万葉集 巻第1

#[番号]01/0001
#[題詞]雜歌 / 泊瀬朝倉宮御宇天皇代 [<大>泊瀬稚武天皇] / 天皇御製歌
#[原文]籠毛與 美籠母乳 布久思毛與 美夫君志持 此岳尓 菜採須兒 家吉閑名 告<紗>根 虚見津 山跡乃國者 押奈戸手 吾許曽居 師<吉>名倍手 吾己曽座 我<許>背齒 告目 家呼毛名雄母
#[訓読]籠もよ み籠持ち 堀串もよ み堀串持ち この岡に 菜摘ます子 家聞かな 告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ 我れこそば 告らめ 家をも名をも
#[仮名],こもよ,みこもち,ふくしもよ,みぶくしもち,このをかに,なつますこ,いへきかな,のらさね,そらみつ,やまとのくには,おしなべて,われこそをれ,しきなべて,われこそませ,われこそば,のらめ,いへをもなをも
#[左注]
#[校異]雑歌 [元][紀] <> / 太 -> 大 [紀][冷][文] / 吉 [玉小琴](塙)(楓) 告 /沙 -> 紗 [元][類][冷] / 告 -> 吉 [玉小琴] / 許者 -> 許 [元][類][古]
#[鄣W],雑歌,作者:雄略天皇,朝倉宮,野遊び,演劇,妻問い,予祝,枕詞,地名,奈良
#[訓異]
#[大意]籠はまあ、よいお籠を持って、掘串もまあ、よい掘串を持って、この丘で菜草をお摘みになっているお嬢さん。家を尋ねましょう。おっしゃってくださいよ。この大和の国は総じて自分こそいます。広く見て私こそがいらっしゃいます。(あなたがおっしゃらないのならば)自分こそは言いましょう。家をも名をも。
#[語釈]
「雑歌」 相聞、挽歌以外の歌。何らかの宮廷行事において歌われたもの。名称は文選「雑詩」「雑歌」を典拠としているか。
「泊瀬朝倉宮」桜井市岩坂、黒崎あたり。脇本遺跡も候補地となる。雄略天皇の宮。
「御宇」「御」治める。統べる。(正韻)「御、統也」。「宇」居所。国土。地域。
「天皇」(曲江集"初唐、張九齢")天平五年丹比広成渡唐勅日本国王書「勅日本国王 主明楽美御徳(スメラミコト)」
「大泊瀬稚武天皇」第二十一代雄略天皇
「籠」竹で編んだカゴ。(和名抄)「籠 竹器也」 旧訓「カタマ」
「も」「よ」詠嘆の終助詞。
「鋤」土を掘る道具。
「家吉閑名 告紗根」 旧訓「イヘキカナ ツゲサネ」 (代匠記・精選本)「イヘキケ ナノラサネ」 (注釈)「イヘノラセ 「閑」本来門を木でさえぎる意。馬柵を「マセ」と訓むので、「セ」と訓み得る。」
(自考)用字の異同がない。誤字説は避ける。「閑」一字は「カ」の仮名に見るのが自然。「カナ」「セ」「カン」とも訓めない。「聞く」が「尋ねる」意は、平安朝の用例であり、この期のものはないが例外とする。
「そらみつ」大和の枕詞。土地を讃めた意。意味は未詳。(神武紀元年)
「押しなべて」押し靡かせて。総じて。すべて。
「吾許曽居 師<吉>名倍手」 旧訓「ワレコソヲラシツゲナヘテ」。(玉小琴)「告」は「吉」の誤り。総じて
「我<許>背齒」(諸注)「ワレニコソハ」 (自考)自分が先に名乗る意。
#[説明]中国の「雑歌」は、詠む対象、方法が一つの目的にかかわらず物に従って詠んだ歌。機能や性格は異なる。
本来野遊び歌であったこの歌は、やがて宮廷の知る所となり、宮廷歌謡として受け取られるようになる。そして古代の英雄であり、歌の天子としてのイメ-ジのある雄略の歌として解釈されるようになる。この時点で、この歌は天皇の妻問い歌という理解になったと考えられる。この野遊び歌が雄略という古代の英雄が作者になるということは、あながち偶然ではないであろう。それは第九句目からの「そらみつ 大和の国は おしなべて 我れこそ居れ しきなべて 我れこそ座せ」という部分が、支配者の詞としての意味を持っているからである。本来は大和に住んでいるということを強調する言葉であろうが、王者の言葉として再解釈される要素を含み持っている。雄略天皇の歌となったこの歌は、その作者とともに極めて重んぜられる歌へと変身していく。おそらく宮廷の薬狩りのようなときに歌われたのであろう。そして万葉集編纂時に、君臣和楽を示す歌として、巻頭というもっとも重要な位置に、春の予祝をこめためでたい歌という性格も込めて飾られていったと考えられる。
#[関連論文]


#[番号]01/0002
#[題詞]高市岡本宮御宇天皇代 [息長足日廣額天皇] / 天皇登香具山望國之時御製歌
#[原文]山常庭 村山有等 取與呂布 天乃香具山 騰立 國見乎為者 國原波 煙立龍 海原波 加萬目立多都 怜𪫧國曽 蜻嶋 八間跡能國者
#[訓読]大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ 海原は 鴎立ち立つ うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
#[仮名],やまとには,むらやまあれど,とりよろふ,あめのかぐやま,のぼりたち,くにみをすれば,くにはらは,けぶりたちたつ,うなはらは,かまめたちたつ,うましくにぞ,あきづしま,やまとのくには
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:舒明天皇,飛鳥,国見,予祝,枕詞,地名,動物,奈良,土地讃美,寿歌
#[訓異]
#[大意]大和には多くの山々があるが、とりわけ美しく形が取り備わっている天の香具山に登り立って国見をすると、国原には煙が立ち登っている。海原には鴎が飛びまわっている。立派な国であるぞ。蜻蛉島の大和の国は。
#{語釈]
「高市岡本宮」舒明・斉明天皇の皇居。舒明紀二年十月、天武紀元年九月。位置関係として淨御原宮の北に岡本宮が存在。飛鳥雷丘付近か。
「息長足日廣額天皇」第34代舒明天皇。田村皇子。
「香具山」(伊予国風土記逸文)天から降った山。途中二つに分かれ一方は伊予の天山になる。神代、神武紀など聖山として登場。祭りの場であったか。。飛鳥東方の山。カグは、カガ(耀)と関連があるか。光カガヤク所。特殊な霊力を持った聖域。
「望国」歌中に「国見」。春先、族長が五穀豊穣を願って統治する国土を見る儀式。見る行為は、言葉を出して讃める。言霊信仰に基づく春の予祝儀礼。
%[語彙]「群山あれど」多くのものに対して一つのものを選択し限定する物ぼめの形式。国見歌の発想。-> 01/0036
「とりよろふ」「とり」は接頭語。「よそふ」は装ふと同根。神霊が憑る。
香具山を賞美した語。とりわけ美しく装っている意。
「登り立ち」単なる作者の行動を示すだけでなく、祭礼の行動として身を浄めて厳めしく立つことを表す。
「国原」大和平野
「煙」炊煙。または平野に立ちこめる霊気。国土を表す代表としての煙。大地の生命力のみなぎるもの。
「海原」香具山麓の埴安池。または「国原」と対になった幻視。国見儀礼における国土描写の幻視と見ると、王者の統治する国土と対としての海を配する。
「鴎」内陸に入るユリカモメの類か。海を表す代表としての鴎。海の生命。属目景物の描写というよりは、地霊、水霊の活動する幻視の風景。
「うまし国」佳い意味。ウマ酒。ウマ飯のような用例。
「蜻蛉島」神武紀元年
蜻蛉は、豊穣を予祝する昆虫。蜻蛉島は、秋の稔り豊かな島という讃め詞。
#[説明]「国見歌」仁徳記紀
#[関連論文]


#[番号]01/0003
#[題詞]天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌
#[原文]八隅知之 我大王乃 朝庭 取撫賜 夕庭 伊縁立之 御執乃 梓弓之 奈加弭乃 音為奈利 朝猟尓 今立須良思 暮猟尓 今他田渚良之 御執<能> <梓>弓之 奈加弭乃 音為奈里
#[訓読]やすみしし 我が大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり 朝猟に 今立たすらし 夕猟に 今立たすらし み執らしの 梓の弓の 中弭の 音すなり
#[仮名],やすみしし,わがおほきみの,あしたには,とりなでたまひ,ゆふへには,いよりたたしし,みとらしの,あづさのゆみの,なかはずの,おとすなり,あさがりに,いまたたすらし,ゆふがりに,いまたたすらし,みとらしの,あづさのゆみの,なかはずの,おとすなり
#[左注]
#[校異]梓能 -> 能梓 [元]
#[鄣W],雑歌,作者:中皇命:間人老,五条市,代作,弓讃め,狩猟,宴席,地名,枕詞,寿歌
#[訓異]
#[大意]やすみしし吾が大君が、朝に手を取って愛撫され、夕方には傍らに寄り立たれたご愛用の梓の弓の中弭の音が聞こえる。朝狩りに今お立ちになるらしい。夕方の狩りに今お立ちになるらしい。ご愛用の梓の弓の中弭の音が聞こえる。
#[語釈]
内野之時  奈良県五條市宇智
中皇命  10番歌。神と天皇の中を取り持つ役割の意 中大兄妹、間人皇女か。
間人老  孝徳紀百雉四年(654)遣唐使判官 中臣間人連老か。
「やすみしし」八隅知之、八方をあまねくお治めになる意。八紘一宇。他に「安見知之」の書例。これだと、安らかに天下を統治する意。表記には天武以降の再解釈が加わっていると思われる。原義不明。
「我が大君」舒明天皇。
「い寄り立たしし」朝夕いつも思いをかけ、側にいる。弓讃めの詞章。
「梓の弓」ミヅメまたはヨグソミネバリという弾力のある木で作られたと思われる丸木弓。(東大寺献物帳)梓御弓八十四張。六尺から八尺の長さ。
「中弭」(自考)弓弦の中央の部分に作る中仕掛けであろう。正倉院残欠の弦や弓射法などによる。「ハヅ」弦と弓、矢が接し、くい合う部分という意味か。
(諸注)「長弭」末弭の長い物。正倉院弾弓などに認められる。「奈留弭」「奈利弭」「奈呂弭」誤字説。鈴などをつけた弭。「加奈弭(転倒)」金弭。(正倉院献物帳)一張。長七尺二寸七分。鹿毛梁。末弭継銅。付箋、名金弭。古墳出土例にも存在する。
(自考)誤字説や転倒説は現存本書写以前の誤写と見なければならない。「中弭の音」とは、鞆の音のことであろう。弓讃めの主題として弓の側から表現した。
「音すなり」伝聞、推定。終止形接続。聞こえてくる。
「朝猟、夕猟」対句にして終日の狩りの様子を歌う象徴表現。
「立つ」狩りを始める意。
#[説明]時制が問題となる。歌の描写時刻が朝、夕の弓の愛撫、朝夕の狩りとなっているからである。しかしこれは、朝夕で一日を示し、弓に帰結していく表現と見ればよいであろう。つまり、朝夕(一日中愛用される)弓(儀礼的表現であり、弓讃め)の中弭の音が聞こえるという表現によって、朝夕(一日中)の狩りに今立つと想像することにより、一日の狩りの様子を示しているということである。一首の中心は大君の弓讃めから始まる狩猟への予祝を目的としたものであり、実景描写とは異なる。
#[関連論文]


#[番号]01/0004
#[題詞](天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老獻歌)反歌
#[原文]玉尅春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
#[訓読]たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野
#[仮名],たまきはる,うちのおほのに,うまなめて,あさふますらむ,そのくさふかの
#[左注]
#[校異]尅 (塙)(楓) 剋
#[鄣W],雑歌,作者:中皇命:間人老,五条市,代作,弓讃め,狩猟,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]たまきはる宇智の広い野原に馬を並べて、(大君が)朝にお踏み立ちになるその草深い野原よ。
#[語釈]
「反歌」一、長歌の内容不足を補ったもの。二、長歌の内容をまとめたもの。詩賦の反辞、乱に該当するもの。
「たまきはる」魂がみなぎる内の意か。
#[説明]全体的に。作者(献者)の位置。狩りの現場から離れた所(都、幕舎)であろう。また誦詠の場は一日の遊猟を終えた獲物を食する宴か。
#[関連論文]


