第36話『大編成会戦』(後編)

第36話『大編成会戦』(後編)


「第一トランペット遊撃隊!」

俺はベルを上げた。

「前へ!」

「了解です、隊長様!」

ブリランテが真っ先に飛び出す。

「ボク、行きます!」

ダブルタンギング。

タタタタタタッ!!

高速の連弾が敵前衛の足元を叩く。

「うおおおおっ!」

アクセントが雄叫びを上げる。

「押し返すぞーーー!!」

誰よりも声が大きい。

それだけで右翼の士気が上がる。

スタッカートは笑った。

「今日はツイてるっス!」

「昨日も言ってたぞ!」

アクセントが笑う。

「毎日ツイてると思えば、だいたいツイてるっス!」

「その考え方、嫌いじゃない!」

ペザンテは何も言わない。

バストランペットを担ぎ、防壁の薄い場所へ走る。

敵弾が飛べば。

無言でその身を盾にした。

その背中は、誰より頼もしい。

左翼では、カンタービレ軍曹が静かに号令を飛ばしている。

「ソステヌート、教範通り三歩前へ。」

「レガート、右翼との音圧差を調整してくださいまし。」

「グラツィオーソ、右後方を狙撃。」

「ドルチェ、後退者の援護を。」

右翼は勢い。

左翼は規律。

正反対なのに、一つの音楽になっていた。

俺はさらに前へ出る。

もう一歩。

その瞬間だった。

「坊主。」

低い声。

ゴツン。

クラリネットの管尻が頭へ落ちた。

「痛っ!」

振り向く。

グラーヴェ軍曹だった。

泥だらけの軍服。

傷だらけのクラリネット。

「前へ出過ぎだ。」

「ですが!」

軍曹は戦場から目を離さない。

「お前は遊撃隊長だ。」

「一番前で格好つける係じゃねぇ。」

言葉が詰まる。

軍曹は静かに前方を指差した。

農家のおじさん。

魚屋の老人。

郵便局員。

仕事着のまま楽器を吹く音響団。

誰も英雄じゃない。

それでも。

誰一人、音を止めない。

「あの農家は明日も畑へ出る。」

「あの魚屋は店を開ける。」

「あの爺さんもな。」

万国旗が風に揺れた。

「誰も。」

「戦うために生まれちゃおらん。」

軍曹は俺を見る。

「命は、有効に使え。」

胸へ突き刺さった。

母さんの死から逃げるように。

俺は誰より危険な場所へ立とうとしていた。

軍曹は、それを見抜いていた。



その時だった。

敵陣中央。

アラクネが静かに右手を上げる。

その合図だけで、右翼と左翼が動く。

乱れた隊列が、瞬く間に組み直された。

マエストロが双眼鏡を覗きながら苦笑する。

「ほらな。」

「だから厄介なんだ。」

俺が振り向く。

「隊長?」

「ギリシャ御一行様だ。」

双眼鏡を少し下ろす。

「あの三人は。」

「昔から一つのレギオンで戦ってきた。」

「切り崩しても。」

「すぐ立て直す。」

少し笑う。

「だから今回は。」

「三人まとめて崩すぞ。」

俺は敵陣を見つめた。

右翼。

左翼。

中央。

互いに目を合わせなくても動ける。

長い年月を共に戦ってきた者だけが持つ呼吸だった。



「レッドーーーっ!!」

マエストロの怒鳴り声が響く。

「機動遊撃隊!」

「援護射撃(Cover Fire)!!」

「了解!」

その瞬間。

リアルダが俺の隣へ滑り込んだ。

「レッド様。」

情報端末を高速で操作する。

「敵指揮官アラクネ、有効調律範囲内。」

「気温二十三度。」

「湿度六十八パーセント。」

「主管〇・八ミリ。」

俺は言われるまま、チューニング管を調整する。

カチッ。

「調律良好。」

リアルダは続けた。

「右翼弾幕、三秒周期。」

「左第四列、防壁に空隙発生予測。」

「斜角三度。」

「仰角一度右。」

「命中予測、七十二パーセント。」

俺は息を吸う。

リアルダが小さく笑った。

「撃てます。」

「何とかしてくださいね、レッド様。」

俺も笑う。

「何とかなるさ。」

ベルを構える。

そして――

吹いた。

『ぷひょっ』

『すぅぅぅ……』

『ぶぴちゅっ』

…………。

静寂。

防衛隊が止まる。

悪のみなさんも止まる。

子どもたちまで止まった。

リアルダも端末を抱えたまま固まる。

「…………え?」

計算は完璧だった。

風。

湿度。

調律。

弾道。

全部。

ただ一つ。

射手だけが計算に入っていなかった。

「ズコーーーーーッ!!」

前衛の戦闘員たちが一斉にずっこける。

「何なのだーーーっ!」

「調律以前なのだーー!」

運動場に笑いが広がる。

俺は今すぐ穴を掘って埋まりたかった。

だが。

敵陣中央。

アラクネだけは笑わなかった。

「警戒を維持。」

静かな一言だった。

その声だけで敵軍は笑いを止め、隊列を立て直す。

マエストロが口角を上げた。

「……遅ぇ。」

アルトサックスを下ろし、細身のソプラノサックスを構えた。

まるで狙撃銃だった。

「斜角よし。」

「仰角よし。」

「弾道計算よし。」

鋭い高音が一本だけ空を裂く。

ビキィィィン!!

音響弾は弾幕の隙間を縫い、一直線にアラクネへ向かう。

「来ます!」

敵軍が防御へ動く。

だが、笑いで生まれたほんの一瞬の遅れは消せなかった。

「甘いわ!」

アラクネは受け止めた。

それでも体勢が崩れる。

蜘蛛糸がわずかに開いた。

「レッド!」

マエストロが叫ぶ。

「今だ!!」

「追撃(Follow Up)!!」

「はいっ!!」

今度は迷わない。

腹の底から息を押し出す。

ロングトーン。

オレンジ色の音響弾が蜘蛛糸の隙間を貫いた。

ドガァァァァン!!

「きゃあぁっ!」

アラクネの身体が大きく後退する。

敵陣が揺れた。

それでも。

敵軍は崩れない。

左右から兵が流れ込み、再び中央を支える。

マエストロが苦笑した。

「だから言ったろ。」

「ギリシャ御一行は厄介なんだ。」

グラーヴェも鼻を鳴らす。

「腕は落ちとらん。」

土煙の向こう。

アラクネがゆっくり立ち上がる。

服についた土を払い、小さく笑った。

「……まだ終わりじゃないわ。」

その一言だけで。

二百名の軍勢が再び前を向く。

俺はベルを握り直した。

防衛隊も。

土蜘蛛軍団も。

誰一人、仲間を見捨てない。

万国旗が風に揺れる。

子どもたちの歓声が聞こえる。

運動場では、今日も笑顔が咲いている。

だから。

この戦いだけは。

負けられない。

俺は静かに息を吸った。

次の一音へ向けて。


第37話『消耗戦』(前編)
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2026年07月04日