第40話『暴走ギツネ』
第40話『暴走ギツネ』
「全軍!」
アラクネが腹の底から叫ぶ。
「撤退準備!」
「保育隊は依り代を連れて後退!」
「親衛隊は殿を務めなさい!」
カリストスが即座に頷いた。
「了解。」
「右翼、第三列から順に後退。」
「負傷者を中央へ。」
メリッサも静かに手を上げる。
「左翼、後退支援。」
「最後尾は私が務めます。」
「誰一人、置いて行きません。」
蜘蛛紋章の兵たちが一斉に動き出す。
その統率は見事だった。
◇
だが。
「キャハハハハ!」
「もっと遊ぶコン!」
紫色の小さな影が駆け抜けるたびに、敵味方の隊列は乱れていく。
「そこじゃない!」
グランが叫ぶ。
「カプリッチョ!」
「ワシの防壁へ戻れ!」
「やだもーん!」
「まだ遊ぶコン!」
悪のみなさんが慌てて追いかける。
「待つのだーー!」
「そっちは危ないのだーー!」
「捕まえろなのだーー!」
「捕まえられないのだーー!」
防衛隊まで巻き込まれる。
「防壁が崩れる!」
「遊撃隊、下がれ!」
「カプリッチョ様、お願いですから止まってください!」
リアルダの悲鳴まで聞こえてきた。
俺は泥だらけのまま、その光景を見つめる。
「……自由すぎる。」
「神獣だからのう。」
グランが苦笑した。
「ワシでも止められん。」
その一言が妙に重かった。
Sランク。
山陰最強と呼ばれる上級音術師ですら、一柱の神獣には振り回される。
それが現実だった。
◇
アラクネは頭を抱えたまま叫ぶ。
「全軍撤退!」
「保育隊!」
「依り代を守って離脱!」
「親衛隊!」
「時間を稼ぎなさい!」
「急ぐのよーーーっ!!」
「了解!」
カリストスとメリッサが同時に応じる。
その声に続くように、
「なのだーーーーっ!!」
悪のみなさんは一斉に後退を始めた。
統制の取れた撤退だった。
誰一人として無駄に突撃しない。
誰一人として仲間を置き去りにしない。
まるで一つの生き物のように、黒い軍勢が夕暮れの校庭から静かに離れていく。
◇
マエストロが小さく息を吐いた。
「……最後まで綺麗なレギオンだったな。」
グラーヴェ軍曹も鼻を鳴らす。
「敵ながら。」
「大した軍団だ。」
やがて。
運動場から黒い戦闘服が消えていく。
静寂。
夕暮れの風だけが万国旗を揺らしていた。
ジョコーソはゆっくり目を開き、小さく息をつく。
「高音も、中音も、低音も……。」
「最後までつながったな。」
混成サックス遊撃隊の隊員たちも、ようやく楽器を下ろした。
グランは巨大なチューバを肩へ担ぎ直し、静かに周囲を見渡す。
「皆の者。」
低く、よく通る声だった。
「よう戦った。」
「生きて帰るまでが運動会じゃ。」
「今日は皆、本当によく生き抜いた。」
その言葉だけで、何人もの隊員がその場へ座り込んだ。
楽器を抱いたまま泣く者。
空を見上げる者。
泥の上へ寝転ぶ者。
誰もが、生きていることを噛みしめていた。
マエストロは姿勢を正し、最敬礼した。
「ありがとうございます!」
「グラン閣下!」
グランは小さく頷く。
「マエストロ。」
「崩れかけたレギオンを、よう最後まで繋ぎ止めた。」
「見事じゃ。」
マエストロは照れ臭そうに笑った。
「いやぁ。」
「最後は援軍頼みでした。」
「それでも。」
グランは笑う。
「援軍が来るまで持ち堪えるのも、立派な指揮官の務めじゃ。」
続いて。
グラーヴェ軍曹へ向き直る。
「グラーヴェ音響団長。」
「民間人でありながら、この街を守り抜いた。」
「本部を代表して礼を申す。」
軍曹は頭を掻いた。
「礼なんざ要らねぇ。」
「自分らの町は、自分らで守った。」
「ただ、それだけだ。」
グランは満足そうに頷く。
そして。
俺の前まで歩いてきた。
「貴様がレッドか。」
「フォルテ坊から話は聞いておる。」
「えっ?」
思わず聞き返した。
「フォルテ……坊?」
あの鬼教官を。
坊?
俺は思わず口走る。
「グラン閣下……。」
「失礼ですが。」
「おいくつなんですか?」
一瞬。
運動場の空気が止まる。
グランはゆっくりと俺を見た。
「……。」
そして。
ニヤリと笑った。
「小僧。」
「レディに年齢を聞くものではないぞ?」
次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォンッ!!!!
「誰がレディの年齢を聞けと言うたぁぁぁぁーーーっ!!!」
「うわああああぁぁーーーっ!!」
俺は吹き飛んだ。
「レッド様ぁぁぁーーーっ!」
リアルダが慌てて駆け寄る。
その様子を見たカプリッチョが、お腹を抱えて笑い転げる。
「キャハハハハ!」
「アンタ、おもしろーい!」
「ウチ、アンタ気に入ったコン!」
夕暮れの運動場に笑い声が広がる。
笑える者は笑い。
泣く者は泣く。
それでも誰もが、生きてこの夕暮れを迎えられたことを噛みしめていた。
その日、益田小学校の運動場に最後まで響いていたのは――
勝利のファンファーレではなく、
人々の笑い声だった。
第41話『飴玉とウルセンジャー』
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