男を 撫でたまひ
19/4266H04見す今日の日は もののふの 八十伴の男の 島山に 赤る橘 うずに刺し
20/4466H01磯城島の大和の国に明らけき名に負ふ伴の男心つとめよ

思ふどち 3969 気の合った者同士

心遣らむと 心を晴らそうと 心を慰める 家持歌に多い特徴

うちくちぶりの 未詳
代匠記「遠近(おちこち)。波が遠近の磯に振れる」
考「越後と越中の堺にちぶりの湊有。こをもて馬並て打来(うちく)知夫利といひてしら波にいひかけしならん」
略解「次の歌に馬うちむれてと詠めるに同じく、馬をうち並て来(く)と言ふ也。ちふりは今越中と越後の堺に市振(ちふり)と言ふ所有り、海辺なりとぞ 宣長云、ちぶりを地名としては白波へつづけたるいかが。又打来ならば、うちきと言はでは語ととのはず、 契沖がおだやか也」
全釈「市振説は地理を考えない妄説。」
新考「宇知牟禮来利」の誤りならざるか。池主の和歌にオモフドチウマウチムレテとあり」
全註釈「磯に寄せる波をイソブリというによれば、同じく寄せる波のことか。ウチクチはうち崩す義か」
釋注「打崩振(うちくちぶり)」または「内崩振(うちくちぶり)で、荒波に洗われて断崖となった海岸の地形を表す語か。「振り」は様態であろう。

渋谿 富山県高岡市渋谷

松田江の長浜 富山県氷見市 渋谷から北方、砂浜になっている。
17/4011H19その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし捕る 氷見の江過ぎて
17/4029H01珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり

宇奈比川 富山県氷見市宇波 宇波川
國府から布勢水海までのルートからは、北になりずれる。
釋注 鵜飼を楽しんだとすると、一旦宇奈比川まで行って、それから戻った。

鵜川立ち 鵜飼いをすること。「立ち」は催す。設備を設ける
全集 鵜川は川漁の一種。昼間、鵜を首縄をかけずに放ち、上流から下流へ魚を追わせて、あらかじめ川底に下ろした敷網と下流にたてきった網に魚が集まったところで、その網をあげる漁法。

か行きかく行き あちらこちらへと行って
古典全集 鵜飼のために川瀬をあちらこちらと行く
全註釈、評釈 渋谷、松田江、宇奈比川と遊ぶ

道行き的表現であり、国見歌と同じく布勢の海を強調するためのもの。全註釈等の解釈がよい

そこも飽かにと あちらこちらの景勝の地

あぢ群騒き あじ鴨の類
03/0257H02木の暗茂に 沖辺には 鴨妻呼ばひ 辺つ辺に あぢ群騒き ももしきの
03/0260H02松風に 池波立ち 辺つ辺には あぢ群騒き 沖辺には 鴨妻呼ばひ
04/0485H01神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の
04/0486H01山の端にあぢ群騒き行くなれど我れは寂しゑ君にしあらねば
07/1299H01あぢ群のとをよる海に舟浮けて白玉採ると人に知らゆな
17/3991H06辺に漕ぎ見れば 渚には あぢ群騒き 島廻には
20/4360H08夕潮に 棹さし下り あぢ群の 騒き競ひて 浜に出でて

ただし冬の鳥であるので、季節に合わない。
全集 かるがもと誤認したか。

実景ではなく、国見的な讃美表現。

いや年のはに 毎年
19/4168H01毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥聞けば偲はく逢はぬ日を多み
19/4168I01[毎年謂之等之乃波]

かくし遊ばむ 宴の讃美表現
05/0815H01正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ
05/0833H01年のはに春の来らばかくしこそ梅をかざして楽しく飲まめ
06/0995H01かくしつつ遊び飲みこそ草木すら春は咲きつつ秋は散りゆく
17/3952H01妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む
17/3985H06絶ゆることなく いにしへゆ 今のをつつに かくしこそ
17/3991H09いや年のはに 思ふどち かくし遊ばむ 今も見るごと
17/3993H14君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
18/4071H01しなざかる越の君らとかくしこそ柳かづらき楽しく遊ばめ
18/4116H10逢はしたる 今日を始めて 鏡なす かくし常見む 面変りせず
18/4118H01かくしても相見るものを少なくも年月経れば恋ひしけれやも
18/4137H01正月立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも
19/4187H04恋はまされど 今日のみに 飽き足らめやも かくしこそ いや年のはに
19/4188H01藤波の花の盛りにかくしこそ浦漕ぎ廻つつ年に偲はめ
19/4267H01天皇の御代万代にかくしこそ見し明きらめめ立つ年の端に
20/4485H01時の花いやめづらしもかくしこそ見し明らめめ秋立つごとに

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3992
#[題詞](遊覧布勢水海賦一首[并短歌] [此海者有射水郡舊江村也])
#[原文]布勢能宇美能 意枳都之良奈美 安利我欲比 伊夜登偲能波尓 見都追思<努>播牟
#[訓読]布勢の海の沖つ白波あり通ひいや年のはに見つつ偲はむ
#[仮名],ふせのうみの,おきつしらなみ,ありがよひ,いやとしのはに,みつつしのはむ
#[左注]右守大伴宿祢家持作之 [四月廿四日]
#[校異]奴 -> 努 [類][紀][細]
#[鄣W],天平19年4月24日,年紀,作者:大伴家持,遊覧,土地讃美,地名,氷見,富山,寿歌
#[訓異]
#[大意]布勢の水海の沖の白波よ。いつも通ってますます年ごとに見続けて賞美しよう。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3993
#[題詞]敬和遊覧布勢水海賦一首并一絶
#[原文]布治奈美波 佐岐弖知理尓伎 宇能波奈波 伊麻曽佐可理等 安之比奇能 夜麻尓毛野尓毛 保登等藝須 奈伎之等与米婆 宇知奈妣久 許己呂毛之努尓 曽己乎之母 宇良胡非之美等 於毛布度知 宇麻宇知牟礼弖 多豆佐波理 伊泥多知美礼婆 伊美豆河泊 美奈刀能須登利 安佐奈藝尓 可多尓安佐里之 思保美弖婆 都麻欲<妣>可波須 等母之伎尓 美都追須疑由伎 之夫多尓能 安利蘇乃佐伎尓 於枳追奈美 余勢久流多麻母 可多与理尓 可都良尓都久理 伊毛我多米 氐尓麻吉母知弖 宇良具波之 布<勢>能美豆宇弥尓 阿麻夫祢尓 麻可治加伊奴吉 之路多倍能 蘇泥布<理>可邊之 阿登毛比弖 和賀己藝由氣婆 乎布能佐伎 <波>奈知利麻我比 奈伎佐尓波 阿之賀毛佐和伎 佐射礼奈美 多知弖毛為弖母 己藝米具利 美礼登母安可受 安伎佐良婆 毛美知能等伎尓 波流佐良婆 波奈能佐可利尓 可毛加久母 伎美我麻尓麻等 可久之許曽 美母安吉良米々 多由流比安良米也
#[訓読]藤波は 咲きて散りにき 卯の花は 今ぞ盛りと あしひきの 山にも野にも 霍公鳥 鳴きし響めば うち靡く 心もしのに そこをしも うら恋しみと 思ふどち 馬打ち群れて 携はり 出で立ち見れば 射水川 港の渚鳥 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 夫呼び交す 羨しきに 見つつ過ぎ行き 渋谿の 荒礒の崎に 沖つ波 寄せ来る玉藻 片縒りに 蘰に作り 妹がため 手に巻き持ちて うらぐはし 布勢の水海に 海人船に ま楫掻い貫き 白栲の 袖振り返し あどもひて 我が漕ぎ行けば 乎布の崎 花散りまがひ 渚には 葦鴨騒き さざれ波 立ちても居ても 漕ぎ廻り 見れども飽かず 秋さらば 黄葉の時に 春さらば 花の盛りに かもかくも 君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
#[仮名],ふぢなみは,さきてちりにき,うのはなは,いまぞさかりと,あしひきの,やまにものにも,ほととぎす,なきしとよめば,うちなびく,こころもしのに,そこをしも,うらごひしみと,おもふどち,うまうちむれて,たづさはり,いでたちみれば,いみづがは,みなとのすどり,あさなぎに,かたにあさりし,しほみてば,つまよびかはす,ともしきに,みつつすぎゆき,しぶたにの,ありそのさきに,おきつなみ,よせくるたまも,かたよりに,かづらにつくり,いもがため,てにまきもちて,うらぐはし,ふせのみづうみに,あまぶねに,まかぢかいぬき,しろたへの,そでふりかへし,あどもひて,わがこぎゆけば,をふのさき,はなちりまがひ,なぎさには,あしがもさわき,さざれなみ,たちてもゐても,こぎめぐり,みれどもあかず,あきさらば,もみちのときに,はるさらば,はなのさかりに,かもかくも,きみがまにまと,かくしこそ,みもあきらめめ,たゆるひあらめや
#[左注]右掾大伴宿祢池主作 [四月廿六日追和]
#[校異]泊 [元] 伯 / 比 -> 妣 [元][類] / 施 -> 勢 [元][類][紀] / 里 -> 理 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類][紀]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,作者:大伴池主,追和,大伴家持,遊覧,枕詞,地名,氷見,高岡,寿歌,儀礼歌,土地讃美
#[訓異]
#[大意]藤の花波は咲いて散ってしまったが、卯の花は今が盛りであるとあしひきの山ににも野にも霍公鳥が鳴いて響かせるので、靡き寄る心もしおれるばかりにそこをばかり恋しいことなのでと、気の合う者同士が馬を連ねて、手を取り合って、出て立って見ると、射水川の河口の渚にいる鳥は、朝なぎに干潟で餌をあさって、潮が満ちてくるとお互いを呼び交わしている。そのような光景に心を引かれるが、眺めながら過ぎて行って、渋谷の荒磯の崎に沖の波が寄せて来る美しい藻、その藻をひねって縒って蘰に作って、妹のために手に巻いて持って、うるわしい布勢の水海に海人の舟に両舷に楫を貫いて、白妙の袖を振り翻して、みんなを率いて自分が漕いで行くと、乎布の崎は花が散り乱れていて、渚には葦辺にいる鴨が鳴き騒いでいて、さざ波が立つのではないが、立って見ても、座って見ても漕ぎまわって、いくら見ても飽きないで、秋になると黄葉の時にも、春になると花の盛りに、ともかくもどんな時もあなたの心のままにと、このように見て心を晴らそうよ。この楽しい行楽が絶える日があるだろうか。

#{語釈]
一絶 賦とあるので、反歌を漢詩の絶句になぞえたもの。

藤波は 咲きて散りにき 藤の花房を波に見立てたもの。
19/4199H01藤波の影なす海の底清み沈く石をも玉とぞ我が見る
季節が春から初夏へと移っていったことを示している。

うち靡く 心の状態。心の動きを言う

心もしのに 霍公鳥の鳴き声に聞き惚れる様子

携はり 手を取り合って 連れ立って

港の渚鳥 河口付近の州浜にいる水鳥

羨しきに 羨ましい。心が引かれる

片縒りに 一本の糸で縒り合わせる 即興に蘰を作ることか
10/1987H01片縒りに糸をぞ我が縒る我が背子が花橘を貫かむと思ひて

うらぐはし うるわしい 「くはし」は詳しい、精細なの意

白栲の 袖振り返し 楫を漕いでいる様子

乎布の崎 水海南岸
18/4037H01乎布の崎漕ぎた廻りひねもすに見とも飽くべき浦にあらなくに
18/4049H01おろかにぞ我れは思ひし乎布の浦の荒礒の廻り見れど飽かずけり
19/4187H02布勢の海に 小舟つら並め ま櫂掛け い漕ぎ廻れば 乎布の浦に

