平成22年1月14日  公開
平成22年1月25日 更新 

● あの句 この句 (「木の実 650号」




安部 さだめ

窯場守る峡の二三戸小鳥来る   山下つね子
折々の吟行などお互いによく励みました。
吟行の句作の苦しさ、お昼のお弁当も進まずにいますと向こうからこられ、御主人が釣ってこられた鯊の佃煮など分けていただいたりしたことも思い出です。
どうぞ御身御自愛下さいませ。


      (自句)
足許に鈴虫鳴かせ改札す   さだめ
海老津駅は昔は小さな田舎の駅でした。
駅員さんが育てた鈴虫の透き通った音色。
改札の鋏の音とがマッチして幸先のよい気分でした。
若くして逝った母のふるさとでした。




安部睦代

紙魚の後つくろふ楊子文化の日   河野頼人
国文学者頼人先生の御蔵書は万葉集と上代関係の文学書、文献等私共の想像を絶するものと拝察する。
紙魚の跡が更に欠けない様に楊子でつくろわれていることに感銘をうけた。
延いては古書を大切にして言葉を深く読むことこそ、作句や鑑賞を一層深められると教えられた思い。


      (自句)
園児らに見せむ鈴虫飼て娘よ    睦代
昨年の春大学を卒業して幼稚園の先生になった芙美ちゃん。
夏の終わり頃から預かった鈴虫を飼い始め、美しい声で鳴く様になったら早速幼稚園に持って行った。
鈴虫に眼を凝らし、声を楽しむ園児達にとってこれを切っ掛けに少しでも自然に親しむことになればよいがと私も思った。




荒井美智子

春塵も未練も払ひ蔵書売る   河野頼人
平成十年、永年お勤めになった大学を御退官される感情と大事にされていた沢山の書籍に囲まれた御生活。
先生の御心の中で整理をしなければと思われる反面、蔵書への未練の思い入れが交錯された御句であると思った。


     (自句)
アカペラに黒人霊歌冴返る   美智子
黒人霊歌とは米国の黒人の間に生まれた宗教歌で、キリスト教の神の恵みに心の慰めを求める一種の賛美歌である。
この歌を無伴奏で聞いた時、心の底まで冴返る感動を覚え、特に皆様よく御存じのアメージング・グレイス(われを救いし)は殊更見事でした。




池田益子

大寒やひとり稽古の大鏡   山鹿喜朔
私が俳句の道に入るきっかけを作って下さった恩人。
教科担任は数学。
放課後のクラブ活動では剣道を受け持たれ御自身は六段の腕前。
冷々とした大寒の道場でひとり大鏡にむかって一心に稽古の姿。


     (自句)
追ひ越さる先生に沸き運動会   益子
中学校の孫の運動会を見に行って、割れんばかりの先生への声援に出来た一句。
一番盛り上がるのはリレー競争、中でも先生チームと生徒チームの競争です。
人生の大半を教職にいましたので、遠き日を思い懐かしさで一杯でした。
生徒に追い越された先生も本望だったのでは。




石井芳江

肩凝るといふ妻を助け栗を剥く   河野頼人
何時も主宰の御句には愛妻家でいらっしゃる様子が偲ばれて。私等は唯羨ましい限りです。
主宰は又日常生活の中に私達の気付かなかった所を句材にチョイスされて居られますが、句を学んでいる私には大変励みになって居ります。


     (自句)
ロッジにも会議室あり涼しかり   芳江
山田緑地吟行の折に締切も迫って来て仕方なく私はロビーに出て見ました。
そしてふと、目に留まったのが「会議室」と書かれた重厚そうな扉でした。
何故かその時はその様に見えたのです。
そして此の建物全部が大変立派に見えて咄嗟に出来た一句です。
今もあれは何だったのか気になります。




井上万里

優しかりし昨夜の雨かやパセリ摘む   松山大耳
松山大耳さんの句を鑑賞させて戴いた中でこの句が一番好きです。
パセリを摘む折、傷んでなかったので、昨夜の雨は優しい雨だったのだろう、というのです。
柔らかいパセリに対する愛情と、カンナ社気持も察せられる細やかな暖かい句です。


     (自句)
長女だけに解る思ひ出母の冬   万里
母からの電話です。
何時も長話になりますが、私も腰を据えて母の話を聞くことにしています。
旧満州時代の思い出、引揚げの際の苦労話は、長女の私にしか通じません。
当時十歳だったので、特に戦後の生活の記憶は鮮明です。
妹、弟達は幼くて、記憶にないのです。




