万葉集 巻第9

#[番号]09/1664
#[題詞]雜歌 / 泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天<皇>御製歌一首
#[原文]暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜
#[訓読]夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも
#[仮名],ゆふされば,をぐらのやまに,ふすしかの,こよひはなかず,いねにけらしも
#[左注]右或本云崗本天皇御製 不審正指 因以累戴
#[校異]歌 [西] 謌 / 皇天皇 -> 皇 [藍][壬][紀] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:雄略天皇,舒明天皇,斉明天皇,作者異伝,重出,地名,動物
#[異訓]
#[大意]夕方になると小倉の山に臥している鹿が、今夜は鳴かない。寝てしまったのだろう。
#[語釈]
小椋山 未詳 奈良県桜井市 多武峰 倉橋山 今井谷 忍坂 08.1511 09.1664
臥す鹿 視覚的表現。伝承歌としての性質。
左注 或本 編纂時に底本とした別の本
岡本宮天皇 舒明天皇か、斉明天皇
正指 正しさ。いずれが正しいかはわからない。
累戴 巻八の方が先に出来ていることを示す。
#[説明]
重出歌
08/1511D02崗本天皇御製歌一首
08/1511H01夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも
伝承歌として見ると、「鳴く」と「臥す」の表現性の相違から、経験的な用語を用いている巻八の方が古くて、巻九の歌に派生したか。
仁徳紀 トガノの鹿の話。播磨國風土記 トカノの話。
関連性は不明。
鹿鳴の叙情性の出ている歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1665
#[題詞]崗本宮御宇天皇幸紀伊國時歌二首
#[原文]為妹 吾玉拾 奥邊有 玉縁持来 奥津白浪
#[訓読]妹がため我れ玉拾ふ沖辺なる玉寄せ持ち来沖つ白波
#[仮名],いもがため,われたまひりふ,おきへなる,たまよせもちこ,おきつしらなみ
#[左注](右二首作者未詳)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,斉明天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名
#[訓異]
#[大意]妹のために自分は玉を拾っている。だから沖の方の玉を持ってきてくれ。沖の白波よ。
#{語釈]
崗本宮御宇天皇 斉明天皇のこと。
紀伊国行幸 日本書紀 斉明天皇四年十月十五日より翌五年正月三日まで
01/0009D01幸于紀温泉之時額田王作歌
01/0009H01莫囂円隣之大相七兄爪謁気我が背子がい立たせりけむ厳橿が本
拾ふ ヒリフ 01/0012H01我が欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の玉ぞ拾はぬ
#[説明]
行幸従駕の人の歌。羇旅歌に属する。
家人のために玉をみやげにするというモチーフが多い。
#[関連論文]


#[番号]09/1666
#[題詞](崗本宮御宇天皇幸紀伊國時歌二首)
#[原文]朝霧尓 沾尓之衣 不干而 一哉君之 山道将越
#[訓読]朝霧に濡れにし衣干さずしてひとりか君が山道越ゆらむ
#[仮名],あさぎりに,ぬれにしころも,ほさずして,ひとりかきみが,やまぢこゆらむ
#[左注]右二首作者未詳
#[校異]
#[鄣W],雑歌,斉明天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,留守
#[訓異]ひとりや
#[大意]朝霧に濡れた衣も干さないで、ただ独りであなたが山路を越えているだろうか。
#{語釈]
朝霧に濡れにし衣 作者が旅の君を思いやって、想像したもの。
旅中、衣が濡れる苦難を示す。
09/1688H01あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
山路越ゆらむ
12/3193H01玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山道越ゆらむ
#[説明]
旅に出た夫を思って歌ったもの。
左注の「右二首作者未詳」は、一首目が旅に出た夫が家郷の妹を思う気持ち。二首目が家郷にいる妹が旅の夫を思う気持ちで対になっている。
01/0043D01當麻真人麻呂妻作歌
01/0043H01我が背子はいづく行くらむ沖つ藻の名張の山を今日か越ゆらむ
伊勢物語二十三段
風吹けばおきつ白波たつた山夜半にや君が独り越ゆらむ
#[関連論文]


#[番号]09/1667
#[題詞]大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首
#[原文]為妹 我玉求 於伎邊有 白玉依来 於伎都白浪
#[訓読]妹がため我れ玉求む沖辺なる白玉寄せ来沖つ白波
#[仮名],いもがため,あれたまもとむ,おきへなる,しらたまよせこ,おきつしらなみ
#[左注]右一首上見既畢 但歌辞小換 年代相違 因以累戴
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,重出,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]妹のために自分は玉を求める。沖辺の白玉を寄せてこい。沖の白波よ。
#{語釈]
大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時
01/0054D01大寶元年辛丑秋九月太上天皇幸于紀伊國時歌 と同じ時期。
太上天皇 持統天皇
大行天皇 文武天皇
続日本紀
0013/04/九月丁亥(十八日)天皇幸紀伊國
0013/04/冬十月丁未(八日)車駕至武漏温泉 戊申從官并國郡司等進階并賜衣、衾及國内高年給稻各有差勿收當年租調并正税利唯武漏郡本利並免曲赦罪人
戊午(十九日)車駕自紀伊至
左注
右の一首、上に見ること既に畢(おわ)りぬ。 但し歌辞小換し、年代相ひ違ふ。因りて以て累ねて戴す。
1665とほとんど同じ歌であるが、少し違うので、重ねて載せた。
#[説明]
紀伊行幸時に斉明天皇時の古歌が唱誦されたものが記録されたか。
#[関連論文]


#[番号]09/1668
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]白埼者 幸在待 大船尓 真梶繁貫 又将顧
#[訓読]白崎は幸くあり待て大船に真梶しじ貫きまたかへり見む
#[仮名],しらさきは,さきくありまて,おほぶねに,まかぢしじぬき,またかへりみむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,土地讃美,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]白崎は変わらずにいて待っていてくれ。大船に両舷に楫をいっぱいにつけてまたここへ戻ってきて見ようから。
#{語釈]
白崎 現在、日高郡由良町 御坊市の北。藤代の坂の南 地図
幸くありまて 変わらずにあって待っていてくれ
01/0030H01楽浪の志賀の辛崎幸くあれど大宮人の舟待ちかねつ
20/4368H01久慈川は幸くあり待て潮船にま楫しじ貫き我は帰り来む
#[説明]
羈旅中の無事を願った手向け歌。
02/0141H01岩代の浜松が枝を引き結びま幸くあらばまた帰り見む
「全註釈」20/4368 同型の歌があり、かような型の歌が歌い伝えられて、
時に応じて地名を差し替えたものと思われる。
#[関連論文]


#[番号]09/1669
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]三名部乃浦 塩莫満 鹿嶋在 釣為海人乎 見變来六
#[訓読]南部の浦潮な満ちそね鹿島なる釣りする海人を見て帰り来む
#[仮名],みなべのうら,しほなみちそね,かしまなる,つりするあまを,みてかへりこむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,土地讃美,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]南部の浦よ。潮は満ちるなよ。鹿島で釣りをしている漁師を見て帰って来ようから。
#{語釈]
南部の浦 日高郡南部町の海
潮な満ちそね 船で渡るにしても、潮が満ちた中での航行の難渋さを言ったもの。
鹿島 南部の沖の島。
#[説明]
土地の風光を讃美した羈旅歌
#[関連論文]


#[番号]09/1670
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]朝開 滂出而我者 湯羅前 釣為海人乎 見<反>将来
#[訓読]朝開き漕ぎ出て我れは由良の崎釣りする海人を見て帰り来む
#[仮名],あさびらき,こぎでてわれは,ゆらのさき,つりするあまを,みてかへりこむ
#[左注]
#[校異]變 -> 反 [藍][壬][類]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,土地讃美,地名,大宝1年10月,年紀
[訓異]
#[大意]朝、海が明るくなってこぎ出して自分は由良の崎で釣りをしている海人を見て帰ってこよう。
#{語釈]
朝開き 朝に海が明るくなって 停泊していた船が動き出すこと。
03/0351H01世間を何に譬へむ朝開き漕ぎ去にし船の跡なきごとし
由良の崎 和歌山県日高郡由良町神谷崎。由良港の西に突き出た神谷崎のあたり。
07/1220H01妹がため玉を拾ふと紀伊の国の由良の岬にこの日暮らしつ
#[説明]
土地讃美の羈旅歌
#[関連論文]


#[番号]09/1671
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]湯羅乃前 塩乾尓祁良志 白神之 礒浦箕乎 敢而滂動
#[訓読]由良の崎潮干にけらし白神の礒の浦廻をあへて漕ぐなり
#[仮名],ゆらのさき,しほひにけらし,しらかみの,いそのうらみを,あへてこぐなり
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]由良の崎は、潮が干いたらしい。白神の磯の浦の周りをことさら漕いでいるようだ。
#{語釈]
白神の磯 和歌山県有田郡湯浅町栖原 和歌山県日高郡由良町 未詳
あへて漕ぐなり あへて 強いて、押して
03/0388H05立ち騒くらし いざ子ども あへて漕ぎ出む 庭も静けし
潮が引いておだやかになった海の風景を言ったもの。通常は航行の危険な場所として見られていたか。
佐竹昭広 「鳴神」を「動神(7/1092)」と書き、7/1143「水手鳴」7/1152「為鳴」の「なり」と同じ。こぐなり
#[説明]
前歌を受けて、「潮干」で歌った。
#[関連論文]


#[番号]09/1672
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]黒牛方 塩干乃浦乎 紅 玉裾須蘇延 徃者誰妻
#[訓読]黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
#[仮名],くろうしがた,しほひのうらを,くれなゐの,たまもすそびき,ゆくはたがつま
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,恋情,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]黒牛潟よ。その潮干の浦を真っ赤な美しい裳裾を引いて行くのは誰の妻であろうか。
#{語釈]
黒牛潟 海南市黒江の浜
07/1218H01黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも
#[説明]
家持
20/4397D01在舘門見江南美女作歌一首
20/4397H01見わたせば向つ峰の上の花にほひ照りて立てるは愛しき誰が妻
海岸で紅の裳の美女を読んだ歌。
01/0040H01嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか
06/1001H01大夫は御狩に立たし娘子らは赤裳裾引く清き浜びを
行幸時の女官の様子を讃美して、望郷の気持ちを示したもの。
#[関連論文]


#[番号]09/1673
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]風莫乃 濱之白浪 徒 於斯依久流 見人無 [一云 於斯依来藻]
#[訓読]風莫の浜の白波いたづらにここに寄せ来る見る人なしに [一云 ここに寄せ来も]
#[仮名],かざなしの,はまのしらなみ,いたづらに,ここによせくる,みるひとなしに,[ここによせくも]
#[左注]右一首山上<臣>憶良類聚歌林曰 長忌寸意吉麻呂應詔作此歌
#[校異]莫 (塙) 草 / 臣 [西(上書訂正)][藍][壬][紀] / 歌林 [西] 謌林 [西(訂正)] 歌林 / 此歌 [西] 此謌 [西(訂正)] 此歌
#[鄣W],雑歌,長意吉麻呂,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀,異伝,推敲
#[訓異]
#[大意]風莫の浜の白波よ。むなしくここに寄せてくることだ。見る人はいないのに。
#{語釈]
風莫の浜 和歌山県西牟婁郡白浜町網不知 未詳
7/1228「風早の三穂乃浦廻」
#[説明]
佳景を賞美したもの。羈旅の土地讃美。
異伝 長忌寸意吉麻呂
02/0143D01長忌寸意吉麻呂見結松哀咽歌二首
02/0143H01岩代の岸の松が枝結びけむ人は帰りてまた見けむかも
02/0144H01岩代の野中に立てる結び松心も解けずいにしへ思ほゆ
02/0144I01[未詳]
02/0145D01山上臣憶良追和歌一首
02/0145H01鳥翔成あり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ
02/0145S01右件歌等雖不挽柩之時所作准擬歌意 故以載于挽歌類焉
02/0146D01大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首
02/0146D02[柿本朝臣人麻呂歌集中出也]
02/0146H01後見むと君が結べる岩代の小松がうれをまたも見むかも
憶良との関係があるか。
#[関連論文]


#[番号]09/1674
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]我背兒我 使将来歟跡 出立之 此松原乎 今日香過南
#[訓読]我が背子が使来むかと出立のこの松原を今日か過ぎなむ
#[仮名],わがせこが,つかひこむかと,いでたちの,このまつばらを,けふかすぎなむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]わが夫の使いが来ようかとして出で立って待つというこの出立の松原を今日通り過ぎてしまうことであろうか。
#{語釈]
出立の 和歌山県田辺市元町。
    上句「この松原」にかかる序詞。出立って待つからの連想。
#[説明]
女官の歌か、男が女になり代わって歌ったものか。
#[関連論文]


#[番号]09/1675
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]藤白之 三坂乎越跡 白栲之 我衣乎者 所沾香裳
#[訓読]藤白の御坂を越ゆと白栲の我が衣手は濡れにけるかも
#[仮名],ふぢしろの,みさかをこゆと,しろたへの,わがころもでは,ぬれにけるかも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀
[訓異]
#[大意]藤代の御坂を超えるとして白妙の自分の袖は涙で(山の滴で)濡れたことであるよ
#{語釈]
藤代のみ坂 海南市より下津町橘本(きつもと)へ越える坂。有間皇子の処刑された場所。
濡れにけるかも 代匠記(精撰)「四十余年の前、有間皇子此坂にて絞られ給ひけるを慟みて注意なり」
代匠記初稿本「此処みさかをこゆれば、故郷のことにあるかになればなり」
奈良から他郷に出る意識。
全註釈「山の滴で濡れたのである」
07/1241H01ぬばたまの黒髪山を朝越えて山下露に濡れにけるかも
私注「涙で袖を濡らすのだという説があるが、低俗な理解法だ。有間皇子を悲しむのならば、かうした間接な表現法を取る筈がない」
#[説明]
藤代の坂ということで、有間皇子の故事を想記して、涙で袖が濡れたという鎮魂歌であるという考えと、ただ山の滴で袖が濡れたという解釈と2通りある。
#[関連論文]


#[番号]09/1676
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]勢能山尓 黄葉常敷 神岳之 山黄葉者 今日散濫
#[訓読]背の山に黄葉常敷く神岳の山の黄葉は今日か散るらむ
#[仮名],せのやまに,もみちつねしく,かむをかの,やまのもみちは,けふかちるらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,望郷,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]背の山に黄葉がいつも散り敷いている。神丘の山の黄葉は今日はもう散っているだろうか。
#{語釈]
背の山 和歌山県伊都紀ノ川右岸
01/0035D01越勢能山時阿閇皇女御作歌
01/0035H01これやこの大和にしては我が恋ふる紀路にありといふ名に負ふ背の山
常敷く いつも散り敷いているの意。
神岳 2/0159神岳の 山の黄葉を
明日香の甘南備。雷丘、ミハ山、甘橿丘等、諸説。持統天皇と関わりが深い。
#[説明]
旅先の風景を見て、家郷飛鳥のことを思いやっている望郷歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1677
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]山跡庭 聞徃歟 大我野之 竹葉苅敷 廬為有跡者
#[訓読]大和には聞こえも行くか大我野の竹葉刈り敷き廬りせりとは
#[仮名],やまとには,きこえもゆくか,おほがのの,たかはかりしき,いほりせりとは
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]
#[大意]大和にはこのことが聞こえて行かないか。大我野の竹の葉を刈り敷いて庵をしているとは。
#{語釈]
聞こえも行くか 言い伝えられて行かないかという希望
大我野 和歌山県橋本市西部 今の橋本市の東家(とうけ)、市脇あたりの平野
#[説明]
旅の難渋を家郷に伝えたい望郷の歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1678
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]木國之 昔弓雄之 響矢用 鹿取靡 坂上尓曽安留
#[訓読]紀の国の昔弓雄の鳴り矢もち鹿取り靡けし坂の上にぞある
#[仮名],きのくにの,むかしさつをの,なりやもち,かとりなびけし,さかのうへにぞある
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]弓雄 西、全註釈、註釈「ゆみを」童「さちを」古義、大系「さつを」響矢 紀「なるや」西「かふら」略解「なりや」鹿取靡 旧訓「しかとりなびく」考「しかとりなめし」古義「かとりなびけし」定本、全註釈、注釈「しかとりなべし」
#[大意]紀伊の国の昔、猟師が鳴り矢を用いて鹿を多く捕り靡かせた坂の上であるよ。
#{語釈]
弓雄 紀伊に伝わった伝説の弓の名人
鳴り矢 鏑矢のこと
鹿取り靡けし 鹿を多く捕って靡かせた
   靡くは、服従させる、平定する
#[説明]
紀伊国内の通過中の坂で、伝説の弓の名人の話を聞いた手向けの歌。
峠の手向けで矢を射る風習から峠の神の服従話を聞いた歌か。
03/0364D01笠朝臣金村塩津山作歌二首
03/0364H01ますらをの弓末振り起し射つる矢を後見む人は語り継ぐがね
#[関連論文]


#[番号]09/1679
#[題詞](大寳元年辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首)
#[原文]城國尓 不止将徃来 妻社 妻依来西尼 妻常言長柄 [一云 嬬賜尓毛 嬬云長<良>]
#[訓読]紀の国にやまず通はむ妻の杜妻寄しこせね妻といひながら [一云 妻賜はにも妻といひながら]
#[仮名],きのくにに,やまずかよはむ,つまのもり,つまよしこせね,つまといひながら,[つまたまはにも,つまといひながら]
#[左注]右一首或云坂上忌寸人長作
#[校異]良 -> 柄 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,持統天皇,文武天皇,行幸,羈旅,紀州,和歌山,地名,大宝1年10月,年紀
#[訓異]妻依来西尼 旧訓「つまよりこさね」考「いもよりこせね」略解「つまよしこせね」
#[大意]紀伊の国に絶えず通おう。妻の森よ。妻を寄せて来て欲しい。妻と言うのだから。[妻を賜りたい。妻というのだから(妻を賜うにも妻の森というのだから)]
#{語釈]
妻の社 和歌山県橋本市妻
妻寄しこせね こせ 希望 妻を寄せて来て欲しい
14/3454H01庭に立つ麻手小衾今夜だに夫寄しこせね麻手小衾
妻と言いながら ながら のままにの意 妻というのだから
坂上忌寸人長 伝未詳 異伝の作者か
#[説明]
妻の杜の名前に興じた望郷的な歌。旅中の宴席で詠まれたか。
#[関連論文]


#[番号]09/1680
#[題詞]後人歌二首
#[原文]朝裳吉 木方徃君我 信土山 越濫今日曽 雨莫零根
#[訓読]あさもよし紀へ行く君が真土山越ゆらむ今日ぞ雨な降りそね
#[仮名],あさもよし,きへゆくきみが,まつちやま,こゆらむけふぞ,あめなふりそね
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,和歌山,餞別,留守,地名
#[訓異]
#[大意]あさもよし紀へ行く君が真土山を越えるであろう今日は雨よ降るなよ。
#{語釈]
あさもよし 紀の枕詞 よい麻布の裳は着やすいからか、紀州は裳を作る麻の特産だからか。
真土山 大和と紀伊との境の山
01/0055H01あさもよし紀人羨しも真土山行き来と見らむ紀人羨しも
12/3154H01いで我が駒早く行きこそ真土山待つらむ妹を行きて早見む
平安時代の催馬楽ともなり、歌枕として知られる。
#[説明]
夫が旅をしているときのことを思って詠んだ歌。帰京時に歌われたものか。
#[関連論文]


#[番号]09/1681
#[題詞](後人歌二首)
#[原文]後居而 吾戀居者 白雲 棚引山乎 今日香越濫
#[訓読]後れ居て我が恋ひ居れば白雲のたなびく山を今日か越ゆらむ
#[仮名],おくれゐて,あがこひをれば,しらくもの,たなびくやまを,けふかこゆらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,餞別,留守
#[訓異]
#[大意]後に残っていて自分が恋い思っていると、わが夫は白雲のたなびく山を今日越えているのだろうか
#{語釈]
白雲のたなびく山 はるか遠方にある山のイメージ。
03/0287H01ここにして家やもいづく白雲のたなびく山を越えて来にけり
04/0574H01ここにありて筑紫やいづち白雲のたなびく山の方にしあるらし
#[説明]
都に残った妻が夫の旅を思いやっている歌。
#[関連論文]
以下、この歌群全体を論じた論文
紀伊行幸歌群の論|伊藤博|万葉集研究|16|88.11|万葉集の歌群と配列上|古代和歌史研究|90.9
内容(要約・一部抄出)
前半八首が行きの海浜詠、後半五首が帰りの山道詠。後半は都への道順になっているが、前半は牟呂湯への道順とはなっていない。これは牟呂湯に到着してのちのある日に来し方をあれやこれや振り返って、一堂で詠み交わしたことに由来すると推測される。そして往路は時間をかけてゆっくりと海岸を遊覧して行ったために歌が海岸に限られてくる。
冒頭、斉明朝の歌は、斉明六年紀伊行幸時のもの。有間皇子事件の時。大宝元年紀伊行幸時にその底辺に流れているか。
帰路においても有間皇子の追悼がその底辺に流れている。そしてこれらの歌の場は、帰京後の宴、すなわち、羈旅慰安・羈旅報告を目的とする集いにおいて、再度披露され、それに応じて、後半詠五首が新たに詠み継がれたと考える以外にないであろう。
2/0146D01大寶元年辛丑幸于紀伊國時見結松歌一首
02/0146D02[柿本朝臣人麻呂歌集中出也]
02/0146H01後見むと君が結べる岩代の小松がうれをまたも見むかも
は、1673と1674との間に元来位置していたらしいこと、その146の歌を含めて、1665~1681の18首は、詠作上、緊密な一集団をなすと認められること、さようなまとまりをなした機会は、大宝元年の紀伊行幸を終えて帰京したのちの、気楽な集宴においてであったらしいこと。


#[番号]09/1682
#[題詞]獻忍壁皇子歌一首 [詠仙人形]
#[原文]常之<倍>尓 夏冬徃哉 裘 扇不放 山住人
#[訓読]とこしへに夏冬行けや裘扇放たぬ山に住む人
#[仮名],とこしへに,なつふゆゆけや,かはごろも,あふぎはなたぬ,やまにすむひと
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 陪 -> 倍 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,献呈歌,詠物,忍壁皇子,非略体
#[訓異]
#[大意]永遠に夏と冬が同時に行くというからか、冬の皮衣を着て夏の扇を放さない山に住む人よ
#{語釈]
忍壁皇子 天武天皇第九皇子 慶雲元年五月薨去。
03/0235D02天皇御遊雷岳之時柿本朝臣人麻呂作歌一首
03/0235H01大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも
03/0235S01右或本云獻忍壁皇子也 其歌曰
03/0235H02大君は神にしませば雲隠る雷山に宮敷きいます
とこしへに夏冬行けや 永遠に夏と冬が同時に行くというからか(そんなこともないのに) 行けや 行けばやの略 や 反語
裘 倭名類聚抄「裘 説文云 裘 音求 加波古路毛 俗云 加波岐奴 皮衣也」
竹取物語「火鼠のかはごろもをたまへ」
冬の着物
扇 夏のもの
山に住む人 仙人のことを言うか。絵を見ている。
20/4293D01幸行於山村之時歌二首
20/4293D02先太上天皇詔陪従王臣曰夫諸王卿等宣賦和歌而奏即御口号曰
20/4293H01あしひきの山行きしかば山人の我れに得しめし山づとぞこれ
20/4294D01舎人親王應詔奉和歌一首
20/4294H01あしひきの山に行きけむ山人の心も知らず山人や誰れ
20/4294S01右天平勝寶五年五月在於大納言藤原朝臣之家時 依奏事而請問之間 少主鈴
20/4294S02山田史土麻呂語少納言大伴宿祢家持曰 昔聞此言 即誦此歌也
#[説明]
神仙思想に寄っている。懐風藻詩に多い。
9/1709左注に「右柿本朝臣人麻呂之歌集所出」とあり、この歌から指しているか。
#[関連論文]


#[番号]09/1683
#[題詞]獻舎人皇子歌二首
#[原文]妹手 取而引与治 捄手折 吾刺可 花開鴨
#[訓読]妹が手を取りて引き攀ぢふさ手折り我がかざすべく花咲けるかも
#[仮名],いもがてを,とりてひきよぢ,ふさたをり,わがかざすべく,はなさけるかも
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,献呈歌,舎人皇子,非略体
#[訓異]
#[大意]妹の手を取って引き寄せるのではないが、引き寄せてねじ折って、ふさふさと手折って自分が頭にかざすように花が咲いたことである。
#{語釈]
に手折」諸本、諸注 「うちたおり」
竹岡正夫「に手折考」(万葉48号 昭28.7)越前国江沼郡山背郷天平十二年計帳宝亀三年東大寺奴卑籍帳「右手に黒子」 神亀三年山背国愛宕郡雲下里計帳「右腕黒子」とあって「手に」が「腕」に相当している。
類従名義抄「腕 タブサ」とあり、「に」は「ふさ」と訓める。
8/1549「総手折」と同じく、「ふさたおり」と訓む。
09/1704H01に手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留
13/3223H04吾者有友 引攀而 峯文十遠仁 に手折 吾者持而徃
17/3943H01秋田乃 穂牟伎見我氐里 和我勢古我 布左多乎里家流 乎美奈敝之香物
ふさふさと手折る ふさやかに手折る
「刺」一字で「かざす」と訓んだ例はない。考「頭を脱せり。刺をかざすとは訓がたし。次の二首目の歌の例をもて頭を補へり」
#[説明]花の華やかに咲いた様子を述べたもの。序詞に興味があるか。
#[関連論文]


#[番号]09/1684
#[題詞](獻舎人皇子歌二首)
#[原文]春山者 散過去鞆 三和山者 未含 君持勝尓
#[訓読]春山は散り過ぎぬとも三輪山はいまだふふめり君待ちかてに
#[仮名],はるやまは,ちりすぎぬとも,みわやまは,いまだふふめり,きみまちかてに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,献呈歌,舎人皇子,奈良,桜井,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]春の山々はもう花が散ってしまったが、三輪山はまだつぼみのままでいる。あなたを待ちかねて。
#{語釈]
[説明]比喩が含まれているか。あるいは、三輪山の一連の歌として、舎人皇子が三輪山に行くことに即しているか。
#[関連論文]


#[番号]09/1685
#[題詞]泉河邊間人宿祢作歌二首
#[原文]河瀬 激乎見者 玉藻鴨 散乱而在 川常鴨
#[訓読]川の瀬のたぎつを見れば玉藻かも散り乱れたる川の常かも
#[仮名],かはのせの,たぎつをみれば,たまもかも,ちりみだれたる,かはのつねかも
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 玉藻 [類][古](塙) 玉
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:間人宿祢,木津川,京都,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]川の早瀬の流れの激しているのを見ると、玉藻であろうか、散り乱れているのは。川のいつもの状態なのだろうか。
#{語釈]
泉河 木津川
間人宿祢 未詳 天武一三年 宿祢姓 神魂命が祖
間人老(1/3) 間人大浦(3/289)
#[説明]
叙景歌である。
#[関連論文]


#[番号]09/1686
#[題詞](泉河邊間人宿祢作歌二首)
#[原文]孫星 頭刺玉之 嬬戀 乱祁良志 此川瀬尓
#[訓読]彦星のかざしの玉の妻恋ひに乱れにけらしこの川の瀬に
#[仮名],ひこほしの,かざしのたまの ,つまごひに,みだれにけらし,このかはのせに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,七夕,作者:間人宿祢,木津川,京都,羈旅,非略体
#[訓異]
#[大意]彦星の頭にかざしている玉が妻を恋しく思うあまりに乱れたのだろう。この川の瀬に
#{語釈]
#[説明]
二首唱和した形になっている。題詞は一人の作者名を掲げているだけであるが、歌作の場は二人での唱和であると思われる。臨場表現のあるところからみると宴席の場であろう。早瀬をテーマとして、七夕を想記している。
#[関連論文]


#[番号]09/1687
#[題詞]鷺坂作歌一首
#[原文]白鳥 鷺坂山 松影 宿而徃奈 夜毛深徃乎
#[訓読]白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを
#[仮名],しらとりの,さぎさかやまの,まつかげに,やどりてゆかな,よもふけゆくを
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名
[訓異]
#[大意]白鳥の鷺坂山の松の木陰で一夜の仮泊をとって行こうよ。夜も更けていくものを
#{語釈]
鷺坂 9/1707 山代の久世の鷺坂。京都府城陽市久世。
白鳥の 白い鳥である鷺にかかる枕詞
#[説明]
旅中望郷性を持った歌。
#[関連論文]



#[番号]09/1688
#[題詞]名木河作歌二首
#[原文]焱干 人母在八方 沾衣乎 家者夜良奈 羈印
#[訓読]あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
#[仮名],あぶりほす,ひともあれやも,ぬれぎぬを,いへにはやらな,たびのしるしに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名,望郷
#[訓異]
#[大意]あぶって干す人もいるというのだろうか。そんな人はいないので、濡れた着物を家に送ってやろう。旅のしるしとして。
#{語釈]
名木河 倭名類聚抄 久世郡「那紀 奈癸」 山城志「那紀 巳廃存伊勢田村」
現 宇治市伊勢田町 現存しない。巨椋池に注いでいたか。
奥野健治 山城志考 木津川の那紀の地での呼び名か。
あれやも 反語
#[説明]
雨などに濡れた衣を着て、旅の難渋を嘆いている歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1689
#[題詞](名木河作歌二首)
#[原文]在衣邊 著而榜尼 杏人 濱過者 戀布在奈利
#[訓読]荒磯辺につきて漕がさね杏人の浜を過ぐれば恋しくありなり
#[仮名],ありそへに,つきてこがさね,からひとの,はまをすぐれば,こほしくありなり
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名,望郷
#[訓異]
#[大意]荒磯辺にくっついて船を漕いでください。杏人の浜を過ぎるので、恋しく思われるようだ(荒磯に続いて漕いでください。杏人が浜を通り過ぎるので恋しく思われるようだ
#{語釈]
荒磯辺 川岸を荒磯とも言う。
07/1226H01三輪の崎荒磯も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避き道はなしに
杏人 帰化人集落があったか。「からひとの浜」という地名と見るか、「の」は格助詞(主語)とみるか。。
#[説明]
海辺の羇旅の時の古歌を転用しているか。
両方の意味に解しても、羇旅中の土地讃美となる。
#[関連論文]


#[番号]09/1690
#[題詞]高島作歌二首
#[原文]高嶋之 阿渡川波者 驟鞆 吾者家思 宿加奈之弥
#[訓読]高島の阿渡川波は騒けども我れは家思ふ宿り悲しみ
#[仮名],たかしまの,あどかはなみは,さわけども,われはいへおもふ,やどりかなしみ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,滋賀県,羈旅,非略体,望郷,地名
#[訓異]
#[大意]高嶋の阿渡川の川波は騒いでいるが、自分は家郷のことを思う。旅の宿りが悲しいので
#{語釈]
高嶋 3/275 滋賀県高嶋郡
阿渡川 現在の安曇川
07/1238H01高島の安曇白波は騒けども我れは家思ふ廬り悲しみ
重出。異伝か。
#[説明]
02/0133H01笹の葉はみ山もさやにさやげども我れは妹思ふ別れ来ぬれば
と同じ構成の歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1691
#[題詞](高島作歌二首)
#[原文]客在者 三更刺而 照月 高嶋山 隠惜毛
#[訓読]旅なれば夜中をさして照る月の高島山に隠らく惜しも
#[仮名],たびにあれば,よなかをさして,てるつきの,たかしまやまに,かくらくをしも
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]刺 (塙) 判
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,滋賀県,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]旅であるので、夜中をさして照っている月が高嶋山に隠れることが惜しいことだ。
#{語釈]
夜中 原文 三更
08/1545H01織女之 袖續三更之 五更者 河瀬之鶴者 不鳴友吉
07/1225H01狭夜深而 夜中乃方尓 欝之苦 呼之舟人 泊兼鴨
高嶋地方の地名。夜中もかけるか。
#[説明]
月は妻のいる都でも照っている。それが隠れるのであるから妻を思い出すよすががなくなった状態で寂しさを言う。羇旅の望郷歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1692
#[題詞]紀伊國作歌二首
#[原文]吾戀 妹相佐受 玉浦丹 衣片敷 一鴨将寐
#[訓読]我が恋ふる妹は逢はさず玉の浦に衣片敷き独りかも寝む
#[仮名],あがこふる,いもはあはさず,たまのうらに,ころもかたしき,ひとりかもねむ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,和歌山,羈旅,非略体,地名,望郷
#[訓異]
#[大意]自分が恋い思う妹は会ってはくれない。玉の浦に衣を自分だけのものを引いて、独りで寝ることであろうか。
#{語釈]
逢はさず
11/2690H01白栲の我が衣手に露は置き妹は逢はさず(妹者不相)たゆたひにして
「逢ふ」の敬語「逢はす」の未然形に打ち消し「ず」のついたもの。
玉浦 和歌山県那智勝浦町、下里町の粉白の海
07/1202H01荒礒ゆもまして思へや玉の浦離れ小島の夢にし見ゆる
衣片敷き
10/2261H01泊瀬風かく吹く宵はいつまでか衣片敷き我がひとり寝む
寝るときに敷く衣を、一人であるので「片敷く」となる。独りの強調。
#[説明]
旅先の一夜妻であり、会ってくれないさびしさを言ったもの。
妹とは死別しており、以前の行幸で共に訪れた場所で思い出している。
都の妹への望郷。
#[関連論文]


