第75話『濡れ女』
第75話『濡れ女』
潮風が、ふっと止んだ気がした。
リアルダが端末から顔を上げる。
「レッド様。」
「不協和音を確認しました。」
俺は海岸線へ目を向けた。
波打ち際を、一人の女が歩いてくる。
白い鍔広帽子。
仕立ての良い白いスーツ。
首には深紅のストール。
陽射しを受けたその姿は、まるで映画の女優のようだった。
その後ろを、黒いスーツ姿の手下たちが静かに続く。
砂浜へ出ると、女は帽子へそっと手を添えた。
「申し遅れました。」
懐から一枚の名刺を取り出し、俺へ差し出す。
受け取る。
そこには、端正な文字が並んでいた。
浜田沿岸守護衆
若頭 濡れ女
思わず名刺と本人を見比べる。
「……若頭。」
濡れ女は上品に微笑んだ。
「礼を失してはいけませんので。」
リアルダが名刺をのぞき込む。
「浜田沿岸守護衆……。」
カンタービレ軍曹が静かに口を開く。
「アラクネの部隊ではありませんの?」
濡れ女は首を横に振った。
「ふふ。」
「そんな大きな組織ではございません。」
「私どもは、この浜田の海を守る土地神様にお仕えしております。」
その言葉に、ハマダ軍曹が一歩前へ出る。
「……今年も、お会いしましたね。」
濡れ女は深く一礼した。
「ええ。」
「今年も海を守らせていただきます。」
ハマダ軍曹もうなずく。
「私も、この浜を守ります。」
二人はそれ以上、何も言わなかった。
長年向き合ってきた者同士だからこその静けさだった。
俺はその空気を見つめる。
敵意はある。
だが、憎しみは感じられない。
その時だった。
リアルダが端末へ目を落とす。
「レッド様。」
「精神波を検知しました。」
「子どもたちへ干渉しています。」
「内容は?」
「……かき氷です。」
「かき氷?」
リアルダが小さくうなずく。
「通常より、かき氷を食べたくなる衝動です。」
「食べ過ぎると、頭部へ一時的な痛みが発生します。」
俺は思わず濡れ女を見た。
「……頭がキーンとなるのは、お前たちの仕業か。」
濡れ女は少しだけ目を伏せ、上品に微笑んだ。
「はい。」
「毎年、少しだけ。」
俺は苦笑する。
「ほどほどにしてくれ。」
濡れ女は帽子へそっと手を添え、丁寧に一礼した。
「善処いたします。」
リアルダは端末へ視線を戻した。
「現時点では軽度の精神汚染です。」
「ですが、長時間続けば、海そのものへの恐怖へ発展する恐れがあります。」
濡れ女は否定しなかった。
「子どもたちには、海を畏れる心も必要です。」
「それもまた、この浜を守ることだと信じています。」
俺は静かにトランペットケースへ手を添えた。
守りたいものは、同じなのかもしれない。
だが。
守り方が違う。
潮騒だけが、静かに浜辺へ寄せては返していた。
第76話『防衛配置』
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