古代文学への誘い                             backindexnext

 


王朝の文学へ

 

  万葉集の歌は、奈良時代半ばで終わっています。中心になっていた大伴家持もなぜだか人生半ばで歌が見られません。万葉集の最後の歌が西暦759年正月の家持の歌、古今集が編纂されるのが西暦905年ですから1世紀以上も歌が途絶えたことになります。もっともその間には菅原道真の新撰万葉集が編纂されていたり、六歌仙と呼ばれる歌に秀でた6人の人たちがいたと伝わっていますから、宮廷を離れた世界で細々と歌の伝統は続いていたのでしょう。しかし万葉時代、宮廷であれほど華々しく歌われていた歌が、宮廷世界では一世紀近くもなかったことになります。

  その反面、文華秀麗集や経国集といった漢詩文集が相次いで編纂されていますので、奈良時代終わりから平安時代の初めにかけては、和文はあまり行われずに漢詩文中心の文学であったということになります。

  ただ、それまでの記紀の伝承や、万葉集の歌といったジャンルに加えて、歌に物語が付けられていった歌物語集、伊勢物語や大和物語というのがその代表的なものですが、や竹取物語といった物語類が登場してきます。それが後に源氏物語へと結集していく原動力ともなっています。このような形で、貴族を中心として、和歌、漢詩、物語と様々な展開を見せながら、後世の文学へとつながっているのです。