第54話『討伐対象』
第54話『討伐対象』
社をあとにした俺たちは、ゆっくりと石段を下りた。
境内を吹き抜ける風は涼しく、蝉の声さえ少し遠く聞こえる。
誰も急がない。
この町には、人の歩く速さまで穏やかになる不思議な空気があった。
駐車場へ戻る途中。
スタッカートが背伸びをした。
「いやぁ、いい神社だったっス。」
「心が洗われますわ。」
ドルチェも笑顔を見せる。
エネルジコは両手を頭の後ろで組みながら空を見上げた。
「こんな平和な場所、守りたくなりますね。」
「そのために我々がおります。」
カンタービレ軍曹が静かに答える。
俺は思わず微笑んだ。
この人は、いつも教範通りだ。
だけど、その教範の先に部下の命を見ていることを俺は知っている。
◇
車が町外れへ向かう。
細い道の脇を小川が流れ、その向こうでは田んぼが風に揺れていた。
夏の匂いがする。
窓を少し開けると、土と草の香りが車内へ入り込んできた。
「リアルダ。」
「はい。」
「名代様は、まだ遊んでるのか?」
「目撃情報では、そのまま運動場に。」
「子どもたちと鬼ごっこをしているそうです。」
スタッカートが吹き出した。
「自由過ぎるっス。」
「神獣とは思えませんね。」
ペザンテが短く呟く。
「神獣だからでしょう。」
ドルチェが微笑む。
誰も否定しなかった。
◇
運動場が見えてきた。
車を降りる。
遠くから子どもたちの歓声が聞こえてくる。
「待てぇー!」
「捕まらないコン!」
紫色の尻尾が風を切った。
子どもたちが一斉に追い掛ける。
カプリッチョは振り返り、大笑いしていた。
「キャハハハ!」
「もっと遊ぶコン!」
レッドは思わず足を止めた。
「……元気だな。」
「はい。」
リアルダも少しだけ笑う。
しかし、その表情はすぐに引き締まった。
腕時計型端末を操作する。
「周辺環境、測定します。」
静かな声だった。
「気温、二十八・四度。」
「湿度、六十五パーセント。」
「風速、一・二メートル。」
数字を確認する。
ペザンテも運動場を見渡した。
校舎。
鉄棒。
バックネット。
その先は開けた田畑。
「……。」
「どうした?」
リアルダは視線を上げない。
「反響率。」
一拍置く。
「極めて低いです。」
空気が変わった。
スタッカートが周囲を見回す。
「壁がないっスね……。」
「ありません。」
リアルダは静かに続ける。
「建造物まで百二十七メートル。」
「地表は土。」
「吸音率、高。」
「樹木による反射効果、僅少。」
ペザンテが短く言った。
「音が返ってこない。」
その一言だけで十分だった。
ホールなら。
壁が音を育てる。
天井が響きを返す。
床が低音を支える。
しかし、この運動場には何もない。
吹いた音は、そのまま空へ吸い込まれていく。
リアルダは深呼吸した。
「音響弾出力予測。」
「通常比、四十九パーセント。」
スタッカートが苦笑する。
「半分っスか。」
エネルジコは拳を握る。
「それでも俺たちは!」
カンタービレ軍曹が静かに手を上げた。
「感情では勝てません。」
全員が口を閉じる。
軍曹は運動場を見つめたまま、小さく続けた。
「中央防衛隊教範では、神獣は討伐対象です。」
静かな声だった。
「ですが。」
「任務は状況によって変わります。」
レッドは軍曹を見る。
軍曹も小さく頷いた。
「リアルダ。」
「はい。」
「防御弾幕は。」
「最大でも五割程度。」
「維持時間も短くなります。」
沈黙が流れた。
風だけが運動場を横切る。
レッドは青空を見上げる。
「生音か。」
リアルダはゆっくり頷いた。
「はい。」
「今日は、生音だけで戦うことになります。」
その言葉は、どんな脅しより重かった。
音術師にとって、生音だけの戦いは、自分自身の技術だけが頼りになる戦場だった。
レッドは帽子を深くかぶり直す。
「……でも。」
静かに笑う。
「今日は礼を言いに来ただけだ。」
「戦う理由はない。」
リアルダも笑みを浮かべた。
「はい。」
その時だった。
「お兄ちゃーん!」
運動場の向こうから、大きく手を振る紫色の尻尾。
「また遊ぶコン!」
子どもたちも一緒になって手を振っている。
レッドは手を振り返した。
「何とかなるさ。」
その一言に、張り詰めていた空気が少しだけ和らいだ。
だが、その場にいた全員が理解していた。
もし、この神獣が本気を出したなら。
中央の教範では討伐対象とされる理由を、誰もが身をもって理解するだろう。
そして同時に。
この運動場で笑う子どもたちの前では、その教範だけでは測れない現実があることも。
風が吹く。
紫色の尻尾が、子どもたちの笑い声と一緒に夏空を駆け抜けていった。
第55話『力の差』
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