#[番号]09/1693
#[題詞](紀伊國作歌二首)
#[原文]玉匣 開巻惜 ね夜矣 袖可礼而 一鴨将寐
#[訓読]玉櫛笥明けまく惜しきあたら夜を衣手離れて独りかも寝む
#[仮名],たまくしげ,あけまくをしき,あたらよを,ころもでかれて,ひとりかもねむ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]寐 [類] 宿
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,和歌山,羈旅,非略体,望郷
#[訓異]
#[大意]玉櫛笥を開けるように明けるのが惜しいもったいない夜なのに、妻の衣手から離れて独りで寝ることであろうか。
#{語釈]
玉櫛笥 「開く」の意で「明ける」の枕詞
あたら夜 妻と2人で過ごす夜だったら明けるのが惜しい夜
#[説明]
前の歌と同じ時の作。死別説と羈旅中の離別説の2つが考えられる。ただし
04/0496H01み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
の歌と関連しているか。
#[関連論文]


#[番号]09/1694
#[題詞]鷺坂作歌一首
#[原文]細比礼乃 鷺坂山 白管自 吾尓尼保波<尼> 妹尓示
#[訓読]栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ
#[仮名],たくひれの,さぎさかやまの,しらつつじ,われににほはに,いもにしめさむ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 弖 -> 尼 [藍][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名,植物、みやげ
#[訓異]
#[大意]たくひれの鷺坂山の白つつじよ。自分にしみつけよ。妹に示そうから。
#{語釈]
鷺坂 1687既出 山代の久世の鷺坂。京都府城陽市久世。
栲領巾の 栲で作った白い領巾。鷺は白鷺のことで、その色から鷺にかかる枕詞。
03/0285H01栲領巾の懸けまく欲しき妹が名をこの背の山に懸けばいかにあらむ
にほはに 旅のしるしとして、自分の着物に色や香りをしみつけること。
#[説明]
羈旅の景物をみやげとする気持ちの歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1695
#[題詞]泉河作歌一首
#[原文]妹門 入出見川乃 床奈馬尓 三雪遣 未冬鴨
#[訓読]妹が門入り泉川の常滑にみ雪残れりいまだ冬かも
#[仮名],いもがかど,いりいづみがはの,とこなめに,みゆきのこれり,いまだふゆかも
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,木津川,京都,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]妹の門を入ったり出たりするという泉の河のいつも水にあたってぬるぬるしている川岩に雪が残っている。まだ冬なのだろうか。
#{語釈]
妹が門入り泉 妹の門に入ったり出たりするの「出づ」と「泉」をかけた序。
泉川 木津川
常滑 川水にあたって常にぬるぬるしているところ。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1696
#[題詞]名木河作歌三首
#[原文]衣手乃 名木之川邊乎 春雨 吾立沾等 家念良武可
#[訓読]衣手の名木の川辺を春雨に我れ立ち濡ると家思ふらむか
#[仮名],ころもでの,なきのかはへを,はるさめに,われたちぬると,いへおもふらむか
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名,望郷
#[訓異]
#[大意]衣手の名木の川の辺を春雨に自分は立ち濡れていると家では思うであろうか。
#{語釈]
名木河 1688既出
    倭名類聚抄 久世郡「那紀 奈癸」 山城志「那紀 巳廃存伊勢田村」
現 宇治市伊勢田町 現存しない。巨椋池に注いでいたか。
奥野健治 山城志考 木津川の那紀の地での呼び名か
衣手の 枕詞 かかり方未詳。1/50 衣手の田上山の
    代匠記 泣く時袖を覆う意なり
    冠辞考 長きといひかけたるか。 また袖はことに馴れてなゆる物なれば、和(なぎ)といへるか
#[説明]
1688と連作。
#[関連論文]


#[番号]09/1697
#[題詞](名木河作歌三首)
#[原文]家人 使在之 春雨乃 与久列杼吾<等>乎 沾念者
#[訓読]家人の使ひにあらし春雨の避くれど我れを濡らさく思へば
#[仮名],いへびとの,つかひにあらし,はるさめの,よくれどわれを,ぬらさくおもへば
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]<> -> 等 [藍][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,望郷
#[訓異]
使ひにあらし [注釈][全註] 使ひなるらし
濡らさく [全註] 濡らす
#[大意]家の人の使いであるらしい。避けても春雨が自分を濡らすことを思うと。
#{語釈]
避く 避ける
07/1226H01三輪の崎荒磯も見えず波立ちぬいづくゆ行かむ避き道はなしに
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1698
#[題詞](名木河作歌三首)
#[原文]焱干 人母在八方 家人 春雨須良乎 間使尓為
#[訓読]あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを間使ひにする
#[仮名],あぶりほす,ひともあれやも,いへびとの,はるさめすらを,まつかひにする
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,望郷
#[訓異]
#[大意]あぶって濡れた衣を干す人もいるというのだろうか。そうでもないのに家の人は春雨すらも間の使者にするとは。
#{語釈]
あぶり干す人もあれやも 先の1688と対 「間使いにする」にかかる。
間使い
06/0946H03おのが名惜しみ 間使も 遣らずて我れは 生けりともなし
恋人との間と取り持つ使者
#[説明]
1688,9と同じ場で対応する。
#[関連論文]


#[番号]09/1699
#[題詞]宇治河作歌二首
#[原文]巨椋乃 入江響奈理 射目人乃 伏見何田井尓 鴈渡良之
#[訓読]巨椋の入江響むなり射目人の伏見が田居に雁渡るらし
#[仮名],おほくらの,いりえとよむなり,いめひとの,ふしみがたゐに,かりわたるらし
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名,動物
#[訓異]
#[大意]巨椋の入江がざわめいているようだ。射目人の伏すその伏見の田の周りに雁が渡るらしい。
#{語釈]
巨椋の入江 宇治川から南に広がった遊水池 豊臣時代に堤防が築かれて池となる。
大正から昭和の初めに干拓されて、姿が消える。
現在、その上を南北に近鉄京都線が走っている。
響むなり 旧訓 ひびくなり 入江に降りていた雁が一斉に飛び立つ光景を聴覚的に示す。
「なり」は様態
射目人の 「伏す」にかかる枕詞。矢を射る人が伏して獲物を待つ意。
06/0926H02跡見据ゑ置きて み山には 射目立て渡し 朝狩に 獣踏み起し
08/1549H01射目立てて跡見の岡辺のなでしこの花ふさ手折り我れは持ちて行く奈良人のため
13/3278H02思ひ妻 心に乗りて 高山の 嶺のたをりに 射目立てて 鹿猪待つがごと
伏見が田居 京都市伏見区の田畑
弓を射る人である猟師が実際に伏していることも踏まえて、伏見の地名と懸けているか。
#[説明]
同様の歌構成
08/1529H01天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも
何かに驚いた雁の群が一斉に入江から飛び立つ様子を、或いは猟師が潜んでいて矢を射かけたかも知れないという想像を含めて、空を旋回する雁の光景とともに詠んだもの。
#[関連論文]


#[番号]09/1700
#[題詞](宇治河作歌二首)
#[原文]金風 山吹瀬乃 響苗 天雲翔 鴈相鴨
#[訓読]秋風に山吹の瀬の鳴るなへに天雲翔る雁に逢へるかも
#[仮名],あきかぜに,やまぶきのせの,なるなへに,あまくもかける,かりにあへるかも
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]雁相 [藍][類][古] 相
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]秋風に山を吹く瀬の音が轟くごとに、天雲を飛びかける雁に逢うことであるよ。
#{語釈]
金風に あきかぜ 金を秋に当てる。五行説に拠った表記。
01/0007H01金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念
山吹の瀬 地名だとすると所在未詳。宇治のあたり。
     略解 山を吹く風が当たる瀬
私注 地名とする方が意味が単純
全註釈 やまふきてせの 秋風が山を吹く風と見るべき
注釈 山吹 天平勝宝二年以降(19/4184) 「山振」と表記されるのが疑問であるが人麻呂は、「吹く」と「振る」を区別した用字であると考えると、地名とは疑わしいが、やまぶきのせと訓んでよいか。
#[説明]
同じ構成の歌
07/1088H01あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
#[関連論文]


#[番号]09/1701
#[題詞]獻弓削皇子歌三首
#[原文]佐宵中等 夜者深去良斯 鴈音 所聞空 月渡見
#[訓読]さ夜中と夜は更けぬらし雁が音の聞こゆる空ゆ月渡る見ゆ
#[仮名],さよなかと,よはふけぬらし,かりがねの,きこゆるそらゆ,つきわたるみゆ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,弓削皇子,献呈歌,非略体,動物
#[訓異]
#[大意]さ夜中として夜はふけたらしい。雁の鳴き声の聞こえる空を通って月が渡って行くのが見える。
#{語釈]
弓削皇子 2/111
聞こゆる空ゆ 旧訓 空に
10/2224H01此夜等者 沙夜深去良之 鴈鳴乃 所聞空従 月立度
全註釈 その渡り行く道程であって、月の渡り行く方向ではないので、ソラユと訓む。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1702
#[題詞](獻弓削皇子歌三首)
#[原文]妹當 茂苅音 夕霧 来鳴而過去 及乏
#[訓読]妹があたり繁き雁が音夕霧に来鳴きて過ぎぬすべなきまでに
#[仮名],いもがあたり,しげきかりがね,ゆふぎりに,きなきてすぎぬ,すべなきまでに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,弓削皇子,献呈歌,非略体,動物
#[訓異]
#[大意]妹の里のあたりで盛んに鳴く雁よ。夕霧にやってきて過ぎて行ってしまう。どうしようもないほどに。
#{語釈]
妹のあたり 妹の住む家のあたり
繁き雁が音 しきりに鳴く雁
来鳴きて過ぎぬ ここにやってきて鳴いて過ぎていった
すべなきまでに 過ぎ去ってしまうのを防ぐ手だてがない
#[説明]
雁によって妹へのを恋しさを触発された歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1703
#[題詞](獻弓削皇子歌三首)
#[原文]雲隠 鴈鳴時 秋山 黄葉片待 時者雖過
#[訓読]雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
#[仮名],くもがくり,かりなくときは,あきやまの,もみちかたまつ,ときはすぐれど
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,弓削皇子,献呈歌,非略体,動物,植物,季節
#[訓異]
#[大意]雲に隠れて雁が鳴く時は秋の山の黄葉をひたすら待っている。黄葉の時節は過ぎてしまったけれども。
#{語釈]
片待つ 07/1200H01我が舟は沖ゆな離り迎へ舟方待ちがてり浦ゆ漕ぎ逢はむ
ひたすら待つ
時は過ぐれど 雁の季節が過ぎ去るのは惜しいが
#[説明]
三首は、「雁」という主題で詠んだものか。
#[関連論文]


#[番号]09/1704
#[題詞]獻舎人皇子歌二首
#[原文]捄手折 多武山霧 茂鴨 細川瀬 波驟祁留
#[訓読]ふさ手折り多武の山霧繁みかも細川の瀬に波の騒ける
#[仮名],ふさたをり,たむのやまきり,しげみかも,ほそかはのせに,なみのさわける
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,舎人皇子,献呈歌,飛鳥,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]ふさたおり多武の山霧が茂くあるからだろうか、細川の早瀬に波が騒いでいる
#{語釈]
ふさ手折り 9/1683解説 ふさやかに手折る
たわめる意でたむ(多武)にかかる枕詞として用いられている。
多武山 多武峰
細川 奈良県高市郡明日香村細川 7/1330 多武峰から西流し飛鳥川に合流する。
#[説明]
人麻呂作とすると島宮でのものか。島宮の横に細谷川が流れている。
類想
07/1088H01あしひきの山川の瀬の鳴るなへに弓月が岳に雲立ちわたる
#[関連論文]


#[番号]09/1705
#[題詞](獻舎人皇子歌二首)
#[原文]冬木成 春部戀而 殖木 實成時 片待吾等叙
#[訓読]冬こもり春へを恋ひて植ゑし木の実になる時を片待つ我れぞ
#[仮名],ふゆこもり,はるへをこひて,うゑしきの,みになるときを,かたまつわれぞ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,舎人皇子,献呈歌,非略体,季節
#[訓異]
#[大意]冬がこもって春になることを恋い思って植えた木が実になる時をひたすら待っている自分であるよ。
#{語釈]
冬こもり 「春」の枕詞 1/0016
春へを恋ひて 春の花を見ようとして植えた
片待つ ひたすら待つ
#[説明]
比喩的な歌で、恋の歌風。幼いときから育ててきた女性が成熟して結婚できるときをひたすら待つという気持ち。
ただし、人麻呂が舎人皇子に献じたということを背景にすると
代匠記「皇子の御年も壮に成給はば、繁き木の如くなる御陰に隠れむと待参らぬ吾なれば、めぐみにもらし給ふなとの意を喩ふるなるべし」
略解「未逢ふべきほどならぬうちより、領じて時を待意也」
全註釈「舎人の皇子が、やがて時代に迎えられるのを待っているものとも解せられる」
#[関連論文]


#[番号]09/1706
#[題詞]舎人皇子御歌一首
#[原文]黒玉 夜霧立 衣手 高屋於 霏(d)麻天尓
#[訓読]ぬばたまの夜霧は立ちぬ衣手の高屋の上にたなびくまでに
#[仮名],ぬばたまの,よぎりはたちぬ,ころもでの,たかやのうへに,たなびくまでに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,舎人皇子,桜井,飛鳥,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]ぬばたまの夜霧は立った。衣手の高屋の上にたなびくまでに
#{語釈]
衣手の 「衣の手」から「手(た)」に続く枕詞。
高屋 高い家屋の意
地名 奈良県桜井市谷の若桜神社 大阪府羽曳野市古市 未詳
文徳実録 天安元年八月 高屋安倍神を従五位
安閑記 御陵在河内之古市高屋村
神名帳 河内国古市郡高屋神社
城上郡高屋安倍神社 現櫻井市谷
注釈 櫻井市高家か
#[説明]
全註釈「皇子の作をここに載せたのは、前の多武の山霧の歌に応じられた作であるからかも知れない。そうすれば、高屋は、家屋をさすことになり、それはたぶんその時の御在所のことになるのだろう。」
#[関連論文]


#[番号]09/1707
#[題詞]鷺坂作歌一首
#[原文]山代 久世乃鷺坂 自神代 春者張乍 秋者散来
#[訓読]山背の久世の鷺坂神代より春は張りつつ秋は散りけり
#[仮名],やましろの,くぜのさぎさか,かむよより,はるははりつつ,あきはちりけり
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,京都,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]山代の久世の鷺坂よ。神代の昔から春は芽を張り続け、秋は散っているのだなあ。
#{語釈]
鷺坂 京都府城陽市久世
09/1687D01鷺坂作歌一首
09/1687H01白鳥の鷺坂山の松蔭に宿りて行かな夜も更けゆくを
09/1694D01鷺坂作歌一首
09/1694H01栲領巾の鷺坂山の白つつじ我れににほはに妹に示さむ
春は張りつつ 芽が張ること
14/3443H01うらもなく我が行く道に青柳の張りて立てれば物思ひ出つも
#[説明]
季語の入ったものとして配列。
#[関連論文]


#[番号]09/1708
#[題詞]泉河邊作歌一首
#[原文]春草 馬咋山自 越来奈流 鴈使者 宿過奈利
#[訓読]春草を馬咋山ゆ越え来なる雁の使は宿り過ぐなり
#[仮名],はるくさを,うまくひやまゆ,こえくなる,かりのつかひは,やどりすぐなり
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集所出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,木津川,京都,羈旅,非略体,動物
#[訓異]
#[大意]春草を馬が食べるというその咋山を通って越えて来るのが聞こえる雁の使いはむなしく自分の旅宿りの場所を過ぎてしまったようだ。
#{語釈]
春草を 馬が「食う」から咋山にかかる枕詞。
咋山 神名帳 山城國綴喜郡咋岡神社 現在京都府綴喜郡田辺町飯岡
木津川西
#[説明]
故郷からの便りを持っているかも知れない雁が、むなしく自分の居る所を飛び過ぎてしまった様子を歌ったもの。
#[関連論文]


#[番号]09/1709
#[題詞]獻弓削皇子歌一首
#[原文]御食向 南淵山之 巌者 落波太列可 削遺有
#[訓読]御食向ふ南淵山の巌には降りしはだれか消え残りたる
#[仮名],みけむかふ,みなぶちやまの,いはほには,ふりしはだれか,きえのこりたる
#[左注]右柿本朝臣人麻呂之歌集所出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂歌集,弓削皇子,飛鳥,献呈歌,非略体,地名,季節
#[訓異]
#[大意]御食向ふ南淵山の岩肌には降った雪なのだろうか、はらはらと消え残っている。
#{語釈]
御食向ふ 御食事を供える意
02/0196H11御食向ふ 城上の宮を き(酒)にかかる
06/0946H01御食向ふ 淡路の島に あは(粟)にかかる
06/1062H05御食向ふ 味経の宮は あぢ(味)にかかる
ここは、冠辞考 みな(蜷、御肴)にかかる
古義 み(肉)にかかる。 ただし「み(肉)」は乙類仮名で、「み(南)」の甲類仮名とは合わない。
南淵山 奈良県高市郡明日香村稲淵
07/1330H01南淵の細川山に立つ檀弓束巻くまで人に知らえじ
10/2206H01まそ鏡南淵山は今日もかも白露置きて黄葉散るらむ
消え
略解 きえのこりたる 「削は消の字の誤なる事しるし」
全註釈 誤字説もあるが、原文のままでよい。 「けずりのこれる」
注釈 「削」は「消」に通用したと見てよい。 「きえのこりたる」
全釈 「削は弓削などの如く、ケと訓む字であるから、ここはケノコリテアルと訓むのがよい」
はだれ  はらはらと雪が残っている様子
#[説明]
1682より人麻呂歌集歌(伊藤博は、1665まで遡り得ると説く)
皇子献呈の雑歌、羈旅、季節による分類という配列になっている。
#[関連論文]


#[番号]09/1710
#[題詞]
#[原文]吾妹兒之 赤裳<埿>塗而 殖之田乎 苅将蔵 倉無之濱
#[訓読]我妹子が赤裳ひづちて植ゑし田を刈りて収めむ倉無の浜
#[仮名],わぎもこが,あかもひづちて,うゑしたを,かりてをさめむ,くらなしのはま
#[左注](右二首或云柿本朝臣人麻呂作)
#[校異]泥 -> 埿 [藍][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,福岡県,中津市,地名
#[訓異]
#[大意]吾が妹が赤い裳を濡らして植えた田を刈り取って収めるであろう倉無の浜よ
#{語釈]
吾妹子が~刈りて収めむ 「倉」の序詞
倉無の浜 大分県中津市竜王町 未詳
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1711
#[題詞]
#[原文]百<轉> 八十之嶋廻乎 榜雖来 粟小嶋者 雖見不足可聞
#[訓読]百伝ふ八十の島廻を漕ぎ来れど粟の小島は見れど飽かぬかも
#[仮名],ももづたふ,やそのしまみを,こぎくれど,あはのこしまは,みれどあかぬかも
#[左注]右二首或云柿本朝臣人麻呂作
#[校異]轉之 -> 轉 [藍][類][古][紀] / 者 [類][古][紀] 志
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,羈旅,淡路,粟島,土地讃美,地名
#[訓異]
#[大意]百伝う八十の島のめぐりを漕いで来たが、その中でもとりわけ粟の小島は見ても見飽きることはないことだ。
#{語釈]
百伝ふ 「八十」の枕詞。 百になる八十の意味
03/0416H01百伝ふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ
07/1399H01百伝ふ八十の島廻を漕ぐ舟に乗りにし心忘れかねつも
粟の小島 未詳 03/0358H01武庫の浦を漕ぎ廻る小舟粟島をそがひに見つつ羨しき小舟
と同じ阿波の島か。小島とあるところが違う。
全註釈 (周防國玖河郡麻里布浦行之時作歌八首)
15/3631H01いつしかも見むと思ひし粟島を外にや恋ひむ行くよしをなみ とあるところから、周防大島かとする。
#[説明]
羈旅中の土地讃美の歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1712
#[題詞]登筑波山詠月一首
#[原文]天原 雲無夕尓 烏玉乃 宵度月乃 入巻恡毛
#[訓読]天の原雲なき宵にぬばたまの夜渡る月の入らまく惜しも
#[仮名],あまのはら,くもなきよひに,ぬばたまの,よわたるつきの,いらまくをしも
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,茨城,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]天の原、一面に雲がない宵にぬばたまの夜を渡っていく月が西に入ってしまうことが惜しいことである。
#{語釈]
筑波山 茨城県筑波郡 筑波山
原文 「ね」 悋 の俗字。09/1693 やぶさか おしむ ねたむ
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1713
#[題詞]幸芳野離宮時歌二首
#[原文]瀧上乃 三船山従 秋津邊 来鳴度者 誰喚兒鳥
#[訓読]滝の上の三船の山ゆ秋津辺に来鳴き渡るは誰れ呼子鳥
#[仮名],たきのうへの,みふねのやまゆ,あきづへに,きなきわたるは,たれよぶこどり
#[左注](右<二>首作者未詳)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,吉野,離宮,行幸,地名,動物
#[訓異]
#[大意]滝のほとりの三船の山から秋津のあたりにやって来て飛ぶのは、誰を呼んでいる呼子鳥であろうか。
#{語釈]
三船の山 奈良県吉野郡吉野町宮滝
秋津 奈良県吉野郡吉野町宮滝付近
    火葬の場でもあったか。
呼子鳥  具体的には不明。雀公鳥とも見れる。
01/0070H01大和には鳴きてか来らむ呼子鳥象の中山呼びぞ越ゆなる
08/1419H01神なびの石瀬の社の呼子鳥いたくな鳴きそ我が恋まさる
#[説明]
秋津が火葬の場であり、三船山に煙がたなびく環境であったとするならば、死者の魂を求めて鳴く呼子鳥として歌っている。行幸での場で詠まれたという事情を考えると、天武追懐の意味があるか。
#[関連論文]


#[番号]09/1714
#[題詞](幸芳野離宮時歌二首)
#[原文]落多藝知 流水之 磐觸 与杼賣類与杼尓 月影所見
#[訓読]落ちたぎち流るる水の岩に触れ淀める淀に月の影見ゆ
#[仮名],おちたぎち,ながるるみづの,いはにふれ,よどめるよどに,つきのかげみゆ
#[左注]右<二>首作者未詳
#[校異]三 -> 二 [藍][矢] (楓) 三
#[鄣W],雑歌,吉野,離宮,行幸,叙景
#[訓異]
#[大意]落ちて激流となり流れる水が岩に触れて淀んでいる淀に月の影が見える。
#{語釈]
#[説明]
滝の宮処での叙景歌。
左注 二首 [西] 三首 注釈 筑波山の歌も含める
題詞による区切りがあるとすると、二首
#[関連論文]


#[番号]09/1715
#[題詞]槐本歌一首
#[原文]樂<浪>之 平山風之 海吹者 釣為海人之 袂變所見
#[訓読]楽浪の比良山風の海吹けば釣りする海人の袖返る見ゆ
#[仮名],ささなみの,ひらやまかぜの,うみふけば,つりするあまの,そでかへるみゆ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 波 -> 浪 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,滋賀県,琵琶湖,羈旅,地名,叙景
#[訓異]
#[大意]ささなみの比良山から吹き下ろしてくる風が琵琶湖を吹くので、釣りをしている海人の袖がひるがえるのが見える。
#{語釈]
槐本 「槐」 音 カイ えんじゅ 中国原産のまめ科の落葉高木
    氏族名未詳。
    柿と混同したとして柿本
ささなみの 近江の枕詞。近江の大地名。
比良山 滋賀県滋賀郡滋賀町南比良
海 琵琶湖
#[説明]
叙景歌。
釈注(伊藤博)以下五首(1719まで)を近江での歌の集団とする(後述)。
#[関連論文]


#[番号]09/1716
#[題詞]山上歌一首
#[原文]白那弥<乃> 濱松之木乃 手酬草 幾世左右二箇 年薄經濫
#[訓読]白波の浜松の木の手向けくさ幾代までにか年は経ぬらむ
#[仮名],しらなみの,はままつのきの,たむけくさ,いくよまでにか,としはへぬらむ
#[左注]右一首或云川嶋皇子御作歌
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 之 -> 乃 [藍][壬][類][紀] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:山上憶良,川島皇子,異伝,重出,和歌山,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]白波の浜松の木の手向け草よ。何代まで年が経ったことであろうか。
#{語釈]
山上 山上憶良
#[説明]
01/0034D01幸于紀伊國時川嶋皇子御作歌 [或云山上臣憶良作]
01/0034H01白波の浜松が枝の手向けぐさ幾代までにか年の経ぬらむ [一云年は経にけむ]
01/0034S01日本紀曰朱鳥四年庚寅秋九月天皇幸紀伊國也
の異伝。左注はその反対を記す。
#[関連論文]


#[番号]09/1717
#[題詞]春日歌一首
#[原文]三川之 淵瀬物不落 左提刺尓 衣手<潮> 干兒波無尓
#[訓読]三川の淵瀬もおちず小網さすに衣手濡れぬ干す子はなしに
#[仮名],みつかはの,ふちせもおちず,さでさすに,ころもでぬれぬ,ほすこはなしに
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 湖 -> 潮 [類][古][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:春日蔵首老,滋賀県,愛知,羈旅
#[訓異]
#[大意]みつ川の淵や早瀬も残さず小網を張るのに衣の袖が濡れてしまった。干すあの子もいないのに。
#{語釈]
春日 春日蔵人老 1/56 弁基 大宝元年三月 勅により還俗。
和銅七年正月 正五位下
懐風藻詩一首
三川 未詳 代匠記「ひえの山の東坂本にありとかや」
金子評釈「近江国滋賀郡南坂本穴太(あなほ)(大津市下坂本町)四谷川のことか。穴太は成務天皇の志賀高穴穂宮の古址で、そこに接した湖津を御津といひ、そこに流れる川を御津川と呼んだ。保元物語、源平盛衰記にも三河尻(みつかわじり)の名称がある。」
八雲抄「三河」
童蒙抄「三河の地名と云来たれり」
地名辞書「矢作川の一名か」
私注「矢作川一つの名とすれば都合よいし、三流としても、実感からは幾分離れても、地名に興を起こす、旅行く者の実感とすれば、通ぜぬことはない。それならばミカワノと四音によむべきであろうか」
おちず 欠かさず、残さず 1/6
小網 さで 1/36 網
干す子はなしに
04/0690H01照る月を闇に見なして泣く涙衣濡らしつ干す人なしに
09/1688H01あぶり干す人もあれやも濡れ衣を家には遣らな旅のしるしに
09/1698H01あぶり干す人もあれやも家人の春雨すらを真使ひにする
10/2235H01秋田刈る旅の廬りにしぐれ降り我が袖濡れぬ干す人なしに
15/3712H01ぬばたまの妹が干すべくあらなくに我が衣手を濡れていかにせむ
#[説明]
歌詠の旅人の経験
旅の叙景
魚を取っていた現地の人の姿を詠んだものか。
#[関連論文]

#[番号]09/1718
#[題詞]高市歌一首
#[原文]足利思<代> 榜行舟薄 高嶋之 足速之水門尓 極尓<監>鴨
#[訓読]率ひて漕ぎ行く舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも
#[仮名],あどもひて,こぎゆくふねは,たかしまの,あどのみなとに,はてにけむかも
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 伐 -> 代 [濫][壬][類][紀] / 濫 -> 監 [類][古][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高市黒人,琵琶湖,滋賀県,羈旅,地名
#[訓異]行く 釈注「去にし」
#[大意]連れ立って漕いで行く船は高島の安曇の港に泊まったことであろうか。
#{語釈]
高市 高市黒人のことか
あどもひて 率いて、連れ立って
高島の安曇の港 滋賀県高島郡安曇川町 安曇川河口付近 1690
#[説明]
黒人歌
01/0058H01いづくにか船泊てすらむ安礼の崎漕ぎ廻み行きし棚無し小舟
03/0275H01いづくにか我は宿らむ高島の勝野の原にこの日暮れなば
#[関連論文]



#[番号]09/1719
#[題詞]春日蔵歌一首
#[原文]照月遠 雲莫隠 嶋陰尓 吾船将極 留不知毛
#[訓読]照る月を雲な隠しそ島蔭に我が舟泊てむ泊り知らずも
#[仮名],てるつきを,くもなかくしそ,しまかげに,わがふねはてむ,とまりしらずも
#[左注]右一首或本云 小辨作也 或記姓氏無記名字 或称名号不称姓氏 然依古記 便以次載 凡如此類下皆放焉
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 辨 [藍][紀][温](塙) 弁 / 放 [文][細][温] 效
#[鄣W],雑歌,作者:春日蔵首老,小辨,異伝,羈旅
#[訓異]
#[大意]照る月を雲よ隠すなよ。島影に自分の船が泊まるその港がわからないことだ。
#{語釈]
春日蔵 春日蔵人老 1/56 弁基 大宝元年三月 勅により還俗。
和銅七年正月 正五位下
左注
右一首、或本に云はく、小辨の作なり。或いは姓氏を記し、名字を記すこと無し。或いは名号を称して姓氏を称さず。然るに古記に依りて便(すなは)ち次(つぎて)を以て載す。凡そ此の如き類下(しも)皆これに放(なら)へ。
小辨 03/0305D01高市連黒人近江舊都歌一首
03/0305H01かく故に見じと言ふものを楽浪の旧き都を見せつつもとな
03/0305S01右歌或本曰少辨作也 未審此少弁者也
未詳 官名か、人名か。官名とすると、左右小弁
私注 黒人の別名か。しかし弁官であるとすると正五位下であるから史書に出ていなければならない。
姓氏を記しただけで名前が記されていなかったり、名前を言っているが姓氏を言わない。そうであるが古資料に基づいてそのまま載せている。だいたいこのような類の場合はこれからもこれに倣いなさい。
#[説明]
伊藤博 ここまでが近江での旅先で行われた古歌披露の歌群であるとする。
#[関連論文]


