第54話『討伐対象』

第54話『討伐対象』


社をあとにした俺たちは、ゆっくりと石段を下りた。

境内を吹き抜ける風は涼しく、蝉の声さえ少し遠く聞こえる。

誰も急がない。

この町には、人の歩く速さまで穏やかになる不思議な空気があった。

駐車場へ戻る途中。

スタッカートが背伸びをした。

「いやぁ、いい神社だったっス。」

「心が洗われますわ。」

ドルチェも笑顔を見せる。

エネルジコは両手を頭の後ろで組みながら空を見上げた。

「こんな平和な場所、守りたくなりますね。」

「そのために我々がおります。」

カンタービレ軍曹が静かに答える。

俺は思わず微笑んだ。

この人は、いつも教範通りだ。

だけど、その教範の先に部下の命を見ていることを俺は知っている。



車が町外れへ向かう。

細い道の脇を小川が流れ、その向こうでは田んぼが風に揺れていた。

夏の匂いがする。

窓を少し開けると、土と草の香りが車内へ入り込んできた。

「リアルダ。」

「はい。」

「名代様は、まだ遊んでるのか?」

「目撃情報では、そのまま運動場に。」

「子どもたちと鬼ごっこをしているそうです。」

スタッカートが吹き出した。

「自由過ぎるっス。」

「神獣とは思えませんね。」

ペザンテが短く呟く。

「神獣だからでしょう。」

ドルチェが微笑む。

誰も否定しなかった。



運動場が見えてきた。

車を降りる。

遠くから子どもたちの歓声が聞こえてくる。

「待てぇー!」

「捕まらないコン!」

紫色の尻尾が風を切った。

子どもたちが一斉に追い掛ける。

カプリッチョは振り返り、大笑いしていた。

「キャハハハ!」

「もっと遊ぶコン!」

レッドは思わず足を止めた。

「……元気だな。」

「はい。」

リアルダも少しだけ笑う。

しかし、その表情はすぐに引き締まった。

腕時計型端末を操作する。

「周辺環境、測定します。」

静かな声だった。

「気温、二十八・四度。」

「湿度、六十五パーセント。」

「風速、一・二メートル。」

数字を確認する。

ペザンテも運動場を見渡した。

校舎。

鉄棒。

バックネット。

その先は開けた田畑。

「……。」

「どうした?」

リアルダは視線を上げない。

「反響率。」

一拍置く。

「極めて低いです。」

空気が変わった。

スタッカートが周囲を見回す。

「壁がないっスね……。」

「ありません。」

リアルダは静かに続ける。

「建造物まで百二十七メートル。」

「地表は土。」

「吸音率、高。」

「樹木による反射効果、僅少。」

ペザンテが短く言った。

「音が返ってこない。」

その一言だけで十分だった。

ホールなら。

壁が音を育てる。

天井が響きを返す。

床が低音を支える。

しかし、この運動場には何もない。

吹いた音は、そのまま空へ吸い込まれていく。

リアルダは深呼吸した。

「音響弾出力予測。」

「通常比、四十九パーセント。」

スタッカートが苦笑する。

「半分っスか。」

エネルジコは拳を握る。

「それでも俺たちは!」

カンタービレ軍曹が静かに手を上げた。

「感情では勝てません。」

全員が口を閉じる。

軍曹は運動場を見つめたまま、小さく続けた。

「中央防衛隊教範では、神獣は討伐対象です。」

静かな声だった。

「ですが。」

「任務は状況によって変わります。」

レッドは軍曹を見る。

軍曹も小さく頷いた。

「リアルダ。」

「はい。」

「防御弾幕は。」

「最大でも五割程度。」

「維持時間も短くなります。」

沈黙が流れた。

風だけが運動場を横切る。

レッドは青空を見上げる。

「生音か。」

リアルダはゆっくり頷いた。

「はい。」

「今日は、生音だけで戦うことになります。」

その言葉は、どんな脅しより重かった。

音術師にとって、生音だけの戦いは、自分自身の技術だけが頼りになる戦場だった。

レッドは帽子を深くかぶり直す。

「……でも。」

静かに笑う。

「今日は礼を言いに来ただけだ。」

「戦う理由はない。」

リアルダも笑みを浮かべた。

「はい。」

その時だった。

「お兄ちゃーん!」

運動場の向こうから、大きく手を振る紫色の尻尾。

「また遊ぶコン!」

子どもたちも一緒になって手を振っている。

レッドは手を振り返した。

「何とかなるさ。」

その一言に、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。

だが、その場にいた全員が理解していた。

もし、この神獣が本気を出したなら。

中央の教範では討伐対象とされる理由を、誰もが身をもって理解するだろう。

そして同時に。

この運動場で笑う子どもたちの前では、その教範だけでは測れない現実があることも。

風が吹く。

紫色の尻尾が、子どもたちの笑い声と一緒に夏空を駆け抜けていった。


第55話『力の差』
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2026年07月04日