曹洞宗 山口県10教区の寺院案内

(趣味の範囲で情報を集めてみました。資料は風土誌・寺院名鑑・阿東町史。不適切な表現や誤りがありましたらご一報を)2017 2/22 M.Mihata
>寺院案内
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No. 寺院名 郵便番号 住所 電話番号
62  
金龍山
 
 徳祐寺
 
747-0402  
山口市徳地柚木287-1

佐波川源流に近く古くから信仰を集めてきたお寺

創建 慶長八年十一月
 この年には二月十二日に徳川家康が征夷大将軍となって江戸幕府を開いたことや四月二十二日に豊臣秀頼が内大臣になったことが記されています。慶長二十年には関ヶ原の戦いがあり豊臣家が滅亡し元和元年となった。
開基 昌岩春盛大和尚
083(558)0319  
164  
萬國山
 
 恵長寺
 
759-1511  
山口市阿東徳佐上3537

文殊菩薩堂(文殊様の縁日は毎月25日)や桜で有名

創建 昔、宮様家が隣の河内村に住まわれた時に寺と文殊堂を建立。(年代不詳)
 亨禄年間(室町時代(戦国時代)の1528年から1532年 )吉見三郎隆頼が、吉見家菩提及び祈願所として再建
 二度の火災にあうが祈願所として毛利家が代々普請してきた。
開基 栄林源椿大居士(吉見三郎隆頼)
 本堂 寛文八年に國主により再建 亨保十四年己酉年國主再建 寶暦十一年焼失 文久二年三月二十五日焼失 文久二年三月毛利公再建
文殊堂 文久二年三月毛利公再建
083(957)0558  
165  
金峰山
 
 泉福寺
 
759-1512  
山口市阿東徳佐中107
 現住職様は、いろいろと新しい工夫を重ねて試行錯誤しながら布教されています。ホームページがあります。

創建 慶長十二年 堀屋敷内に開創
開山 津和野領主吉見氏の嫡孫 津和野永明寺七世 天粧壽心大和尚
堂宇 萬治元年再建 正徳五年三建 寶暦九年四建 
本堂 第九世月鮮大和尚代(寶暦九年)に旧地の大元より移転建立
第十六世佛眼大和尚代 伽藍総柱立て替え 
庫裡は現住職代に新規に建立
梵鐘 第十二世梅峰大和尚代 文化六年鋳造
 仏具一式 第二十二世樵禅大和尚代自ら整えられたもの。
083(957)0637  
166  
桃源山
 
 瑞雲寺
 
759-1342  
山口市阿東生雲中1934

隠れキリシタンのお墓とされる史跡があります。墓地の横のため池では、カスミサンショウウオが見つかったことがあります。
海禅寺と昔から深いおつきあいがあります。

創建 大内家の菩提を弔う為に昔、現在地より東へ1.2kmの柿木峠という場所に建てられていた。
 開山は瑠璃光寺第七世規盛良横大和尚。二世機明養生大和尚により改修。八世高機嚴粱大和尚により増改築。十六世宗邦の代(文化年間)全焼し七年に再建。現在のお寺は平成になって屋根修理中の火災によって再建されたもの。
 山門は明治三十四年に二十四世寛禅大和尚の代に建造。
 本尊は如意輪観世音(座木像)丈は45.5cm。楠政成の作とされ大内義興公のご本尊と伝わっている。他には、薬師如来(定朝作)・文殊菩薩・弘法大師の座像が有名。
 後山に老松が三十本あり門前には大杉があり天子の杉と呼ばれてこの地域ではよく知られている。
083(954)0277  
167  
耕雲山
 
 法田寺
 
759-1341  
山口市阿東生雲西分1538

阿東でも伝説の多いお寺。現住職様の法話はとても面白く楽しいばかりではなく生きる糧になります。一度はお話を聞いてみては。

開基 阿川彦右エ門 宍戸家の家臣
創建 元亀二年三月(いつ頃かというと1572年で室町幕府足利義昭の時代 織田信長が延暦寺を焼き討ちした年)
開山 瑠璃光寺第十五世的翁全當大和尚
本堂 創建当時の面影をとどめる 平成に瓦葺きに改修
庫裡 明治二十八年 十七世孝顕大和尚代改修
地蔵堂 明治四十三年 十八世泰玄大和尚代改修
金佛座像 阿川祖悦岩宗居士 亨保十六年九月十四日寄贈
二十世 竹林守口大和尚(明治九年二月二十日生)
083(954)0357  
168  
天龍山
 