#[番号]09/1720
#[題詞]元仁歌三首
#[原文]馬屯而 打集越来 今日見鶴 芳野之川乎 何時将顧
#[訓読]馬並めてうち群れ越え来今日見つる吉野の川をいつかへり見む
#[仮名],うまなめて,うちむれこえき,けふみつる,よしののかはを,いつかへりみむ
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 今日 [壬][類](塙) 今
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:元仁,吉野,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]馬を並べてみんなで連れ立って来て今日見た吉野の川をまたいつ再びもどって見ることであろうか。
#{語釈]
元仁 伝未詳 もと官人で後に出家した僧の名前か。
馬並めて 原文 馬屯 「屯」楚辞離騒「屯余軍其千乗兮」注「屯陳也」
屯集の意味で並べる、群れて行く
07/1104H01馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
宮廷集団で行動する時の様子
友達と景物を共有する意識。
越え来 おそらく、壺坂越えで吉野へ入っている。
通常の芋峠越えだとこの後の六田は、吉野川に出たときに下流域にあたり、宮 滝方向へ向かっているとすると方向が逆になる。
今日 塙本「今」 注釈 「見つるかも」とある他例は全て「今日」
京大本「今日」訓「イマ」は古訓を伝えた。 今日の方が元を伝えている。
#[説明]
吉野川讃美。
07/1104H01馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
07/1105H01音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
07/1106H01かはづ鳴く清き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲はむ
[関連論文]


#[番号]09/1721
#[題詞](元仁歌三首)
#[原文]辛苦 晩去日鴨 吉野川 清河原乎 雖見不飽君
#[訓読]苦しくも暮れゆく日かも吉野川清き川原を見れど飽かなくに
#[仮名],くるしくも,くれゆくひかも,よしのがは,きよきかはらを,みれどあかなくに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:元仁,吉野,土地讃美,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]苦しいことにも暮れて行く日であることか。吉野川の清らかな河原を見ても見飽きることがないのに。
#{語釈]
#[説明]
吉野川讃美。
類型歌
03/0265H01苦しくも降り来る雨か三輪の崎狭野の渡りに家もあらなくに
#[関連論文]


#[番号]09/1722
#[題詞](元仁歌三首)
#[原文]吉野川 河浪高見 多寸能浦乎 不視歟成嘗 戀布<真>國
#[訓読]吉野川川波高み滝の浦を見ずかなりなむ恋しけまくに
#[仮名],よしのがは,かはなみたかみ,たきのうらを,みずかなりなむ,こほしけまくに
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]莫 -> 真 [壬][類][古]
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:元仁,吉野,羈旅,土地讃美,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]吉野川の川波が高いので滝の浦を見ないままになってしまうのだろうか。恋しいことなのに。
#{語釈]
滝の浦 宮滝あたりを言うか。全註釈「吉野川の川水が多くて、船を出したりすることが出来なかったのであろう。」
#[説明]
景勝地の飽きない様子を述べて、讃美する。
#[関連論文]


#[番号]09/1723
#[題詞]絹歌一首
#[原文]河蝦鳴 六田乃河之 川楊乃 根毛居侶雖見 不飽<河>鴨
#[訓読]かわづ鳴く六田の川の川柳のねもころ見れど飽かぬ川かも
#[仮名],かはづなく,むつたのかはの,かはやぎの,ねもころみれど,あかぬかはかも
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 君 -> 河 [壬][類][古][紀]
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:絹,吉野,土地讃美,羈旅,非略体,地名,動物
#[訓異]
#[大意]蛙の鳴く六田の川の川柳の根、その根ではないが懇ろに見ても、見飽きることない川であるなあ。
#{語釈]
絹 古義「女の名などか考るものなし」
全註釈「人名の略称であろう。絹麻呂とでもいふ人だろう」
伊藤 釋注「土地の遊行女婦か。現地の人しか用いない六田という地名を詠む」
六田の川 奈良県吉野郡吉野町六田 吉野川
07/1105H01音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
川柳 河辺の猫柳 根からねんごろを引き出す。
#[説明]
川讃めのうた。
#[関連論文]


#[番号]09/1724
#[題詞]嶋足歌一首
#[原文]欲見 来之久毛知久 吉野川 音清左 見二友敷
#[訓読]見まく欲り来しくもしるく吉野川音のさやけさ見るにともしく
#[仮名],みまくほり,こしくもしるく,よしのがは,おとのさやけさ,みるにともしく
#[左注](右柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:嶋足,吉野,土地讃美,羈旅,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]見たいと思って来た甲斐もあって吉野川の音のさやけさよ。見るに心惹かれて。
#{語釈]
嶋足 人名であろうが未詳
来しくもしるく 来た甲斐があって
08/1577H01秋の野の尾花が末を押しなべて来しくもしるく逢へる君かも
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1725
#[題詞]麻呂歌一首
#[原文]古之 賢人之 遊兼 吉野川原 雖見不飽鴨
#[訓読]いにしへの賢しき人の遊びけむ吉野の川原見れど飽かぬかも
#[仮名],いにしへの,さかしきひとの,あそびけむ,よしののかはら,みれどあかぬかも
#[左注]右柿本朝臣人麻呂之歌集出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,柿本人麻呂歌集,作者:麻呂,吉野,羈旅,土地讃美,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]昔の賢い人が遊んだであろう吉野の河原は見ても見飽きることがないことだ。
#{語釈]
麻呂 全註釈「麻呂は、石上麻呂、藤原麻呂などあるが、左注に人麻呂集所出とあるによれば、柿本人麻呂らしい」
古への賢しき人
賢人 儒教的な賢人を指すか。 仁智山川の対という漢詩の読み方を意識している。
03/0340H01いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし
吉野にまつわる故事(雄略行幸など)を想定しているか、天武追懐を考えている。
01/0027H01淑き人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よ良き人よく見
07/1118H01いにしへにありけむ人も我がごとか三輪の桧原にかざし折りけむ
07/1166H01いにしへにありけむ人の求めつつ衣に摺りけむ真野の榛原
左注 人麻呂歌集のかかる範囲
考 伊藤博 1712~
石井庄司 1715~
全註釈 1720~
私注 1725のみ
#[説明]
元仁の歌(1720)から六田における吉野川讃美の歌。白鳳時代(人麻呂も加わる)の歌か。
天平期に入って、この歌群の影響と思われるものが、
07/1103H01今しくは見めやと思ひしみ吉野の大川淀を今日見つるかも
07/1104H01馬並めてみ吉野川を見まく欲りうち越え来てぞ瀧に遊びつる
07/1105H01音に聞き目にはいまだ見ぬ吉野川六田の淀を今日見つるかも
07/1106H01かはづ鳴く清き川原を今日見てはいつか越え来て見つつ偲はむ
#[関連論文]


#[番号]09/1726
#[題詞]丹比真人歌一首
#[原文]難波方 塩干尓出<而> 玉藻苅 海未通<女>等 汝名告左祢
#[訓読]難波潟潮干に出でて玉藻刈る海人娘子ども汝が名告らさね
#[仮名],なにはがた,しほひにいでて,たまもかる,あまをとめども,ながなのらさね
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / <> -> 而 [壬][類][古][紀] / <> -> 女 [代匠記精撰本]
#[鄣W],雑歌,作者:丹比真人,大阪,羈旅,妻問い,地名
#[訓異]
#[大意]難波潟の潮が干いたところに出て玉藻を刈る海人の娘たちよ。お前の名前をおっしゃってください。
#{語釈]
丹比真人 未詳 「丹比真人」とだけあるのは、2/226 8/1609
笠麻呂 3/285 縣守 4/555 国人 3/382 屋主 6/1031
乙麻呂 8/1443
告らさね
07/1303H01潜きする海人は告れども海神の心し得ねば見ゆといはなくに
07/1318H01底清み沈ける玉を見まく欲り千たびぞ告りし潜きする海人
#[説明]
相手は遊行女婦か。
土地の浜遊びなどに歌われていたものか。
#[関連論文]


#[番号]09/1727
#[題詞]和歌一首
#[原文]朝入為流 人跡乎見座 草枕 客去人尓 妾<名>者不<教>
#[訓読]あさりする人とを見ませ草枕旅行く人に我が名は告らじ
#[仮名],あさりする,ひととをみませ,くさまくら,たびゆくひとに,わがなはのらじ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 / <> -> 名 [万葉集新考] / 敷 -> 教 [万葉集略解]
#[鄣W],雑歌,和歌,答え,羈旅,大阪,妻問い
#[訓異]
#[大意]漁をしている人だと見てください。草枕旅に行く人に自分の名前は言いません。
#{語釈]
あさりする人とを 「を」詠嘆
#[説明]
遊行女婦の戯れ歌か。
浜遊びでの歌とすると、拒絶歌
注釈 丹比真人の戯作。
#[関連論文]


#[番号]09/1728
#[題詞]石川卿歌一首
#[原文]名草目而 今夜者寐南 従明日波 戀鴨行武 従此間別者
#[訓読]慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかも行かむこゆ別れなば
#[仮名],なぐさめて,こよひはねなむ,あすよりは,こひかもゆかむ,こゆわかれなば
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:石川年足,石川宮麻呂,羈旅,恋情
#[訓異]
#[大意]自分の心を慰めて今夜は寝よう。明日からは恋い思って旅に行くことだろうか。ここから別れたならば。
#{語釈]
石川卿 未詳 古義 石川年足か
石川年足 天平七年四月従五位下
後、中納言等 藤原仲麻呂の腹臣的立場
天平宝字六年九月薨去 正三位勲十二等 七十五歳
全註釈 次の歌の作者、天平九年に四十四歳で薨じた宇合より六年の年長であるから、同じ時代の人と言える。
注釈 石川大夫(3/247) 宮麻呂であったとするならば、和銅六年正月従三位
十二月薨去
慰めて 自分の心を慰めて
#[説明]
代匠記「此歌は明日旅に出でたたむとての夜よまれたるなり」
略解「旅にして女に逢ひて詠めるなるべし」
伊藤博 前と同じ宴席の座興か。共寝の痴話話をそのまま告げるような歌である。
#[関連論文]


#[番号]09/1729
#[題詞]宇合卿歌三首
#[原文]暁之 夢所見乍 梶嶋乃 石<超>浪乃 敷弖志所念
#[訓読]暁の夢に見えつつ梶島の礒越す波のしきてし思ほゆ
#[仮名],あかときの,いめにみえつつ,かぢしまの,いそこすなみの,しきてしおもほゆ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 越 -> 超 [藍][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:藤原宇合,羈旅,望郷,九州,京都,地名
#[訓異]
#[大意]夜明け方の夢に見え続け、梶島の磯を越す波がしきりに越えるように頻りに思われてならない。
#{語釈]
宇合 藤原宇合 不比等の第三男
霊亀二年八月 正六位遣唐副使
養老三年七月 正五位常陸守
天平三年八月 参議
天平九年八月 薨去。参議式部卿兼太宰帥正三位 三十四歳(懐風藻) 公卿補任、懐風藻軍書類従本 四十四歳
五十四歳か。
万葉集中 短歌六首
梶島 未詳 福岡県宗像郡玄海町神ノ湊沖 勝島
全註釈「彼は西海道節度使として九州に赴いたから、或いは筑紫の地名か。そこで、福岡県宗像郡玄海町神ノ湊沖 勝島 」
八雲御抄 丹後とする
波の 頻りてにかかる序詞
#[説明]
異伝
07/1236H01夢のみに継ぎて見えつつ高島の礒越す波のしくしく思ほゆ
或いは、このような類型の歌があって、地名を替えて歌った。
思う対象は、都の人であるとすると望郷歌になる。
土地で出会った女(遊行女婦)であるとすると、宴の歌。
#[関連論文]


#[番号]09/1730
#[題詞](宇合卿歌三首)
#[原文]山品之 石田乃小野之 母蘇原 見乍哉公之 山道越良武
#[訓読]山科の石田の小野のははそ原見つつか君が山道越ゆらむ
#[仮名],やましなの,いはたのをのの,ははそはら,みつつかきみが,やまぢこゆらむ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:藤原宇合,京都,留守,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]山科の石田の小野のコナラの原よ。それを見ながらあなたが山路を越えていることであろうか。
#{語釈]
山科の石田の小野 京都府京都市伏見区石田町
ははそ原 新撰字鏡 楢 波々曽乃木又奈良乃木
木(左)列(右) 波々曽乃木也
和名抄 柞 漢語抄云、波々曽
白井光太郎 樹木和名考 紀州、勢州、作州 コナラをハハソ、ホウソ、ホウ
信州木曽、長州、山州、和州 クヌギを同様に呼ぶ。
ハハソなる名称は、コナラ、クヌギの属の汎称
歌などにハハソの紅葉を詠ずるは、コナラの紅葉を指すこと疑いなし。
#[説明]
類歌
9/1666H01朝霧に濡れにし衣干さずしてひとりか君が山道越ゆらむ
12/3192H01草蔭の荒藺の崎の笠島を見つつか君が山道越ゆらむ
12/3193H01玉かつま島熊山の夕暮れにひとりか君が山道越ゆらむ
19/4225H01あしひきの山の紅葉にしづくあひて散らむ山道を君が越えまく
02/0106H01ふたり行けど行き過ぎかたき秋山をいかにか君がひとり越ゆらむ
都の妻が詠んだものか。
現地の遊行女婦の歌か。
例 山部赤人作とある歌。
03/0361H01秋風の寒き朝明を佐農の岡越ゆらむ君に衣貸さましを
#[関連論文]


#[番号]09/1731
#[題詞](宇合卿歌三首)
#[原文]山科乃 石田社尓 布<麻>越者 蓋吾妹尓 直相鴨
#[訓読]山科の石田の杜に幣置かばけだし我妹に直に逢はむかも
#[仮名],やましなの,いはたのもりに,ぬさおかば,けだしわぎもに,ただにあはむかも
#[左注]
#[校異]靡 -> 麻 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:藤原宇合,京都,羈旅,望郷,手向け,地名
#[訓異]
#[大意]山科の石田の社に幣帛を置いて手向けをしたならば、もしかしたら我妹に直接会うことであろうかなあ。
#{語釈]
山科の石田の社 京都府京都市伏見区石田町 石田神社
山城志 宇治郡、天穂日命神社 在石田村石田森 称田中明神
12/2856H01山背の石田の社に心おそく手向けしたれや妹に逢ひかたき
13/3236H03欠くることなく 万代に あり通はむと 山科の 石田の杜の すめ神に
幣取り向けて 我れは越え行く 逢坂山を
社 森 02/0202H01哭沢の神社に三輪据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ
08/1466H01神奈備の石瀬の社の霍公鳥毛無の岡にいつか来鳴かむ
08/1470H01もののふの石瀬の社の霍公鳥今も鳴かぬか山の常蔭に
11/2839H01かくしてやなほやまもらむ大荒木の浮田の社の標にあらなくに
幣置かば 底本 布靡越者 フミコエバ 紀 訓同じ
類 古 布麻越者 古 シクマツハ
考 布靡勢者 タムケセバ ぬさは布麻の類を裁切りて袋に入れて旅行く人道の神に奉るなれば布なびかすとは書きたるなり
#[説明]
石田社での手向けで神を讃えたと同時に望郷を示す。
11/2418H01いかならむ名負ふ神に手向けせば我が思ふ妹を夢にだに見む
12/2856H01山背の石田の社に心おそく手向けしたれや妹に逢ひかたき
釋注「上記三首は、旅先で夫婦双方の立場に身を置きながら物語的に興じた歌。」
#[関連論文]
「布靡越者」の訓について|西宮一民|万葉|39|61.4


#[番号]09/1732
#[題詞]碁師歌二首
#[原文]<祖>母山 霞棚引 左夜深而 吾舟将泊 等万里不知母
#[訓読]大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
#[仮名],おほばやま,かすみたなびき,さよふけて,わがふねはてむ,とまりしらずも
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / <> -> 祖 [万葉集略解]
#[鄣W],雑歌,作者:碁師,滋賀県,琵琶湖,重出,羈旅,寂寥,地名
#[訓異]
#[大意]大葉山に霞がたなびいて、夜も更けていて、自分の船が泊まりをする港がわからないことだ。
#{語釈]
碁師 碁 [類][紀] 基 全註釈 「基師」とする。
碁師 代匠記「第四に碁檀越あり、此にや。師は第八に縁達師と云者の名に付て注せしが如し。又囲碁に巧なる者を碁師と云へば其意にて、其此碁師と云へば人皆某が事と知故に、彼が藝を以名とせるか」
基師 全註釈「思ふに基は、法師の名の一字を取って称したので、師は法師の義であろう。日本霊異記中巻に、僧智光を光師と称している。また正倉院文書、写未写大乗経論疏目録に、論疏の撰者として、上宮王、吉蔵、憧興、法寶と並んで、基師といふのがある。この師は法号の一字を書いて、基とのみ記したものと思われる。この文書は天平十八年のものと推定されている。
大葉山 和歌山県和歌山市東方 和歌山県有田郡広川町
伊藤博 琵琶湖西岸の山の名前
07/1224H01大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
#[説明]
重出
07/1224H01大葉山霞たなびきさ夜更けて我が舟泊てむ泊り知らずも
#[関連論文]


#[番号]09/1733
#[題詞](碁師歌二首)
#[原文]思乍 雖来々不勝而 水尾埼 真長乃浦乎 又顧津
#[訓読]思ひつつ来れど来かねて三尾の崎真長の浦をまたかへり見つ
#[仮名],おもひつつ,くれどきかねて,みをのさき,まながのうらを,またかへりみつ
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],雑歌,作者:碁師,滋賀県,琵琶湖,羈旅,地名,土地讃美
#[訓異]
#[大意]思いながらやって来たが来ることも出来なくて、三尾の崎の真長の浦をまた振り返り見たことだ。
#{語釈]
みをが崎   滋賀県高島郡高島町 白髭神社のある明神崎
07/1171H01大御船泊ててさもらふ高島の三尾の勝野の渚し思ほゆ
高島町に水尾、その北、安曇川町に三尾里
真長の浦 現在地名はない。 滋賀県高島町勝野 安曇川河口
地名辞書「即今の高島郡大溝村の勝野津なるべし。埼北の小湾なり」
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1734
#[題詞]小辨歌一首
#[原文]高嶋之 足利湖乎 滂過而 塩津菅浦 今<香>将滂
#[訓読]高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて塩津菅浦今か漕ぐらむ
#[仮名],たかしまの,あどのみなとを,こぎすぎて,しほつすがうら,いまかこぐらむ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 辨 [藍][類] 弁 / 者 -> 香 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:少辨,滋賀県,琵琶湖,羈旅,道行き,地名
#[訓異]
#[大意]高島の安曇の港を漕ぎ過ぎて、塩津の菅浦あたりを今頃は漕いでいるだろうか。
#{語釈]
小辨 7/1238 9/1718
未詳 官名か、人名か。官名とすると、左右小弁
私注 黒人の別名か。しかし弁官であるとすると正五位下であるから史書に出ていなければならない
安曇の港 滋賀県高島郡安曇川町 安曇川河口付近
07/1238H01高島の安曇白波は騒けども我れは家思ふ廬り悲しみ
09/1718H01率ひて漕ぎ去にし舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも
塩津 滋賀県伊香郡西浅井町塩津浜
11/2747H01あぢかまの塩津をさして漕ぐ船の名は告りてしを逢はざらめやも
菅浦 滋賀県伊香郡西浅井町菅浦
#[説明]
琵琶湖の湖北に向かっていった船を思っている。
釋注「上記三首、近江にかかわる歌。碁師の歌は船で琵琶湖を旅して行く人の立場。小弁の歌はその人の身空を思う女の立場で一連と理解される。」
#[関連論文]


#[番号]09/1735
#[題詞]伊保麻呂歌一首
#[原文]吾疊 三重乃河原之 礒裏尓 如是鴨跡 鳴河蝦可物
#[訓読]我が畳三重の川原の礒の裏にかくしもがもと鳴くかはづかも
#[仮名],わがたたみ,みへのかはらの,いそのうらに,かくしもがもと,なくかはづかも
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:伊保麻呂,三重県,内部川,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]我が畳を三重に重ねる三重の川原の入江あたりでこのようにありたいと鳴く川蛙であることだ。
#{語釈]
伊保麻呂 伝未詳
我が畳 畳を重ねる意で「三重」の枕詞
三重の川原 三重県四日市市内部川
大安寺伽藍縁起流記資材帳「三重郡釆女郷 東公田、南岡山、西百姓宅、来た三重河之限」
地名辞書「三重川は釆女郷に接比し即内部川たる事明白也」
磯の裏 瀧の浦(1722)と同じく、川が入江になっているところ
かくしもがも もがも 願望 このようにありたい 蛙がいつまでもこうしていたいという意味。
#[説明]
#[関連論文]

#[番号]09/1736
#[題詞]式部大倭芳野作歌一首
#[原文]山高見 白木綿花尓 落多藝津 夏身之川門 雖見不飽香開
#[訓読]山高み白木綿花に落ちたぎつ夏身の川門見れど飽かぬかも
#[仮名],やまたかみ,しらゆふばなに,おちたぎつ,なつみのかはと,みれどあかぬかも
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:式部大倭,吉野,土地讃美,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]山が高いので白い木綿の造花のように落ちたぎっている夏見の川門は見ても見飽きることはない。
#{語釈]
式部大倭 未詳
代匠記「式部は官、大倭は氏歟」
白木綿花 漂白した木綿(楮や三又などを繊維状にしたもの)で作った造花
夏見 奈良県吉野郡吉野町菜摘
#[説明]
類歌
06/0909H01山高み白木綿花におちたぎつ瀧の河内は見れど飽かぬかも
#[関連論文]


#[番号]09/1737
#[題詞]兵部川原歌一首
#[原文]大瀧乎 過而夏箕尓 傍為而 浄川瀬 見何明沙
#[訓読]大滝を過ぎて夏身に近づきて清き川瀬を見るがさやけさ
#[仮名],おほたきを,すぎてなつみに,ちかづきて,きよきかはせを,みるがさやけさ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:兵部川原,吉野,土地讃美,羈旅,地名
#[訓異]
#[大意]大滝を過ぎて夏見に近づいて、清らかな川瀬を見るのがさやかであることだ。
#{語釈]
兵部川原 未詳
注釈「兵部は官名。川原は氏であろう」
大滝 奈良県吉野郡吉野町宮滝 奈良県吉野郡川上村大滝
注釈「宮瀧の瀧(1/36)と見てよい。今上流の川上村に大滝という地名があり、そこの支流に大きな瀧もあるあ、それは吉野川の本流ではなく、菜摘から少しはなれすぎるので当たらないと思う。」
夏見 前の歌 奈良県吉野郡吉野町菜摘
傍為而 注釈「ヰテと訓むには、為天、為底など下も音仮名が用いられる。今は訓仮名であるので、為而は、してと訓まれている。そのまま訓めばソバニイテとなるが、二句目とつながりが悪い。体系に従う」
体系「傍は集韻に近也とあり、また倚也とある。名義抄にチカシ・ヨル・ツクの訓がある。これによって、傍為の意をとってチカヅキテとする」
#[説明]
道行き表現で旅中であることをしめし、清明という当時の漢詩文での感覚が盛り込まれている。
#[関連論文]


#[番号]09/1738
#[題詞]詠上総末珠名娘子一首[并短歌]
#[原文]水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 胸別之 廣吾妹 腰細之 須軽娘子之 其姿之 端正尓 如花 咲而立者 玉桙乃 道<徃>人者 己行 道者不去而 不召尓 門至奴 指並 隣之君者 <預> 己妻離而 不乞尓 鎰左倍奉 人<皆乃> 如是迷有者 容艶 縁而曽妹者 多波礼弖有家留
#[訓読]しなが鳥 安房に継ぎたる 梓弓 周淮の珠名は 胸別けの 広き我妹 腰細の すがる娘子の その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば 玉桙の 道行く人は おのが行く 道は行かずて 呼ばなくに 門に至りぬ さし並ぶ 隣の君は あらかじめ 己妻離れて 乞はなくに 鍵さへ奉る 人皆の かく惑へれば たちしなひ 寄りてぞ妹は たはれてありける
#[仮名],しながとり,あはにつぎたる,あづさゆみ,すゑのたまなは,むなわけの,ひろきわぎも,こしぼその,すがるをとめの,そのかほの,きらきらしきに,はなのごと,ゑみてたてれば,たまほこの,みちゆくひとは,おのがゆく,みちはゆかずて,よばなくに,かどにいたりぬ,さしならぶ,となりのきみは,あらかじめ,おのづまかれて,こはなくに,かぎさへまつる,ひとみなの,かくまとへれば,たちしなひ,よりてぞいもは,たはれてありける
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 行 -> 徃 [藍][類][紀] / 豫 -> 預 [藍][壬][類][紀] / 乃皆 -> 皆乃 [藍][類][温]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,千葉,美女伝説,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]しなが鳥、安房に続いている梓弓の末の周淮の珠名は、胸の大きな女であり、腰が細くすがる蜂のようにしまっている女で、その顔が美しく、花のようににこやかに立っていると、玉鉾の道を行く人は、自分が行く道を行かないで、呼びもしないのに女の門口に着いてしまう。差し並ぶ隣の男は、先だって自分の妻とも別れて、願いもしないのに家の鍵までも贈ってしまう。人がみんなこのように心を惑ってしまうので、しなを作って男に依って、この女は戯れていることだ。
#{語釈]
上総末珠名娘子 未詳  地名 千葉県君津市 富津市
和名抄 上総国周淮郡 季
20/4358S01右一首種淮郡上丁物部龍
高橋虫麻呂歌集所出 高橋虫麻呂 未詳。 養老頃、藤原宇合に従って東国に行ったか。
しなが鳥 かいつぶり 枕詞 安房にかかる。かかり方未詳
冠辞考「こは右にいふ如く息長き鳥なれば、人の長嘆息するには、声を引きて嗚呼といふに譬て、あのひと語につづけしなるべし」
原文「水」古典大系「当時はスイSwiというような合拗音は一般に用いられていなかったので、それを直音化してSiの音を表すに使ったものであろう」
安房 続紀 養老二年五月二日「上総国之平群、安房、朝夷(あさひな)、長狭四群を割 きて安房国を置く」
養老三年七月十日「始めて按察使を置く」 常陸守藤原宇合を安房、上総、 下総を管せしむ
この歌はこの頃詠まれたか。
天平十三年十二月十日「安房国、上総国に并(あは)す。」
天平宝字五月九日勅「旧に依りて分立す」
梓弓 弓末から末(周淮)にかかる枕詞
胸別の広き我妹 胸の広いのを美人の条件。
腰細のすがる娘子 すがる 似我蜂のこと。
16/3791H13すがるのごとき 腰細に 取り装ほひ まそ鏡 取り並め懸けて
その顔の 原文「其姿之」 日本霊異記 姿 カホと注 そのカホの と訓む。
きらきらしきに 端正尓 紀「うつくしけさに」
日本書紀 端正、佳麗、端麗、閑麗、端厳 きらきらし
容色の美しいこと。
花のごと 笑みて立てれば 原文「如花 咲而立者」 咲は、笑の俗字。
さし並ぶ 「隣」の枕詞
あらかじめ 前もって
己妻離れて 自分の妻と別れて
乞はなくに鍵さへ奉る 求めもされないのに鍵までも贈ってしまう
原文「鎰」は、「鑰」の俗字
たちしなひ 原文「容艶」 紀「かほすかた」 西「かほよきに」
略解「宣長云、容艶をうちしなひとよむべし」10/2284 20/4441
「妹が其人に縁てたはるる也。反歌に其意見ゆと言へり」
古義「中山厳水は、容艶は、かたちつくろひする意なれば、トリヨソヒと訓べきか」
全註釈「かほにほひ」10/1872 10/1859 艶 ニホフと訓む
私注「かほよきに」旧訓がよい。
集成「たちしなひ」 物腰の優美さを表す語
寄りてぞ妹は 注釈「美貌であるに因って」
略解「妹がその人によってたはるる」
集成「しなを作ってしなだれかかり」
全註釈「男子に寄り添う意」
たはれてありける 新撰字鏡「女(左)遙(右、しんにょう取る)」過也、放逸也、戯也、私逸也、宇加禮女 又布介留、又多波留
類聚名義抄 婬 タハル
たわむれふざけている
全註釈「色情に任せて行為する意」
私注「恐らくは売春行為を予想しての用いざまであろう」
#[説明]
安房に伝わる伝説の美人を詠んだもの。葛飾真間手児名も同じ。
#[関連論文]


#[番号]09/1739
#[題詞](詠上総末珠名娘子一首[并短歌])反歌
#[原文]金門尓之 人乃来立者 夜中母 身者田菜不知 出曽相来
#[訓読]金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける
#[仮名],かなとにし,ひとのきたてば,よなかにも,みはたなしらず,いでてぞあひける
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,千葉,美女伝説,地名
#[訓異]
#[大意]金門にでも人がやって来て立つと、夜中であっても自分のことはうち捨てて出て逢うことだ。
#{語釈]
金門 鉄の釘を使っている丈夫な立派な門
04/0723H01常世にと 我が行かなくに 小金門に もの悲しらに 思へりし
身はたな知らず 自分のことはすっかり忘れて
01/0050H05浮かべ流せれ 其を取ると 騒く御民も 家忘れ 身もたな知らず
#[説明]
釋注 体の魅力を売り物にするきわめて特異な女性像を描く。集中にもほかに類がない。
虫麻呂はこの女性を目の当たりにしたのではなかろう。
名代の美女として上総の周淮の地に語り継がれた伝説的な女性を、生きて世に在るもののごとくに歌ったのがこの長反歌だと思う
都人に披露することを企図して詠まれたと見て狂いはない。
この歌を聴取した都人たちは、表だってはふしだらな女がいるものだなどという感想を洩らしながら、個々の内面では東国への憧憬をふくらませたのではなかろうか。
#[関連論文]