井上義郎

一鍬に掘り上げし藷数珠つなぎ   川原友江
この句を読むと幼かりし日よく畠にいって、大きな藷を掘り当てたとき一同歓声をあげた時の事を思い出す。


     (自句)
うす陽さす田に刈られては稲荷ならび   義郎
わが家の近くでは段々と田圃が姿を消して宅地に変わってゆく。
然し停留所の近くにだけは今なお田が残っており、夏には青田、秋には稲穂の波と眼をたのしませてくれる。
次々に刈られて稲架に稲穂がかけられていくのを見て、中学時代出征家族の家に勤労奉仕で手伝いに行った事を思い浮かべた。




岩村美智子

流し雛泣くかも知れぬ目は描かず   河野頼人
忘れもしない芦屋流し雛吟行時の頼人先生の珠玉の一句である。
紙雛をお見せした処、一見して「目が無いじゃない」と先生。
やがて始まった句会で出合い、目から鱗の落ちる思いだった。
雛への憐憫の情が平明にして拡張高く詠われ何時までも心に残る名句である。


     (自句)
紙かぶと祖父にもかぶせ端午の子   美智子
子供の日、保育所に通っていた孫たちが玩具の刀を持って親子連れで遊びに来た。
いつもは私の膝を奪い合う二人であるが、新聞紙で兜を折る主人の傍を離れない。
やがて出来上がった兜を被り主人にも被せ三人でチャンバラごっこが始まったことはいうまでもない。




植木南汀

恒例のごとく夏痩せ被爆以後   河野頼人
〈馬芹集〉に掲句を発見した時、忘れてはいけないことがあるとの思いを強くした。
「被爆」という言葉は只一つの事にのみ使われている、絶対的な言葉である。
大きな転機となった言葉である。
あれから五○余年労り合うて来たもののみに許される言葉である。
先生のまなざしは常に奥様にそそがれている。


     (自句)
七五三母の手払ひ男の子   南汀
わらべは男も女もなくわらべである。
七五三の宮参りの石段は高く険しい。
母心につい手が出る。
が、わらべにはわらべの誇りがある、その誇りが母の手を払わせる。
親離れも近い、いささか目に沁みる風景ではあった。




大谷秀子

草笛に草笛をもて応へけり   高村美智子
草笛のお相手は、勿論俳人のご夫君と存じますが、ご年齢に関係なく新鮮で、昇華された清らかな愛情を感じます。
単純なご一報をお願いいたします。繰り返す爽やかなリズムの中に、童画の世界さえ感じ、万人が求める真の癒しの世界を感じました。
益々のご健吟をお祈りいたします。


     (自句)
親竹を見上げ竹の子競ひ立つ   秀子
此の句は、合馬吟行の折のものです。
親竹を見上げつつ競い立つ竹の子の姿は美しく力に満ちています。
人間の親子関係も常にその姿にあやかりたいものです。
自然は無言の師です。
自然からのメッセージを素直に受け止め、大事にしたいと思います。




大松佐喜子

退職の日の迫りたる種選び   岡  恭子
定年退職も間近になり、仕事一筋に勤め、年々老いていく両親や妻に農作業を任せきりにし、心ならずも苦労をかけて来た。
これからは先祖伝来の田畑は自分が受けつぎ守ろうと、まず種選びからという心構えと覚悟に魅せられた思いがしました。


     (自句)
牡蠣打ちを習ふ父似の胡座まで   佐喜子
行橋市の蓑島に吟行。
薄暗い長い土間を通り抜けると明るい海が展け、家族で牡蠣打ちをしている。
その中に十歳位の男の子が父の横で打っている。
「お手伝い」と訊ねたらにっこり笑った。
それがいとおしく、おぼつかない手許に家族の温もりを感じた。




岡  恭子

来し方の句帖にあそび夜の秋   岩村美智子
美智子さんのこの句を拝見して、作者のお気持ちが本当によくわかります。
まだ日中は暑い夏の終わり頃、夜の風にふと秋らしさを感じ、とり出した古い句帖。
それを作句した時の懐かしい種々の思い出に、刻のたつのも忘れてしまったご様子がうかがわれ、殊に、「あそび」「夜の秋」の言葉の使い方の素晴らしさに感心しました。


     (自句)
心まで覗く眼科医春寒し   恭子
私は眼底出血をして、十八年になります。
漸く主人と二人になり、これから好きなことが出来ると夜更かしをしたのが原因でした。
眼は口程に、という諺がありますが、それ以上と思います。
主治医は細□燈(眼の顕微鏡)で私のすべての道はローマに通ず透視することが出来ます。
今でも私は診察台に腰掛け細□燈に向かう度に、身のすくむ思いをしています。




小野武子

腰痛を庇ひ花野に踏み込めず   尾首美知子
家より車で三十分位の所に飯田高原があります。
春夏秋冬も美しいのですが、晩夏の大花野の頃はよく吟行しました。
松虫草、るりひごたい、吾亦紅、女郎花等々。
この数年間腰痛のため余り吟行も出来ずこの句に惹かれました。


