第99話『スイートルーム』

第99話『スイートルーム』


部屋へ案内されてから、しばらく経った。

大きな窓の向こうには、夏の広島市街。

静かだ。

静かすぎる。

俺は落ち着かず、部屋を見回した。

「何だか落ち着かないな。」

「夕飯まで時間あるし、少し外でも――」

「レッド様。」

リアルダに止められた。

ノートパソコンを開き、すでに仕事を始めている。

「情報武官様から、公園の敷地図と観測データをいただきました。」

画面には。

園内の起伏。

建物。

風向き。

いくつもの数字。

「明日の音場を予測します。」

「反響率も見ておきたいです。」

「……さすがだな。」

「頼んだ。」

「はい。」

ドルチェが紅茶を口元へ運ぶ。

「隊長は、明日に備えてお休みくださいませ。」

「そのためのスイートルームですわ〜。」

「それから。」

楽しそうに笑う。

「夕食は、出前が届きますわ♪」

「出前?」

「ええ。」

「ホテルでも、そんなのあるんだな。」

「ウフフ♪」

まただ。

その笑い方。



俺はソファへ身体を預けた。

窓の外。

広島の街。

ここへ来てから。

どうにも、昔のことを思い出す。

目を閉じた。

ほんの少し。

休むつもりだった。



――士官学校。

胸に抱えた卒業証書。

通信室へ走る。

『母さん!』

『僕、卒業できたよ!』

ノイズ。

誰かの声。

『……スカーレット特級音術師……』

聞きたくない。

『……戦死を確認……』

「……母さん?」



「レッド様!」

肩を揺さぶられた。

「レッド様!」

目を開ける。

「……っ!」

リアルダが、心配そうに覗き込んでいた。

「大丈夫ですか?」

「すごく、うなされていました。」

額に汗が滲んでいる。

「ああ……。」

息を整える。

「大丈夫だ。」

「でも――」

「慣れない場所だからな。」

無理に笑った。

「身体が拒否反応を起こしたんだろ。」

リアルダは、まだ心配そうだった。

ドルチェも俺を見ている。

でも。

何も聞かなかった。

「……少し寝たら楽になった。」

「そうですか。」

リアルダが、ようやく頷く。

その時。

コンコン。

ドアが鳴った。

ドルチェが立ち上がる。

「夕食ですわ〜♪」



「カツ丼か?」

俺も身体を起こす。

「いや。」

「広島焼きかな。」

ドルチェが振り返った。

「隊長。」

「はい。」

「お好み焼きですわ。」

「……失礼しました。」

リアルダも真顔で頷く。

「重要事項です。」

「お前まで言うな。」

扉が開いた。

ワゴンが入ってくる。

一台。

二台。

まだ来る。

前菜。

スープ。

魚料理。

肉料理。

焼きたてのパン。

デザート。

「……。」

俺は黙った。

リアルダも黙った。

「これが。」

しばらくして。

リアルダが呟く。

「出前……?」

ドルチェは平然としている。

「出前ですわ♪」

「絶対違うだろ。」

給仕係が一礼した。

「何か必要なものはございますか?」

俺はテーブルを見る。

銀色のナイフ。

フォーク。

スプーン。

少し考えた。

「箸をお願いします。」

「三人分。」

「かしこまりました。」

給仕係が静かに退室する。

リアルダが俺を見る。

「そこは譲らないんですね。」

「食いやすいだろ。」



夕日が。

広島の街を赤く染めていた。

明日。

あの街のどこかで。

数百人が戦う。

それなのに。

今は。

ホテルの最上階。

豪華な料理。

静かな部屋。

俺は窓の外を見た。

(本当に。)

(ここで戦が始まるのか……。)



「あっ。」

リアルダが何かを見つけた。

テーブルの端に置かれた、一冊の本。

「レッド様。」

嫌な予感がする。

「何だ。」

「マエストロ軍団長からお借りした教本です。」

表紙を見せてくる。

『市街地対人訓練用教材
初めてのデート』

「……おい。」

リアルダは真顔でページをめくる。

「あっ。」

「『初めてのお風呂』は、さすがに駄目ですね。」

「当たり前だ。」

さらにめくる。

「あっ。」

「『初めての添い寝』なら――」

「駄目だ。」

「まだ最後まで読んでません。」

「読まなくていい。」

リアルダが首を傾げる。

「でも今日は。」

指を折る。

「初めてのホテル。」

「初めてのお食事。」

「二項目も達成しました。」

「何の訓練だよ。」

ドルチェが口元を押さえる。

「ウフフっ。」



その時。

部屋の電話が鳴った。

ドルチェが受話器を取る。

「はい。」

少し聞いて。

「承知いたしました。」

受話器を置いた。

「コン・ブリオ様が。」

俺を見る。

「ラウンジでお待ちですわ。」

「……あいつか。」

俺は立ち上がった。

窓の外は。

もう夜になり始めていた。

明日の会戦を前に。

まずは。

久しぶりの親友に会いに行く。


第100話『コン・ブリオという男』
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2026年08月18日