第82話『山口からの要請』

第82話『山口からの要請』


六月上旬。

水無月に入ると、山陰もすっかり初夏らしくなってきた。

駐屯地の周りでは田植えも終わり、若い稲が初夏の風に揺れている。

俺は、こういう景色が好きだ。

守りたいと思える景色がある。

だから、俺たちはここにいる。



「隊長ー!」

朝っぱらからアクセントの大きな声が響く。

「今日は走り込みっスか!」

「いや、その前に装備点検だ。」

「えぇ~。」

スタッカートが笑いながら肩を叩く。

「アクセント、朝から元気っスね。」

ブリランテは俺の前へ立ち、敬礼した。

「隊長様! マウスピース磨き終わりました!」

「ありがとう。」

ペザンテは黙ったまま工具箱を閉じる。

「……異常なし。」

相変わらず短い。

でも、それだけで十分伝わる。



左翼では、カンタービレ軍曹が隊員たちを指導していた。

「ソステヌート、音の入りが少し早いですわ。」

「はい!」

「レガート、もっと周囲を見なさい。」

「了解です。」

「エネルジコ、勢いだけではなく、周囲との歩調も合わせること。」

「押忍!」

「ドルチェ、そのままでよろしくてよ。」

「はい~。」

「グラヴィオーソ。」

「分かっています。」

いつ見ても隙がない。

俺たち右翼が勢いなら、

左翼は規律そのものだった。



その時だった。

司令部の通信士が慌ただしく駆け込んできた。

「山口支部より緊急要請!」

隊員たちの表情が、一瞬で引き締まる。

俺は書類を受け取った。

美祢市。

秋芳洞。

Aランク土地神《ミズチ》顕現。

山口北部方面第一軍団より応援要請――。

アクセントが拳を握る。

「遠征っスか!」

スタッカートは笑った。

「秋芳洞って、涼しいらしいっス!」

ブリランテは目を輝かせる。

「僕、一度行ってみたかったんです!」

ペザンテは腕を組み、

「……美祢。」

少し考えてから、

「……ご飯、美味そう。」

リアルダが小さく笑った。

「ペザンテさんらしいですね。」



コツ。

コツ。

小さな靴音が響く。

その音だけで、隊員全員の背筋が自然と伸びた。

グラン閣下だった。

大きなチューバを肩に担ぎ、俺たちの前へ立つ。

「行くぞ。」

それだけだった。

俺は首をかしげる。

「閣下が赴かれるなら、俺たちは必要ないんじゃないですか?」

グラン閣下は俺を見た。

「保険じゃ。」

次の瞬間。

ボォンッ!!

チューバの重低音が駐屯地に響いた。

「うわぁっ!」

「きゃあっ!」

俺とリアルダは仲良く吹き飛ばされ、地面を転がる。

アクセントが叫んだ。

「隊長ーーー!」

スタッカートは頭を抱える。

「また始まったっス……。」

ブリランテが慌てて駆け寄る。

「隊長様!」

ペザンテは俺を見下ろし、

「……飛んだ。」

リアルダは制服についた砂を払いながら立ち上がる。

「レッド様のお近くは危険です。」

「いや、俺も被害者なんだけど?」

「結果だけ見れば、同じです。」

……否定できない。



カンタービレ軍曹は腕を組み、小さくため息をついた。

「その楽観的な考え方は感心しませんわ。」

「はい……。」

反論できない。

アクセントが小声で笑う。

「隊長、出発前から一発もらいましたね。」

スタッカートも苦笑した。

「今日は幸先がいいっス。」

「それ、幸先がいいって言うのか?」

隊員たちから笑いが起こる。

その笑いを背に、グラン閣下は歩き出した。

「出発じゃ。」

その一言で、みんなの表情が引き締まる。

俺たちは車両へ乗り込み、

山口県美祢市・秋芳洞へ向けて出発した。

この時の俺は、あの懐かしい秋芳洞で、

忘れられない出会いが待っていることを、

まだ知らなかった。


第83話『秋芳洞へ』
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2026年07月15日