 福嚴院
 
759-1421  
山口市阿東地福上2293

優雅で豪壮な佇まいを見せる山門から本堂は見応えがあります。

創建 元禄年間 鍋倉の雲峰庵・曹洞宗洞雲寺・文殊堂(いずれも建立年代不詳)を合併し福嚴院と改めた。
 明治五年に時の名僧として名高い阿川断泥師を招いて開山とする。
 後に阿川断泥師は名刹泰雲寺に入山
 明治四十二年 第十九世井本寸松大和尚代 瓦葺きに改築 山門を建立
 昭和六年第二十世松龍大和尚代に位牌堂増築 文殊堂建立
 平成年間に本堂・位牌堂改修
 他 釈迦堂(清九)・観音堂(杉原)
083(952)0700  
169  
福城山
 
 桂光院
 
759-1421
 
山口市阿東地福上1713

格式の高いお寺で有名


長門三十三番の内十二番の観音霊場
創建 永正七庚午年(1510年)
 室町幕府は将軍足利義澄・義植の代 大内義興の代 七年には大地震(大阪)や津波(遠江)があった。
 曾て真言宗の福城山滋音寺と號した。
 天文年間 佐波郡右田村天徳寺中興威雲?虎禅師(当寺重開山)入院の折曹洞宗に改め福城山瑞雲院と改称した。
 第二世 日州元大和尚(洞雲寺開山)
 第四世 中嚴(厳)玄明大和尚代 馬場岡から現在地へ移転
 第七世 覚岸玄津大和尚 堂宇を再興
 正徳四年(1714年江戸幕府の頃。将軍は徳川家宣)毛利家家臣佐世主殿頭廣長の願いにより妻の桂光院殿昌顔自久大師追福菩提の為に霊牌を奉安し佐世家を大旦那とし地領の米三十俵を毎年給与されることになり寺號を桂光院と改めた。(第七世 覚岸玄津大和尚代)
 第二十一世 實秀堅苗大和尚(中興) 明治八年(1875年)本堂再建・庫裡造営
開山 延芝宗祝(祝は旧字)大和尚
末寺 洞雲寺 西光寺 大徳寺
寺寶 釈迦牟尼物 開山大和尚肖像 聖観世音(行基作) 如意輪観世音(安阿弥作)等
083(952)0321  
170  
万杉山
 
 大源寺
 
759-1512
 
山口市阿東徳佐中1514

落ち着いた佇まいをみせる古寺

本尊 釈迦如来(元 宗源寺本尊)・観世音菩薩(元 大徳寺本尊)
開山 瑠璃光寺六世重堂専宗大和尚
歴史
 曾て津津和野の永明寺の末寺で桂芳寺と號した。
 慶安三年(1650年 柳生十兵衛三厳没 翌年に由井正雪の慶安の変)領主羽仁信濃守元直の先祖にあたる徳翁良水の菩提寺とされ万杉山宗源寺と改称し瑠璃光寺六世重堂専宗を開山として末寺となった。
 明治三年(1870年 鉄道事業開始 各地で世直しの騒乱 富岡製糸工場設立布告)円通山大徳寺(天文年間中開山 桂光院末寺)と合併し大源寺と改称。
(風土誌による)
(補足 明治三年について歴史的な背景)この年に神道国教化強化の大教宣布の詔が出され、廃仏毀釈の運動が始まる。各地で神仏分離が行われ、寺の統廃合が行われた。明治四年(1871年)正月5日付太政官布告で寺社領上知令が布告され、境内を除き寺や神社の領地を国が接収することになった。)
083(956) 2750  
171  
鷲峰山
 
 養仲寺
 
759-1513  
山口市阿東徳佐下191

 建物が一番新しいお寺。ご住職様は地元の名士であり、また仏法に詳しく、歩く仏典と・・・私は思っているのであります。(^^;)。

創建 吉見家御息女養仲院の菩提を弔うために建立されたが度々の戦で延焼し再建された。
吉見氏の資料 吉見氏は、源頼朝の弟蒲冠者範頼を先祖とする一族 南北朝の時代に能登の守護職。蒙古襲来守護の為に石見に着任。ここに石見吉見氏初代頼行が領主となり津和野に三本松城を築いた(永仁三年(1295))。大内義隆の姉婿であった吉見正頼は陶氏に敵対し毛利と同盟して陶氏を滅ぼした。この功により阿武郡全郡と佐波郡・厚東郡を毛利元就より与えられた。(1555年)関ヶ原の戦いの後、謀反の疑いで毛利氏に攻められ石見吉見氏滅亡。(1617)
 本堂 第三世海牛梅聴大和尚代建立(寶永元年二月五日)
 平成に現住職の晋山式にあわせて新規に建立され最新式の設備が整っている。
 山門 第十九世泰令観國大和尚代建立(明治十四年八月)
開山 龍豊寺眞如観哲大和尚
083(957)0205  
172  
圓通山
 
