第99話『スイートルーム』
第99話『スイートルーム』
部屋へ案内されてから、しばらく経った。
大きな窓の向こうには、夏の広島市街。
静かだ。
静かすぎる。
俺は落ち着かず、部屋を見回した。
「何だか落ち着かないな。」
「夕飯まで時間あるし、少し外でも――」
「レッド様。」
リアルダに止められた。
ノートパソコンを開き、すでに仕事を始めている。
「情報武官様から、公園の敷地図と観測データをいただきました。」
画面には。
園内の起伏。
建物。
風向き。
いくつもの数字。
「明日の音場を予測します。」
「反響率も見ておきたいです。」
「……さすがだな。」
「頼んだ。」
「はい。」
ドルチェが紅茶を口元へ運ぶ。
「隊長は、明日に備えてお休みくださいませ。」
「そのためのスイートルームですわ〜。」
「それから。」
楽しそうに笑う。
「夕食は、出前が届きますわ♪」
「出前?」
「ええ。」
「ホテルでも、そんなのあるんだな。」
「ウフフ♪」
まただ。
その笑い方。
◇
俺はソファへ身体を預けた。
窓の外。
広島の街。
ここへ来てから。
どうにも、昔のことを思い出す。
目を閉じた。
ほんの少し。
休むつもりだった。
◇
――士官学校。
胸に抱えた卒業証書。
通信室へ走る。
『母さん!』
『僕、卒業できたよ!』
ノイズ。
誰かの声。
『……スカーレット特級音術師……』
聞きたくない。
『……戦死を確認……』
「……母さん?」
◇
「レッド様!」
肩を揺さぶられた。
「レッド様!」
目を開ける。
「……っ!」
リアルダが、心配そうに覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「すごく、うなされていました。」
額に汗が滲んでいる。
「ああ……。」
息を整える。
「大丈夫だ。」
「でも――」
「慣れない場所だからな。」
無理に笑った。
「身体が拒否反応を起こしたんだろ。」
リアルダは、まだ心配そうだった。
ドルチェも俺を見ている。
でも。
何も聞かなかった。
「……少し寝たら楽になった。」
「そうですか。」
リアルダが、ようやく頷く。
その時。
コンコン。
ドアが鳴った。
ドルチェが立ち上がる。
「夕食ですわ〜♪」
◇
「カツ丼か?」
俺も身体を起こす。
「いや。」
「広島焼きかな。」
ドルチェが振り返った。
「隊長。」
「はい。」
「お好み焼きですわ。」
「……失礼しました。」
リアルダも真顔で頷く。
「重要事項です。」
「お前まで言うな。」
扉が開いた。
ワゴンが入ってくる。
一台。
二台。
まだ来る。
前菜。
スープ。
魚料理。
肉料理。
焼きたてのパン。
デザート。
「……。」
俺は黙った。
リアルダも黙った。
「これが。」
しばらくして。
リアルダが呟く。
「出前……?」
ドルチェは平然としている。
「出前ですわ♪」
「絶対違うだろ。」
給仕係が一礼した。
「何か必要なものはございますか?」
俺はテーブルを見る。
銀色のナイフ。
フォーク。
スプーン。
少し考えた。
「箸をお願いします。」
「三人分。」
「かしこまりました。」
給仕係が静かに退室する。
リアルダが俺を見る。
「そこは譲らないんですね。」
「食いやすいだろ。」
◇
夕日が。
広島の街を赤く染めていた。
明日。
あの街のどこかで。
数百人が戦う。
それなのに。
今は。
ホテルの最上階。
豪華な料理。
静かな部屋。
俺は窓の外を見た。
(本当に。)
(ここで戦が始まるのか……。)
◇
「あっ。」
リアルダが何かを見つけた。
テーブルの端に置かれた、一冊の本。
「レッド様。」
嫌な予感がする。
「何だ。」
「マエストロ軍団長からお借りした教本です。」
表紙を見せてくる。
『市街地対人訓練用教材
初めてのデート』
「……おい。」
リアルダは真顔でページをめくる。
「あっ。」
「『初めてのお風呂』は、さすがに駄目ですね。」
「当たり前だ。」
さらにめくる。
「あっ。」
「『初めての添い寝』なら――」
「駄目だ。」
「まだ最後まで読んでません。」
「読まなくていい。」
リアルダが首を傾げる。
「でも今日は。」
指を折る。
「初めてのホテル。」
「初めてのお食事。」
「二項目も達成しました。」
「何の訓練だよ。」
ドルチェが口元を押さえる。
「ウフフっ。」
◇
その時。
部屋の電話が鳴った。
ドルチェが受話器を取る。
「はい。」
少し聞いて。
「承知いたしました。」
受話器を置いた。
「コン・ブリオ様が。」
俺を見る。
「ラウンジでお待ちですわ。」
「……あいつか。」
俺は立ち上がった。
窓の外は。
もう夜になり始めていた。
明日の会戦を前に。
まずは。
久しぶりの親友に会いに行く。
第100話『コン・ブリオという男』
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