#[番号]09/1740
#[題詞]詠水江浦嶋子一首[并短歌]
#[原文]春日之 霞時尓 墨吉之 岸尓出居而 釣船之 得<乎>良布見者 <古>之 事曽所念 水江之 浦嶋兒之 堅魚釣 鯛釣矜 及七日 家尓毛不来而 海界乎 過而榜行尓 海若 神之女尓 邂尓 伊許藝趍 相誂良比 言成之賀婆 加吉結 常代尓至 海若 神之宮乃 内隔之 細有殿尓 携 二人入居而 耆不為 死不為而 永世尓 有家留物乎 世間之 愚人<乃> 吾妹兒尓 告而語久 須臾者 家歸而 父母尓 事毛告良比 如明日 吾者来南登 言家礼婆 妹之答久 常世邊 復變来而 如今 将相跡奈良婆 此篋 開勿勤常 曽己良久尓 堅目師事乎 墨吉尓 還来而 家見跡 <宅>毛見金手 里見跡 里毛見金手 恠常 所許尓念久 従家出而 三歳之間尓 <垣>毛無 家滅目八跡 此筥乎 開而見手歯 <如>本 家者将有登 玉篋 小披尓 白雲之 自箱出而 常世邊 棚引去者 立走 S袖振 反側 足受利四管 頓 情消失奴 若有之 皮毛皺奴 黒有之 髪毛白斑奴 <由>奈由奈波 氣左倍絶而 後遂 壽死祁流 水江之 浦嶋子之 家地見
#[訓読]春の日の 霞める時に 住吉の 岸に出で居て 釣舟の とをらふ見れば いにしへの ことぞ思ほゆる 水江の 浦島の子が 鰹釣り 鯛釣りほこり 七日まで 家にも来ずて 海境を 過ぎて漕ぎ行くに 海神の 神の娘子に たまさかに い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 言成りしかば かき結び 常世に至り 海神の 神の宮の 内のへの 妙なる殿に たづさはり ふたり入り居て 老いもせず 死にもせずして 長き世に ありけるものを 世間の 愚か人の 我妹子に 告りて語らく しましくは 家に帰りて 父母に 事も告らひ 明日のごと 我れは来なむと 言ひければ 妹が言へらく 常世辺に また帰り来て 今のごと 逢はむとならば この櫛笥 開くなゆめと そこらくに 堅めし言を 住吉に 帰り来りて 家見れど 家も見かねて 里見れど 里も見かねて あやしみと そこに思はく 家ゆ出でて 三年の間に 垣もなく 家失せめやと この箱を 開きて見てば もとのごと 家はあらむと 玉櫛笥 少し開くに 白雲の 箱より出でて 常世辺に たなびきぬれば 立ち走り 叫び袖振り こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし 肌も皺みぬ 黒くありし 髪も白けぬ ゆなゆなは 息さへ絶えて 後つひに 命死にける 水江の 浦島の子が 家ところ見ゆ
#[仮名],はるのひの,かすめるときに,すみのえの,きしにいでゐて,つりぶねの,とをらふみれば,いにしへの,ことぞおもほゆる,みづのえの,うらしまのこが,かつをつり,たひつりほこり,なぬかまで,いへにもこずて,うなさかを,すぎてこぎゆくに,わたつみの,かみのをとめに,たまさかに,いこぎむかひ,あひとぶらひ,ことなりしかば,かきむすび,とこよにいたり,わたつみの,かみのみやの,うちのへの,たへなるとのに,たづさはり,ふたりいりゐて,おいもせず,しにもせずして,ながきよに,ありけるものを,よのなかの,おろかひとの,わぎもこに,のりてかたらく,しましくは,いへにかへりて,ちちははに,こともかたらひ,あすのごと,われはきなむと,いひければ,いもがいへらく,とこよへに,またかへりきて,いまのごと,あはむとならば,このくしげ,ひらくなゆめと,そこらくに,かためしことを,すみのえに,かへりきたりて,いへみれど,いへもみかねて,さとみれど,さともみかねて,あやしみと,そこにおもはく,いへゆいでて,みとせのあひだに,かきもなく,いへうせめやと,このはこを,ひらきてみてば,もとのごと,いへはあらむと,たまくしげ,すこしひらくに,しらくもの,はこよりいでて,とこよへに,たなびきぬれば,たちはしり,さけびそでふり,こいまろび,あしずりしつつ,たちまちに,こころけうせぬ,わかくありし,はだもしわみぬ,くろくありし,かみもしらけぬ,ゆなゆなは,いきさへたえて,のちつひに,いのちしにける,みづのえの,うらしまのこが,いへところみゆ
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 / 手 -> 乎 [西(訂正右書)][壬][細][温][矢] / 吉 -> 古 [西(訂正右書)][藍][壬][類] / 之 -> 乃 [藍][壬][類] / 宅 [西(上書訂正)][藍][壬][類] / 墻 -> 垣 [藍][類][紀] / 如来 -> 如 [藍][類] / 反 [藍][類](塙) 返 / <> -> 由 [西(右書)][藍][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,浦島伝説,若狭,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]春の日で霞がかかっている時に住吉の岸に出て立って釣船が波間に揺れているのを見ていると、昔のことが思われてならない。水の江の浦島の子が勝を釣ったり鯛を釣って誇っていて、七日にいたるまで家にも帰らないで海の境を過ぎて漕いで行ったところ、海神の娘に偶然漕いで向かって、共に求婚し合って契りが出来たので、相伴って常世に着いて、海神の神の宮の内側の隔たった立派な御殿に手を取り合って二人で入って居て、年も取らず、死ぬこともなくて、いつまでもそのままでいられたものなのに、世の中の愚かな人が我が妻に話をすることには、しばらくは家に帰って父母にこのことを話し合って、明日にでもきっと自分は戻って来ようと言ったので、妻が言うのにこの常世のあたりにまた帰ってきて今のように逢おうというのならば、この櫛笥を決して開くなと十分に堅く誓った言葉なのに、住吉に帰ってきて家を見るが家も見ることが出来なく、里を見るが里も見ることが出来なく、不思議な事だとそこで思うには、家を出て三年の間に垣塀もなくなって家がなくなることがあるだろうかと、この箱を開いて見るともとのように家はあるだろうと玉櫛笥を少し開いたところ、白雲が箱から出てきて常世の方にたなびいて行ったので、立ち走って悲鳴を上げて袖を振り、ひっくり返り足をばたばたさせて、たちまちに気を失ってしまった。若くあった肌も皺が寄って黒くあった髪の毛も白くなった。そのうち息までも出来なくなってついには死んでしまった。その水の江の浦島の子の家のあったところを見ることである。
#{語釈]
水江浦嶋子 日本書紀 雄略二十二年七月「丹波国の餘社郡(よさのこほり)の管川(つつかは)の人、瑞江浦嶋子(みづのえのうらしまこ)、舟に乗りて釣す。遂に大亀を得たり。便(たちまち)に女に化為(な)る。是に、浦嶋子、感(たけ)りて婦(め)にす。相逐(したが)ひて海に入る。蓬莱山(とこよのくに)に到りて、仙衆(ひじり)を歴(めぐ)り観(み)る。語は、別巻に在り。」
丹後国風土記逸文
住吉の岸に出で居て 虫麻呂は、摂津の住吉のこととしている。日本書紀や丹後風土記の伝承と場所が合わない。
現在、京都府与謝郡伊根町本庄「宇良神社」 扶桑略記「故郷澄江浦に到る」
与謝郡の西、竹野郡の網野町の北の浜を水之江 地名辞書 水之江を万葉集の澄江浦とする。
新解 摂津の住吉 伝説が広くあった。 釋注 藤原宇合との関係から、神亀三年宇合知造難波宮事。 この頃に詠まれたか。他の虫麻呂の伝説歌詠の性格から、創作したとは考えられない。
注釈 書物で読んだ浦島子伝説を思い出して、住吉の地で創作した。
釣舟のとをらふ見れば 原文「「得<乎>良布見者」 「得」類「傳」 「乎」西、本文「手」訂正右書き「乎」
考「乎」は「本」の誤り。トホラフと訓む。
略解「得乎良布」は、「手湯多布(たゆたふ)」の誤り。
新考「トヲラフは即ちタユタフなり」
全釈「トヲラフはタヲルと同語で撓むの意。船が波に動揺していることと解すべき」
全註釈「トヲ(撓)を語幹として活用した動詞。
揺れる。たゆとうの意
鰹釣り 和名抄「鰹魚 唐韵云、鰹 音堅 漢語抄云 加豆乎 式文用堅魚二字」
カツヲ
鯛釣りほこり 注釈「鰹と鯛は我が国の海の魚の代表的なものとしてあげた形である。」
注釈「先年ロンドンへはじめて着いた晩、日本料理店で鯛のさしみをたべてこれが鯛かと驚いた印象を今もなほ忘れずにいるが、ロンドンでは鯛をたべるのはユダヤ人と日本人とだけだと聞いて、あんなまづい鯛を日本人の好む魚だと思われることは迷惑だと思ったことであるが、ここの鯛は日本一の明石鯛である。
ほこり 誇る 得意になる。
七日まで 全註釈「七日は、この種の異郷訪問説話にしばしばあらわれる日数で、相当に多い日数を示す。」
09/1748H01我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
11/2435H01近江の海沖つ白波知らずとも妹がりといはば七日越え来む
13/3318H05拾ふとぞ 君は来まさぬ 久ならば いま七日ばかり 早くあらば
海界乎 うなさか 海の限界 古事記「海坂を塞ぎて返り入りたまひき」は、海の国への道 ここは、海の境の意味
邂 たまさかに 和名類聚抄 偶 タマサカ
11/2396H01たまさかに我が見し人をいかならむよしをもちてかまた一目見む
い漕ぎ向ひ 相とぶらひ 西「イコキワシラヒカタラヒ」考「イコギワシラヒカガラヒ」
略解「イコギムカヒテアヒカガラヒ」古義「イコギムカヒテアヒカタラヒ」
全註釈「イコギムカイアヒアトラヒ」
T 類聚名義抄 ワシル ムカフ ヲモムク
全註釈 誂 垂仁紀 アトラヘテの訓
新考 釋注 誂 説文 相呼誘也 誘い説く 1809 誂時(とふとき)
注釈 トブラヒともアトラヒとも訓めるが、字余りだからアの音のある方をとり、求婚をする事と解すべき
言成りしかば 相談が成立したので 結婚の約束が成立した
かき結び 契りを交わして あい伴って
内のへの へ 障壁 建物の内側の壁
たづさはり 手を取り合って
02/0213H01うつそみと 思ひし時に たづさはり 我がふたり見し 出立の
愚か人の 西「シレタルヒトノ」 古義「カタクナビトノ」
新訓 全註釈 類聚名義抄 愚 オロカナリ

作者の浦島子に対する評価
事も告らひ 西「コトモツケラヒ」 考「コトヲモノラヒ」 新考「コトモノラヒ」
注釈 類聚名義抄 カタラフ コトモカタラヒ
我れは来なむと な 強意の助動詞 未然形 きっと帰ってこよう
この櫛笥開くなゆめと 魂を封じ込めている物。開くと浦島子への呪術が破れる。
そこらくに 「そこばくに」と同じ 「ここだく」「ここばく」とも同じ
十分に たくさんに

三年の間に 説話的時間 古事記海つ宮訪問 山幸が三年を経て故郷を思って長嘆息したとある。
家失せめやと 「や」反語 家がなくなってしまうことがあるだろうかと
開きて見てば 「て」完了 助動詞 開いて見たならば
白雲の箱より出でて 封じ込めていた女の霊魂が出てしまった
女が男の現状を守るという考え 形見。
心消失せぬ 失神した
ゆなゆなは 他例なし。 全註釈「後々は」
家ところ見ゆ 住吉での伝承を裏づける句。
伝説や神話が現代とのつながりを持ち、起源譚としての価値を持つ形。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1741
#[題詞](詠水江浦嶋子一首[并短歌])反歌
#[原文]常世邊 可住物乎 劔刀 己之<行>柄 於曽也是君
#[訓読]常世辺に住むべきものを剣大刀汝が心からおそやこの君
#[仮名],とこよへに,すむべきものを,つるぎたち,ながこころから,おそやこのきみ
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 心 -> 行 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,浦島伝説,若狭,地名
#[訓異]
#[大意]常世のあたりに住めばよかったものなのに。剣太刀のお前の心のために愚かであるよ。この君は。
#{語釈]
剣大刀 な(刃)にかかる枕詞 大夫の持つものだから名にかかるともする。
汝が心から 西「サカココロカラ」 新訓「オノガワザカラ」 新考「ナガココロカラ」
西「心」 類「行」 類聚名義抄 行 ココロ
から 故、理由
おそや 愚鈍、愚か
02/0126H01風流士と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士
#[説明]
本来は、異類神婚譚。 虫麻呂 海神神女 古事記の山幸神話に近い
風土記 亀の神女 異類神婚となる。
現代 亀の報恩説話に変化し、異界訪問譚となる。
#[関連論文]


#[番号]09/1742
#[題詞]見河内大橋獨去娘子歌一首[并短歌]
#[原文]級照 片足羽河之 左丹塗 大橋之上従 紅 赤裳<數>十引 山藍用 <揩>衣服而 直獨 伊渡為兒者 若草乃 夫香有良武 橿實之 獨歟将宿 問巻乃 欲我妹之 家乃不知久
#[訓読]しな照る 片足羽川の さ丹塗りの 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる衣着て ただ独り い渡らす子は 若草の 夫かあるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹が 家の知らなく
#[仮名],しなでる,かたしはがはの,さにぬりの,おほはしのうへゆ,くれなゐの,あかもすそびき,やまあゐもち,すれるきぬきて,ただひとり,いわたらすこは,わかくさの,つまかあるらむ,かしのみの,ひとりかぬらむ,とはまくの,ほしきわぎもが,いへのしらなく
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 摺 ->揩 [紀] / <> -> 數 [西(右書)][藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,大阪,美女,孤独,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]しな照る片足羽川の赤く塗った大橋の上から紅の赤裳を裾引いて、山藍で染めた衣を着て、ただ独りでお渡りになる娘子は、若草の夫がいるのだろうか。橿の実のように独りで夜は寝るのだろうか。訊ねたい我が妹の家がわからないことだ。
#{語釈]
河内大橋 片足羽川(後述)にかかる橋
しな照る 枕詞 かかり方未詳 推古紀「しなてる片岡山」
燭明抄「しなてるは級照也。級は階(はし)のきざみなり。照はほめたる詞なり。宮殿のきざはしはてりかゞやく心なり。 只階のきざみの片さがりなるにつけて片とつゞけむためなるべし」
冠辞考「こは級立(しなたて)る物は斜に片はへなる意にて、片とはつゞくならん。
古義「斯那(しな)は、嫋(しな)の意、提流(てる)は、佐比豆流(さひづる)など云豆流(づる)と同言にて、然ある形容(さま)をいふとき、附ていふ言なるべし、さて片(かた)とつゞくっは、肩(かた)の義にて、弱々(なよなよ)と嫋(しな)やぐ肩といふ意に、いひ係たるなるべし、人の肩は屈伸(のびかゞみの縦由(こゝろまゝ)なるもの故、嫋(しな)やぐよしもて、古語に嫋肩(よわかた)とも云るを、併思ふべし」
井手至 類似の枕詞「しな立つ つくま佐野方(13/3323)」があり、佐野方は、10/1928からかづらと同じ蔓草であり、「かた」は、14/3412など蔓、条(すぢ)の意や、蔓草の意に用いられた。そこで「かた」は、「かづ(葛)」と語源は同じ。
「しな」は新撰字鏡「層 志奈」 陛「升也階陛志奈又波志」 名義抄「層 階 シナ」 かた(葛、蔓草)のつるが起伏して延び、その葉の階をなして重なり日に照るさまを「しなてる」と云ひ、「さのかた」のつるが、上に向かって延ひのぼり、葉が重なって階をなしているさまを「しなたつ」と表現した。
「千葉の葛野」のように、蔓の葉の多いのをたたえたように、葉の重なり照るさまの讃め詞的な枕詞
片足羽川 大阪府柏原市安堂 石川 大阪府柏原市安堂 大和川
紀、西「カタアスハカハ」 矢「カタアシハ」 考「カタシハカハ」
考「河内国交野にて安寧天皇片鹽浮穴宮所なりしなり」
生田耕一「カタシハは、堅磐 雄略紀7年 堅磐此カタシハ の意で、この堅石は、柘榴石つまり金剛砂のこと、その金剛砂を産出した石川を片足羽河と言った。河内大橋は国府の橋であり、今の羽曳野市古市、碓井、誉田あたりの東、石川に架かった橋
地名辞書「大縣(おおかた)郡 明治二十九年廃して中河内郡に入る。境域最小にして今堅上堅下の二村に過ぎず」 片鹽は安寧天皇浮穴宮を営みたまへる地なり、即ち大和川の別名 片鹽の地にして此称あり 此大橋は堅下村大字安堂(柏原市安堂)より西へ、志紀郡船橋村(南河内郡美陵町船橋)に架したるものならん
山藍 とうだいくさ科の多年生草木
橿の実 一つづつなるので独りの枕詞
#[説明]
#[関連論文]
#[番号]09/1743
#[題詞](見河内大橋獨去娘子歌一首[并短歌])反歌
#[原文]大橋之 頭尓家有者 心悲久 獨去兒尓 屋戸借申尾
#[訓読]大橋の頭に家あらばま悲しく独り行く子に宿貸さましを
#[仮名],おほはしの,つめにいへあらば,まかなしく,ひとりゆくこに,やどかさましを
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,大阪,美女,孤独,地名
#[訓異]
#[大意]大橋の側に家があれば、愛すべく独りで行くあの子に宿を貸すのになあ。
#{語釈]
頭 つめ 天智紀五年「打橋の都梅(つめ)の遊び」 端(つま)と同じ。横、端
まかなしく 紀「あはれしく」 西「こころかなしく」 細「こころいたく」
代匠記「うらかなしく」 略解「まかなしく」
作者の心情。愛すべく、いとしく
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1744
#[題詞]見武蔵小埼沼鴨作歌一首
#[原文]前玉之 小埼乃沼尓 鴨曽翼霧 己尾尓 零置流霜乎 掃等尓有斯
#[訓読]埼玉の小埼の沼に鴨ぞ羽霧るおのが尾に降り置ける霜を掃ふとにあらし
#[仮名],さきたまの,をさきのぬまに,かもぞはねきる,おのがをに,ふりおけるしもを,はらふとにあらし
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,埼玉,旋頭歌,地名
#[訓異]
#[大意]埼玉の小埼の沼に鴨が羽ばたいている。自分の尾に降り置いた霜を払うというらしい。
#{語釈]
武蔵小埼沼 おさきの沼 埼玉県行田市埼玉 
羽霧る 羽ばたいてしぶきを上げる
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1745
#[題詞]那賀郡曝井歌一首
#[原文]三栗乃 中尓向有 曝井之 不絶将通 従所尓妻毛我
#[訓読]三栗の那賀に向へる曝井の絶えず通はむそこに妻もが
#[仮名],みつぐりの,なかにむかへる,さらしゐの,たえずかよはむ,そこにつまもが
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,埼玉,羈旅,土地讃美,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]三つの栗の中ではないが、那珂に向かって流れている曝井の水が絶えないように絶えず通おう。そこに妻もいればなあ。
#{語釈]
那賀郡曝井 茨城県水戸市愛宕町愛宕神社 埼玉県児玉郡美里町広木
代匠記「今按上に見武蔵小埼沼鴨作歌と云へるつゞきに何れの国とも云はで那賀郡と云は、和名抄を考るに武蔵国に那珂郡あれば、上を承て此なるか」
埼玉県児玉郡美里町広木小字曝井
常陸国風土記那賀郡「郡より東北に粟河を挟みて駅家を置く。[本は粟河に近く、河内駅家と謂ふ。今は本に随ひて之を名づく。] 其の以南に当たりて泉、坂の中に出る。水多く流れ尤も清し。之を曝井と謂ふ。泉に縁りて居る所の婦女、夏の月に会集す。布を浣ひて曝し乾かす。」
茨城県水戸市愛宕町愛宕神社
三栗の 栗のいがの中にある三つの栗の中 ということで中にかかる枕詞
そこ 那珂郡のこと。
#[説明]
止まず通うということによって土地を讃美したもの。
#[関連論文]


#[番号]09/1746
#[題詞]手綱濱歌一首
#[原文]遠妻四 高尓有世婆 不知十方 手綱乃濱能 尋来名益
#[訓読]遠妻し多賀にありせば知らずとも手綱の浜の尋ね来なまし
#[仮名],とほづまし,たかにありせば,しらずとも,たづなのはまの,たづねきなまし
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城県,望郷,土地讃美,地名
#[訓異]
#[大意]遠く離れた都の妻がこの多賀にいるのだったら、道を知らなくとも自分は手綱の浜の名前のように訪ねて来ようものを。
#{語釈]
手綱濱 茨城県高萩市高戸 上手綱 下手綱 赤浜
新編常陸国誌「多珂郡手綱村これなり、この村の東辺赤浜村などは即手綱浜にて、大洋に浜せる地にて陸奥往来の大道なり」
遠妻 遠くに離れている妻 作者虫麻呂が都にいる妻のことを指している
多賀 和名抄 多珂郡多珂 多賀郡 北茨城市、高萩市、日立市
手綱の浜の 「たづな」という名前と「訪ねる」にかけた
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1747
#[題詞]春三月諸卿大夫等下難波時歌二首[并短歌]
#[原文]白雲之 龍田山之 瀧上之 小鞍嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来
#[訓読]白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風しやまねば 春雨の 継ぎてし降れば ほつ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は しましくは 散りな乱ひそ 草枕 旅行く君が 帰り来るまで
#[仮名],しらくもの,たつたのやまの,たきのうへの,をぐらのみねに,さきををる,さくらのはなは,やまたかみ,かぜしやまねば,はるさめの,つぎてしふれば,ほつえは,ちりすぎにけり,しづえに,のこれるはなは,しましくは,ちりなまがひそ,くさまくら,たびゆくきみが,かへりくるまで
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短哥 [西(訂正)] 短歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,奈良,餞別,天平6年3月,年紀,難波,大阪,地名,枕詞,植物
#[訓異]
#[大意]白雲の龍田の山のそばにある川の急流のほとりの小椋の嶺に咲きたわんでいる桜の花は、山が高いので風が止まないので、それに春雨が絶えず降るので、木の上の方の枝の花は散り過ぎてしまっている。下の方の枝に残っている花は、しばらくは散り乱れるなよ。草枕旅に行く君が帰って来るまで。
#{語釈]
春三月 古義 慶雲三年九月難波行幸時
全釈 宇合らを指しているか。神亀三年知造難波宮事になっているから、この頃か。
全註釈 天平六年三月難波行幸
虫麻呂が宇合とともに難波に行った時の作
白雲の 白雲が立つの意で、龍田にかかる枕詞
龍田山 奈良県生駒郡三郷町立野 龍田大社のある後ろの山
瀧 大和川の亀の瀬岩のあたりが急流になっているので、このあたりか。
小椋の嶺 瀧の近くの山か。大和志平群郡小倉峯「二つ有り。一つは立野村の西に在り。一つは小倉寺村上方に在り」
咲きををる 咲きたわむ
02/0196H05生ひ靡ける 玉藻もぞ 絶ゆれば生ふる 打橋に 生ひををれる 川藻もぞ
03/0475H03山辺には 花咲きををり 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に
06/0923H02川なみの 清き河内ぞ 春へは 花咲きををり 秋されば 霧立ちわたる
06/1012H01春さればををりにををり鴬の鳴く我が山斎ぞやまず通はせ
06/1050H06花咲きををり あなあはれ 布当の原 いと貴 大宮所 うべしこそ
06/1053H03錦なす 花咲きををり さを鹿の 妻呼ぶ秋は 天霧らふ しぐれをいたみ
08/1421H01春山の咲きのををりに春菜摘む妹が白紐見らくしよしも
09/1747H01白雲の 龍田の山の 瀧の上の 小椋の嶺に 咲きををる 桜の花は
09/1752H01い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
10/2228H01萩の花咲きのををりを見よとかも月夜の清き恋まさらくに
13/3266H01春されば 花咲ををり 秋づけば 丹のほにもみつ 味酒を 神奈備山の
17/3907H01山背の 久迩の都は 春されば 花咲きををり 秋されば
ほつ枝 木の上の方の枝 下の枝は、しづ枝
10/2330H01妹がためほつ枝の梅を手折るとは下枝の露に濡れにけるかも
13/3239H02ほつ枝に もち引き懸け 中つ枝に 斑鳩懸け 下枝に 比米を懸け
13/3307H01しかれこそ 年の八年を 切り髪の よち子を過ぎ 橘の ほつ枝を過ぎて
13/3309H04よち子を過ぎ 橘の ほつ枝をすぐり この川の 下にも長く 汝が心待て
19/4289H01青柳の上枝攀ぢ取りかづらくは君が宿にし千年寿くとぞ
君 藤原宇合のこと
旅行く君が 帰り来るまで 作者虫麻呂は、翌日難波より帰る。(1751題詞)
宇合も数日で帰ることになっていたのであろう。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1748
#[題詞](春三月諸卿大夫等下難波時歌二首[并短歌])反歌
#[原文]吾去者 七日<者>不過 龍田彦 勤此花乎 風尓莫落
#[訓読]我が行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
#[仮名],わがゆきは,なぬかはすぎじ,たつたひこ,ゆめこのはなを,かぜになちらし
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / <> -> 者 [藍][壬][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,奈良,餞別,天平6年3月,年紀,難波,大阪,風神,鎮花,地名,植物
#[訓異]
#[大意]自分の旅行は七日は過ぎるまい。龍田彦よ。決してこの花を風には散らすなよ。
#{語釈]
我が行き 自分の旅行。 作者虫麻呂のこと
龍田彦 延喜式神名帳 龍田坐天御柱国御柱神社二座 龍田比古龍田比女神社二社
龍田風神祭祝詞 我御名は、天の御柱の命、国の御柱の命、御名は悟(さと)し奉りて
龍田神社 天御柱命国御柱命を祭神 龍田比古龍田比女は、摂社となっている。
私注 タツタヒコの方が素朴な原型で、天御柱などいふのは後から威厳を付ける為の名であった如くも感じられる
龍田神社の本来の祭神か。風の神
風にな散らし 風にな散らしそが普通の言い方
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1749
#[題詞](春三月諸卿大夫等下難波時歌二首[并短歌])
#[原文]白雲乃 立田山乎 夕晩尓 打越去者 瀧上之 櫻花者 開有者 落過祁里 含有者 可開継 許知<期>智乃 花之盛尓 雖不見<在> 君之三行者 今西應有
#[訓読]白雲の 龍田の山を 夕暮れに うち越え行けば 瀧の上の 桜の花は 咲きたるは 散り過ぎにけり ふふめるは 咲き継ぎぬべし こちごちの 花の盛りに あらずとも 君がみ行きは 今にしあるべし
#[仮名],しらくもの,たつたのやまを,ゆふぐれに,うちこえゆけば,たきのうへの,さくらのはなは,さきたるは,ちりすぎにけり,ふふめるは,さきつぎぬべし,こちごちの,はなのさかりに,あらずとも,きみがみゆきは,いまにしあるべし
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]斯 -> 期 [藍][類][紀] / 左右 -> 在 [新訓万葉集] (塙) 左右
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,奈良,餞別,天平6年3月,年紀,難波,大阪,風神,鎮花,地名,枕詞,植物
#[訓異]
#[大意]白雲の龍田の山を夕暮れ時に越えて行くと、瀧のほとりの桜の花は、咲いているのは散り過ぎてしまった。つぼみであるのは、次から次へと咲き続くであろう。あちらこちらの花の盛んな時でなくとも、君のご旅行は今がちょうどいい頃であろう。
#{語釈]
あらずとも 紀 「雖不見左」みざれとも
藍、西 「雖不見左右」みねとまで

考 新考 雖不見左右 みずといへど かにかくに
略解 みずといへどかにかくに 「宣長云、左右の字上下に落字多く有るべし。試みに補はば、またも来ん左右(まで)にちこすな、君が云々と有るべしといへり、」
古義 落莫乱などの三字を失へるか、さらば雖不見落莫乱(みせずとてちりなみだれそ)と訓べし」
新訓 注釈 左は在の誤り 雖不見在 あらずとも
全註釈 雖不見左右 見ざれども かにかくに
大系 あらねども
塙 雖不見左右 見さずとも かにもかくにも
君のみ行き 君は、宇合のこと。み行きは、御幸として天皇の行幸を意味する言葉であ るが、ご旅行の意味で用いている。
今にしあるべし 今がちょうどよい頃であるようだ。散っているのはあるけれども、こ れからまだ咲き続ける桜の時期を言う。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1750
#[題詞](春三月諸卿大夫等下難波時歌二首[并短歌])反歌
#[原文]暇有者 魚津柴比渡 向峯之 櫻花毛 折末思物緒
#[訓読]暇あらばなづさひ渡り向つ峰の桜の花も折らましものを
#[仮名],いとまあらば,なづさひわたり,むかつをの,さくらのはなも,をらましものを
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,奈良,餞別,天平6年3月,年紀,難波,大阪,風神,鎮花,植物
#[訓異]
#[大意]時間があったら苦労して川を渡ってでも、向かいの嶺の桜の花も折ろうものなのに。
#{語釈]
暇あらば 時間があったら 旅の途中であるので、道草をしている余裕がない。
なづさひ渡り 川を渡って行く。向かいの嶺との間には、大和川の瀧がある。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1751
#[題詞]難波經宿明日還来之時歌一首[并短歌]
#[原文]嶋山乎 射徃廻流 河副乃 丘邊道従 昨日己曽 吾<超>来壮鹿 一夜耳 宿有之柄二 <峯>上之 櫻花者 瀧之瀬従 落堕而流 君之将見 其日左右庭 山下之 風莫吹登 打越而 名二負有社尓 風祭為奈
#[訓読]島山を い行き廻れる 川沿ひの 岡辺の道ゆ 昨日こそ 我が越え来しか 一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る 君が見む その日までには 山おろしの 風な吹きそと うち越えて 名に負へる杜に 風祭せな
#[仮名],しまやまを,いゆきめぐれる,かはそひの,をかへのみちゆ,きのふこそ,わがこえこしか,ひとよのみ,ねたりしからに,をのうへの,さくらのはなは,たきのせゆ,ちらひてながる,きみがみむ,そのひまでには,やまおろしの,かぜなふきそと,うちこえて,なにおへるもりに,かざまつりせな
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 越 -> 超 [藍][紀] / 岑 -> 峯 [藍][紀][矢][京]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,龍田,大阪,天平6年3月,年紀,風祭り,風神,地名,植物
#[訓異]
#[大意]嶋山を取り巻いてめぐっている川沿いの岡のあたりの道を通って、たった一日前に自分は越えただけであるのに、一夜だけ泊まっただけであるのに、嶺のあたりの桜の花は瀧の早瀬を通って散り続けて流れている。君が見るであろうその日までには山おろしの風よ吹くなと峠を越えてその名を負っている有名な社に風鎮めの祭りをしようよ。
#{語釈]
難波に經宿し 難波京で一晩泊まる
毛詩 周頌 有客「有客宿宿、有客信信」 毛傳「一宿曰宿、再宿曰信」
宿 一夜宿泊すること。
嶋山 川に沿った山 川の蛇行で川に取り巻かれた山の地形を言うか。
一夜のみ 寝たりしからに 一晩だけ寝ただけなのに
からに ~だけなのに
02/0157H01三輪山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみからに長くと思ひき
04/0624H01道に逢ひて笑まししからに降る雪の消なば消ぬがに恋ふといふ我妹
04/0638H01ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心惑ひぬ
04/0766H01道遠み来じとは知れるものからにしかぞ待つらむ君が目を欲り
05/0796H01はしきよしかくのみからに慕ひ来し妹が心のすべもすべなさ
06/1038H01故郷は遠くもあらず一重山越ゆるがからに思ひぞ我がせし
07/1197H01手に取るがからに忘ると海人の言ひし恋忘れ貝言にしありけり
07/1257H01道の辺の草深百合の花笑みに笑みしがからに妻と言ふべしや
09/1751H02一夜のみ 寝たりしからに 峰の上の 桜の花は 瀧の瀬ゆ 散らひて流る
09/1803H01語り継ぐからにもここだ恋しきを直目に見けむ古へ壮士
11/2411H01白栲の袖をはつはつ見しからにかかる恋をも我れはするかも
11/2554H01相見ては面隠さゆるものからに継ぎて見まくの欲しき君かも
11/2576H01人間守り葦垣越しに我妹子を相見しからに言ぞさだ多き
14/3482H02韓衣裾のうち交ひ逢はなへば寝なへのからに言痛かりつも
14/3535H01己が命をおほにな思ひそ庭に立ち笑ますがからに駒に逢ふものを
18/4069H01明日よりは継ぎて聞こえむ霍公鳥一夜のからに恋ひわたるかも
20/4356H01我が母の袖もち撫でて我がからに泣きし心を忘らえのかも
20/4493H01初春の初子の今日の玉箒手に取るからに揺らく玉の緒
散らひて流る 原文「落堕而流」 寛 おちてながれぬ
考、古義、新考 たぎちてながる
新訓 おちてながる
私注 注釈 ちりおちてながる
釋注 ちらひてながる

注釈 寛 完了の助動詞の表記がない
考 たぎち ならば、激の字がなければならない
新訓 字足らず
釋注 反復継続の語を示す表記がない
名に負へる社 龍田社は、風の神として祭られている。
風祭り 龍田風神祭 四月と七月に五穀豊穣の祭りが行われた。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1752
#[題詞](難波經宿明日還来之時歌一首[并短歌])反歌
#[原文]射行相乃 <坂>之踏本尓 開乎為流 櫻花乎 令見兒毛欲得
#[訓読]い行き逢ひの坂のふもとに咲きををる桜の花を見せむ子もがも
#[仮名],いゆきあひの,さかのふもとに,さきををる,さくらのはなを,みせむこもがも
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 / 坂上 -> 坂 [藍][類][紀]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,龍田,大阪,天平6年3月,年紀,鎮花,地名,植物
#[訓異]
#[大意]行き逢いの坂の麓に咲きたわんでいる桜の花を見せる女の子もいればなあ。
#{語釈]
い行き逢ひの 釋注 井手至 「隣国の神が両側から登って来て境を決めたという伝承を持つ神聖な坂」
大和、河内国境の龍田越えの坂

多くの旅人が行き交うという感覚もある。
私注「龍田越えの交通量を幾分察することが出来ようか」
子 観念上の美女
#[説明]
#[関連論文]
「なかはず」と「ゆきあひ」|井手至|文学語学|150


