古代文学への誘い                          backindexnext

 

祭り

 

  人々が集団で暮らすためには、それを束ねる人が必要になります。しかしその人も所詮は人間ですから、他の人々と平等であり、周りの不平や不満が出てきます。人々が不満を持たないように統率していくには、あなたならどうしますか???

  第一に考えられることは、絶対的な権力を持つことです。しかし権力というものも人々が認めてこそ存在します。しかし権力の一番簡単な入手法は、神という超人間的な絶対的な権威を作り出すことです。もちろんこれは誰かが意識的に出来るというものではありません。また人間は神には成り得ません。しかし遠く昔の人たちは、自然の営みや自然物そのものに超人間性を見出し、畏怖し、崇拝するという気持ちを持っていました。自然の中で生き抜いていく心理的な知恵でしょう。そして神に祈ることによって食べ物の豊かさを保証してもらう。と一方で自然災害に神の怒りを感じ、崇拝し鎮めることで身を守ろうとしていました。

  しかし、その超人間的な神とは、いつでもどこでも誰でも会えるというわけではありません。ちょうどそれは「となりのトトロ」のように身近にはいるのだけれども、普段は会えない存在です。そしてたとえ出会った所で、気楽に話せる存在ではありません。そこで神と交流出来る人の存在が必要になります。その交流出来る人こそ集団を統括出来る権力者となり得るのです。

  「王」と呼ばれる統括者は、神の声が聞こえなければなりません。従ってアフリカの例では、この神の声が聞こえなくなった王は殺され、別の人物に交代するということがあったようですし、お隣の中国では禅譲と呼ばれるように天命が聞こえなくなったとされて皇帝が代わりました。

  それでは、神の声を聞くにはどうすればいいかわかりますか。だんだん宗教がかった説明になってきましたが、神が登場する特別な場所と時間を設ければ聞こえます。「祭り」です。ただし誰でも聞こえるわけではありません。巫女と呼ばれる特別に聞こえる女性だけにしかわかりません。そしてその巫女に神が乗り移ります。そして神の声を巫女が口走ります。しかしそれでも人間にはわかりません。審神者(さにわ)と呼ばれる翻訳係が人間の言葉に代えて伝えます。伝える相手は「王」です。

  というように、たいがいは深夜である特定の時間に、神が降臨する特別な空間(斎庭(ゆには))を設け、降臨する神が憑依する物を置き(榊など)、巫女が神の声を口走るという形で神の声を聞くという行為がなされてきました。これは現代の神社の「祭り」でも同じです。もちろんその光景を誰でも見られるというわけではありません。まったくの秘儀であり、秘密の儀礼です。

  しかし、神の声を伝えられた集団の人々は、神に感謝し、自分たちの食べ物を神に捧げるということも行いました。「直会(なおらい))」です。そして神に捧げた供物をみんなで分けて、神を慰撫するという行為を行いました。これが「饗宴」です。この神降臨の秘儀、直会、饗宴ということを「祭り」と呼んでいます。そして神の言葉を「祝詞(のりと)」、神に申し上げる言葉を「寿詞(よごと)」と言うようになりました。

  この「祭り」が実は文学の発生と密接に関わっていると考えられています。「饗宴」を場とした様々な「言葉」です。饗宴というのは、お客さんをもてなす宴という意味で、今でも用いられる言葉ですが、お客さんである神をもてなす場でした。そしてそのもてなし方は、まず酒、神に供えた様々な食べ物。どうやら神々は酒好きであり、雑食性で好き嫌いがないようです。そして歌と踊り(正確には舞い)で楽しませるということを行ったようです。私は酒宴の三要素と呼んでいるのですが、酒、歌、踊りは今でも行っていますね。酒を飲み、歌を歌い(つまりはカラオケ)、踊る(最近はあまり行われなくなりましたが、ディスコやチークダンス)ということ。テレビで見ると世界中の人々は祭りで楽しそうに踊っている。これらは、我々も楽しくなれば、神も楽しむという考えで行われたもの(共感呪術)です。

  問題なのは、この中の歌です。歌は、メロディがあり、言葉がある。そしてそれは日常の言葉ではなく、晴れの特別の言葉です。現代でもそうですが、日常語というのはその場限りのもの、特別の言葉というのは何度も繰り返される言葉だとすると、歌詞というのは、何度も繰り返される言葉ですね。そして普段突然使う物でもない。廊下で急に大声で歌い出したら、病院に連れて行かれます。やはりカラオケなどみんなが歌うぞという所で歌って普通です。

  酒を飲み、ごちそうを食べながら、楽器で演奏して歌を歌い、舞を舞う。そして神々を楽しませる。今でも世界中の祭りで行われていることが、饗宴で行われていたと考えてよいでしょう。楽器の演奏や舞は後に芸能として発達して行きます。そして歌の言葉は、文学と見なされて、文字化された後も伝わって行きます。ここに文学の発生を認めることが出来るでしょう。例えば、古事記の歌謡に

 

この御酒(みき)は ()が御酒ならず (くし)(かみ) 常世(とこよ)(いま)す 石立(いはた)たす 少名(すくな)御神(みかみ)の 神寿(かむほ)き 寿()(くる)ほし 豊寿(とよほ)き 寿()(もとほ)し (まつ)()御酒(みき)ぞ ()さず()せ ささ (記歌謡  39

とうたひたまひき。如此(かく)歌ひて大御酒を献りたまひき。爾に建内宿祢命、御子

(ため)に答へて歌曰(うた)ひけらく、

  この御酒(みき)を ()みけむ人は その(つづみ) (うす)に立てて 歌ひつつ ()みけれかも 舞ひつつ 醸みけれかも この御酒の 御酒の あやにうた楽し ささ  (記歌謡  40

とうたひき。此は酒楽(さかくら)の歌なり。

 

おそらく、実際にこれが歌われていた頃は、このお酒はそんじょそこらの酒でない。あの酒の神である少彦名の御神がお祝い事を唱えられながらお作りになっためでたい酒なのだぞ。だから粗末にしないで一滴残らず飲み干して。という意味の酒を勧める歌。それに対して、なるほどこのお酒をお作りになった人は、鼓を臼のようにして、歌いながら舞いながら作ったのか。だからこのお酒は飲むとうんと楽しい気持ちになる。もう良い気持ちになった。十分楽しんだ。というやんわり断る歌と理解されます。  宴席の場で、人々が楽しく酒を飲み、歌を歌っている様子をありありと思い浮かべることが出来ます。

  このように、祭りの場で歌われていた歌詞が後に歌(和歌)となって発達していったと考えられます。

  また、厳粛な祝詞も広義の文学かも知れません。本来神のお言葉であった祝詞は、人間が唱えることが多かったために、人間が神に申し上げる言葉としての意味に変化してきました。平安時代の延喜式という書物に残されているのが、現在伝わっている主なものです。現在の神主さんは祭りの時にそれをひな形として、その場に合わせて作っています。

 


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