第85話『山陰の守り神』

第85話『山陰の守り神』


グラン閣下とミズチが向かい合う。

その間には、誰も入れない。

俺たちも。

山口支部の隊員たちも。

ただ黙って、見守るしかなかった。



ミズチが、ゆっくりと俺へ顔を向けた。

敵を見る目ではない。

何かを確かめるような、

不思議な眼差しだった。

「坊や。」

「どこかで会ったことがあるかね?」

俺は軽く敬礼する。

「いや、ミズチ様とはお初にお目にかかります。」

ミズチは黙ったまま、

俺を見つめていた。

ほんの一瞬、

その目が懐かしそうに細められる。

「……そうか。」

それ以上は、何も言わなかった。



グラン閣下がチューバを構える。

「来い。」

ミズチが静かに地下湖へ降り立った。

その瞬間。

湖面が大きくうねる。

水が意思を持ったように舞い上がり、

巨大な渦となってグラン閣下へ襲いかかった。

「フンっ!」

チューバの重低音が洞窟を震わせる。

空気の壁が水の渦とぶつかり、

鈍い衝撃が岩肌を駆け抜けた。

水しぶきが白い霧となって広がる。

だが、ミズチは止まらない。

鍾乳石から落ちていた水滴が、

空中で静止した。

次の瞬間。

無数の水滴が鋭い雨となって、

グラン閣下へ降り注ぐ。

重低音が、もう一度響く。

水の雨は音圧に押し返され、

岩壁へ叩きつけられた。

その衝撃に応えるように、

足元まで低く揺れる。

水と岩。

秋芳洞そのものが、

ミズチの力だった。



俺は思わず息をのむ。

「これが……Aランク。」

リアルダは端末を見つめたまま答えた。

「周囲の岩盤と地下水を同時に利用しています。」

「この地形では、ミズチ様に勝る者はいません。」

ナガト軍団長も険しい表情で戦況を見つめる。

「我々中級音術師では、あの音場へ近づくこともできません。」

誰も前へ出られない。

戦えるのは、

グラン閣下だけだった。



重低音が何度も響く。

ミズチの水流が押し寄せるたび、

グラン閣下は音圧で正面から受け止めた。

一歩も引かない。

いや。

引けない。

ミズチを、

この場所から動かさないために。

俺には、

その意味がまだ分からなかった。



「老いとは恐ろしいものじゃの。」

ミズチが静かに笑う。

「昔なら、もう少し粘れたじゃろう。」

グラン閣下は答えない。

「フンっ!」

短く息を吐き、

さらに一歩踏み込む。

重低音が洞窟の奥まで響き渡る。

地下湖の水面が大きくへこみ、

ミズチの巨体がわずかに押し戻された。

ほんの半歩。

それだけだった。

リアルダの指が止まる。

端末とグラン閣下の立ち位置を、

何度も見比べた。

「……そういうことですか。」

小さく漏れた一言。

俺は振り向く。

「リアルダ?」

返事はない。

リアルダは画面から目を離さず、

今度はカンタービレ軍曹へ視線を送った。

二人の目が合う。

カンタービレ軍曹は何も尋ねない。

ただ一度だけ、

静かに頷いた。

そして、一歩前へ出る。

「右翼、左翼。」

張り詰めた声が通信機を通して全員へ届く。

「測定準備。」

アクセントたちの表情から笑みが消える。

左翼の隊員たちも、

それぞれの楽器を静かに構え直した。

俺だけが、

二人の意図をつかめずにいた。

「何をするんだ?」

カンタービレ軍曹は戦場から目を離さない。

「遊撃隊を展開しますわ。」

その声に迷いはなかった。

グラン閣下の重低音が、

再び秋芳洞を震わせた。


第86話『遊撃隊』
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2026年07月15日