葦鴨 葦の生えている水辺にいる鴨。
全注「家持のあじ群に対応する。あじ群では季節に合わないので、留鳥である鴨を対応させた」

さざれ波 さざ波が立つで「立つ」の枕詞

立ちても居ても 立って見ても、座って見ても

かもかくも 春であっても秋であっても いつでも

君がまにまと あなたの思いのままにと

見も明らめめ 見て心を晴らそう
03/0478H03鶉雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山
17/3993H14君がまにまと かくしこそ 見も明らめめ 絶ゆる日あらめや
19/4187H01思ふどち ますらをのこの 木の暗の 繁き思ひを 見明らめ 心遣らむと
19/4254H08我が大君 秋の花 しが色々に 見したまひ 明らめたまひ 酒みづき
19/4255H01秋の花種にあれど色ごとに見し明らむる今日の貴さ
20/4360H05見のさやけく ものごとに 栄ゆる時と 見したまひ 明らめたまひ
20/4485H01時の花いやめづらしもかくしこそ見し明らめめ秋立つごとに

絶ゆる日あらめや 遊覧、行楽の絶える日(評釈、注釈)
他に 美景の絶える日、興趣の絶える日、水海を賞美しなくなる日

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3994
#[題詞](敬和遊覧布勢水海賦一首并一絶)
#[原文]之良奈美能 与世久流多麻毛 余能安比太母 都藝弖民仁許武 吉欲伎波麻備乎
#[訓読]白波の寄せ来る玉藻世の間も継ぎて見に来む清き浜びを
#[仮名],しらなみの,よせくるたまも,よのあひだも,つぎてみにこむ,きよきはまびを
#[左注]右掾大伴宿祢池主作 [四月廿六日追和]
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,作者:大伴池主,追和,大伴家持,遊覧,枕詞,地名,氷見,高岡,寿歌,儀礼歌,植物,土地讃美
#[訓異]
#[大意]白波が寄せて来る玉藻の節ではないが、一生の間もいつも見に来よう。清らかな浜辺を。
#{語釈]
白波の寄せ来る玉藻 藻の節と節との間を「よ」と言うので、「世」にかかる序詞
布勢水海の白波もイメージしているか。

世の間 世 一生 本来、節と節の間 生きている間 仏教の使い方から世間という意味になる

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3995
#[題詞]四月廿六日掾大伴宿祢池主之舘餞税帳使守大伴宿祢家持宴歌并古歌四首
#[原文]多麻保許乃 美知尓伊泥多知 和可礼奈婆 見奴日佐麻祢美 孤悲思家武可母 [一云 不見日久弥 戀之家牟加母]
#[訓読]玉桙の道に出で立ち別れなば見ぬ日さまねみ恋しけむかも [一云 見ぬ日久しみ恋しけむかも]
#[仮名],たまほこの,みちにいでたち,わかれなば,みぬひさまねみ,こひしけむかも,[みぬひひさしみ,こひしけむかも]
#[左注]右一首大伴宿祢家持作之
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,作者:大伴家持,宴席,餞別,羈旅,出発,大伴池主,恋情,悲別,枕詞,推敲,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]玉鉾の道に出立して別れたならば、会わない日が多くなるので恋しく思うことだろうか。[会わない日が久しくなるので、恋しく思うことだろうかなあ]
#{語釈]
税帳使 正税帳使のこと。

さまねみ 「さ」接頭語 「まね」まねし 多い。
#[説明]
宴に招かれた家持の挨拶。

#[関連論文]


#[番号]17/3996
#[題詞](四月廿六日掾大伴宿祢池主之舘餞税帳使守大伴宿祢家持宴歌并古歌四首)
#[原文]和我勢古我 久尓敝麻之奈婆 保等登藝須 奈可牟佐都奇波 佐夫之家牟可母
#[訓読]我が背子が国へましなば霍公鳥鳴かむ五月は寂しけむかも
#[仮名],わがせこが,くにへましなば,ほととぎす,なかむさつきは,さぶしけむかも
#[左注]右一首介内蔵忌寸縄麻呂作之
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,作者:内蔵縄麻呂,動物,宴席,餞別,羈旅,出発,大伴家持,大伴池主,恋情,悲別,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]我が背子が故郷へいらっしゃたならば、霍公鳥が鳴くであろう五月は寂しいことであろうか。
#{語釈]
介内蔵忌寸縄麻呂 越中介 正倉院文書天平十七年十月二十一日「正六位上行少丞内蔵忌寸縄麻呂」 天平十七年当時 大蔵少丞。

国 故郷 都のこと。

ましなば 「ます」 います 国へいらっしゃる 行くの尊敬

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3997
#[題詞](四月廿六日掾大伴宿祢池主之舘餞税帳使守大伴宿祢家持宴歌并古歌四首)
#[原文]安礼奈之等 奈和備和我勢故 保登等藝須 奈可牟佐都奇波 多麻乎奴香佐祢
#[訓読]我れなしとなわび我が背子霍公鳥鳴かむ五月は玉を貫かさね
#[仮名],あれなしと,なわびわがせこ,ほととぎす,なかむさつきは,たまをぬかさね
#[左注]右一首守大伴宿祢家持和
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,作者:大伴家持,唱和,宴席,餞別,羈旅,出発,大伴池主,内蔵縄麻呂,動物,慰撫,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]自分がいないとして、わびしくは思うなよ我が背子よ。霍公鳥が鳴くであろう五月は玉をお貫きなさいよ。
#{語釈]
なわび わびるな わびしく思うな

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/3998
#[題詞]石<川>朝臣水通橘歌一首
#[原文]和我夜度能 花橘乎 波奈其米尓 多麻尓曽安我奴久 麻多婆苦流之美
#[訓読]我が宿の花橘を花ごめに玉にぞ我が貫く待たば苦しみ
#[仮名],わがやどの,はなたちばなを,はなごめに,たまにぞあがぬく,またばくるしみ
#[左注]右一首傳誦主人大伴宿祢池主云尓
#[校異]河 -> 川 [元][類]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,大伴池主,伝誦,古歌,石川水通,植物,宴席,餞別,出発,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]我が家の花の橘を花もろとも薬玉に自分は貫くことだ。実になるのが待ち遠しく苦しいので。
#{語釈]
石<川>朝臣水通(みみち) 伝未詳 作歌もこの一首

花ごめに 花もろとも 花ごと

待たば苦しみ 実になるのを待っていられないから。
家持の出発に間に合わないという意味に転用しているか。

#[説明]
全集 元来比喩歌。「花橘」を幼妻に譬え、その成長を待つ歌

#[関連論文]


#[番号]17/3999
#[題詞]守大伴宿祢家持舘飲宴歌一首[四月廿六日]
#[原文]美夜故敝尓 多都日知可豆久 安久麻弖尓 安比見而由可奈 故布流比於保家牟
#[訓読]都辺に立つ日近づく飽くまでに相見て行かな恋ふる日多けむ
#[仮名],みやこへに,たつひちかづく,あくまでに,あひみてゆかな,こふるひおほけむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月26日,年紀,作者:大伴家持,羈旅,出発,餞別,宴席,恋情,富山,高岡
#[訓異]
#[大意]都のあたりに出立する日が近づいてくる。十分満足するまでともに会って行こうよ。恋い思う日が多いだろうから。
#{語釈]
飽くまでに 十分満足するまで

#[説明]
池主館宴と同日。おそらく二次会か。だから「飽くまでに相見て行かな」といって、このまま宴を終えると後悔すると言っている。

#[関連論文]


#[番号]17/4000
#[題詞]立山賦一首[并短歌] [此山者有新<川>郡也]
#[原文]安麻射可流 比奈尓名可加須 古思能奈可 久奴知許登其等 夜麻波之母 之自尓安礼登毛 加波々之母 佐波尓由氣等毛 須賣加未能 宇之波伎伊麻須 尓比可波能 曽能多知夜麻尓 等許奈都尓 由伎布理之伎弖 於<婆>勢流 可多加比河波能 伎欲吉瀬尓 安佐欲比其等尓 多都奇利能 於毛比須疑米夜 安里我欲比 伊夜登之能播仁 余<増>能未母 布利佐氣見都々 余呂豆餘能 可多良比具佐等 伊末太見奴 比等尓母都氣牟 於登能未毛 名能未<母>伎吉氐 登母之夫流我祢
#[訓読]天離る 鄙に名懸かす 越の中 国内ことごと 山はしも しじにあれども 川はしも 多に行けども 統め神の 領きいます 新川の その立山に 常夏に 雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに よそのみも 振り放け見つつ 万代の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて 羨しぶるがね
#[仮名],あまざかる,ひなになかかす,こしのなか,くぬちことごと,やまはしも,しじにあれども,かははしも,さはにゆけども,すめかみの,うしはきいます,にひかはの,そのたちやまに,とこなつに,ゆきふりしきて,おばせる,かたかひがはの,きよきせに,あさよひごとに,たつきりの,おもひすぎめや,ありがよひ,いやとしのはに,よそのみも,ふりさけみつつ,よろづよの,かたらひぐさと,いまだみぬ,ひとにもつげむ,おとのみも,なのみもききて,ともしぶるがね
#[左注](四月廿七日大伴宿祢家持作之)
#[校異]歌 [西] 謌 / 山 [元][類][紀][温] 立山 / 河 -> 川 [元][細][温] / 波 -> 婆 [元][類][紀] / 曽 -> 増 [元][細][温] / 毛 -> 母 [元][類][細]
#[鄣W],天平19年4月27日,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,山讃美,寿歌,儀礼歌,序詞,枕詞,国見,土地讃美
#[訓異]
#[大意]天から遠く離れた田舎にあっても名高い越の国の中の国中、山はたくさんあるけれども、川はたくさん流れていくけれども、統率する神が領有されている新川郡のその立山に夏の真っ盛りでも雪が降り積もっていて、帯にされている片貝川の清らかな瀬に朝夕ごとに立つ霧が流れていくように思い過ぎるということがあろうか。いつも通って、ますます年ごとに外からでも振り仰いで見続けて、いつまでも話の種として、まだ見ていない人にも話そう。うわさばかりも名前だけも聞いてうらやましがるように。
#{語釈]
名懸かす 懸くの尊敬 名高い 名をお懸けになっている
懸かり方に二説。 すぐ下の「越の中」 代匠記、新考、全釈、評釈、全註釈
「立山」 略解引用宣長 古義、総釈 大系 全集 山田孝雄 全注
国見表現であることを思うと、越の中にかかるか。

多に行けども 以上、国見歌表現。

常夏に 夏中 夏の真っ盛りに 新考 全釈 総釈 全註釈 評釈 古典大系
一年中 いつも変わりなく 全集 全注
03/0317H03白雲も い行きはばかり 時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ
と同じ表現

「常」 永遠にの意
01/0022H01川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて
いつもの意
01/0037H01見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む

立つ霧の 思ひ過ぎめや
03/0325H01明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに

いや年のはに 3991 毎年、いつも

羨しぶるがね うらやましがるように
03/0364H01ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4001
#[題詞](立山賦一首[并短歌] [此山者有新<川>郡也])
#[原文]多知夜麻尓 布里於家流由伎乎 登己奈都尓 見礼等母安可受 加武賀良奈良之
#[訓読]立山に降り置ける雪を常夏に見れども飽かず神からならし
#[仮名],たちやまに,ふりおけるゆきを,とこなつに,みれどもあかず,かむからならし
#[左注](四月廿七日大伴宿祢家持作之)
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月27日,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,山讃美,寿歌,儀礼歌,国見,土地讃美
#[訓異]
#[大意]立山に降り積もっている雪を夏中見ても見飽きることはない。神霊の品格であるらしい。
#{語釈]
神から 神霊の品格