#[番号]09/1753
#[題詞]検税使大伴卿登筑波山時歌一首[并短歌]
#[原文]衣手 常陸國 二並 筑波乃山乎 欲見 君来座登 熱尓 汗可伎奈氣 木根取 嘯鳴登 <峯>上乎 <公>尓令見者 男神毛 許賜 女神毛 千羽日給而 時登無 雲居雨零 筑波嶺乎 清照 言借石 國之真保良乎 委曲尓 示賜者 歡登 紐之緒解而 家如 解而曽遊 打靡 春見麻之従者 夏草之 茂者雖在 今日之樂者
#[訓読]衣手 常陸の国の 二並ぶ 筑波の山を 見まく欲り 君来ませりと 暑けくに 汗かき嘆げ 木の根取り うそぶき登り 峰の上を 君に見すれば 男神も 許したまひ 女神も ちはひたまひて 時となく 雲居雨降る 筑波嶺を さやに照らして いふかりし 国のまほらを つばらかに 示したまへば 嬉しみと 紐の緒解きて 家のごと 解けてぞ遊ぶ うち靡く 春見ましゆは 夏草の 茂くはあれど 今日の楽しさ
#[仮名],ころもで,ひたちのくにの,ふたならぶ,つくはのやまを,みまくほり,きみきませりと,あつけくに,あせかきなげ,このねとり,うそぶきのぼり,をのうへを,きみにみすれば,をかみも,ゆるしたまひ,めかみも,ちはひたまひて,ときとなく,くもゐあめふる,つくはねを,さやにてらして,いふかりし,くにのまほらを,つばらかに,しめしたまへば,うれしみと,ひものをときて,いへのごと,とけてぞあそぶ,うちなびく,はるみましゆは,なつくさの,しげくはあれど,けふのたのしさ
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 岑 -> 峯 [藍][類][紀][矢] / 君 -> 公 [藍][類][紀][温]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城,国見,歌垣,大伴旅人,道足,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]衣手常陸の国の二つ嶺が並んでいる筑波の山を見たいと思って、君がいらっしゃたとして暑いことではあるが、汗をかいては手で払い、木の根をつかんでは息をつきながら登り、嶺の上を君に見せると、男神も登ることをお許しになり、女神も霊力を示されて、何時となく雲が居て雨が降る筑波嶺を明るく照らして、よくわからなかった国の立派な所をはっきりとお示しになったので、うれしいことだと衣の紐をほどいて、、家にいるかのようにうちとけて遊ぶことだ。草木が繁ってきて靡く春にみるであろうよりは、夏草が繁くはあるけれども、今日の楽しさよ。
#{語釈]
検税使 地方の国有の正倉にある正税の租稲を検閲して、正税帳と適合するかどうかを調べる役。現在の会計検査院のようなもの。
正倉院文書 天平七年長門国正税帳に初出。しかしそれ以前から派遣されていたか。
大伴卿 代匠記「推量するに養老年中藤原宇合卿常陸守なりし時の事にて、虫丸は掾介の属官にて、旅人の検税使なるにつきて筑波山に登れる歟」
大伴旅人のことか。養老年間に検税使として常陸に赴いたことになる。
この時、正四位下
筑波山 茨城県筑波郡 筑波山
03/0382D01登筑波岳丹比真人國人作歌一首并短歌
08/1497D01惜不登筑波山歌一首
09/1712D01登筑波山詠月一首
09/1753D01檢税使大伴卿登筑波山時歌一首[并短歌]
09/1757D01登筑波山歌一首[并短歌]
09/1759D01登筑波嶺為の歌會日作歌一首[并短歌]
衣手 常陸にかかる枕詞 常陸国風土記
二並ぶ 寛 ふたなみの 古義 ふたならぶ
筑波山は雄岳と雌岳の二つの山頂がある。
君来ませりと 紀 きみかきませと 西 きみかきますと 考 きみきませりと
大伴旅人がいらしゃったとして
暑けくに 紀 あつかるに 西 あつけきに 古義 あつけくに
暑いことなのに
汗かき嘆げ 紀 あせをかきなげ 西 あせかきなけき 木 補入
代匠記「さらでも山を登る時は苦しくて熱きを、夏の事なれば長き息のつかるるをなけきと云へり」
略解 伎の字を脱せり あせかきなけき
古義 伎 補入 汗の出るを汗かくと云は、今の世もしかり かきなげき
新訓 注釈 かきなげ
全釈 かきなげ 汗かき払ひといふやうな意味であらう。
全註釈 かきなげ 18/3978「宇良奈氣之都追」 下二段の連用形 長い息をつくこと
私注 汗をかき投げる、汗をふり落とす意であろう
釋注 「なげ」は、嘆くではなく、投げるの意
汗を手でぬぐい払い投げる
木の根取り 木の根っこを手でつかんで 山道の険しい様を言う
うそぶき登り 原文 嘯 玉篇「蹙(ひそめて)口而出声」
ふうふうと息をつきながら登る意
男神も許したまひ 常陸国風土記 登山は禁止されていた。今は登ることを許されているの意
ちはひたまひて 考 さちはひ(幸ひ)のさをはぶくのみ
全註釈 釋注 「ち」は、霊力のあること。「ちはふ」発揮する。
霊力を発揮するの意
11/2661H01霊ぢはふ神も我れをば打棄てこそしゑや命の惜しけくもなし
ここでは、加護をお加えになって
時となく 雲居雨降る 時を定めず いつも 人を寄せ付けない神霊の強いことを示す。
16/3883H01弥彦おのれ神さび青雲のたなびく日すら小雨そほ降る
いふかりし 不審に思う わからない 気がかりにする
国のまほら 国の中心 立派な所 5/800
つばらかに つぶさに はっきりと 1/17 19/4152
紐の緒解きて 心を許して くつろいでいる気持ち
うち靡く 草木が繁って風に靡いている様子。 春の形容的枕詞。
春見ましゆは まし 反実仮想 ゆ 比較 春に見るであろうよりは
歌垣の行われる春の山見などを意識している。
#[説明]
筑波山に夏に登ったことがわかる。
#[関連論文]
高橋虫麻呂「大伴卿が筑波山に登る時の歌」ー<可伎奈氣>の訓をめぐってー|梅林史|万葉学藻(伊藤博古稀記念)


#[番号]09/1754
#[題詞](検税使大伴卿登筑波山時歌一首[并短歌])反歌
#[原文]今日尓 何如将及 筑波嶺 昔人之 将来其日毛
#[訓読]今日の日にいかにかしかむ筑波嶺に昔の人の来けむその日も
#[仮名],けふのひに,いかにかしかむ,つくはねに,むかしのひとの,きけむそのひも
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城,国見,歌垣,大伴旅人,道足,地名
#[訓異]
#[大意]今日の日にどうしておよぼうか。筑波嶺に昔の人が来たというその日も。
#{語釈]
いかにかしかむ 紀 いとどをよはむ 藍 いかがおよはむ
童蒙抄 いかでおよばん 古義 いかでしかめや
新考 いかにかしかむ
どうしておよぼうか。
昔の人 常陸国風土記などにある歌垣に集まった人々を指しているか。
#[説明]
歌垣が行われる山ということを意識して、今の登山を讃美している。
#[関連論文]


#[番号]09/1755
#[題詞]詠霍公鳥一首[并短歌]
#[原文]鴬之 生卵乃中尓 霍公鳥 獨所生而 己父尓 似而者不鳴 己母尓 似而者不鳴 宇能花乃 開有野邊従 飛翻 来鳴令響 橘之 花乎居令散 終日 雖喧聞吉 幣者将為 遐莫去 吾屋戸之 花橘尓 住度鳥
#[訓読]鴬の 卵の中に 霍公鳥 独り生れて 己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛び翔り 来鳴き響もし 橘の 花を居散らし ひねもすに 鳴けど聞きよし 賄はせむ 遠くな行きそ 我が宿の 花橘に 住みわたれ鳥
#[仮名],うぐひすの,かひごのなかに,ほととぎす,ひとりうまれて,ながちちに,にてはなかず,ながははに,にてはなかず,うのはなの,さきたるのへゆ,とびかけり,きなきとよもし,たちばなの,はなをゐちらし,ひねもすに,なけどききよし,まひはせむ,とほくなゆきそ,わがやどの,はなたちばなに,すみわたれとり
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 哥 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,動物,植物
#[訓異]
#[大意]鶯の卵の中に霍公鳥が独りで生まれて、お前の父に似ては鳴かず、お前の母に似ては鳴かず、卯の花の咲いている野邊を通って飛びかけってやって来て鳴き響かせ、橘の花をそこに止まって散らし、一日中鳴いているが聞くのによい。餌をやろうから遠くには行くなよ。自分の家の花橘に住み続けなさいよ。この鳥よ。
#{語釈]
かひご 卵 和名抄 陸詞曰、卵 音嬾 加比古 鳥胎也
ほととぎす 鶯の巣に託卵する。
卯の花 橘 霍公鳥と卯の花が対になっている歌 15例
霍公鳥と橘が対になっている歌 22例
大半が奈良時代であり、家持歌に多い。
#[説明]
家持の歌
19/4166D01詠霍公鳥并時花歌一首并短歌
19/4166H01時ごとに いやめづらしく 八千種に 草木花咲き 鳴く鳥の 声も変らふ
19/4166H02耳に聞き 目に見るごとに うち嘆き 萎えうらぶれ 偲ひつつ
19/4166H03争ふはしに 木の暗の 四月し立てば 夜隠りに 鳴く霍公鳥
19/4166H04いにしへゆ 語り継ぎつる 鴬の 現し真子かも あやめぐさ
19/4166H05花橘を 娘子らが 玉貫くまでに あかねさす 昼はしめらに あしひきの
19/4166H06八つ峰飛び越え ぬばたまの 夜はすがらに 暁の 月に向ひて 行き帰り
19/4166H07鳴き響むれど なにか飽き足らむ
#[関連論文]


#[番号]09/1756
#[題詞](詠霍公鳥一首[并短歌])反歌
#[原文]掻霧之 雨零夜乎 霍公鳥 鳴而去成 𪫧怜其鳥
#[訓読]かき霧らし雨の降る夜を霍公鳥鳴きて行くなりあはれその鳥
#[仮名],かききらし,あめのふるよを,ほととぎす,なきてゆくなり,あはれそのとり
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,動物
#[訓異]
#[大意]空がかき曇って雨の降る夜を霍公鳥が鳴いて行く声が聞こえる。なんとも感慨深いその鳥であることよ。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1757
#[題詞]登筑波山歌一首[并短歌]
#[原文]草枕 客之憂乎 名草漏 事毛有<哉>跡 筑波嶺尓 登而見者 尾花落 師付之田井尓 鴈泣毛 寒来喧奴 新治乃 鳥羽能淡海毛 秋風尓 白浪立奴 筑波嶺乃 吉久乎見者 長氣尓 念積来之 憂者息沼
#[訓読]草枕 旅の憂へを 慰もる こともありやと 筑波嶺に 登りて見れば 尾花散る 師付の田居に 雁がねも 寒く来鳴きぬ 新治の 鳥羽の淡海も 秋風に 白波立ちぬ 筑波嶺の よけくを見れば 長き日に 思ひ積み来し 憂へはやみぬ
#[仮名],くさまくら,たびのうれへを,なぐさもる,こともありやと,つくはねに,のぼりてみれば,をばなちる,しつくのたゐに,かりがねも,さむくきなきぬ,にひばりの,とばのあふみも,あきかぜに,しらなみたちぬ,つくはねの,よけくをみれば,ながきけに,おもひつみこし,うれへはやみぬ
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 武 -> 哉 [藍][類]
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城,山讃美,旅愁,東国,関東,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]草枕 旅の憂いを慰めることもあるだろうかと筑波嶺に登って下を見ると、尾花が散っている師付の田圃に雁も寒そうにやって来て鳴いている。新治の鳥羽の湖も秋風に白波が立っている。筑波嶺のよいことを見ると、長い間思いが積もっていた憂いはやんだことである。
#{語釈]
旅の憂へ 略解「うれひ」 うれひの語は、寛弘五年の訓点が最古
それ以前は、うれへ
旅愁を意味する。

師付の田居 茨城県新治郡千代田村
常陸国風土記茨城郡 信筑の川と謂ふは、源を筑波の山より出て、西より東に流る。
茨城県新治郡千代田村 上志筑 中志筑 下志筑
新治の 新治郡 現在の筑波山東と異なり、筑波山の西北、現在の真壁郡と西茨城郡
風土記 東那賀郡境大山 南白壁郡 西毛野川 北下野常陸二国之境、即波太岡

鳥羽の淡海 茨城県真壁郡明野町
小貝川と鬼怒川の中間 大沼澤
#[説明]
虫麻呂の孤独、孤愁といったものが描かれている。
#[関連論文]


#[番号]09/1758
#[題詞](登筑波山歌一首[并短歌])反歌
#[原文]筑波嶺乃 須蘇廻乃田井尓 秋田苅 妹許将遺 黄葉手折奈
#[訓読]筑波嶺の裾廻の田居に秋田刈る妹がり遣らむ黄葉手折らな
#[仮名],つくはねの,すそみのたゐに,あきたかる,いもがりやらむ,もみちたをらな
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城,旅愁,東国,関東,地名,植物
#[訓異]
#[大意]筑波嶺の裾のめぐりの田圃に秋の稲刈りをしている妹のもとへ贈ろう。黄葉を手折ろうよ。
#{語釈]
妹がり 娘たちのところへ 虫麻呂の妹というよりは、一般的に女性を恋愛めかして言ったもの。筑波の歌垣の風習が念頭にあるのかも知れない。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1759
#[題詞]登筑波嶺為嬥歌會日作歌一首[并短歌]
#[原文]鷲住 筑波乃山之 裳羽服津乃 其津乃上尓 率而 未通女<壮>士之 徃集 加賀布嬥歌尓 他妻尓 吾毛交牟 吾妻尓 他毛言問 此山乎 牛掃神之 従来 不禁行事叙 今日耳者 目串毛勿見 事毛咎莫 [嬥歌者東俗語曰賀我比]
#[訓読]鷲の住む 筑波の山の 裳羽服津の その津の上に 率ひて 娘子壮士の 行き集ひ かがふかがひに 人妻に 我も交らむ 我が妻に 人も言問へ この山を うしはく神の 昔より 禁めぬわざぞ 今日のみは めぐしもな見そ 事もとがむな [の歌は、東の俗語に賀我比と曰ふ]
#[仮名],わしのすむ,つくはのやまの,もはきつの,そのつのうへに,あどもひて,をとめをとこの,ゆきつどひ,かがふかがひに,ひとづまに,われもまじらむ,わがつまに,ひともこととへ,このやまを,うしはくかみの,むかしより,いさめぬわざぞ,けふのみは,めぐしもなみそ,こともとがむな
#[左注](右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 / 作歌 [西] 作謌 [西(訂正)] 作歌 / 短歌 [西] 短哥 [西(訂正)] 短歌 / 牡 -> 壮 [元][藍][類] / 歌 [西] 謌 / 歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城,歌垣,東国,関東,地名
#[訓異]
#[大意]鷲の住む筑波の山の裳羽服津のその津の上に誘い合って娘男が行き集まってかがうかがいに人妻に自分も交じろう。自分の妻に人も求婚しなさい。この山を支配している神が昔から禁止しないことであるぞ。今日ばかりはいたわしいようには見るな。事も咎めるようなことはするな。
#{語釈]
鷲の住む 実際に鷲が住んでいるところから言うか。
14/3390H01筑波嶺にかか鳴く鷲の音のみをか泣きわたりなむ逢ふとはなしに
裳羽服津 茨城県筑波郡筑波山女岳 不明
代匠記「この神に詣づる者、此処にして粛敬して裳をはく故に裳帯津と云意に名付くる歟。津は集る処を云へり」
全註釈「モハキに就いては、裳および服の字を使っているのは、語義の考慮に入れて然るばく、裳は、婦人の腰部に纏う衣装であることを思へば、ハキは、それを著る意だらうとの推量が為される。類従名義抄には、著帯佩などの字にハクの訓がある。モハキの語は、日本霊異記下巻第三十八条の歌謡に『法師等乎裾着□□侮(あなづりそ)、そが中に腰帯、薦槌懸(さがれり)』といふのがある。裾は、衣服の下部をいふ字であるが、本集では『紅の玉裳裾引き行くは誰が妻』(1672)の如く、裳の義に使用されている。この霊異記の歌謡の意は、法師等を裳はきと侮るなかれ、その裳の中に、腰帯や薦槌がさがっているといふ意である。裳は、婦人以外では、法師がこれを著けたことは、催馬楽の老鼠にも、『西寺の老鼠、若鼠、御裳つんづ、袈裟つんづ、法師に申さん、師に申せ』の句があるので確かめられる。そこで法師の裳の中には、薦槌が下がっているといふので、モハキ津をこれに準じて考えれば、筑波山の女峰の陰部であることが知られる。山の凹処を陰部に比していふことは、古事記に、安寧天皇の山稜を畝傍山のみほとにありしとし、これを日本書紀に畝傍山の南の御陰の井の上の陵と記している。凹処で水の出る処だからモハキ津というと考えられる。その津の上方の処で、かがい歌の会が催されたのである。女体に対して崇信する思想が、根底をなしているのだろう」
かがふ かがひをすること。常陸国風土記
うしはく 領有する 支配する
めぐし 目にみていたわしい 愛隣の情がある 5/800妻子見れば めぐし愛し
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1760
#[題詞](登筑波嶺為の歌會日作歌一首[并短歌])反歌
#[原文]男神尓 雲立登 斯具礼零 沾通友 吾将反哉
#[訓読]男神に雲立ち上りしぐれ降り濡れ通るとも我れ帰らめや
#[仮名],をかみに,くもたちのぼり,しぐれふり,ぬれとほるとも,われかへらめや
#[左注]右件歌者高橋連蟲麻呂歌集中出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌集 [西] 謌集 [西(訂正)] 歌集
#[鄣W],雑歌,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城,歌垣,東国,関東
#[訓異]
#[大意]男神に雲が立ち上り時雨が降り、中まで濡れ通ってしまうとしても、自分は帰るということがあろうか。
#{語釈]
しぐれ 筑波山に登ったのは秋
#[説明]
女神の岳に登っているので、男神が嫉妬して霊威を現し妨害するとしても、この楽しい会を中途にしては帰らないという気持ちを述べたもの。
ここまでが高橋虫麻呂歌集所出。
伊藤博 虫麻呂歌集の配列
無季の歌 長反歌 東国(上総) 1738~9
機内(摂津・河内) 1740~3
旋頭歌 東国(武蔵) 1744
短歌 東国(常陸) 1745~6
季節の歌 春の歌 機内(大和~難波) 1747~52
夏の歌 東国(常陸) 1753~4
機内(大和) 1755~6
秋の歌 東国(常陸) 1757~60
人麻呂歌集の体裁と同一
#[関連論文]


#[番号]09/1761
#[題詞]詠鳴<鹿>一首[并短歌]
#[原文]三諸之 神邊山尓 立向 三垣乃山尓 秋芽子之 妻巻六跡 朝月夜 明巻鴦視 足日木乃 山響令動 喚立鳴毛
#[訓読]三諸の 神奈備山に たち向ふ 御垣の山に 秋萩の 妻をまかむと 朝月夜 明けまく惜しみ あしひきの 山彦響め 呼びたて鳴くも
#[仮名],みもろの,かむなびやまに,たちむかふ,みかきのやまに,あきはぎの,つまをまかむと,あさづくよ,あけまくをしみ,あしひきの,やまびことよめ,よびたてなくも
#[左注](右件歌或云柿本朝臣人麻呂作)
#[校異]鹿謌 -> 鹿 [元][藍][類][紀] / 歌 [西] 哥 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,異伝,飛鳥,秋,地名,植物,動物
#[訓異]
#[大意]三諸の神奈備山に向かい合って立っている御垣の山に、秋萩の妻を枕にしようと朝月夜が明けるのを惜しんで、あしひきの山彦を響かせて鹿が呼び立てて鳴いていることだ。
#{語釈]
三諸の 神奈備山 神丘。雷丘。明日香村橘寺東南のミハ山か。
三諸 神の降臨している所。
03/0324H01みもろの 神なび山に 五百枝さし しじに生ひたる 栂の木の
御垣の山 不明 瑞垣のように取り巻く山々で多武峰
全釈 位置的には甘橿の岡か
斉明紀二年「多武峰に冠らしむるに周れる垣を以てす。また、峰の上に二つの槻の木のほとりに、高殿を建つ。名付けて両槻宮とす。または天つ宮といふ。
このときの垣のことを指しているか。とすると多武峰のこと。
08/1511H01夕されば小倉の山に鳴く鹿は今夜は鳴かず寐ねにけらしも
09/1664H01夕されば小倉の山に伏す鹿の今夜は鳴かず寐ねにけらしも
と関連しているか。
秋萩の 妻をまかむ 萩を鹿の妻と見た
08/1541H01我が岡にさを鹿来鳴く初萩の花妻どひに来鳴くさを鹿
09/1790H01秋萩を 妻どふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの
10/2098H01奥山に棲むといふ鹿の夕さらず妻どふ萩の散らまく惜しも
10/2094H01さを鹿の心相思ふ秋萩のしぐれの降るに散らくし惜しも
秋萩と鹿
06/1047H06萩の枝を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響む 山見れば
08/1547H01さを鹿の萩に貫き置ける露の白玉あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ
08/1550H01秋萩の散りの乱ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ
08/1580H01さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを
08/1598H01さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露
08/1599H01さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる
08/1600H01妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく
08/1609H01宇陀の野の秋萩しのぎ鳴く鹿も妻に恋ふらく我れにはまさじ
10/2142H01さを鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原
10/2143H01君に恋ひうらぶれ居れば敷の野の秋萩しのぎさを鹿鳴くも
10/2144H01雁は来ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり
10/2145H01秋萩の恋も尽きねばさを鹿の声い継ぎい継ぎ恋こそまされ
10/2150H01秋萩の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿鳴くも
10/2152H01秋萩の散り過ぎゆかばさを鹿はわび鳴きせむな見ずはともしみ
10/2153H01秋萩の咲きたる野辺はさを鹿ぞ露を別けつつ妻どひしける
10/2154H01なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野の萩や繁く散るらむ
10/2155H01秋萩の咲たる野辺にさを鹿は散らまく惜しみ鳴き行くものを
20/4297H01をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露別け鳴かむ高圓の野ぞ
20/4320H01大夫の呼び立てしかばさを鹿の胸別け行かむ秋野萩原
山彦響め 呼びたて鳴くも

04/0570H01大和へに君が発つ日の近づけば野に立つ鹿も響めてぞ鳴く
08/1550H01秋萩の散りの乱ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ
08/1602H01山彦の相響むまで妻恋ひに鹿鳴く山辺に独りのみして
08/1603H01このころの朝明に聞けばあしひきの山呼び響めさを鹿鳴くも
08/1611H01あしひきの山下響め鳴く鹿の言ともしかも我が心夫
15/3680H01夜を長み寐の寝らえぬにあしひきの山彦響めさを鹿鳴くも
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1762
#[題詞](詠鳴<鹿>一首[并短歌])反歌
#[原文]明日之夕 不相有八方 足日木<乃> 山彦令動 呼立哭毛
#[訓読]明日の宵逢はざらめやもあしひきの山彦響め呼びたて鳴くも
#[仮名],あすのよひ,あはざらめやも,あしひきの,やまびことよめ,よびたてなくも
#[左注]右件歌或云柿本朝臣人麻呂作
#[校異]歌 [西] 謌 / 之 -> 乃 [元][藍][類][紀] / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],雑歌,作者:柿本人麻呂,異伝,飛鳥,秋,動物
#[訓異]
#[大意]明日の宵も会わないということがあろうか。それなのにあしひきの山彦を響かせて呼び立てて鳴いていることだ。
#{語釈]
明日の宵 略解「今夜ならずともあすの夜はあふべきを、かく鹿の鳴きさわぐはといふ也」
注釈 宵は、夜の意に用いる。今晩ばかりでなく明日の夜もの意
釋注 「ここは日没から一日が始まるという時間感覚に拠る表現」
10/1817H01今朝行きて明日には来なむと云子鹿丹朝妻山に霞たなびく
10/2066H01月日おき逢ひてしあれば別れまく惜しくある君は明日さへもがも
一方に夜明けを一日の始まりと見る考えがあり、これの方が一般的。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1763
#[題詞]沙弥女王歌一首
#[原文]倉橋之 山乎高歟 夜牢尓 出来月之 片待難
#[訓読]倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の片待ちかたき
#[仮名],くらはしの,やまをたかみか,よごもりに,いでくるつきの,かたまちかたき
#[左注]右一首間人宿祢大浦歌中既見 但末一句相換 亦作歌兩主不敢正指 因以累載
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 作歌 [西] 作謌 [西(訂正)] 作歌
#[鄣W],雑歌,作者:沙弥女王,間人大浦,異伝,飛鳥,地名
#[訓異]
#[大意]倉橋の山が高いからなのか夜更けて出てくる月のひたすら待っていることが難しいことだ。
#{語釈]
沙弥女王 伝未詳 万葉集中この一首
倉橋の山 奈良県桜井市倉橋音羽山 03/0290 07/.1282
03/0289D01間人宿祢大浦初月歌二首
03/0289H01天の原振り放け見れば白真弓張りて懸けたり夜道はよけむ
03/0290H01倉橋の山を高みか夜隠りに出で来る月の光乏しき
07/1282H01はしたての倉橋山に立てる白雲見まく欲り我がするなへに立てる白雲
片待ちかたき ひたすらに待つことが出来ない。
07/1200H01我が舟は沖ゆな離り迎へ舟方待ちがてり浦ゆ漕ぎ逢はむ
09/1703H01雲隠り雁鳴く時は秋山の黄葉片待つ時は過ぐれど
左注
間人宿祢大浦歌(3/289)と末句のみ違って同じ。作者はどちらが正しいかはわからない。
私注 何かの機縁で、沙弥女王が結句を少しかえて、誦したのかも知れぬ。
#[説明]
釋注 月見の宴などでの座興であろう。
#[関連論文]


#[番号]09/1764
#[題詞]七夕歌一首[并短歌]
#[原文]久堅乃 天漢尓 上瀬尓 珠橋渡之 下湍尓 船浮居 雨零而 風不吹登毛 風吹而 雨不落等物 裳不令濕 不息来益常 <玉>橋渡須
#[訓読]久方の 天の川に 上つ瀬に 玉橋渡し 下つ瀬に 舟浮け据ゑ 雨降りて 風吹かずとも 風吹きて 雨降らずとも 裳濡らさず やまず来ませと 玉橋渡す
#[仮名],ひさかたの,あまのかはに,かみつせに,たまはしわたし,しもつせに,ふねうけすゑ,あめふりて,かぜふかずとも,かぜふきて,あめふらずとも,もぬらさず,やまずきませと,たまはしわたす
#[左注](右件歌或云中衛大将藤原北卿宅作也)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 王 -> 玉
#[鄣W],雑歌,作者:藤原房前,七夕,宴席
#[訓異]
#[大意]久方の天の川に上流に玉のような美しい橋を渡し、下流に舟を浮かべ据えて、雨が降って風が吹かないでも、風が吹いて雨が吹かなくとも、裳を濡らさないで絶えずお越し下さいと美しい橋を渡すことだ。
#{語釈]
天の川原に 原文「天漢尓」 紀、西「あまのかはらに」
全註釈「漢瀬尓(8/1519)」を例として「あまのかわら」と訓む。
注釈 「かはら」と訓むには、「原」がないといけない。
大系、注釈、釋注 あまのかはに

舟浮け据ゑ 旧訓「ふねうけすゑて」 代匠記「ふねをうけすゑ」
古義「ふねうけすゑ」
私注「すゑては固定させる意で、所謂船橋を造ることであろう」
裳濡らさず 裳は通常女の人の着衣であるので、ここは織女の裳。織女が通ってくることになる。しかし反歌は彦星が通ってくることになっているので、注釈の解釈が正しいか。
注釈 彦星が通ってくるので、彦星の服装として「裳」を想像した。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1765
#[題詞](七夕歌一首[并短歌])反歌
#[原文]天漢 霧立渡 且今日<々々々> 吾待君之 船出為等霜
#[訓読]天の川霧立ちわたる今日今日と我が待つ君し舟出すらしも
#[仮名],あまのがは,きりたちわたる,けふけふと,わがまつきみし,ふなですらしも
#[左注]右件歌或云中衛大将藤原北卿宅作也
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 且今日 -> 々々々 [元][藍] / 歌 [西] 謌
#[鄣W],雑歌,作者:藤原房前,七夕,宴席
#[訓異]
#[大意]天の川に霧が立ちこめている。今日来るか今日来るかと自分がひたすら待っていたあなたが船出をしたらしい。
#{語釈]
霧立ちわたる
08/1527H01彦星の妻迎へ舟漕ぎ出らし天の川原に霧の立てるは
08/1529H01天の川浮津の波音騒くなり我が待つ君し舟出すらしも
懐風藻 文武天皇 詠月 「月舟霧渚(むしょ)に移り、楓楫(ふうしゅう)霞濱(かひん)に泛(うか)ぶ。・・・」
今日今日と 今日来るか今日来るかと
02/0224H01今日今日と我が待つ君は石川の貝に[一云 谷に]交りてありといはずやも
左注
中衛大将藤原北卿 5/811 812 藤原房前。中衛大将は、神亀五年八月設置の宮中警護を任とする中衛府長官。従四位上相当官。
藤原房前の邸宅での七夕の宴での歌。漢詩文が基本になっている。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1766
#[題詞]相聞 / 振田向宿祢退筑紫國時歌一首
#[原文]吾妹兒者 久志呂尓有奈武 左手乃 吾奥手<二> 纒而去麻師乎
#[訓読]我妹子は釧にあらなむ左手の我が奥の手に巻きて去なましを
#[仮名],わぎもこは,くしろにあらなむ,ひだりての,わがおくのてに,まきていなましを
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 尓 -> 二 [元][藍][類][紀]
#[鄣W],相聞,作者:振田向,恋情,福岡,餞別,離別
#[訓異]
#[大意]我妹子は、釧であって欲しい。そうすれば左手の奥の手に巻いて共に行くものなのに。
#{語釈]
振田向宿祢(ふるのたむきのすくね) 伝未詳 「振」は氏。
天武紀十三年十二月「布留連 賜姓曰宿祢」新撰姓氏録「布留宿祢」
田向は、名前か。
筑紫 九州の総称という意味と狭義の筑紫国の意がある。ここは筑紫国のことを指す。
訓 腕輪 ブレスレット
01/0041H01釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
左手の我が奥の手 左は、右よりも上位のもの。釧は普通手首あたりに付ける物であるのを、奥の手(腕)とするのは、大事にする意味
全釈「左手の」は、「奥の手」の枕詞に近い用い方。
釋注「前に出て常に仕事をする右手に対していつも奥に控えている手という意味もある」
#[説明]
類想
04/0734H01我が思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれなむ
#[関連論文]


