第69話『夜風』
第69話『夜風』
バー・レギオンを出ると。
夏の夜風が、火照った頬を優しく撫でた。
駅前通りのネオン。
遠くを走る列車。
どこからか聞こえる笑い声。
益田の夜は、静かだった。
「今日は。」
ドルチェが大きく伸びをする。
「楽しかったですね〜。」
「そうね。」
グラヴィオーソも小さく笑う。
「久しぶりに、仕事を忘れられたわ。」
リアルダも静かに頷いた。
「はい。」
「良い夜でした。」
◇
「それじゃ。」
「また明日。」
自然と、それぞれ帰る方向が分かれる。
「レッド様。」
リアルダが軽く敬礼した。
「本日も、お疲れ様でした。」
「お疲れ。」
俺も笑って敬礼を返す。
「気を付けて帰れよ。」
「はい。」
「レッド様も。」
リアルダは柔らかく微笑み、ドルチェたちと駅の方へ歩き始めた。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。
「何とか。」
「なったな。」
「隊長。」
ソステヌートが真顔で言う。
「本日の夜間訓練。」
「教範には掲載されておりませんでした。」
「俺も初めてだった。」
思わず笑う。
「軍団長。」
「よく思いつくよな。」
ペザンテが短く言った。
「疲れました。」
「でも。」
少し考える。
「悪くなかった。」
「そうだな。」
俺も頷く。
怪人との戦いでは学べないことも、あるのかもしれない。
◇
「諸君。」
マエストロが立ち止まる。
三人も足を止めた。
軍団長は夜空を見上げる。
「今日は。」
「ご苦労だった。」
その声は、いつもの軽口ではなかった。
「今日の訓練。」
「意味があったかどうかは。」
「すぐには分からん。」
夜風が吹く。
駅前の街路樹が揺れた。
「だが。」
「いつか。」
「誰かを守る時。」
「今日のことを思い出す日が来る。」
俺は黙って聞いていた。
「その時。」
「今日の訓練は成功だ。」
短い言葉だった。
俺は静かに頷く。
「……はい。」
ソステヌートも。
ペザンテも。
何も言わず敬礼した。
◇
「じゃあな。」
マエストロは手を振る。
「解散。」
「ありがとうございました。」
俺たちも敬礼し、それぞれ帰路につく。
夜道を歩きながら。
今日一日を思い返した。
平和な町。
笑い声。
温かいコーヒー。
優しい人たち。
怪人との戦いだけが。
守るものではない。
そんな当たり前のことを。
今日、少しだけ知った気がした。
◇
バー・レギオン。
店内では。
マスターが最後のグラスを磨いていた。
静かな店。
時計の針だけが時を刻む。
やがて。
店の灯りを一つずつ落としていく。
最後に残ったカウンターの照明も消えた。
誰もいない店内。
マスターは小さく窓の外を見る。
遠ざかっていく若者たち。
笑いながら帰る、その後ろ姿。
静かに微笑んだ。
「若いって。」
小さく呟く。
「いいものですね。」
返事はない。
ただ。
夜風だけが、店先の小さな看板を揺らした。
BAR LEGION
その灯りも、静かに消える。
― 夜間訓練編・完 ―
第70話『渚への出発』
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