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4002
#[題詞](立山賦一首[并短歌] [此山者有新<川>郡也])
#[原文]可多加比能 可波能瀬伎欲久 由久美豆能 多由流許登奈久 安里我欲比見牟
#[訓読]片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む
#[仮名],かたかひの,かはのせきよく,ゆくみづの,たゆることなく,ありがよひみむ
#[左注]四月廿七日大伴宿祢家持作之
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月27日,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,山讃美,序詞,儀礼歌,寿歌,土地讃美
#[訓異]
#[大意]片貝の川の瀬に清らかに流れる水が絶えることがないように、絶えることなくいつも通ってきて見よう。
#{語釈]
#[説明]
類歌
01/0037H01見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む

#[関連論文]


#[番号]17/4003
#[題詞]敬和立山賦一首并二絶
#[原文]阿佐比左之 曽我比尓見由流 可無奈我良 弥奈尓於婆勢流 之良久母能 知邊乎於之和氣 安麻曽々理 多可吉多知夜麻 布由奈都登 和久許等母奈久 之路多倍尓 遊吉波布里於吉弖 伊尓之邊遊 阿理吉仁家礼婆 許其志可毛 伊波能可牟佐備 多末伎波流 伊久代經尓家牟 多知氐為弖 見礼登毛安夜之 弥祢太可美 多尓乎布可美等 於知多藝都 吉欲伎可敷知尓 安佐左良受 綺利多知和多利 由布佐礼婆 久毛為多奈(i)吉 久毛為奈須 己許呂毛之努尓 多都奇理能 於毛比須具佐受 由久美豆乃 於等母佐夜氣久 与呂豆余尓 伊比都藝由可牟 加<波>之多要受波
#[訓読]朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の 千重を押し別け 天そそり 高き立山 冬夏と 別くこともなく 白栲に 雪は降り置きて 古ゆ あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる 幾代経にけむ 立ちて居て 見れども異し 峰高み 谷を深みと 落ちたぎつ 清き河内に 朝さらず 霧立ちわたり 夕されば 雲居たなびき 雲居なす 心もしのに 立つ霧の 思ひ過ぐさず 行く水の 音もさやけく 万代に 言ひ継ぎゆかむ 川し絶えずは
#[仮名],あさひさし,そがひにみゆる,かむながら,みなにおばせる,しらくもの,ちへをおしわけ,あまそそり,たかきたちやま,ふゆなつと,わくこともなく,しろたへに,ゆきはふりおきて,いにしへゆ,ありきにければ,こごしかも,いはのかむさび,たまきはる,いくよへにけむ,たちてゐて,みれどもあやし,みねだかみ,たにをふかみと,おちたぎつ,きよきかふちに,あささらず,きりたちわたり,ゆふされば,くもゐたなびき,くもゐなす,こころもしのに,たつきりの,おもひすぐさず,ゆくみづの,おともさやけく,よろづよに,いひつぎゆかむ,かはしたえずは
#[左注](右掾大伴宿祢池主和之 四月廿八日)
#[校異]婆 -> 波 [元][類][紀]
#[鄣W],天平19年4月28日,年紀,作者:大伴池主,唱和,大伴家持,枕詞,土地讃美,地名,富山,山讃美,儀礼歌,寿歌,序詞
#[訓異]
#[大意]朝日が指して、その背面に見える神さながらに神として御名に帯びていらっしゃる白雲の幾重にも重なっている中を押し分けて天にそそり立っている高い立山よ。冬や夏と別があることもなく、白妙に雪は降り積もって、昔からあってきたので、ごつごつしている岩が神々しくなり、たまきはる どれほど時が経っているのだろうか。立ったり坐ったりして見るけれども霊妙である。峰が高く、谷も深いのでと落ち激している清らかな河内に、朝ごとに霧が立ち渡って、夕方になると雲がたなびいて、その雲のように心もしおれるばかりに、立つ霧のように思い過ごすこともなく、行く水のように音もさやかであって、永久に言い継いで行こう。川が絶えない限りは

#{語釈]
朝日さしそがひに見ゆる 「朝日が指して、その背後に見える」と読み取れるが、立山は、高岡からは東南にあたり、風景として合わない。
立山の背面に朝日が指して見える。 新考、山田孝雄、窪田評釈、注釈
朝日が指して、池主の館から後ろの方 斜めうしろ 横にみえる立山 全釈、全註釈、大系、全集
吉井厳 背向の翻訳語 背と向かうということで、前後の意味か。立山連峰の重なり合っている様子を背向と言った。 朝日が指して、重なって見えるの意

そがひ
03/0357H01縄の浦ゆそがひに見ゆる沖つ島漕ぎ廻る舟は釣りしすらしも
03/0358H01武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつ羨しき小舟
03/0460H07草枕 旅なる間に 佐保川を 朝川渡り 春日野を そがひに見つつ
04/0509H06粟島を そがひに見つつ 朝なぎに 水手の声呼び 夕なぎに
06/0917H01やすみしし 我ご大君の 常宮と 仕へ奉れる 雑賀野ゆ そがひに見ゆる
07/1412H01我が背子をいづち行かめとさき竹のそがひに寝しく今し悔しも
14/3391H01筑波嶺にそがひに見ゆる葦穂山悪しかるとがもさね見えなくに
14/3577H01愛し妹をいづち行かめと山菅のそがひに寝しく今し悔しも
17/4003H01朝日さし そがひに見ゆる 神ながら 御名に帯ばせる 白雲の
17/4011H12鳥猟すと 名のみを告りて 三島野を そがひに見つつ 二上の
19/4207H01ここにして そがひに見ゆる 我が背子が 垣内の谷に 明けされば
20/4472H01大君の命畏み於保の浦をそがひに見つつ都へ上る

朝日さし 立山を讃美する言い方。 「巻向の日代の宮は 朝日の日照る宮 夕日の日かげる宮」

神ながら 御名に帯ばせる 神さながらに、神として御名にお持ちになっている

天そそり 天にそそり立つ

こごしかも 岩がごつごつした状態

03/0301H01岩が根のこごしき山を越えかねて音には泣くとも色に出でめやも
03/0322H02さはにあれども 島山の 宣しき国と こごしかも 伊予の高嶺の
03/0414H01あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かばかたみと標のみぞ結ふ
07/1130H01神さぶる岩根こごしきみ吉野の水分山を見れば悲しも
07/1332H01岩が根のこごしき山に入りそめて山なつかしみ出でかてぬかも
13/3274H01為むすべの たづきを知らに 岩が根の こごしき道を 岩床の
13/3329H08こごしき道の 岩床の 根延へる門に 朝には 出で居て嘆き 夕には
17/4003H04あり来にければ こごしかも 岩の神さび たまきはる

たまきはる 幾世にかかる枕詞。普通は、命、内にかかる。

見れども異し いろいろと見るけれども霊妙である

川し絶えずは 片貝川のこと


#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4004
#[題詞](敬和立山賦一首并二絶)
#[原文]多知夜麻尓 布理於家流由伎能 等許奈都尓 氣受弖和多流波 可無奈我良等曽
#[訓読]立山に降り置ける雪の常夏に消ずてわたるは神ながらとぞ
#[仮名],たちやまに,ふりおけるゆきの,とこなつに,けずてわたるは,かむながらとぞ
#[左注](右掾大伴宿祢池主和之 四月廿八日)
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月28日,年紀,作者:大伴池主,唱和,大伴家持,土地讃美,地名,富山,山讃美,儀礼歌,寿歌
#[訓異]
#[大意]立山に降り積もっている雪が夏中消えないで積もり続けているのは神格のせいだというよ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4005
#[題詞](敬和立山賦一首并二絶)
#[原文]於知多藝都 可多加比我波能 多延奴期等 伊麻見流比等母 夜麻受可欲波牟
#[訓読]落ちたぎつ片貝川の絶えぬごと今見る人もやまず通はむ
#[仮名],おちたぎつ,かたかひがはの,たえぬごと,いまみるひとも,やまずかよはむ
#[左注]右掾大伴宿祢池主和之 四月廿八日
#[校異]
#[鄣W],天平19年4月28日,年紀,作者:大伴池主,唱和,大伴家持,土地讃美,地名,富山,山讃美,儀礼歌,寿歌
#[訓異]
#[大意]流れ落ちて激している片貝川が絶えないように、今見る人もやめにしないで絶えず通おう。
#{語釈]
今見る人 家持のこと。池主歌は家持歌に和しているので、対応がある。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4006
#[題詞]入京漸近悲情難撥述懐一首并一絶
#[原文]可伎加蘇布 敷多我美夜麻尓 可牟佐備弖 多氐流都我能奇 毛等母延毛 於夜自得伎波尓 波之伎与之 和我世乃伎美乎 安佐左良受 安比弖許登騰比 由布佐礼婆 手多豆佐波利弖 伊美豆河波 吉欲伎可布知尓 伊泥多知弖 和我多知弥礼婆 安由能加是 伊多久之布氣婆 美奈刀尓波 之良奈美多可弥 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫祢波 伊里延許具 加遅能於等多可之 曽己乎之毛 安夜尓登母志美 之努比都追 安蘇夫佐香理乎 須賣呂伎能 乎須久尓奈礼婆 美許登母知 多知和可礼奈婆 於久礼多流 吉民婆安礼騰母 多麻保許乃 美知由久和礼播 之良久毛能 多奈妣久夜麻乎 伊波祢布美 古要敝奈利奈<婆> 孤悲之家久 氣乃奈我家牟曽 則許母倍婆 許己呂志伊多思 保等登藝須 許恵尓安倍奴久 多麻尓母我 手尓麻吉毛知弖 安佐欲比尓 見都追由可牟乎 於伎弖伊加<婆>乎<思>
#[訓読]かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も 同じときはに はしきよし 我が背の君を 朝去らず 逢ひて言どひ 夕されば 手携はりて 射水川 清き河内に 出で立ちて 我が立ち見れば 東風の風 いたくし吹けば 港には 白波高み 妻呼ぶと 渚鳥は騒く 葦刈ると 海人の小舟は 入江漕ぐ 楫の音高し そこをしも あやに羨しみ 偲ひつつ 遊ぶ盛りを 天皇の 食す国なれば 御言持ち 立ち別れなば 後れたる 君はあれども 玉桙の 道行く我れは 白雲の たなびく山を 岩根踏み 越えへなりなば 恋しけく 日の長けむぞ そこ思へば 心し痛し 霍公鳥 声にあへ貫く 玉にもが 手に巻き持ちて 朝夕に 見つつ行かむを 置きて行かば惜し
#[仮名],かきかぞふ,ふたがみやまに,かむさびて,たてるつがのき,もともえも,おやじときはに,はしきよし,わがせのきみを,あささらず,あひてことどひ,ゆふされば,てたづさはりて,いみづがは,きよきかふちに,いでたちて,わがたちみれば,あゆのかぜ,いたくしふけば,みなとには,しらなみたかみ,つまよぶと,すどりはさわく,あしかると,あまのをぶねは,いりえこぐ,かぢのおとたかし,そこをしも,あやにともしみ,しのひつつ,あそぶさかりを,すめろきの,をすくになれば,みこともち,たちわかれなば,おくれたる,きみはあれども,たまほこの,みちゆくわれは,しらくもの,たなびくやまを,いはねふみ,こえへなりなば,こひしけく,けのながけむぞ,そこもへば,こころしいたし,ほととぎす,こゑにあへぬく,たまにもが,てにまきもちて,あさよひに,みつつゆかむを,おきていかばをし
#[左注](右大伴宿祢家持贈掾大伴宿祢池主 四月卅日)
#[校異]波 -> 婆 [元][細] / 波 -> 婆 [元][細][温] / 志 -> 思 [元][細][温]
#[鄣W],天平19年4月30日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,地名,高岡,富山,植物,羈旅,出発,悲別,恋情
#[訓異]
#[大意]かき数えてふたつになる二上山に神々しくなって立っている栂の木よ。その幹も枝も同じ常盤であるように自分たち大伴の本家も分家も同じく栄えているものとして愛しい我が背の君であるあなたを、朝ごとに会っては言葉を交わし、夕方になると手を取り合って射水川の清らかな河内に出て立って自分が立って見ると、東風がひどく吹くので港には白波が高く、妻を呼ぶとして州浜の鳥は鳴き合っている。蘆を苅るとして海人の小舟は、入り江を漕ぐ楫の音が高い。そこだけでも妙に心が引かれ、賞美しながら遊ぶ真っ盛りなのに、天皇のお治めになる国であるので、お役目を持って立ち別れるならば、後に残ったあなたはいかようであっても、玉鉾の道を行く自分は、白雲のたなびく遠い山をを岩根を踏み越えて隔たっていくならば、恋しく思う日が長いであろうよ。そこを思うと心が痛い。霍公鳥を声に交え貫く薬玉ででもあらばなあ。そうすれば手に巻いて持って、朝夕に見続けて行こうものなのに。後に置いて行くのは惜しいことである。
#{語釈]
京に入ること漸(やくやく)に近づき、悲情撥(はら)ひ難くして懐を述ぶる一首并一絶