#[番号]01/0005
#[題詞]幸讃岐國安益郡之時軍王見山作歌
#[原文]霞立 長春日乃 晩家流 和豆肝之良受 村肝乃 心乎痛見 奴要子鳥 卜歎居者 珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃 獨<座> 吾衣手尓 朝夕尓 還比奴礼婆 大夫登 念有我母 草枕 客尓之有者 思遣 鶴寸乎白土 網能浦之 海處女等之 焼塩乃 念曽所焼 吾下情
#[訓読]霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの 心を痛み ぬえこ鳥 うら泣け居れば 玉たすき 懸けのよろしく 遠つ神 我が大君の 行幸の 山越す風の ひとり居る 我が衣手に 朝夕に 返らひぬれば 大夫と 思へる我れも 草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の 思ひぞ焼くる 我が下心
#[仮名],かすみたつ,ながきはるひの,くれにける,わづきもしらず,むらきもの,こころをいたみ,ぬえこどり,うらなけをれば,たまたすき,かけのよろしく,とほつかみ,わがおほきみの,いでましの,やまこすかぜの,ひとりをる,わがころもでに,あさよひに,かへらひぬれば,ますらをと,おもへるわれも,くさまくら,たびにしあれば,おもひやる,たづきをしらに,あみのうらの,あまをとめらが,やくしほの,おもひぞやくる,わがしたごころ
#[左注](右檢日本書紀 無幸於讃岐國 亦軍王未詳也 但山上憶良大夫類聚歌林曰 記曰 天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸于伊<与>温湯宮[云々] 一<書> 是時 宮前在二樹木 此之二樹斑鳩比米二鳥大集 時勅多挂稲穂而養之 乃作歌[云々] 若疑従此便幸之歟)
#[校異]懸 [元][類][紀] 縣 / 居 -> 座 [元][類][古]
#[鄣W],雑歌,作者:軍王,望郷,香川,行幸,羈旅,大夫,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]霞の立つ長い春の日も暮れてしまった様子も知らないで、むらきもの心が痛いので、ぬえこ鳥のようにひそかに嘆いていると、玉たすきのように言葉に懸けるのもよい遠い神であるわが大君の行幸の山を越してくる風が独りでいる我が衣手に朝夕何度も翻ってしまうので、その帰るということに勇ましい男だと思っていた自分も草枕旅の途中であるので、思いをかける方法も知らないで、網の浦の海人処女たちが焼く塩のように思いを焼いている自分の深く秘めた思いであることよ。
#[語釈]
「讃岐国安益郡」香川県綾歌(あやうた)郡東部。坂出市西部。
「幸」紀に行幸記事は見当たらない。左注から舒明十一年十二月伊予行幸の折に立ち寄ったか。
「軍王」正史に見えない。一般には軍王という人。(天皇より五世の孫)。
(全註釈)軍王は固有名詞ではなく、大将軍の意か。(青木和夫)「王」は百済国王の呼称である。「コニ->コン(大)キシ(君主)」と訓み、百済皇子の豊璋。(全集)百済系のもと王族の帰化人。(稲岡耕二)豊璋の子孫か。
「霞立つ」春の枕詞的な修辞。
「わづき」他例がない。(代初)12/2940「わき」を「わづき」とも言った。区別の意。夜昼の区別。(玉小琴)「和」は、「多」の誤り。(古典全集)両者混ざった意か。(自考)誤字と見なくとも「たづき」の意か。状態。様子。
「むらきもの」群肝。臓腑。心の枕詞。
「ぬえこ鳥」ぬえ鳥。05/0892と同じ。夜鳴くとらつぐみ。悲しそうに鳴くところから「泣く」の枕詞。
「うら泣け居れば」ウラは、ウラカナシなどのように心、表面に表れない意。
ナゲキ[元][紀](講義)。ナキ[西]四段活連用。10/1997など。ナケ[附]下二段活連用。17/3978など。心で嘆いていると(泣いていると)。
「玉たすき」肩にかけるので「懸け」の枕詞。
「懸けのよろしく」言葉にかけるのもこころよく。
「遠つ神」(代初)天皇の凡人の境界に遠いので。(全註釈)過去に出現して今は神となられた方。(全注)遠い昔の天つ神のような。天つ神の血筋を受ける天皇を尊ぶ。(自考)ここでいう大君は過去の天皇の意になり、行幸はこの作の時のものでないことになる。
「山越す風の」「返らひぬれば」の主語。
「返らひぬれば」「ひ」反復継続「ふ」連用形。何度も翻る。「帰る」という望郷の念を示す。
「大夫」人並みすぐれた立派な男子。「たわやめ」の対。めめしい行為と取るべきでない。
「たづき」たどき。手がかり。状態。方法。
「知らに」「に」打ち消し助動連用。
「網の浦」香川県坂出市の海岸。
]「下心」底深く秘めた思い。
#[説明]01/0006に説明。
#[関連論文]


#[番号]01/0006
#[題詞](讃岐國安益郡之時軍王見山作歌)反歌
#[原文]山越乃 風乎時自見 寐<夜>不落 家在妹乎 懸而小竹櫃
#[訓読]山越しの風を時じみ寝る夜おちず家なる妹を懸けて偲ひつ
#[仮名],やまごしの,かぜをときじみ,ぬるよおちず,いへなるいもを,かけてしのひつ
#[左注]右檢日本書紀 無幸於讃岐國 亦軍王未詳也 但山上憶良大夫類聚歌林曰 記曰 天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午幸于伊<与>温湯宮[云々] 一<書> 是時 宮前在二樹木 此之二樹斑鳩比米二鳥大集 時勅多挂稲穂而養之 乃作歌[云々] 若疑従此便幸之歟
#[校異]<> -> 夜 [西(右書)][元][類][冷] / 豫 -> 与 [元][類][古] / 書云 -> 書 [元][類][紀] / 乃 [元][紀] 仍
#[鄣W],雑歌,作者:軍王,望郷,香川,行幸,羈旅,大夫,地名
#[訓異]
#[大意]山を越す風が時ならないので、毎夜寝る毎に家にいる妹を心にかけて思い慕うことだ
#{語釈]
時じみ 時じし 形容詞と同様の一形 時ならない その時でない意
寝る夜落ちず 寝る夜は一夜も欠けることなく 毎晩
懸けて 口にかけて言う 心にかける
偲ひつ シノフ 「ノ」甲類 ハ行四段活 賞美する 連用形
思い慕う 「ヒ」甲類
CF シノブ 「ノ」乙類 ハ行上二段 耐える こらえる 連用形「ビ」乙類
左注
右日本書紀を檢ずるに、讃岐國に幸すこと無し。亦た軍王も未詳なり。但し山上憶良大夫の類聚歌林に曰く、記に曰く、天皇十一年己亥冬十二月己巳朔壬午、伊与温湯宮に幸す[云々。一書に是の時に宮の前に二樹木在り。此の二樹に斑鳩と比米の二鳥大いに集まる。時に勅して多くの稲穂を挂けて養ふ。乃ち歌を作る[云々]。若し疑ふらくは此より便ち幸せるか。

山上憶良 大宝元年 遣唐少録として渡唐
和銅五年 従五位下 東宮侍講
神亀三年頃 筑前守
天平五年 没 七十四才
類聚歌林 養老五年 東宮侍講時代の編纂か
万葉集左注者の参考書として登場する 九カ所
正倉院文書 歌林七巻(現在は散逸)とあるのはこれのことか。
冬十二月己巳朔壬午 14日
斑鳩 比米 スズメ科の小鳥 この記事は八番歌で後述。

#[説明]
旅中の故郷の妹への思い 羈旅歌の性格
長歌の新しさ
遠つ神 天皇を神に関連してとらえる見方は白鳳期以後
大夫 濃厚な官人意識 大夫という表記は人麻呂以降
「霞立つ 長き春日」「たまだすき 懸け」「ぬえこ鳥 うら泣け居れば」「焼く塩の 思ひぞ焼くる 」 人麻呂期またはそれ以後の文学性----口誦的でない
作者軍王は、渡来系の王族の子孫か。王をコンキシ。余豊章とも推定されている。
題詞「見山」は、歌句からつけられたもの。題詞は後につけられた。

#[関連論文]


#[番号]01/0007
#[題詞]明日香川原宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇] / 額田王歌 [未詳]
#[原文]金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
#[訓読]秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治の宮処の仮廬し思ほゆ
#[仮名],あきののの,みくさかりふき,やどれりし,うぢのみやこの,かりいほしおもほゆ
#[左注]右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 一書戊申年幸比良宮大御歌 但紀曰 五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 三月戊寅朔天皇幸吉野宮而肆宴焉 庚辰日天皇幸近江之平浦
#[校異]辰 [元][冷] 辰ム
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,京都,回想,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]秋の野のみ草を苅って葺いて宿とした宇治の行宮の仮庵が思われてならない。
#{語釈]
明日香川原宮御宇天皇 斉明天皇
秋 原文「金」五行思想の書式

右、山上憶良大夫の類聚歌林を檢ずるに曰く、一書に戊申の年比良宮に幸ましし大御歌なり。但し紀に曰く、五年春正月己卯朔辛巳、天皇紀温湯より至る。三月戊寅朔、天皇吉野宮に幸して肆宴す。 庚辰の日、天皇近江の平の浦に幸すといへり。

戊申の年  孝徳大化四年
比良宮   近江舞子の南、琵琶湖西岸 紀に見られない。
五年    皇極治世は四年 四年六月 入鹿斬殺
      五年 孝徳大化二年 行好記事がない。
      ただし、日本書紀 斉明五年平浦行幸
己卯朔辛巳  三日
庚辰の日   三日

額田王  鏡王の娘か。懐風藻 十市皇女娘葛野王大宝元年三七歳
     18歳ぐらいで生んだとすると、大化4年18~9歳ぐらい。
     宮廷での立場は不明。天智天皇の夫人とも言えない。

#[説明]
左注の意味 額田王が代作した。次の歌も同じ。額田王は御言持ち歌人としての役割があると見られている。


時代一つ覚え
皇極 大化の改新
孝徳 難波京
斉明 皇極重祖 朝鮮出兵
天智 近江朝 中大兄
天武 壬申の乱
持統 藤原京
文武 大宝律令
元明 奈良遷都
元正 
聖武  天平時代
孝謙 大仏開眼
淳仁 万葉集の終焉


#[関連論文]


#[番号]01/0008
#[題詞]後岡本宮御宇天皇代 [天豊財重日足姫天皇位後即位後岡本宮] / 額田王歌
#[原文]熟田津尓 船乗世武登 月待者 潮毛可奈比沼 今者許藝乞菜
#[訓読]熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな
#[仮名],にぎたつに,ふなのりせむと,つきまてば,しほもかなひぬ,いまはこぎいでな
#[左注]右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 飛鳥岡本宮御宇天皇元年己丑九年丁<酉>十二月己巳朔壬午天皇大后幸于伊豫湯宮 後岡本宮馭宇天皇七年辛酉春正月丁酉朔<壬>寅御船西征 始就于海路 庚戌御船泊于伊豫熟田津石湯行宮 天皇御覧昔日猶存之物 當時忽起感愛之情 所以因製歌詠為之哀傷也 即此歌者天皇御製焉 但額田王歌者別有四首
#[校異]即位 [元][冷][紀](塙) 即 / 酋 -> 酉 [元][冷][紀] / 丙 -> 壬 [西(右書)][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,道後温泉,愛媛,舟遊び,熟田津,代作,地名
#[訓異]
#[大意]
#{語釈]
後岡本宮御宇天皇代 斉明天皇
熟田津  愛媛県松山市和気町から堀江町あたりか。

右山上憶良大夫の類聚歌林を檢ずるに曰く、飛鳥岡本宮に御宇天皇の元年己丑の九年丁<酉>十二月己巳朔壬午、天皇大后伊豫湯宮に幸す。後岡本宮馭宇天皇の七年辛酉春正月丁酉朔<壬>寅、御船西征し、始めて海路に就く。庚戌、御船伊豫熟田津石湯行宮に泊まる。天皇昔日の猶し存(のこ)れる物を御覧(み)て、當(そ)の時に忽に感愛の情を起こす 所以に因りて歌詠(みうた)を製(つく)りて哀傷(筠なしび)たまふ。 即ち此の歌は天皇の御製ぞ。但し額田王の歌は別に四首有り。

己巳朔壬午  14日
伊豫湯宮  道後温泉
丁酉朔<壬>寅  6日
御船西征  難波津を出航
庚戌     14日
熟田津石湯行宮 松山市にその遺跡かと思われるものが発見されている。

#[説明]
天皇に代わっての出発の号令歌(壮行会のような肆宴)
戦勝祈願の船遊びでの歌か。

#[関連論文]



#[番号]01/0009
#[題詞]幸于紀温泉之時額田王作歌
#[原文]莫囂圓隣之大相七兄爪謁氣 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本
#[訓読]莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子がい立たせりけむ厳橿が本
#[仮名],*****,*******,わがせこが,いたたせりけむ,いつかしがもと
#[左注]
#[校異]謁 [元][類][紀] 湯
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,紀州,和歌山,難訓,厳橿,斎橿,植物
#[訓異]
#[大意]************、我が背子がお立ちになっていた神聖な橿の木のもとよ
#{語釈]
幸于紀温泉之時 斉明4年10月から5年1月までの牟呂湯行幸。
        この間に有間皇子事件が起きる。
莫囂圓隣 (ばくごうえんりん)歌と呼ばれ難訓
訓読一例  30種類以上の訓読
      万葉集註釈 莫囂(かまび)すしきことが莫しで、静まる
            圓(ま)隣(り)と訓める。
            しずまりし
            大相七兄爪 大相は卜に通じ、ウラと訓む
                    兄は見の謝り
                  爪(さう)は、「サ」の仮仮名
                  謁は湯の謝り。湯気で、湧くの戯書
             うらなみ騒ぐ
      万葉考  莫囂は静かなの意
           圓は国の誤り。静かな国である大和の隣の意味で紀伊国
           大相七兄爪 大きな姿であるから山
                 七兄爪は、七は古、爪は而の謝り。越えて
           紀の国の山越えて行け

我が背子  大海人皇子か。
厳橿が本  神聖な樫の木 神の憑依になる

#[説明]
神聖な橿の木の下に我が背子が立っている。
旅の途中に橿呪力を身に付けて旅の安全を願う儀式か。

#[関連論文]


#[番号]01/0010
#[題詞]中皇命徃于紀温泉之時御歌
#[原文]君之齒母 吾代毛所知哉 磐代乃 岡之草根乎 去来結手名
#[訓読]君が代も我が代も知るや岩代の岡の草根をいざ結びてな
#[仮名],きみがよも,わがよもしるや,いはしろの,をかのくさねを,いざむすびてな
#[左注](右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 天皇御製歌[云々])
#[校異]磐 [元][冷][古] 盤
#[鄣W],雑歌,作者:中皇命:間人皇女,紀州,和歌山,羈旅,異伝,手向け,植物
#[訓異]
#[大意]あなたの齢も自分の齢も領有している岩代の岡の草根をさあ結ぼうよ
#{語釈]
中皇命    3番歌と同じく間人皇女か。
于紀温泉之時 前歌と同じく斉明4年紀州行幸時か。
君が代    代は齢、運命の意味。竹の節と節との間をヨ。
       世の中の世は仏教語。
岩代 和歌山県日高郡南部町(現みなべ町)岩代
       有間皇子の結び松もある。

#[説明]
草を結ぶ 結ぶ呪力。草を結んで旅の安全を祈る
作者の異伝  3番歌と同じく代作か。

#[関連論文]


#[番号]01/0011
#[題詞](中皇命徃于紀温泉之時御歌)
#[原文]吾勢子波 借廬作良須 草無者 小松下乃 草乎苅核
#[訓読]我が背子は仮廬作らす草なくは小松が下の草を刈らさね
#[仮名],わがせこは,かりほつくらす,かやなくは,こまつがしたの,かやをからさね
#[左注](右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 天皇御製歌[云々])
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:中皇命:間人皇女,紀州,和歌山,異伝,羈旅,植物
#[訓異]
#[大意]我が背子は仮の庵を作っておられる。草がないのならばあの松の下の草をお苅りなさいよ
#{語釈]
我が背子 前の歌と同様、中大兄か。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0012
#[題詞](中皇命徃于紀温泉之時御歌)
#[原文]吾欲之 野嶋波見世追 底深伎 阿胡根能浦乃 珠曽不拾 [或頭云 吾欲 子嶋羽見遠]
#[訓読]我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ [或頭云 我が欲りし子島は見しを]
#[仮名],わがほりし,のしまはみせつ,そこふかき,あごねのうらの,たまぞひりはぬ,[わがほりし,こしまはみしを]
#[左注]右檢山上憶良大夫類聚歌林曰 天皇御製歌[云々]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:中皇命:間人皇女,紀州,和歌山,羈旅,異伝,魂触り
#[訓異]
#[大意]自分が見たいと望んでいた野島は見せてくれました。ただ阿胡根の浦の玉はまだ拾ってはいません。
#{語釈]
野島   和歌山県御坊市南部の島。淡路島にもあるので半島状に張り出した海岸
阿胡根の浦 野島付近か。未詳
異伝 子嶋 未詳。野島の訛りか。

