・・・零奈、バイトを始める。至極簡単・・・




 それでこいつは数日をアパートで過ごした。全くといっていいほど部屋を出ていないのだ。
少なくともこいつはそう言っている。俺が学校に言っている間、こいつはそれなりに『こちら側』の常識を身に着けてきたようである。どうやってかというとTVを見てである。
 こいつはバラエティーとか恋愛ドラマとかにはあまり興味がないようだったが、ニュース番組だけは画面に穴があくんじゃないかってくらい、しっかり見ていた。まぁこいつの性格からいってもそれは分かるような気がしないでもない。 それにしてもずっと部屋にいて苦痛ではないのだろうか。俺がそう聞くと、苦痛ではない。私にとってはこんな生活はとても新鮮で何も文句はない、らしい。しかし、こいつはかわりにこんな事を言い出した。

 「私、バイトしてみたい」
 さて、このアルバイト、どこから持ってきた知識でしょうか?ずばり、こいつが唯一熱心に見ていた、少女が旅館でバイトをしながら、夢をかなえるという内容のNHKの朝ドラであった。そこでひどく『アルバイト』に興味を持ったらしい。
 「おまえ、アルバイトは金がない奴が稼ぐためにやるんだぞ?おまえのそのブラックカードがある限り、やるだけ
無意味じゃないか? 」
 そういうと零奈は黙り込んでしまった。こいつ、柄にもなく落ち込んでるのか? そんなにアルバイトしたかったのか……?零奈は「わかった」と一言だけ呟くと、押入れの方に向かった。
 はて、ふて寝でもするのか、と思っていたら隠していた500万円をとりだし、ライターで火をつけた。
 「!? 」
 
 もともと俺の金ではないとはいえ、目の前で札束が燃えているのは見てられない。昔、歴史の教科書でお札を燃やして灯りをともす成金の風刺画を見たことがある。それが今現実に行われているのだ。しかも1枚2枚じゃない。
 呆気に取られている俺を尻目に、零奈はGパンから取り出したブラックカードを半分に割ってしまった。
 パキッという乾いた音が部屋の中に響いた。カードは元々2枚だったんじゃないかというくらいキレイに割れていた。
 「これで、いいだろ?」と零奈は言った。
 良いどころか、これでこいつは嫌でもアルバイトしないといけなくなった。
 俺1人のバイト代では2人は生活できない。

 翌日、学校の帰りに履歴書と求人情報誌を持って帰った。とりあえず零奈に自分で選んでもらおうと思い、雑誌を渡して読ませた。俺は一緒に買って帰ったビッグコミックを手にとって、畳の上でゴルゴ13を読んでいた。
 零奈は熱心にその情報誌を見ている。
 「ローソンローソン、セブンイレブン……フード系?」
 試行錯誤が続いているらしい。机にひじをつけて、ピクリとも動かない。
 「フード系、フード系……ナイト? コンパニオン?」
 段々よくわからない方向へ進んでいる。零奈、たぶん夜の仕事は16歳じゃ雇ってもらえんぞ。

 そうして30分くらいが経過した。突然零奈が
 「決めた! 私コレにしたぞ! 」と大声で言った。ちょっと興奮気味である。
 どれどれ……と見ていると、なんてことはない、セブンイレブンのアルバイトであった。まぁオーソドックスといえばそうだが、悪くはない。気になったので、なんでこれを選んだのか聞いてみた。すると
 「ん?名前がかっこいいから」
 だってよ……

 ただ、今になって重大なことに気づいた。
 こいつの履歴書は一体どう書けばいいんだ?
 名前はいい。こいつには無時零奈という名前がある。生まれた年も分かる。
 問題はこいつの住所や学歴である。
 「それについては至極簡単だ。住所はこのアパートを書けばいい。私とあなたは同棲してるってことだ。学歴は、ここいらじゃない別の学校をちょいと調べて偽の物を書く。本当に在学してたのかとかは、そういうことまで私のことを調べ上げたりしないんじゃないか?ばれたらばれたで、適当な理由などいくらでも思いつく」
 
 そうか。言われてみればそうだ。正社員として働くなら、偽の学歴など書けたモンではない(零奈なら書くだろうが)しかしアルバイトである。よっぽど怪しい身なり、行動でない限り(街のチャラチャラした奴らに比べると、零奈はずっと真面目で大人びている印象がある)学歴まで調べたりはないのかもしれない。たぶん、だ。
 こうして履歴書は、限りなく本当のような偽者になった。
 これを見て疑う人などいそうもない。字は至ってシンプルで、無駄というものが見えない。
 証明写真もとてもよく映っている。書き方も問題なく、すんなり収まっている。
 偽者のくせに、いや偽者だからこそ、その履歴書は他の誰が書いたものより立派に見えた。(実際俺が他人の履歴書を見た事はないが、少なくとも俺の真の履歴書より出来が良い)これなら堂々と面接にもっていけるんではないか?
「もちろんそのつもりだ。私はこういうことには慣れているんだ」
 それから4日後、零奈は生まれて初めての面接に行くことになった。

