第68話『静かな夜』

第68話『静かな夜』


「それでは。」

マスターは六人分のコーヒーを静かにテーブルへ並べた。

「ごゆっくり。」

柔らかな笑顔。

落ち着いた声。

不思議と、その一言だけで店の空気が和らぐ。

ドルチェは店内を見回した。

「素敵なお店ですね〜。」

「ありがとうございます。」

「昔から、軍人さんがよく来てくださるんですよ。」

「なるほど〜。」

壁へ飾られた軍用地図や古いヘルメットを見て、ドルチェは納得したように頷いた。



「リアルダ。」

俺は少し安心したように笑う。

「今日は休みだったのか?」

「はい。」

リアルダも微笑む。

「ドルチェさんに誘っていただきました。」

「美味しいお料理をご馳走してくださいました。」

「へぇ。」

ドルチェが胸を張る。

「女子会です〜。」

「たまには息抜きも必要ですから〜。」

グラヴィオーソもコーヒーカップを持ちながら頷いた。

「戦場の話ばかりでは疲れるもの。」

「そうだな。」

俺も自然と笑った。



リアルダは机の上の本をもう一度見つめる。

『初めてのファッション』

『女性心理入門』

『会話が続く聞き方』

『初めてのデート』

……

「軍団長殿。」

「何だ。」

「こちらの教材ですが。」

「はい。」

「貸し出しは可能でしょうか。」

「ぶっ!」

思わずコーヒーを吹きそうになる。

マエストロは平然としていた。

「ああ。」

「勉強熱心なのは良いことだ。」

「ありがとうございます。」

リアルダは本を丁寧に抱えた。

「レッド様。」

「今度、一緒に勉強いたしましょう。」

「え?」

「市街地対人能力向上訓練です。」

「必要な知識だと思います。」

「そ……そうだな。」

俺は曖昧に笑うしかなかった。

マエストロは静かにコーヒーを飲む。

口元だけが少し笑っていた。



「そういえば。」

ドルチェが思い出したように笑う。

「レッド隊長。」

「はい?」

「今日は最初より、ずっと自然に話せてましたよ〜。」

「そうかな。」

「はい。」

「最初は完全に固まってました。」

店内に笑いが広がる。

ソステヌートが眼鏡を押し上げる。

「未知の状況でした。」

「教範にも記載がありません。」

グラヴィオーソが吹き出した。

「本当に真面目なのね。」

「恐縮です。」

「褒めてるのよ。」

「ありがとうございます。」

真面目に頭を下げる。

また笑いが起こる。



マエストロは腕を組んだ。

「諸君。」

全員が自然と軍団長を見る。

「今日の夜間訓練。」

「一番成績が良かった者を発表する。」

俺たちは少し緊張した。

「優秀者。」

一拍置く。

「ペザンテ。」

「はい。」

「よく食べた。」

「ありがとうございます。」

「緊張すると腹が減ります。」

「それでいい。」

マエストロは満足そうに頷いた。

「人は。」

「食べられるうちは大丈夫だ。」

ペザンテも静かに頷いた。

「了解。」



時計は午後十時を回っていた。

「そろそろ帰りましょうか。」

ドルチェが立ち上がる。

「はい。」

リアルダも席を立つ。

グラヴィオーソもコートを羽織った。

俺たちも立ち上がる。

マスターは静かに伝票を置いた。

「本日は。」

「ありがとうございました。」

「またのお越しを、お待ちしております。」

「ありがとうございました。」

俺たちは頭を下げる。

店を出る。

夜風が心地良かった。



ベルが鳴る。

カラン――。

扉が閉まる。

店内は静けさを取り戻した。

マスターは空になったカップを一つずつ片付けていく。

笑い声の残る店内。

先ほどまでの賑やかさが、まだそこに残っているようだった。

「……。」

小さく微笑む。

「皆様。」

誰に聞かせるでもなく。

静かに呟いた。

「どうか、ご無事で。」

その声だけが。

誰もいなくなったバー・レギオンへ、静かに溶けていった。


第69話『夜風』
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2026年07月06日