#[説明]
道行き体で旅の景勝地を讃美している。

#[関連論文]


#[番号]01/0013
#[題詞]中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>
#[原文]高山波 雲根火雄男志等 耳梨與 相諍競伎 神代従 如此尓有良之 古昔母 然尓有許曽 虚蝉毛 嬬乎 相<挌>良思吉
#[訓読]香具山は 畝傍を愛しと 耳成と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき
#[仮名],かぐやまは,うねびををしと,みみなしと,あひあらそひき,かむよより,かくにあるらし,いにしへも,しかにあれこそ,うつせみも,つまを,あらそふらしき
#[左注]
#[校異]三山歌一首 -> 三山歌 [元][紀][古] / 格 -> 挌 [元][冷][文][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:中大兄:天智,三山歌,兵庫,妻争い,羈旅,地名,伝説
#[訓異]
#[大意]香具山は畝傍を愛しいとして耳成とともに争った。神代の昔からこのようであるらしい。昔もそのようであったのだ。現実も妻を争うらしい。
#{語釈]
中大兄三山歌  粗略な題詞。編纂整備前のものが残ったか。
三山  大和三山
を愛しと  雄々しいという訓みと、愛しとという訓がある。
    雄々しいだと、畝傍が男。香具山と耳成は女
    愛しだと、畝傍は女。他の二つは男
    二男一女が通例。三輪山付近から見ると畝傍が真ん中に見えるので、愛しの方か。
三山争いは、大和国風土記逸文

#[説明]
歌の意味
神代、いにしへ、うつせみの対比 風土記での話、額田王とのことかというのが通説。
ただ、倉山田石川麻呂の娘とのことも含まれるか。

#[関連論文]


#[番号]01/0014
#[題詞](中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌
#[原文]高山与 耳梨山与 相之時 立見尓来之 伊奈美國波良
#[訓読]香具山と耳成山と闘ひし時立ちて見に来し印南国原
#[仮名],かぐやまと,みみなしやまと,あひしとき,たちてみにこし,いなみくにはら
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:中大兄:天智,三山歌,兵庫,妻争い,羈旅,地名,伝説
#[訓異]
#[大意]香具山と耳成山と戦った時に立って見に来た印南国原よ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0015
#[題詞]((中大兄[近江宮御宇天皇]<三山歌>)反歌)
#[原文]渡津海乃 豊旗雲尓 伊理比<紗>之 今夜乃月夜 清明己曽
#[訓読]海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ
#[仮名],わたつみの,とよはたくもに,いりひさし,こよひのつくよ,さやけくありこそ
#[左注]右一首歌今案不似反歌也 但舊本以此歌載於反歌 故今猶載此次 亦紀曰 天豊財重日足姫天皇先四年乙巳立天皇為皇太子
#[校異]祢 -> 紗 [澤潟注釈] [元][類][冷] 弥
#[鄣W],雑歌,作者:中大兄:天智,三山歌,兵庫,妻争い,羈旅
#[訓異]
#[大意]ワタツミの豊旗雲に入り日が指している。今夜の月夜は清やかであって欲しい
#{語釈]
伊理比<紗>之  異訓 いりひみし
清明己曽  異訓 まさやかにこそ、すみあかくこそ、きよくてりこそ

#[説明]
新羅遠征の旅の途中での予祝歌

#[関連論文]


#[番号]01/0016
#[題詞]近江大津宮御宇天皇代 [天命開別天皇謚曰天智天皇] / 天皇詔内大臣藤原朝臣競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時額田王以歌判之歌
#[原文]冬木成 春去来者 不喧有之 鳥毛来鳴奴 不開有之 花毛佐家礼抒 山乎茂 入而毛不取 草深 執手母不見 秋山乃 木葉乎見而者 黄葉乎婆 取而曽思努布 青乎者 置而曽歎久 曽許之恨之 秋山吾者
#[訓読]冬こもり 春さり来れば 鳴かずありし 鳥も来鳴きぬ 咲かずありし 花も咲けれど 山を茂み 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてぞ偲ふ 青きをば 置きてぞ嘆く そこし恨めし 秋山吾は
#[仮名],ふゆこもり,はるさりくれば,なかずありし,とりもきなきぬ,さかずありし,はなもさけれど,やまをしみ,いりてもとらず,くさふかみ,とりてもみず,あきやまの,このはをみては,もみちをば,とりてぞしのふ,あをきをば,おきてぞなげく,そこしうらめし,あきやまわれは
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,近江朝,大津,春秋優劣,植物,枕詞,宮廷
#[訓異]
#[大意]冬が隠って春がやってくると鳴かないでいた鳥もやって来て鳴く。咲かないでいた花も咲くが、山が繁っているので入っても取らない。草が深いので手に取っても見ない。。秋山の木の葉を見ては色づいている葉は手に取って賞美する。青いのは置いて嘆く。そこが恨めしいことだ。秋の山は自分は。

#{語釈]
近江大津宮御宇天皇代  天智天皇
内大臣藤原朝臣  藤原鎌足
競憐春山萬花之艶秋山千葉之彩時  いわゆる春秋優劣歌
額田王以歌判之歌  近江朝サロンの漢詩の会の中で歌でもって判じた

そこし恨めし 秋山吾は  青い葉を置いて嘆くことが恨めしいのだ。秋山は自分は。だから春がいい 
というのか、
春は花鳥がにぎやかだ。しかし草深くなって手に取ることができない。秋は紅葉がきれいだが青いのは嘆く。そこが恨めしい。秋は。
で、春秋は長短があってどちらとも決めかねるというのか不明。

#[説明]

漢詩と和歌。一つおぼえ
漢詩 近江朝、長屋王、藤原仲麻呂
和歌 天武、藤原朝、天平期

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#[番号]01/0017
#[題詞]額田王下近江國時<作>歌井戸王即和歌
#[原文]味酒 三輪乃山 青丹吉 奈良能山乃 山際 伊隠萬代 道隈 伊積流萬代尓 委曲毛 見管行武雄 數々毛 見放武八萬雄 情無 雲乃 隠障倍之也
#[訓読]味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや
#[仮名],うまさけ,みわのやま,あをによし,ならのやまの,やまのまに,いかくるまで,みちのくま,いつもるまでに,つばらにも,みつつゆかむを,しばしばも,みさけむやまを,こころなく,くもの,かくさふべしや
#[左注](右二首歌山上憶良大夫類聚歌林曰 遷都近江國時 御覧三輪山御歌焉 日本書紀曰 六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷都于近江)
#[校異]<> -> 作 [元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,天智,代作,三輪山,鎮魂,国魂,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]
うま酒三輪の山よ。あをによし奈良の山の山の間に隠れるまで、道の曲がり角が多くなるまでに詳しく見続けて行こうものなのに。何度も振り返り見ようと思う山なのに。心なく雲が隠してよいものだろうか。

#{語釈]
味酒      少彦名の歌謡
三輪の山    三輪式神婚説話  大物主を祀る
        大和の国魂としてある山

あをによし   青丹がよい  顔料となる土が取れる
奈良の山の   奈良市北方の奈良山  ツーとは3つある。平城越えか奈良坂越え
つばらにも   委曲を尽くす  十分に
六年丙寅   現存日本書紀 丁卯
辛酉朔己卯  19日
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0018
#[題詞](額田王下近江國時<作>歌井戸王即和歌)反歌
#[原文]三輪山乎 然毛隠賀 雲谷裳 情有南畝 可苦佐布倍思哉
#[訓読]三輪山をしかも隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや
#[仮名],みわやまを,しかもかくすか,くもだにも,こころあらなも,かくさふべしや
#[左注]右二首歌山上憶良大夫類聚歌林曰 遷都近江國時 御覧三輪山御歌焉 日本書紀曰 六年丙寅春三月辛酉朔己卯遷都于近江
#[校異]畝 [類] 武
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,天智,代作,三輪山,鎮魂,国魂,地名
#[訓異]
#[大意]三輪山をそんなにも隠すのか。雲だけでも心があって欲しい。隠してよいものだろうか
#{語釈]
雲だにも  大和を離れなければならない非情を言う。
御覧三輪山御歌焉 天智天皇御製である  額田王は代作しているか。
      これらの詞章は、集団の代弁。

#[説明]
天皇の意志で大和を出るにもかかわらず、非情として大和に愛着を残す形になっているのは、政治性と霧は成られた大和の国鎮めに基づくものか。

#[関連論文]


#[番号]01/0019
#[題詞]((額田王下近江國時<作>歌井戸王即和歌)反歌)
#[原文]綜麻形乃 林始乃 狭野榛能 衣尓著成 目尓都久和我勢
#[訓読]綜麻形の林のさきのさ野榛の衣に付くなす目につく吾が背
#[仮名],へそかたの,はやしのさきの,さのはりの,きぬにつくなす,めにつくわがせ
#[左注]右一首歌今案不似和歌 但舊本載于此次 故以猶載焉
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:井戸王,三輪山,和歌,古歌,植物,枕詞
#[訓異]
#[大意]綜麻形の林の先端の野の蓁の木が衣を染めて着くように目につく吾が背であることだ
#{語釈]
井戸王 伝未詳
綜麻形の林  三輪山のこと。三輪式神婚説話
       綜麻は、紡緒(うみお)のこと
       麻糸を丸く巻いた(麻)形をしたもので、三輪山のこと
       三輪山のことをわざわざ綜麻形と言ったのは、染色に関係して織物と関係づけたか。また井戸王は女性であるので、神婚の巫女を想定している。
さ野蓁  ハンの木の野 三輪山の麓が蓁原だったか。
       煮汁を染料にする。

目につく  目立っている 輝いている  讃美表現になる

#[説明]
三輪の祭神、大物主を詠んだ古歌を転用した(伊藤博)
吾が背は、天智天皇を指しており、天皇讃美の歌
古歌の転用でないにしても、三輪山神婚説話を想起して女性の立場から織物に関係する詞を序詞として天皇讃美を行った歌

#[関連論文]


#[番号]01/0020
#[題詞]天皇遊猟蒲生野時額田王作歌
#[原文]茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流
#[訓読]あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る
#[仮名],あかねさす,むらさきのゆき,しめのゆき,のもりはみずや,きみがそでふる
#[左注](紀曰 天皇七年丁卯夏五月五日縦猟於蒲生野 于時<大>皇弟諸王内臣及群臣 皆悉従焉)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:額田王,滋賀,野遊び,求婚,宴席,枕詞,植物
#[訓異]
#[大意]あかねっす紫草の野を行き、立ち入り禁止の野を行き、野の見張りは見ないでしょうか。あなたが袖を振るのを
#{語釈]
遊猟  左注 天皇七年丁卯夏五月五日 現存日本書紀 戊辰
    薬猟
蒲生野  滋賀県近江八幡市あたり
紫野  紫草を栽培している野
標野  紫は禁色なので、立ち入り禁止になっている野
野守り 野の番人 暗に天智天皇を言う
袖振る  求愛する動作

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0021
#[題詞](天皇遊猟蒲生野時額田王作歌)皇太子答御歌 [明日香宮御宇天皇謚曰天武天皇]
#[原文]紫草能 尓保敝類妹乎 尓苦久有者 人嬬故尓 吾戀目八方
#[訓読]紫のにほへる妹を憎くあらば人妻故に我れ恋ひめやも
#[仮名],むらさきの,にほへるいもを,にくくあらば,ひとづまゆゑに,われこひめやも
#[左注]紀曰 天皇七年丁卯夏五月五日縦猟於蒲生野 于時<大>皇弟諸王内臣及群臣 皆悉従焉
#[校異]天 -> 大 [元][冷][紀] / 皆悉 [元][冷] 悉皆
#[鄣W],雑歌,作者:大海人,天武,滋賀,野遊び,求婚,宴席,枕詞
#[訓異]
#[大意]紫のように照り輝いている妹がいやだと思うのならば人妻だからと言って自分は恋い思うということがあろうか
#{語釈]
皇太子、 編纂時点での呼称
<大>皇弟 当時の呼称

#[説明]
額田王をめぐる天智、大海人の妻争い 従来の解釈であり編纂時点でも意図している。
野遊びの歌垣の流れ。
額田王は一般的に野遊びの恋を言った。
大海人は、個人的なことを掛け合わせて答えた。

#[関連論文]


#[番号]01/0022
#[題詞]明日香清御原宮天皇代 [天渟中原瀛真人天皇謚曰天武天皇] / 十市皇女参赴於伊勢神宮時見波多横山巌吹芡刀自作歌
#[原文]河上乃 湯津盤村二 草武左受 常丹毛冀名 常處女煮手
#[訓読]川の上のゆつ岩群に草生さず常にもがもな常処女にて
#[仮名],かはのへの,ゆついはむらに,くさむさず,つねにもがもな,とこをとめにて
#[左注]吹芡刀自未詳也 但紀曰 天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥十市皇女阿閇皇女参赴於伊勢神宮
#[校異]盤 [文][温] 磐
#[鄣W],雑歌,作者:吹芡刀自,十市皇女,阿閇皇女,三重,予祝
#[訓異]
#[大意]川のほとりの神聖な岩場が草も生えていないように、永遠に変わらないであって欲しい。永遠の処女として。

#{語釈]
波多横山 三重県一志郡一志町 横に長い山
吹芡刀自 伝未詳
ゆつ岩群 岩座となるような神聖な岩
天皇四年乙亥春二月乙亥朔丁亥 十三日
阿閇皇女  天智天皇皇女 母は蘇我姪娘 草壁皇子の后。軽皇子の母 元明天皇
     この時 15歳。
参赴於伊勢神宮 斎宮に何らかの名代として派遣された。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0023
#[題詞]麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌
#[原文]打麻乎 麻續王 白水郎有哉 射等篭荷四間乃 珠藻苅麻須
#[訓読]打ち麻を麻続の王海人なれや伊良虞の島の玉藻刈ります
#[仮名],うちそを,をみのおほきみ,あまなれや,いらごのしまの,たまもかります
#[左注](右案日本紀曰 天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯三位麻續王有罪流于因幡 一子流伊豆嶋 一子流血鹿嶋也 是云配于伊勢國伊良虞嶋者 若疑後人縁歌辞而誤記乎)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:時人,麻続王,愛知,伝承,枕詞,地名,植物
#[訓異]
#[大意]打つ麻ではないが麻績王は海人なのだろうか。伊良湖の志摩の玉藻を苅って食べていらっしゃる。
#{語釈]
麻續王  伝未詳
流於伊勢國伊良虞嶋  愛知県渥美半島西端 三河国
天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯 天武4年4月18日 現存日本書紀 甲戌朔辛卯(18日)
麻續王有罪流于因幡 
血鹿嶋  五島列島  流罪の理由は不明

