古代文学への誘い                         backindexnext

 


2  文学の起源

  日本のはるか昔を思い浮かべてください。日本列島と呼べる所に南から北から民族移動してきた我々の祖先が住み着いた頃です。もちろんその頃のことはほとんどわかりません。考古学の分野で遺跡の発掘調査によって知ろうという努力はされていますが、旧石器時代だの縄文時代だのという昔に人々が何を語って、どういったことを楽しみとしていたかということまではかいもくわかりません。

  しかし、何となく想像は出来ます。それは何を話していたかということです。もちろん旧石器時代の人がどんな言語を話していたかというようなことではなく、どんな言葉があり、どんな時に使われたかということです。

  何も我々の先祖に限ったことではないかも知れませんが、人類が一番最初にしゃべった言葉とは何だと思いますか。??

  つらつら想像するに、私は「腹へった」じゃないかなと思います。人間生きていくこと(生命維持)がいちばん大事なことであり、そのためには食べることがいちばん重要なことでしょう。もちろんそれは人間だけではなく、生物全体の問題でもありますが、人間がお互いに自分の思っていることを相手に伝えながら助け合うということが、うんと昔にすでにあったとするならば、やはり食べ物をくれということではないでしょうか。

  しかし、すぐに食べ物がないとすると、「食べ物のあるところに取りに行こう」が始まるでしょう。「あそこに木の実がある」、「暖かくなったらあの葉が食べられる」、「魚を捕ろう」、「猪を捕まえよう」などという意味の言葉が後に続いたのかも知れません。そのうち、食べ物を取りに行くのに入れ物を作って持っていこう、魚を捕るには網を作ろう。猪を殺す道具がいる。肉をとる刃物がいるという具合になってきて、やがて木の実のなる木を植えよう、とか食べられる実のなる植物を植えようという技術的な言葉が語られるようになったのではないでしょうか。

  それから・・・・

  飢えないためには、大勢の働き手がいる。そのためには子どもをいっぱい作ろうとか。子どもを作る営みは、種の保存ということでもどんな生物でも本能的に持っているものでしょう。それは五穀豊穣、子孫繁栄として今でも言われていますね。

  人間が他の動物と違う点は、今度はそれを神という絶対的な存在を考え、祈ることによって豊かな食べ物や子孫繁栄を願うようになったということです。食べ物をただ自然から採るだけではなく、神によってたくさん作ってもらうようにするという欲求です。青森県で発見された国内最大の縄文遺跡である三内丸山遺跡では神殿らしいものがあったと報告されています。

  また、そのうちたくさん食べ物がある村から奪おうというよろしくない考えも発達したことでしょう。戦争の起源です。もっとも縄文時代の遺跡からは武器らしいものは発見出来ず、縄文時代に戦争があったかどうかは謎とされています。しかし弥生時代の農耕社会に入ると、耕作地をめぐっての戦いや、戦いに負けた者を奴隷として酷使するという身分社会が出来てきたと言われています。そうすると、戦争に勝つということも生き残っていく重要な手段であり、戦勝祈願ということも起こってきたでしょう。

  ただ、動物でもそうですが、男女が誰でもよくって子作りに精を出したというようなものではなく、やはりお互いの相性の中での好き嫌い、もてるもてないはあったでしょう。そこで好きになった相手に自分の気持ちを伝えるという行為も早くから行われていたでしょうし、逆に片思いやふられたという感情も起こっていたと思います。ただし現在と違って、植物への豊穣という意味も兼ねた信仰的な性的行為もあったと想像されます。それらのことは文学の成立と密接にかかわっていますので、また後でお話ししていきます。

 


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