第17話『邂逅』(後編)
第17話『邂逅』(後編)
「来ます!」
リアルダの声が、山あいへ鋭く響いた。
次の瞬間。
Bランクが地を蹴った。
ズンッ!!
巨体とは思えない速度だった。
黒い影が、谷底の地面を削るように疾走する。
狙いは、カンタービレ軍曹率いる左翼。
「左翼!」
カンタービレ軍曹の声が飛ぶ。
「防御陣形!」
「サード、前進!」
「了解!」
テヌートたちサードが、一歩前へ出た。
四本のトランペットが一斉に構えられる。
「発射!」
『パァァァァッ!!』
重厚な音響弾が、面となって放たれた。
谷いっぱいへ広がる防御壁。
Bランクの足が、ほんのわずかに止まる。
しかし。
バキン!!
鋭い破砕音が響いた。
音響防壁に、大きな亀裂が走る。
「くっ……!」
アクセントが息を呑む。
「押される!」
サード全員の足が、地面を滑った。
ブーツが土を削り、小石が跳ねる。
ドルチェが歯を食いしばる。
レガートも肩を震わせながら踏みとどまった。
「耐えてください!」
カンタービレ軍曹が叫ぶ。
「あと三秒!」
その声は、少しも揺れていなかった。
部下たちは、その背中を信じていた。
その三秒を。
俺たち全員が、信じていた。
「敵、左翼へ完全に意識集中!」
リアルダが山肌を見上げる。
測定器の針が激しく震えていた。
「岩壁反射、最大効率地点を確認!」
その頃。
俺はすでに、谷の左側へ回り込んでいた。
ニューヨークモデルを静かに構える。
指先が、少し震えている。
怖い。
心臓の音が、やけに大きい。
そんな俺の耳元へ、リアルダの声が届いた。
「レッド様。」
その声は、不思議なほど落ち着いていた。
「風速、毎秒一・八メートル。」
「風向、西北西。」
「射角、右二・三度。」
「仰角、七・五度。」
「第一岩壁へ着弾後、反射角四十三度。」
「推定命中率、九十二パーセントです。」
俺は小さく息を吐いた。
「九十二か。」
「はい。」
一拍置いて。
リアルダが続けた。
「ですが。」
「レッド様なら、百パーセントにできます。」
その一言で。
震えていた指が、少しだけ止まった。
「ずいぶん買ってくれるじゃないか。」
「信じています。」
短い言葉だった。
けれど、それで十分だった。
左翼のみんなが稼いでくれた三秒がある。
カンタービレ軍曹の号令がある。
リアルダが導き出してくれた、この一発がある。
そして。
この谷には、十一人の音がある。
(頼む。)
(みんなを守ってくれ。)
深く息を吸う。
山の風が、頬を撫でた。
そして。
「何とかなるさ。」
『パァァァァァァァァァッ!!』
放たれた音響弾は、一直線に岩壁へ向かった。
パァァァ……。
第一岩壁へ命中。
反射した音が、谷を駆け抜ける。
さらに。
パァァァ……。
第二岩壁。
第三岩壁。
四方から跳ね返った音が、折り重なる。
低く。
高く。
鋭く。
優しく。
幾重もの倍音が、谷全体を震わせた。
右翼の音。
左翼の音。
サードの防御音。
ブリランテたちの支援音。
カンタービレ軍曹の指揮。
そして、俺の一発。
十一人の音が、一つのハーモニーになった。
リアルダが、思わず息を呑む。
「音圧……上昇!」
「倍音、最大!」
「……っえ?」
測定器の数値が、一気に跳ね上がる。
「成功です!」
その声と同時に。
Bランクが、ゆっくりと振り返った。
初めて。
その赤い瞳が、俺を見た。
『……。』
ほんの一瞬。
谷の空気が、静かになった気がした。
俺の周りを。
淡い橙色の光が、ふわりと揺らいだように見えた。
『……まさか。』
Bランクが、低く呟く。
その表情に、ほんのわずかな困惑が浮かんだ。
『いや。』
『あり得ん。』
人の子に。
あの力が宿るはずはない。
Bランクは、苦く笑った。
『見間違いか。』
『……アラクネのやつに話せば、笑われるな。』
次の瞬間。
轟音とともに、共鳴した音響弾が命中した。
ズォォォォン……。
谷いっぱいへ、長い残響が響き渡る。
Bランクを覆っていた歪んだ音の鎧が、砕け散った。
バキン。
バキン。
バキン。
黒い身体に、亀裂が走る。
赤い瞳の光が、ゆっくりと薄れていく。
巨体は静かに崩れ始めた。
砂となり。
風となり。
山の空へ溶けていく。
最後に。
Bランクは小さく目を閉じた。
『……見事だ。』
その声は。
誰の耳にも届かなかった。
静寂。
谷を渡る風だけが、そこにあった。
リアルダが、最初に我へ返った。
測定器を握る手が、かすかに震えている。
「敵反応……消失。」
一度、息を整えて。
「Bランク……消滅しました。」
しばらく、誰も動かなかった。
アクセントが、呆然と呟く。
「勝っ……た?」
スタッカートが、その場へ座り込んだ。
「助かった……。」
ブリランテは大きく息を吐き、顔を上げた。
「隊長様!」
「やりました!」
テヌートも、ようやく肩の力を抜いた。
「防御が……間に合って良かった……。」
ドルチェは膝に手をつき、レガートは空を見上げていた。
カンタービレ軍曹は、静かに俺へ敬礼した。
「お見事でした、隊長。」
俺は照れくさくなって、頭を掻いた。
「いや。」
「俺一人じゃないよ。」
俺は谷を見渡した。
まだ、岩壁には残響の名残が残っているような気がした。
「リアルダの分析があって。」
「左翼のみんなが、三秒耐えてくれて。」
「右翼のみんなが、音を重ねてくれて。」
「この谷が、響きを返してくれた。」
俺は小さく笑った。
「全員の音が重なったから、勝てたんだ。」
遊撃隊のみんなが、顔を見合わせる。
そして、少しだけ笑った。
リアルダも、測定器を胸に抱えたまま頷く。
「はい。」
「皆さんのハーモニーが、岩壁と共鳴したんです。」
「計算以上の結果でした。」
俺はリアルダを見る。
「命中率、何パーセントだった?」
リアルダは少しだけ得意げに笑った。
「百パーセントです。」
その言葉に、みんなが笑った。
緊張で固まっていた谷に、ようやく人の声が戻ってくる。
ヤマガタ団長が帽子を取り、深く頭を下げた。
「ありがとう。」
「匹見を守ってくれて。」
俺は首を横に振る。
「守ったのは、俺たち全員です。」
「ここにいる全員で、守ったんです。」
ヤマガタ団長は、しばらく何も言わなかった。
そして、静かに頷いた。
谷には再び。
清流のせせらぎだけが流れていた。
風が木々を揺らし、砕けた岩肌を静かになでていく。
戦いの音は、もうどこにも残っていなかった。
誰もが。
岩壁の残響と、十一人のハーモニーが導いた勝利だと信じていた。
だから。
あの一瞬。
谷をよぎった淡い橙色の光に気付いた者も。
その意味を知る者も。
誰一人、いなかった。
第18話『匹見の戦いエピローグ』
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