#[説明]
伝承の齟齬。常陸国風土記 行方郡 香澄里 板来村 麻績王を遣らひて居らしめし所なり
罪人へ仮託した歌

#[関連論文]


#[番号]01/0024
#[題詞](麻續王流於伊勢國伊良虞嶋之時人哀傷作歌)麻續王聞之感傷和歌
#[原文]空蝉之 命乎惜美 浪尓所濕 伊良虞能嶋之 玉藻苅食
#[訓読]うつせみの命を惜しみ波に濡れ伊良虞の島の玉藻刈り食む
#[仮名],うつせみの,いのちををしみ,なみにぬれ,いらごのしまの,たまもかりはむ
#[左注]右案日本紀曰 天皇四年乙亥夏四月戊戌朔乙卯三位麻續王有罪流于因幡 一子流伊豆嶋 一子流血鹿嶋也 是云配于伊勢國伊良虞嶋者 若疑後人縁歌辞而誤記乎
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:麻続王,愛知,伝承,歌語り,枕詞,植物,地名
#[訓異]
#[大意]筠の世の命が惜しいので波に濡れて伊良湖の島の玉藻を苅って食べているよ。
#{語釈]
麻續王聞之感傷和歌  実際にあったのではなく、仮託歌
編纂者は実際のことと思っている。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0025
#[題詞]天皇御製歌
#[原文]三吉野之 耳我嶺尓 時無曽 雪者落家留 間無曽 雨者零計類 其雪乃 時無如 其雨乃 間無如 隈毛不落 <念>乍叙来 其山道乎
#[訓読]み吉野の 耳我の嶺に 時なくぞ 雪は降りける 間無くぞ 雨は振りける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来し その山道を
#[仮名],みよしのの,みみがのみねに,ときなくぞ,ゆきはふりける,まなくぞ,あめはふりける,そのゆきの,ときなきがごと,そのあめの,まなきがごと,くまもおちず,おもひつつぞこし,そのやまみちを
#[左注]
#[校異]思 -> 念 [元][類][紀][古]
#[鄣W],雑歌,作者:大海人:天武,異伝,吉野,民謡,地名
#[訓異]
#[大意]み吉野の耳我の嶺はその時でないのに雪は降っている。間断なく雨は降っている。その山の雪の時ならないように、その雨の間断ないように曲がり角ごとに思い続けてやってきたことだ。その山道を
#{語釈]
耳我嶺 未詳 吉野金峰山、龍門岳 

#[説明]
天智10年10月吉野入りをした時の労苦を歌ったもの
類道歌  13/3260 3293  異伝

#[関連論文]


#[番号]01/0026
#[題詞](天皇御製歌)或本歌
#[原文]三芳野之 耳我山尓 時自久曽 雪者落等言 無間曽 雨者落等言 其雪 不時如 其雨 無間如 隈毛不堕 思乍叙来 其山道乎
#[訓読]み吉野の 耳我の山に 時じくぞ 雪は降るといふ 間なくぞ 雨は降るといふ その雪の 時じきがごと その雨の 間なきがごと 隈もおちず 思ひつつぞ来る その山道を
#[仮名],みよしのの,みみがのやまに,ときじくぞ,ゆきはふるといふ,まなくぞ,あめはふるといふ,そのゆきの,ときじきがごと,そのあめの,まなきがごと,くまもおちず,おもひつつぞくる,そのやまみちを
#[左注]右句々相換因此重載焉
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:大海人:天武,異伝,吉野,民謡,13/3260,13/3293,地名
#[訓異]
#[大意]み吉野の耳我の山にその時でないのに雪は降るという。間断なく雨は降るという。その雪の時ならないようにその雨の間断ないように曲がり角ごとに絶えず思いつづけて来ることだ。その山道を
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0027
#[題詞]天皇幸于吉野宮時御製歌
#[原文]淑人乃 良跡吉見而 好常言師 芳野吉見<与> 良人四来三
#[訓読]淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
#[仮名],よきひとの,よしとよくみて,よしといひし,よしのよくみよ,よきひとよくみ
#[左注]紀曰 八年己卯五月庚辰朔甲申幸于吉野宮
#[校異]多 -> 与 [元(朱)] [寛] 與 [西(右書)] 欲
#[鄣W],雑歌,作者:大海人:天武,吉野,行幸,地名,土地讃美
#[訓異]
#[大意]立派な人がよいとよく見てよいと言ったこの吉野をよく見なさい。今の立派な人よよく見なさい。
#{語釈]
淑き人  詩経 淑人君子  雄略天皇の伝承

八年己卯五月庚辰朔甲申 五日 翌日 六皇子盟約
#[説明]
日本書紀 天武八年五月六日  六皇子(草壁、大津、高市、川嶋、刑部、志貴)盟約 

#[関連論文]


#[番号]01/0028
#[題詞]藤原宮御宇天皇代[高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年譲位軽太子 <尊>号曰太上天皇] / 天皇御製歌
#[原文]春過而 夏来良之 白妙能 衣乾有 天之香来山
#[訓読]春過ぎて夏来るらし白栲の衣干したり天の香具山
#[仮名],はるすぎて,なつきたるらし,しろたへの,ころもほしたり,あめのかぐやま
#[左注]
#[校異]<> -> 尊 [元][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:持統天皇,飛鳥,季節,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]春過ぎて夏が来たらしい。白妙の衣が干してある。天の香具山よ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0029
#[題詞]過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌
#[原文]玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従 [或云 自宮] 阿礼座師 神之<盡> 樛木乃 弥継嗣尓 天下 所知食之乎 [或云 食来] 天尓満 倭乎置而 青丹吉 平山乎超 [或云 虚見 倭乎置 青丹吉 平山越而] 何方 御念食可 [或云 所念計米可] 天離 夷者雖有 石走 淡海國乃 樂浪乃 大津宮尓 天下 所知食兼 天皇之 神之御言能 大宮者 此間等雖聞 大殿者 此間等雖云 春草之 茂生有 霞立 春日之霧流 [或云 霞立 春日香霧流 夏草香 繁成奴留] 百礒城之 大宮處 見者悲<毛> [或云 見者左夫思毛]
#[訓読]玉たすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ [或云 宮ゆ] 生れましし 神のことごと 栂の木の いや継ぎ継ぎに 天の下 知らしめししを [或云 めしける] そらにみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え [或云 そらみつ 大和を置き あをによし 奈良山越えて] いかさまに 思ほしめせか [或云 思ほしけめか] 天離る 鄙にはあれど 石走る 近江の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の命の 大宮は ここと聞けども 大殿は ここと言へども 春草の 茂く生ひたる 霞立つ 春日の霧れる [或云 霞立つ 春日か霧れる 夏草か 茂くなりぬる] ももしきの 大宮ところ 見れば悲しも [或云 見れば寂しも]
#[仮名],たまたすき,うねびのやまの,かしはらの,ひじりのみよゆ,[みやゆ],あれましし,かみのことごと,つがのきの,いやつぎつぎに,あめのした,しらしめししを,[めしける],そらにみつ,やまとをおきて,あをによし,ならやまをこえ,[そらみつ,やまとをおき,あをによし,ならやまこえて],いかさまに,おもほしめせか,[おもほしけめか],あまざかる,ひなにはあれど,いはばしる,あふみのくにの,ささなみの,おほつのみやに,あめのした,しらしめしけむ,すめろきの,かみのみことの,おほみやは,ここときけども,おほとのは,ここといへども,はるくさの,しげくおひたる,かすみたつ,はるひのきれる,[かすみたつ,はるひかきれる,なつくさか,しげくなりぬる],ももしきの,おほみやところ,みればかなしも,[みればさぶしも]
#[左注]
#[校異]書 -> 盡 [元][類][冷] / 母 -> 毛 [元][類][冷]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,荒都歌,大津,鎮魂,地名,枕詞,地名,滋賀
#[訓異]
#[大意]
玉たすき畝傍の山の橿原の聖の御代依頼[或いは云う 宮以来]、お生まれになった神のそれぞれであって都賀の木のますます次々に天の下をお治めになってきたのを「或いは云う なってきた]そらにみつ大和を後にしてあをによし奈良山を恋え[或いは云う そらみつ大和を後にしてあをによし奈良山を越えて] どのようにお思いになったのか[或いは云う お思いになったのだろうか]点遠く離れた田舎ではあるけれども岩を水が走り流れる近江の国のさざなみの大津の宮に天下をお治めになった天皇の神の命の大宮はここと聞くが大殿はここだと言うが、春草が繁く生えている。霞が立つ春の日で霧がかかっているのだろうか。[或いは云う 霞辰春日が霧がかかっているのだろうか、夏草が繁くなったのだろうか] ももしきの大宮のあった所を見ると悲しいことである「或いは云う 見ると寂しいことである]

#{語釈]
過近江荒都時 過と記述するのは、鎮魂を示している
玉たすき  枕詞 項にたすきを懸けるということから畝傍にかかる
橿原の ひじりの御代  初代神武天皇
栂の木  都賀の木の枝が次から次へと続いて出ているように次々とに係る枕詞
     詩経 樛木 まつわりつく蔓草の繁殖を天皇の暗影を喩えたとする

#[説明]
近江大津宮は、現在の大津市錦織遺跡
持統五年頃、近江崇福寺(天智天皇建立)悔過で穂積皇子が下った折に随行、歌詠したか。(巻2・115
都に戻って再詠。推敲による異伝。
#[関連論文]


#[番号]01/0030
#[題詞](過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌)反歌
#[原文]樂浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津
#[訓読]楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ
#[仮名],ささなみの,しがのからさき,さきくあれど,おほみやひとの,ふねまちかねつ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,荒都歌,大津,鎮魂,地名,滋賀
#[訓異]
#[大意]ささ波の志賀の唐崎は無事で何事もないが、大宮人の船を待ちかねていることだ
#{語釈]
志賀の辛崎 大津市下坂本町唐崎  船遊びの場であったか

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0031
#[題詞]((過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌)反歌)
#[原文]左散難弥乃 志我能 [一云 比良乃] 大和太 與杼六友 昔人二 亦母相目八毛 [一云 将會跡母戸八]
#[訓読]楽浪の志賀の [一云 比良の] 大わだ淀むとも昔の人にまたも逢はめやも [一云 逢はむと思へや]
#[仮名],ささなみの,しがの,[ひらの],おほわだ,よどむとも,むかしのひとに,またもあはめやも,[あはむとおもへや]
#[左注]
#[校異]二 [類][古] 尓
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,荒都歌,大津,鎮魂,地名,滋賀
#[訓異]
#[大意]ささなみの志賀の[比良の]大わだは淀むとしても、昔の人にまた会うことがあろうか
#{語釈]
志賀の大わだ  琵琶湖の志賀の大津の周辺。かつて大宮人が船遊びを行った所か
一云 比良の   滋賀県滋賀町木戸から小松にかけての所。
        離宮があった。舒明、斉明の行幸
淀むとも   水が淀んでいて、船遊びに十分な環境になっているとしても

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0032
#[題詞]高市古人感傷近江舊堵作歌 [或書云高市連黒人]
#[原文]古 人尓和礼有哉 樂浪乃 故京乎 見者悲寸
#[訓読]古の人に我れあれや楽浪の古き都を見れば悲しき
#[仮名],いにしへの,ひとにわれあれや,ささなみの,ふるきみやこを,みればかなしき
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:高市黒人,荒都歌,大津,地名,滋賀
#[訓異]
#[大意]いにしえの人で自分はあるのだろうか。ささなみの古い都を見ると悲しいことだ
#{語釈]
高市古人  脚注にあるように武市黒人 歌の始めと混同したか。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0033
#[題詞](高市古人感傷近江舊堵作歌 [或書云高市連黒人])
#[原文]樂浪乃 國都美神乃 浦佐備而 荒有京 見者悲毛
#[訓読]楽浪の国つ御神のうらさびて荒れたる都見れば悲しも
#[仮名],ささなみの,くにつみかみの,うらさびて,あれたるみやこ,みればかなしも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:高市黒人,荒都歌,大津,国魂,地名,滋賀
#[訓異]
#[大意]ささなみの国の御神が衰えて荒れた都を見ると悲しいことである
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0034
#[題詞]幸于紀伊國時川嶋皇子御作歌 [或云山上臣憶良作]
#[原文]白浪乃 濱松之枝乃 手向草 幾代左右二賀 年乃經去良武 [一云 年者經尓計武]
#[訓読]白波の浜松が枝の手向けぐさ幾代までにか年の経ぬらむ [一云 年は経にけむ]
#[仮名],しらなみの,はままつがえの,たむけくさ,いくよまでにか,としのへぬらむ,[としはへにけむ]
#[左注]日本紀曰朱鳥四年庚寅秋九月天皇幸紀伊國也
#[校異]曰 [冷][紀][細] 云
#[鄣W],雑歌,作者:川島皇子,山上憶良,代作,紀州,和歌山,行幸,植物,地名
#[訓異]
#[大意]白波の浜松の枝の手向けの草よ。どのぐらいまで年が経っているのだろうか
#{語釈]
幸于紀伊國時 左注 持統天皇四年九月十三日~二十四日までの行幸
川嶋皇子天智天皇第二皇子 持統五年九月薨去 大津を密告
或云山上臣憶良作 145番歌に岩代の歌 09/1716に小異歌 憶良の実作か。
浜松が枝の手向けぐさ  手向けの料 幣や幣帛の類 待つの枝を結んで無事を祈った後。    枝を結んであることか、枝に幣などがかかっていることか。
#[説明]
有間皇子と大津皇子を重ね合わせ重いがあるか。

#[関連論文]


#[番号]01/0035
#[題詞]越勢能山時阿閇皇女御作歌
#[原文]此也是能 倭尓四手者 我戀流 木路尓有云 名二負勢能山
#[訓読]これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山
#[仮名],これやこの,やまとにしては,あがこふる,きぢにありといふ,なにおふせのやま
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:阿閇皇女,羈旅,妹背,行幸,和歌山,紀州,地名,土地讃美
#[訓異]
#[大意]これがまあこの大和にあって自分が恋い思っていた紀州路にあるというあの有名な背の山なのか。
#{語釈]
勢能山 和歌山県伊都郡がつらぎ町
阿閇皇女 天智天皇皇女 草壁皇太子の妃 元明天皇
#[説明]
羇旅の土地讃美

