第92話『迷い』
第92話『迷い』
支部長室を出る。
廊下は静かだった。
手には、一通の推薦状。
紙一枚のはずなのに、不思議なくらい重い。
「レッド様。」
振り向くと、リアルダが立っていた。
「終わりましたか。」
「ああ。」
短く答える。
リアルダは俺の手元へ視線を向ける。
「昇級試験の推薦状ですね。」
思わず苦笑した。
「情報士には隠し事ができないな。」
「封筒の様式で分かります。」
いつもの落ち着いた口調だった。
「少し、外の空気を吸ってくる。」
「承知しました。」
◇
支部の中庭へ出る。
昨夜の雨を受けた木々が、初夏の陽射しを浴びて静かに揺れていた。
遠くから、音響士たちのロングトーンが聞こえてくる。
風が頬を撫でる。
俺は木陰のベンチへ腰を下ろした。
膝の上へ推薦状を置く。
封筒には、確かに俺の名前が書かれていた。
中級音術師昇級試験。
三か月前まで士官学校の学生だった俺に。
支部長が推薦状を書く。
何度見ても、実感が湧かなかった。
視線を上げる。
青空の下、若葉が静かに揺れている。
「そんな俺が……。」
小さく呟く。
「中級試験か。」
風が木々を揺らした。
答えは、まだ出なかった。
◇
「レッド様。」
リアルダが手帳を手に歩いてきた。
「帰隊の準備は整っています。」
「ああ。」
リアルダは手帳を開く。
「一つ、ご報告があります。」
「報告?」
「はい。」
「山陰へ赴任されてから、もうすぐ三か月。」
「遊撃隊出動、四回。」
「個人対応、一回。」
「広島ヤマハへのマウスピース調達任務です。」
一枚、ページをめくる。
「遭遇した敵。」
「Bランク怪人、二体。」
「Cランク怪人、二体。」
「Aランク土地神、一柱。」
風が手帳のページを揺らす。
「遊撃隊重傷者。」
「ゼロ。」
静かに手帳を閉じた。
「以上です。」
しばらく沈黙が流れた。
俺は少し笑う。
「本当に数字ばかりだな。」
リアルダも小さく微笑んだ。
「情報士ですので。」
「数字は、嘘をつきません。」
その言葉に、俺は推薦状へ目を落とした。
「でも。」
「これは、みんなで積み重ねてきた数字だ。」
リアルダは静かに頷く。
「はい。」
それ以上は何も言わない。
それで十分だった。
◇
「浮かない顔じゃのう。」
聞き覚えのある声がした。
俺とリアルダは同時に振り向く。
白銀の長い髪を揺らし、小さな人影がゆっくりと歩いてくる。
紺色の軍服。
背中には、自分の体よりも大きなチューバ。
山陰の守護神。
グランディオーソだった。
「グラン閣下!」
俺は立ち上がり敬礼する。
リアルダも続いた。
グラン閣下は軽く手を挙げると、俺の手にある推薦状へ目を向ける。
「ほう。」
「支部長から、もろうたか。」
「はい。」
俺が頷くと、グラン閣下はそれ以上何も聞かなかった。
ただ、ベンチを指さす。
「座れ。」
「少し話そうかの。」
初夏の風が、白銀の髪と中庭の木々を優しく揺らしていた。
第93話『守る者』
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