安産祈願・子育祈願・子授祈願の岩淵観音として親しまれています

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文化財



観音寺の梵鐘

梵鐘 梵鐘
梵鐘に描かれた飛天 梵鐘に描かれた飛天
防府市指定有形文化財(工芸品)
岩淵観音寺の梵鐘指定 昭和54年11月1日

この梵鐘は、寛永19年(1642)に岩国藩主吉川広正室(毛利輝元の長女)が鋳造させ、鐘楼とともに観音寺に寄進したものです。元和2年(1616)、小俣、台道、岩淵は吉川広正室の化粧料所にあてられました。夫人は観音寺に深く信仰を寄せ、この梵鐘と鐘楼のほかにも寛永5年(1628)本堂、客殿を重建するなどしています。
総高104.2㎝、口径60.2㎝の中型の梵鐘で、多彩な文様をもち、上部の乳の間の並びには数珠と三鈷杵を執る弘法大師像が、池の間には飛天像が鋳出されています。

梵鐘の鋳造にあたったのは三田尻を本貫とする塚本信久です。彼は萩藩に召し抱えられ、大筒をはじめ様々な藩の鋳物細工を引き受けましたが、正保4年(1647)、毛利秀就から「郡司讃岐」を允許され、判物を与えられています。以後彼の子孫は八家に分かれ、それぞれ砲術家、鋳造家として藩に仕え、郡司家は近世を通じて繁栄しました。

この梵鐘は彼が郡司讃岐となる以前、塚本性であった時期の作で、彼が鋳造した梵鐘としては現存する中で最古のものであり、また近世の防長の梵鐘として最初のものとして貴重な存在です。

平成20年3月 防府市教育委員会

防府市内で指定されている梵鐘一覧

指定区分 名称 冶工銘 年号 所在地
重要文化財 梵鐘 沙弥生蓮 文応2年
(1261)
防府天満宮
市指定文化財 岩淵観音寺の
梵鐘
藤原塚本権尉信久 寛永19年
(1642)
観音寺
市指定文化財 大楽寺の梵鐘 郡司木工允信規 安永5年
(1776)
大楽寺
市指定文化財 切畑玉祖神社
の梵鐘
野村忠兵
藤原信安
野村正三郎
藤原信吉
野村三郎右門
藤原信次
享保14年
(1729)
玉祖神社

それぞれ詳しくは「防府の文化財」を参照してください。

藤原(旧性塚本)信久が鋳造した現存する梵鐘で二番目に古いものは、萩市川上の梅岳寺にあり、萩市の有形文化財に指定されています。

西国三十三観音信仰関係

  • 【その他の有形文化財】
  •  以下、特に「西国三十三観音」信仰に因むものを取り上げました。

西国三十三観音霊場は日本で最初に成立した巡礼で、近畿一円に分布する三十三の観音霊場をめぐります。奈良時代に徳道上人が創始し、平安時代に花山法王が復興したといわれています。中世以降は一般庶民にも広まり、江戸時代にはお伊勢参りと並んで多くの人々が巡礼の旅に出ました。そして現代においても多くの人々が札所寺院を訪れています。なお、西国三十三観音について公式ホームページがありますので興味のある方はそちらをご覧下さい。

  • 〈石造物〉 石造 三十三観音(磨崖仏) 時代 不詳
三十三観音

二番に「紀伊国きみゐ寺」、十七番に「山しろ国六□ふ寺」と陰刻があることから、西国三十三観音霊場を模したことがわかります。

年代については、二十二番と二十三番の間に子安観音があり、正面に「子安観音 亀田氏」向かって右面に「明治十一年」と陰刻があるため、おそらくこの時代に造られたものでしょう。

観音寺近郊には磨崖仏が多くあり、山口市鋳銭司の陶ヶ岳、さらにすぐ南にある秋穂の真照院裏山にも磨崖仏があります。陶ヶ岳には江戸初期の作といわれる釈迦涅槃像と十六羅漢があり、真照院の裏山には江戸中期の明和2年作(1766)の地蔵菩薩、さらに磨崖仏ではありませんが大正14年(1925)に造立された西国三十三観音像があります。また防府市内では右田天徳寺の石船山の磨崖仏(大正年間作)が大変有名です。こちらは西国三十三観音ではなく、楊柳観音、龍頭観音などの三十三観音が奉られています。詳しくは天徳寺ホームページをご覧下さい。

  • 〈彫刻〉 木造 三十三観音 時代 明治22年前後
三十三観音

第一番の厨子裏陰刻に「明治廿二年四月一日 當山十一世益道新添 発起人 亀田道允 末永藤太郎」とあります。

七年に一度の開帳供養の折には、この三十三観音は境内に奉安され、参拝者はご詠歌講を伴いながら「札打ち」をします。ご詠歌講は地元の岩淵地区と遠ヶ崎地区それぞれにあり、古く口伝により伝わってきた西国三十三所御詠歌をお唱えします。また、「札打ち」とは、中世から霊場巡礼の際に所願や姓名などを記した木製や銅製の納札を、札所本尊を安置する堂宇の柱などに打ちつけたことから由来した言葉で、現在でも札所寺院に参拝する事を「打つ」といいます。観音寺には計56枚の西国三十三観音納札(時代不詳)が残っており、開帳供養の際にはその納札を三十三観音前に奉納します。