第85話『山陰の守り神』
第85話『山陰の守り神』
グラン閣下とミズチが向かい合う。
その間には、誰も入れない。
俺たちも。
山口支部の隊員たちも。
ただ黙って、見守るしかなかった。
◇
ミズチが、ゆっくりと俺へ顔を向けた。
敵を見る目ではない。
何かを確かめるような、
不思議な眼差しだった。
「坊や。」
「どこかで会ったことがあるかね?」
俺は軽く敬礼する。
「いや、ミズチ様とはお初にお目にかかります。」
ミズチは黙ったまま、
俺を見つめていた。
ほんの一瞬、
その目が懐かしそうに細められる。
「……そうか。」
それ以上は、何も言わなかった。
◇
グラン閣下がチューバを構える。
「来い。」
ミズチが静かに地下湖へ降り立った。
その瞬間。
湖面が大きくうねる。
水が意思を持ったように舞い上がり、
巨大な渦となってグラン閣下へ襲いかかった。
「フンっ!」
チューバの重低音が洞窟を震わせる。
空気の壁が水の渦とぶつかり、
鈍い衝撃が岩肌を駆け抜けた。
水しぶきが白い霧となって広がる。
だが、ミズチは止まらない。
鍾乳石から落ちていた水滴が、
空中で静止した。
次の瞬間。
無数の水滴が鋭い雨となって、
グラン閣下へ降り注ぐ。
重低音が、もう一度響く。
水の雨は音圧に押し返され、
岩壁へ叩きつけられた。
その衝撃に応えるように、
足元まで低く揺れる。
水と岩。
秋芳洞そのものが、
ミズチの力だった。
◇
俺は思わず息をのむ。
「これが……Aランク。」
リアルダは端末を見つめたまま答えた。
「周囲の岩盤と地下水を同時に利用しています。」
「この地形では、ミズチ様に勝る者はいません。」
ナガト軍団長も険しい表情で戦況を見つめる。
「我々中級音術師では、あの音場へ近づくこともできません。」
誰も前へ出られない。
戦えるのは、
グラン閣下だけだった。
◇
重低音が何度も響く。
ミズチの水流が押し寄せるたび、
グラン閣下は音圧で正面から受け止めた。
一歩も引かない。
いや。
引けない。
ミズチを、
この場所から動かさないために。
俺には、
その意味がまだ分からなかった。
◇
「老いとは恐ろしいものじゃの。」
ミズチが静かに笑う。
「昔なら、もう少し粘れたじゃろう。」
グラン閣下は答えない。
「フンっ!」
短く息を吐き、
さらに一歩踏み込む。
重低音が洞窟の奥まで響き渡る。
地下湖の水面が大きくへこみ、
ミズチの巨体がわずかに押し戻された。
ほんの半歩。
それだけだった。
リアルダの指が止まる。
端末とグラン閣下の立ち位置を、
何度も見比べた。
「……そういうことですか。」
小さく漏れた一言。
俺は振り向く。
「リアルダ?」
返事はない。
リアルダは画面から目を離さず、
今度はカンタービレ軍曹へ視線を送った。
二人の目が合う。
カンタービレ軍曹は何も尋ねない。
ただ一度だけ、
静かに頷いた。
そして、一歩前へ出る。
「右翼、左翼。」
張り詰めた声が通信機を通して全員へ届く。
「測定準備。」
アクセントたちの表情から笑みが消える。
左翼の隊員たちも、
それぞれの楽器を静かに構え直した。
俺だけが、
二人の意図をつかめずにいた。
「何をするんだ?」
カンタービレ軍曹は戦場から目を離さない。
「遊撃隊を展開しますわ。」
その声に迷いはなかった。
グラン閣下の重低音が、
再び秋芳洞を震わせた。
第86話『遊撃隊』
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