古代文学への誘い                            backindexnext

 


現在残されている文学作品

 

  文字で記録出来るようになったために、当時のものが現代に伝わることが出来ました。その中でも古事記や日本書紀のように国家事業として編纂されたものや、懐風藻のように個人が編纂したもの。万葉集のように限りなく大伴家持が最終編纂者だと推定されていながら、誰が作ったかわからないものなどがあります。

  ただ、注意しておかなければならないのは、原本はどれ一つとして残っていないということです。いずれも後世の写本です。ですから当時の出来たてと今とは違っているものがあるかも知れません。

  個人が創作してそのまま記録されたものは、時代は異なりますが、近代文学作品などと基本的には同じに扱うことが出来ます。しかし古事記や日本書紀は、口誦伝承をまとめたものです。さらにやっかいなことには、伝承をそのまま記録したのではなくて、編纂時にまとめられたり改変されたりしています。そのために古事記や日本書紀の記述内容をとらえるにはかなり複雑な手続きが必要になります。

  本来各氏族などで伝承されていたものを原伝承と呼んでいます。この原伝承は誰かが作ったというものではなく、氏族共同体などで形成されてきた共同性の高いものです。従ってそれらの性格を考えるには、上にお話ししてきたような共同体的意識や意図をとらえなければなりません。まして神話伝承になると、現在でも祀られている神々の物語ですので、個人の創作した物語とはずいぶん性格は違います。これらの原伝承を誰かがまとめて、まとまったものが記紀に編纂されたと考えられています。原伝承をまとめた人を述作者と呼んで、編纂者とは区別して使います。

  そして、記紀歌謡と呼ばれている古事記や日本書紀に残されている歌謡もそのままで理解することは出来ません。上にも紹介してきましたが、当時の歌垣で歌われていたものを地の文の流れの中で当てはめられていたり、述作者による創作があったりします。

 

  八雲立つ出雲八重垣妻隠めに八重垣造るその八重垣を  (記歌謡  1

 

  八俣の大蛇を退治した須佐の男命が守った櫛稲田姫と結婚する時の歌として、古事記の一番最初に出てくる歌です。盛んに雲が立ち上る勢い豊かな出雲。その出雲に幾重にも垣を張り巡らせた立派な家よ。妻と一緒に過ごすために立派な家を造る。その幾重もの垣はなあ。という意味であり、結婚する須佐の男命の喜びの歌のようにとらえることが出来ますが、少なくとも須佐の男の時代(なんてあったかしら)でないことは確かです。

  出雲地方で新婚の新しい家を造った時の祝い歌が、この部分に挿入されたとしか考えられません。それに短歌体になっていますので、この歌は比較的新しい時代に出来たものだということも伺わせます。

  このように古事記や日本書紀を理解していく上では一筋縄ではいかない所はありますが、日本の文学の起源を考えていく上で、重要な資料です。

  そして万葉時代。ここからは個人創作の文学であり、理解していく上で、記紀ほど複雑な手続きはいりません。ただ二六〇年間ある万葉時代の歌四五一六首は、様々な様相を見せており、それだけで文学史を作ることが出来るほどです。それに恋愛や死への悲しみ、美しい日本の四季や今となっては失われた自然を豊かに読み込んでおり、当時のことを考える以前に、我々の心にも迫ってくるすぐれた文学性を持っています。

  これもおいおい別の授業で触れることになるだろうと思います。

 


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