#[関連論文]


#[番号]01/0036
#[題詞]幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌
#[原文]八隅知之 吾大王之 所聞食 天下尓 國者思毛 澤二雖有 山川之 清河内跡 御心乎 吉野乃國之 花散相 秋津乃野邊尓 宮柱 太敷座波 百礒城乃 大宮人者 船並弖 旦川渡 舟<競> 夕河渡 此川乃 絶事奈久 此山乃 弥高<思良>珠 水激 瀧之宮子波 見礼跡不飽可<問>
#[訓読]やすみしし 我が大君の きこしめす 天の下に 国はしも さはにあれども 山川の 清き河内と 御心を 吉野の国の 花散らふ 秋津の野辺に 宮柱 太敷きませば ももしきの 大宮人は 舟並めて 朝川渡る 舟競ひ 夕川渡る この川の 絶ゆることなく この山の いや高知らす 水激る 瀧の宮処は 見れど飽かぬかも
#[仮名],やすみしし,わがおほきみの,きこしめす,あめのしたに,くにはしも,さはにあれども,やまかはの,きよきかふちと,みこころを,よしののくにの,はなぢらふ,あきづののへに,みやばしら,ふとしきませば,ももしきの,おほみやひとは,ふねなめて,あさかはわたる,ふなぎほひ,ゆふかはわたる,このかはの,たゆることなく,このやまの,いやたかしらす,みづはしる,たきのみやこは,みれどあかぬかも
#[左注](右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌)
#[校異]並 [古][紀] 并 / 竟 -> 競 [元][類][紀] / 良思 -> 思良 [元][類][紀] / 聞 -> 問 [元][類][冷]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,吉野,離宮,行幸,従駕,宮廷讃美,国見,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]八方をお治めになる我が大君のご統治なさる天の下に国はたくさんあるけれども山川の清らかな河内として御心をお寄せになるその吉野の国の花が散り続けて秋に豊かな実りをもたらすその秋津の陳べに宮柱を立派にお建てになるので、ももしきの大宮人は船を並べて浅皮渡りをする。船を競い合って夕方皮渡りをする。この皮の絶えることがなく、この山野ますます高くお治めになる水が速く流れる急流の宮所は見ても見飽きることがない
#{語釈]
吉野宮  宮滝遺跡 菜摘集落に遺跡
花散らふ 花が散って豊かな実りになる秋という続き
#[説明]
国見歌の構造と大宮人の行動を陳べて宮殿が栄える様子を陳べる離宮讃美の構造を物歌
#[関連論文]


#[番号]01/0037
#[題詞](幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌)反歌
#[原文]雖見飽奴 吉野乃河之 常滑乃 絶事無久 復還見牟
#[訓読]見れど飽かぬ吉野の川の常滑の絶ゆることなくまたかへり見む
#[仮名],みれどあかぬ,よしののかはの,とこなめの,たゆることなく,またかへりみむ
#[左注](右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,吉野,離宮,行幸,従駕,宮廷讃美,国見,地名
#[訓異]
#[大意]見ても見飽きることのない吉野の川が水に洗われてすべすべしていることが常であるように常に絶えることなくまたここへ来て見よう
#{語釈]
またかへり見む  土地讃美や羇旅における安全祈願
06/0911H01み吉野の秋津の川の万代に絶ゆることなくまたかへり見む
07/1183H01ま幸くてまたかへり見む大夫の手に巻き持てる鞆の浦廻を
13/3241H01天地を嘆き祈ひ祷み幸くあらばまたかへり見む志賀の唐崎
19/4157H01紅の衣にほはし辟田川絶ゆることなく我れかへり見む

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0038
#[題詞](幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌)
#[原文]安見知之 吾大王 神長柄 神佐備世須登 <芳>野川 多藝津河内尓 高殿乎 高知座而 上立 國見乎為<勢><婆> 疊有 青垣山 々神乃 奉御調等 春部者 花挿頭持 秋立者 黄葉頭<刺>理 [一云 黄葉加射之] <逝>副 川之神母 大御食尓 仕奉等 上瀬尓 鵜川乎立 下瀬尓 小網刺渡 山川母 依弖奉流 神乃御代鴨
#[訓読]やすみしし 我が大君 神ながら 神さびせすと 吉野川 たぎつ河内に 高殿を 高知りまして 登り立ち 国見をせせば たたなはる 青垣山 山神の 奉る御調と 春へは 花かざし持ち 秋立てば 黄葉かざせり [一云 黄葉かざし] 行き沿ふ 川の神も 大御食に 仕へ奉ると 上つ瀬に 鵜川を立ち 下つ瀬に 小網さし渡す 山川も 依りて仕ふる 神の御代かも
#[仮名],やすみしし,わがおほきみ,かむながら,かむさびせすと,よしのかは,たぎつかふちに,たかとのを,たかしりまして,のぼりたち,くにみをせせば,たたなはる,あをかきやま,やまつみの,まつるみつきと,はるへは,はなかざしもち,あきたてば,もみちかざせり,[もみちばかざし],ゆきそふ,かはのかみも,おほみけに,つかへまつると,かみつせに,うかはをたち,しもつせに,さでさしわたす,やまかはも,よりてつかふる,かみのみよかも
#[左注](右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌)
#[校異]吉 -> 芳 [元][類][紀] / <> -> 勢 [冷] / 波 -> 婆 [元] / 判 -> 刺 [元][類][紀] / 遊 -> 逝 [元]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,吉野,離宮,行幸,従駕,宮廷讃美,国見,地名
#[訓異]
#[大意]安らかに御覧にな我が大君よ。神さながらに神として行動なさるとして吉野川の急流の河内に立派な御殿を立派にお作りになり、上り立って国見をなさると、重なり合っている青い垣根のような山、その山の神の奉る貢ぎ物として春は花をかざし持ち、秋になると黄葉をかざしてている。[一に云う。黄葉をかざし] 沿って流れる川の神も誤植時に奉仕申し上げるとして上流に鵜飼を放ち、下流には細かい目の網を指し渡す。山川も寄り添って仕える神の御代であることだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0039
#[題詞](幸于吉野宮之時柿本朝臣人麻呂作歌)反歌
#[原文]山川毛 因而奉流 神長柄 多藝津河内尓 船出為加母
#[訓読]山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に舟出せすかも
#[仮名],やまかはも,よりてつかふる,かむながら,たぎつかふちに,ふなでせすかも
#[左注]右日本紀曰 三年己丑正月天皇幸吉野宮 八月幸吉野宮 四年庚寅二月幸吉野宮 五月幸吉野宮 五年辛卯正月幸吉野宮 四月幸吉野宮者 未詳知何月従駕作歌
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,吉野,離宮,行幸,従駕,宮廷讃美,国見,地名
#[訓異]
#[大意]山川も寄り添ってお仕えする神さながらに急流の河内に船出をなさることだ
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0040
#[題詞]幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌
#[原文]鳴呼見乃浦尓 船乗為良武 𡢳嬬等之 珠裳乃須十二 四寳三都良武香
#[訓読]嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか
#[仮名],あみのうらに,ふなのりすらむ,をとめらが,たまものすそに,しほみつらむか
#[左注](右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位擎上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,留京,留守,伊勢行幸,地名
#[訓異]
#[大意]嗚呼見の浦で船に乗るあの娘子の美しい裳の裾に潮が満ちるだろうか
#{語釈]
嗚呼見の浦 鳥羽湾の小浜地区か。阿児の誤りとして英虞湾かとも言う。

左注
右日本に曰く、朱鳥六年壬辰(692)春三月丙寅朔戊辰(三日)、浄<廣>肆廣瀬王等を留守官と為す。是に於いて中納言三輪朝臣高市麻呂、その冠位(かがふり)を脱ぎて朝(みかど)に擎上(ささ)げ、重ねて諌めて曰く、農作(なりはひ)の前、車駕(みくるま)未だ以ちて動(いでます)べからず。と言へり。 辛未(6日)に天皇諌(いさめ)に従ひたまはず、遂に伊勢に幸す。五月乙丑朔庚午(6日)阿胡行宮に幸す。


廣瀬王 川島皇子らとともに国史編纂の命。養老六年(722)没。
三輪朝臣高市麻呂 壬申の乱の功臣。慶雲三年(706)没
3月6日伊勢行幸 3月20日帰京

五月乙丑朔庚午(6日)阿胡行宮に幸す。日本書紀 阿胡行宮に奉仕した海人たちを褒賞。「阿胡行宮に幸す時に」とある。嗚呼見の浦と阿胡行宮を混同した左注者が謝ったか。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0041
#[題詞](幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌)
#[原文]釼著 手節乃埼二 今<日>毛可母 大宮人之 玉藻苅良<武>
#[訓読]釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
#[仮名],くしろつく,たふしのさきに,けふもかも,おほみやひとの,たまもかるらむ
#[左注](右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位擎上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮)
#[校異]<> -> 日 [類][冷][紀] / 哉 -> 武 [類][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,留京,留守,伊勢行幸,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]釧付く手節の崎で今日もだろうか大宮人が玉藻を苅っているだろうか
#{語釈]
釧着く クシロ(腕輪)を付ける手節の意味で答志の崎にかかる枕詞
答志の崎  三重県答志島

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0042
#[題詞](幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌)
#[原文]潮左為二 五十等兒乃嶋邊 榜船荷 妹乗良六鹿 荒嶋廻乎
#[訓読]潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を
#[仮名],しほさゐに,いらごのしまへ,こぐふねに,いものるらむか,あらきしまみを
#[左注](右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位擎上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,留京,留守,伊勢行幸,地名
#[訓異]
#[大意]潮騒の中で伊良湖の島のあたりを漕ぐ船に妹は乗っているだろうか。その荒い島のめぐりを
#{語釈]
伊良虞の島辺 伊良湖崎 神島がある。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0043
#[題詞](幸于伊勢國時)當麻真人麻呂妻作歌
#[原文]吾勢枯波 何所行良武 己津物 隠乃山乎 今日香越等六
#[訓読]我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
#[仮名],わがせこは,いづくゆくらむ,おきつもの,なばりのやまを,けふかこゆらむ
#[左注](右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位擎上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:當麻真人麻呂妻,留京,留守,伊勢行幸,妻歌,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]我が背子はどのあたりを行っているのだろうか。沖つ藻の名張の山を今日あたり越えているのだろうか。
#{語釈]
當麻真人麻呂 伝未詳

#[説明]
4/511に重出

#[関連論文]


#[番号]01/0044
#[題詞](幸于伊勢國時)石上大臣従駕作歌
#[原文]吾妹子乎 去来見乃山乎 高三香裳 日本能不所見 國遠見可聞
#[訓読]我妹子をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも
#[仮名],わぎもこを,いざみのやまを,たかみかも,やまとのみえぬ,くにとほみかも
#[左注]右日本紀曰 朱鳥六年壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官 於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位擎上於朝重諌曰 農作之前車駕未可以動 辛未天皇不従諌 遂幸伊勢 五月乙丑朔庚午御阿胡行宮
#[校異]<> -> 廣 [西(右書)][元][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:石上麻呂,伊勢,行幸,三重,羈旅,望郷,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]我妹子をさあ見るといういざみの山が高いからであろうか。山とが見えない。国が遠いからであろうか。
#{語釈]
石上大臣 石上麻呂 伊勢行幸時は直広肆(正五位相当) 大臣は極官
いざ見の山 伊勢と大和の国境の高見山か。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0045
#[題詞]軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌
#[原文]八隅知之 吾大王 高照 日之皇子 神長柄 神佐備世須<等> 太敷為 京乎置而 隠口乃 泊瀬山者 真木立 荒山道乎 石根 禁樹押靡 坂鳥乃 朝越座而 玉限 夕去来者 三雪落 阿騎乃大野尓 旗須為寸 四能乎押靡 草枕 多日夜取世須 古昔念而
#[訓読]やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて 隠口の 初瀬の山は 真木立つ 荒き山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉限る 夕去り来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
#[仮名],やすみしし,わがおほきみ,たかてらす,ひのみこ,かむながら,かむさびせすと,ふとしかす,みやこをおきて,こもりくの,はつせのやまは,まきたつ,あらきやまぢを,いはがね,さへきおしなべ,さかとりの,あさこえまして,たまかぎる,ゆふさりくれば,みゆきふる,あきのおほのに,はたすすき,しのをおしなべ,くさまくら,たびやどりせす,いにしへおもひて
#[左注]
#[校異]登 -> 等 [元][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,軽皇子,阿騎野,遊猟,狩猟,皇子讃歌,草壁皇子,追悼,大嘗祭,祭式,宇陀,地名,枕詞,植物
#[訓異]
#[大意]やすみしし我が大君。天高くお照らしになる日の皇子。神さながらに神として行動なさるとして、立派にお治めになっている都を後にして隠口の初瀬の山は大きな木がそそり立つ荒々しい山道を岩や行く手を遮る木を押しなびかせて、坂を越えていく鳥のように朝お越えになり、玉がほのかに光る夕方になるとみ雪が降る安騎の大野に ほほけた旗ススキや篠竹を押し靡かせて草枕旅の一夜を明かす。昔のことを思って。

#{語釈]
軽皇子 文武天皇 慶雲4年(707)6月崩御 年25
安騎野 奈良県宇陀郡  朝廷の狩猟地
いにしへ思ひて 父草壁皇子が同様に安騎野で遊猟を行った時のことを思い出させようとする

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0046
#[題詞](軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌)短歌
#[原文]阿騎乃<野>尓 宿旅人 打靡 寐毛宿良<目>八方 古部念尓
#[訓読]安騎の野に宿る旅人うち靡き寐も寝らめやもいにしへ思ふに
#[仮名],あきののに,やどるたびひと,うちなびき,いもぬらめやも,いにしへおもふに
#[左注]
#[校異]<> -> 野 [紀] / 自 -> 目 [類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,軽皇子,阿騎野,遊猟,狩猟,皇子讃歌,草壁皇子,追悼,大嘗祭,祭式,宇陀,地名
#[大意]安騎の野に仮寝をする旅人はみんな同様に寝ることも出来ないだろう。かつてのことを思うと
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]



#[番号]01/0047
#[題詞]((軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌)短歌)
#[原文]真草苅 荒野者雖有 葉 過去君之 形見跡曽来師
#[訓読]ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し
#[仮名],まくさかる,あらのにはあれど,もみちばの,すぎにしきみが,かたみとぞこし
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,軽皇子,阿騎野,遊猟,狩猟,皇子讃歌,草壁皇子,追悼,大嘗祭,祭式,宇陀,地名,枕詞
#[大意]立派な草を刈る荒野ではあるが黄葉のように過ぎて亡くなった君の形見としてやって来たのだ
#{語釈]
ま草刈る荒野  宿泊の仮小屋を造るための草を刈る荒野
君  亡き草壁皇子