     (自句)
ばら活けて掛軸飲中八仙歌    武子
坂井愛子様に作品鑑賞していただいた一句です。
習字の課題に杜甫のこの詩の中の一節があり、主人の書いた八仙歌の掛軸を前に課題の練習をしつつ、「李白一斗詩百扁」にお酒は飲めないけれど飲めば十句がすらすらと出来ないかなど夢みたいな事を思いました。
横に活けた真紅の薔薇、静かな一ときでした。




小野文珠

春泥に蹄よごして牛帰る   成瀬かた子
牛を育てた経験者でなければわからぬ思いのする一句であると思いました。
酪農にあって乳を搾るのに牛が汚れていては不潔ですから、足以外の体全部を拭きあげなければ乳は搾れなく、牛を洗う気持に感動しました。


     (自句)
万緑や母の生れし里を訪ふ   文珠
母は玖珠郡森町の生まれで昭和二十四年八月老衰で亡くなり、五十年忌も終わりました。
同地にて句会があり、久しぶりに旧屋敷跡をなつかしく徘徊した折の句。




加生忠義

秋うらら外へ出たがる土不踏   酒井青渓子
同業ですが、整形外科の医師らしく、目の付け所がさすがに巧いなと感心しました。
暑い夏も去り、散歩の季節になりました。
ご自分の気持ちを「土踏まず」に託して一句にしたところは、到底私にはできません。


     (自句)
小商ひ連なる馬籠みどりの日   忠義
平成一三年七月号の巻頭句に思いがけずも選ばれた句を揚げさせていただきました。
平成一二年一月号からそれまでご指導いただいていた整形外科の久米示羊先生のお声がかりで「木の実」のお仲間に入れていただき、一年半で巻頭の栄誉をいただきましたこと、私の俳句人生で最も感激した出来事でした。
残りの人生、もう余りありませんが是非俳句を続けたいものと思っています。




金子正次

ひそひそと内緒話が咳ひとつ   香田満寿雄
香田さんは魚町の鮨屋の旦那で、句会では私の隣席です。
漢字の読み方、またその意味をちょいちょい尋ねられるので教えておりましたが、一念発起して高校通信講座に挑戦しました。
そして今年三月目出たく、卒業しました。
この真摯な努力が今後の秀句に繋がると期待しております。


     (自句)
金婚や二人静の花と住む   正次
大正、昭和、平成と生き続け、結婚五十年を迎えた時の句。
結婚後は戦無き生活であったが、また変動の激しい時代であった。
私の所属している、北九州市観光案内ボランティアも今年十周年を迎える。
頑張ってお客様に一層喜ばれるガイドを続けよう。




川原友江

寮歌など祖父高らかに端午の日   数住照子
元禄時代より続く御殿医として、時の藩主より「数代に亘って住めよ」と「数住」の姓を賜ったと聞く、由緒ある医家に初孫誕生。
殊に跡目を継ぐ男の子とあってみれば、その喜びはいかばかりか。
武者人形を飾り初節句を祝うご家族の賑やかな様子が、中七の惜辞によって、活写されています。


     (自句)
誰彼となく蹤いてゆき羽抜鳥   友江
日本一の注連を誇る宮地獄神社の参拝を終え、境内の奥にある民家村へ足をのばしました。
折しも放ち飼いの鶏が羽毛の抜けた我が身のみすぼらしさも知らず、人と見れば蹤いてゆく様子がおかしくも又哀れとそこに思いを込め、初めて使った季語。




神谷美枝

おいしいと嫁をほめほめ蕪蒸し   三浦文子
何とほのぼのとした良い句だろう。
「ほめほめ」のリフレインがすばらしい。
新鮮な素材に、碗に張る汁はラウスと本鰹の一番だしに違いなく、そこまでのこだわりは家族への愛の一言につきるだろう。
殊勝なお嫁さんと心の寛い立派なお姑さんぶりが見事。


     (自句)
観覧車空に置きざり冬ざるる   美枝
空は「くう」と読んでも良いだろうと頼人先生の御高評を頂き、咄嗟に「色即是空 空即是色」と般若心経が思い浮かぶ。
そして冬の観覧車はまさに破沙盆とも思えてくるのである。
小倉からの帰り、車の中から見た到津の森の夕暮の景である。
潔いほど寂寞とした侘しさである。




後藤俊子

市場いま韓語の坩堝油照   山下桑丘
昨年の九月号の巻頭の中の一句。
この句を読んだ瞬間、先年の中国の旅を思い出した。
万里の長城へ向かう道の両側に並んだ土産店から甲高い呼びこみ声が雨、霰、耳を聾するばかり。
「坩堝」が正にぴったりだと感心してしまった。