#[番号]09/1767
#[題詞]抜氣大首任筑紫時娶豊前國娘子紐兒作歌三首
#[原文]豊國乃 加波流波吾宅 紐兒尓 伊都我里座者 革流波吾家
#[訓読]豊国の香春は我家紐児にいつがり居れば香春は我家
#[仮名],とよくにの,かはるはわぎへ,ひものこに,いつがりをれば,かはるはわぎへ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:抜氣大首,豊前國娘子紐兒,福岡,恋愛,地名
#[訓異]
#[大意]豊前の香春は我が家である。紐の子と仲良く結びついていると香春は我が家である。
#{語釈]
抜氣大首 伝未詳
代匠記「抜気は氏、大首は名歟。又坂上大宿禰と云ごとく。大首は戸歟」
考「抜は和の誤にて和気氏歟、大首はかはねならん」
古義「抜気はヌカケか。神代紀に鏡作部遠祖天糠戸(あまのぬかど)を天抜戸(あまのぬかと)と作り、思合べし さて大首は名にて、オホビトと訓べし。加婆祢(かばね)にあらず。大人(おほびと)と書むに同じ、天武天皇紀に、忌部首子首(こびと)、また三輪君子首(こびと)などあるを、子人(こびと)とも書たるを考え合わせて知るべし」
私注「或いは抜が氏、気大が名、首が姓ではあるまいか。抜は他に見えないが、支那の姓であるから帰化族で、後に改姓してしまったものかも知れぬ。気大は神名、地名に見えるから、人名にも用いたと見える」
古典大系「あるいは安閑天皇二年に新しく置かれた大抜の屯倉と縁のある氏かも知れない。これは豊前国比企郡貫庄で今、小倉市に貫という所も貫山という山もある。気大は、気太(多)(或る本大)神や気太(多)王など神名人名に見え、氏には気太君がある。」
古典集成「抜は、振の誤字。」
釋注「抜の気大の首」
筑紫 九州の意味
豊前国娘子紐兒(ひものこ) 伝未詳 紐兒は、女の名
香春 福岡県田川郡香春町 田川道の通過地
鏡山神社がある。
03/0311D01按作村主益人従豊前國上京時作歌一首
03/0311H01梓弓引き豊国の鏡山見ず久ならば恋しけむかも
03/0417D01河内王葬豊前國鏡山之時手持女王作歌三首
03/0417H01大君の和魂あへや豊国の鏡の山を宮と定むる
03/0418H01豊国の鏡の山の岩戸立て隠りにけらし待てど来まさず
03/0419H01岩戸破る手力もがも手弱き女にしあればすべの知らなく
いつがり 「い」接頭語
つがる つがふと語源的に同じか。
和名抄「[金巣]一字 加奈都賀利」 くさり、つなぐの意
結びついてつながるの意
18/4106H09流る水沫の 寄る辺なみ 左夫流その子に 紐の緒の いつがり合ひて
#[説明]
地方の娘と結婚したときの歌。或いは遊行女婦を得た時とする。
#[関連論文]


#[番号]09/1768
#[題詞](抜氣大首任筑紫時娶豊前國娘子紐兒作歌三首)
#[原文]石上 振乃早田乃 穂尓波不出 心中尓 戀流<比>日
#[訓読]石上布留の早稲田の穂には出でず心のうちに恋ふるこのころ
#[仮名],いそのかみ,ふるのわさだの,ほにはいでず,こころのうちに,こふるこのころ
#[左注]
#[校異]此 -> 比 [元][類][紀][温]
#[鄣W],相聞,作者:抜氣大首,豊前國娘子紐兒,恋情,福岡,地名
#[訓異]
#[大意]石上の布留の早稲田の稲穂のようにいち早く表には出ずに、心の中で恋い思っているこの頃である。
#{語釈]
石上布留の早稲田の 「穂」の序詞
07/1353H01石上布留の早稲田を秀でずとも縄だに延へよ守りつつ居らむ
穂には出ず 表に現れることなく
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1769
#[題詞](抜氣大首任筑紫時娶豊前國娘子紐兒作歌三首)
#[原文]如是耳志 戀思度者 霊剋 命毛吾波 惜雲奈師
#[訓読]かくのみし恋ひしわたればたまきはる命も我れは惜しけくもなし
#[仮名],かくのみし,こひしわたれば,たまきはる,いのちもわれは,をしけくもなし
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],相聞,作者:抜氣大首,豊前國娘子紐兒,恋情,枕詞
#[訓異]
#[大意]こんなにばかり恋続けているとたまきはる命も自分は惜しいことはない
#{語釈]
たまきはる 命の枕詞
#[説明]
類歌
12/3082H01君に逢はず久しくなりぬ玉の緒の長き命の惜しけくもなし
15/3744H01我妹子に恋ふるに我れはたまきはる短き命も惜しけくもなし
#[関連論文]


#[番号]09/1770
#[題詞]大神大夫任長門守時集三輪河邊宴歌二首
#[原文]三諸乃 <神>能於婆勢流 泊瀬河 水尾之不断者 吾忘礼米也
#[訓読]みもろの神の帯ばせる泊瀬川水脈し絶えずは我れ忘れめや
#[仮名],みもろの,かみのおばせる,はつせがは,みをしたえずは,われわすれめや
#[左注](右二首古集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / <> -> 神 [西(右書)][元][類][古][紀]
#[鄣W],相聞,三輪高市麻呂,古集,餞別,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]三諸の神が帯にされている初瀬川の水の流れが絶えない限りは自分はあなたたちを忘れるということがあろうか。
#{語釈]
大神大夫 三輪高市麻呂
続紀 大宝二年正月 従四位上大神朝臣高市麻呂為長門守
三年六月 為左京大夫
慶雲三年二月庚辰 六日 左京大夫従四位上大神朝臣高市麻呂卒。以壬申年功、詔贈従三位。大華上利金之子也
懐風藻 行年五十歳
三輪河 初瀬川の三輪山付近での呼び名か。
帯ばせる とりまいている 山をほめた言い方
07/1102H01大君の御笠の山の帯にせる細谷川の音のさやけさ
13/3227H03秋行けば 紅にほふ 神なびの みもろの神の 帯ばせる 明日香の川の
17/3907H02黄葉にほひ 帯ばせる 泉の川の 上つ瀬に 打橋渡し 淀瀬には
17/4000H04雪降り敷きて 帯ばせる 片貝川の 清き瀬に
水脈 水の流れる筋 絶えない限りは
#[説明]
送別の宴。三輪氏一族のものか。
高市麻呂の歌
#[関連論文]


#[番号]09/1771
#[題詞](大神大夫任長門守時集三輪河邊宴歌二首)
#[原文]於久礼居而 吾波也将戀 春霞 多奈妣久山乎 君之越去者
#[訓読]後れ居て我れはや恋ひむ春霞たなびく山を君が越え去なば
#[仮名],おくれゐて,あれはやこひむ,はるかすみ,たなびくやまを,きみがこえいなば
#[左注]右二首古集中出
#[校異]集 [西(右書)] 謌集
#[鄣W],相聞,三輪高市麻呂,古集,餞別,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]後に残っていて恋い思うであろう。春霞がたなびく山をあなたが越えて行ってしまうと。
#{語釈]
おくれいて 後に残っていて 送別する側の歌
02/0115H01後れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背
04/0544H01後れ居て恋ひつつあらずは紀の国の妹背の山にあらましものを
04/0572H01まそ鏡見飽かぬ君に後れてや朝夕にさびつつ居らむ
05/0864H01後れ居て長恋せずは御園生の梅の花にもならましものを
06/1031H01後れにし人を思はく思泥の崎木綿取り垂でて幸くとぞ思ふ
08/1442H01難波辺に人の行ければ後れ居て春菜摘む子を見るが悲しさ
09/1681H01後れ居て我が恋ひ居れば白雲のたなびく山を今日か越ゆらむ
09/1771H01後れ居て我れはや恋ひむ春霞たなびく山を君が越え去なば
09/1772H01後れ居て我れはや恋ひむ印南野の秋萩見つつ去なむ子故に
09/1780H03呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび
09/1809H09その夜夢に見 とり続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い
12/3140H01はしきやししかある恋にもありしかも君に後れて恋しき思へば
12/3185H01まそ鏡手に取り持ちて見れど飽かぬ君に後れて生けりともなし
12/3205H01後れ居て恋ひつつあらずは田子の浦の海人ならましを玉藻刈る刈る
12/3210H01あしひきの片山雉立ち行かむ君に後れてうつしけめやも
12/3211H01玉の緒の現し心や八十楫懸け漕ぎ出む船に後れて居らむ
13/3291H06群鳥の 朝立ち去なば 後れたる 我れか恋ひむな 旅ならば 君か偲はむ
14/3568H01後れ居て恋ひば苦しも朝猟の君が弓にもならましものを
15/3752H01春の日のうら悲しきに後れ居て君に恋ひつつうつしけめやも
15/3773H01君が共行かましものを同じこと後れて居れどよきこともなし
17/3903H01春雨に萌えし柳か梅の花ともに後れぬ常の物かも
17/4006H09立ち別れなば 後れたる 君はあれども 玉桙の
17/4008H04足結ひ手作り 群鳥の 朝立ち去なば 後れたる
19/4258H01明日香川川門を清み後れ居て恋ふれば都いや遠そきぬ
春霞 たなびく山 送別宴が春正月である。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1772
#[題詞]大神大夫任筑紫國時阿倍大夫作歌一首
#[原文]於久礼居而 吾者哉将戀 稲見野乃 秋芽子見都津 去奈武子故尓
#[訓読]後れ居て我れはや恋ひむ印南野の秋萩見つつ去なむ子故に
#[仮名],おくれゐて,あれはやこひむ,いなみのの,あきはぎみつつ,いなむこゆゑに
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,三輪高市麻呂,作者:阿倍大夫,阿倍広庭,餞別,宴席,地名,植物
#[訓異]
#[大意]後に残っていて自分は恋い思うことであろうか。稲見野の秋萩をみながら行ってしまうあの子だから。
#{語釈]
大神大夫 前歌とのつながりで三輪高市麻呂か。ただし筑紫国への任官記事はない。
また、前歌とは季節が合わない。別の送別の宴の時とするべきか。
記録に漏れているとすると、大宝元年以降の歌ということになる。
釋注「歌は、前歌一七七一の類歌であるけれども、むろんそれより先立つさけである。作者の阿倍大夫は、高市麻呂を呼んで「子」と称している。二人の関係はそれほど親しかったということか。それとも、この時は高市麻呂は妻を伴ったもので、その妻を意識しての詠か。さらには、恋しい女を見送る男の立場で詠んだことに拠るか。伴う妻を心に据えての詠で、そのことが、後年、妻の立場の詠として、ある知人から贈られた往年の一七七二を踏まえながら一七七一を詠ませることになったというのが、筋としては最も味わいがある。双方の歌が、類歌ということを超えて、俄然生きてくるからである。」
阿倍大夫 古義「広庭卿なるべし 従三位になったのは神亀元年七月で、この作の頃は五位であるので大夫と記す」
新考「二大夫の年紀を考ふるに大神高市麻呂は壬申の乱に功ありし人にて慶雲三年に率せし人、阿倍広庭は之より二十六年の後天平四年に率せし人なり。されば高市麻呂は広庭より遙かに年長けたりしならむ」
大神高市麻呂とすると、慶雲三年(七〇六)五十歳、阿倍広庭とすると天平四年(七三二)七十四歳
ここが大宝二年(七〇二)とすると高市麻呂四十六歳と広庭四十四歳であり二年の先輩。
注釈「一概に大神高市麻呂、阿倍広庭とするには疑わしい」
稲見野 兵庫県加古川市 加古郡 明石市
去なむ子故に 考「大神大夫の妻などに阿倍大夫の贈たる哥なるか」
新考「先輩を指して子といふべからず」
注釈 「子」は女性と見るべきである。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1773
#[題詞]獻弓削皇子歌一首
#[原文]神南備 神依<板>尓 為杉乃 念母不過 戀之茂尓
#[訓読]神なびの神寄せ板にする杉の思ひも過ぎず恋の繁きに
#[仮名],かむなびの,かみよせいたに,するすぎの,おもひもすぎず,こひのしげきに
#[左注](右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 杉 -> 板 [西(右書)][元][類][紀]
#[鄣W],相聞,作者:柿本人麻呂歌集,献呈歌,弓削皇子,恋情,非略体,植物,地名
#[訓異]
#[大意]神なびの三輪山の神を寄せる板にする杉の言葉のようにあなたへの思いも過ぎることはない。恋い思うことが激しいので。
#{語釈]
神奈備 明日香の雷丘か。三輪山、龍田とある
神寄せ板 略解「宣長云、杉を神より板にするという事は、琴の板とて、杉の板をたたきて、神を請招する事あり。今も伊勢の祭礼には此事有。琴頭(がみ)に神の御影の降り給ふ也といへり」
杉板を神の依り代としたもの
杉の 思いが過ぎるへの序詞
#[説明]
類似の序
03/0422H01石上布留の山なる杉群の思ひ過ぐべき君にあらなくに
13/3228H01神なびの三諸の山に斎ふ杉思ひ過ぎめや苔生すまでに
#[関連論文]


#[番号]09/1774
#[題詞]獻舎人皇子歌二首
#[原文]垂乳根乃 母之命乃 言尓有者 年緒長 憑過武也
#[訓読]たらちねの母の命の言にあらば年の緒長く頼め過ぎむや
#[仮名],たらちねの,ははのみことの,ことにあらば,としのをながく,たのめすぎむや
#[左注](右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:柿本人麻呂歌集,舎人皇子,献呈歌,恋情,女歌,非略体,枕詞
#[訓異]
#[大意]あなたが恋が激しいと言われるが、それがたらちねのお母様の言葉であったならば、こんなにも年月長く思い頼みにして過ぎるということがあろうか。
#{語釈]
言にあらば 考「ことなれば」、略解「ことなれば」、新訓「ことにあれば」
年の緒長く 年月長く
03/0460H05あらたまの 年の緒長く 住まひつつ いまししものを 生ける者
頼め過ぎむや 元「たのみすぎめや」、紀「たのめすぎめや」、西、細、陽、矢「たのめすぎむや」、京、寛「たのみすぎむや」
新校「ことにあらば たのめすぎむや」 もしお母様の言葉であったのならば、こんなに年月長く人をたのましめていたづらに過ぎる事があろうか
金子元臣「女は一旦旨い返事をして置きながら、何時までもその言を実行しない。焦がれ切った男は苦悶の余り、慈愛の権化たる母親を引っ張り出して、反映的に強く女の無精を咎めた。怨意恨情、人の肺腑を刺すものがある」
注釈 「ことにあれば としのをながくたのみすぐさむ」
金子氏のように解するためには、「過ぎむや」が反語となる。「む」に反語の「や」がつく場合は「む」が已然形となってめやとなるのが例である。
元の赭筆「たのみすぎなむ」也は添え字 ただし「すぎなむ」と訓むと「な」が訓み添え。この考えはかなり無理がある。
そこで、私注「すぐさむ」信頼して時を過ごそう
年月長くたのみにして過ごすという意
「ことにあれば」と訓み、お母様のお言葉であるので、その言葉を頼みにして年月長くも時を待とうよの意か。
釋注 前の歌を承けた女の立場での歌。花の許しを得られたらすぐにでも結婚するの意
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1775
#[題詞](獻舎人皇子歌二首)
#[原文]泊瀬河 夕渡来而 我妹兒何 家門 近舂二家里
#[訓読]泊瀬川夕渡り来て我妹子が家の金門に近づきにけり
#[仮名],はつせがは,ゆふわたりきて,わぎもこが,いへのかなとに,ちかづきにけり
#[左注]右三首柿本朝臣人麻呂之歌集出
#[校異]
#[鄣W],相聞,作者:柿本人麻呂歌集,舎人皇子,献呈歌,恋情,奈良,川渡り,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]初瀬川を夕方に渡ってきて我妹子の家の門口に近づいてきたことだ
#{語釈]
家の金門 寛「いへのみかとは」 略解「いへのかなとに」、大系「いえのかどにし」
04/0723H01常世にと 我が行かなくに 小金門に もの悲しらに 思へりし
09/1739H01金門にし人の来立てば夜中にも身はたな知らず出でてぞ逢ひける
14/3530H01さを鹿の伏すや草むら見えずとも子ろが金門よ行かくしえしも
14/3561H01金門田を荒垣ま斎み日が照れば雨を待とのす君をと待とも
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1776
#[題詞]石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首
#[原文]絶等寸笶 山之<峯>上乃 櫻花 将開春部者 君<之>将思
#[訓読]絶等寸の山の峰の上の桜花咲かむ春へは君し偲はむ
#[仮名],たゆらきの,やまのをのへの,さくらばな,さかむはるへは,きみをしのはむ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 岑 -> 峯 [元][類][紀][温] / 乎 -> 之 [元][藍]
#[鄣W],相聞,作者:石川君子,播磨娘子,餞別,別れ,姫路,兵庫,枕詞,植物
#[訓異]
#[大意]たゆらきの山の峯のあたりの桜の花よ。それが咲くであろう春になればあなたを思い出しましょう。
#{語釈]
石川大夫 石川君子 続紀 霊亀元年五月二十二日「従五位下石川朝臣君子為播磨守」
播磨娘子 播磨国の女性 遊行女婦か。
たゆらきの 山の名前であろうが不明。
新考「播磨の国府は今の姫路の東方なればタユラキ山も姫路付近の丘陵なるべけれど今しかいふ山なし。おそらくは今の姫山即ち播磨風土記の日女道(ひめじ)丘ならむ」
増田徳二 万葉地理研究 兵庫編「風土記飾磨郡手苅丘。たゆらぎ、たいらぎ、てえらぎ、てらぎ、てがりと変化した」今の手柄山。姫路市の南方旧手柄村
矢内正夫 姫路市史「絶等寸山(古人はタユラギと読めども正しくはサクラギなり)は姫路丘の別称。国府の邊にあり。多く桜樹を植えて衆庶遊楽の処となす。故に此称あり、後訛して鷺山となる」
橋本政次 播磨考「播磨鑑に鷺井者今姫山之頂下西脇也。此所号鷺山。山下有鷺清水。古者桜木井書之。水享此薗亜槐下向時依詠歌改鷺清水 とある。鷺井がもと桜木井といったとすると、鷺山ももと桜木山といったものか。姫山であろう」
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1777
#[題詞](石川大夫遷任上京時播磨娘子贈歌二首)
#[原文]君無者 奈何身将装餝 匣有 黄楊之小梳毛 将取跡毛不念
#[訓読]君なくはなぞ身装はむ櫛笥なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず
#[仮名],きみなくは,なぞみよそはむ,くしげなる,つげのをぐしも,とらむともおもはず
#[左注]
#[校異]
#[鄣W],相聞,作者:石川君子,播磨娘子,餞別,別れ,姫路,兵庫
#[訓異]
#[大意]あなたがいなければ、どうして我が身を着飾りましょう。櫛笥にある柘植の小櫛も取ろうとも思わない。
#{語釈]
なぞ身装はむ 藍、元、類、古、紀「なそみのかさり」西、京、陽「みかさらむ」
童蒙抄「みよそはん」
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1778
#[題詞]藤井連遷任上京時娘子贈歌一首
#[原文]従明日者 吾波孤悲牟奈 名欲<山 石>踏平之 君我越去者
#[訓読]明日よりは我れは恋ひむな名欲山岩踏み平し君が越え去なば
#[仮名],あすよりは,あれはこひむな,なほりやま,いはふみならし,きみがこえいなば
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 岩 -> 山石 [西(訂正)][元][藍][類]
#[鄣W],相聞,作者:娘子,遊行女婦,藤井広成,藤井大成,餞別,別れ,大分県,地名
#[訓異]
#[大意]明日からは自分は恋い思うことでしょう。名欲山よ。岩を踏みならしてあなたが越えて行ってしまうと。
#{語釈]
藤井連 代匠記「藤井連広成なるべし」
6/1011,1012
天平三正月 外従五位下
十五年三月 新羅使来朝時、筑前に遣わされ検校。
六月 備後守
七月 従五位下
二十年二月 従五位上
八月 聖武行幸 正五位上
天平勝宝元年八月 中務少輔
全註釈「藤井大成か。」
4/576 5/820
神亀五年五月 外従五位下
天平初年 筑後守
私注「大成が筑後守であったので、隣国豊後の直入が歌われたろうと言ふが、直入は筑後からの経路とは思われぬ。或いは大成か、筑後より後に、豊後に守となったということも有り得ぬ笇も言へまい」
名欲山 和名抄 豊後国 直入 奈保里 代匠記「今名欲とかきたれど直入山にて豊後より選任しけるによめるにや」
全釈「当時の國府のあった大分市からは遙かに西方の山である。今國府を去って都に上らむとする者が、この山を越えるはずがないから、これを他に求むべきである」
直入郡誌「城原村の西北部にあり。三宅山の脈西に延びて来れるものにして城原山と通称す。その西部に鉢山あり、形鉢を覆したる如し、鉢山を以て名欲山となすは非なり、蓋し鉢山およびその以東の諸山を総称している」
三松荘一 九州万葉手記「古伝説には、藤井連広成と云ふ人天平七年二月豊後介となって、直入郡三宅郷我鹿に住めりと云っています。この我鹿邑は今の宮城村大字刈小野字戸の上付近即ち刈小野、炭籠、上坂田、古園上畑を総称したものでせう。炭籠の南方にはミヤゲ峠と言ふ地名もあります。これから國府にゆくには木原山を越えて(今峰越の地名があり)行かねばなりませんので、やはり名欲山は木原山付近一帯を指したものであると考えて間違いはないでしょう」
#[説明]
類想歌
09/1728H01慰めて今夜は寝なむ明日よりは恋ひかも行かむこゆ別れなば
12/3119H01明日よりは恋ひつつ行かむ今夜だに早く宵より紐解け我妹
#[関連論文]


#[番号]09/1779
#[題詞]藤井連和歌一首
#[原文]命乎志 麻勢久可願 名欲山 石踐平之 復亦毛来武
#[訓読]命をしま幸くもがも名欲山岩踏み平しまたまたも来む
#[仮名],いのちをし,まさきくもがも,なほりやま,いはふみならし,またまたもこむ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:藤井広成,藤井大成,大分県,餞別,再会,娘子,地名
#[訓異]
#[大意]命が無事であって欲しい。名欲山の岩を踏み平らげて、またまたも来よう。
#{語釈]
命をしま幸くもがも 元「ませくねかはゝ」類「ませくかひ」紀「ませひさしかれ」
代匠記「麻勢は遊仙窟に安穏をませとよめる此なり。安穏にておはせよなり。久可願は今の点意得がたし。若願は禮の字などを誤れる歟。若は可は母の字などを誤てひさにもがと云へるにや」
考「麻狭伎久母願(まさきくもがも」古義「麻幸久母願(まさきくもがも」
新考「麻多久母願名(またくもがもな)」
私注「勢は幸の誤り。或いは勢は、盛なという意味。まさきくもがも」
大系「勢は、類聚名義抄にさかゆとあるので、幸のさきくとその意が通じる。まさきく。
可願は、所願の誤りで、もがも。」
釋注「可願は、もがもは仮想的事実に対する願望で、この場合ふさわしくない。かりにあらなむと訓む」
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1780
#[題詞]鹿嶋郡苅野橋別大伴卿歌一首[并短歌]
#[原文]<牡>牛乃 三宅之<滷>尓 指向 鹿嶋之埼尓 狭丹塗之 小船儲 玉纒之 小梶繁貫 夕塩之 満乃登等美尓 三船子呼 阿騰母比立而 喚立而 三船出者 濱毛勢尓 後奈<美>居而 反側 戀香裳将居 足垂之 泣耳八将哭 海上之 其津乎指而 君之己藝歸者
#[訓読]ことひ牛の 三宅の潟に さし向ふ 鹿島の崎に さ丹塗りの 小舟を設け 玉巻きの 小楫繁貫き 夕潮の 満ちのとどみに 御船子を 率ひたてて 呼びたてて 御船出でなば 浜も狭に 後れ並み居て こいまろび 恋ひかも居らむ 足すりし 音のみや泣かむ 海上の その津を指して 君が漕ぎ行かば
#[仮名],ことひうしの,みやけのかたに,さしむかふ,かしまのさきに,さにぬりの,をぶねをまけ,たままきの,をかぢしじぬき,ゆふしほの,みちのとどみに,みふなこを,あどもひたてて,よびたてて,みふねいでなば,はまもせに,おくれなみゐて,こいまろび,こひかもをらむ,あしすりし,ねのみやなかむ,うなかみの,そのつをさして,きみがこぎゆかば
#[左注](右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 牝 -> 牡 [元][藍][紀] / 酒 -> 滷 [万葉考] / <> -> 美 [万葉略解]
#[鄣W],相聞,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城県,鹿島,大伴旅人,大伴道足,送別歌,餞別,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]ことひ牛のいる屯倉という名の三宅の潟に向かい合う鹿島の崎に赤く塗った小舟を準備し、握り手を美しく飾った楫をたくさん両舷に貫き、夕方の満潮が満ちきったところで船頭達に号令をかけて、呼び立てて御船が出ていってしまうと、浜も狭いほどにいっぱいに後に残った人たちが並んでいて、恋いしくてひっくり返り、恋しくているであろう。足をこすりあわせ、声をあげてなくであろう。海上のその港を指してあなたが漕いで行くと。
#{語釈]
鹿嶋郡苅野橋 常陸国鹿嶋郡 鹿嶋市 苅野 和名抄「軽野」鹿嶋神宮の南、鹿島郡神栖町の神之池の南北の地 橋は不明。
大伴卿 大伴旅人 送別の宴
牡牛乃 三宅の枕詞 ことひ牛 16/3838 事負乃牛(ことひのうし)
和名抄 特牛 弁色立成云、特牛 俗語云古止比 頭大牛也」
冠辞考「大牛にて物を殊に多く負故に殊負牛(ことひうし)と云か、さて厩牧令馬寮式などを考るに、諸国の牧より細馬(よきうま)はもとよりにて、よき牛をも公に貢れり。・・・寮飼は左右馬寮にて飼なれば、それをみやけがひとも、みやがひともいふべし。然ればここはことひ牛のみやがひといふ意にて、三宅てふ地にいひかけしなるべし」
全註釈「屯倉をみやけといひ、屯倉には貢物を運ぶ為に特牛がいたので、枕詞としたのであろう」
三宅の潟 滷 諸本「酒」 代匠記「酒は若浦の字を誤りて、三宅の浦と云所、中にも鹿嶋に指向ひたる歟」
考 「滷」の誤り 古義「浦 左 内 右」
略解補正 酒のままでさきと訓む
定本 さか(坂)の意味
注釈 滷 でよい
利根川の右岸、銚子市三宅町一帯
さし向かう 真向かいの、対岸の
鹿島の崎 茨城県鹿島郡波崎町 題詞の苅野と鹿島の崎は10キロ位離れている
地名辞書 三宅をさらに北にして香取郡東庄(とうのしょう)町の笹川、須賀山、小見川町の阿玉川 鹿島神宮のある鹿島台地か。
注釈 船出したところを苅野と見なくともよい。
さ丹塗りの 小舟 玉巻きの 小楫
8/1520H04恋ひつつあらむ さ丹塗りの 小舟もがも 玉巻きの 真櫂もがも
夕潮の 満ちのとどみ 略解「とどみは汐の満ち終たるをいふべし。とどまりの約言か。東国にて今たたへといふ也」
古義「汐のみちたたへたるを云。今も土佐国にて潮汐の湛(たた)えるを、常にとどひと云へり 登連法師集 淡路島潮のとどひを待つ程に涼しくなりぬせとの夕風
5/804とどみかね み 乙類上二段動詞 ここは、甲類四段であり異なる。
満潮になりきった時に
御船子を 率ひたてて 船頭たち
09/1718H01率ひて漕ぎ去にし舟は高島の安曇の港に泊てにけむかも
浜も狭に 浜も狭いばかりに
08/1428H02我が越え来れば 山も狭に 咲ける馬酔木の 悪しからぬ 君をいつしか
こいまろび 恋しく思って、ひっくり返って、ころんで
09/1740H15こいまろび 足ずりしつつ たちまちに 心消失せぬ 若くありし
海上の その津 下総国海上郡 三宅の潟のあたりを指すか
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1781
#[題詞](鹿嶋郡苅野橋別大伴卿歌一首[并短歌])反歌
#[原文]海津路乃 名木名六時毛 渡七六 加九多都波二 船出可為八
#[訓読]海つ道のなぎなむ時も渡らなむかく立つ波に船出すべしや
#[仮名],うみつぢの,なぎなむときも,わたらなむ,かくたつなみに,ふなですべしや
#[左注]右二首高橋連蟲麻呂之歌集中出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌集 [元][類][紀](塙) 歌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:高橋虫麻呂歌集,茨城県,鹿島,大伴旅人,大伴道足,送別歌,餞別,宴席,地名
#[訓異]
#[大意]海の道が静かな時にでも渡って欲しい。このように立っている波の中で船出をしてよいものだろうか
#{語釈]
海つ道の 全註釈「今内水路に面して、外海の荒れている模様を気にしているので、以下の句がある」
なぎなむ ぎ 原文「木」乙類 注釈 凪ぎは四段の連用形であるからギは甲類の仮名。従って仮名違い
釋注「乙類仮名によって上二段動詞 連用形 ただし名詞とすると、普通はギは、甲類仮名を用いる」
#[説明]
何かにかこつけて、出来るだけ船出を伸ばしたい心境を述べる。
#[関連論文]


#[番号]09/1782
#[題詞]与妻歌一首
#[原文]雪己曽波 春日消良米 心佐閇 消失多列夜 言母不徃来
#[訓読]雪こそば春日消ゆらめ心さへ消え失せたれや言も通はぬ
#[仮名],ゆきこそば,はるひきゆらめ,こころさへ,きえうせたれや,こともかよはぬ
#[左注](右二首柿本朝臣人麻呂之歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:柿本人麻呂歌集,恨み歌,妻,非略体
#[訓異]
#[大意]雪こそは春の日に消えてしまうのに。あなたは心までも消えたからであろうか、音信も通わない。
#{語釈]
消え失せたれや 失せたればや や 疑問
言も通はぬ 言葉、音信も通わない
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1783
#[題詞]妻和歌一首
#[原文]松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等言八子
#[訓読]松返りしひてあれやは三栗の中上り来ぬ麻呂といふ奴
#[仮名],まつがへり,しひてあれやは,みつぐりの,なかのぼりこぬ,まろといふやつこ
#[左注]右二首柿本朝臣人麻呂之歌集中出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:柿本人麻呂歌集,戯歌,妻,夫,非略体,枕詞
#[訓異]松返りではないが、ぼけているというのだろか。三栗の中上りをして来ない麻呂という奴は。
#[大意]
#{語釈]
松返り 17/4014H01松反りしひにてあれかもさ山田の翁がその日に求めあはずけむ
全註釈 離した鷹が待つに帰ってくること
山家集 二つありける鷹のいらこ渡りすると申しけるが一つの鷹はとどまりて木の末にかかりて侍ると申しけるを聞きて
すだか渡るいらこが崎を疑ひてなほ木にかかる山がへりかな
山がへりも松がへりと同様の語か 「しひて」の枕詞