 広(廣)福寺  
759-1512  
山口市阿東徳佐中2314

 丸山(一部の資料に円山とありますが間違い)(まるやま)というお饅頭のような山の中腹にあります。あれは古墳では?
 歴史ある徳佐八十八ヶ所巡りの起点。(春の縁日にあります。案内が先だってあるので情報に注意。はき慣れた運動靴に二枚重ねのソックスと軽めのリュックサックがあれば快適でしょう。山里をてくてくと歩くので前もって歩く練習をしておきましょう。いろいろな春の花が迎えてくれるのでカメラもあるとさらに楽しめます。徳佐在住の大野先生が記録してDVDに記録されています。必見。

開基 東雲運外大和尚(二百年余り前入滅) 曾ては大徳寺と號する。
明治初年 大宣揚道大和尚の代に大源寺と併合する際に都濃郡向道村から廣福寺を引寺
第十五世田中碓禅大和尚(山口県第六教区長・宗務所会議員)代に再建
本堂 大徳寺当時の面影をとどめるも現住職(旧阿東町議会議員・教区長を歴任)代に改修。
083(957)0088  
173   海禅寺    

山の中にあるのに海禅寺

本寺は宮野の妙喜寺その上は泰雲寺

 
174  
潮音山
 
 南湘院
 
759-1511
山口市阿東徳佐上2050

ご住職様は道元禅師の如く・・峻厳な古法を伝えられています

創建
 山口県都濃郡長穂村龍文寺の末寺で元は都濃郡富田の荘政所に建立されていた。
 元亀三年の十二月十二日付の毛利輝元による周防の国都濃郡富田保之内の南湘院・海印寺・東証寺の三ケ寺の住職を命じる内容の書き付けが存在することから,元亀年頃の創建と推定される。
開山 木鏡禅師
 明暦二年宗祖永平道元禅師(承陽大師)二十四世の法孫で本寺である龍文寺三十世木鏡禅師が入寺し龍文寺末寺として曹洞宗法地とした。これを以て、開山を木鏡禅師とする。
 中興開基 亨保年中豪徳院殿衆山紹運大居士毛利日向守
 安永六年 火災
 明治七年一月十九日第十九世龍苗大和尚、富田村より長久寺跡(現南湘院)に引寺
 本堂・庫裡 平成二十五年現住職代に新しく造立
 境内に孝子 堀 留五郎の墓がある。
083(956)0636
175  
大栄山
 
 玉清寺  
759-1602  
山口市阿東嘉年下3235

現在阿東のお寺様の中では最長老の東堂様。その昔はナナハンライダーであられた。現住職様は平成二十六年に就任。やはり車のメカに詳しい。

開基 清和天皇庶流加茂次郎義綱三十六代の後胤 馬屋原左京衛尉 源勝範
開山 瑠璃光寺第十四世的翁全當大和尚
創建 元和八年大栄山萬福寺として建立。安永三申午年に火災 明治八年第二十二世無門透關大和尚代に、寛文九年八月に井戸で創建された玉光寺と正保二年四月に吉部野に創建された清泉寺をこの寺に合併して玉清寺と改めて号することになった。
 孤岳山玉泉寺 開基 孤岳青雲居士(寛文十一辛亥七月二十三日示寂) 前原権兵衛尉 源就政夫婦
 大栄山萬福寺 開基 鏡堂浄圓禅定尼(慶安二已丑年五月六日示寂)
 玉光寺 開基 矢吹五郎左衛門の父五郎万 昭岩道喜
 二十四世大愚全戒大和尚代の明治二十四年に庫裡改築
 二十六世彌白大和尚代に瓦屋根に改築
 山門 昭和三年 二十六世彌白大和尚代に建立
083(958)0431  
176  
生谷山
 