     (自句)
献体の供養塔あり梅の寺   俊子
佐賀市に高伝寺という名刹がある。
殿様の菩提寺で壮大な御墓所に巨大な墓石が並ぶ。
梅の見頃は風が冷たいが、私が訪れた日は穏やかな日和で、寺苑の裏に始めて廻ってみた。
白梅が満開だが人は少なく、ひっそりとした中にお堂がある。
献体の供養塔で毎年医大の先生や学生が参列して御供養をするとの事だった。




柴田清子

神鈴の紐のぬくみも初詣   植木南汀
神社に詣る折には、必ず神鈴を振り、あらたかなお加護を頂きたく鈴の音たかくかき鳴らしたいものである。
初詣となれば尚更のこと。
大きい神社では三つ四つの神鈴が吊るされその前に行列ができる。
「紐のぬくみも」の惜辞により人々が次々にお詣りしている様子がよくわかり、初詣のにぎわいがよく表現されていると思った。


     (自句)
折からの平和の鐘やさくら散る   清子
一昨年四月、クラス会で念願の広島平和公園を訪れた時の句である。
原爆犠牲者の碑に向かって祈りを捧げている丁度その時、平和の鐘が鳴り響き何とも言い難い感動を覚えたことである。
今なお世界のどこかで戦火が絶えず、未来への不安がよぎる。
さくら咲く平和公園の静かなたたずまいの中で、平和の有り難さを思い、永遠なる平和を希求して止まないのであった。




数住照子

借りられて欠けし全集煤払ひ   河野頼人
いよいよ年も押し詰まり新春を迎える為に、我が牙城、書斎の煤払いをされる師の心にふっと淋しい翳をもたらすもの。
それは、乞われるままに貸した本が返却されずに、欠本のままの全集がそこに在る事である。
人の世の様々な光と陰にふと思いを巡らされる師の胸中、文学者で蔵書に限りない愛情を抱かれて居られる師の心を窺わせる名句であると思う。


     (自句)
金蒔絵と蝶の螺鈿よ春書院   照子
「木の実」句会にて長府庭園を吟行する。
いつも乍ら手入れの行き届いたお庭に入る。
一の蔵、二の蔵、それぞれに春の趣向凝らしあり。
丈余の藪椿覆う爪先上りの坂を、俳画展とある三の蔵まで登る。
ひっそりとある画展を辞し、やがて回遊式庭園の中央に位置せる書院に到る。
蝶の螺鈿を見事ほどこしある正面座敷の床框に、一同しばし感嘆の声をあげる。




田坂かつみ

息白く戻る青春戦史室   河野頼人
この句は平成九年一月、氷雨降る寒い日の吟行で小倉北方の自衛隊を訪問。
たまたま頼人先生とご一緒に隊内の戦史室を拝観。
頼人先生は叔父様がこの部隊にあり戦死されたことを詳しく話され、私は戦前この部隊から長兄も次兄も出征したことなど親しくお話を致しました。
〈身に沁むや戦死公報しみの和紙〉も亦その時の御句ですが、私にとっては忘れ難い一刻を思い出させる句となりました。


     (自句)
芙蓉咲くわが生家跡夢二の碑   かつみ
八幡東区宮川公園に竹久夢二の小さな碑が建立されています。
この地所はかつて私が生まれた処。
戦況厳しくなって、私一家は家業を閉じ、疎開して無事でしたがその家を借りていた知人一家は防空壕で無惨な犠牲となり、悲しい思い出の土地でもあります。
数年後訪れた時には、その土地はいつの間にか公園化され、かの有名な竹久夢二(昔この地に住んでいたと言われる)の句が建ち、傍には芙蓉の木の花が静かに咲き、昔を偲ぶ供華のように見えていました。




高野瀧子

小鳥来るとんがり屋根の幼稚園   山下つね子
「小鳥来る」、なんとかわいい言葉でしょう。
私の好きな季語です。
幼い子の好きそうなとんがり屋根。
小鳥たちが次々に屋根の突端で囀っていることでしょう。
遠い国から渡ってきた鳥かもしれません。
園舎では、子どもたちの賑やかな声がきこえます。
楽しい情景を想像させ心が和む句です。


     (自句)
ミャンマーのくらし楽しむ雲の峰   滝子
私は国際ボランティアとしてミャンマー国の奥地によく行った。
現地の人たちと植林をしたり、子どもたちに日本の遊びを教えたり、いっしょに食事をしたりした。
「たかのママ」と言って子たちが小走りに寄って来ることもあった。
青い大空の遙か地平線に大きな入道雲をみた。
あの風景や人々の顔が思い出されて懐かしい。




