平成20年7月25日 公開
平成22年10月2日 更新


●推薦≠ナ応募が可能になった「第三回日本伝統工芸展」のこと


 次に示すのは、『第三回日本伝統工芸展 図録』の表紙裏にある日本伝統工芸展開催趣旨を「スキャナ」で取り込んだものです。
 この『図録』は、「国立国会図書館」だけでなく、他の「図書館」にも所蔵されていて、比較的容易に手にとって確認できるものです。
 それなのに、確認≠オようともせず、事実≠ねじ曲げた形で流布≠オているのですから、困ったもです。
 直接、読めるかとは思いますが、一応、示しておきましょう。




 わが国には、長い歴史と伝統をもつ、世界に誇るべきいろいろの工芸がある。しかし、このすぐれた工芸を生む「技」すなわち無形の文化財も、近時、時流に押されて衰亡の危機に瀕している。昭和二十六年文化財保護法が施行され、これらわが国の工芸のうち、歴史上もしくは芸術的に価値の高いものを国として保護することとなり、昭和二十九年七月重要無形文化財指定の制度が設けられた。また国家指定をうけている工芸技術の保護者を中心として、昨昭和三十年八月社団法人日本工芸会が結成されたが、日本工芸会は陶磁、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、其他の工芸作家を網羅した、伝統的な工芸作家の最も大きな集団である。昨年は第二回総合展覧会を催して好評を博したが、
このたびは正会員支部会員の外
〈註 この表現は、「第二回展」が、正会員≠ニ支部会員≠フ出展だったということを示しています〉、会員紹介の作家の作品を厳選して、第三回展をひらく運びとなつた。
出陳の作品は伝統的なわが国工芸のうちでも優れたものであるが歳とともにわれわれは更に水準を高めることを期している。




結論的にいうと、

「伝統工芸展」の出展は、
 @ [第一回展]旧「無形文化財」認定者のみの公開≠フ場。
 A [第二回展]=「日本工芸会」の「正会員」と「支部会員」が出展。
 B [第三回〜第六回展」=「日本工芸会」の「正会員」もしくは理事の推薦によって「工芸会」以外にも出展の機会が与えられた。
 C [第七回展以後]=一般公募

ということです。


 一般公募≠ニなった『第七回日本伝統工芸展 図録』の序≠燻ヲしておきましょう。



 序  

 本展も回を重ね、皆様の御支援と関係者並びに出品者各位の御尽力により第七回を迎えることになりました。
 今回より一般公募を行い、その目的とする趣旨を尊重し、一方現代の要求する新味の面に向って徐々に成果を上げるよう努めております。
 幸い本年は文化財保護法十週年〈ママ〉にあたり、また列国議会同盟会議が開催され多くの外来客に鑑賞される機を得たことは誠に意義あることと存じます。
 日本の伝統工芸は、今や世界の注目を集めその資料の要求も高まっております。この図録が、それらの要求に受け入れられれば幸いです。
社団法人 日本工芸会
 会 長  細 川  護 立




● 「日本伝統工芸展」の出展資格について、今少し=A「解説」しておきましょう。

(その1)=「日本伝統工芸展」の「第1回展」は、

旧「無形文化財」として認定された方々=特に価値の高いもの≠ナ国が保護しなければ衰亡する虞のある≠烽フについて∞適当な助成の措置を講じ≠髟K要のあると認められた方々
の、技の公開≠フ場でしたから、当然=A旧「無形文化財」に指定された方のみが対象でした。

(その2)=「日本伝統工芸展」の「第二回展」は、

旧「無形文化財」に認定された方々を中心として結成された誇りある会組織==u日本工芸会」≠フ「正会員」を中心に、「支部会員」が加わって開催されたものでした。

 そのことは、既述のように、[第三回日本伝統工芸展]の『図録』にある「日本伝統工芸展開催趣旨」の中に、

昨年は第二回総合展覧会を催して好評を博したが、このたびは正会員支部会員の外に、会員紹介の作家の作品を厳選して、第三回展を開らく運びとなった。

と記されていることからもあきらか≠ナす。
 つまり、このたびは正会員支部会員の外に≠ニいうのですから、当然=A昨年の第二回総合展覧会≠ノついては、正会員支部会員≠ナ開催されたということです。

