雨のシトシト降る午後。春とはいえ、今日はすごく肌寒かった。俺は珍しく1人で買い物に出かけたんだが、財布を忘れたのに気づいて、シブシブ店を出た。やれやれ、レジに行く前に気づいてよかったよ。
でもうんざりする午後だ。実は零奈は少し風邪気味なのだ。本当なら早く帰って薬をあげるべきなのだが、財布が無かったとはなさけない。そんなことを考えながら、帰り道のちょうど半分まできたところ──向こうから黒いロングコートを着た男が来た。なんだ、こんな雨なのに傘もささずに──いや、それにしても背が低いなぁ。その男はすれちがい様に俺にこう言った。
「西塔良太君だね?」
げっ何故俺のことを知っている? そう思って男の方を振り向いて、俺はギョッとした。
男の手には艶やかに光る拳銃が握られていた。
「君の友達の無時零奈君は、今どこに居るかな? なに、教えてくれればなんてことはしないよ。さあ、案内してくれ」
なんだよ、教えてくれなきゃ武力行使ってか? そういう手には一番腹が立つんだよ。
──俺が案内するのを渋っていると、男はさらにこう言った。
「OKOK、その歳で死にたいとは、君は自殺願望でもあるようだな。安心しろ──俺は狙った的は外さないからな」
銃口が上を向く──俺の額を狙っているんだ。うう、やばい。
「お前何者だよ?」ほとんど無意識に俺はこう尋ねた。
「それを知ってどうする? 知ったところで君にはなんの利益はないと思うがね?」
確かにこれでは無意味な時間稼ぎだ。零奈にこいつの事を知らさなければ……よし。
「そんなに知りたいんなら、着いてきな」俺はそう言った。
「ありがたい、私としてもこんな仕事はさっさと終わらせたいものでね」
俺は後ろに男を引き連れ、帰り道を歩いた。まずいな、うまく距離をとってやがる。俺が飛び掛ったところで、簡単に引き金を引けるだけの距離がある。これじゃ手も足も出ない。
結局アパートの近くまで来てしまった。
2階への階段を上る──ああ、ついに俺の部屋まで来てしまった。
「無時零奈を呼ぶんだ」男は小さい声でこう言った。
「わかったよ……」俺は大きく息を吸い込むと、ゆっくりはいた……さぁ、落ち着いて!
「零奈ぁ! SAFだ! お前を探しに来ているんだ、今すぐ逃げろ!」計画通り、この世の終わりかってくらい大きく叫んだ。
部屋の中で窓を開ける音が聞こえた。よし、うまく逃げてくれよ、零奈。
「なるほど、やはり自殺願望があったようだなっ残念だが──死んでもらう」銃口がまた、額に──撃つ、避けられるか。いや今? まだまだ……やべ、人が銃を打つタイミングっていつだ? わからん、死ぬ──
そう思った瞬間、部屋のドアがぶち抜けるように勢いよく開いた。零奈だ!
「うぉっ!?」
まさに電光石火。鞭のような零奈のハイキックが、男にヒットした。そして男はそのまま1階へとまっさかさまに落ちてしまった。
その瞬間、なんとも言えない鈍い音がした。
「リョータッ大丈夫!?」零奈がいつになくあせった感じだ。
「ああ、俺のほうはなんともないけど、あの男は……」
零奈は一瞬泣きそうな顔をしつつ、俺の手を引いた。
「逃げようリョータ。このままじゃあなたも危ない」
1階へ降りて、雨ざらしの男を横目に俺たちは車に乗った。
「逃げるたって、どこに逃げるんだ」俺はそう聞いた。
「どこでもいいの。とりあえず、ここはもう駄目なの」
雨がいっそう強くなる。ワイパーを一番早くして、俺たちは車を高速道路まで飛ばした。
周りの車をどんどん追い越す、かなり危険なドライブである。
10分位して、零奈がこう言った。
「ごめんね。私はやっぱり暗殺者だった。あなたを巻き込んだこと、本当にすまないと思っている。ゆるしてくれ」
零奈の言葉が、だんだん男言葉になってきている──心まで変わってきているのか!?
「零奈は俺を助けてくれたんだろ? 自分を責めるなよ、あのままじゃ確実に俺は殺されてたんだ。そうだろ?」
どんな慰めもあまり効果がないようだった。ああ、本当に意味がない慰めだ。
「ちょっと──後ろを見て!」零奈が突然叫んだ。
ミラーを傾けて後ろを見ると、物凄いスピードで真っ赤なスポーツカーが追いかけてくる。警察ではなさそうだ。ライトを何回も点灯させてこっちを挑発している。
発見してからすぐに車が並んだ。キューブじゃスポーツカーに勝てるわけがないんだ。
「ブレンダ……」
「なに? ブレンダ?」誰それ? ビバリーヒルズのやつか?