高村厚逸

踊の輪遺影に見せて初盆会   西鳥羽香葉
三月九日妻が病死した。
古賀地区の公民館長、婦人会子供会の皆様の櫓太鼓で初盆の供養をした。
娘は妻の遺影を首にかけ心ゆくまで盆踊を見せることができた。
香葉さんは奥様の死を言葉少なにかく語られたがその温もりに名状し難い感動をいただいた。


     (自句)
カサブランカ摘めるだけつみ母まつる   厚逸
平成十一年四月二十二日、日課の庭掃除をすませた母は箒と塵取を三和土に並べ眼鏡を下駄箱に置き、そして上がり框に眠るように八十八年の生涯を閉じた。
九十五歳の父より先に死ぬ訳にはいかぬといっていたのに。
一本の虫歯もなく死に化粧をした母は美しく、声をかけると返事が返ってくるのではないかと思う程であった。




高村美智子

涅槃図の牧皺象の鼻ゆがむ   川原友江
この句を拝見した途端、句はこうであらねばと感銘しました。
それまで涅槃図に縁遠く過ごして来ましたので、機会があれば是非拝観したいと思うようになりました。
釈尊の入滅を嘆き悲しむ象に焦点を当て、その鼻が巻皺で歪んでいると、なんとよく観察してあるのだろう。
表現の見事さに感じ入りました。


     (自句)
波音のなき波しぶき涅槃絵図   美智子
平成九年二月の吟行に小野田市の龍王山万福寺の涅槃図を拝観する機会を得ました。
友江さんの涅槃の句を思いながら心落着けてその前に座り、一生懸命に眺めさせていただいて得た一句です。
今こうしてペンを取っておりますと、今一度拝観出来たらと思うことしきりです。




出口美佐子

蓋苅句碑帰らざる日へ穂絮飛ぶ   三浦文子
黒崎岡田宮の境内に向野楠葉先生の句碑〈遠賀野の枯野を急ぐ蘆を刈る〉がある。
「帰らざる日へ穂絮飛ぶ」、誰の心の中にも先生の面影があらわれては消え、今も吟行に中国の旅に、淡いピンク色のシャツに舶来の背広で現れて来そうです。


     (自句)
別れ雪恋の女になりて舞ふ   美佐子
電話のベルが鳴る。
「東京の出版社からです。別れ雪の句大変すばらしいですので貴女の経歴を教えてください」と、長々と褒めそやす。
私の句をと不審に思いながら「その本は幾らですか」、「一冊七万円」。
そこで私の言葉「本は送らないで」




友定栄子

着物着て絵踏みせる図の教会史   新井美智子
キリスト教弾圧時代の一場面の図であろう。
天草に旅した時、二つの天主堂と資料館を訪れた。
棚の中に磨り減ったキリスト、マリアの踏絵が保存され、夕日に光って見えた。
この句を読み、逆に凜として絵踏みを受けつれけなかった人々の姿や強い信仰心を思い浮かべる事が出来たのである。


     (自句)
みすずの詩戸毎に吊られ町小春   栄子
幸薄く世を去ったみすずの詩を知り、とある日仙崎を訪ねた。
みすず通りには、古い家、店屋、門構えのある家など、やさしく楽しく清らかな詩が板切に書かれ吊されていた。
町のみすずを思う温かな気持に触れ、一つ一つ本で読んだのとは又異なった気持で味わうことの出来た小春の一日であった。




長尾澄子

足弱き夫を励まし初詣   松井倭枝
常々人の面倒をよく見、尊敬され、親しまれてこられた御主人が思わぬ病気に倒れられた時の奥さんの御心痛は如何ばかりだったことか。
献身的その介護ぶりには、感服しております。


     (自句)
身も心も介護に委ね菖蒲風呂   澄子
不注意から、右大腿部骨折、左膝関節の人工骨、座骨の罅と、度重なる手術に歩行困難となり、重ねて主人の急逝にあい、一人暮らしの不安と、不自由な其の折、リハビリと、在宅介護の援助を受けました。
リハビリには送迎車で車椅子ながら通い、在宅介護は買物、炊事、洗濯、掃除と手順よく、微に入り細に亘っての心配りに、安心と信頼感が生じ、今は只感謝の日々を送っております。




長田辰子

守礼門仰ぎくぐりて春惜しむ   植木きよ子
掲句は木の実特別作品「沖縄の旅」と題された中の一句である。
金婚をお祝いになって、ご主人と旅吟を楽しまれた。
華麗な守礼門の前で、民俗衣装のモデルと記念写真に仲睦まじく並ばれたことであろう。
「春惜しむ」の季語がお二人のお気持を象徴している。


