古代文学への誘い                              backindexnext

 


4.3 妻まぎ

 

(ここ)七媛女(ななをとめ)高佐(たかさ)士野(じの)遊行(あそ)べるに、佐士の二字は音を以ゐよ。伊須気(いすけ)余理(より)比売(ひめ)奸、其の中に在りき。(ここ)に大久米の命、其の伊須気余理比売を見て、歌を以ちて天皇(すめらみこと)(まを)しけらく、

  (やまと)の 高佐士野を 七行く 媛女(をとめ)ども 誰をし()かむ (記歌謡 15

とまをしき。爾に伊須気余理比売は、其の媛女(をとめども)等の(さき)に立てりき。乃ち天皇、其の媛女等を見したまひて、御心に伊須気余理比売の最前(いやさき)に立てるを知らして、歌を以ちて答曰(こた)へたまひしく、

  かつがつも いや先立(さきだ)てる ()をし枕かむ  (記歌謡 16

とこたへたまひき。爾に大久米の命、天皇の(みこと)を以ちて、其の伊須気余理比売に()りし時、其の大久米の命の()ける利目(とめ)を見て、(あや)しと思ひて歌曰(うた)ひけらく、

  ()()()鶺鴒() 千鳥(ちどり)ま(しとと) など()ける利目(とめ)  (記歌謡17

とうたひき。爾に大久米の命、答へて歌曰(うた)ひけらく、

  媛女(をとめ)に (ただ)()はむと 我が黥ける利目  (記歌謡18

とうたひき。故、其の嬢子(をとめ)、「仕へ奉らむ。」と白しき。

  神武天皇が伊須気余理比売を娶った時の高佐士野の妻まぎ(求め)伝承と呼ばれているものです。高佐士野という場所で大久米の命が神武天皇に尋ねます。

  「大和の高佐士野を七人の処女が歩いているが、誰と共寝をしますか。」

  「そうだなあ。一番先頭を歩いているあの女にしよう」

  そこで、大久米命は、先頭を歩いていた伊須気余理比売に天皇の言葉を伝えます。しかし大久米命は目に入れ墨をしていたので、

  「あの鳥たちのようにお前の目はどうして入れ墨が入っているのですか」

  と彼女は聞きます。

  「あなた様に直接会おうとして、自分は入れ墨を入れているのですよ」

  と大久米は歌います。

  「なるほど、それでは天皇のご命令のままに従いましょう」

  と伊須気余理比売は承諾します。

 

  わかったようなわからない問答ですが、一種の難題形式の許婚と考えられます。実際にも野遊びの時にこのような歌問答がなされていたのでしょう。男が大勢の女から結婚相手を見つけるときに、歌で問いかけて、女から質問を投げかけられます。その質問に答えないと承諾してもらえません。こんな問答を経てはじめて男は女に受け入れてもらえるのです。後世、これが物語の構成などに取り込まれて、竹取物語を代表とする難題婿譚の形式に展開していきます。

 


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