悲情難撥 池主を中心とした越中に心が残る情。

かき数ふ 二上山の枕詞 「かき」接頭語 一つ二つと数えてふたつになるふたがみと続く。用例はここだけ。家持の考案か。

栂の木 マツ科の常緑高木 とが。 大伴氏に譬えた

01/0029H03生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下
03/0324H01みもろの 神なび山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の
06/0907H01瀧の上の 三船の山に 瑞枝さし 繁に生ひたる 栂の木の
17/4006H01かき数ふ 二上山に 神さびて 立てる栂の木 本も枝も
19/4266H01あしひきの 八つ峰の上の 栂の木の いや継ぎ継ぎに 松が根の

本も枝も 同じときはに 本家(家持)も支流(池主)も同じ常緑で栄えていること

我が背の君を 池主のこと

逢ひて言どひ 会って、言葉を交わし

東風の風 東からの風

17/4017H01あゆの風
17/4017I01[越俗語東風謂之安由乃可是也]
17/4017H02いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小船漕ぎ隠る見ゆ

渚鳥 17/3993H05港の渚鳥 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば

あやに羨しみ 何とも言いようのないほどに むしょうに

天皇の 全注 現在の天皇はオホキミ。それに対して、皇統につながる天皇をスメロギ

御言持ち 立ち別れなば 正税帳使として都に上ること

君はあれども あなたはともかくとして。普通ではいられるが、

越えへなりなば 越えて隔たってしまうので、

恋しけく 日の長けむぞ 君(池主)を恋しく思う日が長いであろうよ

声にあへ貫く 声に交えて貫く

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4007
#[題詞](入京漸近悲情難撥述懐一首并一絶)
#[原文]和我勢故<波> 多麻尓母我毛奈 保登等伎須 許恵尓安倍奴吉 手尓麻伎弖由可牟
#[訓読]我が背子は玉にもがもな霍公鳥声にあへ貫き手に巻きて行かむ
#[仮名],わがせこは,たまにもがもな,ほととぎす,こゑにあへぬき,てにまきてゆかむ
#[左注]右大伴宿祢家持贈掾大伴宿祢池主 四月卅日
#[校異]婆 -> 波 [元][類]
#[鄣W],天平19年4月30日,年紀,作者:大伴家持,贈答,大伴池主,羈旅,動物,出発,悲別,恋情,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]我が背子は玉にでもあればなあ。そうすれば霍公鳥の声に交えて貫いて手に巻いて行こうものなのに
#{語釈]
#[説明]
17/3990H01我が背子は玉にもがもな手に巻きて見つつ行かむを置きて行かば惜し

#[関連論文]


#[番号]17/4008
#[題詞]忽見入京述懐之作生別悲<兮>断腸万廻怨緒難禁聊奉所心一首并二絶
#[原文]安遠邇与之 奈良乎伎波奈礼 阿麻射可流 比奈尓波安礼登 和賀勢故乎 見都追志乎礼婆 於毛比夜流 許等母安利之乎 於保伎美乃 美許等可之古美 乎須久尓能 許等登理毛知弖 和可久佐能 安由比多豆久利 無良等理能 安佐太知伊奈婆 於久礼多流 阿礼也可奈之伎 多妣尓由久 伎美可母孤悲無 於毛布蘇良 夜須久安良祢婆 奈氣可久乎 等騰米毛可祢氐 見和多勢婆 宇能婆奈夜麻乃 保等登藝須 <祢>能未之奈可由 安佐疑理能 美太流々許己呂 許登尓伊泥弖 伊<波><婆>由遊思美 刀奈美夜麻 多牟氣能可味尓 奴佐麻都里 安我許比能麻久 波之家夜之 吉美賀多太可乎 麻佐吉久毛 安里多母等保利 都奇多々婆 等伎毛可波佐受 奈泥之故我 波奈乃佐可里尓 阿比見之米等曽
#[訓読]あをによし 奈良を来離れ 天離る 鄙にはあれど 我が背子を 見つつし居れば 思ひ遣る こともありしを 大君の 命畏み 食す国の 事取り持ちて 若草の 足結ひ手作り 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れや悲しき 旅に行く 君かも恋ひむ 思ふそら 安くあらねば 嘆かくを 留めもかねて 見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 音のみし泣かゆ 朝霧の 乱るる心 言に出でて 言はばゆゆしみ 砺波山 手向けの神に 幣奉り 我が祈ひ祷まく はしけやし 君が直香を ま幸くも ありた廻り 月立たば 時もかはさず なでしこが 花の盛りに 相見しめとぞ
#[仮名],あをによし,ならをきはなれ,あまざかる,ひなにはあれど,わがせこを,みつつしをれば,おもひやる,こともありしを,おほきみの,みことかしこみ,をすくにの,こととりもちて,わかくさの,あゆひたづくり,むらとりの,あさだちいなば,おくれたる,あれやかなしき,たびにゆく,きみかもこひむ,おもふそら,やすくあらねば,なげかくを,とどめもかねて,みわたせば,うのはなやまの,ほととぎす,ねのみしなかゆ,あさぎりの,みだるるこころ,ことにいでて,いはばゆゆしみ,となみやま,たむけのかみに,ぬさまつり,あがこひのまく,はしけやし,きみがただかを,まさきくも,ありたもとほり,つきたたば,ときもかはさず,なでしこが,はなのさかりに,あひみしめとぞ
#[左注](右大伴宿祢池主報贈和歌 [五月二日])
#[校異]号 -> 兮 [元] / 弥 -> 祢 [元][紀][細] / 婆 -> 波 [元][細][温] / 々 -> 婆 [元][細][温]
#[鄣W],天平19年5月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,枕詞,植物,動物,地名,高岡,富山,砺波,恋情,悲別,羈旅,出発
#[訓異]
#[大意]あをによし奈良を離れて来て、天遠く離れる田舎ではあるけれども、我が背子をずっと見ていると物思いを晴らすこともあったものなのに、大君の命令が恐れ多いので、統治する国の仕事を取り持って若草の足結いを結んで、鳥の群れのように朝に出立していったので、後に残った自分は悲しいことである。旅に行くあなたを恋い思うことであろうか。あなたを思う心も安穏とはしていないので、嘆くことを止めることも出来なくて、見渡すと卯の花が咲いている山に鳴く霍公鳥のように声に上げてばかり泣かずにはいられない。朝霧のように乱れる心を言葉に出して言うと不吉なので、砺波山の手向けの神に幣帛を奉り、自分が祈り乞うことには、いとしいあなた自身を無事に旅先をめぐって、新しい月になると時を移さず、なでしこの花の盛りにともに見させてくださいと。
#{語釈]
忽見入京述懐之作生別悲<兮>断腸万廻怨緒難禁聊奉所心 忽(たちま)ちに京(みやこ)に入らむとして懐(おもひ)を述ぶる作を見るに、生別は悲しく<兮>、断腸万廻(よろづたび)にして怨緒(えんしょ)禁(とど)め難し。聊(いささ)かに所心を奉る

思ひ遣る もの思いを晴らす

大君の 命畏み 家持が正税帳使として都に上ることを言う

若草の 足結ひの枕詞 続き方未詳
全釈「若草で作った意」
佐々木信綱「若草のような柔らかな」
私注「若草の生えている畔(あ)というつづきで、アユヒの一音にかかる」
全集「あるいは2361のように妻の待つ家へ行く男の足結、の意でかけたか」
全注「あるいは旅立ちに当たって妻が足結いを結ぶ習慣があって、「若草」で妻をあらわしたものか」

足結ひ 袴の裾を括って歩きやすくしたもの

手作り た 接頭語 装う 作る
皇極紀「蘇我蝦夷歌 倭の忍の広瀬を渡らむとあゆひたづくり腰づくらふも」

群鳥の 朝立ち去なば
06/1047H11群鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は
09/1785H03命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の
13/3291H06群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れか恋ひむな 旅ならば 君か偲はむ
17/4008H04足結ひ手作り 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる
20/4398H04真袖もち 涙を拭ひ むせひつつ 言問ひすれば 群鳥の
20/4474H01群鳥の朝立ち去にし君が上はさやかに聞きつ思ひしごとく

思ふそら 3969 思いをする心

見わたせば 卯の花山の 霍公鳥 序詞 「音のみし泣かゆ」を引き出す

言に出でて 言はばゆゆしみ 旅立ちの時に、別れの悲しさなどを言うことは不吉なこととしてタブーとされている

砺波山 越中と越前(加賀)国境。倶利伽藍峠がある。

我が祈ひ祷まく 自分が乞い祈ることには

03/0379H04かくだにも 我れは祈ひなむ 君に逢はじかも
03/0380H01木綿畳手に取り持ちてかくだにも我れは祈ひなむ君に逢はじかも
03/0443H05片手には 和栲奉り 平けく ま幸くいませと 天地の 神を祈ひ祷み
05/0904H09天つ神 仰ぎ祈ひ祷み 国つ神 伏して額つき かからずも かかりも
05/0904H10神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈ひ祷めど しましくも
05/0906H01布施置きて我れは祈ひ祷むあざむかず直に率行きて天道知らしめ
13/3241H01天地を嘆き祈ひ祷み幸くあらばまたかへり見む志賀の唐崎
15/3682H01天地の神を祈ひつつ我れ待たむ早来ませ君待たば苦しも
17/4008H09手向けの神に 幣奉り 我が祈ひ祷まく はしけやし
17/4011H18祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる
20/4499H01我が背子しかくし聞こさば天地の神を祈ひ祷み長くとぞ思ふ

