第9話『母の遺したトランペット』

第9話『母の遺したトランペット』


ブリランテは、ニューヨークモデルを両手で受け取った。

「……軽い。」

そっと構える。

大きく息を吸った。

『パァ────』

澄んだ音が、演習場へ伸びていく。

ブリランテの目が、ぱっと輝いた。

「隊長様!」

「すごく吹きやすいですよー!」

「そうなのか?」

「そうなのかって……。」

ブリランテが目を丸くする。

「隊長様のラッパですよ?」

「まあ、そうだけど。」

スタッカートが笑った。

「隊長、分かってない顔してる。」

「俺も吹いてみたいです!」

アクセントが手を挙げる。

「ちょっと待ってくださいですよー!」

ブリランテがニューヨークモデルを抱える。

「僕が先ですよ!」

「もう吹いただろ!」

「まだ少しですよ!」

また笑いが起きた。

やがて。

ソステヌートが手に取る。

一音。

『パァ────』

眼鏡を押し上げた。

「さすが、ラッカー仕様」

「反応が速いですね。」

「息も入りやすい。」

グラヴィオーソもベルを眺める。

「……いい色。」

そして、一音。

『パァ────』

「素直ね。」

俺は少し首を傾げた。

「そんなに違うのか?」

今度は全員が俺を見た。

「隊長様。」

ブリランテが真顔になる。

「本当に分かってないんですか?」

「……たぶん。」

「たぶん!」

笑われた。

俺は頭を掻く。

「これを選んだの。」

「俺じゃないんだ。」

笑い声が止まった。

「母なんだ。」

初夏の風が吹いた。

ブリランテがニューヨークモデルを見る。

「隊長様のお母さん……。」

「ああ。」

少しだけ昔を思い出す。

「小学生の頃。」

「母と楽器屋へ行ったことがあってさ。」

ショーケースの中に。

一本のトランペットがあった。

子どもの俺には。

それが、ものすごく格好よく見えた。

「ずっと見てたら。」

「母が。」

『そんなに好き?』

「って。」

アクセントが笑う。

「それで、買ってもらったんですか?」

「その日に持って帰った。」

「早っ!」

笑いが起きる。

ドルチェが微笑んだ。

「お優しいお母様だったのですね。」

「どうだろう。」

俺も少し笑った。

「甘かっただけかもしれない。」

バックのトランペットだったが。

子どもの俺には、大きく重たかった。

腕はすぐ疲れる。

ベルは下がる。

息も続かない。

それでも。

毎日吹いた。

「高校生までは、そのバックを使ってた。」

俺は、ブリランテの手にあるニューヨークモデルを見る。

「士官学校の入学祝いに。」

「母が、これをくれた。」

ブリランテが、そっとベルへ目を落とした。

「この一本を……。」

「ああ。」

当時は。

新しい楽器を買ってくれた。

それくらいにしか思っていなかった。

でも。

今日。

みんなの音を聴いて。

この楽器を、みんなに吹いてもらって。

少しだけ分かった気がする。

「軽くて。」

「反応が速くて。」

「息が入りやすい。」

俺は笑った。

「俺に合うものを。」

「ちゃんと選んでくれてたんだな。」

誰も何も言わなかった。

ブリランテが、ニューヨークモデルを差し出す。

「隊長様。」

「はい。」

俺は両手で受け取った。

陽射しを受けたラッカーが。

柔らかく光っている。

「……母には、敵わないな。」

そっとケースへ戻す。

カチリ。

留め具の音が。

静かな演習場へ響いた。


第10話『音の入口』
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2026年07月04日