第112話『カンナエ』
第112話『カンナエ』
広島平和野外音楽堂公園を。
一望できる高台。
木陰のシートでは。
二人の子どもが。
おもちゃで遊んでいた。
その隣。
母親が。
穏やかに見守っている。
◇
少し離れた場所。
アラクネは。
双眼鏡を覗いていた。
「……。」
「アラクネ様。」
カリストスが声をかける。
「何?」
「連合軍左翼。」
「撤退を始めました。」
アラクネが。
双眼鏡を動かす。
山ンバ軍。
確かに。
退いている。
メリッサも。
反対側を見る。
「右翼も。」
「撤退開始です。」
「……両翼が。」
アラクネの眉が。
わずかに動いた。
◇
防衛隊は。
追わない。
退いていく連合軍を。
必要以上に追撃しない。
カリストスが呟く。
「深追いしませんね。」
メリッサも頷く。
「殿を追い詰めれば。」
「向こうも必死になりますから。」
「……。」
アラクネは。
双眼鏡を下ろさない。
「貴方たち。」
「はい?」
「一つ。」
「忘れてるわ。」
連合軍を見る。
「まだ。」
「数も。」
「戦力も。」
「向こうが上よ。」
二人の表情が変わる。
「ここで乱戦になれば。」
「連合軍は、まだ押し切れるかもしれない。」
一拍。
「でも。」
声を落とす。
「どっちも。」
「ただでは済まない。」
カリストスが。
小さく息を吐く。
「だから。」
「退くなら。」
「退かせる……。」
「そう。」
アラクネが。
少し笑った。
「勝ち方を。」
「選んでる。」
◇
その時だった。
「……?」
アラクネの目が。
止まった。
防衛隊中央。
もう。
下がっていない。
瀬戸坊軍と。
正面から噛み合っている。
その後ろ。
打楽器防壁隊の重い音が。
途切れず響いていた。
さらに。
中央の左右。
重奏歩兵と。
機動予備。
連合軍を。
包み込むように。
展開し始めている。
「……。」
アラクネが。
双眼鏡を握り直した。
その外側。
最初に左右へ散った散兵。
そして。
両翼の。
トランペット遊撃隊。
左から。
右から。
連合軍後方本隊の。
背後へ向かっている。
U字の包囲。
その上蓋を。
閉じるように。
◇
「……そう。」
アラクネが。
小さく呟いた。
視線が。
戦場全体をなぞる。
前へ張り出していた。
防衛隊中央。
そこへ。
深く入り込んだ瀬戸坊軍。
勝勢を見て。
中央へ流れた。
連合軍、両翼の兵。
そして。
瀬戸坊軍を後押しするため。
中央へ前進した。
三鬼大王の後方本隊。
今。
そのすべてが。
一つの形の中にいる。
深い。
U字。
底は。
もう崩れない。
両側から。
包み込まれ。
そして。
上蓋が。
閉じようとしている。
「……!」
全部が。
一つにつながった。
アラクネが。
双眼鏡を下ろした。
「カンナエの戦い……。」
◇
沈黙。
メリッサが。
恐る恐る声をかける。
「アラクネ様?」
「ムッ……。」
「え?」
「ムッ……。」
嫌な予感。
そして。
「ムキーっ!!」
ベシッ!
「痛っ!」
メリッサが。
頭を押さえる。
「何なさるんですー!」
カリストスが。
一歩下がった。
「八つ当たりですか?」
「そうよ!」
「認めた!」
ベシッ!
「痛い!」
シートの上から。
子どもたちの笑い声。
「お姉ちゃん。」
「怒ってるー。」
「……。」
アラクネが。
固まった。
母親とも。
目が合う。
「……コホン。」
髪を整える。
「ちょっと。」
「大人げなかったわね。」
メリッサと。
カリストスを見る。
「悪かったわ。」
「……。」
二人が。
顔を見合わせる。
「アラクネ様が。」
「謝った……。」
「アラクネ様が。」
「謝った……。」
アラクネの眉が。
ぴくりと動く。
「そこ。」
一拍。
「分散和音で。」
「ハモらない。」
◇
再び。
戦場を見る。
上蓋は。
まだ。
閉じていない。
退路は。
わずかに残されている。
それでも。
瀬戸坊軍も。
三鬼大王の本隊も。
自由に動ける場所は。
もうほとんどない。
「……。」
アラクネが。
唇を噛む。
「どうして……。」
メリッサが聞く。
「何がです?」
アラクネが。
戦場を指さした。
「どうして!」
声が大きくなる。
「どうして私が!」
一拍。
「あそこにいないのよー!!」
「……。」
「アタシなら!」
「もっと!」
「うまくやるわよー!」
カリストスが。
呆れた顔をする。
「アラクネ様。」
「どちらの味方なんです?」
アラクネは。
即答した。
「負けてる方に。」
一拍。
「決まってるでしょ!」
「そこですか!」
◇
アラクネは。
くるりと背を向けた。
「帰るわよ。」
メリッサが。
目を丸くする。
「え?」
「最後まで。」
「見ないんですか?」
足が止まる。
アラクネは。
振り返らなかった。
戦場では。
まだ。
いくつもの音が。
ぶつかり合っている。
それでも。
静かに言った。
「もう。」
一拍。
「勝敗は。」
「決したわ……。」
第113話『生還』
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