     (自句)
珊瑚棲む海の濃淡南風吹く   辰子
前句に続き沖縄旅吟句である。
沖縄の最北端、辺戸岬へ向かうバスの中からの風景であるが、岩礁に上る白い波しぶきと相俟って青い海の色に違いのあるのを発見。
多分珊瑚と南国の太陽が織りなす、不思議な彩であろうと思って生まれた一句。




中村文子

妻寝せて夜食の粥を受験子と   河野頼人
卒業、入学試験の時期になると愛唱する一句です。
先生とお子様の睦まじいお姿を深く感じております。
学問の道にある先生とお子様とが心一つに大試験に対し、誰にも邪魔されずにすんなりと心一つになられる御様子を羨ましく思いました。
夜食のお粥をすすりお子様を一人占めされている先生の満足感、お子様のお父上に対する敬愛の笑顔を思い、受験期の親子の情愛をかみしめております。


     (自句)
病む夫にかるたのごとく賀状読む   文子
初めての病に臥してその立派な一生を終えました。
賀状を静かに聞きながら、過ぎし来し方が思い浮かんだことと思います。
上司、部下誰からも慕われ人望篤かった主人を心から尊敬致しております。
生涯、私の胸の中にすむ人が主人であったことを幸せと思います。
今は主人への鎮魂歌となりました。




西鳥羽香葉

最終講義に涙見せまじ冬木の芽   河野頼人
河野頼人先生が定年退官となり、三十有余年北九州大学において国文学の古代を専門に講義を持たれ、今日の講義を最後に教壇を去られること、誠に感慨無量のことと思う。
この日の先生の講義を聴くために出席された中に「木の実」の皆さんも大勢居られたことを「木の実」誌上で拝読した。
「涙見せまじ」、先生の御心境にしみじみと共感したことである。


     (自句)
母の日を待たずに逝きてしまひけり   香葉
〈生ある者必ず死す〉とは改めて取り上げるまでもない。
私は昭和十五年十二月五日、明治の元勲西園寺公望公爵国葬の日に結婚。
結婚生活五十有余年、平成十二年三月九日、妻は世を去る。
あと二ヶ月で母の日を迎える筈であった。
「木の実」平成十二年九月号に坂井愛子さんの「作品鑑賞」にこの句が掲載され、改めてその寂しさを感じたことである。




野崎みさこ

杵柄に覚え草笛子に負けず   河野頼人
はじめ「杵柄」がピンと来ず、暫くして、はっと気付き、大きなお体の先生が、お孫さんに負けじと草笛に挑戦していらっしゃるお姿がとてもほほえましく、暫く一人で笑ってしまいました。
何時までもお元気で、「木の実」をお守り下さいます様、お願いいたします。


     (自句)
夏空の青湖の碧ロッキーに   みさこ
長年あこがれていたカナダへ。
七月のロッキー山脈。
三千米級の山々の頂上が峨々と氷に掩われその谷間は大氷原。
湖は底しれぬエメラルドに輝き、氷山の倒影が素晴らしい。
百聞は一見に如かず。
暫し息を呑む。
その他、街、建物、人、全部が素晴らしい。
永住したいというと、冬もあるよ、と一言。




埴生紅美子

土産とす久女の句碑の橡落葉   良永天鼓
この御句を拝読し、懐かしい思い出が一つ。
私、初学の頃英彦山吟行に参加、楠葉先生が橡落葉二枚を手に確しかと、にこやかに下山バスに御乗車になった日の事を、〈橡落葉二枚を確と下山の師〉としたことを思い出しました。


     (自句)
夫と打ちし生コンの坂墓参   紅美子
墓参の小道を補修せし頃の主人は、週二回の透析と水分、塩分に制限のある日々で、その当日は日中の暑さに堪えきれず、コップ一杯の清水を飲み干し、ああ旨かったと上機嫌、その内作業も終了。
その二年後突然の脳出血で帰らぬ人となり、十七回忌も過ぎし今尚悔やむ事多し。




久留美智子

□珞の褪せていとしも享保雛   数住照子
秋の木屋瀬宿場祭の折、数住家を訪ね所蔵の古いお雛様を拝見しました。
伺いますと、母上の曾祖母様が、萩藩の毛利公の下で乳母をして上がられた関係で賜った内裏様だそうです。
二百年余りの歳月を経て、お召物も□珞の褪せては居りますが、気品のある容姿に見とれて居りました。


     (自句)
古りてなほ気品をとどめ享保雛   美智子
柳川のお花邸展示のお雛様を詠みました。




部屋美都子

春泥を練る子の靴を叱るまじ   河野頼人
お孫さんでしょうか、靴を汚し好奇心一杯のお子様を叱るまじと、優しさが伝わって来ます。
泥遊びの子供は泥だらけなどお構いなく、つい叱りたくもなり、あーあーと思いつつ見守っている。
そんな思いも何方も懐かしく、思い出させる句ではないでしょうか。