しひてあれ 橋本進吉 盲目(めしひ)、耳しひなどと同じく、感覚を失ったものか
ただし、松返りとしひての関係が不明 強いていうならば、鷹が本来鷹匠のもとへ戻ってこなければならないのに、松の木に戻ってきてしまって、ぼけていることを言うか。
三栗の 中の枕詞
中 元 なかつかへこす 西 なかにゐてこぬ 考 なかすぎてこず
新解 なかのぼりこぬ 中は、半途、中途の意で、男が地方に赴いて、それきり中に上ってこないというのであろう
全註釈 中は地名 なかゆのぼりこぬ
真鍋次郎 今昔物語巻二六 彼の陸奥の守の中上(なかのぼり)と云う事して、北の方娘などの上せけるが」
大日本国語大辞典 中上 古へ国守が任期の間に、ひとたび京へのぼること
人麻呂が地方官の経歴もあったから、その中上りをしてこないの意か。
注釈 中上りをして来ない意
麻呂といふ奴 麻呂 男、夫の意 戯れに夫を罵っている
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1784
#[題詞]贈入唐使歌一首
#[原文]海若之 何神乎 齊祈者歟 徃方毛来方毛 <船>之早兼
#[訓読]海神のいづれの神を祈らばか行くさも来さも船の早けむ
#[仮名],わたつみの,いづれのかみを,いのらばか,ゆくさもくさも,ふねのはやけむ
#[左注]右一首渡海年<記>未詳
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 舶 -> 船 [元][藍][紀] / 紀 -> 記 [元][類]
#[鄣W],相聞,遣唐使,餞別,送別,無事,安全,贈答
#[訓異]
#[大意]海神のどの神を祈ったら行きも帰りも船が速いのだろうか。
#{語釈]
行くさも来さ 03/0281H01白菅の真野の榛原行くさ来さ君こそ見らめ真野の榛原
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1785
#[題詞]神龜五年戊辰秋八月歌一首[并短歌]
#[原文]人跡成 事者難乎 和久良婆尓 成吾身者 死毛生毛 <公>之随意常 念乍 有之間尓 虚蝉乃 代人有者 大王之 御命恐美 天離 夷治尓登 朝鳥之 朝立為管 群鳥之 群立行者 留居而 吾者将戀奈 不見久有者
#[訓読]人となる ことはかたきを わくらばに なれる我が身は 死にも生きも 君がまにまと 思ひつつ ありし間に うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 天離る 鄙治めにと 朝鳥の 朝立ちしつつ 群鳥の 群立ち行かば 留まり居て 我れは恋ひむな 見ず久ならば
#[仮名],ひととなる,ことはかたきを,わくらばに,なれるあがみは,しにもいきも,きみがまにまと,おもひつつ,ありしあひだに,うつせみの,よのひとなれば,おほきみの,みことかしこみ,あまざかる,ひなをさめにと,あさとりの,あさだちしつつ,むらとりの,むらだちゆかば,とまりゐて,あれはこひむな,みずひさならば
#[左注](右件五首笠朝臣金村之歌中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短哥 / 君 -> 公 [元][藍][紀][温]
#[鄣W],相聞,作者:笠金村歌集,神亀5年8月,年紀,女歌,送別,枕詞
#[訓異]
#[大意]人となることは難しいのに、とりわけ人となった我が身は、死ぬことも生きることもあなたの意のままにと思いながらあった間に、あなたは、現実のこの世の人であるので、大君のご命令をおそれ多く承って、天から遠く離れた田舎を治めにと、朝に鳥が飛び立つように、朝出発され、鳥の群れが立っていくように、群がって出発して行くので、後に留まっていて自分は恋い思うことであろう。会わないことが久しくなったならば。
#{語釈]
神亀五年 大伴旅人妻が亡くなり、日本挽歌、嘉摩三部作が詠まれた年にあたる
人となることはかたきを 代匠記 「 四十二章経曰 佛の言はく、人悪道を離れて人と為ることを得ること難し」
わくらばになれる とりわけて 特別に人と生まれた
05/0892H09人皆か 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを 人並に
うつせみの世の人なれば 君のことを言っている。
08/1453H01玉たすき 懸けぬ時なく 息の緒に 我が思ふ君は うつせみの
08/1453H02世の人なれば 大君の 命畏み 夕されば 鶴が妻呼ぶ 難波潟
朝鳥の 朝立ちしつつ
02/0196H16朝鳥の [一云 朝霧の] 通はす君が
朝に鳥が飛び立つように、朝出発していって
群鳥の 群立ち行かば
06/1047H11群鳥の 朝立ち行けば さす竹の 大宮人の 踏み平し 通ひし道は
我れは恋ひむな な 詠嘆
09/1778H01明日よりは我れは恋ひむな名欲山岩踏み平し君が越え去なば
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1786
#[題詞](神龜五年戊辰秋八月歌一首[并短歌])反歌
#[原文]三越道之 雪零山乎 将越日者 留有吾乎 懸而小竹葉背
#[訓読]み越道の雪降る山を越えむ日は留まれる我れを懸けて偲はせ
#[仮名],みこしぢの,ゆきふるやまを,こえむひは,とまれるわれを,かけてしのはせ
#[左注](右件五首笠朝臣金村之歌中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(別筆訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:笠金村歌集,神亀5年8月,年紀,女歌,送別,地名,餞別
#[訓異]
#[大意]み越路の雪が降る山を越えるであろう日は、後に留まっている自分を心にかけて思い出してください。
#{語釈]
み越道の雪降る山 どの山とも特定していない。境界である愛發山あたりを言うか。
10/2331H01八田の野の浅茅色づく有乳山嶺の淡雪寒く散るらし
留まれる我 後に残って都にいる自分
#[説明]
越に向かう地方官の餞別の歌。
天平二年石上乙麻呂が越前国司として赴任 古典全集
しかし今とは時期が異なるのと越前へは同行しているので、乙麻呂への餞別とは言えない。
しかも神亀五年頃の越方面の地方官任官の記事はない。誰だか不明。
釋注 8/1453-5の遣唐使丹比広成餞別の歌と趣が似ている。
地方官の妻の立場で歌ったか。
#[関連論文]


#[番号]09/1787
#[題詞]天平元年己巳冬十二月歌一首[并短歌]
#[原文]虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色二山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁
#[訓読]うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 敷島の 大和の国の 石上 布留の里に 紐解かず 丸寝をすれば 我が着たる 衣はなれぬ 見るごとに 恋はまされど 色に出でば 人知りぬべみ 冬の夜の 明かしもえぬを 寐も寝ずに 我れはぞ恋ふる 妹が直香に
#[仮名],うつせみの,よのひとなれば,おほきみの,みことかしこみ,しきしまの,やまとのくにの,いそのかみ,ふるのさとに,ひもとかず,まろねをすれば,あがきたる,ころもはなれぬ,みるごとに,こひはまされど,いろにいでば,ひとしりぬべみ,ふゆのよの,あかしもえぬを,いもねずに,あれはぞこふる,いもがただかに
#[左注](右件五首笠朝臣金村之歌中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(別筆訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(別筆訂正)] 短歌 / 色 [西(右書)] 色色
#[鄣W],相聞,作者:笠金村歌集,天平1年12月,年紀,天理,奈良,羈旅,恋情,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]この世の人であるので大君のご命令をおそれ多く承って敷島の大和の国の石上の布留の里に衣の紐をほどかないで旅の丸寝をすると、自分の着ている衣はすっかりよれよれになってしまった。それを見るごとに家を恋い思う気持ちは勝ってくるが、表情に出ると人が知っていまいそうなので、冬の夜で一晩を明かすことも出来かねるのを寝ることもせずに自分は恋い思っている。妹の直接の様子に。
#{語釈]
天平元年 続日本紀「十一月七日 京及び機内班田司を任ず」 考 このときの歌か
同じ頃の歌
03/0443D01天平元年己巳攝津國班田史生丈部龍麻呂自経死之時判官大伴宿祢三中作歌
03/0443D02一首并短歌
うつせみの 世の人なれば 大君の 命畏み 前の歌にも同句がある。
敷島の 大和の枕詞。
冠辞考「こは崇神紀に三年九月、遷都於磯城、是謂瑞垣宮、欽明紀に元年七月遷都倭国磯城郡、即号為磯城島金刺宮とありて、二代ながら殊にあまた年おはしまして名高ければ、さる此よりおのづから大和の国の今一つの名の如く成りにけん、仍て後にこと所の都となりても、猶やまとといふに冠らせてよめるならん、奈良朝となりては既やまとの事として之奇島能、人者和禮自久としもよみたり」
古義「崇神は磯城だけであり敷島とは言っていない。欽明天皇の都の地名から起こったか」
石上 布留の里に 天理市東方 石上神社あたり
丸寝をすれば 18/4113 末呂宿 まろね
衣はなれぬ よれよれになってしまった
色に出でば 原文「山上復有山」 戯訓
玉台新詠 藝文類聚「藁砧今何在。山上復有山。何当大刀頭。破鏡飛上天」による。
藁砧(こうちん)今何(いづく)にか在る。山上復た山有り。何(いつ)か当に大刀(だいとう)の頭(とう)なるべき。破鏡(はきょう)飛んで天に上る
藁砧 藁討ち台 夫の隠語 大刀頭 環になっているのでその音を取って還の意
破鏡 半月のこと。半月もたったという夫の帰りを待つ意
わが夫は今どこにいるのか。家を出てしまっている。何時になったら帰るのか。半月ほどたったらなのだろうか。
妹の直香に その人の持っている直接の香り、雰囲気
04/0697H01我が聞きに懸けてな言ひそ刈り薦の乱れて思ふ君が直香ぞ
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1788
#[題詞](天平元年己巳冬十二月歌一首[并短歌])反歌
#[原文]振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓
#[訓読]布留山ゆ直に見わたす都にぞ寐も寝ず恋ふる遠くあらなくに
#[仮名],ふるやまゆ,ただにみわたす,みやこにぞ,いもねずこふる,とほくあらなくに
#[左注](右件五首笠朝臣金村之歌中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:笠金村歌集,天平1年12月,年紀,天理,奈良,羈旅,恋情,地名
#[訓異]
#[大意]布留の山から直接に見渡すことが出来る都に寝ることもせず恋い思うことだ。遠くもないのに。
#{語釈]
布留山 石上神宮のある山
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1789
#[題詞]((天平元年己巳冬十二月歌一首[并短歌])反歌)
#[原文]吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二
#[訓読]我妹子が結ひてし紐を解かめやも絶えば絶ゆとも直に逢ふまでに
#[仮名],わぎもこが,ゆひてしひもを,とかめやも,たえばたゆとも,ただにあふまでに
#[左注]右件五首笠朝臣金村之歌中出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:笠金村歌集,天平1年12月,年紀,天理,奈良,羈旅,恋情
#[訓異]
#[大意]我が妹が結んだ紐をほどくことがあろうか。切れてしまえば切れるとも直接会うまでは。
#{語釈]
#[説明]
類歌
12/2919H01ふたりして結びし紐をひとりして我れは解きみじ直に逢ふまでは
#[関連論文]


#[番号]09/1790
#[題詞]天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時親母贈子歌一首[并短歌]
#[原文]秋芽子乎 妻問鹿許曽 一子二 子持有跡五十戸 鹿兒自物 吾獨子之 草枕 客二師徃者 竹珠乎 密貫垂 齊戸尓 木綿取四手而 忌日管 吾思吾子 真好去有欲得
#[訓読]秋萩を 妻どふ鹿こそ 独り子に 子持てりといへ 鹿子じもの 我が独り子の 草枕 旅にし行けば 竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 斎ひつつ 我が思ふ我子 ま幸くありこそ
#[仮名],あきはぎを,つまどふかこそ,ひとりこに,こもてりといへ,かこじもの,あがひとりこの,くさまくら,たびにしゆけば,たかたまを,しじにぬきたれ,いはひへに,ゆふとりしでて,いはひつつ,あがおもふあこ,まさきくありこそ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌
#[鄣W],相聞,作者:遣唐使母,母親,愛情,送別,羈旅,餞別,安全,天平5年,年紀,植物,動物,枕詞
#[訓異]
#[大意]秋萩を妻問う鹿であっても独りの子しか持たないというが、その鹿の子のように自分の独り子が草枕旅に行くので、竹玉をたくさん貫き垂らし、斎瓮に木綿を取り垂らして無事を祈り続け、そのように自分が思う我が子よ。どうか無事であって欲しい。
#{語釈]
天平五年癸酉遣唐使 丹比広成を対しとする第九次遣唐使
五年四月三日難波津を出航 六年十一月種子島に帰着 七年三月朝拝
5/894~6 8/1453~5
秋萩を 妻どふ鹿 9/1761
秋萩と鹿
06/1047H06萩の枝を しがらみ散らし さを鹿は 妻呼び響む 山見れば
08/1547H01さを鹿の萩に貫き置ける露の白玉あふさわに誰れの人かも手に巻かむちふ
08/1550H01秋萩の散りの乱ひに呼びたてて鳴くなる鹿の声の遥けさ
08/1580H01さを鹿の来立ち鳴く野の秋萩は露霜負ひて散りにしものを
08/1598H01さを鹿の朝立つ野辺の秋萩に玉と見るまで置ける白露
08/1599H01さを鹿の胸別けにかも秋萩の散り過ぎにける盛りかも去ぬる
08/1600H01妻恋ひに鹿鳴く山辺の秋萩は露霜寒み盛り過ぎゆく
08/1609H01宇陀の野の秋萩しのぎ鳴く鹿も妻に恋ふらく我れにはまさじ
10/2142H01さを鹿の妻ととのふと鳴く声の至らむ極み靡け萩原
10/2143H01君に恋ひうらぶれ居れば敷の野の秋萩しのぎさを鹿鳴くも
10/2144H01雁は来ぬ萩は散りぬとさを鹿の鳴くなる声もうらぶれにけり
10/2145H01秋萩の恋も尽きねばさを鹿の声い継ぎい継ぎ恋こそまされ
10/2150H01秋萩の散りゆく見ればおほほしみ妻恋すらしさを鹿鳴くも
10/2152H01秋萩の散り過ぎゆかばさを鹿はわび鳴きせむな見ずはともしみ
10/2153H01秋萩の咲きたる野辺はさを鹿ぞ露を別けつつ妻どひしける
10/2154H01なぞ鹿のわび鳴きすなるけだしくも秋野の萩や繁く散るらむ
10/2155H01秋萩の咲たる野辺にさを鹿は散らまく惜しみ鳴き行くものを
20/4297H01をみなへし秋萩しのぎさを鹿の露別け鳴かむ高圓の野ぞ
20/4320H01大夫の呼び立てしかばさを鹿の胸別け行かむ秋野萩原
独り子に 子持てりといへ 鹿は五,六月頃に一匹づつ子を産む
鹿子じもの その鹿のように
竹玉を 繁に貫き垂れ 斎瓮に 木綿取り垂でて 家人が旅に出た人の安全を祈る行為
03/0379H02しらか付け 木綿取り付けて 斎瓮を 斎ひ掘り据ゑ 竹玉を
03/0379H03繁に貫き垂れ 獣じもの 膝折り伏して たわや女の 襲取り懸け
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1791
#[題詞](天平五年癸酉遣唐使舶發難波入海之時親母贈子歌一首[并短歌])反歌
#[原文]客人之 宿将為野尓 霜降者 吾子羽褁 天乃鶴群
#[訓読]旅人の宿りせむ野に霜降らば我が子羽ぐくめ天の鶴群
#[仮名],たびひとの,やどりせむのに,しもふらば,あがこはぐくめ,あめのたづむら
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:遣唐使母,母親,愛情,送別,羈旅,餞別,安全,天平5年,年紀,動物
#[訓異]
#[大意]旅人の宿りをする野原に霜が降るならば、自分の子を羽で暖めてやってくれ。天高く飛ぶ鶴の群れよ。
#{語釈]
羽ぐくめ 元 わがこはつつめ 紀 西 わかこはくくめ
親鳥が羽で雛を覆い包む 羽で包んで暖めてやってくれ
15/3578H01武庫の浦の入江の洲鳥羽ぐくもる君を離れて恋に死ぬべし
15/3579H01大船に妹乗るものにあらませば羽ぐくみ持ちて行かましものを
天乃鶴群 夜の鶴は子を思って鳴くという。
類歌
10/2238H01天飛ぶや雁の翼の覆ひ羽のいづく漏りてか霜の降りけむ
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1792
#[題詞]思娘子作歌一首[并短歌]
#[原文]白玉之 人乃其名矣 中々二 辞緒<下>延 不遇日之 數多過者 戀日之 累行者 思遣 田時乎白土 肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾戀兒矣 玉釧 手尓取持而 真十鏡 直目尓不視者 下桧山 下逝水乃 上丹不出 吾念情 安虚歟毛
#[訓読]白玉の 人のその名を なかなかに 言を下延へ 逢はぬ日の 数多く過ぐれば 恋ふる日の 重なりゆけば 思ひ遣る たどきを知らに 肝向ふ 心砕けて 玉たすき 懸けぬ時なく 口やまず 我が恋ふる子を 玉釧 手に取り持ちて まそ鏡 直目に見ねば したひ山 下行く水の 上に出でず 我が思ふ心 安きそらかも
#[仮名],しらたまの,ひとのそのなを,なかなかに,ことをしたはへ,あはぬひの,まねくすぐれば,こふるひの,かさなりゆけば,おもひやる,たどきをしらに,きもむかふ,こころくだけて,たまたすき,かけぬときなく,くちやまず,あがこふるこを,たまくしろ,てにとりもちて,まそかがみ,ただめにみねば,したひやま,したゆくみづの,うへにいでず,あがおもふこころ,やすきそらかも
#[左注](右三首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 不 -> 下 [元][藍][紀]
#[鄣W],相聞,作者:田辺福麻呂歌集,恋情,枕詞
#[訓異]
#[大意]白玉のような美しい人のその名前をなまじっか言葉に出さず心に思い、会わない日が多く過ぎてしまうので、恋い思う日が重なって行くので、思いやるてだてを知らないで、肝に向かっている心を砕いて、玉たすきのように心に掛けない時がなく、独り言のようにつぶやいて自分が恋い思うあの子を、玉釧のように手に取り持ってまそ鏡のように直接に会わないので、したひ山の下を流れる水のように表には出ないで自分が恋い思う心は、落ち着いた心でいるだろうか。
#{語釈]
娘子 奈良にいる恋人
白玉の 人のその名 白玉のように美しい人のその名前を
なかなかに なまじっか かえって
03/0343H01なかなかに人とあらずは酒壷になりにてしかも酒に染みなむ
言を下延へ 紀 西 ことのをのへず 代匠記 はえず 元 類 下
新訓 ことのをしたばへ 全註釈 ことをしたばへ
言葉に出さず心中に思っていること
09/1809H08隠り沼の 下延へ置きて うち嘆き 妹が去ぬれば 茅渟壮士
数多く過ぐれば 日数が多く過ぎてしまう
02/0167H16高知りまして 朝言に 御言問はさぬ 日月の 数多くなりぬれ そこ故に
たどきを知らに たづき てだてを知らない
01/0005H05思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海人娘子らが 焼く塩の
肝向ふ 心の枕詞
02/0135H04肝向ふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど 大船の 渡の山の
口やまず 口を休めず 絶えず言葉に出しながら 独り言のようにつぶやく
14/3532H01春の野に草食む駒の口やまず我を偲ふらむ家の子ろはも
したひ山
仙覚抄「摂津国能勢山にあり」
管見「つの国に有り。かの国風土記云。昔有大神、云天津鰐、化為鷲、下止此山、十人往者五人去、五人留、有久波乎者、来此山、伏下樋而届於神許、従此樋内通祷祭由是曰下樋山 云々」
地名辞書「西郷村(今豊能郡能勢町)大字大里の西北に在り、今剣尾(けんひ)山と称す」
樋は、乙類仮名 檜は、甲類仮名 で同類には扱えないか。
注釈 木下正俊 2/217したふと同じで、四段動詞の連用形 したひ山とは黄葉の匂う山
下ゆく水のに続き、上に出でずの序
安きそらかも そらは心地、不安な心理
04/0534H01遠妻の ここにしあらねば 玉桙の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに
04/0534H02嘆くそら 苦しきものを み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも
寛「やすきそらかも」 略解「やすきかは やすからぬと返る言葉なり」
古義 虚は、不在の二字を誤りしか。やすからぬかも 安くあらぬ哉、さても苦しや と嘆きたるなり」
全註釈「やすからぬかも 虚は、空虚の義で、カラに当てる。ヌに当たる文字はないが、読み添えるのである」
#[説明]
04/0546D01二年乙丑春三月幸三香原離宮之時得娘子作歌一首并短歌
04/0546D02笠朝臣金村
金村と同じく、久邇京時代に都の残した恋人を対象としている。
釋注 奈良に住むと設定された架空の女性か
家持にも都の大嬢を思う歌があるので、官人に共通の思いを代弁したか。
#[関連論文]


#[番号]09/1793
#[題詞](思娘子作歌一首[并短歌])反歌
#[原文]垣保成 人之横辞 繁香裳 不遭日數多 月乃經良武
#[訓読]垣ほなす人の横言繁みかも逢はぬ日数多く月の経ぬらむ
#[仮名],かきほなす,ひとのよここと,しげみかも,あはぬひまねく,つきのへぬらむ
#[左注](右三首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:田辺福麻呂歌集,恋情,うわさ
#[訓異]
#[大意]垣根のように他人の中傷がひどいからだろうか。会わない日が数多くなって月がたって行くのであろう。
#{語釈]
垣ほなす 垣根のようにじゃまをするの意で、人の横言にかかる。
04/0713H01垣ほなす人言聞きて我が背子が心たゆたひ逢はぬこのころ
人の横言 よこしまなうわさ。中傷。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1794
#[題詞]((思娘子作歌一首[并短歌])反歌)
#[原文]立易 月重而 難不遇 核不所忘 面影思天
#[訓読]たち変り月重なりて逢はねどもさね忘らえず面影にして
#[仮名],たちかはり,つきかさなりて,あはねども,さねわすらえず,おもかげにして
#[左注]右三首田邊福麻呂之歌集出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],相聞,作者:田辺福麻呂歌集,恋情
#[訓異]
#[大意]立ち替わって月が重なって幾月も会わないが、ちっとも忘れることが出来ない。面影に立って。
#{語釈]
たち変り 入れ替わって元へ戻るように
さね忘らえず さね 打ち消しと伴う陳述の副詞
07/1069H01常はさね思はぬものをこの月の過ぎ隠らまく惜しき宵かも
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1795
#[題詞]挽歌 / 宇治若郎子宮所歌一首
#[原文]妹等許 今木乃嶺 茂立 嬬待木者 古人見祁牟
#[訓読]妹らがり今木の嶺に茂り立つ嬬松の木は古人見けむ
#[仮名],いもらがり,いまきのみねに,しげりたつ,つままつのきは,ふるひとみけむ
#[左注]
#[校異]歌 [西] 謌 / 歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],挽歌,宇治若郎子,京都,宇治,植物
#[訓異]
#[大意]妹のもとへ今来るという今木の嶺に茂り立っている妻を待つという松の木は昔の人も見たのだろう。
#{語釈]
宇治若郎子宮所 仁徳天皇の異母弟。百済博士王仁に学び、典籍に通じるが皇位を継ぐことを否定して自殺。宮は、仁徳紀「既にして宮を兎道に興して居はします」
宇治市に離宮跡。
今木の嶺 山城志宇治郡「在宇治彼方町東南 今曰離宮山」
古事記伝「此万葉の哥に依りてのおしあて説なるべし。今木と云処は、欽明紀に、倭国今来郡と見え、皇極紀、斉明紀、孝徳紀などに見えたるも倭なり。万葉十に、今城岳とあるも、倭と見えたり」
大和志考「吉野郡大淀町今木」
嬬松の木 妻を待つと松を掛けた。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1796
#[題詞]紀伊國作歌四首
#[原文]黄葉之 過去子等 携 遊礒麻 見者悲裳
#[訓読]黄葉の過ぎにし子らと携はり遊びし礒を見れば悲しも
#[仮名],もみちばの,すぎにしこらと,たづさはり,あそびしいそを,みればかなしも
#[左注](右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],挽歌,作者:柿本人麻呂歌集,紀伊,和歌山,行幸,恋情,亡妻,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]黄葉が散り過ぎるように亡くなってしまったあの子と手を取り合って遊んだ磯を今再び見ると悲しいことである。
#{語釈]
09/1692D01紀伊國作歌二首 人麻呂歌集 この時と同じか。大宝元年十月持統上皇行幸時のもの。
黄葉の過ぎにし 黄葉が散っていくようになくなった
01/0047H01ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1797
#[題詞](紀伊國作歌四首)
#[原文]塩氣立 荒礒丹者雖在 徃水之 過去妹之 方見等曽来
#[訓読]潮気立つ荒礒にはあれど行く水の過ぎにし妹が形見とぞ来し
#[仮名],しほけたつ,ありそにはあれど,ゆくみづの,すぎにしいもが,かたみとぞこし
#[左注](右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]
#[鄣W],挽歌,作者:柿本人麻呂歌集,紀伊,和歌山,行幸,悲嘆,亡妻,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]潮気ばかりが立っている荒磯ではあるが、流れて行く水のように過ぎて亡くなってしまった妹の思い出すよすがとしてやって来たことである。
#{語釈]
潮気立つ荒礒 何の感興もないことを強調する。
同じ構造
01/0047H01ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とぞ来し
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1798
#[題詞](紀伊國作歌四首)
#[原文]古家丹 妹等吾見 黒玉之 久漏牛方乎 見佐府<下>
#[訓読]いにしへに妹と我が見しぬばたまの黒牛潟を見れば寂しも
#[仮名],いにしへに,いもとわがみし,ぬばたまの,くろうしがたを,みればさぶしも
#[左注](右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出)
#[校異]下玉 -> 下 [西(朱訂正)][元][藍][類]
#[鄣W],挽歌,作者:柿本人麻呂歌集,紀伊,和歌山,行幸,悲嘆,恋情,亡妻,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]その昔、妹と自分が見たぬばたまの黒牛潟を見ると、今は独りであることが思われてさびいしことだ。
#{語釈]
黒牛潟 和歌山県海南市黒江湾
07/1218H01黒牛の海紅にほふももしきの大宮人しあさりすらしも
09/1672H01黒牛潟潮干の浦を紅の玉裳裾引き行くは誰が妻
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1799
#[題詞](紀伊國作歌四首)
#[原文]<玉>津嶋 礒之裏<未>之 真名<子>仁文 尓保比去名 妹觸險
#[訓読]玉津島礒の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹も触れけむ
#[仮名],たまつしま,いそのうらみの,まなごにも,にほひてゆかな,いももふれけむ
#[左注]右五首柿本朝臣人麻呂之歌集出
#[校異]<> -> 玉 [西(左書)][元][藍][類] / 末 -> 未 [元] / <> -> 子 [紀] / 比 (塙) 比弖 (楓) 比尓
#[鄣W],挽歌,作者:柿本人麻呂歌集,紀伊,和歌山,行幸,悲嘆,恋情,亡妻,非略体,地名
#[訓異]
#[大意]玉津島の磯の浦のめぐりの真砂にも衣を擦りつけて行こうよ。妹も触れたのだろうから。
#{語釈]
玉津島 和歌山市和歌浦の玉津島神社付近
07/1215H01玉津島よく見ていませあをによし奈良なる人の待ち問はばいかに
真砂 細かい砂
04/0596H01八百日行く浜の真砂も我が恋にあにまさらじか沖つ島守
06/1065H02定めてし 敏馬の浦は 朝風に 浦波騒き 夕波に 玉藻は来寄る 白真砂
07/1392H01紫の名高の浦の真砂土袖のみ触れて寝ずかなりなむ
07/1393H01豊国の企救の浜辺の真砂土真直にしあらば何か嘆かむ
09/1799H01玉津島礒の浦廻の真砂にもにほひて行かな妹も触れけむ
11/2504H01解き衣の恋ひ乱れつつ浮き真砂生きても我れはありわたるかも
11/2725H01白真砂御津の埴生の色に出でて言はなくのみぞ我が恋ふらくは
11/2734H01潮満てば水泡に浮かぶ真砂にも我はなりてしか恋ひは死なずて
12/3168H01衣手の真若の浦の真砂地間なく時なし我が恋ふらくは
14/3372H01相模道の余綾の浜の真砂なす子らは愛しく思はるるかも
にほひて 本来色づける ここでは衣に擦りつける
01/0057H01引間野ににほふ榛原入り乱れ衣にほはせ旅のしるしに
01/0069H01草枕旅行く君と知らませば岸の埴生ににほはさましを
#[説明]
人麻呂は歌は残っていないが、持統四年行幸に妻を伴って供奉した
01/0034S01日本紀曰朱鳥四年庚寅秋九月天皇幸紀伊國也
伊藤博は、この時の歌とする。
04/0496D01柿本朝臣人麻呂歌四首
04/0496H01み熊野の浦の浜木綿百重なす心は思へど直に逢はぬかも
04/0497H01いにしへにありけむ人も我がごとか妹に恋ひつつ寐ねかてずけむ
04/0498H01今のみのわざにはあらずいにしへの人ぞまさりて音にさへ泣きし
04/0499H01百重にも来及かぬかもと思へかも君が使の見れど飽かずあらむ
ただし、上の歌は大宝元年のこのときと同じとする考えもある。
07/1247H01大汝少御神の作らしし妹背の山を見らくしよしも
07/1248H01我妹子と見つつ偲はむ沖つ藻の花咲きたらば我れに告げこそ
07/1249H01君がため浮沼の池の菱摘むと我が染めし袖濡れにけるかも
07/1250H01妹がため菅の実摘みに行きし我れ山道に惑ひこの日暮らしつ
07/1250S01右四首柿本朝臣人麻呂之歌集出
上の歌は、場所が紀州であるとは限らない。
01/0040D01幸于伊勢國時留京柿本朝臣人麻呂作歌
01/0040H01嗚呼見の浦に舟乗りすらむをとめらが玉裳の裾に潮満つらむか
01/0041H01釧着く答志の崎に今日もかも大宮人の玉藻刈るらむ
01/0042H01潮騒に伊良虞の島辺漕ぐ舟に妹乗るらむか荒き島廻を
の妹と同一人物か。
大宝元年行幸時には、妻を亡くしている。
02/0207D01柿本朝臣人麻呂妻死之後泣血哀慟作歌二首并短歌
は、この経験をもとにして詠んだものか。
#[関連論文]


#[番号]09/1800
#[題詞]過足柄坂見死人作歌一首
#[原文]小垣内之 麻矣引干 妹名根之 作服異六 白細乃 紐緒毛不解 一重結 帶矣三重結 <苦>伎尓 仕奉而 今谷裳 國尓退而 父妣毛 妻矣毛将見跡 思乍 徃祁牟君者 鳥鳴 東國能 恐耶 神之三坂尓 和霊乃 服寒等丹 烏玉乃 髪者乱而 邦問跡 國矣毛不告 家問跡 家矣毛不云 益荒夫乃 去能進尓 此間偃有
#[訓読]小垣内の 麻を引き干し 妹なねが 作り着せけむ 白栲の 紐をも解かず 一重結ふ 帯を三重結ひ 苦しきに 仕へ奉りて 今だにも 国に罷りて 父母も 妻をも見むと 思ひつつ 行きけむ君は 鶏が鳴く 東の国の 畏きや 神の御坂に 和妙の 衣寒らに ぬばたまの 髪は乱れて 国問へど 国をも告らず 家問へど 家をも言はず ますらをの 行きのまにまに ここに臥やせる
#[仮名],をかきつの,あさをひきほし,いもなねが,つくりきせけむ,しろたへの,ひもをもとかず,ひとへゆふ,おびをみへゆひ,くるしきに,つかへまつりて,いまだにも,くににまかりて,ちちははも,つまをもみむと,おもひつつ,ゆきけむきみは,とりがなく,あづまのくにの,かしこきや,かみのみさかに,にきたへの,ころもさむらに,ぬばたまの,かみはみだれて,くにとへど,くにをものらず,いへとへど,いへをもいはず,ますらをの,ゆきのまにまに,ここにこやせる
#[左注](右七首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 苦侍 -> 苦 [元][藍][類][紀]
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,行路死人,箱根,静岡,羈旅,鎮魂,地名,枕詞
#[訓異]
#[大意]家の垣の内に植えてある麻を引き抜いて干して、奥さんが作り着せたのであろう白妙の衣の紐もほどかないで、普通は一重で結ぶ帯を三重にも巻くほど痩せ細り、苦しい仕事に奉仕して、今すぐにでも故郷に下がって父母も妻にも会おうと思い続けて、旅に行ったであろうあなたは、鶏が鳴く東の国の恐ろしい神の御坂に和妙の衣を寒そうに着て、ぬば玉の黒い髪は乱れていて、故郷を尋ねるが故郷をもおっしゃらず、家を尋ねるが家も言わないで、大夫が行くというままにここに横たわっておられる。
#{語釈]
ここから田邊福麻呂歌集
足柄坂 神奈川、静岡県境 足柄峠の所
見死人 行路死人 坂に置かれる。
小垣内の 小 接頭語 垣内 家垣の中の
08/1503D01紀朝臣豊河歌一首
08/1503H01我妹子が家の垣内のさ百合花ゆりと言へるはいなと言ふに似る
麻を引き干し 植えた麻を引き抜いて干して
04/0521D01藤原宇合大夫遷任上京時常陸娘子贈歌一首
04/0521H01庭に立つ麻手刈り干し布曝す東女を忘れたまふな
妹なねが なね 汝姉がもとか。愛称 行路死人の妻
04/0724H01朝髪の思ひ乱れてかくばかり汝姉が恋ふれぞ夢に見えける
一重結ふ 帯を三重結ひ 痩せこけている状態を言う
苦しきに 仕へ奉りて 苦しいにも関わらず、公に奉仕して
注釈 役民が馴れない労役に苦しんだ
釋注 「ますらを」との関連で見れば、ここは下級官吏の地方出仕か。「ますらを」にこだわらなければ、年十日の正丁、または三年勤務の壮丁の都奉仕とも考えられる
神の御坂 足柄の坂 峠の神の霊威のある恐ろしい場所。
20/4402H01ちはやぶる神の御坂に幣奉り斎ふ命は母父がため
この歌の場合は、信州の神坂峠を指している。
和妙の 衣寒らに 和妙 原文「和霊乃」
代匠記「凡人に付きて云はば存生にあらはにはたらく心をば荒魂と云ひ、死して伏する幽魂を和魂と云べし」
考 和細布乃 細布の草を魂と見誤る
全註釈「かような死者の肌に著ける衣服をニキタヘと叙述するかどうか、疑わしい。字形から言えば、霊は膚の誤で、ニキハダかとも思ふが、これも疑わしい。」
古典大系 和膚の 膚を霊に誤る
注釈 和霊ととるのは無理。「細布」の誤字と見るのも無理がある。霊妙の語から同じであると見ても、たへに霊の字が使われることは他例がない。
後のぬば玉のと対。同じ枕詞であるとも見られるが、ぬば玉のは、単に枕詞の意味だけではなく黒い髪という実質的な意味がある。枕詞では実質的な意味を持っていると考えて、和膚のか。和膚は、2/194にもある。
釋注 霊は、木偏考丁(たえ)の字(妙)にあてた文字と見る。 にぎたへの
寒らに ら 状態を示す接尾語 寒そうに 14/3392 3368
行きのまにまに 原文「進」 注釈 行きの進みに
意味をとってまにまにと訓む。
04/0557H01大船を漕ぎの進みに岩に触れ覆らば覆れ妹によりては
#[説明]
行路死人歌
02/0220讃岐狭<岑>嶋視石中死人柿本朝臣人麻呂作歌一首[并短歌]
02/0228寧樂宮 / 和銅四年歳次辛亥河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首
03/0415挽歌 / 上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首
03/0426柿本朝臣人麻呂見香具山屍悲慟作歌一首
03/0434和銅四年辛亥河邊宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首
05/0884大伴君熊凝歌二首 [大典麻田陽春作]
05/0886筑前國守山上憶良敬和為熊凝述其志歌六首[并序]
13/3335
13/3336
13/3339備後國神嶋濱調使首見屍作歌一首并短歌
15/3688到壹岐嶋雪連宅満忽遇鬼病死去之時作歌一首[并短歌]
#[関連論文]


