第112話『カンナエ』

第112話『カンナエ』


広島平和野外音楽堂公園を。

一望できる高台。

木陰のシートでは。

二人の子どもが。

おもちゃで遊んでいた。

その隣。

母親が。

穏やかに見守っている。



少し離れた場所。

アラクネは。

双眼鏡を覗いていた。

「……。」

「アラクネ様。」

カリストスが声をかける。

「何?」

「連合軍左翼。」

「撤退を始めました。」

アラクネが。

双眼鏡を動かす。

山ンバ軍。

確かに。

退いている。

メリッサも。

反対側を見る。

「右翼も。」

「撤退開始です。」

「……両翼が。」

アラクネの眉が。

わずかに動いた。



防衛隊は。

追わない。

退いていく連合軍を。

必要以上に追撃しない。

カリストスが呟く。

「深追いしませんね。」

メリッサも頷く。

「殿を追い詰めれば。」

「向こうも必死になりますから。」

「……。」

アラクネは。

双眼鏡を下ろさない。

「貴方たち。」

「はい?」

「一つ。」

「忘れてるわ。」

連合軍を見る。

「まだ。」

「数も。」

「戦力も。」

「向こうが上よ。」

二人の表情が変わる。

「ここで乱戦になれば。」

「連合軍は、まだ押し切れるかもしれない。」

一拍。

「でも。」

声を落とす。

「どっちも。」

「ただでは済まない。」

カリストスが。

小さく息を吐く。

「だから。」

「退くなら。」

「退かせる……。」

「そう。」

アラクネが。

少し笑った。

「勝ち方を。」

「選んでる。」



その時だった。

「……?」

アラクネの目が。

止まった。

防衛隊中央。

もう。

下がっていない。

瀬戸坊軍と。

正面から噛み合っている。

その後ろ。

打楽器防壁隊の重い音が。

途切れず響いていた。

さらに。

中央の左右。

重奏歩兵と。

機動予備。

連合軍を。

包み込むように。

展開し始めている。

「……。」

アラクネが。

双眼鏡を握り直した。

その外側。

最初に左右へ散った散兵。

そして。

両翼の。

トランペット遊撃隊。

左から。

右から。

連合軍後方本隊の。

背後へ向かっている。

U字の包囲。

その上蓋を。

閉じるように。



「……そう。」

アラクネが。

小さく呟いた。

視線が。

戦場全体をなぞる。

前へ張り出していた。

防衛隊中央。

そこへ。

深く入り込んだ瀬戸坊軍。

勝勢を見て。

中央へ流れた。

連合軍、両翼の兵。

そして。

瀬戸坊軍を後押しするため。

中央へ前進した。

三鬼大王の後方本隊。

今。

そのすべてが。

一つの形の中にいる。

深い。

U字。

底は。

もう崩れない。

両側から。

包み込まれ。

そして。

上蓋が。

閉じようとしている。

「……!」

全部が。

一つにつながった。

アラクネが。

双眼鏡を下ろした。

「カンナエの戦い……。」



沈黙。

メリッサが。

恐る恐る声をかける。

「アラクネ様?」

「ムッ……。」

「え?」

「ムッ……。」

嫌な予感。

そして。

「ムキーっ!!」

ベシッ!

「痛っ!」

メリッサが。

頭を押さえる。

「何なさるんですー!」

カリストスが。

一歩下がった。

「八つ当たりですか?」

「そうよ!」

「認めた!」

ベシッ!

「痛い!」

シートの上から。

子どもたちの笑い声。

「お姉ちゃん。」

「怒ってるー。」

「……。」

アラクネが。

固まった。

母親とも。

目が合う。

「……コホン。」

髪を整える。

「ちょっと。」

「大人げなかったわね。」

メリッサと。

カリストスを見る。

「悪かったわ。」

「……。」

二人が。

顔を見合わせる。

「アラクネ様が。」

「謝った……。」

「アラクネ様が。」

「謝った……。」

アラクネの眉が。

ぴくりと動く。

「そこ。」

一拍。

「分散和音で。」

「ハモらない。」



再び。

戦場を見る。

上蓋は。

まだ。

閉じていない。

退路は。

わずかに残されている。

それでも。

瀬戸坊軍も。

三鬼大王の本隊も。

自由に動ける場所は。

もうほとんどない。

「……。」

アラクネが。

唇を噛む。

「どうして……。」

メリッサが聞く。

「何がです?」

アラクネが。

戦場を指さした。

「どうして!」

声が大きくなる。

「どうして私が!」

一拍。

「あそこにいないのよー!!」

「……。」

「アタシなら!」

「もっと!」

「うまくやるわよー!」

カリストスが。

呆れた顔をする。

「アラクネ様。」

「どちらの味方なんです?」

アラクネは。

即答した。

「負けてる方に。」

一拍。

「決まってるでしょ!」

「そこですか!」



アラクネは。

くるりと背を向けた。

「帰るわよ。」

メリッサが。

目を丸くする。

「え?」

「最後まで。」

「見ないんですか?」

足が止まる。

アラクネは。

振り返らなかった。

戦場では。

まだ。

いくつもの音が。

ぶつかり合っている。

それでも。

静かに言った。

「もう。」

一拍。

「勝敗は。」

「決したわ……。」


第113話『生還』
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2026年08月18日