     (自句)
絶ゆるなき車をかはし夕蜻蛉   美都子
母がりの叔父の一周忌の帰り、一時間余り走り、山陽自動車道の車の流れに乗る。
群れ蜻蛉が絶ゆる事なく走る車をすいすいと交叉し、天空を舞う、折からの夕焼に蜻蛉の羽根が薄赤く染まり美しく輝いていた。
優しかった叔父を懐かしく想い、忘れられない一句です。




深堀晴香

「はい土産」拳ひらげ螢飛ぶ   大迫素翠
右の句は、私がこの句に出合うまで漠然と持っていた作句上の概念を一瞬にして吹き飛ばしてしまった。
「話言葉は失敗する」と決めて掛かっていたが、内容によってはこのように佳句が生まれる。
何の衒いもなく純な心で詠まれた句はそれだけで尊く、読み手の私は脱帽せざるを得ない。
保育士の作者なればこその一句である。


     (自句)
湖尻の芥にまぎれ濁り鮒   晴香
この句は河内貯水池吟行の折の作である。
河内は幼い頃より、遠足や花見、釣に野草採りなど馴れ親しんだ地であり、私にとって極限の状況にあっても、生きて行けるだけの知識を父から学んだ地でもある。
薬草の穴場から地質、水質に至るまで学んだが、最近は貯水池に渡来魚のブラックバスが殖えてあまり鮒を見なくなった。




渕上百合子

春泥の跳ねにも笑みて野の仏   長田辰子
古稀を機に何か支えになるものをと思い、黒崎句会に紹介して頂き、始めてみたものの錆びついた脳には無理かなと諦めかけていた矢先、此の句に出逢い仏様のようにはなれずとも自分なりに頑張ってみようと、考え直す機会を与えられた忘れられない一句です。


     (自句)
子を生さぬ姉の納骨赤とんぼ   百合子
唐突に姉の死を迎えた。
四十九日の法要を終え宇佐平野の小高い丘に納骨される。
稲穂を渡る風に先立つ姉にか、のこされた義兄にか赤とんぼが群れる。
香をたく義兄の姿に子供の居ない淋しさは隠しきれないが、趣味を生かした良き人生であって欲しいと願う。




古田好美

花柄の杖しかと突き初詣   数住照子
大先輩の数住さんの句を鑑賞批評する柄でもありませんが、若輩の私に何時も気軽にお声を掛けて下さり励ましを受けております。
赤い服がよくお似合いで「花柄の杖しかと突き」と悠々迫らざる中にも凜となさっていらっしゃる数住さんの人柄がよく表されていると思います。
吟行でお逢い出来ます事を楽しみにしております。


     (自句)
拍手に髪飾揺れ初詣   好美
宮地獄神社初詣吟行の折、同行していたSさんが「みんな同じ物を見ているのだからちょっと目線を変えて見たらいいよ」とおっしゃいました。
一緒に並んでお詣りしたけど見知らぬ振袖姿のお嬢さん、はっと思って出来たのが此の句。
主宰の選に入り、Sさん、アドバイスありがとうございました。




古谷正子

年の豆撒いて拾ひてひとりの夜   森中すみ子
独り暮らし、やっと二年目の私。
節分の日の自分の事を思い出し、共感を覚えました。
ひとりの夜は、淋しいけれど、俳句が私の心の支えです。
撒く人がなくても、独りで生きる姿を、この句から学びました。


     (自句)
ゆつたりと多摩川流れ桜東風   正子
春浅き日、在りし日の夫と歩いた多摩川の堤防、ゆったりと流れる川面をみつめながら、杖をついた病み上がりの夫の歩幅はとても覚束無いものでしたが、心地よい桜東風が夫のリハビリをはげましてくれました。
看護にあけくれた夫の在りし日の一こまが思い出されて、一句となりました。




三浦文子

夜の朧川より低き宿場町   数住照子
古いどっしりとした黒い旧家の続く町並は所々に白壁が浮き出し、昔の書体の看板が並び、それを照らす街灯も時代がかったデザインのものがうるんでぼうーっとしている。
明治、大正の頃のたたずまいはは更に遡って蜃気楼の様に昔の駕籠や商人、旅人、飛脚の行き来が浮かびさざめきさえも聞こえ、やがて闇に消えてゆく。
川の流れの音は最初からずっとまつわって情感を一層かき立てる。
宿場町に生まれ、育った照子さんならではの哀愁が句に溢れている。


