大阪・なんばのナンパ橋の上で、テレビチャンピオンで有名なミズキさんに書いてもらったもの。とっても貴重な一枚になりました!

 


石川大輔&石川ミカ…ほんの一部分を自己紹介
【バリアフリー推進コンサルタント】
                               


Daisuke Ishikawa
1968年山口市生まれ。両親のもとに、姉に続く第二子として誕生。
生後間もなく、筋ジストロフィー症と診断を受ける。
3カ月のとき、姉が他界し、その後一人っ子として育つ。
山口市の地元の小学校を卒業し、中学校へ入学。
この頃から、階段の昇降や床からの立ち上がりが困難になる。
14歳、中学2年のとき父が他界。身体の状況と、母にかかる経済的な負担を考えて、国立療養所への入所を決意。
中学2年の3月に広島県廿日市市にある国立療養所原病院へ入院。同時に併設の原養護学校中学部へ転校。
筋ジストロフィー症専門の病院に入って、はじめてこの病気について詳しく理解し始める。
それまで同じ病気の患者を見たこともないし、障害者すら見たことがなかった。
入所後は、管理される生活と、地域から疎外された暮らしに矛盾を感じ反抗と議論を繰り返す。
養護学校高等部卒業後、四国学院大学社会福祉学科へ進学。
在学中、交通事故に遭い頚椎4−5番を脱臼骨折。二度に渡る手術を受け、4カ月の入院。奇跡的に後遺症は残らず。
大学卒業後、帰郷し、生活協同組合へ就職。
1999年3月、自宅で転倒し、腰椎5−6番を圧迫骨折。3カ月入院、45日間は寝たきりの生活を強いられる。
2000年2月、8年間勤めた生活協同組合を退職。
2000年4月、山口県立大学大学院健康福祉学研究科(修士課程)入学。
2000年8月、結婚。 
2002年3月、修士課程修了。
現在、バリアフリー推進コンサルタント福祉住環境コーディネーターとして、フリーランスに活動中。
山口コ・メディカル学院(リハビリテーション専門学校)非常勤講師。
山口県地域リハビリテーション構想推進協議会委員。

★任期満了
山口市交通まちづくり調査研究会委員。(2003年度任期満了)



                                                                     

Mika Ishikawa

1969年山口市生まれ。
生まれたときは股関節脱臼で入院したものの、その後は大きな病気をすることもなく、健康に育ち、
中学までは地元の学校に通う。
高校は私立高校で、家庭が経済的に苦しかったため、将来のことも考えて入学と同時にアルバイトをはじめる。
学校がある日は放課後、休みの日は一日中、とにかくアルバイト一色の高校生活だった。
卒業後、山口芸術短期大学へ進学。入学金や授業料は、高校時代にアルバイトで貯めたお金を当てた。
短大時代も高校時代同様にアルバイトに明け暮れ、そのお金で授業料や自動車学校の費用を捻出。
短大卒業後、損害保険会社へ入社。OLとして勤務。
1995年8月、通勤途中に駅の階段から転落し、頚髄損傷を負う。
受傷直後は手足が完全に麻痺していたが、その後リハビリを重ねて、
手については日常生活にあまり支障がない程度まで回復。
足は麻痺が残り、車いすを使っている。 その後も、神経系を受傷した後遺症のためか、
免疫力の低下などにより様々な合併症を発症。
敗血症麻痺性イレウス腹膜炎、卵巣のう腫捻転、低カリウム血症…など、3年半に渡り手術や入退院を繰り返す。
事故に遭うまでは、障害者を見たこともなければ、車いすのことさえ、よく理解していなかった。
1998年4月、聖カタリナ女子大学(愛媛県北条市)社会福祉学科へ編入学。
はじめての一人暮らしが障害を持ってからの挑戦であった。 しかし、体調不良などが重なり、
地元山口へ帰ることを決意し中退。
1999年4月、山口県立大学社会福祉学部へ編入学。山口市内にアパートをかりて一人暮らし。
2000年8月、結婚。 
2002年3月、卒業。
現在、バリアフリー推進コンサルタント福祉住環境コーディネーターとして、フリーランスに活動中。

山口コ・メディカル学院(リハビリテーション専門学校)非常勤講師。
第21回国民文化祭実行委員会企画委員(2006年・山口県にて開催)。

バリアフリーゆかたプロジェクト発起人。

★任期満了
山口県民活動審議会
委員(2003年度任期満了)
山口市地域福祉計画策定委員(2003年度任期満了)