第46話『黙とう』

第46話『黙とう』


宴席の中央で、小さな人影がゆっくりと立ち上がる。

上級チューバ使い。

山陰西部方面軍守護神。

――グランディオーソ。

通称、グラン閣下。

その姿を見た瞬間だった。

さっきまで店中へ響いていた笑い声が、波が引くように静まっていく。

誰も命令されたわけではない。

それでも自然と箸を置き、

ジョッキを机へ戻し、

背筋を伸ばいた。

グランは静かに店内を見渡す。

傷だらけの音響士たち。

包帯を巻いた音響団。

泥の残る制服。

そして――。

誰も座っていない席が、いくつかあった。

今日、この店へ帰ることのできなかった者たちの席だった。

グランは目を閉じ、小さく息を吸う。

「……まずは。」

静かな声が、店内へ響く。

「今日、この場へ帰れなんだ者たちへ。」

「敬意を。」

一拍置く。

「――黙祷。」

グラン閣下の静かな一言で、店内の空気がすっと張り詰めた。

さっきまで賑やかだった笑い声が消える。

網の上では、カルビが静かに脂を落とし、ぱちぱちと小さな音を立てていた。

誰も箸を動かさない。

誰もジョッキを持ち上げない。

昼間、益田小学校で行われた大編成会戦(シンフォニック・レギオン)。

最後まで楽器を離さず戦った仲間たち。

子どもたちを守るため、自ら盾となった音術師たち。

今日、この店へ帰ることのできなかった者たちの顔が、一人ひとりの胸へ浮かんでいた。

肉の焼ける音だけが、静かに店内へ響く。

やがて。

グラン閣下がゆっくりと目を開いた。

「……よし。」

深く息を吸い込む。

そして、豪快な笑みを浮かべた。

「湿っぽいのは終わりじゃ!」

「今日、生きて帰った者!」

巨大なジョッキを高く掲げる。

「乾杯じゃあーーーっ!!」

「「「乾杯ーーーっ!!!」」」

店中へ歓声が弾けた。

ジョッキが勢いよくぶつかり合う。

網の上には次々と肉が並べられ、香ばしい匂いが店いっぱいへ広がっていく。

笑い声も戻ってきた。

それが北方戦線だった。

悲しみを忘れるためではない。

明日も前を向いて戦うために、笑うのだ。

「隊長様!」

ブリランテが大皿いっぱいのカルビを抱えて駆け寄ってきた。

頬の絆創膏はそのままなのに、笑顔だけは朝より元気だった。

「今日は軍曹さんに褒められた記念です!」

「特選カルビです!」

「え?」

「ボクのおごりです!」

「いや、それは悪いよ。」

「悪くありません!」

ブリランテは胸を張る。

「隊長様が生きて帰ってきたんです。」

「今日は、それだけで十分です。」

その笑顔に、俺も自然と笑みがこぼれた。

「ありがとう。」

「はい!」

ブリランテは嬉しそうに頷くと、慣れた手つきでカルビを網へ並べ始めた。

ジュゥゥゥ……

脂が炭へ落ち、香ばしい煙が立ち上る。

「隊長!」

アクセントが俺の肩を勢いよく叩いた。

「今日は戦場じゃありません!」

「肉の補給作戦です!」

「補給が切れたら負けですよ!」

「意味が違うだろ。」

「細かいことは気にしません!」

豪快に笑うアクセント。

その勢いにつられて周りまで笑い出す。

スタッカートはもう俺の皿へ肉を放り込んでいた。

「隊長!」

「焼けたっス!」

「早い者勝ちっス!」

「おい!」

「それ俺の皿なんだけど!」

「隊長は吹き過ぎて痩せましたから!」

「今日は太って帰るっス!」

「そんな補給計画あるか。」

「今作りました!」

また笑いが起こる。

その横では、ペザンテが黙々と網を見つめていた。

「まだです。」

「あと十秒。」

誰も肉へ手を伸ばそうとしない。

ペザンテは静かに続ける。

「焦ると固くなります。」

「肉も音も。」

「待つことが大事です。」

「……ペザンテ。」

「お前、本当に何でも演奏理論で考えるんだな。」

ペザンテは真顔のまま小さく頷いた。

「はい。」

「焼肉もアンサンブルです。」

「火力。」

「間。」

「返すタイミング。」

「全部、合奏と同じです。」

一瞬静まり返り――

「ぶはははははっ!」

「焼肉アンサンブルって何だよ!」

「さすがペザンテ!」

「そこまで考えてたのか!」

店中から笑い声が上がった。

俺も腹を抱えて笑ってしまう。

昼間まで命を懸けて戦っていたとは思えないほど、穏やかな時間だった。

七輪の炭火が赤く揺れる。

その温かな光が、傷だらけの遊撃隊のみんなの笑顔を優しく照らしていた。

その時だった。

「坊主。」

低く、よく通る声が聞こえた。

俺はゆっくりと振り返る。

そこには、ビール瓶を片手にしたグラーヴェ軍曹が立っていた。


第47話『仲間』
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2026年07月04日