     (自句)
麦青し高き背丈を風に見せ   文子
平成十二年四月釘抜地蔵吟行は、若葉の緑が吹き出る様な上天気で、風がやや強くまだ熟さないすらりとした麦が、吹く度にしなやかに髪の毛を櫛で分ける様にさっと分かれてなびいていました。
私はこの若々しく奔放な風景を句にしたいと思い、よく見ていると少女から大人になりかけた子のはっとする様な仕草や美しさにも似て、清潔でなまめかしいものも感じられ、どう表現したらよいか、苦心しました。
互選ではとられませんでしたが主宰に採っていただいたのがとても嬉しく、忘れ難い句になっています。




村岡籠月

書き添へし一言うれし賀状よむ   岩村美智子
年賀状を頂いて拝読はするが、内容はきまり切ったものばかりで、然も印刷であって甚だもの足りなく思う。
そこで私は原則として印刷の外に、一言御多幸、御健康をお祈りいたしますと書くことにしている。
句友には新年の句を添えて書き、やっと心が安まる思いがする。


     (自句)
夕刊の漫画を待ちて老いの秋   籠月
私が夕刊が来るのを待つのは、その日の重要事件ばかりではなく、漫画を読もうと思っているからである。
今年三月一杯で終わった朝日新聞の漫画「わがはい」は作者の名は忘れたが私の大好きな猫が主人公であった。
これが終わってからはもう夕刊を待たなくなった。




森田富美子

本堂の裏手は奈落石蕗あかり   浅野久美子
本堂の裏は切立った崖で石蕗の花がいっぱい咲いていて、ほの明るいというそのままの風景から、極楽、地獄という二つの世界を、奈落という惜辞によって暗示され、心象風景になったと思う。
「石蕗あかり」の季語が適切ですばらしい。
この句には一味違った気迫のようなものを感じている。


     (自句)
存分にみ仏にかけ石清水   富美子
六月二十一日周防阿彌陀寺吟行の句。
句会場になった開山堂の向かって右手に菩提樹。
その奥に露坐佛が並び、石清水が音を立てて流れており、それを柄杓で掬い存分にかけ、さぞ仏様も涼しくていらしたことでしょう。
開山堂は緋毛氈を敷き机無く、三方より山風が吹き吹け、如何にもお堂といった雰囲気で別天地でした。




山鹿喜朔

しろがねの湯気に竹の子茹で上る   数住照子
掲句は照子さんの平成十年六月号の作品である。
「しろがねの湯気」の惜辞が見事。
家庭の台所をこえたものを感ずる。
私の親戚の鯉と季節料理〈杣〉でもこの時季掘りたての筍を茹でる。
畑の豊かな山林、清らかな渓流、澄んだ空気の中、しろがねの湯気が竹林に消える、そんな調理場でなかろうか。


     (自句)
甲虫飼うて算数嫌ひです   喜朔
数住照子さんとは「木の実」での俳縁ばかりではない。
数学教師として、又、剣道で子供と接した思いが多い。
葡萄棚の施肥の中で育った甲虫を大事に飼っていた部員もいた。
木屋瀬宿場の生徒は純朴である。
お孫さんの数住洋子ちゃんも剣道部であった。
懐かしい。




山下桑丘

春愁のしだいに細字葉書書く   河野頼人
平成七年八月号〈蝉噪集〉中の主宰詠である。
近年、主宰からの来信の文字がことのほか小さく、読み辛く感じることがあった。
これも最近のご病気によるものと思い込んでいた。
しかしながらこの句に接し、その兆は既にこの当時からあり、「木の実」主宰のご心労が、並々ならぬものであることを改めて思い知らされた。


     (自句)
巻き納む師の句に秋を惜しみけり   桑丘
大切にしている茶掛がある。
楠葉先生の玉吟〈落葉さへ太古の朱色古墳みち〉をご染筆願い軸装にしたものである。
この句軸に対するとき、人師と仰いだ先生との数々の想出に、胸が塞がる。
中でも、ご逝去の直前に交した朝食にお召し上がりの焼藷の話など、今も懐かしく思い出され、忘れられない。
〈焼きいもの談義が終の別れとは  桑丘〉




力丸  智

特進の勲章空し敗戦忌   安部砂子
八月十五日の靖国神社参拝は、至極当然と思うも隣国の干渉がある。
一死を以て国難に殉じられた御主人に、二階級特進、金鵄勲章、靖国合祀の名誉だげでは作者の心は癒されまい。
この一句、数々の無念は伏せて、さらりと「特進の勲章空し」で表現されたこと、見事である。


     (自句)
父獲りし蝦蛄ぞなもしと宿夕餉   智
世情混沌の今、逆境の転勤は心の安らぎを失うものである。
有為転変の縮図である。
配所四国での反骨生活をいやした霊場巡りは特効薬だった。
掲句は、憔悴の遍路を慰安する土地人の顔施を表現したつもりである。
方言を句に用いること如何かとも思ったが、俳諧のおどけとして御寛容願った。