第40話『暴走ギツネ』

第40話『暴走ギツネ』


「全軍!」

アラクネが腹の底から叫ぶ。

「撤退準備!」

「保育隊は依り代を連れて後退!」

「親衛隊は殿を務めなさい!」

カリストスが即座に頷いた。

「了解。」

「右翼、第三列から順に後退。」

「負傷者を中央へ。」

メリッサも静かに手を上げる。

「左翼、後退支援。」

「最後尾は私が務めます。」

「誰一人、置いて行きません。」

蜘蛛紋章の兵たちが一斉に動き出す。

その統率は見事だった。



だが。

「キャハハハハ!」

「もっと遊ぶコン!」

紫色の小さな影が駆け抜けるたびに、敵味方の隊列は乱れていく。

「そこじゃない!」

グランが叫ぶ。

「カプリッチョ!」

「ワシの防壁へ戻れ!」

「やだもーん!」

「まだ遊ぶコン!」

悪のみなさんが慌てて追いかける。

「待つのだーー!」

「そっちは危ないのだーー!」

「捕まえろなのだーー!」

「捕まえられないのだーー!」

防衛隊まで巻き込まれる。

「防壁が崩れる!」

「遊撃隊、下がれ!」

「カプリッチョ様、お願いですから止まってください!」

リアルダの悲鳴まで聞こえてきた。

俺は泥だらけのまま、その光景を見つめる。

「……自由すぎる。」

「神獣だからのう。」

グランが苦笑した。

「ワシでも止められん。」

その一言が妙に重かった。

Sランク。

山陰最強と呼ばれる上級音術師ですら、一柱の神獣には振り回される。

それが現実だった。



アラクネは頭を抱えたまま叫ぶ。

「全軍撤退!」

「保育隊!」

「依り代を守って離脱!」

「親衛隊!」

「時間を稼ぎなさい!」

「急ぐのよーーーっ!!」

「了解!」

カリストスとメリッサが同時に応じる。

その声に続くように、

「なのだーーーーっ!!」

悪のみなさんは一斉に後退を始めた。

統制の取れた撤退だった。

誰一人として無駄に突撃しない。

誰一人として仲間を置き去りにしない。

まるで一つの生き物のように、黒い軍勢が夕暮れの校庭から静かに離れていく。



マエストロが小さく息を吐いた。

「……最後まで綺麗なレギオンだったな。」

グラーヴェ軍曹も鼻を鳴らす。

「敵ながら。」

「大した軍団だ。」

やがて。

運動場から黒い戦闘服が消えていく。

静寂。

夕暮れの風だけが万国旗を揺らしていた。

ジョコーソはゆっくり目を開き、小さく息をつく。

「高音も、中音も、低音も……。」

「最後までつながったな。」

混成サックス遊撃隊の隊員たちも、ようやく楽器を下ろした。

グランは巨大なチューバを肩へ担ぎ直し、静かに周囲を見渡す。

「皆の者。」

低く、よく通る声だった。

「よう戦った。」

「生きて帰るまでが運動会じゃ。」

「今日は皆、本当によく生き抜いた。」

その言葉だけで、何人もの隊員がその場へ座り込んだ。

楽器を抱いたまま泣く者。

空を見上げる者。

泥の上へ寝転ぶ者。

誰もが、生きていることを噛みしめていた。

マエストロは姿勢を正し、最敬礼した。

「ありがとうございます!」

「グラン閣下!」

グランは小さく頷く。

「マエストロ。」

「崩れかけたレギオンを、よう最後まで繋ぎ止めた。」

「見事じゃ。」

マエストロは照れ臭そうに笑った。

「いやぁ。」

「最後は援軍頼みでした。」

「それでも。」

グランは笑う。

「援軍が来るまで持ち堪えるのも、立派な指揮官の務めじゃ。」

続いて。

グラーヴェ軍曹へ向き直る。

「グラーヴェ音響団長。」

「民間人でありながら、この街を守り抜いた。」

「本部を代表して礼を申す。」

軍曹は頭を掻いた。

「礼なんざ要らねぇ。」

「自分らの町は、自分らで守った。」

「ただ、それだけだ。」

グランは満足そうに頷く。

そして。

俺の前まで歩いてきた。

「貴様がレッドか。」

「フォルテ坊から話は聞いておる。」

「えっ?」

思わず聞き返した。

「フォルテ……坊?」

あの鬼教官を。

坊?

俺は思わず口走る。

「グラン閣下……。」

「失礼ですが。」

「おいくつなんですか?」

一瞬。

運動場の空気が止まる。

グランはゆっくりと俺を見た。

「……。」

そして。

ニヤリと笑った。

「小僧。」

「レディに年齢を聞くものではないぞ?」

次の瞬間。

ドゴォォォォォォォォンッ!!!!

「誰がレディの年齢を聞けと言うたぁぁぁぁーーーっ!!!」

「うわああああぁぁーーーっ!!」

俺は吹き飛んだ。

「レッド様ぁぁぁーーーっ!」

リアルダが慌てて駆け寄る。

その様子を見たカプリッチョが、お腹を抱えて笑い転げる。

「キャハハハハ!」

「アンタ、おもしろーい!」

「ウチ、アンタ気に入ったコン!」

夕暮れの運動場に笑い声が広がる。

笑える者は笑い。

泣く者は泣く。

それでも誰もが、生きてこの夕暮れを迎えられたことを噛みしめていた。

その日、益田小学校の運動場に最後まで響いていたのは――

勝利のファンファーレではなく、

人々の笑い声だった。


第41話『飴玉とウルセンジャー』
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2026年07月04日