ヒマラヤ カンチェンジェンガBCトレック記 (No2)       T・T 

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1日目
 午后いよいよトレックの開始。ここタブレジュンは2500Mの高所であるが勿体ないことにいったん1000M近くまで下ってから登り返すことになる。ほとんど下りばかりの道での3時間の足慣らしをして、プルンバの小学校裏のテントサイトに着く。
 天幕に訪れた部落の長老にサーダ−の通訳で話を聞くと、年齢は70過ぎで世界大戦では日本軍と戦ったと云う。想像するにインパール付近での戦いに、英国に狩り出された少年兵だったのか。一緒に写真を撮ったら挙手敬礼のポーズでこたえてくれた。
   【ウェッジピーク(6750m)】
2日目

 左下にヒマラヤに源を発するタモール・コーラ(川)を見下ろし、天まで耕された段々畠の山腹の道を下って、幾つかのつり橋を渡りチルワの部落に着く。バッティ(宿)で飲んだビール大瓶は150ルピー(300円)、ティーは10ルピー(20円)である。
 部落うらの大きな奇岩群の間を抜けた河岸が幕営地となる。 このツアーの天幕は新品の広々とした三角テントの一人使用で快適だった。

3日目

 タモール・コーラの左岸をひたすら遡る。対岸山腹を薄くピンクに染めているのは桃の種類か、ちょっぴり花見気分となる。
 上流に向かうにつれ高巻き道が多くなり、やがて右から合流するグンサ・コーラ沿いに道が変わる。吊橋で右岸に渡った先のバッティ前の広場がセカトムであ。

4日目

 今日からは本格的な上り道となる。いきなりグンサ・コーラ沿いに高巻き上り下りを繰り返しながら高度をあげる。一旦左岸に渡って振り返った対岸は岩の絶壁となって拡がり、頂上から流れる一条の大滝が見事である。
 再び右岸へと渡るとここからは一挙に500mを登る急坂となり、黙々と足を運ぶと眼下のグンサ・コーラがみるみる細くなってゆく。山腹に張りついたようなアムジラッサの部落を過ぎると今度は急降下の道が待っていた。ここから雨が次第に激しくなり、予定地より手前のタンゲム泊まりとなる。
 サーダーのDBはこのコースのベテランらしく民家に知己が多いようだ。テント設営まで横の民家に入れて貰い焚火で暖をとる。石を積み上げた外壁に竹を編んだ屋根、中は大部屋一つだが壁にめぐらせた棚は整然として、祭壇が大事に飾られていた。

5日目

 雨もあがって天気が回復する。初めてのヒマラヤ以来トレッキングとは大きな上り下りの繰り返しであると思っているが、今日もグンサまで約1000Mの上りとなる。今はネパールの国花シャクナゲの満開の季節で、あちこちに真紅の花が目を楽しませてくれる。シャクナゲといっても見上げるような大木である。
 キャプラ、フェレと比較的大きい部落を通過して高度を上げて、ようやく岩と雪のヒマラヤの高峰が見え始める。グンサ・コーラを左岸に渡って、この街道では最大の集落グンサに着く。
 今日3月23日は私の71回目の誕生日である。夕食後、大きなバースディケーキが出されて、皆から祝福していただく楽しい一夜と    【カンバチェン(7900m)】
なった。

6日目

 夜から雪となり、朝は真白に10センチの積雪となる。今日は高度順応のための停滞日となり丁度良かったか。停滞といっても只じっとしている訳ではなく、午前中は明日登る道を一旦200mほど登って体を慣らす。
 午后、DBの案内で一軒の民家を訪れバター茶なるものをご馳走になる。現地では通常の飲み物らしいが、ややクセがあるものの結構いけるお茶であった。
 夜、明日からの高度トレックに備えて皆にすすめられダイアモクスなる薬を服用した。いわゆる高山病に効くという排尿剤である。今まで5000M以上に登っても一度も飲んだ事はないのだが、今回は用心のためと皆に倣って初めて飲んでみた。後で考えてみるとこれが裏目に出たのかも知れない。