君が直香を その人自身

04/0697H01我が聞きに懸けてな言ひそ刈り薦の乱れて思ふ君が直香ぞ
09/1787H04明かしもえぬを 寐も寝ずに 我れはぞ恋ふる 妹が直香に
13/3293H03間もおちず 我れはぞ恋ふる 妹が直香に
13/3304H01聞かずして黙もあらましを何しかも君が直香を人の告げつる
13/3333H04人の言ひつる 我が心 筑紫の山の 黄葉の 散りて過ぎぬと 君が直香を
17/4008H10君が直香を ま幸くも ありた廻り 月立たば

ま幸くも ありた廻り 無事で旅先をめぐって

月立たば 翌月になって 今5月であるから6月には戻ってくる予定であったか

時もかはさず 時も移さず

なでしこが 花の盛りに 夏から秋にかけての開花 6月頃は満開か
全注「池主は家持の好みをよく知っていて、ここになでしこの花を歌っているのであろう」

相見しめとぞ 「しめ」使役 ともに見させてくださいと祈るばかりだ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4009
#[題詞](忽見入京述懐之作生別悲<兮>断腸万廻怨緒難禁聊奉所心一首并二絶)
#[原文]多麻保許<乃> 美知能可<未>多知 麻比波勢牟 安賀於毛布伎美乎 奈都可之美勢余
#[訓読]玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ
#[仮名],たまほこの,みちのかみたち,まひはせむ,あがおもふきみを,なつかしみせよ
#[左注](右大伴宿祢池主報贈和歌 [五月二日])
#[校異]能 -> 乃 [元][類] / 味 -> 未 [元][類][紀]
#[鄣W],天平19年5月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,枕詞,羈旅,出発,悲別,恋情,手向け,無事,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]玉鉾の道の神たちよ。贈り物をしよう。自分が大切に思う君を親しく大事にしなさい。
#{語釈]
賄はせむ 贈り物をしよう

05/0905H01若ければ道行き知らじ賄はせむ黄泉の使負ひて通らせ
06/0985H01天にます月読壮士賄はせむ今夜の長さ五百夜継ぎこそ
09/1755H04鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に
17/4009H01玉桙の道の神たち賄はせむ我が思ふ君をなつかしみせよ
20/4446H01我が宿に咲けるなでしこ賄はせむゆめ花散るないやをちに咲け
20/4447H01賄しつつ君が生ほせるなでしこが花のみ問はむ君ならなくに

なつかしみせよ 親しく大切にせよ

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4010
#[題詞](忽見入京述懐之作生別悲<兮>断腸万廻怨緒難禁聊奉所心一首并二絶)
#[原文]宇良故非之 和賀勢能伎美波 奈泥之故我 波奈尓毛我母奈 安佐奈々々見牟
#[訓読]うら恋し我が背の君はなでしこが花にもがもな朝な朝な見む
#[仮名],うらごひし,わがせのきみは,なでしこが,はなにもがもな,あさなさなみむ
#[左注]右大伴宿祢池主報贈和歌 [五月二日]
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],天平19年5月2日,年紀,作者:大伴池主,贈答,大伴家持,羈旅,出発,悲別,恋情,高岡,富山,植物
#[訓異]
#[大意]心恋しい我が背の君はなでしこの花にでもあればなあ。そうすれば朝ごとに見ようものなのに
#{語釈]

#[説明]
全注 池主は408の歌を知っていて、家持の4007に合わせた
03/0408H01なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ

#[関連論文]


#[番号]17/4011
#[題詞]思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌]
#[原文]大王乃 等保能美可度曽 美雪落 越登名尓於敝流 安麻射可流 比奈尓之安礼婆 山高美 河登保之呂思 野乎比呂美 久佐許曽之既吉 安由波之流 奈都能左<加>利等 之麻都等里 鵜養我登母波 由久加波乃 伎欲吉瀬其<等>尓 可賀里左之 奈豆左比能保流 露霜乃 安伎尓伊多礼<婆> 野毛佐波尓 等里須太家里等 麻須良乎能 登母伊射奈比弖 多加波之母 安麻多安礼等母 矢形尾乃 安我大黒尓 [大黒者蒼鷹之名也] 之良奴里<能> 鈴登里都氣弖 朝猟尓 伊保都登里多氐 暮猟尓 知登理布美多氐 於敷其等邇 由流須許等奈久 手放毛 乎知母可夜須伎 許礼乎於伎氐 麻多波安里我多之 左奈良敝流 多可波奈家牟等 情尓波 於毛比保許里弖 恵麻比都追 和多流安比太尓 多夫礼多流 之許都於吉奈乃 許等太尓母 吾尓波都氣受 等乃具母利 安米能布流日乎 等我理須等 名乃未乎能里弖 三嶋野乎 曽我比尓見都追 二上 山登妣古要氐 久母我久理 可氣理伊尓伎等 可敝理伎弖 之波夫礼都具礼 呼久餘思乃 曽許尓奈家礼婆 伊敷須敝能 多騰伎乎之良尓 心尓波 火佐倍毛要都追 於母比孤悲 伊<伎>豆吉安麻利 氣太之久毛 安布許等安里也等 安之比奇能 乎氐母許乃毛尓 等奈美波里 母利敝乎須恵氐 知波夜夫流 神社尓 氐流鏡 之都尓等里蘇倍 己比能美弖 安我麻都等吉尓 乎登賣良我 伊米尓都具良久 奈我古敷流 曽能保追多加波 麻追太要乃 波麻由伎具良之 都奈之等流 比美乃江過弖 多古能之麻 等<妣>多毛登保里 安之我母<乃> 須太久舊江尓 乎等都日毛 伎能敷母安里追 知加久安良婆 伊麻布都可太未 等保久安良婆 奈奴可乃<乎>知<波> 須疑米也母 伎奈牟和我勢故 祢毛許呂尓 奈孤悲曽余等曽 伊麻尓都氣都流
#[訓読]大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る 鄙にしあれば 山高み 川とほしろし 野を広み 草こそ茂き 鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養が伴は 行く川の 清き瀬ごとに 篝さし なづさひ上る 露霜の 秋に至れば 野も多に 鳥すだけりと 大夫の 友誘ひて 鷹はしも あまたあれども 矢形尾の 我が大黒に [大黒者蒼鷹之名也] 白塗の 鈴取り付けて 朝猟に 五百つ鳥立て 夕猟に 千鳥踏み立て 追ふ毎に 許すことなく 手放れも をちもかやすき これをおきて またはありがたし さ慣らへる 鷹はなけむと 心には 思ひほこりて 笑まひつつ 渡る間に 狂れたる 醜つ翁の 言だにも 我れには告げず との曇り 雨の降る日を 鳥猟すと 名のみを告りて 三島野を そがひに見つつ 二上の 山飛び越えて 雲隠り 翔り去にきと 帰り来て しはぶれ告ぐれ 招くよしの そこになければ 言ふすべの たどきを知らに 心には 火さへ燃えつつ 思ひ恋ひ 息づきあまり けだしくも 逢ふことありやと あしひきの をてもこのもに 鳥網張り 守部を据ゑて ちはやぶる 神の社に 照る鏡 倭文に取り添へ 祈ひ祷みて 我が待つ時に 娘子らが 夢に告ぐらく 汝が恋ふる その秀つ鷹は 松田江の 浜行き暮らし つなし捕る 氷見の江過ぎて 多古の島 飛びた廻り 葦鴨の すだく古江に 一昨日も 昨日もありつ 近くあらば いま二日だみ 遠くあらば 七日のをちは 過ぎめやも 来なむ我が背子 ねもころに な恋ひそよとぞ いまに告げつる
#[仮名],おほきみの,とほのみかどぞ,みゆきふる,こしとなにおへる,あまざかる,ひなにしあれば,やまたかみ,かはとほしろし,のをひろみ,くさこそしげき,あゆはしる,なつのさかりと,しまつとり,うかひがともは,ゆくかはの,きよきせごとに,かがりさし,なづさひのぼる,つゆしもの,あきにいたれば,のもさはに,とりすだけりと,ますらをの,ともいざなひて,たかはしも,あまたあれども,やかたをの,あがおほぐろに,しらぬりの,すずとりつけて,あさがりに,いほつとりたて,ゆふがりに,ちとりふみたて,おふごとに,ゆるすことなく,たばなれも,をちもかやすき,これをおきて,またはありがたし,さならへる,たかはなけむと,こころには,おもひほこりて,ゑまひつつ,わたるあひだに,たぶれたる,しこつおきなの,ことだにも,われにはつげず,とのくもり,あめのふるひを,とがりすと,なのみをのりて,みしまのを,そがひにみつつ,ふたがみの,やまとびこえて,くもがくり,かけりいにきと,かへりきて,しはぶれつぐれ,をくよしの,そこになければ,いふすべの,たどきをしらに,こころには,ひさへもえつつ,おもひこひ,いきづきあまり,けだしくも,あふことありやと,あしひきの,をてもこのもに,となみはり,もりへをすゑて,ちはやぶる,かみのやしろに,てるかがみ,しつにとりそへ,こひのみて,あがまつときに,をとめらが,いめにつぐらく,ながこふる,そのほつたかは,まつだえの,はまゆきくらし,つなしとる,ひみのえすぎて,たこのしま,とびたもとほり,あしがもの,すだくふるえに,をとつひも,きのふもありつ,ちかくあらば,いまふつかだみ,とほくあらば,なぬかのをちは,すぎめやも,きなむわがせこ,ねもころに,なこひそよとぞ,いまにつげつる
#[左注](右射水郡古江村取獲蒼鷹 形<容>美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之<餌>呼留靡驗 於是<張>設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 <粤>以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費<精><神> 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺<寤>有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持 [九月廾六日作也])
#[校異]短歌 [西] 短謌 / 可 -> 加 [元][類][紀][細] / 登 -> 等 [元][類] / 波 -> 婆 [元] / 奴 -> 能 [元][類][紀][細] / 岐 -> 伎 [元][類][紀] / 比 -> 妣 [元][類] / 能 -> 乃 [元][類] / 未 [元][類][温] 米 / 宇 -> 乎 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類][紀][細]
#[鄣W],天平19年9月26日,年紀,作者:大伴家持,動物,地名,富山,高岡,神祭り,託宣,山田君麻呂,枕詞,狩猟
#[訓異]
#[大意]
大君の遠い朝廷であるぞ。み雪が降る越と名付けられている、天から遠く放れた田舎であるので、山が高く川が広大である。野が広いので草も茂っている。鮎が走るように泳ぐ夏の盛りとして島の鳥である鵜飼いの人たちは、行く川の清らかな早瀬ごとに篝火をともして難渋しながら川上りをしている。露霜の秋になると野もたくさんに鳥が集まったとして、大夫が友達を誘い合って、鷹はたくさんいるけれども、矢の形をした尾を持っている我が大黒に[大黒とは三歳の雌鷹の名前である]、銀着せの鈴を取り付けて、朝の猟にたくさんの鳥を飛び立たせ、夕方の猟にもっと多くの鳥を踏み立てて、追うごとに一つも残さずに手から放れるのも戻ってくるのも容易であり、この鷹を別にしてまたはないだろう、馴れている鷹はいないだろうと心の中で思い自慢していて、自然と笑みがこぼれて日を送っていたところ、狂ったみにくいじじいが断りだけも自分には告げずに、一面曇っていて雨の降る日なのに鳥の狩りをすると形だけ言っておいて、三島野を背後に見ながら二上の山を飛び越えて、雲に隠れて飛んで行ってしまったと帰って来てせき込んで話したので、招き寄せる手だてがそこにないので、どう言ってよいか方法を知らないで、心には怒りの火までも燃え続け、思い恋い、嘆息するあまりに、もしかして逢うこともあるだろうかとあしひきのあちらこちらに鳥網を張って番人を置いて、ちはやぶる神の社に明るく照る鏡を倭文幣と取り添えて祈祷し、自分が待つ時に、娘子が夢に言うことには、お前が恋い思っているその秀でた鷹は、松田江の長浜を一日中飛び回って、つなしを捕る氷見の江を過ぎて、多古の島を飛びまわって、葦鴨が群れている古江におとついも昨日もいた。早ければもう二日ほどで、遅いならば七日の後より過ぎることがあろうか。やって来るだろうよ我が背子よ。あれこれと恋い思うことはするなと夢に告げたことである。