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]01/0048
#[題詞]((軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌)短歌)
#[原文]東 野炎 立所見而 反見為者 月西渡
#[訓読]東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ
#[仮名],ひむがしの,のにかぎろひの,たつみえて,かへりみすれば,つきかたぶきぬ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,軽皇子,阿騎野,遊猟,狩猟,皇子讃歌,草壁皇子,追悼,大嘗祭,祭式,宇陀,地名
#[大意]東の野に陽炎が立つのが見えて、振り返り見ると月が傾いている
#{語釈]

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]01/0049
#[題詞]((軽皇子宿于安騎野時柿本朝臣人麻呂作歌)短歌)
#[原文]日雙斯 皇子命乃 馬副而 御猟立師斯 時者来向
#[訓読]日並の皇子の命の馬並めてみ狩り立たしし時は来向ふ
#[仮名],ひなみしの,みこのみことの,うまなめて,みかりたたしし,ときはきむかふ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,軽皇子,阿騎野,遊猟,狩猟,皇子讃歌,草壁皇子,追悼,大嘗祭,祭式,宇陀,地名
#[大意]日並の皇子の命の馬を並べてみ狩りにお立ちになる時はやって来た
#{語釈]
#[説明]
短歌とあるのに注意。これは「反歌」と異なり、長歌から独立したものであることを示す。実際に内容的には長歌から時間的に次のことが語られている

長歌は、軽皇子が諸臣を従え、安騎野に遊猟に来たことを述べる
しかし、諸臣は父草壁皇子に仕えていた人々であり今と同様に草壁皇子と安騎野に来たことを思い出している様子で終わる。
短歌1首目 長歌の主題の繰り返し。草壁皇子を思い出す様子。
短歌2首目 安騎野遊猟は亡き草壁皇子を思い出すために来たと真意が述べられる
短歌3首目 東に陽炎、西に月という夜明けの状態が述べられる。しかしこれは女系ではない。叙景意識は赤人の時代を待たなければならない。
西に傾く月は、父草壁皇子であり、東から立ち上る陽炎は軽皇子のこと。
草壁皇子が人々に惜しまれながら隠れて行き、それに代わって東から軽皇子が上って来るという交代する様子が示される。
短歌4首目 父草壁皇子に代わって子の軽皇子が日並皇子として狩りに向かう様子が述べられ、軽皇子が草壁皇子の後継者であることが示される。

時制は夜から夜明け。夜の交代劇。大嘗祭における天皇の交代の概念を背景に置かれている。
草壁皇太子の後継は子軽皇子であるということを明示したもの。持統天皇の意向を表す。
#[関連論文]



#[番号]01/0050
#[題詞]藤原宮之役民作歌
#[原文]八隅知之 吾大王 高照 日<乃>皇子 荒妙乃 藤原我宇倍尓 食國乎 賣之賜牟登 都宮者 高所知武等 神長柄 所念奈戸二 天地毛 縁而有許曽 磐走 淡海乃國之 衣手能 田上山之 真木佐苦 桧乃嬬手乎 物乃布能 八十氏河尓 玉藻成 浮倍流礼 其乎取登 散和久御民毛 家忘 身毛多奈不知 鴨自物 水尓浮居而 吾作 日之御門尓 不知國 依巨勢道従 我國者 常世尓成牟 圖負留 神龜毛 新代登 泉乃河尓 持越流 真木乃都麻手乎 百不足 五十日太尓作 泝須<良>牟 伊蘇波久見者 神随尓有之
#[訓読]やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤原が上に 食す国を 見したまはむと みあらかは 高知らさむと 神ながら 思ほすなへに 天地も 寄りてあれこそ 石走る 近江の国の 衣手の 田上山の 真木さく 桧のつまでを もののふの 八十宇治川に 玉藻なす 浮かべ流せれ 其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮き居て 我が作る 日の御門に 知らぬ国 寄し巨勢道より 我が国は 常世にならむ 図負へる くすしき亀も 新代と 泉の川に 持ち越せる 真木のつまでを 百足らず 筏に作り 泝すらむ いそはく見れば 神ながらにあらし
#[仮名],やすみしし,わがおほきみ,たかてらす,ひのみこ,あらたへの,ふぢはらがうへに,をすくにを,めしたまはむと,みあらかは,たかしらさむと,かむながら,おもほすなへに,あめつちも,よりてあれこそ,いはばしる,あふみのくにの,ころもでの,たなかみやまの,まきさく,ひのつまでを,もののふの,やそうぢがはに,たまもなす,うかべながせれ,そをとると,さわくみたみも,いへわすれ,みもたなしらず,かもじもの,みづにうきゐて,わがつくる,ひのみかどに,しらぬくに,よしこせぢより,わがくには,とこよにならむ,あやおへる,くすしきかめも,あらたよと,いづみのかはに,もちこせる,まきのつまでを,ももたらず,いかだにつくり,のぼすらむ,いそはくみれば,かむながらにあらし
#[左注]右日本紀曰 朱鳥七年癸巳秋八月幸藤原宮地 八年甲午春正月幸藤原宮 冬十二月庚戌朔乙卯遷居藤原宮
#[校異]之 -> 乃 [元][類][冷][紀] / 郎 -> 良 [元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:役民,藤原,枕詞,地名
#[大意]やっすみしし我が大君よ。空高くお照らしになる日の御子よ。荒い繊維の藤という名前の藤原のあたりにお治めになる国をご覧になろうと、宮殿を立派に造営しようと、神さながらにお思いになるごとに、天地も寄り合っているからこそ、石の上を水が走る近江の国の衣手の田上山の檜の良材をもののふの大勢の氏。その宇治川に玉藻のように浮かべ流すので、それを取るとして騒ぐ御民も家のことも忘れ、自分のことも顧みず、鴨のように水に浮かんでいて、自分が作る大君の日の宮殿に、まだ領有していない国をこと寄せるその巨瀬路から、我が国は常世なのだろうか、めでたい図柄が現れている霊妙な亀も新しい世の中だと出てくるその泉の川に持ってやって来た檜の材木を百に足りない五十ではないが筏に作って、さかのぼって行こうとして先を争って奉仕しているのを見ると、神代さながらであるらしい。


#{語釈]
田上山 大津市南部
真木さく 檜の枕詞 立派な木の中でもとくに優れた
桧のつまで つまて 材木、丸太の意味か。
身もたな知らず  たな すっかり 十分に 全く自分自身のことも顧みず
知らぬ国 支配していない国 領有していない国
寄しこす こと寄せたい 支配したい
図負へる くすしき亀 瑞兆思想 不思議な図柄が甲羅に現れている不思議な亀
いそはく いそふ 争う 先を争って
朱鳥七年癸巳秋(693)八月幸藤原宮地  8月1日
八年甲午春正月幸藤原宮  正月11日
冬十二月庚戌朔乙卯(6日)遷居藤原宮
#[説明]
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#[番号]01/0051
#[題詞]従明日香宮遷居藤原宮之後志貴皇子御作歌
#[原文]婇女乃 袖吹反 明日香風 京都乎遠見 無用尓布久
#[訓読]采女の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く
#[仮名],うねめの,そでふきかへす,あすかかぜ,みやこをとほみ,いたづらにふく
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:志貴皇子,荒都歌,飛鳥,地名
#[大意]采女の袖を吹き返す明日香風は都が遠いので空しく吹いていることだ
#{語釈]
#[説明]
荒都歌に当たる

#[関連論文]



#[番号]01/0052
#[題詞]藤原宮御井歌
#[原文]八隅知之 和期大王 高照 日之皇子 麁妙乃 藤井我原尓 大御門 始賜而 埴安乃 堤上尓 在立之 見之賜者 日本乃 青香具山者 日經乃 大御門尓 春山<跡> 之美佐備立有 畝火乃 此美豆山者 日緯能 大御門尓 弥豆山跡 山佐備伊座 耳<為>之 青菅山者 背友乃 大御門尓 宣名倍 神佐備立有 名細 吉野乃山者 影友乃 大御門<従> 雲居尓曽 遠久有家留 高知也 天之御蔭 天知也 日<之>御影乃 水許曽婆 常尓有米 御井之清水
#[訓読]やすみしし 我ご大君 高照らす 日の皇子 荒栲の 藤井が原に 大御門 始めたまひて 埴安の 堤の上に あり立たし 見したまへば 大和の 青香具山は 日の経の 大御門に 春山と 茂みさび立てり 畝傍の この瑞山は 日の緯の 大御門に 瑞山と 山さびいます 耳成の 青菅山は 背面の 大御門に よろしなへ 神さび立てり 名ぐはし 吉野の山は かげともの 大御門ゆ 雲居にぞ 遠くありける 高知るや 天の御蔭 天知るや 日の御蔭の 水こそば とこしへにあらめ 御井のま清水
#[仮名],やすみしし,わごおほきみ,たかてらす,ひのみこ,あらたへの,ふぢゐがはらに,おほみかど,はじめたまひて,はにやすの,つつみのうへに,ありたたし,めしたまへば,やまとの,あをかぐやまは,ひのたての,おほみかどに,はるやまと,しみさびたてり,うねびの,このみづやまは,ひのよこの,おほみかどに,みづやまと,やまさびいます,みみなしの,あをすがやまは,そともの,おほみかどに,よろしなへ,かむさびたてり,なぐはし,よしののやまは,かげともの,おほみかどゆ,くもゐにぞ,とほくありける,たかしるや,あめのみかげ,あめしるや,ひのみかげの,みづこそば,とこしへにあらめ,みゐのましみづ
#[左注](右歌作者未詳)
#[校異]路 -> 跡 [古] / 高 -> 為 [万葉考] / 徒 -> 従 [元][類][紀] / <> -> 之 [元][類][古][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,藤原,宮廷讃美,御井,枕詞,地名,奈良
#[大意]やすみしし我が大君。空高くお照らしになる日の皇子よ。荒い繊維の藤である藤井の原に宮殿をご造営されて埴安の池の 堤の上にお立ちになってご覧になると、大和の青々とした香具山は太陽の線の縦の御門に春の山として茂って立っている。畝傍のこの瑞々しい山は太陽の横の御門に瑞々しい山として山らしくしていらっしゃる。耳成の青い菅の生えているすがすがしい山は背後の御門にふさわしく神々しく立っている。名前も霊妙な吉野の山は光のあたる南の御門から雲居はるかに遠くある。高く領有なさる天の宮殿。天を領有なさる日の宮殿の水こそは永遠にあるだろう。御井のま清水よ。
#{語釈]
あり立たし 見したまへば 国見歌形式による宮讃め。
日の経 日の緯 方向を経緯で表現したもの。高橋氏文 日の竪(たて)東、日の横西
よろしなへ  ふさわしい
名ぐはし 名も霊妙な くはし 霊的なもの
かげともの 光があたる山の斜面で南
御蔭 日を覆うもので建物のこと。ここでは宮殿。

#[説明]
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#[番号]01/0053
#[題詞](藤原宮御井歌)短歌
#[原文]藤原之 大宮都加倍 安礼衝哉 處女之友者 <乏>吉<呂>賀聞
#[訓読]藤原の大宮仕へ生れ付くや娘子がともは羨しきろかも
#[仮名],ふぢはらの,おほみやつかへ,あれつくや,をとめがともは,ともしきろかも
#[左注]右歌作者未詳
#[校異]之 -> 乏 [玉の小琴] / 召 -> 呂 [元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,藤原,宮廷讃美,御井,地名,奈良
#[大意]
#{語釈]付藤原の大宮に仕えて、生まれつきな処女はうらやましいことだ
生れ付くや 生まれ付きの者 生粋の処女として宮殿に奉仕する
羨しきろかも 心引かれる うらやましい

#[説明]
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#[番号]01/0054
#[題詞]大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀<伊>國時歌
#[原文]巨勢山乃 列々椿 都良々々尓 見乍思奈 許湍乃春野乎
#[訓読]巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を
#[仮名],こせやまの,つらつらつばき,つらつらに,みつつしのはな,こせのはるのを
#[左注]右一首坂門人足
#[校異]紀国 -> 紀伊国 [元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,大宝1年9月,年紀,作者:坂門人足,紀伊行幸,和歌山,巨勢,従駕,羈旅,土地讃美,地名
#[大意]巨勢山の連なって咲く椿よ。そのようにつくづくと見続けては賞美しよう。巨勢の春の野を
#{語釈]
つらつら椿 連なり咲くことからとも、連なって咲くことからとも言う
つらつらに つくづくと
巨勢 奈良県御所市 明日香から五条に抜ける紀州路。巨勢氏の本拠地。巨勢寺跡がある。  大伴旅人の妻巨勢大娘が少女時代に過ごした所か。

太上天皇 持統上皇
坂門人足 伝未詳

#[説明]
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#[番号]01/0055
#[題詞](大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀<伊>國時歌)
#[原文]朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母
#[訓読]あさもよし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
#[仮名],あさもよし,きひとともしも,まつちやま,ゆきくとみらむ,きひとともしも
#[左注]右一首調首淡海
#[校異]
#[鄣W],雑歌,大宝1年9月,年紀,作者:調首淡海,紀伊行幸,和歌山,亦打山,従駕,羈旅,土地讃美,地名,枕詞
#[大意]あさもよし紀の国の人は羨ましい。真土山を行ったり来たりして見ているだろう紀の国の人は羨ましい
#{語釈]
あさもよし 麻の裳が立派な 麻は紀州の特産か
真土山 大和と紀伊の国境
調首淡海 壬申の乱(672)の功臣。和銅二年(709)従五位下 養老七年(723)正五位上、神亀四年(727)高齢を讃められる。

#[説明]
真土山を讃めたキリョ歌

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#[番号]01/0056
#[題詞](大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀<伊>國時歌)或本歌
#[原文]河上乃 列々椿 都良々々尓 雖見安可受 巨勢能春野者
#[訓読]川上のつらつら椿つらつらに見れども飽かず巨勢の春野は
#[仮名],かはかみの,つらつらつばき,つらつらに,みれどもあかず,こせのはるのは
#[左注]右一首春日蔵首老
#[校異]
#[鄣W],雑歌,大宝1年9月,年紀,作者:春日蔵首老,或本歌,巨勢,羈旅,土地讃美,地名,植物
#[大意]川のほとりの連なって咲く椿をつくづくと見ても見飽きることはない。巨勢の春の野は。
#{語釈]
春日蔵首老 もと僧 弁基 大宝元年三月 勅により還俗。和銅七年正月従五位下

