第69話『夜風』

第69話『夜風』


バー・レギオンを出ると。

夏の夜風が、火照った頬を優しく撫でた。

駅前通りのネオン。

遠くを走る列車。

どこからか聞こえる笑い声。

益田の夜は、静かだった。

「今日は。」

ドルチェが大きく伸びをする。

「楽しかったですね〜。」

「そうね。」

グラヴィオーソも小さく笑う。

「久しぶりに、仕事を忘れられたわ。」

リアルダも静かに頷いた。

「はい。」

「良い夜でした。」



「それじゃ。」

「また明日。」

自然と、それぞれ帰る方向が分かれる。

「レッド様。」

リアルダが軽く敬礼した。

「本日も、お疲れ様でした。」

「お疲れ。」

俺も笑って敬礼を返す。

「気を付けて帰れよ。」

「はい。」

「レッド様も。」

リアルダは柔らかく微笑み、ドルチェたちと駅の方へ歩き始めた。

その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。

「何とか。」

「なったな。」

「隊長。」

ソステヌートが真顔で言う。

「本日の夜間訓練。」

「教範には掲載されておりませんでした。」

「俺も初めてだった。」

思わず笑う。

「軍団長。」

「よく思いつくよな。」

ペザンテが短く言った。

「疲れました。」

「でも。」

少し考える。

「悪くなかった。」

「そうだな。」

俺も頷く。

怪人との戦いでは学べないことも、あるのかもしれない。



「諸君。」

マエストロが立ち止まる。

三人も足を止めた。

軍団長は夜空を見上げる。

「今日は。」

「ご苦労だった。」

その声は、いつもの軽口ではなかった。

「今日の訓練。」

「意味があったかどうかは。」

「すぐには分からん。」

夜風が吹く。

駅前の街路樹が揺れた。

「だが。」

「いつか。」

「誰かを守る時。」

「今日のことを思い出す日が来る。」

俺は黙って聞いていた。

「その時。」

「今日の訓練は成功だ。」

短い言葉だった。

俺は静かに頷く。

「……はい。」

ソステヌートも。

ペザンテも。

何も言わず敬礼した。



「じゃあな。」

マエストロは手を振る。

「解散。」

「ありがとうございました。」

俺たちも敬礼し、それぞれ帰路につく。

夜道を歩きながら。

今日一日を思い返した。

平和な町。

笑い声。

温かいコーヒー。

優しい人たち。

怪人との戦いだけが。

守るものではない。

そんな当たり前のことを。

今日、少しだけ知った気がした。



バー・レギオン。

店内では。

マスターが最後のグラスを磨いていた。

静かな店。

時計の針だけが時を刻む。

やがて。

店の灯りを一つずつ落としていく。

最後に残ったカウンターの照明も消えた。

誰もいない店内。

マスターは小さく窓の外を見る。

遠ざかっていく若者たち。

笑いながら帰る、その後ろ姿。

静かに微笑んだ。

「若いって。」

小さく呟く。

「いいものですね。」

返事はない。

ただ。

夜風だけが、店先の小さな看板を揺らした。

BAR LEGION

その灯りも、静かに消える。

― 夜間訓練編・完 ―


第70話『渚への出発』
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2026年07月06日