第30話『天幕』(前編)

第30話『天幕』(前編)


リアルダに案内され、俺は益田小学校の運動場脇に設けられた指揮天幕へ入った。

外では、子ども達の笑い声と悪のみなさんの悲鳴が入り混じっている。

「待つのだー!」

「やだー!」

「お姉ちゃーん! この鬼さん弱いよー!」

「弱くないのだー!」

さっきまで笑っていた世界とは違う。

天幕の中は静かだった。

机の上には校舎の見取り図。

運動場の配置図。

無線機。

部隊配置図。

張り詰めた空気。

ここだけは完全に戦場だった。

リアルダが敬礼する。

「情報士リアルダ、本部派遣音術師をお連れしました。」

俺も慌てて敬礼した。

「山陰西部方面第一トランペット遊撃隊、隊長のレッドであります!」

「初級トランペット使いです!」

「おっ。」

軽い声だった。

茶色い髪。

夜の街が似合いそうな甘い笑顔。

男は右手を差し出す。

「山陰西部方面第一軍団長、マエストロ。」

「中級サックス使いだ。」

ウインクしながら笑う。

俺は慌てて握手を返した。

その横で、豪快な笑い声が響く。

「ワーッハッハ!」

振り向くと、サックスケースを背負った女性士官が立っていた。

「第一混成サックス遊撃隊長、ジョコーソ。」

「初級サックス使いだ。」

にっと笑う。

「穴が空いたら私たち遊撃隊が走る。」

「安心して前だけ見て戦え。」

「よろしくお願いします!」

「ああ、よろしく。」

それだけ言うと、ジョコーソは一歩下がった。

その隣。

腕を組んだまま立っている大男が俺を見た。

「……卒業したてか。」

「は、はい!」

「本当にガキじゃねぇか。」

胸に刺さる一言だった。

リアルダが小さく咳払いをする。

「軍曹。」

「何だ。」

「レッド様は本部より派遣された音術師様です。」

「知っとる。」

「でしたらもう少し……」

「事実を言っただけだ。」

空気が少しだけ重くなる。

マエストロが肩をすくめた。

「まぁまぁ。」

「軍曹は口が悪いだけだ。」

「腕は保証する。」

グラーヴェ軍曹は何も言わない。

ただ、傷だらけのクラリネットを机へ置いた。

何年も戦場を渡ってきた楽器だった。

「さて。」

マエストロが作戦盤へ向く。

「リアルダ。」

「はい。」

彼女は赤い駒を一つずつ置いていく。

「敵戦力、保育部隊を除く戦闘員、およそ二百。」

赤い駒が運動場を埋める。

「副官級Cランク二体。」

さらに二つ。

最後に、大きな赤い駒が置かれた。

「指揮官。」

「Bランク怪人、アラクネ。」

その名が出た瞬間。

グラーヴェ軍曹が露骨に顔をしかめた。

「……また、あの女か。」

マエストロが苦笑する。

「アイツのパスポート、いつ切れるんだ。」

「ギリシャへ帰ってくれりゃ助かるんだけどな。」

リアルダも小さく笑う。

「残念ながら今回も不法滞在中です。」

天幕に小さな笑いが生まれる。

だが。

軍曹は笑わなかった。

「あの女をここで見逃せば。」

運動場へ目を向ける。

「山陰の人口減少に歯止めがかからなくなる。」

リアルダが静かに続けた。

「アラクネは山陰方面遠征軍の指揮官です。」

「各地域で依り代を確保し、不協和音による精神汚染を拡大しています。」

「放置期間が長いほど、人口流出と出生率低下が加速します。」

数字だけではない。

この街そのものが、少しずつ削られていく。

マエストロがサックスケースへ手を掛けた。

「だから。」

静かに笑う。

「ここで、できるだけ叩く。」

俺は作戦盤を見つめた。

敵は約二百。

こちらも約二百。

数だけ見れば互角。

だが、Bランク怪人一体とCランク副官二体が、その均衡を崩していた。

マエストロがこちらを見る。

「レッド君。」

「はい。」

「卒業したての知識を聞かせてくれ。」

「この戦力差、どう見る?」

俺は深呼吸した。

「現時点では防衛側が不利です。」

「敵は約二百の戦闘員。」

「Bランク一体。」

「Cランク二体。」

「こちらは地元音響団を含めても苦戦は避けられません。」

士官学校で何度も叩き込まれた教範。

そのまま口にした。

「教範通りなら。」

拳を握る。

「血の涙を流してでも一時撤退。」

「上級使いの到着を待つべきです。」

沈黙。

誰も笑わない。

マエストロだけが口元を少し緩めた。

「レッド君。」

「その答えなら。」

一拍置く。

「士官学校は卒業できる。」


第31話『天幕』(後編)
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2026年07月04日