平成20年6月14日 公開
平成20年11月14日 更新


●「萩焼の味」

 
年の暮もせまってきた。
机の中の整理をしていると、かつて徳山のロータリーで話をした原稿がでてきた。
 
 私はただいまから与えられた時間で私の趣味生活の一端を述べさせていただこうと存じます。
 私は絵画、彫刻、工芸品に趣味を持ち、その中でも工芸品、又その中でもとりわけ陶磁器に対して非常な興味を感じています。
私は私の生まれた家が窯元であった関係か、私を成長させてくれた環境が陶磁器の製造元であった為か、とにかく趣味を持って現在に及んでいます。私の先代まで、土に生まれて土に帰ったような生活でした。ロクロ≠フ生活でした。

 [私の付記]
この「萩焼獅子」は、代々伝わってきたものの一つです。父の没後は、長兄が受けついでいます。
 父は、この「獅子」は、四肢が締まっていてかつ、迫力がある。脚を細くしようとすると、迫力に欠けるので、相当の技量のある陶工の手になるものと思うと言っていました。


 あの粘土から造られるつちやき(陶器)♀竦ホを砕いたものを主な材料とするいしやき(磁器)≠フいずれであっても陶磁器はともに激しい火熱の洗礼を受けて生まれてきます。土から形がつくられて釉がかけられ焼きあげられる原理はどんな名器であろうと日常雑器であろうと変わりません。私はその陶器のうちをなおせまく求めて話をすすめたらと思います。

 お国焼の「萩焼」にまいります。萩焼は陶器のうちでも私が愛している焼きです。
 一楽二萩三唐津といって茶人の間ではずいぶん賞美されています。萩焼の祖は初め毛利藩の御用窯であって、藩公に召し抱えられて扶持をいただいていました。細工場を、家屋敷を、又焚料をいただき生活の保障が充分に与えられていました。萩焼が大道産の土を以て胎土といたしましたのは近世のことでありまして、記録によりますと元文二年頃とのことであります。今から二二〇年ぐらい前からであります。それ以来この土を御用土としました。そしてこの土地一円を御免所となし採取、土とりに際しましては、幔幕をめぐらし警護の武士が立ってこれを警備したといわれています。
 陶工は藩の命によって焼物を制作し、制作に際してはあたかも武士の戦場に臨むが如く藩主の命に服して仕事をしたのであります。現在では想像できない、ある意味の厳粛さがあったと考えられます。そこで御用窯の陶工達は御下命を承ると、斎戒沐浴して仕事にとりかかった。それは当時の刀鍛冶がこれを行ったと同様であります。そして土を練りロクロを挽き窯を焚いたものです。
 窯から出た作品は陶工の自作であっても私品ではなく、すべて藩公の所有に属します。したがって、焼き上がった器物は毛利家の御紋章入りの長持ちに納められ、警護の武士が道中を付き添うて城中に運びこまれたものです。古萩の茶碗は三百年を経ています。又、萩焼の茶碗は二百年を経ています。
 しかし、それらの古い茶碗を今日見るとき、その器の制作された作業の厳粛さに頭が下がります。萩焼の茶碗にこうした気合いを感ずることはこのような態度が作者にあったからです。作られて陶工の意に満たざりしもの、藩公の御意に叶わざりしものが数多く砕かれて窯の附近には破片となって埋没されています。私達はこの破片の捨て場を「物原」といっています。この破片をもとにして胎土の味、くすりのあじを調べ萩焼を味わっています。
 その母体は朝鮮のものでありましたが、萩焼には日本武士の士気、厳粛な精神がこもっていると申されましょう。
 萩焼の母体の朝鮮李朝初期の茶碗について力説しなければならないことはロクロの味であります。
このロクロの味こそ李朝初期の独自性であり、最大の面白味であり、力であります。焼き上がった器にもロクロで引き上げた時のナマのままの力がそのままあらわれ奇観を呈しています。
 「楽」は立派な茶碗であり、茶を啜るには最もふさわしい茶碗であります。なごやかにして安らかさを持っています。
 ただ、おしむらくはロクロで作った朝鮮茶碗の如き無限の力がないことでしょう。
 「萩焼」はこの中間の立場に生まれていると考えます。
 私はいままで萩焼の史的考察という面にはふれず、美術品としての力の現れにふれたと考えます。
 このように申しますと、よく人々は萩焼はどこがいいのか≠ニ質問されます。先だって次のような禅問答のような話を聞かされたことがあります。
   どういう茶碗がいいんですか
   わるくないのがいいんですよ
   だから、よいものはわるくないんだよ
 これにもなかなか意味深いものがあります。
 私は萩焼のよさは、用いる人の心をそのままうつすことだと思います。萩の七化けと申していますが、同じような茶碗も愛し方によって、持つ人によって大きく変わるということです。いい茶碗は、すぐれた陶技、陶工の技術と人柄が一つになってつくり出された茶碗が窯から出されたいいものに、素直な人が道にかなった使い方をした茶碗が後世残されたものだと思います。
 私が平素最もいとおしんでいます茶碗に割高台の優秀作品があります。
三趣三感を具備した実にいいものです。三趣といえばご承知のように、品、侘、寂の三味三感とは量、力、浄の三態であります。量感は深さ、広さ、高さの感で、それに力感、感清浄感のそなわったもの、割高台の姿も堂々とし、釉調すなわちうわぐすりの味が井戸に満ちています。非常におちつき品位のあるものです。
 萩焼で最も嫌われていることは、「つけ時代」でしょう。新しい萩焼を古く見せるために茶の中につけるとか、又茶あかをつけるとかしている方をいまだに見受けますが、本当に萩焼についての邪道この上なしといっても過言ではありますまい。時代は時代によってできます。あの湯さましまで茶の洗礼を再度受けたと見せて古みせがされています。
 窯から出されて、一度もつかわれずそのまま時代を持ったものを「くらさび」といっていますが、これまたいいもので、これこそ時代がもたらす美しさを味わうことができます。
 最後に、ある陶匠から話された余韻のある茶碗ということについてふれておきましょう。 この話と申しますのは、陶工がロクロを蹴り一生懸命にロクロを挽き茶碗を作っていると、その側にいつ入って来たものか、師匠格の陶工がロクロを一心不乱で引いている陶工に「おい」と声をかける。陶工は手を離す。
その時作り出された茶碗は、いきつくところまでいかず、余韻を残した茶碗ができあがるといいます。声のかけどころ、側に入ってきたことも知らないで一心に挽く陶工、私達の生活にも全生命を打ち込む中に余韻のある深さがほしいものです。
 萩焼をある角度から眺めて語ってみました。ただいま私の机の上には作る人の手の感触ばかりか体温までしみこんでいるようあな感じのする茶碗が載っています。庭のつくばいに、どこからとんできたものか、桜の花びらがひとひら散り込み風情を添えているといった情景を連想してみていただけたらと思います。
 
 
                    〈河野 英男=『陶片の楽書』より〉