第65話『軍団長の教本』

第65話『軍団長の教本』


カフェを出る頃には、すっかり日が暮れていた。

益田駅前には、夜の灯りがともり始めている。

「ありがとうございました。」

ジョコーソの友人たちが笑顔で頭を下げる。

「こちらこそ。」

俺たちも頭を下げた。

ジョコーソは俺たちを見回し、豪快に笑う。

「ワーッハッハ!」

「少年たち。」

「今日は上出来だった。」

「人と話すのも訓練だ。」

「忘れるなよ。」

「はい!」

俺たちはそろって返事をする。

ジョコーソは満足そうに頷いた。

「それじゃあ。」

「私たちはここまでだ。」

友人たちと並んで軽く手を振る。

「またな。」

「ありがとうございました!」

ベルが鳴り、ジョコーソたちの背中が夜の駅前へ溶けていく。

正直に言えば。

怪人との戦いより疲れた。



駅前を歩きながら。

誰も口を開かなかった。

やがて。

マエストロが振り返る。

「レッド君。」

「はい。」

「今日の訓練。」

「どうだった?」

少し考える。

「……難しかったです。」

「何が。」

「正解が分かりませんでした。」

マエストロは笑う。

「それでいい。」

「え?」

「恋愛にも。」

「教範はない。」

ソステヌートが反応する。

「軍団長。」

「教範が存在しないのであれば。」

「学習方法は。」

「経験だ。」

即答だった。

「失敗も含めてな。」

ソステヌートは静かに頷く。

「了解しました。」



一本裏の路地へ入る。

昼間とは違い、人通りも少ない。

古い街灯が石畳を照らしていた。

その先に、小さな看板が見える。

BAR LEGION

「ここだ。」

マエストロが扉を開く。

カラン――。

澄んだベルが店内へ響いた。

「いらっしゃいませ。」

穏やかな女性の声。

カウンターの奥には、一人のマスターが立っていた。

褐色の肌。

長い黒髪。

白いシャツに黒いベスト。

優しい笑顔が印象的な女性だった。

「こんばんは。」

マエストロは軽く手を挙げる。

「いつもの席を。」

「かしこまりました。」

マスターは静かに微笑む。

俺たちは店内を見回した。

壁には古い軍用地図。

航空機の模型。

勲章。

年代物のヘルメット。

ミリタリー好きには、たまらない空間だった。

「軍団長。」

俺は思わず笑う。

「趣味が出てますね。」

「落ち着くだろ?」

「はい。」

不思議と。

緊張がほどけていく店だった。



飲み物が運ばれてくる。

アルコールではなく、全員ホットコーヒーだった。

マエストロは鞄を机へ置く。

「さて。」

「ここからが本題だ。」

そう言って取り出したのは。

一冊。

二冊。

三冊。

次々と机へ積まれていく。

「……。」

俺たちは固まった。

『初めてのファッション』

『大人の身だしなみ』

『会話が続く聞き方』

『デート入門』

『女性心理の基礎』

『第一印象で損をしない方法』

……

ソステヌートが本の背表紙を読み上げる。

「軍団長。」

「これは。」

「教材だ。」

「教材。」

「そう。」

マエストロは真面目だった。

「戦場では。」

「敵を知る。」

「味方を知る。」

「地形を知る。」

「それが基本だ。」

静かな声が続く。

「なら。」

「平和な時代に。」

「人を知らないままじゃ。」

「人生で損をする。」

俺は思わず笑う。

「軍団長。」

「そんな本まで読んでたんですか。」

「当たり前だ。」

胸を張る。

「失敗して。」

「勉強して。」

「また失敗して。」

「今の俺がある。」

「説得力がありますね。」

思わず本音が漏れた。

店内に笑いが広がる。



マエストロは本を一冊手に取った。

「レッド君。」

「はい。」

「君は。」

「まず髪を切れ。」

「え。」

「その上着。」

「十年前から着てないか?」

「……。」

図星だった。

「ソステヌート。」

「はい。」

「教範を読む前に。」

「雑誌を読め。」

「……。」

「ペザンテ。」

「はい。」

「腹が減った。」

「まず食べろ。」

「了解。」

ペザンテは真顔で頷いた。

マエストロは笑う。

「いいか。」

「今日の夜間訓練は。」

「まだ終わってない。」

「これからが。」

「本当の教育だ。」

俺たちは顔を見合わせた。

怪人より手強い。

その意味が。

少しだけ分かった気がした。

店の奥では。

マスターが静かに微笑みながら、コーヒーカップを磨いていた。

誰にも気付かれないように。

本当に静かに。


第66話『女子会』
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2026年07月06日