#[番号]09/1801
#[題詞]過葦屋處女墓時作歌一首[并短歌]
#[原文]古之 益荒丁子 各競 妻問為祁牟 葦屋乃 菟名日處女乃 奥城矣 吾立見者 永世乃 語尓為乍 後人 偲尓世武等 玉桙乃 道邊近 磐構 作冢矣 天雲乃 退部乃限 此道矣 去人毎 行因 射立嘆日 或人者 啼尓毛哭乍 語嗣 偲継来 處女等賀 奥城所 吾并 見者悲喪 古思者
#[訓読]古への ますら壮士の 相競ひ 妻問ひしけむ 葦屋の 菟原娘子の 奥城を 我が立ち見れば 長き世の 語りにしつつ 後人の 偲ひにせむと 玉桙の 道の辺近く 岩構へ 造れる塚を 天雲の そくへの極み この道を 行く人ごとに 行き寄りて い立ち嘆かひ ある人は 哭にも泣きつつ 語り継ぎ 偲ひ継ぎくる 娘子らが 奥城処 我れさへに 見れば悲しも 古へ思へば
#[仮名],いにしへの,ますらをとこの,あひきほひ,つまどひしけむ,あしのやの,うなひをとめの,おくつきを,わがたちみれば,ながきよの,かたりにしつつ,のちひとの,しのひにせむと,たまほこの,みちののへちかく,いはかまへ,つくれるつかを,あまくもの,そくへのきはみ,このみちを,ゆくひとごとに,ゆきよりて,いたちなげかひ,あるひとは,ねにもなきつつ,かたりつぎ,しのひつぎくる,をとめらが,おくつきところ,われさへに,みればかなしも,いにしへおもへば
#[左注](右七首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,兵庫県,芦屋,妻争い,鎮魂,伝説,うない娘子,地名
#[訓異]
#[大意]昔の立派な男が共に競い合い、妻問いをしたであろう葦屋の菟原娘子の墓を自分が立って見ると、永遠の世の語りにし続け、後の人の思い出にしようと玉鉾の道のあたり近くに岩を構えて造った塚を、天雲がたなびく遠方まで、この道を行く人ごとに行って寄って、立ち嘆き合い、ある人は声を上げて泣き続け、語り継ぎ思い出し継いてくるあの娘子の墓を自分まで見ると悲しいことである。昔のことを思うと。
#{語釈]
葦屋處女墓 葦屋 和名抄 摂津兎原郡葦屋 芦屋市を中心としたところ
葦屋処女の歌 虫麻呂 1809~1811 家持 19/4211~4212
墓 東明の処女塚 神戸市東灘区御影町東明 賀茂季鷹筆の1892の歌碑
呉田の求女塚 神戸市東灘区住吉町 求女塚の碑(東 信太壮士の墓)
味泥の求女塚 神戸市灘区味泥町 (西 菟原壮士の墓)

いずれも前方後円墳であり、近接した古墳にちなんで、話は後に仮託されたもの。
菟原娘子 和名抄 兎原 宇波良 ウハラ 元来 菟会(1802)、菟名負(1809)
宇名比(1810) ウナヒ
岩構へ造れる塚 岩を組んで作った塚
原文「冢」元、紀「家」 西 「冢」 寛永版本 「冢 の中に一」
類聚名義抄 冢 ツカ
#[説明]
注釈 この作は赤人の勝鹿の真間娘子を詠んだ作に学んだものと思われる。
釋注 虫麻呂の歌に比べて挽歌的。ただ、人びとの共通理解をあてにしてしまっているためにわかりにくく、伝わる感動に乏しい。
#[関連論文]


#[番号]09/1802
#[題詞](過葦屋處女墓時作歌一首[并短歌])反歌
#[原文]古乃 小竹田丁子乃 妻問石 菟會處女乃 奥城叙此
#[訓読]古への信太壮士の妻問ひし菟原娘子の奥城ぞこれ
#[仮名],いにしへの,しのだをとこの,つまどひし,うなひをとめの,おくつきぞこれ
#[左注](右七首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,兵庫県,芦屋,妻争い,鎮魂,伝説,うない娘子,地名
#[訓異]
#[大意]昔の信太壮士が妻問いをした菟原娘子の墓であるぞ。これは。
#{語釈]
信太壮士 和名抄 和泉国和泉郡信太 臣多 大阪府和泉市
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1803
#[題詞]((過葦屋處女墓時作歌一首[并短歌])反歌)
#[原文]語継 可良仁文幾許 戀布矣 直目尓見兼 古丁子
#[訓読]語り継ぐからにもここだ恋しきを直目に見けむ古へ壮士
#[仮名],かたりつぐ,からにもここだ,こほしきを,ただめにみけむ,いにしへをとこ
#[左注](右七首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,兵庫県,芦屋,妻争い,鎮魂,伝説,うない娘子,地名
#[訓異]
#[大意]語り継ぐだけでもひどく恋しいのに直接目に見たのであろう。昔の男は。
#{語釈]
からにも ~だけなのに
02/0157H01三輪山の山辺真麻木綿短か木綿かくのみからに長くと思ひき
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1804
#[題詞]哀弟死去作歌一首[并短歌]
#[原文]父母賀 成乃任尓 箸向 弟乃命者 朝露乃 銷易杵壽 神之共 荒競不勝而 葦原乃 水穂之國尓 家無哉 又還不来 遠津國 黄泉乃界丹 蔓都多乃 各<々>向々 天雲乃 別石徃者 闇夜成 思迷匍匐 所射十六乃 意矣痛 葦垣之 思乱而 春鳥能 啼耳鳴乍 味澤相 宵晝不<知> 蜻蜒火之 心所燎管 悲悽別焉
#[訓読]父母が 成しのまにまに 箸向ふ 弟の命は 朝露の 消やすき命 神の共 争ひかねて 葦原の 瑞穂の国に 家なみか また帰り来ぬ 遠つ国 黄泉の境に 延ふ蔦の おのが向き向き 天雲の 別れし行けば 闇夜なす 思ひ惑はひ 射ゆ鹿の 心を痛み 葦垣の 思ひ乱れて 春鳥の 哭のみ泣きつつ あぢさはふ 夜昼知らず かぎろひの 心燃えつつ 嘆く別れを
#[仮名],ちちははが,なしのまにまに,はしむかふ,おとのみことは,あさつゆの,けやすきいのち,かみのむた,あらそひかねて,あしはらの,みづほのくにに,いへなみか,またかへりこぬ,とほつくに,よみのさかひに,はふつたの,おのがむきむき,あまくもの,わかれしゆけば,やみよなす,おもひまとはひ,いゆししの,こころをいたみ,あしかきの,おもひみだれて,はるとりの,ねのみなきつつ,あぢさはふ,よるひるしらず,かぎろひの,こころもえつつ,なげくわかれを
#[左注](右七首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 各 -> 々 [元][藍][類][紀] / 云 -> 知 [元][藍] (楓) 云
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,哀悼,悲嘆,枕詞
#[訓異]
#[大意]父母が生み成したままに箸が向かうような仲のよかった弟の命は、朝露のような消えやすい命であって、神と共に争うこともできずに、葦原の水穂のこの国に家がないというからであろうか、また再び帰っては来ない。遠い国である黄泉の境界に這う蔦のようにそれぞれ好む方向へ天雲のように別れて行ったので、闇夜のように思い惑い続け、弓で撃つ猪鹿のような心が痛いので、葦垣のように思い乱れて、春鳥のように声に上げてばかり泣きながら、あぢさはふ夜も昼もわからないで、かぎろひのように心が燃え続けて嘆く別れであることだ。
#{語釈]
父母が成しのまにまに 生みのままに 生み成す
箸向ふ 枕詞 弟にかかる。
代匠記「兄弟ただ二人あるを、箸の指向きたるに譬へて云ふなり」
冠辞考 箸は、愛(は)しの意。相うつくしみ向はるる弟の命といふか
全註釈 箸の向ふ意で、相対して食事する意であろう。みけむかふ(御食向)に準じて考えられる。
釋注 箸のように兄にいつも仲良く向き合い付き添っている意か。
弟の命は 使者を丁寧に言う。 原文「弟」 元、紀「おとゝ」 西 ナセ 代匠記 オト
17/3957H07<波>之伎余思 奈弟乃美許等 奈尓之加母 時之<波>安良牟乎
神の共
11/2416H01ちはやぶる神の持たせる命をば誰がためにかも長く欲りせむ
05/0904H09かからずも かかりも 神のまにまにと 立ちあざり 我れ祈ひ祷めど しましくも
人間の命は神が支配しており、神の意志に逆らうことが出来なくての意
おのが向き向き 自分の好む方向へ、それぞれ
射ゆ鹿の 心にかかる枕詞
あぢさはふ 夜の枕詞 かかり方未詳
02/0196H11御食向ふ 城上の宮を 常宮と 定めたまひて あぢさはふ 目言も絶えぬ
嘆く別れを 元、紀「アハレワカレヲ」 西、細「いたむわかれそ」
古義 悲悽我為(なげきそあがする) の誤り。
定本 なげきわかれぬ 焉をヲと読むことは、例があるが、このような格助詞としての用法になっているものは、無いと云ってよい。今、終辞としてナゲキワカレヌの訓を下すことにした
私注 カナシビワカル 痛念をなげくと訓む(19/4215)によれば、それも肯へるが、悲悽はカナシム方に取りたい字面である。
注釈、釋注 従う
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1805
#[題詞](哀弟死去作歌一首[并短歌])反歌
#[原文]別而裳 復毛可遭 所念者 心乱 吾戀目八方 [一云 意盡而]
#[訓読]別れてもまたも逢ふべく思ほえば心乱れて我れ恋ひめやも [一云 心尽して]
#[仮名],わかれても,またもあふべく,おもほえば,こころみだれて,あれこひめやも,[こころつくして]
#[左注](右七首田邊福麻呂之歌集出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,哀悼,悲嘆
#[訓異]
#[大意]こうして死別してもまた逢うことが出来ると思われたならば、こんなにも心が乱れて(一云う 心を尽くして)自分は恋い思うということがあろうか。
#{語釈]
思ほえば 思ほゆの未然形。仮定条件。 思われたならば
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1806
#[題詞]((哀弟死去作歌一首[并短歌])反歌)
#[原文]蘆桧木笶 荒山中尓 送置而 還良布見者 情苦喪
#[訓読]あしひきの荒山中に送り置きて帰らふ見れば心苦しも
#[仮名],あしひきの,あらやまなかに,おくりおきて,かへらふみれば,こころぐるしも
#[左注]右七首田邊福麻呂之歌集出
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],挽歌,作者:田辺福麻呂歌集,哀悼,悲嘆,枕詞
#[訓異]
#[大意]あしひきの荒々しい山の中に送って置いて人々が一人一人と帰って行くのを見ると心苦しいことである。
#{語釈]
帰らふ見れば 誰がどこで誰が帰るのを見るのか
略解 葬送の人の家に帰るを見る也
新考 見者は思者の誤りにあらざるか。もし然らばカヘラフはおのが上をいへるなり
全釈 作者は山に残るときの作らしい
注釈 今、年下のものの葬送には行かない習慣があり、それが上代にもあったのではなかろうか。そうだと作者は家にいて、帰ってくるのを見るということになる。
釋注 野邊の送りに、去りもやらぬまま、残された兄は最後まで一人とどまっていたのであろう。
#[説明]
02/0212H01衾道を引手の山に妹を置きて山道を行けば生けりともなし
#[関連論文]


#[番号]09/1807
#[題詞]詠勝鹿真間娘子歌一首[并短歌]
#[原文]鶏鳴 吾妻乃國尓 古昔尓 有家留事登 至今 不絶言来 勝<壮>鹿乃 真間乃手兒奈我 麻衣尓 青衿著 直佐麻乎 裳者織服而 髪谷母 掻者不梳 履乎谷 不著雖行 錦綾之 中丹褁有 齋兒毛 妹尓将及哉 望月之 満有面輪二 如花 咲而立有者 夏蟲乃 入火之如 水門入尓 船己具如久 歸香具礼 人乃言時 幾時毛 不生物<呼> 何為跡歟 身乎田名知而 浪音乃 驟湊之 奥津城尓 妹之臥勢流 遠代尓 有家類事乎 昨日霜 将見我其登毛 所念可聞
#[訓読]鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
#[仮名],とりがなく,あづまのくにに,いにしへに,ありけることと,いままでに,たえずいひける,かつしかの,ままのてごなが,あさぎぬに,あをくびつけ,ひたさをを,もにはおりきて,かみだにも,かきはけづらず,くつをだに,はかずゆけども,にしきあやの,なかにつつめる,いはひこも,いもにしかめや,もちづきの,たれるおもわに,はなのごと,ゑみてたてれば,なつむしの,ひにいるがごと,みなといりに,ふねこぐごとく,ゆきかぐれ,ひとのいふとき,いくばくも,いけらじものを,なにすとか,みをたなしりて,なみのおとの,さわくみなとの,おくつきに,いもがこやせる,とほきよに,ありけることを,きのふしも,みけむがごとも,おもほゆるかも
#[左注](右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / 牡 -> 壮 [元][藍][類][紀] / 乎 -> 呼 [元][藍][類]
#[鄣W],挽歌,作者:高橋虫麻呂歌集,葛飾,東京,伝説,自殺,惜別,枕詞,地名
#[訓異]
#[大意]鶏が鳴く東の国に昔あったこととして今までに常に言い伝えてきた勝鹿の真間の手児名が、麻の衣に青地の衿を着け、純粋な麻で裳に織って着て、髪までも櫛で整えることもせず、沓すらはかないで行くけれども、錦や綾の立派な布の中にくるまれた大事な子どもも彼女に及ぶだろうか。満月のようにふっくらとした顔立ちに花のようににっこり笑って立っていると、夏虫が火に飛び込むように、港に入る船を漕ぐように、行き集まり人々が結婚を言うときに、どちらにしても、それほども長く生きることはないだろうものをどうして自分のことを分別づけて波の音の騒ぐ港の奥津城に彼女は臥せているのだろうか。遠い昔にあったことであるのに、昨日見たかのように思われてならないことである。
#{語釈]
鶏が鳴く 東の枕詞
勝鹿の真間 千葉県市川市真間町 上総國府がある。
03/0431D01過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首并短歌
14/3384H01葛飾の真間の手児名をまことかも我れに寄すとふ真間の手児名を
14/3385H01葛飾の真間の手児名がありしかば真間のおすひに波もとどろに
青衿 元、紀「あをくびつけて」 西「ふすまきて」 代初「あをえりつけて」
代精「あをくひつけて」
和名抄「衿 釋名云 衿 音領 古呂毛乃久比 頸也、所以擁頸也、襟 音金 禁也 交於前所以禁風寒也」
和名抄 「衿帯 陸詞曰、衿 音與襟同、比岐於比」
考「於備と訓むべし あをおび」
略解「後世女の裳に引腰とて長く垂れて曳くものあり。其類ひにて、衣をゆひてはしを長くたるゝなるべし」
新考「あをくびつけ」
類聚名義抄 「領 クヒ 衿 コロモノクビ」
学生服のような衿を着けていたか。
ひたさ麻 ひた 混じり気のない純粋な麻
錦綾の 高貴な布
釋注「都の人を聞き手に意識している」
斎ひ子も 大切にかしづいている子ども
花のごと 笑みて
09/1738H02その顔の きらきらしきに 花のごと 笑みて立てれば
行きかぐれ 未詳
古事記伝「妻をよばふ事を、然云る古言のありしなるべし
略解「今懸想といふに同じ語也」
古義「嫁ぎ技する(婚合)を云よりはじまれる古語なり」
注釈 引き寄せられるように行き集まる意と思われる
波の音の 騒く港 入水であったことを想像して言った表現か
#[説明]
宇合に従って東国にいた時に見聞したものか。
#[関連論文]


#[番号]09/1808
#[題詞](詠勝鹿真間娘子歌一首[并短歌])反歌
#[原文]勝<壮>鹿之 真間之井見者 立平之 水挹家<武> 手兒名之所念
#[訓読]勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましけむ手児名し思ほゆ
#[仮名],かつしかの,ままのゐみれば,たちならし,みづくましけむ,てごなしおもほゆ
#[左注](右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 牡 -> 壮 [元][古][類][紀] / 牟 -> 武 [元][藍][類][紀]
#[鄣W],挽歌,作者:高橋虫麻呂歌集,葛飾,東京,伝説,自殺,惜別,地名
#[訓異]
#[大意]勝鹿の真間の井戸を見ると絶えず行き来して踏みならしていた手児名のことが思われてならない。
#{語釈]
勝鹿の真間の井 現在、葛飾区に手児名堂があり、井戸があるが後世のもの。
立ち平し 絶えず行き来して踏み平らげていたこと
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1809
#[題詞]見菟原處女墓歌一首[并短歌]
#[原文]葦屋之 菟名負處女之 八年兒之 片生之時従 小放尓 髪多久麻弖尓 並居 家尓毛不所見 虚木綿乃 牢而座在者 見而師香跡 <悒>憤時之 垣廬成 人之誂時 智<弩><壮>士 宇奈比<壮>士乃 廬八燎 須酒師競 相結婚 為家類時者 焼大刀乃 手頴押祢利 白檀弓 <靫>取負而 入水 火尓毛将入跡 立向 競時尓 吾妹子之 母尓語久 倭<文>手纒 賎吾之故 大夫之 荒争見者 雖生 應合有哉 <宍>串呂 黄泉尓将待跡 隠沼乃 下延置而 打歎 妹之去者 血沼<壮>士 其夜夢見 取次寸 追去祁礼婆 後有 菟原<壮>士伊 仰天 (S)於良妣 (ひ)地 牙喫建怒而 如己男尓 負而者不有跡 懸佩之 小劔取佩 冬(ふ)蕷都良 尋去祁礼婆 親族共 射歸集 永代尓 標将為跡 遐代尓 語将継常 處女墓 中尓造置 <壮>士墓 此方彼方二 造置有 故縁聞而 雖不知 新喪之如毛 哭泣鶴鴨
#[訓読]葦屋の 菟原娘子の 八年子の 片生ひの時ゆ 小放りに 髪たくまでに 並び居る 家にも見えず 虚木綿の 隠りて居れば 見てしかと いぶせむ時の 垣ほなす 人の問ふ時 茅渟壮士 菟原壮士の 伏屋焚き すすし競ひ 相よばひ しける時は 焼太刀の 手かみ押しねり 白真弓 靫取り負ひて 水に入り 火にも入らむと 立ち向ひ 競ひし時に 我妹子が 母に語らく しつたまき いやしき我が故 ますらをの 争ふ見れば 生けりとも 逢ふべくあれや ししくしろ 黄泉に待たむと 隠り沼の 下延へ置きて うち嘆き 妹が去ぬれば 茅渟壮士 その夜夢に見 とり続き 追ひ行きければ 後れたる 菟原壮士い 天仰ぎ 叫びおらび 地を踏み きかみたけびて もころ男に 負けてはあらじと 懸け佩きの 小太刀取り佩き ところづら 尋め行きければ 親族どち い行き集ひ 長き代に 標にせむと 遠き代に 語り継がむと 娘子墓 中に造り置き 壮士墓 このもかのもに 造り置ける 故縁聞きて 知らねども 新喪のごとも 哭泣きつるかも
#[仮名],あしのやの,うなひをとめの,やとせこの,かたおひのときゆ,をばなりに,かみたくまでに,ならびをる,いへにもみえず,うつゆふの,こもりてをれば,みてしかと,いぶせむときの,かきほなす,ひとのとふとき,ちぬをとこ,うなひをとこの,ふせやたき,すすしきほひ,あひよばひ,しけるときは,やきたちの,たかみおしねり,しらまゆみ,ゆきとりおひて,みづにいり,ひにもいらむと,たちむかひ,きほひしときに,わぎもこが,ははにかたらく,しつたまき,いやしきわがゆゑ,ますらをの,あらそふみれば,いけりとも,あふべくあれや,ししくしろ,よみにまたむと,こもりぬの,したはへおきて,うちなげき,いもがいぬれば,ちぬをとこ,そのよいめにみ,とりつづき,おひゆきければ,おくれたる,うなひをとこい,あめあふぎ,さけびおらび,つちをふみ,きかみたけびて,もころをに,まけてはあらじと,かけはきの,をだちとりはき,ところづら,とめゆきければ,うがらどち,いゆきつどひ,ながきよに,しるしにせむと,とほきよに,かたりつがむと,をとめはか,なかにつくりおき,をとこはか,このもかのもに,つくりおける,ゆゑよしききて,しらねども,にひものごとも,ねなきつるかも
#[左注](右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌 / 短歌 [西] 短謌 [西(訂正)] 短歌 / は -> 悒 [元][藍][紀] / 奴 -> 弩 [元][藍] / 牡 -> 壮 [元][藍][類] / 靭 -> 靫 [元][藍] / 父 -> 文 [元][紀] / 完 -> 宍 [元][藍] / 牡 -> 壮 [元][藍][類] / 牡 -> 壮 [元][藍][類] / 牡 -> 壮 [元][藍][類]
#[鄣W],挽歌,作者:高橋虫麻呂歌集,芦屋,兵庫,うない娘子,伝説,妻争い,地名
#[訓異]
#[大意]葦屋の菟原娘子が八歳ぐらいでまだほんの子どもの時から、おかっぱ髪に対して髪をたくし上げるまで、並んでいる隣の家にも姿を見せないで、虚木綿のように家に隠れているので、見たいものだともどかしくする時の垣根のようにたくさんの人が妻問う時に、茅渟壮士と菟原壮士が伏屋の中で火を燃やすとすすが出るように勇み競争して、共に妻問いして言い寄った時は、焼刃のついた太刀の手柄を押しひねり、白木の真弓を持ち、矢を入れた靫を背負い持って、水にも入り火にも入ろうと立ち向かって競ってた時に、我が妹子が母に話すことには、しづたまきではないが賤しい自分であるのに、ますらをが争うのを見ると、たとえ生きていたとしても結婚してよいものだろうか、ししくしろ黄泉で待とうと隠り沼のように心中に思いを置いてうち嘆いて妹が去ってしまったので、茅渟壮士はその夜に夢に見て、続いて後を追って行ってしまったので、出遅れた菟原壮士は天を仰いで大声で叫び、地を踏んで歯ぎしりしていきり立って、競争相手に負けてはいられまいと身に掛けて佩く小太刀を取り佩いて、ところづらのように尋ねて行ったので、親戚同士が行って集まり、長い時代にまで記念にしようと、永遠に語り継ごうと娘子墓を中に作り置いて、壮士墓をあちらとこちらに造り置いたその縁起を聞いて、当時のことは知らないけれども、新しい喪のように声を上げて泣いたことである。
#{語釈]
八年子 八歳ぐらいの子ども
片生ひの時ゆ 片 不完全 まだ成熟していない子どもの時から
小放りに 元、紀「おはなれの」 細「おはなれに」 西「おはなちに」
代「をはなりとも読むべし」
「を」接頭語 「放り」おさげ髪 八歳から十歳ぐらいまでの女児の髪 おかっぱ髪
07/1244H01娘子らが放りの髪を由布の山雲なたなびき家のあたり見む
16/3822H01橘の寺の長屋に我が率寝し童女放髪は髪上げつらむか
髪たくまでに 髪をたくし上げる 上げて束ねる
02/0123H01たけばぬれたかねば長き妹が髪このころ見ぬに掻き入れつらむか
放り髪にたくし上げるという言い方は不可解
全釈、注釈 「おはなりの髪たく」と訓んで、放りの髪をたくし上げるという解釈
元、紀に「の」の訓がある。
「尓」は、「乃」に改めるべき。
放り髪にして髪をたくし上げるまで と解釈すると「に」でもよい。
並び居る 元、紀「ならへすゑ」 西「ならひゐて」 管見「ならびをる」
考「ならびゐて」
05/0794H05妹の命の 我れをばも いかにせよとか にほ鳥の ふたり並び居
07/1210H01我妹子に我が恋ひ行けば羨しくも並び居るかも妹と背の山
「ゐる」か「をる」か。 釋注「家にはをるが習い」
虚木綿の 「隠る」の枕詞。語義、かかり方未詳
隠りて居れば 元「かたくてませば」 紀「そらにて」 西「かくれて」
考「こもりてをれば」
原文「牢而」 09/1763 夜牢尓 夜隠りに
古義「こもりてませば」 注釈 「座在」は筆記者が敬意を表したもの
全註釈「こもりてをれば」 「在」の字義によって訓む。
見てしかと 「てしか」は願望 見たいものだと
いぶせむ時の うっとうしくていらいらする もどかしい様子
垣ほなす 垣根のように 多くの人が垣を作るように
09/1793H01垣ほなす人の横言繁みかも逢はぬ日数多く月の経ぬらむ
茅渟壮士 堺、岸和田の海 隣国摂津の男
06/0999H01茅渟廻より雨ぞ降り来る四極の海人綱手干したり濡れもあへむかも
菟原壮士 同郷の男
伏屋焚き 「すすし」の枕詞。伏屋は、竪穴式住居で側壁のない家。ここで火をたくとすすがたまることからの枕詞か。
注釈 伏せ屋でという意味でいったか疑問である
すすし競ひ 「すすし」未詳
略解「気の進むをすずろぐといふに同じく、進み競ふ也」
新考「スススという語あるを聞かず。須酒師の師は味などの誤にあらざるか」
全註釈「ススが単語で、それを重ねたものだろうか」
大系「ススの動詞の連用形スシを重ねてスシスシがつづまってススシとなったものだろう」
すさぶとかすすむと同系の語か
釋注「進むと同根で血気にはやる意か」
相よばひ お互いに求婚し
焼太刀の 焼き入れをした太刀 鉄剣のことを言うか
04/0641H01絶ゆと言はばわびしみせむと焼大刀のへつかふことは幸くや我が君
手かみ押しねり 原字「手頴」 和名抄 頴(えい) 餘頃(よけい)反 訓加尾」 カビ(稲の穂先)をカミに通用する。
「手かみ」 剣の束 押しねり 押しひねり
白真弓 白木の真弓
しつたまき 和製の粗末な腕飾り 「賤しき」にかかる枕詞
生けりとも 逢ふべくあれや たとえ生きていたとしても結婚してよいものだろうか
ししくしろ 管見「鹿の肉を串刺しにして、焼たるもの也。呂は助詞なり。味のよきによりて、よみとはつづけたり」
冠辞考「繁釧(しじくしろ)の事(たくさんの腕輪)なるべし」
黄泉に待たむと 黄泉の国で好きな人を待つという意
隠り沼の 「下」に続く枕詞
11/2441H01隠り沼の下ゆ恋ふればすべをなみ妹が名告りつ忌むべきものを
11/2719H01隠り沼の下に恋ふれば飽き足らず人に語りつ忌むべきものを
12/3021H01隠り沼の下ゆは恋ひむいちしろく人の知るべく嘆きせめやも
12/3023H01隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
17/3935H01隠り沼の下ゆ恋ひあまり白波のいちしろく出でぬ人の知るべく
下延へ置きて 09/1792なかなかに 言を下延へ 言葉に出さず心中に思っていること
その夜夢に見 菟原娘子の本心は茅渟壮士の方にあったか。
菟原壮士い 「い」は、強調の意
03/0237H01いなと言へど語れ語れと宣らせこそ志斐いは申せ強ひ語りと詔る
叫びおらび 東大寺諷誦文稿「号叫 オラビサケビ」
大声で叫ぶこと
きかみたけびて 新撰字鏡「咆勃 勇猛貌去和奈之(わなし)又支可牟(きかむ)」
略解「きばは牙歯にて、牙はきとのみも言へり」
注釈 牙噛む(きかむ)であり、歯ぎしりすること。
悔しさに歯ぎしりをして、たけだけしくいきり立つ
もころ男に 02/0196玉藻のもころ 同様な 同じ
山田孝男 新撰字鏡「聟 毛古又加太支」 「聟 □許反雙之貌乎不止又加太支」
雙之貌 相並び立つ意。 仇(かたき)は、本来は嫡妻の意味がある。
もこ=かたき -> もこ -> むこ
-> かたき(怨仇)
競争相手 匹敵する男
懸け佩きの 考「帯取足緒などいふ物をもて取著る故かく云也」
略解 「かき」は接頭語。
肩に掛けて着用したから言うか。 下二段活用
小太刀取り佩き 黄泉でも茅渟壮士と競おうと思ったから
ところづら 「尋め」の枕詞。野老(ところ)の蔓をたぐっていって実を探すことからくるか。
尋め行きければ 元「たつねきければ」西「つきゆきければ」管見「たづねゆければ」
略解「とめゆきければ」
19/4146H01夜ぐたちに寝覚めて居れば川瀬尋め心もしのに鳴く千鳥かも
親族どち 西「やからども」
代匠記「親族は日本紀の点に依らばうからと読むべし」
03/0460H01よしと聞かして 問ひ放くる 親族兄弟 うがら
日本紀私紀「族也 宇加良」
和名抄「百族毛々夜加良」
「うがら」が後に「やから」となった。
08/1591H01黄葉の過ぎまく惜しみ思ふどち(共)遊ぶ今夜は明けずもあらぬか
原文「共」を「どち」と訓む。
#[説明]
#[関連論文]


#[番号]09/1810
#[題詞](見菟原處女墓歌一首[并短歌])反歌
#[原文]葦屋之 宇奈比處女之 奥槨乎 徃来跡見者 哭耳之所泣
#[訓読]芦屋の菟原娘子の奥城を行き来と見れば哭のみし泣かゆ
#[仮名],あしのやの,うなひをとめの,おくつきを,ゆきくとみれば,ねのみしなかゆ
#[左注](右五首高橋連蟲麻呂之歌集中出)
#[校異]歌 [西] 謌 [西(訂正)] 歌
#[鄣W],挽歌,作者:高橋虫麻呂歌集,芦屋,兵庫,うない娘子,伝説,妻争い,地名
#[訓異]
#[大意]芦屋の菟原娘子の奥津城を行きも帰りも見ると大声を上げてばかり泣かれることである。
#{語釈]
#[説明]
#[関連論文]