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トップページ≫小野地区の概況・小野公民館の歩み≫地名の由来 奈美 | ||
「この地の南に矢筈ヶ岳という富士山に似た大変美しい山があることから『南美シ』として『南美村』といったのが、その後、南の字を書き誤って『奈美村』になった」といわれています。(防長風土注進案) また、ナミは「並」で、「同等、平均」の意もあり、つまり「高い低いのないこと」で、この付近では珍しく広い平地であることから「並」すなわち「奈美」と呼ばれるようになったともいわれています。(山口県地名考) |
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『小野の伝説と昔ばなし』小野郷土史研究会 より抜粋 | ||
(じゅうしち) | ||
戦国時代、大内氏の落武者が松ヶ谷の洞穴(現在の巌屋観音堂)や観音滝付近に隠れて暮らしていました。 その後、甲田美作守、秋本但馬守、木原和泉守など十七人の落武者が、この地で暮らしていたので「十七」という地名がついたといわれています。 |
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『小野の伝説と昔ばなし』小野郷土史研究会 より抜粋 | ||
(いちいき) | ||
昔この地にいちかいし(一位の木。神官などが用いる木笏の材料となる)が自生していた?ことに由来するのではと考えられる。 | ||
(まとば) | ||
「此の所に先年より的場があったので、在名も的場と言い習わした」(防長風土注進案) | ||
(いしはら) | ||
「此の所は住古大きな石原であったが、追々田畑に開立したので、石原と呼ぶようになった」と伝えられている。(防長風土注進案) | ||
(おき) | ||
山麓の人家より沖の手にあるのでこのようにいわれてきた。(防長風土注進案) | ||
『ふるさと小野−地名の由来と著名な人物』小野郷土史研究会 より抜粋 | ||
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