(その3)=「第三回日本伝統工芸展」は、公募%Wであったとしているものが少なくありませんが、公募展≠ナはありません。なお、この「第三回工芸展」こそ、「萩焼」の歩み≠ノとって、記念すべき「工芸展」なのです。

この「第三回工芸展」は、「理事または工芸会正会員」の推薦によって「出展」が可能になったというにすぎません。しかし、その事実 ≠ニしての「工芸史」における意味は小さいものではありません。
 そして、この「理事または工芸会正会員」の推薦≠ニいう応募資格≠ヘ、「第六回展」まで続いたのです。 
「第三回日本伝統工芸展」において、「工芸会」以外の陶工・陶芸家
〈当然、「陶芸」関係だけではありませんが、「陶芸」に絞って記しています。了承を御願いします。〉にも「出品」の機会があることを発表するのは、「昭和31年8月10日発行」の『工芸会報』bP』 においてです。
その3頁に、次のようにはっきりと書かれてます。


 ●第三回日本伝統工芸展開催要項


出品資格
3 社団法人日本工芸会理事又は正会員一人以上の推せんする作家又は技術者。
出品申込料(一品につき)
A 重要無形文化財保持者  無料
B 日本工芸会正会員    無料
C 日本工芸会研究会員   200円
D 日本工芸会理事又は正会員が推せんする者     500円  


 この『工芸会報』は、一般の人間には見ることは難しいにせよ、複数の「公立図書館」には蔵書を確認している『第3回 日本伝統工芸展 図録』の巻末にある「出品者住所録」に、「重要無形文化財保持者(重)」・「正会員(正)」・「支部会員(支)」・「理事又は正会員の推せん(其)」の別が記されいるのです。

 なお、「主催」として名を連ねている「朝日新聞社」には、当然、あります。
(私は、この『第3回 日本伝統工芸展 図録』より以前の『第1回 日本伝統工芸展 図録』・『第2回 日本伝統工芸展 図録』も、「朝日新聞社」からコピーをいただいているのです。〈「第二回工芸展」のコピーは、そっくり=A「山口県文書館」に寄贈してあります。なお、「第一回工芸展」分は、寄贈を断られました。「第三回工芸展」分は、私の所蔵しているものをコピーしたものが寄贈してあります。〉
 その時から十年余=Aなんと、現在の「朝日新聞社」は、私が『萩焼人国記』の、中でも「休和物語」内容がこの「第三回工芸展」に関する事実誤認≠筆頭に、おかしなことが少なくない≠ゥらとして、手始めに=A「朝日新聞社」にある「資料」によって確認し、「足による取材」を鉄則とする新聞記者の姿勢は守った≠ニまで「あとがき」に書いて出版している記者の白石明彦氏に、充分でない取材であったかも知れない≠ニいう一言を言わせてほしいという要請をしたのに対し、 その事実≠調べ=A「休和物語」の情報≠ェ確かに、おかしいということを確認しようとすらせず、一般には明らかにしないといわれる情報源を、「山口県立美術館長」であり、著書の多い河野良輔氏からの取材だとした上で、だから♀mかめるまでもないとした「手紙」を一度寄越した切りで、素人≠ノでもわかる三輪休和氏の「作品」が、「平茶碗」ではないということすら改めることなく、その後の、再三再四の要請に対しては、聞き流し≠ネいしは暴言に近いこと?≠口にする「広報部」のスタッフによってそのまま≠ノされ、今日に至っているのです。〈そのやりとりは、すべて「カセットテープ」・「メール」等、記録として残しています。〉
 「朝日新聞社」の発行、前「山口県立美術館学芸員→副館長」で、現「岐阜県現代陶芸美術館長」の執筆という最強=E最善のコンビで、つい先年=平成18年10月刊『週刊朝日百科 人間国宝22 工芸技術・陶芸 三輪休和・三輪壽雪・中里無庵』においても、訂正されることなく=A誤り≠ェ垂れ流し≠ウれているのです。