 学校から帰ると、零奈はもう面接を終えて部屋に戻っていた。
 「私近いうちにバイトはじめる」
 それだけ言うと、カレンダーに印を付け出した。どうやら勤務の日をメモしているらしい。
 それを終えると「今日の夕食、私が作る」と台所に向かった。なんだかおかしい。普段よりグッと言葉が少ない。面接で何か嫌な事でもあったのだろうか?
 零奈は一通り食事を作ると、俺を呼んだ。机についてぎょっとした。なんだこの豪華な料理は?
 ステーキに、よくわからない鳥肉に、フレッシュなトマトとレタスのサラダ。ちょっと高そうなフランスパンに、コーンスープ。
蒸した魚に、ソースがかけられている。おまけに、デザート。これがまたすごいパフェである。コーンフレークの土台の上にヨーグルト、またコーンフレーク、バニラアイス、リンゴ、オレンジ、バナナ、そしてチョコレートソース。
 「なんのお祝い?これ? 」
と聞くと、零奈は、そう、出会ってから初めてこちらに自然な笑顔を向けた。
 こいつは今まで笑うといっても、どこか皮肉のような、見てるこっちが申し訳ないような笑いしか浮かべなかった。
 そんな彼女が、今すごく自然に笑っている。不思議な感じだ。
 「決まってるだろう。バイトが決まったお祝いだ。食材は高かった。でもその分稼ぐから心配するな」
 なるほど、こいつはバイトが決まったことがとても嬉しかったのだ。
 よく見ると台所に新品の料理本が置いてあった。
 今日初めて作ったわりには出来が良い。全部食べきれるかなんて心配は、そもそもするだけ無意味だったようだ。
「皿は俺が洗っとくから、零奈は休んどいていーぞ」
 零奈はうなずくと、風呂の方へ向かった。

 ──今思えばこの生活も悪くない。最初はとんでもない、出来るはずないと思っていたが慣れてみるとそうでもないもんだ。
平凡な学生と女暗殺者、まるで映画みたいだな……そう考えながら皿洗いをしていると、零奈の歌声が聞こえてきた。
 俺のCDを聴いて覚えたのだろう。ポール・マッカートニーの「No More Lonely Nights」だった。
 一人ぼっちの夜はもうたくさん、か……

 零奈がバイトを始めて数日たって、ある噂が俺の耳に入った。大学の男友達からの情報だ。
 「おい亮太、商店街近くのセブンレイブンによ。すっげー可愛い店員がいるんだってよ。帰りに見に行こうぜ!」
もうおわかりだろうが、零奈のことである。俺は別に行きたくなかったが、今日は零奈が休みだったのを知っていたので快くOKした。

 帰り道そいつは熱心に話していた。
 「なんでも、歳は16,17ってところでよ、黒髪で、どうかしたらアイドルになれるくらい可愛いらしいぜ」
 ふんふんと適当に受け流しつつ歩いていると、そのセブンイレブンに着いた。
 ガーッとドアが開く。いらっしゃいませー。
 「あれ?今日はいねーのかな? 」
 レジには、メガネをかけた中年男性が1人たっているだけであった。
 「ほら、今日は休みなんじゃねーの?なんか買って帰ろうぜ! 」
 友達はガッカリした声で「そうだな。じゃ俺はパン選んでくるわ」と、とぼとぼパン売り場へ向かった。
 「いらっしゃいませー! 」
 パンの整理をしていた店員がいたらしい。というか、あれは零奈の声だ。え? あいつ今日は休みじゃなかったの?
 「リョータ!おいリョータ! 」友達が、ちょっと慌てつつ俺の所へ寄ってきた。
 「いたぞ、おい。お前も見てこいよ」
 まるでこいつ、ジャングルに入って思いがけなく財宝を発見したオラウータン研究家のようだ。
 「いや、別にいい」と俺は言った。
 「なんだよ照れちゃってよ……あ、店員さーん」
 ヤベッこいつわざと呼びやがった。俺は早足でトイレに逃げた。
 
 それからタイミングを見計らって、なんとか零奈に見つからずに外に出た。
 「なんだよお前は! 見ても別に死んじゃうわけじゃねーだろうに。ま、それは置いといて」
 友達は見えない箱を横に移すしぐさをした。
 「俺さ、大胆にもメールアドレス聞いちゃったんだよ。そしたらなんて彼女、言ったと思う?」
 「知らん。想像もつかん」
 「んー、だろうな。それがよ『私ケータイ持ってないから教えられません』だってよ。今時携帯持ってない女なんているか?きっと苦労してんだよあの子。絶対性格いいに違いない! 」
 
 なんでこの男は想像でそこまで話が出来るのだろうか……
 「わかんねぇよ? 携帯持ってない性格ブスだって、この世の中ごまんといるだろう?」
と俺が言うと、こいつは俺の頭を殴った。イテェ。
 「ばぁかーやーろう。あの子にかぎってそんなことあるもんか。お前はひねくれてんなー。だから女に持てないんだよ」

 知   る   か  。もてないのはお前も高校時代から一緒だろうがよ。
 まぁ、そんなこんなでアパートへ帰れたわけだけど、零奈はまだバイト中だ。俺は確認のためにカレンダーを見たら休みが変更になっていた。こいつは予想外だったぜ。もうなるべくあのコンビニには近寄らないようにしよう。

 8時過ぎて零奈が帰ってきた。
 「食事はもうすんだか?腹へってたら、こいつを食うといい」
 ドサッとテーブルに置かれたコンビニ袋には色々なパンが入っていた。
 「ああ、もう食ったんだ、こいつは明日の朝に食べよう」
 「でも消費期限今日までだぞ? 」
 ……大丈夫、腹こわしゃしねーって!