第19話『広島出張/命を預けるマウスピース』

第19話『広島出張/命を預けるマウスピース』


4月中旬。

初夏の柔らかな陽射しが、益田駐屯地の庁舎を照らしていた。

俺は一枚の申請書を持ち、カンタービレ軍曹の机の前へ立つ。

「軍曹。」

「失礼します。」

カンタービレは書類から静かに顔を上げた。

「どうされましたの?」

「装備品更新申請です。」

申請書を差し出す。

カンタービレは一枚一枚、丁寧に目を通していく。

「……ヤマハ広島店。」

「はい。」

「マウスピースの更新ですの?」

「はい。」

「現在の支給品に不具合でも?」

俺は首を横に振った。

「いいえ。」

「支給品は何も問題ありません。」

「ただ。」

「マウスピースは、ほんの僅かな個体差があります。」

カンタービレは黙って続きを促した。

「海外製ほどではありません。」

「海外製は一本一本、吹奏感がかなり違います。」

「ですが、日本製でも僅かな違いはあります。」

「命を預ける部品です。」

「できれば試奏して、一番相性のいい一本を選びたいと思いまして。」

しばらく静寂が流れる。

やがてカンタービレは静かに頷いた。

「合理的ですわ。」

「ありがとうございます。」

「申請を許可します。」

「……え?」

思わず聞き返した。

「何か問題でも?」

「いえ。」

「もっと反対されるかと……。」

カンタービレは少しだけ口元を緩めた。

「音術師にとって楽器は命。」

「マウスピースも命。」

「その選定に予算を惜しむほど、山陰支部は愚かではありませんわ。」

その言葉に、思わず背筋が伸びた。

「ありがとうございます。」

「ただし。」

軍曹の表情が引き締まる。

「道中も任務です。」

「怪人が出現した場合は、住民保護を最優先。」

「教範どおりに行動してください。」

「無理な交戦は認めません。」

「了解しました。」

「では。」

「行ってらっしゃいませ。」

敬礼を交わし、俺は庁舎を後にした。

(久しぶりの一人旅か。)

広島までは、それなりの距離がある。

浜田自動車道は景色も美しい。

少しは気分転換になるだろう。

母が亡くなってから、初めての遠出だった。

駐車場へ向かう。

見慣れた軍用四輪駆動車。

ドアを開ける。

「レッド様、おはようございます!」

助手席から、聞き慣れた元気な声。

リアルダだった。

「隊長様、おはようございます!」

後部座席ではブリランテが満面の笑みで敬礼している。

「…………。」

俺は何も言わず、ゆっくりドアを閉めた。

バタン。

そのまま踵を返し、庁舎へ戻ろうと歩き出す。

「レッド様ーっ!」

リアルダが慌てて車を降りてくる。

「違います!」

「偶然です!」

「本当です!」

「何が偶然なんだ。」

「私は情報機材の定期点検です!」

「ボクは予備マウスピースの受領です!」

ブリランテも窓から身を乗り出す。

「目的地が一緒なんです!」

「……。」

そんな都合のいい話があるだろうか。

その時。

庁舎二階の窓が静かに開いた。

カンタービレ軍曹がこちらを見下ろしている。

「隊長。」

「はい。」

「道中も立派な任務ですわ。」

「安全運転でお願いいたします。」

「……。」

やられた。

最初から軍曹の計画だったらしい。

リアルダは満面の笑みで敬礼する。

「行ってきます、レッド様!」

ブリランテも勢いよく続いた。

「よろしくお願いします、隊長様!」

俺は小さくため息をつく。

「……何とかなるさ。」

初夏の青空の下。

古びた軍用車はディーゼルエンジンを響かせながら、ゆっくりと益田駐屯地を後にした。

この広島出張が、士官学校時代の親友――コン・ブリオとの運命的な再会になることを、この時の俺はまだ知らなかった。


第20話『浜田自動車道』
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2026年07月04日