赤いスポーツカーのウインドウが開いたとたんに、物凄い声が聞こえた。
「ついに見つけたわよ無時零奈ぁ! 今からあんたを捕まえてやるからねぇ! ッ覚悟しなさいよぉ!」
この雨で、しかもこっちはウィンドウを閉めているのに鼓膜が破れるんじゃないかってくらい爆音である。
なんだこのブレンダって女は。
「あっはっはぁ! でもね、ちょっと遊んであげるぅ!」と言うと、スポーツカーが体当たりをしてきた。うぉっすごい衝撃だ。
俺は急いで後ろの座席に移り、ウインドウを開けてこう叫んだ。
「いいかげんにしろてめぇ! 零奈を捕まえるだとぉ! やれるもんならやってみろよ! このビバリーヒルズ!」そう言った瞬間だった。
ビスッ。
銃弾が俺のほほをかすった。こわっ。
そこで初めてブレンダと目が合った。きらっと目立つ真っ赤なカチューシャをつけた金髪の少女だった。
もしかすると、零奈より若いかもしれない。
「うるさいのよ、ばああぁかぁ」ブレンダはそう言ったかと思うと、さらに銃を撃ってきた。
ビスッビスッビスッ。アブネェエこの女! しかもさっきより勢いよく体当たりをしてきたしああもういいかげんにしろ! 俺の車がボロボロだ。
「リョータッ運転代わって!」零奈はそう言うと座席を傾けた。
「よしっなんか作戦でもあるんだな!?」
俺がなんとか運転を代わると、零奈はスーパーの袋と、小銭を財布から取り出した。
そして、レジ袋に小銭をいれて口をしっかり結んだ。
「私が車の上に上がったら、ブレンダのほうへよせてね」へ、今何て言った? そう思うが早いか、零奈はドアを開けて勢いよく車上に上がった。あぶねぇよ、このスピードでぇ。
「何考えてんの!? 死ぬ気アンタ?」ブレンダもちょっと驚いている。プッ。
「よせてっ!リョータ」俺は指示通りに車をよせた。車に軽い衝撃を残して、零奈がブレンダの赤いスポーツカーに飛び乗った。
「この馬鹿っ早く降りなさい!」そう言いつつブレンダはまだまだスピードを上げる。そんな中でも零奈は冷静だ。それまでグルグル振り回していたレジ袋を、勢いよくフロントガラスへたたきつけた。
スポーツカーのフロントガラスが一瞬で真っ白になった。
「しまった!零奈めっ」
コントロールを失った車は俺のキューブに激しくぶつかり、数台の車を巻き込んで停止した。
「零奈ッ!?」
あわてて車から降りて零奈を探すと、土砂降りの雨にゆらりとたたずむ人影を発見した。急いで駆け寄ると──その人影はブレンダだった。そして、その足元にはぐったりと横たわる零奈の姿。雨に打たれつつ、ピクリとも動かない、死んでる?──そう思ったら、俺の怒りが一瞬で沸点に達した。
「おまえが零奈を殺したんだな! なんでこんないい奴を! ふ、ふざけるのもいいかげんにしろよ!」情けない。俺は泣いていた。勢いよく出したはずの声が、雨にほとんどかき消されている。
「安心してぇ、まだ死んじゃいないわよ。まぁこれから私が殺すんだけどねぇ」薄ら笑いをあげるブレンダ。
「ふざけるなっ!」俺が胸ぐらを掴むと、こいつは今までに見たことのないくらい鋭い目つきで俺をにらんだ。
「離せよクズ」
──気がつくと俺は強烈なストレートで吹っ飛ばされていた。なんだこの力は……遠くから聞こえるヘリコプターの音。それが段々近づいている。いや、俺の真上に──
仰向けで、意識が飛びかけている俺の真上に、正確に言うとブレンダのところに縄バシゴが降ろされた。
『OKブレンダ。零奈と一緒に引き上げてやるからこい』ヘリコプターから声が聞こえた。
ブレンダが意識のない零奈を抱え、ハシゴにぶら下がった。
「バイバイ無力なクズ虫さぁん」そう言うと、ブレンダは手で合図をし、ヘリは旋回して雨で霞んで灰色になった山の向こうへ飛んでいった。
俺が覚えているのは、ここまでである──
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