#{語釈]
大君の 遠の朝廷ぞ 越中も大君の遠く離れた官庁である

03/0304H01大君の遠の朝廷とあり通ふ島門を見れば神代し思ほゆ
05/0794H01大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国に 泣く子なす 慕ひ来まして
06/0973H01食す国の 遠の朝廷に 汝らが かく罷りなば 平けく 我れは遊ばむ
15/3668H01大君の遠の朝廷と思へれど日長くしあれば恋ひにけるかも
15/3688H01天皇の 遠の朝廷と 韓国に 渡る我が背は 家人の
17/4011H01大君の 遠の朝廷ぞ み雪降る 越と名に追へる 天離る
18/4113H01大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る
20/4331H01大君の 遠の朝廷と しらぬひ 筑紫の国は 敵守る

み雪降る 越にかかる枕詞的修飾句

18/4113H01大君の 遠の朝廷と 任きたまふ 官のまにま み雪降る

川とほしろし 雄大の意
代匠記「おおきにゆたけき意なり。神代紀下云、集大小之魚(つどふとほしろく をともを)
橋本進吉 石山寺所蔵大唐西域記 訓点 人骸(ほね)偉大(とほしろし)

赤人歌
03/0324H03明日香の 古き都は 山高み 川とほしろし 春の日は 山し見がほし

島つ鳥 鵜の枕詞

鵜養が伴 鵜飼いをする人々。本来は部民

篝さし なづさひ上る 篝火をともしているので、3991の漁法とは異なるか。
全集「ここは夜川で鵜を用いず、左手に篝火を持ち、右手で一羽の鵜をさばいて漁をする様子」
篝 夜間の照明用に火を焚く鉄製のかご。燃料には松の根を用いる
篝火をともして魚を集め採る方法か。
水に浸かりながら難渋して上流に登っていく様子。

鳥すだけりと すだく 集まる たくさんの鳥が集まってくる

11/2833H01葦鴨のすだく池水溢るともまけ溝の辺に我れ越えめやも
17/4011H20多古の島 飛びた廻り 葦鴨の すだく古江に 一昨日も
19/4261H01大君は神にしませば水鳥のすだく水沼を都と成しつ

矢形尾の 不明 尾羽が矢のような形をしている鷹
尾の斑文が矢羽根のように八の字形になっている鷹

大黒 注「大黒者蒼鷹之名也」 和名抄「鷹 広雅云 一歳名之黄鷹 音膺(よう) 和賀多加 二歳名之撫鷹 加太加閉利 三歳名之青鷹白鷹 漢語抄云 大鷹 於保太加 兄鷹勢宇 今案 俗説雄鷹謂之兄鷹 雌鷹謂之大鷹也」

三歳の雌鷹

白塗の 鈴取り付けて 銀メッキした鈴
全注「鈴は尾につけ、音によって鷹の行方を知るためという」

朝猟に ~ 夕猟に 狩りをいう場合の慣例句 478 926

許すことなく 獲物が逃げるのを許すことなく 一つ残らず逃さず

手放れも をちもかやすき 手放れ 手から放れて飛ぶ をち 終止形「をつ」 戻ってくる もとへ帰る 「か」接頭語 やすき 容易である

手から放れて飛ぶことも戻ってくることも容易である

さ慣らへる 「さ」接頭語
馴れている鳥 経験豊かで飼い慣らされている鳥

「さ並べる」という訓 さし並ぶ 匹敵する

思ひほこりて 自慢に思って

狂れたる 醜つ翁の 狂ったみにくいじじいが 腹立ちまぎれにけなしている

言だにも 断りもなしに 無断で持ち出した

との曇り 雨の降る日を 一面に雲って雨が降っている日
このような日に鷹を飛ばすのは非常識という避難をしている

03/0370H01雨降らずとの曇る夜のぬるぬると恋ひつつ居りき君待ちがてり

名のみを告りて 注釈「形だけ言っておいて」 関係する役人にだけ手続きをしての意か

三島野を 富山県射水郡大門町南部 二口、堀内一帯の平野。 国庁からは真南に十六キロメートルほど

しはぶれ告ぐれ しわぶれ 未詳 「しわぶく(咳をする)」と同じく、しわがれ声の意味か。 しわがれ声で報告する 「ば」が省略されている

招くよしの 招き寄せるてだてが

火さへ燃えつつ 怒りと憤りの火

をてもこのもに あちらこちら

14/3361H01足柄のをてもこのもにさすわなのかなるましづみ子ろ我れ紐解く
14/3393H01筑波嶺のをてもこのもに守部据ゑ母い守れども魂ぞ会ひにける
17/4011H16逢ふことありやと あしひきの をてもこのもに 鳥網張り
17/4013H01二上のをてもこのもに網さして我が待つ鷹を夢に告げつも

守部を据ゑて 番人を置いて

照る鏡 照り輝く鏡、霊験のある鏡の意か

倭文に取り添へ 倭文幣(しづぬさ)を取り添えて

松田江の浜 氷見市 松田江の長浜

行き暮らし 一日中飛び回って

つなし捕る 「つなし」は「このしろ」(魚+制)のこと
和名抄「魚+制」四聲字苑云 魚+祭 子例反 字亦作魚+制 和名古乃之侶
全釈「今も越中・能登ではこの魚をツナシと呼んでいる」
全注「イワシに似ているがやや平たく、体長十四、五センチのものをコハダといい成魚は、二十センチほどになる。

氷見の江 松田江長浜と布勢水海の間の入江

多古の島 布勢水海の田子 現在 上田子 下田子という地名で残っている

古江 布勢水海の神代、古江周辺

いま二日だみ もう二日ほど 「だみ」未詳

七日のをちは 「をち」 後 全注「時間的に将来、以後」

来なむ我が背子 鷹はきっと帰ってくるでしょうよ。我が背子よ

ねもころに 深く、あれやこれやと こまごまと

いまに告げつる 「いま」 夢
考「今本米を麻に誤る」
古典大系「目(メ)の古形はマで、イメの語源はイ(寐)メ(目)であるから、その古語にイマという形があったものか。あるいは、原作に伊米(イメ)とあったものを伊末と誤写し、それを伊麻と書写して伝来したものか」

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4012
#[題詞](思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌])
#[原文]矢形尾能 多加乎手尓須恵 美之麻野尓 可良奴日麻祢久 都奇曽倍尓家流
#[訓読]矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に猟らぬ日まねく月ぞ経にける
#[仮名],やかたをの,たかをてにすゑ,みしまのに,からぬひまねく,つきぞへにける
#[左注](右射水郡古江村取獲蒼鷹 形<容>美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之<餌>呼留靡驗 於是<張>設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 <粤>以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費<精><神> 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺<寤>有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持 [九月廾六日作也])
#[校異]
#[鄣W],天平19年9月26日,年紀,作者:大伴家持,動物,地名,高岡,富山,狩猟
#[訓異]
#[大意]矢形尾の鷹を手に据えて三島野で猟をしない日が多くて月が経ったことだ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4013
#[題詞](思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌])
#[原文]二上能 乎弖母許能母尓 安美佐之弖 安我麻都多可乎 伊米尓都氣追母
#[訓読]二上のをてもこのもに網さして我が待つ鷹を夢に告げつも
#[仮名],ふたがみの,をてもこのもに,あみさして,あがまつたかを,いめにつげつも
#[左注](右射水郡古江村取獲蒼鷹 形<容>美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之<餌>呼留靡驗 於是<張>設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 <粤>以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費<精><神> 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺<寤>有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持 [九月廾六日作也])
#[校異]
#[鄣W],天平19年9月26日,年紀,作者:大伴家持,動物,地名,高岡,富山,託宣,神祭り
#[訓異]
#[大意]二上山のあちらこちらに網を張って自分が待つ鷹を夢に告げたことであるよ。
#{語釈]
網さして 網を張って

01/0038H06下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
09/1717H01三川の淵瀬もおちず小網さすに衣手濡れぬ干す子はなしに
17/3917H01霍公鳥夜声なつかし網ささば花は過ぐとも離れずか鳴かむ
17/3918H01橘のにほへる園に霍公鳥鳴くと人告ぐ網ささましを
17/4013H01二上のをてもこのもに網さして我が待つ鷹を夢に告げつも
19/4189H04伴なへ立てて 叔羅川 なづさひ上り 平瀬には 小網さし渡し 早き瀬に

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4014
#[題詞](思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌])
#[原文]麻追我敝里 之比尓弖安礼可母 佐夜麻太乃 乎治我其日尓 母等米安波受家牟
#[訓読]松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ
#[仮名],まつがへり,しひにてあれかも,さやまだの,をぢがそのひに,もとめあはずけむ
#[左注](右射水郡古江村取獲蒼鷹 形<容>美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之<餌>呼留靡驗 於是<張>設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 <粤>以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費<精><神> 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺<寤>有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持 [九月廾六日作也])
#[校異]
#[鄣W],天平19年9月26日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,難解,山田君麻呂,怨恨
#[訓異]
#[大意]松に帰ってぼけているというわけではないが、鷹がぼけていたのであろうか。だから山田の爺さんがその日に探し出せなかったのだろう。
#{語釈]
松反り 未詳
09/1783H01松返りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ奴

山家集 二つありける鷹のいらこ渡りすると申しけるが一つの鷹はとどまりて木の末にかかりて侍ると申しけるを聞きて
すだか渡るいらこが崎を疑ひてなほ木にかかる山がへりかな

山がへりも松がへりと同様の語か 「しひて」の枕詞

橋本進吉 鷹詞 鷹が鳥屋にいて、夏の末から冬の初めにかけて、羽毛の抜け代わるのを鳥屋がへりと言い、山にいてこれをすると山がえりというから、松にいて羽毛の抜け代わるのを松がへりというのであろう。
「しひ」は、目しひ、耳しひというに同じく、故障のある意

渡瀬昌忠 本来は鷹とは無関係な言葉。松柏(まつかへ)し、しひてあれやは(常緑の松や柏が心うつけてあるはずはない) 家持が「松反り」と誤読して鷹に関する語と解してこの歌に用いた

中西進 慣用句として松の変化を言ったものか。常緑の葉が徐々に落葉しまた元の緑に戻ることか

しひてあれ 橋本進吉 盲目(めしひ)、耳しひなどと同じく、感覚を失ったものか

ただし、松返りとしひての関係が不明 強いていうならば、鷹が本来鷹匠のもとへ戻ってこなければならないのに、松の木に戻ってきてしまって、ぼけていることを言うか。

さ山田の翁 左注の「山田君麻呂」のこと

#[説明]
山田翁の罵った長歌からしだいに怒りが沈静化していっている。

#[関連論文]


