第14話『匹見の戦い』

第14話『匹見の戦い』


三台の軍用車が、益田駐屯地を飛び出した。

先頭車両のハンドルを握るリアルダは、無線を受けながら山道を駆ける。

「現場まで約十八キロ。」

「益田市匹見町、匹見峡入口付近です。」

車窓には、深い緑がどこまでも続いていた。

切り立った山肌。

澄み切った高津川水系の清流。

渓谷に架かる、小さな橋。

普段なら、誰かが足を止めて写真を撮るような風景だった。

だが今日は違う。

道路脇には、避難する住民の姿が見える。

軽トラック。

自転車。

子どもの手を引く母親。

誰も大きな声は出していない。

ただ、山の奥を気にしながら、静かに集落を離れていた。

「音響団が避難誘導中です。」

リアルダが地図へ目を落とす。

「集落の入口で、時間を稼いでいます。」

俺は窓の外を見た。

木々の隙間から、細い道が山へ続いている。

「間に合ってくれ……。」

小さく呟いた、その時だった。

無線が入る。

『こちら、匹見地区音響団。』

年配の男性の声だった。

落ち着いている。

けれど、その奥に張り詰めたものがあった。

『住民避難、およそ七割完了。』

『子どもが三人、まだ集落の奥だ。』

『ワシらが誘導しとる。』

リアルダがすぐ応答する。

「こちら山陰西部方面第一遊撃トランペット隊です。」

「現場まで五分。」

『助かる。』

短い返事だった。

通信が切れる。

俺は思わず尋ねた。

「今の方は?」

リアルダは窓の外へ目を向けた。

「匹見地区音響団の団長さんです。」

その先に、ホルンを背負った年配の男性がいた。

小さな子どもの手を引き、ゆっくりと道を渡っている。

慌ててはいない。

振り返り、後ろの住民を確認しながら、一歩ずつ進んでいた。

「普段は林業をされています。」

リアルダは少しだけ笑う。

「この山のことなら、誰にも負けません。」

「音術師ではありません。」

「でも。」

「この町を守る人です。」

窓の外では、クラリネットを持った女性が、泣きそうな子どもの背中を優しく押していた。

サックスを肩に掛けた男性は、最後尾で山の方を見つめている。

誰も軍人ではない。

誰も命令されたわけではない。

それでも、自分たちの町を守るために立っていた。

アクセントが小さく呟く。

「すげぇ……。」

スタッカートも窓の外を見つめたまま言う。

「俺たちが着く前に、もう動いてるんだな。」

カンタービレ軍曹が静かに頷く。

「彼らが時間を稼いでくださるからこそ、我々が前へ出られるのですわ。」

少しだけ間を置く。

「決して、無駄にはいたしません。」

誰も返事をしなかった。

だが、車内の空気が少し変わった。

その時。

リアルダの表情が一変する。

「敵、移動開始!」

地図へ素早く赤線を書き込む。

「集落中心部へ向かっています。」

「速度、予測より速いです!」

車内に緊張が走る。

「このままでは、音響団と接触します!」

アクセントが拳を握る。

「間に合え……!」

ブリランテはケースを抱き締める。

「お願い……。」

ペザンテも黙って、トランペットケースを抱え直した。

俺は窓の外を見る。

匹見の山々は、何も変わらない。

清流は静かに流れ。

木々は風に揺れている。

橋を渡る避難の列。

子どもの手を引く老人。

最後まで後ろを振り返る音響団の背中。

誰も泣いていない。

誰も逃げ出していない。

ただ、自分たちの故郷を守ろうとしていた。

俺は、その景色から目を離せなかった。

「何とかなるさ。」

小さな声だった。

けれど、車内の全員に届いた。

リアルダがアクセルを踏み込む。

軍用車が唸りを上げた。

木漏れ日が、フロントガラスを流れていく。

誰も口を開かなかった。

それぞれが。

守りたいものを胸に抱いていた。

匹見峡まで、あと五分。


第15話『覚悟』
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2026年07月04日