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私は昭和4X年、S県で長男として生まれた。二つ年上の姉と、二つ年下の弟の3人きょうだいだった。両親はY県出身だったが、父親の勤務先がこのとき東京だったため、S県に住んでいた。
私が幼稚園に入るころにY県S市に引っ越したため、S県での記憶はほとんどない。母親が、私がS県で庭先の池に落ちたことを、繰り返し話していた。
S市では、坂の上にある、父親の会社の社宅で暮らした。隣の家が、父親の会社の同僚の社宅だった記憶がある。幼稚園から、小学2年生までをここで過ごすことになる。
このころ、日曜日には母親に図書館に連れて行かれ、本を読んで過ごした。児童向けの推理小説を主に読んでいた。漫画は買ってもらえなかった。テレビはNHKしか見せてもらえないし、小遣いもなかった。唯一読める漫画は、図書館にある戦争ものの漫画だけだった。他に読める漫画はなかったので、むさぼるように読んでいた。
幼稚園に入るころから、私は頭を使ったいたずらを繰り返すようになった。友達の靴に砂を入れ、人の足を引っ掛けて転ばせ、保育士にわざとかどうか問いただされた。母親は私を特にしかるわけでもなく、あまり関心がないように見えた。小学校に入学するとき教科書を持ってきてくれたのは、友人の母親だった。
小学校入学と同時に、私は強い自己顕示欲にとらわれ、何でも1番を目指すようになった。図書室に通って本を読み、休みの日には近所から木片を拾ってきて、工作をしていた。学校の成績は、学業はほとんど5段階評価の5だった。
小学校2年のとき、Y県H市に引っ越すことになる。H市は、父親の故郷だった。私の母親はH市の近隣の出身で、事実上の里帰りだった。父親は大手保険会社に勤めていて、収入はかなりあったようだ。最初は借家に住んでいたが、私が小学校4年生のときに鉄筋コンクリート建ての実家を建てて、そちらに移った。
小学校では私は勉強の才能を発揮し、ほとんどの学科で5の評価をもらった。学校から帰っても2〜3時間、漢字を勉強したり、参考書を暗記したりしていた。体育は、スイミングスクールに通って、ランニングもしたりしたが、最高で4までしかもらえなかった。頭はいい反面、馬鹿にされることもあった。人間関係は幼稚だった。学校では友達は少なく、今思い出して懐かしく思うこともあまりないが、誕生会に誘ってくれた女の子など、何人かとはいい関係だったと思う。
私は小学5年生のときから市内の学習塾に通い始めた。姉も、同じ学習塾に通っていた。学校が休みの日曜日や、夏休みなどの長期の休みの日に毎日のように塾に行くようになった。個人経営の塾で、講師も変わった人が多かったが、指導内容は良かったと思う。塾でも成績がよかった私は、中学受験をすることになる。当時の私は中学受験のことなど何も知らなかったが、塾や両親の希望があったのが影響したのか、当時のライバルに差をつけたい一心で受験を志した。

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