第3話『山陰支部へようこそ!』

第3話『山陰支部へようこそ!』


古びた軍用車が、小さく砂埃を巻き上げながら、国立音響防衛隊山陰支部の正門をくぐった。

ギギギ……。

年季の入ったブレーキが鳴き、車はゆっくりと停車する。

「到着しました。」

リアルダがエンジンを切った。

静寂が戻る。

その隙間を埋めるように、どこからともなく蝉の声が聞こえてきた。

俺は助手席から降り立ち、ゆっくりと周囲を見渡す。

思っていたより、小さい。

ここは島根県出雲。

八百万(やおろず)の神々が集まるという、神有月の地。

古の都。

そして、島根と鳥取を守る北方戦線の要。

国立音響防衛隊、山陰支部。

本部の巨大な司令部とは比べものにならないほど、質素な庁舎だった。

二階建ての古い建物。

外壁には何度も補修した跡があり、窓枠の塗装もところどころ剥がれている。

駐車場には泥だらけの四輪駆動車が何台も並び、そのどれもが最前線の激しさを物語っていた。

「レッド様。」

リアルダが少し照れくさそうに笑う。

「古い建物でしょう?」

「いや。」

俺は首を横に振った。

「いい基地だ。」

その一言に、リアルダが嬉しそうに目を細める。

「ありがとうございます。」

庁舎へ入る。

廊下には、島根と鳥取を含む山陰全域の地図。

不協和音発生地点を示す無数のピン。

山間部。

沿岸部。

集落。

学校。

神社。

赤い印は、まるでこの土地そのものに刻まれた傷跡のようだった。

通信室からは、忙しそうに無線が飛び交っている。

「西部地区、異常なし。」

「東部地区、巡回終了。」

「次の補給車、二十分遅れます。」

本部とは違う。

飾り気はない。

だが、ここには生きた現場の匂いがあった。

「支部長、お連れしました。」

リアルダが応接室の扉を開ける。

「失礼します。」

中では、一人の壮年の男が書類へ目を通していた。

日に焼けた顔。

歴戦の軍人らしい鋭い眼光。

だが、立ち上がった瞬間、その表情は柔らかく崩れた。

「よく来てくれた。」

大きな手が差し出される。

「山陰支部長、リゾルートだ。」

俺は背筋を伸ばし、敬礼する。

「本部より派遣されました、初級音術師レッドです。」

「話は聞いている。」

リゾルート支部長は、豪快に笑った。

「遠いところ、ご苦労だった。」

「歓迎する。」

握手した手は、ごつごつしていた。

長年、現場を歩き続けてきた人の手だった。

「座ってくれ。」

応接セットへ腰を下ろす。

リアルダがお茶を運んできた。

「ありがとう。」

「いえ。」

リアルダは俺の隣へ立つ。

リゾルート支部長は、机の上に地図を広げた。

「まず現在の状況から説明しよう。」

赤い印が、山陰全域に散らばっている。

「山陰支部の管轄は、島根と鳥取だ。」

「山が多く、海岸線は長い。」

「集落は点在し、移動には時間がかかる。」

支部長の指が、地図の上をゆっくりとなぞる。

「そして、ここは出雲だ。」

その声が、少し低くなる。

「神有月には、八百万の神々が集う土地。」

「神が集まる場所には、力も集まる。」

「力が集まれば、不協和音もまた集まる。」

俺は息を呑んだ。

ただの地方支部ではない。

ここは、神々の気配と、人間の暮らしが重なる場所なのだ。

「だから山陰支部は小さいが、忙しい。」

リゾルート支部長は、苦笑する。

「上級使いは現在、全員応援出動中だ。」

「西部。」

「北部。」

「沿岸部。」

「どこも人手不足でな。」

俺は地図を見つめる。

想像以上だった。

山陰は広い。

広すぎる。

「その間、この地域を支えるのが遊撃隊になる。」

支部長が地図の一点を指差した。

「君には、益田駐屯地所属のトランペット遊撃隊を任せたい。」

「トランペット遊撃隊……。」

「十名編成だ。」

「全員若い。」

「だが、実戦経験だけなら本部の中級使いにも負けん。」

支部長の目が、わずかに細くなる。

「生き残ったからこそ、強くなった連中だ。」

部屋が静かになった。

蝉の声だけが、遠くで鳴いている。

「ただし。」

リゾルート支部長は続けた。

「死亡率も、離職率も高い。」

俺は、無意識に拳を握っていた。

「ここ山陰では、不協和音が発生したら遊撃隊が真っ先に現場へ向かう。」

「上級使いが到着するまで時間を稼ぐ。」

「住民を逃がし、敵を引きつけ、決して戦線を崩さない。」

「それが彼らの役目だ。」

俺の喉が、かすかに鳴った。

時間を稼ぐ。

それは簡単な言葉だ。

だが現場では、命を削るという意味になる。

リゾルート支部長は俺の様子を見ると、小さく笑った。

「そんなに肩肘を張らなくていい。」

「君も今日から山陰の仲間だ。」

「分からないことは、何でも聞いてくれ。」

そして、支部長は隣に立つリアルダへ視線を向けた。

「特に。」

「リアルダ。」

「はい。」

「レッド君の案内役は、引き続き君が担当してくれ。」

「承知しました。」

「彼女は優秀だ。」

リゾルート支部長は、少し誇らしげに笑う。

「山陰の地理。」

「補給路。」

「敵情。」

「通信。」

「現場のことなら、私より詳しい。」

リアルダは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

「そんな、大げさですよ。」

「大げさじゃない。」

支部長は即答した。

「彼女の情報で救われた命は、一つや二つじゃない。」

リアルダは照れ隠しのように笑う。

「……ありがとうございます。」

その横顔を見ながら思う。

車の中では天然な子だった。

冷凍パンを勧めてきたり。

白いガードレールで笑ったり。

でも、この山陰では違う。

誰からも信頼されている。

命を預けられる情報士なのだ。

「では。」

リゾルート支部長が立ち上がる。

「早速だが。」

「遊撃隊へ挨拶に行こう。」

リアルダが元気よく敬礼する。

「車を回してきます!」

勢いよく部屋を飛び出していく。

支部長は苦笑した。

「元気だけは誰にも負けん。」

俺も思わず笑う。

「ええ。」

「そのようですね。」

窓の外では、古びた軍用車が景気よくエンジン音を響かせていた。

出雲。

神々が集う土地。

その片隅にある、小さな前線基地。

これから向かう先に待つ仲間たちを、俺はまだ知らない。

その出会いが、俺の北方戦線の日々を大きく変えることになるとも知らずに。

― 山陰支部へようこそ!・完 ―


第4話『トランペット遊撃隊』(前半)
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2026年07月04日