第82話『山口からの要請』
第82話『山口からの要請』
六月上旬。
水無月に入ると、山陰もすっかり初夏らしくなってきた。
駐屯地の周りでは田植えも終わり、若い稲が初夏の風に揺れている。
俺は、こういう景色が好きだ。
守りたいと思える景色がある。
だから、俺たちはここにいる。
◇
「隊長ー!」
朝っぱらからアクセントの大きな声が響く。
「今日は走り込みっスか!」
「いや、その前に装備点検だ。」
「えぇ~。」
スタッカートが笑いながら肩を叩く。
「アクセント、朝から元気っスね。」
ブリランテは俺の前へ立ち、敬礼した。
「隊長様! マウスピース磨き終わりました!」
「ありがとう。」
ペザンテは黙ったまま工具箱を閉じる。
「……異常なし。」
相変わらず短い。
でも、それだけで十分伝わる。
◇
左翼では、カンタービレ軍曹が隊員たちを指導していた。
「ソステヌート、音の入りが少し早いですわ。」
「はい!」
「レガート、もっと周囲を見なさい。」
「了解です。」
「エネルジコ、勢いだけではなく、周囲との歩調も合わせること。」
「押忍!」
「ドルチェ、そのままでよろしくてよ。」
「はい~。」
「グラヴィオーソ。」
「分かっています。」
いつ見ても隙がない。
俺たち右翼が勢いなら、
左翼は規律そのものだった。
◇
その時だった。
司令部の通信士が慌ただしく駆け込んできた。
「山口支部より緊急要請!」
隊員たちの表情が、一瞬で引き締まる。
俺は書類を受け取った。
美祢市。
秋芳洞。
Aランク土地神《ミズチ》顕現。
山口北部方面第一軍団より応援要請――。
アクセントが拳を握る。
「遠征っスか!」
スタッカートは笑った。
「秋芳洞って、涼しいらしいっス!」
ブリランテは目を輝かせる。
「僕、一度行ってみたかったんです!」
ペザンテは腕を組み、
「……美祢。」
少し考えてから、
「……ご飯、美味そう。」
リアルダが小さく笑った。
「ペザンテさんらしいですね。」
◇
コツ。
コツ。
小さな靴音が響く。
その音だけで、隊員全員の背筋が自然と伸びた。
グラン閣下だった。
大きなチューバを肩に担ぎ、俺たちの前へ立つ。
「行くぞ。」
それだけだった。
俺は首をかしげる。
「閣下が赴かれるなら、俺たちは必要ないんじゃないですか?」
グラン閣下は俺を見た。
「保険じゃ。」
次の瞬間。
ボォンッ!!
チューバの重低音が駐屯地に響いた。
「うわぁっ!」
「きゃあっ!」
俺とリアルダは仲良く吹き飛ばされ、地面を転がる。
アクセントが叫んだ。
「隊長ーーー!」
スタッカートは頭を抱える。
「また始まったっス……。」
ブリランテが慌てて駆け寄る。
「隊長様!」
ペザンテは俺を見下ろし、
「……飛んだ。」
リアルダは制服についた砂を払いながら立ち上がる。
「レッド様のお近くは危険です。」
「いや、俺も被害者なんだけど?」
「結果だけ見れば、同じです。」
……否定できない。
◇
カンタービレ軍曹は腕を組み、小さくため息をついた。
「その楽観的な考え方は感心しませんわ。」
「はい……。」
反論できない。
アクセントが小声で笑う。
「隊長、出発前から一発もらいましたね。」
スタッカートも苦笑した。
「今日は幸先がいいっス。」
「それ、幸先がいいって言うのか?」
隊員たちから笑いが起こる。
その笑いを背に、グラン閣下は歩き出した。
「出発じゃ。」
その一言で、みんなの表情が引き締まる。
俺たちは車両へ乗り込み、
山口県美祢市・秋芳洞へ向けて出発した。
この時の俺は、あの懐かしい秋芳洞で、
忘れられない出会いが待っていることを、
まだ知らなかった。
第83話『秋芳洞へ』
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