第98話『ホテル』

第98話『ホテル』


午後三時。

公用車は広島市内へ入り、一軒のホテルの車寄せへ滑り込んだ。

ザ・グランドリヴァージュ広島。

白い石造りの外壁。

大きなガラス窓。

噴水。

手入れの行き届いた植え込み。

俺は、しばらく建物を見上げた。

「おいおい……。」

「冗談だろ。」

隣でリアルダも立ち尽くしている。

「レッド様……。」

自分の制服を見下ろす。

「私たち、この格好で入って大丈夫なんですか?」

益田駐屯地から、そのまま来た。

どう考えても場違いだ。

なのに。

ドルチェだけは、いつも通りだった。

「心配いりませんわ〜。」

「……何でお前だけ余裕なんだ。」

「ウフフ♪」

情報武官が軽く会釈する。

「こちらです。」



自動ドアが開いた。

ひんやりとした空気。

吹き抜けのロビー。

磨かれた床。

高い天井から下がるシャンデリア。

どこからか、静かなピアノの音が聞こえる。

リアルダが辺りを見回した。

「わぁ……。」

「前見て歩けよ。」

「は、はいっ。」

フロントへ向かう。

情報武官が宿泊名を告げた。

受付係が端末を操作する。

その手が。

ふと止まった。

「……。」

視線が、ドルチェへ向く。

「少々お待ちくださいませ。」

受付係が奥へ下がった。

しばらくして。

別のスタッフが現れる。

二人で何か話している。

さらに、もう一人。

リアルダが俺の袖をつまんだ。

「レッド様……。」

「何か問題でも?」

「分からん。」

ちらりと横を見る。

ドルチェは平然としていた。

その時。

スマートフォンが小さく震える。

ドルチェが画面を見る。

短く文字を打つ。

送信。

そして。

何事もなかったように、しまった。

「ウフフ♪」

「……。」

絶対に何か知ってる。



数分後。

受付係が戻ってきた。

「お待たせいたしました。」

「お部屋の準備が整うまで、こちらでお待ちくださいませ。」

案内されたのは、ロビーラウンジだった。

ソファへ腰を下ろした瞬間。

「きゃっ!」

リアルダの身体が沈んだ。

「レッド様!」

「吸い込まれますー!」

「大袈裟だろ。」

俺も座る。

「……。」

沈む。

「本当だな。」

ドルチェが楽しそうに笑った。

「ウフフ♪」

間もなく。

コーヒーと小さな菓子が運ばれてくる。

俺は反射的に財布へ手をやった。

「……持ち合わせないぞ。」

「ウェルカムドリンクですわ。」

ドルチェが平然と言う。

「そういうものなのか。」

「そういうものですわ〜。」

本当にそうなのか。

分からなくなってきた。



情報武官が立ち上がる。

「私は軍務へ戻ります。」

「軍団長も、用件を終え次第こちらへ来られるそうです。」

「分かった。」

「ご苦労さま。」

「では。」

敬礼。

情報武官がホテルを後にする。

入れ替わるように。

一人の男性が歩いてきた。

燕尾服。

白い手袋。

隙のない所作。

深く一礼する。

「ミヤジマと申します。」

「本日は、ようこそお越しくださいました。」

名刺を差し出された。

慌てて両手で受け取る。

「ど、どうも。」

「お部屋へご案内いたします。」



連れて行かれたのは。

一般客の多いロビーとは少し離れた、静かなエレベーターホールだった。

リアルダが小声で囁く。

「レッド様。」

「やっぱり私たち、場違いだから別ルートなんでしょうか。」

「……あり得るな。」

「聞こえておりますわよ。」

ドルチェが笑っている。

エレベーターが上がる。

三階。

五階。

八階。

十階。

まだ止まらない。

「ずいぶん上だな。」

「広島って都会ですね……。」

「それ、関係あるか?」

やがて。

最上階。

扉が静かに開いた。

厚い絨毯。

大きな窓。

その向こうには、広島の街が広がっている。

ミヤジマさんが一室の前で止まった。

カードキーをかざす。

電子音。

扉が開いた。

「……。」

広いリビング。

応接セット。

ダイニング。

大きな窓。

その奥には、寝室が二つ。

俺は入口で止まった。

「おい。」

「これは、どういうことだ。」

リアルダも固まっている。

「レッド様……。」

「本当に、ここで合ってます?」

ミヤジマさんは穏やかに一礼した。

「間違いございません。」

そして。

ごく自然に言った。

「英雄の息子には、相応しいお部屋と申しつかっております。」

「……英雄?」

聞き返す。

だが。

ミヤジマさんは答えなかった。

ほんの一瞬だけ。

ドルチェを見る。

ドルチェも。

小さく微笑んだ。

「ウフフ♪」

「……。」

やっぱり。

何かある。

「御用の際は、室内のコールボタンでお申し付けくださいませ。」

深く一礼。

扉が閉まった。



静寂。

俺とリアルダは顔を見合わせる。

「……。」

「……。」

そして。

同時にドルチェを見る。

「何ですの?」

にっこり笑っている。

何が起きているのか。

俺たちには。

さっぱり分からなかった。


第99話『スイートルーム』
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2026年08月18日