防府市小野公民館

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地名の由来
  
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小野の風景
 
  
  地名の由来は盆地状の小平野の意より小野となったと思われる。
  重源上人が入国したころから公領(国衙領)を一般に保と称したようであるが、永仁年間(一二九三〜一二九八)の文書に小野保は国衙領の一所として見える。また、この小野保が室町時代頃まで続いたことは、当時大内氏の勢力圏でありながら文明四年(一四七二)鈴屋の竹屋資継が当保司職並びに寺社別当職に補せられ、延徳二年(一四九一)これを次男正継に譲り、更に正継の子資幸の相続権を確認している。得富国資も文明八年(一四七六)当保司職に補せられるなど両家の葛藤がうかがわれるとともに、国庁在庁官人である竹屋氏、得富氏などが上小野保を司政していたことは明らかである。
  さらに上小野保内に村名が起ったことは天文二十二年(一五五二)の松尾山大坊領同所々拘分事の文書(真尾光明寺所蔵)に、鈴屋村、奈美村の村名がみえ弘治三年(一五五七)の文書(仁保氏所蔵)に、佐波郡日坂根村の村名がみえている。
 
『ふるさと小野 第5号』より抜粋
 
 
 
おくはたひさかねわじすずやなみなかやま
 
  
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