 長向寺
 
759-1602  
山口市阿東生雲東分1594

地福から生雲への坂道の途中のお寺 海禅寺に最も近く、物心両面で支えてくださいます。近くに木を素材にした工芸を専門とする工房もあります。

 明治五年頃までには現在地より南の山の上にあった生福山東向寺と生雲村にあった龍谷山長泉寺が合併して生谷山長向寺として現在地に建立された。長泉寺の檀家は現在の法田寺に合併)
開基惶(左の字?)室栄吾居士(亨保七壬寅年六月二十日示寂)俗名小野善右衛門尉安名。慶安二年に創建。
開山 痴牛愚印大和尚で、正徳五乙未年春に示寂。
 中興開山は法田寺二世昌巌當繁和大和尚。
 十九世蘆洲雪皓大和尚の代に長泉寺という廃寺と合併。
本尊釈迦如来二体。一体は長泉寺の本尊。
本堂(六間四面 位牌堂も含む)は明治五年十九世代に再建。庫裡(五間-六間)客殿(一間半四面)内田断崕二十一世代新築。
 石門は昭和二十一年二十二世内富隆岳大和尚代建立。境内二百二十二坪。
083(952)0818  
177  
安養山
 
 臨川寺
 
759-1343
 
山口市阿東蔵目喜1877
(瑞雲寺末寺)

春の境内。しだれ桜がみごと!蔵目喜小学校(廃校・・現在は資料館)の横

 曾て古須ノ原村にあって安養山西光寺(本尊 薬師如来)と號した。
寛中という僧が再興を発願し第十三世叟永賀禅師の法孫である痴牛愚痴和尚と共に蔵目喜山領村の中央地に寺建立着手するも寛中志半ばにして示寂(寛永十八年十二月十一日)。残された痴牛和尚が西光寺を移転して一宇を創建し山號はそのままにし、川に臨んでいることから臨川寺と改称。
開山 瑠璃光寺第十三世叟永賀禅師
開基 寛中大和尚
第二世 痴牛愚痴大和尚(中興) 
第十一世 矢野万龍大和尚代 天保七丙申年三月十四日全村大洪水 流出・再建
第二十世 賢成大和尚代 昭和二年一月七日全伽藍・位牌堂 焼失
 昭和三年末 本堂(六間五間)・釣屋(一間半四間)・庫裡再建(六間四間半)
寺寶 地蔵堂内地蔵菩薩(石座像)火災時に難を逃れ火除地蔵として崇拝され毎年八月二十四日に地蔵祭が行われてきた。
(文 第二十一世 御幡大成)
083(954)0559  
178  
 円通寺
 
759-1602
 
山口市阿東嘉年下323

古くからの伝説の里嘉年にあるお寺
平成26年に新しいご住職様に交代

創建 曾て大栄山國清寺が管理した厚福庵という寺があった。
 明治三年 國光寺を、國清寺に合併し、國光寺に厚福庵を移転。
 明治三十三年 宮城県桃生村倉崎にあった総持寺の末寺である円通寺を厚福庵に引寺。
 すなわち國光寺が厚福庵そして円通寺とその名称を変えたことになる。明治三年に統廃合されて消滅した寺が明治三十三年頃に阿東町で再興されているが、この間にどんなことがあったのかは不明。政府の施策が受け入れられなかったのかもしれない。
083(958)0288  
179   国昌寺   759-1601  
山口市阿東嘉年上1931-1

(管理 竜昌寺)
創建 寛永十五年八月 東光寺と號した。
 元禄年間に毛利藩の命により東昌寺と改称。
 明治三年 竜昌寺に合併。
 明治三十一年四月二十二日 瑠璃光寺の末寺國昌寺を現在地に移転。
 
180  
長川山
 
 竜昌寺
 
759-1602
 
山口市阿東嘉年下1359

庭のすごいこと!観光する方々も多いのです。資料館もあります。現住職様は民俗学・宗教学・文化人類学に堪能。著作も多数。

曾ては龍松院と號した。
開山  勝山城主波多野内蔵介
開祖 瑠璃光寺第七世 規盛了模大和尚
創建 永禄三年
 天文年間に勝山城にあった観音及び地蔵尊を龍松院に移転。
 明治三年 土居の東昌寺(創建 慶長十八年八月 開基 須佐村大蘊寺二世傑叟大和尚)と合併し、龍昌寺と改称。
 明治十一年九月十八日 政府の許可により坂辻観音堂を元の東昌寺跡に移した。
寺寶 観音菩薩(長門観音霊場第十番)
   地蔵尊(日切地蔵菩薩)
本堂・庫裡・地蔵堂・山門(新たに新設) 
 
083(958)0016