第88話『みんなで』
第88話『みんなで』
「レッド様、届きます。」
リアルダの声は、驚くほど静かだった。
「有効調律、四四一・五ヘルツ。」「確定しました。」
リアルダは端末から目を離さない。
「気温、十八度。」「湿度、九十八パーセント。」「主管、〇・三ミリ抜いてください。」
秋芳洞のあちこちで、小さな金属音が響く。
カチャ。
カチャ。
主管が静かに調整される。
「反響率、固定。」「仰角、四度。」「右へ一度。」「最適点、固定。」
◇
カンタービレ軍曹の声が通信へ響いた。
「全隊。」「ロングトーン。」「開始ですわ。」
最初に響いたのは、サード。
ペザンテ。
スタッカート。
エネルジコ。
ドルチェ。
四人の低音が秋芳洞を揺らす。
ボォォォォーーーーン……。
地下湖が静かに震えた。
続いて、セカンド。
アクセント。
ソステヌート。
レガート。
グラヴィオーソ。
中音が低音へ重なっていく。
ドォォォォーーーーン……。
岩壁が応え、
鍾乳石が歌い始める。
倍音が生まれ、
響きはさらに厚みを増した。
最後に、ファースト。
カンタービレ軍曹。
ブリランテ。
二人の澄んだ高音が、
重厚なハーモニーの頂へ真っすぐ伸びていく。
ティィィィィーーーーン……。
サード。
セカンド。
ファースト。
三つのパートが重なった瞬間。
秋芳洞そのものが、
巨大な楽器になった。
◇
リアルダは静かに数値を見つめる。
「反響率、最大。」
「音圧、安定。」
「最適点、固定。」
「五秒前。」
重厚なハーモニーが秋芳洞を巡る。
「四。」
反響が岩壁から岩壁へ走る。
「三。」
倍音がさらに積み重なる。
「二。」
リアルダが顔を上げた。
「レッド様。」
「今です。」
◇
ベルの先が、
淡く橙色に輝く。
ティン――。
細く澄んだ音響弾が放たれた。
その一音は、
遊撃隊が奏でる重厚なハーモニーへ静かに溶け込み、
秋芳洞すべての響きをまとっていく。
まるで、
大きな翼が静かに広がるように。
誰にも見えず、
誰にも気づかれることなく。
音速を超えたその一滴は、
一瞬のうちにミズチへ吸い込まれていった。
サードが支え、
セカンドが厚みを加え、
ファーストが響きを束ねる。
第一トランペット遊撃隊、
全員の音が、
その一滴を神へと送り届けた。
◇
ミズチは静かに目を閉じた。
「……なるほど。」
小さく笑う。
「そういうことか。」
しばらく黙ったあと、
ゆっくり俺を見る。
「坊や。」
「やはり、あやつの音じゃったか。」
俺は首をかしげる。
「?」
ミズチは、それ以上何も語らなかった。
◇
白い霧が、その身体から静かに立ちのぼる。
「良い音じゃ。」
その一言だけを残し、
ミズチは空を見上げた。
「ワシは……。」
「静かに生きたいだけじゃ。」
「また静かになるまで、還るとするかの。」
白い霧は鍾乳洞の天井へ昇り、
岩と地下水へ静かに溶け込んでいった。
秋芳洞は、
何事もなかったように静けさを取り戻す。
◇
グラン閣下は静かにチューバを下ろした。
「貴様ら、大義であった。」
その一言だけだった。
隊員たちは互いに顔を見合わせる。
誰もが、
第一トランペット遊撃隊全員で奏でたハーモニーが、
ミズチへ届いたのだと思っていた。
俺はトランペットをケースへしまい、
静かに秋芳洞へ一礼した。
あの一音は、
俺一人では届かなかった。
みんなの音があったから、
神へ届いた。
それが、
少しうれしかった。
第89話『生きて帰るまでが遠足』
https://www.c-able.ne.jp/~y-info/posts/blog92.html
ウルセンジャー小説ガイド
https://www.c-able.ne.jp/~y-info/contact1.html