7日目

 残雪の名残をとどめる左右の岸峯を眺めながら、暫くは緩やかにグンサ・コーラを遡る。大きな木橋を右岸に渡ると、間もなく長く険しい岩の登り道が待っていた。グンサ・コーラは眼下に遠ざかり、対岸の岩峰がどんどんせり上がってくる。
 その黒い岩峰の向こうからヒマラヤの怪峰ジャヌー(7710m)が雲間から姿を現す。実は世界第三のカンチェもさることながら、ぜひこの眼で見たかったのがこの怪奇な姿をしたジャヌーだったのだ。大鷲が翼を拡げて頭をもたげた形にも似た北壁からのジャヌーを夢中になってカメラに収めたが、山の天気は無常にも間もなく雲の中に消してしまった。
 ジャヌー展望からひと山下って、カルカ(夏期の放牧地)の中の天幕サイト、カンバチェンに到着する。何故か昼食あたりから食欲が減退し、夕食も胃がつかえた様に重たくまともに喉を通らない。ダイヤモスクも飲んでいるし、頭痛や不眠の症状もなく、この高度で高山病の筈はないのだが。一時的な疲れのせいだろうか。

8日目

 この所夕方から毎日雪が降り始めるが、朝には回復する。相変わらず食欲がなくてかろうじてお粥をかき込む。
 右手には頂上あたりに雪煙をあげて聳えるメラピーク(6340m)が刻々と姿を変えて。ドドドーンの大音響に振り返って山腹を滑り落ちる大雪崩に眼を見張った。やがてメラの左端から長い山峰を延ばしたガンバチュン(7900m)が現れる。またも夕刻から強い西風に雪が舞い始めて冷え込み、防寒着をまとう。
 山越えを終えて着いたのが広い平地の中のロナークだった。相変わらず食欲がなく、サーダーやコックの心配による特別食で何とか体力を補う。
 夕方からの雪も夜中には快晴となり、天空の月光と星空に八方の岩峯が白く輝いて浮かび上がっていた。

9日目

 早朝の薄明かりの中、積もった雪をザクザク踏んで最終目的地のパンペマに向かう。既に5000m近い高所であるうえに、食事を殆ど取れない体に力が入らず足がはかどらない。
 右手にはヒマラヤヒダを頂上に刻んだウエッジピーク(6750m)が迫り、正面のテントピーク(7360m)が次第に大きく近付いてくる。その右手からツインズ(7350M)が姿を現したからカンチェ北壁を展望するパンペマはあと僅かの筈である。
 その時、同僚2人から遅れ気味の私に、サーダーのDBからスト
 【テントピーク(7360m)「左」と   ップの勧告が出された。あと30分の処まで来ているがトレックでサ
        ツインズ(7350m)】  ーダーの指示は絶対である。残念ながら言葉に従いハスタ君の助けを借りて引き返したのだった。
 15:00頃、無事ロナークに帰着。すぐあとにパンペマにいった2人が帰ってきたが、間もなく天気が崩れて雪になってしまった。

 かくして世界第三の高峰カンチェンジェンガが見たいと願った夢は、あと一歩まで近付きながら夢のままで終わることになったのである。


(あとがき)

 10日目から元きた道を引返して復路にかかる。トレックで何時も思うことだが、登って来た道を帰りに上から見下ろすと傾斜が余計に厳しく見えて、よくぞこんな険しさを登ってきたものだと我ながら感心する。
 復路は下りが多いと云っても、相変わらず高巻き道の上りも一日の行程も往路より長くて、午后も後半になるとたまった疲れに足が鈍る。食欲も次第には回復してきたが、まだ同行2人の半分にも満たない。対戦中、食もなく歩く戦地の兵士に思いを馳せながら、まだ大丈夫だと自らを励まして歩く毎日だった。
 ロナークまで8日間だった上り道を帰路は6日間で下り、タプレジュン空港に着いたのは15日目だった。

 4月7日予定通り日本に帰国したがどっと出た疲れに1週間は何をする気も起きない。その時ふと読んだ登山記「K2嵐の夏」の文中に高所での薬物作用の記述が眼に止まった。
 高山病を抑制する薬ダイアモクスも、高度順化のできている人が用いると過剰反応して不快感がおきるという。この主成分アセタゾラミドの副作用を調べると、食欲不振吐き気の頁があった。
 今回、今までのトレッキング時と違った何をしたかといえば、このダイアモクスを服用した事だけである。

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