#[説明]
54番歌の異伝。別の時に春日蔵首老が54番歌を歌ったものが異伝として別の本に採録されたか、伝承中に作者が異なって或本に採録された。

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#[番号]01/0057
#[題詞]二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌
#[原文]引馬野尓 仁保布榛原 入乱 衣尓保波勢 多鼻能知師尓
#[訓読]引間野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに
#[仮名],,ひくまのに,にほふはりはら,いりみだれ,ころもにほはせ,たびのしるしに
#[左注]右一首長忌寸奥麻呂
#[校異]
#[鄣W],雑歌,大宝2年,年紀,作者:長忌寸意吉麻呂,三河行幸,愛知,従駕,持統,羈旅,土地讃美,地名,植物
#[大意]引間野に美しく黄葉している榛の原よ。そこに入り乱れて衣を色づけなさいよ。旅の証拠として。
#{語釈]
幸于参河國  大宝二年10月10日出発。尾張、美濃、伊勢、伊賀を経て11月25日帰京。
       ちなみに12月22日崩御 58歳

引間野 愛知県宝飯郡御津(みと)町御馬(おんま)一帯  引馬神社
     或いは、静岡県浜松市曳馬
榛  ハンの木  染料になる。

#[説明]
旅の土地讃美と魂触り

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#[番号]01/0058
#[題詞](二年壬寅太上天皇幸于参河國時歌)
#[原文]何所尓可 船泊為良武 安礼乃埼 榜多味行之 棚無小舟
#[訓読]いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟
#[仮名],いづくにか,ふなはてすらむ,あれのさき,こぎたみゆきし,たななしをぶね
#[左注]右一首高市連黒人
#[校異]
#[鄣W],雑歌,大宝2年,年紀,作者:高市黒人,三河行幸,愛知,従駕,持統,羈旅,地名
#[大意]どこに今頃は停泊しているのだろうか。安礼の崎を漕ぎめくって行った棚のない小さな船は
#{語釈]
安礼の崎  未詳 愛知県宝飯郡御津町御馬 音羽川河口の崎 静岡県浜名郡新居町
棚無し小舟  船棚(側舷)のない小さな丸木船

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]01/0059
#[題詞]譽謝女王作歌
#[原文]流經 妻吹風之 寒夜尓 吾勢能君者 獨香宿良<武>
#[訓読]流らふる妻吹く風の寒き夜に我が背の君はひとりか寝らむ
#[仮名],ながらふる,つまふくかぜの,さむきよに,わがせのきみは,ひとりかぬらむ
#[左注]
#[校異]哉 -> 武 [西(訂正左書)][元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:誉謝女王,妻歌
#[大意]
#{語釈]絶え間なく流れて屋根の軒下を吹いている風が寒い夜に我が背の君は独りで寝ているのだろうか(旅に出て日数が長くなって垢付いた自分の衣の褄を吹くような寒い夜に)
譽謝女王 系譜未詳 慶雲3年6月24日卒 従四位下
流らふる 絶え間なく流れ吹く  日にちが長く経っている  旅に出て自分はその時のままを守って着物も着替えていないという趣
妻    屋根の端  着物の褄  夫婦の妻も懸けているか


#[説明]
留守宅での歌

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#[番号]01/0060
#[題詞]長皇子御歌
#[原文]暮相而 朝面無美 隠尓加 氣長妹之 廬利為里計武
#[訓読]宵に逢ひて朝面無み名張にか日長く妹が廬りせりけむ
#[仮名],よひにあひて,あしたおもなみ,なばりにか,けながくいもが,いほりせりけむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:長皇子,地名,奈良
#[大意]夜に逢って朝になって恥ずかしくて顔を隠すという名張に日数長く妹は旅の借宿にいるのだろうか。(いつになったら戻ってくるのだろうか)
#{語釈]
長皇子 天武天皇第七皇子 母は天智天皇娘大江皇女。同母弟に弓削皇子。和銅八年六月四日薨去。
名張 三重県名張市

#[説明]
留守宅での歌

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#[番号]01/0061
#[題詞]舎人娘子従駕作歌
#[原文]<大>夫之 得物矢手挿 立向 射流圓方波 見尓清潔之
#[訓読]大丈夫のさつ矢手挟み立ち向ひ射る圓方は見るにさやけし
#[仮名],ますらをの,さつやたばさみ,たちむかひ,いるまとかたは,みるにさやけし
#[左注]
#[校異]丈 -> 大 [元][類][冷]
#[鄣W],雑歌,作者:舎人娘子,伊勢行幸,三重,従駕,国見,羈旅,土地讃美,地名
#[大意]大丈夫が猟矢を手挟んで立ち向かい射る的方は見るとさやかなことだ。
#{語釈]
舎人娘子 伝未詳。舎人皇子を育てた氏族の娘。舎人皇子の乳母子か。
圓方  三重県松阪市西黒部町一帯。海岸が的のように丸く湾曲している地形から来る。さやけし 明澄。さわやかな感覚。対象を讃美する語

#[説明]
伊勢行幸の時の土地讃美

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#[番号]01/0062
#[題詞]三野連[名闕]入唐時春日蔵首老作歌
#[原文]在根良 對馬乃渡 々中尓 <幣>取向而 早還許年
#[訓読]在り嶺よし対馬の渡り海中に幣取り向けて早帰り来ね
#[仮名],ありねよし,つしまのわたり,わたなかに,ぬさとりむけて,はやかへりこね
#[左注]
#[校異]弊 -> 幣 [元][類][冷]
#[鄣W],雑歌,作者:春日老,三野連,入唐,餞別,地名,対馬
#[大意]高く続く峰がすばらしい対馬。その対馬の海峡の海の中に幣を手向けて無事に早く帰って来なさいよ
#{語釈]
三野連[名闕]  美努連岡麻呂 明治5年奈良県生駒市荻原町から墓誌が発見
        天武13年連姓
        大宝元年 小商監従七位下中宮少進
        霊亀2年正月 従五位下
        神亀5年10月20日卒 67歳
入唐時     第7次遣唐使 大宝元年正月任命 翌2年6月出発
        遣唐執?使 粟田朝臣真人、大使高橋朝臣笠間
        航路は、遣唐南路
        第6次が天智8年(669)遣唐北路 その航路を想定している。
春日蔵首老   56番歌  春日蔵首老 もと僧 弁基 大宝元年三月 勅により還俗。和銅七年正月従五位下

在り嶺よし   対馬の枕詞 高い峰がすばらしい
 
#[説明]
好去好来歌など、同じ詠み方

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#[番号]01/0063
#[題詞]山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌
#[原文]去来子等 早日本邊 大伴乃 御津乃濱松 待戀奴良武
#[訓読]いざ子ども早く日本へ大伴の御津の浜松待ち恋ひぬらむ
#[仮名],いざこども,はやくやまとへ,おほともの,みつのはままつ,まちこひぬらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,唐,望郷,地名
#[大意]さあ者どもよ。早く大和へ。大伴の御津の浜松が待ちこがれているだろう
#{語釈]
山上臣憶良 大宝の遣唐使で、遣唐少録として渡唐
日本  天智8年遣唐使「日本」
    懐風藻  釈弁正(しやくべんしやう)。二首。¥P96
御津  難波津 出航した地

#[説明]
#[関連論文]



#[番号]01/0064
#[題詞]慶雲三年丙午幸于難波宮時 / 志貴皇子御作歌
#[原文]葦邊行 鴨之羽我比尓 霜零而 寒暮夕 <倭>之所念
#[訓読]葦辺行く鴨の羽交ひに霜降りて寒き夕は大和し思ほゆ
#[仮名],あしへゆく,かものはがひに,しもふりて,さむきゆふへは,やまとしおもほゆ
#[左注]
#[校異]和 -> 倭 [元][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,慶雲3年,年紀,作者:志貴皇子,難波,行幸,従駕,大阪,望郷,文武,羈旅,動物,植物,地名
#[大意]葦辺を行く鴨の羽交に霜が降って、そのぐらい寒い夕べは大和のことが思われてならない
#{語釈]
慶雲三年丙午幸于難波宮時  文武天皇 9月25日出発、10月12日還幸

#[説明]
望郷歌

#[関連論文]



#[番号]01/0065
#[題詞](慶雲三年丙午幸于難波宮時)長皇子御歌
#[原文]霰打 安良礼松原 住吉<乃> 弟日娘与 見礼常不飽香聞
#[訓読]霰打つ安良礼松原住吉の弟日娘女と見れど飽かぬかも
#[仮名],あられうつ,あられまつばら,すみのえの,おとひをとめと,みれどあかぬかも
#[左注]
#[校異]之 -> 乃 [元][類][古][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,慶雲3年,年紀,作者:長皇子,難波,行幸,従駕,大阪,地名讃美,文武,枕詞,地名
#[大意]あられが打つ安良礼松原は、住吉の弟日娘子といくら見ても見飽きることはないよ
#{語釈]
安良礼松原  大阪市住之江区安立付近
弟日娘女  住吉の遊行女婦  弟日 うら若い 若々しい女性の意味

#[説明]
難波滞在中の遊行女譜との遊行の中で、土地讃美と女性を讃美したもの

#[関連論文]



#[番号]01/0066
#[題詞]太上天皇幸于難波宮時歌
#[原文]大伴乃 高師能濱乃 松之根乎 枕宿杼 家之所偲由
#[訓読]大伴の高師の浜の松が根を枕き寝れど家し偲はゆ
#[仮名],おほともの,たかしのはまの,まつがねを,まくらきぬれど,いへししのはゆ
#[左注]右一首置始東人
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:置始東人,難波,行幸,従駕,大阪,持統,望郷,羈旅,地名,植物
#[大意]大伴の高師の浜の松の根を枕として寝るが家のことが忍ばれてならない
#{語釈]
太上天皇  持統天皇  行幸年次未詳 文武天皇と同行したとすると文武3年正月二七日から2月22日  慶雲3年行幸時に古歌として披露されたものが記録された
置始東人 経歴未詳 他に204~206 長皇子付きの下級官人か。
大伴 御津から住吉にかけての大阪湾の海岸の地名 かつての大伴氏の本貫地にちなむ
高師の浜 堺市浜寺公園から高石市高師の浜にかけての海岸

#[説明]
枕き寝れど 比喩的な言い方 住吉の遊行女婦と寝ているか。
土地讃美と望郷を懸けた言い方

#[関連論文]



#[番号]01/0067
#[題詞](太上天皇幸于難波宮時歌)
#[原文]旅尓之而 物戀<之伎><尓 鶴之>鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思
#[訓読]旅にしてもの恋ほしきに鶴が音も聞こえずありせば恋ひて死なまし
#[仮名],たびにして,ものこほしきに,たづがねも,きこえずありせば,こひてしなまし
#[左注]右一首高安大嶋
#[校異]<> -> 之伎<乃> [西(左右書)] / 乃 -> 尓鶴之 [全註釈][注釈] / 鳴(事)[西(左書)] -> 鳴 [元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高安大嶋,難波,行幸,従駕,大阪,持統,望郷,羈旅,地名,動物
#[訓異]
#[大意]旅にあって何となくもの恋しいときに鶴の声も聞こえなかったらあまりの都が恋しい気持ちに死んでしまうだろう
#{語釈]
高安大嶋 伝未詳

#[説明]
望郷と現地での鶴が鳴く様子への讃美を両者持っている。

#[関連論文]


#[番号]01/0068
#[題詞](太上天皇幸于難波宮時歌)
#[原文]大伴乃 美津能濱尓有 忘貝 家尓有妹乎 忘而念哉
#[訓読]大伴の御津の浜なる忘れ貝家なる妹を忘れて思へや
#[仮名],おほともの,みつのはまなる,わすれがひ,いへなるいもを,わすれておもへや
#[左注]右一首身人部王
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:身人部王,難波,行幸,従駕,大阪,持統,望郷,地名,序詞
#[訓異]
#[大意]大伴の御津の浜にある忘れ貝ではないが、家にいる妹を忘れて思うことがあろうか
#{語釈]
忘れ貝  アワビのような一枚貝や、ちぎれた二枚貝の片方を言う
身人部王 風流侍従の一人 天平元年正月正四位上で卒。天武天皇娘田形皇女を妻。笠縫女王の父。系譜未詳。天智天皇の孫。志貴皇子の甥かとも。

#[説明]
現地の風物を読み込んで序とした望郷

#[関連論文]


#[番号]01/0069
#[題詞](太上天皇幸于難波宮時歌)
#[原文]草枕 客去君跡 知麻世婆 <崖>之<埴>布尓 仁寶播散麻思<呼>
#[訓読]草枕旅行く君と知らませば岸の埴生ににほはさましを
#[仮名],くさまくら,たびゆくきみと,しらませば,きしのはにふに,にほはさましを
#[左注]右一首清江娘子進長皇子[姓氏未詳]
#[校異]婆 [元][類][紀] 波 / 岸 -> 崖 [元][類] / 垣 -> 埴 [元][類] / 乎 -> 呼 [元][類]
#[鄣W],雑歌,作者:清江娘子,長皇子,遊行女婦,難波,大阪,持統,恋歌,旅,地名
#[訓異]
#[大意]草枕旅に行くあなただと知っていたならば海岸の土を衣を擦りつけて染めたのに
#{語釈]
岸の埴生 岸は崖。住吉の海岸は河岸段丘のようになっていたか。 埴生は赤土。顔料になる。

#[説明]
住吉の遊行女婦が客に対して歌ったもの。

#[関連論文]


#[番号]01/0070
#[題詞]太上天皇幸于吉野宮時高市連黒人作歌
#[原文]倭尓者 鳴而歟来良武 呼兒鳥 象乃中山 呼曽越奈流
#[訓読]大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる
#[仮名],やまとには,なきてかくらむ,よぶこどり,きさのなかやま,よびぞこゆなる
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:高市黒人,吉野,持統,行幸,大阪,従駕,望郷,地名,動物
#[訓異]
#[大意]大和にはもう鳴いて来ているのだろうか。呼子鳥よ。ここ吉野では象の中山を呼んで越えていくようだ。
#{語釈]
太上天皇幸于吉野宮  持統太上天皇 大宝元年六月二九日~七月一〇日  呼子鳥の季節に合わない。
文武天皇 大宝元年二月二〇日~二七日 この時か。
鳴きてか来らむ  鳴いて行くというのが普通。来るというのは大和を中心にした意識
         吉野で鳴いている呼子鳥とは異なる鳥。吉野の鳥を見て連想している。
呼子鳥 万葉集には多く出ているが実態未詳。ホトトギス、カッコウなどの託卵性の鳥か。
    天武の魂を見ているか。