#[番号]17/4015
#[題詞](思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌])
#[原文]情尓波 由流布許等奈久 須加能夜麻 須加奈久能未也 孤悲和多利奈牟
#[訓読]心には緩ふことなく須加の山すかなくのみや恋ひわたりなむ
#[仮名],こころには,ゆるふことなく,すかのやま,すかなくのみや,こひわたりなむ
#[左注]右射水郡古江村取獲蒼鷹 形<容>美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之<餌>呼留靡驗 於是<張>設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 <粤>以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費<精><神> 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺<寤>有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持 [九月廾六日作也]
#[校異]<> -> 容 [西(右書)][元][類][紀] / 雉 [新校] 雄 / 鉗 -> 餌 [元][紀][細] / 帳 -> 張 [元][類][紀] / 奥 -> 粤 [拾穂抄] / 情 -> 精 [元][類] / 邪 -> 神 [西(訂正右書)][元][類][紀] / 寐 -> 寤 [元][類]
#[鄣W],天平19年9月26日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,恋情,動物
#[訓異]
#[大意]心は和らぐことなく須加の山ではないが心楽しまず恋い続けることであろうか。
#{語釈]
緩ふことなく ゆるむ 和らぐ 怒りや悲しみが和らぐことなく

須加の山 「すかなく」の枕詞。 富山県高岡市 未詳
天平宝字三年十一月十四日東大寺越中国諸郡庄園総券 射水郡
「須加村地参拾五町壱段弐百弐拾肆歩 東大葦原里五行与六行堺 畔南西伯姓口分北須加山

須加村 射水郡内で國府に近いのであろうが所在未詳

すかなくのみ 心が楽しまない

#[説明]
#[関連論文]

#[番号]17/4015S
#[題詞](思放逸鷹夢見感悦作歌一首[并短歌])
#[原文]右射水郡古江村取獲蒼鷹 形<容>美麗鷙雉秀群也 於時養吏山田史君麻呂調試失節野猟乖候 摶風之翅高翔匿雲 腐鼠之<餌>呼留靡驗 於是<張>設羅網窺乎非常奉幣神祇恃乎不虞也 <粤>以夢裏有娘子喩曰 使君勿作苦念空費<精><神> 放逸彼鷹獲得未幾矣哉 須叟覺<寤>有悦於懐 因作却恨之歌式旌感信 守大伴宿祢家持 [九月廾六日作也]
#[訓読]右、射水郡の古江村にして蒼鷹を取獲(と)る。形<容>美麗にして雉(きぎし)を鷙(と)ること、群に秀(すぐ)れたり。時に養吏山田史君麻呂、調試節を失ひ、野猟候(とき)に乖(そむ)く。摶風(はくふう)の翅(つばさ)は、高く翔(かけ)りて雲に匿(かく)り、腐鼠(ふそ)の<餌>も呼び留むるに驗(しるし)靡(な)し。是に羅網(らもう)を<張>り設(ま)けて、非常を窺(うかが)ひ、神祇に奉幣して不虞(ふぐ)を恃(たの)む。<粤>(ここ)に夢の裏に娘子有り。喩して曰く、使君、苦念を作して空しく<精><神>を費やすこと忽れ。 放逸せる彼(そ)の鷹は獲り得むこと幾だもあらじといふ。 須叟にして覺(おどろ)き<寤>(さ)め、懐(こころ)に悦(よろこ)び有り。因りて恨(うらみ)を却(のぞ)く歌を作り、式(もち)て感信を旌(あらは)す。守大伴宿祢家持
#[仮名]
#[左注]
#[校異]<> -> 容 [西(右書)][元][類][紀] / 雉 [新校] 雄 / 鉗 -> 餌 [元][紀][細] / 帳 -> 張 [元][類][紀] / 奥 -> 粤 [拾穂抄] / 情 -> 精 [元][類] / 邪 -> 神 [西(訂正右書)][元][類][紀] / 寐 -> 寤 [元][類]
#[鄣W],天平19年9月26日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,恋情,動物
#[訓異]
#[大意]右は、射水郡の古江村で青鷹を捕まえた。姿形は美しく、雉を捕ることは抜群であった。時に鷹飼の山田史君麻呂が、訓練する時を間違え、猟をする時節をはずした。風を打つ翼は空高く飛翔して雲に隠れてしまった。腐鼠の餌も呼び戻すことにはなんの甲斐もない。そこで鳥網を張り設けて、万が一にも懸かるかと窺い、神々に幣帛を奉って奇跡を祈っていた。ここに夢の中に娘子が出てきた。諭して言うのに「国の守よ。心を苦しめて思い悩むことはない。逃げていったその鷹は捕獲することはそう長くはないと言う。しばらくして目が覚めて心中うれしく思った。そこで恨みを除く歌を作って、神に祈って効験のあったことを示す。守大伴宿祢家持
#{語釈]
調試失節 鷹を訓練する時を間違える

野猟乖候 猟をする時候をはずれる

摶風之翅 風をうつ翼 「摶」打ち付けられる

窺乎非常 万が一にも戻ってこないかどうかを窺い 「非常」 めったにないこと

恃乎不虞 思いがけないことを恃みとする 「不虞」 「非常」の対 考えもしなかったこと

夢裏有娘子 物語的。虚構も入っているか

使君 刺史 地方長官 国司家持を指す

勿作苦念空費<精><神> 心を苦しめていたづらに思い悩むことはない
遊仙窟「いくばくか精神を費やすべき」

須叟覺<寤> 遊仙窟「少時にして坐睡すれば、即ち夢に十娘を見る。驚き覚めて之を攪(かきさぐ)れば、忽然として手を空しくす」

式旌感信 感信 意味不明。 新考「感」は感応、信は霊験にて神に祈りし験あるをいへるならむ
旌 明らかにする

#[説明]
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#[番号]17/4016
#[題詞]高市連黒人歌一首 [年月不審]
#[原文]賣比能野能 須々吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之 可奈之久於毛倍遊
#[訓読]婦負の野のすすき押しなべ降る雪に宿借る今日し悲しく思ほゆ
#[仮名],めひののの,すすきおしなべ,ふるゆきに,やどかるけふし,かなしくおもほゆ
#[左注]右傳誦此歌三國真人五百國是也
#[校異]
#[鄣W],高市黒人,羈旅,旅情,伝誦,三国五百国,漂泊,地名,高岡,富山
#[訓異]
#[大意]婦負の野の薄を押し靡かせて降る雪の中で宿を借る今日は悲しく思われてならない。
#{語釈]
婦負の野 富山県婦負(ねい)郡の野 和名抄「婦負 禰比」 平安時代以降「ねひ」
富山市街の西、小杉町あたりから呉服山に至る地か

三國真人五百國 伝未詳
#[説明]

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#[番号]17/4017
#[題詞]
#[原文]東風 [越俗語東風謂<之>安由乃可是也] 伊多久布久良之 奈呉乃安麻能 都利須流乎夫祢 許藝可久流見由
#[訓読]あゆの風 [越俗語東風謂之あゆの風是也] いたく吹くらし奈呉の海人の釣する小船漕ぎ隠る見ゆ
#[仮名],あゆのかぜ,いたくふくらし,なごのあまの,つりするをぶね,こぎかくるみゆ
#[左注](右四首天平廿年春正月廿九日大伴宿祢家持)
#[校異]<> -> 之 [元][類]
#[鄣W],天平20年1月29日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,叙景,方言
#[訓異]
#[大意]東の風がひどく吹くらしい。奈呉の海人の釣りをする小舟が漕ぎ隠れるのが見える。
#{語釈]
あゆの風 17/4006H04東風の風 いたくし吹けば 港には 白波高み 妻呼ぶと

漕ぎ隠る見ゆ 風波を避けて海上から漕ぎ去る

#[説明]
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#[番号]17/4018
#[題詞]
#[原文]美奈刀可是 佐牟久布久良之 奈呉乃江尓 都麻欲<妣>可波之 多豆左波尓奈久 [一云 多豆佐和久奈里]
#[訓読]港風寒く吹くらし奈呉の江に妻呼び交し鶴多に鳴く [一云 鶴騒くなり]
#[仮名],みなとかぜ,さむくふくらし,なごのえに,つまよびかはし,たづさはになく,[たづさわくなり]
#[左注](右四首天平廿年春正月廿九日大伴宿祢家持)
#[校異]比 -> 妣 [元][類]
#[鄣W],天平20年1月29日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,叙景,推敲
#[訓異]
#[大意]港の風が寒く吹いているらしい。奈呉の入り江に妻を呼び交わして鶴が多く鳴くことだ[鳴き騒いでいるようだ]
#{語釈]
妻呼び交し 17/3993H05港の渚鳥 朝なぎに 潟にあさりし 潮満てば 夫呼び交す

#[説明]
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#[番号]17/4019
#[題詞]
#[原文]安麻射可流 比奈等毛之流久 許己太久母 之氣伎孤悲可毛 奈具流日毛奈久
#[訓読]天離る鄙ともしるくここだくも繁き恋かもなぐる日もなく
#[仮名],あまざかる,ひなともしるく,ここだくも,しげきこひかも,なぐるひもなく
#[左注](右四首天平廿年春正月廿九日大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平20年1月29日,年紀,作者:大伴家持,枕詞,望郷
#[訓異]
#[大意]天から離れた田舎であることももっともで、ひどく激しい都への恋情である。心が安まる日もなく。
#{語釈]
鄙ともしるく しるし 顕著である 明瞭である

#[説明]
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#[番号]17/4020
#[題詞]
#[原文]故之能宇美能 信濃[濱名也]乃波麻乎 由伎久良之 奈我伎波流比毛 和須礼弖於毛倍也
#[訓読]越の海の信濃[濱名也]の浜を行き暮らし長き春日も忘れて思へや
#[仮名],こしのうみの,しなぬ,のはまを,ゆきくらし,ながきはるひも,わすれておもへや
#[左注]右四首天平廿年春正月廿九日大伴宿祢家持
#[校異]天平廿 [元] 廿
#[鄣W],天平20年1月29日,年紀,作者:大伴家持,地名,高岡,富山,望郷
#[訓異]
#[大意]越の海の信濃の浜を歩き暮らし、そのような長い春の一日でも都のことを忘れて思うことがあろうか。
#{語釈]
信濃[濱名也]の浜 所在未詳 新湊市放生津あたりの海岸か

#[説明]
家持の館で詠んでいるか。 奈呉の江か。
連作である
春愁に通じる望郷
黒人歌の影響

「みこともち」という家持の越中観から来る望郷

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#[番号]17/4021
#[題詞]礪波郡雄神河邊作歌一首
#[原文]乎加未河<泊> 久礼奈為尓保布 乎等賣良之 葦附[水松之類]等流登 湍尓多々須良之
#[訓読]雄神川紅にほふ娘子らし葦付[水松之類]取ると瀬に立たすらし
#[仮名],をかみがは,くれなゐにほふ,をとめらし,あしつきとると,せにたたすらし
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]伯 -> 泊 [細][温][矢][京]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,部内巡航,地名,富山,植物,叙景,羈旅
#[訓異]
#[大意]雄神川が紅色に照り輝いている。娘子たちが葦附を採るとして川瀬にたっているらしい
#{語釈]
雄神川 庄川

葦付 じゅずも科の淡水藻類 あしつきのり
あしつきは繁殖時期が夏、水松とあしつきの形態が異なることで川もづくのことか(和田徳一)

#[説明]
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#[番号]17/4022
#[題詞]婦負郡渡鵜坂河邊時作一首
#[原文]宇佐可河<泊> 和多流瀬於保美 許乃安我馬乃 安我枳乃美豆尓 伎<奴>々礼尓家里
#[訓読]鵜坂川渡る瀬多みこの我が馬の足掻きの水に衣濡れにけり
#[仮名],うさかがは,わたるせおほみ,このあがまの,あがきのみづに,きぬぬれにけり
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]伯 -> 泊 [元][類][細][温] / 努 -> 奴 [元][類][紀][細]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,動物,部内巡航,羈旅
#[訓異]
#[大意]鵜坂川を渡る早瀬が多いので、この自分の馬の足掻きの水しぶきで衣が濡れてしまったことだ
#{語釈]
鵜坂川 神通川のこと 婦負郡婦中町鵜坂 式内鵜坂神社

