ヒマラヤ カンチェンジェンガBCトレック記 (No1)      T・T 

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 みなさん、カンチェンジェンガなる舌をかみそうな名前の山をご存じだろうか。実はネパールヒマラヤの最東部、印度との国境に聳える世界第三の高峰である。
 最高峰は誰も知っているエベレスト(8848m)第二はパキスタン・カラコルムのK2(8610m)で、それに次ぐ3番目がこのカンチェンジェンガ(8598m)なのだ。

 5年前の1997年秋、初めてのヒマラヤトレックで「アンナプルナ内院」まで登って自信を得。翌1998年にはエベレスト街道を登っ  【怪峰ジャヌー(7710m)を仰ぐ】
て「カラパタール」(5500m)の丘に立ち、世界最高峰「エベレスト」(ネパールではサガルマータ、チベットではチョモランマと呼ぶ)の偉容に接した。
 更に2000年夏にはパキスタン・カラコルムのバルト氷河を遡って「コンコルディア」(4900m)に至り、世界第2の「K2」の見事な金字塔を仰いだ。と言えば次は3番目の「カンチェ」ということになるのだが、この山のベースキャンプ(B.C.)パンペマに至るトレッキングコースへのツアー募集は今まで見たことがない。  今やヒマラヤのトレッキングは日住茶飯事のように行われており、そのコースも長短あわせて10数コースにも及び、多くの旅行社がツアーを企画しているにもかかわらず、このカンチェ山域のものは皆無であった。

 ところが昨年の秋、雑誌『山と渓谷』の片隅の小さな広告に「カンチェンジェンガBCパンペマ22日間」なるツアー募集を偶然に見付けたのである。カンチェ展望などとは全くの夢だとあきらめていた願望が現実のものとなる唯一のチャンスだと思い、矢も楯もたまらず参加を決めたのだった。
 22日間という日程にも5000Mという高度にもすでに経験しているので自信はあった。ただ、今までのトレッキングと違い、日本からのリーダー同行がないことや、ネパールの政治情勢が不安定であ
     【メラピーク(6340m)】    ることなど一抹の不安もあったが、体力的にはもう先延ばし出来ない。
 このトレッキングは地域的に極めて辺地であり、山域にはいる行程が長いことなど条件的に訪れる人が少ないとは聞いていたが、最終的な申込者は僅かに3人のみ。最小催行人数には足りなかったが、旅行社I.ECの思い切った催行決定で、いよいよ実現することとなった。

 3月22日、関西空港で同行3人が落ち合い、ロイヤルネパールRN321便(12:30発)で出発する。週2回の関空発のカトマンズ行直行便は最も便利だが、それでも途中上海に寄港しての給油があって約9時間を要する。
 日本時間の21時過ぎ(時差3時間15分で現地18時過ぎ)そろそろ到着かとホッとしていた所、機内放送がありカトマンズは激しい雷雨のため着陸不能で印度のデリーに向かうという。出発早々からとんだハプニングである。約1000キロ西のデリーに到着し、ビザなし入国の手続きに時間をとって斡旋されたホテルに入ったのは既に真夜中過ぎだった。

 一日遅れの18日昼頃、ようやくカトマンズに到着。とりあえず現地のコスモ旅行社で荷物の仕分けや着替えを済ませ、現地サーダー(シェルパ頭のこと)に引率され夕方の国内便にて東南部の街ピラトナガールに向かう。コスモ社は日本人女性の経営する日本人専用のツアー社で、今回の若い(37歳)のサーダーDBさんも日本語はバリバリだから安心できる。

 ビラトナガールに一泊后、再び小型プロペラ機で北へ飛ぶこと1時間、トレックの出発点であるタブレジュン空港の山腹に傾斜してのびる土の滑走路に着陸した。ここで合流したスタッフはサブリーダー2人、キッチン係4人、ポーター8人で実にサーダー以下15人のスタッフが我々3人のトレックを支えて呉れるのである。
 トレック用の個人装備(約20キロ)の運搬はポーターの仕事だが、身廻りに必要な雨具、水、カメラ等は個人が背負うことになる。今回は万一をおもんばかってこのザックを持ってくれる個人ポータ
    【グンサの民家にて】     ーを頼んでいたが、これを引き受けてくれたのがサブリーダーのムスタ君である。
 この27歳の小柄な青年はシェルパ修行の合間には独学で日本語を学び、日常会話は勿論、平暇名も書けるほどの勉強家である。小柄ながら背中の自分の大型ザックに加えて、私のザックを前側に負って平気な顔の力強さには驚かされた。
 今までのトレックコースでは世界中のトレッカーが群がるほど大勢いたが、この地では我々3人の他に誰一人として見当たらない。

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