 「萩焼」の二人が出展されたのは、当時≠ヘ、全国的評価が高くなかったため、自費による、個人的研究〈←「手紙」「はがき」ということで、「重要無形文化財指定申請」のための「来県調査」をしてくださった小山冨士夫先生が、それまでの小山先生の「萩焼観」を一変させる12代坂倉新兵衛氏、三輪休和氏の力≠認められて、6月の時点では未発表であったものの、「理事」という肩書≠ネがら、実質的には、大きな役割≠担っておられたため、秋の「第三回展」で、「理事または工芸会正会員」の推薦によって「出展」が可能になることを当然、ご存知であったのみならず、当時≠ヘ、全国的には認められていない=u萩焼」から、2人が同時に=A「無形文化財」に認定〈小山先生の鑑定力≠ヘ、それほど権威があったということです〉という衝撃%I出来事≠ノは、この「伝統工芸展」において、その力≠披露しておくことがいい機会となるはずだ として、小山先生ご自身が出展応募を勧められ、更に、推薦してくださったからこそ、出展できたのです。

  この「第三回工芸展」に、新兵衛、休和両氏は、2作品ずつを出展され、その2作品ともに入選したのですが、両氏には、入選するかしないかは、当然=A問題外のことでした。
(このことは、現存する、関係者の、複数の「書簡」によっても明らか≠ナす。)




  「左」の「写真」は、『第三回 日本伝統工芸展図録』の3頁目≠ノ、「重要無形文化財保持者(俗称 人間国宝)」の石黒宗麿氏の「作品」を挟んで、 大きく′f載された上=12代坂倉新兵衛氏、下=三輪休和氏のいずれも「抹茶茶碗」です。


 この『第三回 日本伝統工芸展図録』は、他の回の何れの『図録』とも異なり、『図録』への掲載の仕方に、大きさ=A順番≠ノ差≠ェ見られるという特徴があると、私は考えています。

 例えば、1頁目=℃ミ団法人日本工芸会賞の近藤悠三氏と宇野三吾氏の「各1作品、2作品」が、
 2頁目≠ノは、「人間国宝」の富本憲吉氏、浜田庄司氏と、当時30歳という若さの[支部会員]ながら、傑出した力≠持っておられ、その後も、国際的な活躍をされた清水卯一氏の「各1作品、計3作品」が掲載されているのです。

 私は、この清水氏の「作品」が2頁目≠ノ掲載されていることこそ、この『図録』の編集方針の特異さを確認できる根拠≠セと思っています。

 そして、3頁目≠ェ、この「左」なのです。

〈なお、『図録』には、原則的に、一作者=1作品が原則のため、この1作品しか載っていません。〉

(その4)=「日本伝統工芸展」の「第7回展」以降が、一般公募であることは、

 [第七回日本伝統工芸展]の『図録』にある「序」において、社団法人 日本工芸会 会長 細川護立氏が、

 本展も回を重ね、皆様の御支援と関係者並びに出品者各位の御尽力により第七回を迎えることになりました。
 今回より一般公募を行い、その目的とする趣旨を尊重し、一方現代の要求する新味の面に向って徐々に成果を上げるように努めております。
 幸い本年は文化財保護法十週〈ママ〉にあたり、また列国議会同盟会議が開催され多くの外来客に鑑賞される機を得たことは誠に意義あることゝ存じます。
 日本の伝統工芸は、今や世界の注目を集めその資料の要求も高まっております。この図録が、それらの要求に受け入れられれば幸いです。
社団法人 日本工芸会 
会長 細川護立


と書いておられることで、明らか≠ナす。