衣濡れにけり
07/1141H01武庫川の水脈を早みか赤駒の足掻くたぎちに濡れにけるかも

#[説明]
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#[番号]17/4023
#[題詞]見潜鵜人作歌一首
#[原文]賣比河波能 波夜伎瀬其等尓 可我里佐之 夜蘇登毛乃乎波 宇加波多知家里
#[訓読]婦負川の早き瀬ごとに篝さし八十伴の男は鵜川立ちけり
#[仮名],めひがはの,はやきせごとに,かがりさし,やそとものをは,うかはたちけり
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,動物,叙景,部内巡航,羈旅
#[訓異]
#[大意]婦負川の早瀬ごとに篝火をともして大勢の男たちは鵜飼いをしていることだ
#{語釈]
婦負川 婦負郡の野を流れる神通川

篝さし
17/4011H03鮎走る 夏の盛りと 島つ鳥 鵜養が伴は 行く川の 清き瀬ごとに 篝さし なづさひ上る

八十伴の男 題詞に「潜鵜人」とあるので、官人というよりは、鵜飼いの人たち

鵜川立ちけり
17/3991H0宇奈比川 清き瀬ごとに 鵜川立ち か行きかく行き 見つれども

#[説明]
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#[番号]17/4024
#[題詞]新川郡渡延槻河時作歌一首
#[原文]多知夜麻乃 由吉之久良之毛 波比都奇能 可波能和多理瀬 安夫美都加須毛
#[訓読]立山の雪し消らしも延槻の川の渡り瀬鐙漬かすも
#[仮名],たちやまの,ゆきしくらしも,はひつきの,かはのわたりせ,あぶみつかすも
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,部内巡航,羈旅
#[訓異]
#[大意]立山の雪が消えているらしい。延槻の川の渡り瀬で鐙を浸からせることだ。
#{語釈]
新川郡延槻河 早月川

雪し消らしも 「消ゆ」の古形 け・け・くと活用。終止形

漬かすも 「す」使役 「射さすな」と同じ
雪解け水で川が増水していることを言う

#[説明]
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#[番号]17/4025
#[題詞]赴参<氣>太神宮行海邊之時作歌一首
#[原文]之乎路可良 多太古要久礼婆 波久比能海 安佐奈藝思多理 船梶母我毛
#[訓読]志雄路から直越え来れば羽咋の海朝なぎしたり船楫もがも
#[仮名],しをぢから,ただこえくれば,はくひのうみ,あさなぎしたり,ふなかぢもがも
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]氣比 -> 氣 [元][類]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,石川,部内巡航,能登,叙景,羽咋,羈旅
#[訓異]
#[大意]志雄路から直接越えてくると羽咋の海が朝凪している。船の楫もあればなあ。
#{語釈]
氣太神宮 羽咋市一宮の気多大社。大己貴(大国主)命。

志雄路 氷見市から羽咋志雄に抜ける道。

羽咋の海 邑知潟が。
全註釈 羽咋の日本海

#[説明]
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#[番号]17/4026
#[題詞]能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首
#[原文]登夫佐多氐 船木伎流等伊<布> 能登乃嶋山 今日見者 許太知之氣思物 伊久代神備曽
#[訓読]鳥総立て船木伐るといふ能登の島山今日見れば木立繁しも幾代神びぞ
#[仮名],とぶさたて,ふなききるといふ,のとのしまやま,けふみれば,こだちしげしも,いくよかむびぞ
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]有 -> 布 [元][類]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,能登,富山,部内巡航,旋頭歌,土地讃美,羈旅
#[訓異]
#[大意]鳥総を立てて船材を伐るという能登の島山。今日見ると木立が繁くうっそうとしている。何代を経た神々しさなのだろうか。
#{語釈]
能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時 能登郡にして香嶋津より船を發して熊来村を射して徃く時

香嶋津 七尾市 具体的な場所は未詳

熊来村 鹿島郡中島町

鳥総立て
03/0391H01鳥総立て足柄山に船木伐り木に伐り行きつあたら船木を

その木の枝を切り株に立てて、山の神を祭る

今日見れば 対象を讃美する表現。臨場的な表現で宴席を場とする歌に多い。

幾代神びぞ 何代を経た神々しさであろうか

#[説明]
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#[番号]17/4027
#[題詞](能登郡従香嶋津發船射熊来村徃時作歌二首)
#[原文]香嶋欲里 久麻吉乎左之氐 許具布祢能 河治等流間奈久 京<師>之於母<倍>由
#[訓読]香島より熊来をさして漕ぐ船の楫取る間なく都し思ほゆ
#[仮名],かしまより,くまきをさして,こぐふねの,かぢとるまなく,みやこしおもほゆ
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]都 -> 師 [元][類][細] / 保 -> 倍 [元][類]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,富山,能登,羈旅,部内巡航,望郷,序詞
#[訓異]
#[大意]香島から熊来を指して漕ぐ船の楫を取る間が間断ないように絶えず都のことが思われる。
#{語釈]
漕ぐ船 家持の乗った船。

#[説明]
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#[番号]17/4028
#[題詞]鳳至郡渡饒石<川>之時作歌一首
#[原文]伊母尓安波受 比左思久奈里奴 尓藝之河波 伎欲吉瀬其登尓 美奈宇良波倍弖奈
#[訓読]妹に逢はず久しくなりぬ饒石川清き瀬ごとに水占延へてな
#[仮名],いもにあはず,ひさしくなりぬ,にぎしがは,きよきせごとに,みなうらはへてな
#[左注](右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持)
#[校異]河 -> 川 [元][類]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,能登,富山,占い,望郷,羈旅,部内巡航
#[訓異]
#[大意]妹に会わないで久しくなった。饒石川の清らかな早瀬ごとに水占いをしよう。
#{語釈]
鳳至郡 石川県鳳至郡と輪島市にまたがった所。

饒石川 仁岸川 能登半島西岸 鳳至郡門前町

水占延へてな
伴信友 正卜考「美奈宇良は、水占なるべし。然れども他に証考たることなし。波倍底奈は、しひて按ふるに、延てむにて、清き河瀬の水中に、縄を延わたし置て、それに流れかかりたるもの、或いはその物の数などによりて、卜ふる事にはあらざるか」
略解「神武紀、天皇夢の訓へのままに、天香山の埴をもちて八十平瓮、天の手抉(たくじり)八十枚厳瓮(いつべ)をつくりて、厳瓮を以て丹生の川に沈めて占ひませし事有り。其類の占い古しへ有りしなるべし。うらはへはうらへを延たり。」

妹にいつ会えるかの占いか。

#[説明]
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#[番号]17/4029
#[題詞]従珠洲郡發船還太沼郡之時泊長濱灣仰見月光作歌一首
#[原文]珠洲能宇美尓 安佐<妣>良伎之弖 許藝久礼婆 奈我<波>麻能宇良尓 都奇氐理尓家里
#[訓読]珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり
#[仮名],すずのうみに,あさびらきして,こぎくれば,ながはまのうらに,つきてりにけり
#[左注]右件歌詞者 依春出擧巡行諸郡 當時<當>所属目作之 大伴宿祢家持
#[校異]比 -> 妣 [元][類] / 婆 -> 波 [元][類][紀][細] / <> -> 當 [元]
#[鄣W],天平20年春,年紀,作者:大伴家持,地名,能登,富山,道行き,氷見,叙景,羈旅,土地讃美
#[訓異]
#[大意]珠洲の海に朝船出をして漕いで来ると長浜の浦に月が照っていることだ
#{語釈]
珠洲郡 現在の珠洲市

珠洲の海 珠洲市の海

朝開き 朝に波を押し開いて船出をすること
03/0351H01世間を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
09/1670H01朝開き漕ぎ出て我れは由良の崎釣りする海人を見て帰り来む
15/3595H01朝開き漕ぎ出て来れば武庫の浦の潮干の潟に鶴が声すも
17/4029H01珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば長浜の浦に月照りにけり
18/4065H01朝開き入江漕ぐなる楫の音のつばらつばらに我家し思ほゆ
20/4408H17水手ととのへて 朝開き 我は漕ぎ出ぬと 家に告げこそ

長浜 氷見市の松田江長浜 朝珠洲を出発して、夜に長浜に到着したことを言う

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]17/4030
#[題詞]怨鴬晩哢歌一首
#[原文]宇具比須波 伊麻波奈可牟等 可多麻氐<婆> 可須美多奈妣吉 都奇波倍尓都追
#[訓読]鴬は今は鳴かむと片待てば霞たなびき月は経につつ
#[仮名],うぐひすは,いまはなかむと,かたまてば,かすみたなびき,つきはへにつつ
#[左注]
#[校異]波 -> 婆 [元][類]
#[鄣W],作者:大伴家持,動物,怨恨,季節,風物
#[訓異]
#[大意]鴬はもう今は鳴くだろうとひたすら待っているのに、霞がたなびいて月は経っていって
#{語釈]
片待てば 一方では ひたすら待つ
09/1703H01雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
09/1705H01冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ我れぞ
09/1763H01倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき
10/1900H01梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてり
10/2093H01妹に逢ふ時片待つとひさかたの天の川原に月ぞ経にける
17/4030H01鴬は今は鳴かむと片待てば霞たなびき月は経につつ
18/4041H01梅の花咲き散る園に我れ行かむ君が使を片待ちがてら

#[説明]
春になって鴬の鳴き声に期待しているのに、春の時節だけが過ぎていって、鴬の鳴かない越中の風土をもどかしく思っている様子。

#[関連論文]


#[番号]17/4031
#[題詞]造酒歌一首
#[原文]奈加等美乃 敷刀能里<等其>等 伊比波良倍 安<賀>布伊能知毛 多我多米尓奈礼
#[訓読]中臣の太祝詞言言ひ祓へ贖ふ命も誰がために汝れ
#[仮名],なかとみの,ふとのりとごと,いひはらへ,あかふいのちも,たがためになれ
#[左注]右大伴宿祢家持作之
#[校異]其等[西(朱訂正)] -> 等其 [元][類] / 加 -> 賀 [元][類][紀]
#[鄣W],作者:大伴家持,祝詞,神祭り,言祝ぎ,寿歌
#[訓異]
#[大意]中臣の立派な祝詞の言葉を唱えて祓いをして、酒を代償として長命を願うのも誰のためであろうか。他でもないあなたのためなのだ。
#{語釈]
造酒歌 酒を造る時に歌う歌
春の祭りに神に供える神酒を臨時に醸造した(全釈、窪田評釈)
特に季節を考えなくともよい

中臣の太祝詞言 中臣氏の唱える立派な祝詞

言ひ祓へ 言って祓えをして 神酒を作るので祓い清める

贖ふ命も あがなう 代償とする 長命を願う

#[説明]
熊木の酒の歌(16/3879)と関係するか。
私注 酒を造るときに歌う労働歌
窪田評釈 国庁の任務として、春の祭りの神酒を醸造するにあたり、家持は守としてそれに伴う行事に連なった後、その酒から春の祭り、守に対しての祈願へと、当然なことを連想するとともに、その連想は常に恋しがっている京の妻に及び、個人的な感傷となっていっての歌と解される。

次の巻、三月に田辺福麻呂が来越している。福麻呂は「造酒司令」であるので、このことと関係するか。

#[関連論文]