     ホトトギス 蜀の望帝は、退位後、復位しようとしたが果たせず、死してほととぎすと化し、春月の間に昼夜分かたず悲しみ鳴いたという。

象の中山  象山は離宮から見て南側。大和方向とは逆になる。中山

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0071
#[題詞]大行天皇幸于難波宮時歌
#[原文]倭戀 寐之不所宿尓 情無 此渚崎<未>尓 多津鳴倍思哉
#[訓読]大和恋ひ寐の寝らえぬに心なくこの洲崎廻に鶴鳴くべしや
#[仮名],やまとこひ,いのねらえぬに,こころなく,このすさきみに,たづなくべしや
#[左注]右一首忍坂部乙麻呂
#[校異]<> -> 未 [元][類][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:忍坂部乙麻呂,文武,難波,行幸,大阪,従駕,望郷,動物,地名
#[訓異]
#[大意]大和を恋い思って寝ることも出来ないのに、心なくこの中州の周りで鶴が鳴いてよいものだろうか。
#{語釈]
大行天皇  文武天皇 奈良時代の元明天皇を今上と見ている。
      本来は、天皇崩御後、諡を付けるまでの間の呼称
幸于難波宮 文武三年一月二七日~二月二二日
      慶雲三年九月二五日~一〇月一二日
洲崎廻   堀江で海に突き出た中州のめぐり
忍坂部乙麻呂 伝未詳

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0072
#[題詞](大行天皇幸于難波宮時歌)
#[原文]玉藻苅 奥敝波不<榜> 敷妙<乃> 枕之邊人 忘可祢津藻
#[訓読]玉藻刈る沖へは漕がじ敷栲の枕のあたり忘れかねつも
#[仮名],たまもかる,おきへはこがじ,しきたへの,まくらのあたり,わすれかねつも
#[左注]右一首式部卿藤原宇合
#[校異]搒 -> 榜 [元] / 之 -> 乃 [元][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:藤原宇合,難波,文武,行幸,大阪,従駕,植物,枕詞
#[訓異]
#[大意]玉藻を苅る沖へは漕ぎ出すまい。敷妙の枕のあたりは忘れることが出来ないから
#{語釈]
敷栲の枕のあたり 昨晩同衾した一夜妻 遊行女婦
藤原宇合 藤原不比等第三子 式家  聖武朝に知造難波宮司

#[説明]
望郷を主題とした前歌に対して、土地讃美を含んだ現地讃美の内容
#[関連論文]


#[番号]01/0073
#[題詞](大行天皇幸于難波宮時歌)長皇子御歌
#[原文]吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹有勿勤
#[訓読]我妹子を早見浜風大和なる我を松椿吹かざるなゆめ
#[仮名],わぎもこを,はやみはまかぜ,やまとなる,あをまつつばき,ふかざるなゆめ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:長皇子,望郷,難波,大阪,文武,従駕,行幸,地名,植物
#[訓異]
#[大意]我妹子に早く会いたいという早いではないが、難波の早い風は、大和にある自分を待つ椿である妻の元には吹かないことがあってはならないぞ。決して。必ず吹けよ。
#{語釈]
#[説明]
土地の風物を詠み込んだ望郷

#[関連論文]


#[番号]01/0074
#[題詞]大行天皇幸于吉野宮時歌
#[原文]見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟
#[訓読]み吉野の山のあらしの寒けくにはたや今夜も我が独り寝む
#[仮名],みよしのの,やまのあらしの,さむけくに,はたやこよひも,わがひとりねむ
#[左注]右一首或云 天皇御製歌
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:文武,吉野,行幸,望郷,妹,異伝,地名
#[訓異]
#[大意]み吉野の山の嵐が寒いことなのに、もしや今夜も自分は独りで寝るのだろうか
#{語釈]
大行天皇 文武天皇
幸于吉野宮 大宝元年二月二〇日~二七日  季節からみてこちらか
      大宝二年七月一一日
はたや  もしや もしかして

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0075
#[題詞](大行天皇幸于吉野宮時歌)
#[原文]宇治間山 朝風寒之 旅尓師手 衣應借 妹毛有勿久尓
#[訓読]宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに
#[仮名],うぢまやま,あさかぜさむし,たびにして,ころもかすべき,いももあらなくに
#[左注]右一首長屋王
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:長屋王,吉野,行幸,妹,地名
#[訓異]
#[大意]宇治間山の朝風が寒い。旅にあって衣を貸してくれるような妹もいないことなのに
#{語釈]
宇治間山 吉野町千股の村 明日香との交通路
衣貸すべき妹  普通に言うと衣を借りるべき人。女(妻)の方を主体に言ったもの

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0076
#[題詞]和銅元年戊申 / 天皇<御製>
#[原文]大夫之 鞆乃音為奈利 物部乃 大臣 楯立良思母
#[訓読]ますらをの鞆の音すなり物部の大臣盾立つらしも
#[仮名],ますらをの,とものおとすなり,もののふの,おほまへつきみ,たてたつらしも
#[左注]
#[校異]御製歌 -> 御製 [冷][紀]
#[鄣W],雑歌,和銅1年,年紀,作者:元明,和銅,儀式
#[訓異]
#[大意]大丈夫の鞆の音が聞こえてくる。もののふの大臣が盾に立っているらしい
#{語釈]
#[説明]
即位や遷都の儀式の時の儀礼。
元明天皇和銅元年一一月に行われた大嘗祭の儀式の時のものか。
緊張した面持ちを詠んだもの。

#[関連論文]


#[番号]01/0077
#[題詞](和銅元年戊申 / 天皇<御製>)御名部皇女奉和御歌
#[原文]吾大王 物莫御念 須賣神乃 嗣而賜流 吾莫勿久尓
#[訓読]吾が大君ものな思ほし皇神の継ぎて賜へる我なけなくに
#[仮名],わがおほきみ,ものなおもほし,すめかみの,つぎてたまへる,われなけなくに
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,和銅1年,年紀,作者:御名部皇女,奉和
#[訓異]
#[大意]大君は物思いをなさいますな。皇祖の神が添えてお下しになった自分がいないというわけではありません
#{語釈]
御名部皇女 天智天皇皇女。元明天皇の同母姉。高市皇子に嫁し、長屋王を生む。
皇神の継ぎて賜へる  皇祖神が、大君に添えてお下しになった
          天孫降臨神話における伴神の概念で言う。
          大嘗祭の雰囲気か。

#[説明]


#[関連論文]


#[番号]01/0078
#[題詞]和銅三年庚戌春二月従藤原宮遷于寧樂宮時御輿停長屋原<廻>望古郷<作歌> [一書云 太上天皇御製]
#[原文]飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武 [一云 君之當乎 不見而香毛安良牟]
#[訓読]飛ぶ鳥の明日香の里を置きて去なば君があたりは見えずかもあらむ [一云 君があたりを見ずてかもあらむ]
#[仮名],とぶとりの,あすかのさとを,おきていなば,きみがあたりは,みえずかもあらむ,[きみがあたりを,みずてかもあらむ]
#[左注]
#[校異]迥 -> 廻 [元][類] / 御作歌 -> 作歌 [類][古][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,和銅3年,年紀,作者:元明,持統,古歌,転用,遷都,望郷,恋情,枕詞,愛惜
#[訓異]
#[大意]飛ぶ鳥の明日香の里を後にして行ったならば、あなたのあたりは見えないことであろうか
#{語釈]
長屋原 奈良県天理市西井戸堂町  中つ道の中間付近
きみ 天武や持統、文武陵のこと。或いは藤原不比等とも。ただ漠然と旧知の土地への哀惜か。
#[説明]
恋愛歌に仕立てた望郷。哀惜の情を述べることによってもといた場所への鎮魂を行う。

#[関連論文]


#[番号]01/0079
#[題詞]或本従藤原<京>遷于寧樂宮時歌
#[原文]天皇乃 御命畏美 柔備尓之 家乎擇 隠國乃 泊瀬乃川尓 舼浮而 吾行河乃 川隈之 八十阿不落 万段 顧為乍 玉桙乃 道行晩 青<丹>吉 楢乃京師乃 佐保川尓 伊去至而 我宿有 衣乃上従 朝月夜 清尓見者 栲乃穂尓 夜之霜落 磐床等 川之<水>凝 冷夜乎 息言無久 通乍 作家尓 千代二手 来座多公与 吾毛通武
#[訓読]大君の 命畏み 柔びにし 家を置き こもりくの 泊瀬の川に 舟浮けて 我が行く川の 川隈の 八十隈おちず 万たび かへり見しつつ 玉桙の 道行き暮らし あをによし 奈良の都の 佐保川に い行き至りて 我が寝たる 衣の上ゆ 朝月夜 さやかに見れば 栲の穂に 夜の霜降り 岩床と 川の水凝り 寒き夜を 息むことなく 通ひつつ 作れる家に 千代までに 来ませ大君よ 我れも通はむ
#[仮名],おほきみの,みことかしこみ,にきびにし,いへをおき,こもりくの,はつせのかはに,ふねうけて,わがゆくかはの,かはくまの,やそくまおちず,よろづたび,かへりみしつつ,たまほこの,みちゆきくらし,あをによし,ならのみやこの,さほかはに,いゆきいたりて,わがねたる,ころものうへゆ,あさづくよ,さやかにみれば,たへのほに,よるのしもふり,いはとこと,かはのみづこり,さむきよを,やすむことなく,かよひつつ,つくれるいへに,ちよまでに,きませおほきみよ,われもかよはむ
#[左注](右歌<作>主未詳)
#[校異]宮京 -> 京 [元][類][冷][紀] / 川 [類][古] 河 / <> -> 丹 [西(右書)][類][古][冷][紀] / 氷 -> 水 [類][冷] / 来 [万葉考](塙)(楓) 尓
#[鄣W],雑歌,遷都,藤原,奈良,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]大君の御命令を恐れ多く思って、慣れ親しんだ家を後にして、隠口の初瀬の川に舟を浮かべて自分が行く川の曲がり角ごとに何度も振り返り見ながら、玉鉾の道を何日もかかって行き、あをによし奈良の都の佐保川にたどりついて、自分が寝た衣の上から朝の月をはっきりと見ると白い布のように真っ白に夜の霜が降り、硬い岩の床のように川の水が凍りつき、そのような寒い夜を休息をとることもなく、通い続けて造った家に幾代までもいらっしゃいよ。大君よ。自分も通おうから

#{語釈]
#[説明]
奈良の都を造る役民を主人公として、君臣和楽の思想から喜び進んで新しい都を造っている様子を述べる。

#[関連論文]


#[番号]01/0080
#[題詞](或本従藤原<京>遷于寧樂宮時歌)反歌
#[原文]青丹吉 寧樂乃家尓者 万代尓 吾母将通 忘跡念勿
#[訓読]あをによし奈良の家には万代に我れも通はむ忘ると思ふな
#[仮名],あをによし,ならのいへには,よろづよに,われもかよはむ,わするとおもふな
#[左注]右歌<作>主未詳
#[校異]<> -> 作 [西(右書)][冷][紀][文]
#[鄣W],雑歌,遷都,藤原,奈良,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]あをによし奈良の家には永久に自分も通おう。忘れるとは思ってくださるな。
#{語釈]
忘ると思ふな  大君に対して親しみを込めて言った言葉。
        通うことを自分が忘れるとは思ってはくれるな。
        自分たちが行き来することによって新しい都が栄える様子を述べる。

#[説明]
#[関連論文]


#[番号]01/0081
#[題詞]和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井<作>歌
#[原文]山邊乃 御井乎見我弖利 神風乃 伊勢處女等 相見鶴鴨
#[訓読]山辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子どもあひ見つるかも
#[仮名],やまのへの,みゐをみがてり,かむかぜの,いせをとめども,あひみつるかも
#[左注]
#[校異]依 -> 作 [西(補訂)]
#[鄣W],雑歌,和銅5年4月,年紀,作者:長田王,伊勢,三重,御井,土地讃美,和銅,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]山辺の御井を見がてら、神風の伊勢の娘子たちを見たことである。
#{語釈]
和銅五年壬子 712年
長田王  系譜未詳 奈良時代の風流侍従の一人。天平9年6月18日に散位従四位下で卒。山邊御井  所在未詳 三重県鈴鹿市山辺町 石薬師町 三重県一志郡久居町新家 三重県一志郡嬉野町宮古    13/3235 やまのへの五十師の御井

#[説明]
旅中の土地讃美

#[関連論文]


#[番号]01/0082
#[題詞](和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井<作>歌)
#[原文]浦佐夫流 情佐麻<祢>之 久堅乃 天之四具礼能 流相見者
#[訓読]うらさぶる心さまねしひさかたの天のしぐれの流らふ見れば
#[仮名],うらさぶる,こころさまねし,ひさかたの,あめのしぐれの,ながらふみれば
#[左注](右二首今案不似御井所<作> 若疑當時誦之古歌歟)
#[校異]弥 -> 祢 [代匠記精撰本]
#[鄣W],雑歌,和銅5年4月,年紀,作者:長田王,伊勢,三重,御井,古歌,転用,和銅,枕詞
#[訓異]
#[大意]何となくさびしい気持ちでいっぱいだ。久方の天の時雨が流れて行くのを見ると
#{語釈]
うらさぶる うらさびしい
心さまねし さまねしは、いっぱいに広がる・あまねしと同じ意。

#[説明]
左注には古歌かと言っている。時雨は晩秋から初冬にかけてのもの。題詞の四月と季節が合わない。
次の歌と関連して言えば、旅の鬱屈を歌ったものか。

#[関連論文]


#[番号]01/0083
#[題詞](和銅五年壬子夏四月遣長田王于伊勢齊宮時山邊御井<作>歌)
#[原文]海底 奥津白波 立田山 何時鹿越奈武 妹之當見武
#[訓読]海の底沖つ白波龍田山いつか越えなむ妹があたり見む
#[仮名],わたのそこ,おきつしらなみ,たつたやま,いつかこえなむ,いもがあたりみむ
#[左注]右二首今案不似御井所<作> 若疑當時誦之古歌歟
#[校異]<> -> 作 [西(訂正)][冷][紀]
#[鄣W],雑歌,和銅5年4月,年紀,作者:長田王,伊勢,三重,御井,古歌,転用,和銅,羈旅,望郷,地名,序詞
#[訓異]
#[大意]海の底の沖の白波が立つその竜田山をいつ越えるのだろうか。妹のあたりを見ようから
#{語釈]
#[説明]
左注のとおり、場に合わない。都に帰る途中の歌。
ただ、三首は、御井、時雨、白波と水に関係するもので、一連の関連性がある。
また、山辺の御井のあたりは、紅葉の名所で、竜田山の古歌が持ち出されたか。

#[関連論文]